柳生兵庫助

七歳にして祖父石舟斎より絶対不敗の奥義を叩き込まれ、柳生一族の期待を一身に背負って成長した天才剣士・兵介(後の兵庫助)。二十一歳の時、加藤清正から兵法師範を請われ、伊賀忍者の小猿とくノ一の千世を連れて肥後へと旅立つが、瀬戸内海で海賊に包囲されてしまう。剣あり恋あり忍術あり、傑作長編時代小説第一弾。(「BOOK」データベースより)

 

これまで読んだ剣豪小説では一番の面白さを持っていた、柳生兵庫之介を主人公とする文庫本で十巻にもなる大河剣豪小説です。

 

世に知られた柳生石舟斉、その子である柳生厳勝の次男として生まれ、名は利厳(としとし)、通称を兵庫助と言ったそうです。柳生一族には名人と言われる人が何人かいますが、人によってはこの兵庫兵庫助を一番とする人もいます。

文庫本で全10冊という長編なのですが、兵庫助という実在の人物を、誤解を恐れずに言えば一種の活劇ものとして読むこともできるので、一気に読むことが出来るのではないでしょうか。

 

普通、剣豪小説は主人公が過酷な修練の末に得た剣の腕をもって事件や他の剣士に対します。そこではヒーローの活躍により読み手のカタルシスを誘うのでしょう。しかし、本作品ではそれに加えて兵庫助自身の成長物語も語られますし、他の剣豪との、例えば宮本武蔵との邂逅なども語られるので、更に深みを増していると思われます。

ただ、遊びのある文章では無く淡々とした文章なので、もしかしたら合わないという人があるかもしれないという若干の不安はありますが、それを超えたお面白さがあります。是非一読ください。

 

なお、本書は文春文庫版(全八巻?)、とみ新蔵の画になるコミック版(全七巻)も出ています。

 

津本 陽

剣豪ものの分野では第一人者ではないでしょうか。最初に読んだ本が「明治撃剣会」という短編集でしたが、その剣戟の場面の描写の迫力は群を抜いていると感じたものです。

文章は読み易く、テンポよく読み進むことが出来ます。

作品数はかなり多く、歴史の分野では織田信長や坂本竜馬、勝海舟を始めとし、主な人物は書く尽くしているのではないかと思うほどです。近年は「秦の始皇帝」など、中国ものにも手を着けておられるようです。

ただ、私自身はこの作家の作品は数冊しか読んでいないので、未読のままでお勧めとは言えないのが残念です。「龍馬」は途中で読むのを止めてしまいましたが、これは司馬遼太郎の「坂本竜馬」があまりに大きく、司馬竜馬を超えているとは思えなかったので、長編ということもあり止めてしまったのです。決して面白く無かったからというのではありません。

剣豪ものに関しては絶対のお勧めと言えると思います。特に「柳生兵庫助」はお勧めです。

雷神 風の市兵衛

本書『雷神 風の市兵衛』は、風の市兵衛シリーズの二作目となる長編の痛快時代小説です。

個人的には第一作目の『風の市兵衛』の方が面白かったと思うのですが、解説者によると、第一作目よりも二倍面白い、ということです。

 

内藤新宿開宿以来の老舗磐栄屋が窮地に陥っていた。不当に立ち退きを命じられた挙句、主天外と跡取り息子が何者かに襲われたのだ。そんな最中、風のように一人の男が現われる。“算盤侍”唐木市兵衛である。つぶさに現状を調べた市兵衛は、新宿進出を狙う豪商と鳴瀬藩の陰謀と看破する。主の娘とともに店を救う秘策とは?時代小説に新たな風が吹く、大好評の第二弾。

 

本書『雷神 風の市兵衛』の今回の舞台は内藤新宿の磐栄屋(いわさかや)という呉服太物問屋です。この磐栄屋では店の主人が暴漢に襲われ怪我を負ったり、跡継ぎである息子は仕入れ先の武州で古参の手代と共に山中で盗賊に襲われて落命したりと災難が続いていました。

そこで、主人の代わりに仕入れに行くことになった娘のお絹のために、腕が立ち算盤もできる者を探していたのです。たまたま請け人宿の宰領屋(口入屋)にいた市兵衛は、その話を請けることになります。

磐栄屋の災難は麹町に店を構える呉服店の岸屋が糸を引いており、手先である地元新宿の大黒屋重五というやくざが嫌がらせを仕かけていたのでした。

 

残念なことに、私は第一作目の『風の市兵衛』ほどの面白さは感じなかったのですが、文芸評論家の縄田一男氏は「あとがき」で、私の感想とは真逆に、「本書は、一作目の二倍は面白い」と書いておられました。

 

 

確かに、本書『雷神 風の市兵衛』は磐栄屋の主人の人となりに焦点が当てられていたり、他方では市兵衛を磐栄屋へと結びつけるきっかけになった小僧の丸平(がんぺい)が、こまっちゃくれてはいるが憎めない小僧として描かれていたりと、主人公以外の登場人物への配慮が一作目よりも丁寧に為されています。

個人的にはその点こそが市兵衛が一歩引いた形となり、一作目ほどの面白さを感じなかったのです。

しかしながら、市兵衛の人となりは一作目で十分に語ってあること、まだその一端しか見えていない市兵衛の過去も少しずつ紹介されてはいること、などと考えると、私の本作品に対する第一印象は修正すべきなのかもしれません。

 

一作目で大変な目にあった同心の渋井鬼三次は、本作でもなかなかに重要な役割を果たしていたり、市兵衛の影の仲間とも言うべき存在も変わらずに活躍し、読者を楽しませてくれています。

そうした点でも、本作品はエンターテインメント小説としてかなり面白さを持つ作品であることは否定できないでしょう。

風の市兵衛

本書『風の市兵衛』は、『風の市兵衛シリーズ』の第一作目で、算盤を片手にした渡り用人という珍しい職業の侍を主人公にした痛快時代小説です。

主人公の見た目は優男ですが、独学で習得した剣の腕は相当なもので、痛快小説の主人公として魅力的なキャラクターであり、テレビドラマ化もされた人気シリーズになっています。

柳原堤下で、武家の心中死体が発見された。旗本にあるまじき不祥事に、遺された妻と幼い息子は窮地に陥る。そこにさすらいの渡り用人唐木市兵衛が雇われた。算盤を片手に家財を調べる飄々とした武士に彼らは不審を抱くが、次第に魅了される。やがて新たな借財が判明するや、市兵衛に不穏な影が迫る。心中に隠されていた奸計とは?“風の剣”を揮う市兵衛に瞠目。(「BOOK」データベースより)

 

主人が「相対死(あいたいじに)という武士にあるまじき不祥事」で死んだ三河以来の旧家の高松家に一人の侍が渡り用人として雇われることになります。

名を唐木市兵衛といい、算盤を片手に雇われ先の家計を預かるのを仕事としています。この唐木市兵衛が高松家の借金の現状を調べていく中、様々に不審な事柄が明らかになっていくのです。

 

近年の時代小説は主人公の職業が独特なものが設定されていると感じます。数多くの書き手の中から何とか独自性を出していかなければならないのですから、作家さんも大変でしょう。

簡単に思いつく作品を二、三挙げると、田牧大和には『とんずら屋シリーズ』の「夜逃げ屋」、『からくりシリーズ』の「女錠前職人」などの職業の作品があり、水田勁の『紀之屋玉吉残夢録シリーズ』には「幇間」が主人公の作品があります。

 

 

また、多数の作品がある同心ものの中でも、梶よう子の『御薬園同心 水上草介シリーズ』や『宝の山 商い同心お調べ帖』では小石川御薬園の同心や諸式調掛方同心などと、同じ「同心」でも工夫を凝らしてあるのです。

 

 

本書『風の市兵衛』の場合、「渡り用人」という珍しい職業の主人公が算盤を使いこなし、高松家の収入を知行地の石高から即座に計算し、支出も諸経費等を積み上げていく様は、当時の生活も垣間見えてトリビア的な面白さもあります。

更には本書の主人公唐木市兵衛は剣の使い手でもあります。関西での放蕩時代に剣を学び、「風の剣」の使い手として名を馳せたらしいのです。

という設定である以上は、剣の上での敵役も勿論設けてあり、異国の剣の使い手が配置されていて、剣戟の場面も少しですがあります。

 

更に、唐木市兵衛の過去が明らかになるにつれ、幕府内で力のある後ろ盾や、いざというときに力になり得る仲間が現れたり、物語の冒頭から登場する少々ひねた性格の腕利き同心渋井鬼三次が絡んだりと、エンターテインメント小説としての、定番と言えるであろう要素は十二分に配してあります。

よく練られていて破綻の無い筋立てと、十分に書き込まれている主人公、それを助ける助っ人の設定と、面白い時代劇小説の要素を全部持っていると言えるのではないでしょうか。

 

2010年に刊行された本書『風の市兵衛』を第一巻とするこのシリーズも、2017年までに全20巻が刊行され、2018年からは新シリーズ『風の市兵衛 弐』が刊行されている人気シリーズとなっています。

更には2018年5月にはNHK総合テレビの「土曜時代ドラマ」で、向井理を主演としてドラマ化されており、こちらも人気を得ているようです。

風の市兵衛シリーズ

風の市兵衛シリーズ』とは

 

本『風の市兵衛シリーズ』は「渡り用人」という期間を区切って雇われ、家政のやりくりを行う侍を主人公賭する、痛快活劇小説シリーズです。

優男の主人公が意外にも剣の遣い手であり、様々な難題を解決していくという面白いシリーズです。

 

風の市兵衛シリーズ』の作品

 

 

風の市兵衛シリーズ』について

 

本『風の市兵衛シリーズ』では「渡り用人」というはじめて聞いた職業が登場します。

用人」とは、身分等により職務の内容も異なるようですが、旗本等では「金銭の出納や雑事などの家政をつかさどった者」を言い、また「渡り」とは、「渡り中間」などで使われているように、期間を区切って雇われる者を意味しているようです。

通常は家臣として用人がいる筈ですが、武士の世界もひっ迫していて用人を置く余裕もないのでしょう。そこで、業務の経費削減のために外部委託が行われることになったのでしょうか。

その前に、そもそもこうした職業が実在したのか簡単に調べたのですが分かりませんでした。

ただ、藤原緋沙子の作品に『渡り用人片桐弦一郎控』というシリーズがあり、他に岡本綺堂の『半七捕物帳』にも出てきたりするところを見ると、本当にあった職業なのかもしれません。『半七捕物帳 01 お文の魂』は Amazon の Kindle 版から無料版もあるようです。

 

 

加えて主人公は剣の使い手でもあり、幕府内のそれなりの力のある後ろ盾がいたり、仲間とも呼べそうな同心がいたりと、痛快時代劇の要素を十分に備えています。

勿論、そうしたエンターテインメントの要素を生かしきるだけの筆力も感じられます。テンポよく読んでいくことができるのです。

ともあれ、唐木市兵衛という「渡り用人」が武家やお店などの様々な依頼に応じてその職務をこなしながら、依頼にまつわる事件を解決していくという物語です。

幕府内の後ろ盾として、十人目付の筆頭支配役である片岡信正という腹違いの兄がおり、信正配下の返弥陀ノ介という男が市兵衛の深い信頼で結ばれている友人として登場しています。

また、市兵衛が仕事探しで世話になっているのが口入屋の矢藤太で、この男は市兵衛の京都時代からの知り合いです。

市井の市兵衛の友人の一人として、北町奉行定町廻り方同心の渋井鬼三次がおり、手下の助弥と共に何かと市兵衛の手助けをしています。

この三人に、医者の柳井宗秀を加えた面々が集まるのが深川にある深川堀川町にある一膳飯屋の「喜楽亭」で、そこの亭主はただおやじと呼ばれています。

ただ、本シリーズも『風の市兵衛 弐』になると、市兵衛も住まいを移しており、「喜楽亭」も無くなっています。

代わりに「蛤屋」という小奇麗な二階屋が舞台となり、集まる面々も、南町奉行所臨時廻り方掛同心宍戸梅吉やその使いの紺屋町の文六親分、そしてその手下である鬼渋の息子の良一郎と変化していきます。

 

まあ、渡り用人とは言っても、結局はスーパーヒーローの活躍する痛快活劇時代小説であることには違いは無いのですが、その面白さは近頃のベストではないでしょうか。

野口卓の『軍鶏侍シリーズ』に並ぶほどの面白い小説でしょう。十分に期待に添えるシリーズと言えると思います。

 

 

シリーズも二十巻を越えた二十一巻目(作品としては十九作目)には、『風の市兵衛 弐』とシリーズ名に「弐」の文字が付いています。これは、このシリーズも新たな展開を見せると期待していいのでしょう。

 

ちなみに、2018年5月19日(土)から、NHKの土曜時代ドラマで「そろばん侍 風の市兵衛」が放映されました。

そろばん侍 風の市兵衛 | NHK 土曜時代ドラマ 参照

向井理主演で渋井鬼三次を原田泰造、返弥陀ノ介を加治将樹、青を山本千尋が演じています。

私は殆どドラマを見ないのですが、原作にこれだけ入れ込んでいるのだからと一話だけ見たところ、私の好みとは違ったようです。。

ちなみに、2022年9月27日現在では、NHKオンデマンドの案内はあっても、DVDは出ていないようです。

 

辻堂 魁

辻堂魁』のプロフィール

 

1948年、高知県生まれ 。京都工芸繊維大学中退。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務を経て執筆業に入る。2010年に『風の市兵衛』が発表されるや、主人公で渡り用人の唐木市兵衛が、算盤を片手に生計を立てる飄々とした姿と、〈風の剣〉でか弱き者たちのために一途に戦う姿が、圧倒的支持を得てシリーズ化される。2017年には作家生活10周年を迎え、「風の市兵衛」も20作を超える大ヒットシリーズとなる。翌2018年には、唐木市兵衛の新たな魅力と今まで明かされてなかった秘話を解き明かすために、新展開「風の市兵衛 弐」が新シリーズとしてスタートするなど、ますます精力的に執筆活動を続けている。主な作品に「日暮し同心始末帖」シリーズ、「夜叉萬同心」シリーズ、「仕舞屋侍」シリーズほか。

引用元:祥伝社 著者プロフィール

 

辻堂魁』について

 

この作家さんについては殆ど情報がありません。高知県に生まれ、早稲田大学文学部卒業後、出版社に勤務。その後退社して本格的に執筆業に入えい、『風の市兵衛シリーズ』で第5回(2016年)歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞を受賞、とはウィキペディアにあった情報です。

でも、2015年4月当時にこの作家の『風の市兵衛シリーズ』を読み始め、次第にはまっていったと覚えています。

ただ、このシリーズの面白さを認識したのはシリーズ四作目の『月夜行 風の市兵衛』あたりからであり、辻堂魁という作家に深くはまるまでに二~三年かかっていると思います。

それ以降、『日暮し同心始末帖シリーズ』『夜叉萬同心シリーズ』などと手を広げ、結局図書館にある辻堂魁の作品は全部を読んでしまうことになりました。

 

それほどに私の好みに合致した作家でした。

というのも、辻堂魁という作家の作品は、活劇小説ではありながらも、深く人情を絡めた作品として仕上がっているからだと思っています。

私の好きな時代小説作家としては山本周五郎藤沢周平司馬 遼太郎、海音寺潮五郎、子母澤寛などといった大御所クラスの作家とは別に、青山文平砂原浩太朗などの現代の作家たちがいます。

そしてこれらの作家たちを見ると、やはりその文章は情感豊かで、人情味豊かな作品が多いのです。

 

結局、辻堂魁という作家は、新しい時代小説の書き手として、それも面白い痛快時代小説の書き手として今後が期待される作家の一人だと思います。

かなりの期待を持って他の作品も読んでみたいと思っています。

質草破り

訳ありの住人ばかりが集う、通称“烏鷺入長屋”に引っ越した役者の濱次。その家主で質屋のおるいは、筋金入りの“芝居者嫌い”だった。ある日、金を借りに来た三味線弾きの豊路に、おるいは意外な、けれど芝居で大切な役割を担う「あるもの」を質入れしろと言う。濱次シリーズ第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

濱次シリーズの第二作目です。

 

中二階の女形である主人公の濱次は、それまで住んでいた長屋を追いだされ、通称「烏鷺入長屋」と呼ばれる後家さんが暮らす長屋に移ることになった。家主は「竹屋」という質屋であり、この物語の中心となるのが、そこの男勝りのおるいという女主人だった。

 

江戸時代の質屋では利息が収入源であり、質草も客の心意気や体面といった見栄に関わるものが一般的だった、といいます。

本書冒頭に語られる大工と「竹屋」のおるいとの掛け合いも、質入れされた月代(さかやき)をめぐる揉め事です。月代を質入れすると月代を剃ることはできなくなります。つまりは「恥ずかしさ、ばつの悪さ」と引き換えに質屋は金を貸すのだそうです。

 

この「竹屋」に、森田座の訳ありの三味線弾きが「掛け声」を質に入れます。つまりは、舞台上で三味線の曲の合間の掛け声をかけることができなくなり、事実上三味線を弾けなくなるのです。

しかし、これが騒動を巻き起こします。そこには、前作でも狂言回し的な存在であった奥役の清助が再び絡んできて、同時に、濱次が演じる筈の舞台の配役へも飛び火することになります。

 

本シリーズは芝居小屋が舞台であることから、この作者がもともと持っているリズムの良さが、小粋な舞台設定と相まって実に粋(すい)な色合いを醸し出しています。濱次の師匠の有島仙雀、森田座の座元の森田勘弥といったいつもの人物たちも当然のことながら登場し、物語の脇を固めています。

 

歌舞伎の世界を背景にした物語と言えば、まずは松井今朝子の『花伝書シリーズ』を思い出されます。綿密な考証の上に構築された世界は、格調高く、ミステリーとしての面白さも抜群です。

また、杉本章子の『お狂言師歌吉うきよ暦シリーズ』もあります。下町娘が女歌舞伎の世界で活躍する物語ははなやかで、すぐに物語の世界に引き込まれました。

また、近藤史恵の『猿若町捕物帳シリーズ』も挙げて良いのでしょう。捕物帖ですが第一作目の『巴之丞鹿の子』は歌舞伎の世界が舞台になっています。

どの作品も、粋さを堪能しつつ、人情物語としても、作品によってはミステリー者としても第一級の面白さを持った物語です。

花合せ

江戸の歌舞伎小屋「森田座」の若手役者・梅村濱次は、一座きってのおっとり者。ある日、道端で見知らぬ娘から奇妙な朝顔を預かった。その朝顔が幽霊を呼んだのか、思わぬ騒動を巻き起こす。座元や師匠、茶屋の女将まで巻き込んで、濱次の謎解きが始まった。ほのぼの愉快な事件帖。小説現代長編新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

濱次シリーズの第一作目です。

 

この作者の『からくりシリーズ』『とんずら屋シリーズ』と読み応えのある作品を読んできたのですが、本書もまた実に読み応えのある作品でした。

 

主人公は梅村濱次という森田座の中二階女形です。

森田座」は歌舞伎の芝居小屋であり、「中村座」「市村座」と並んで江戸三座と言われました。

中二階女形」というのは女形の大部屋が中二階あったことから言われたらしく、つまりは主役級の役者以下の女形のことです。

主役ではないのでわりと気楽に過ごしている身分の主人公なのですが、濱次の才能を認めている師匠や座元たちにとっては歯がゆい思いをしているところです。

 

ある日濱次が師匠の家から帰る途中、見知らぬ娘から変な花の植わった鉢を押しつけられた。しばらく預かってほしいというのだ。

その鉢を見た濱次の奥役(楽屋内のいっさいを取り仕切った仕事で、今で言うプロデューサー)である清助は自分が預かりたいという。その鉢の花は変化朝顔であり、好事家の間では高額で売買される代物だったのだ。

ところが、その変化朝顔が盗まれてしまう。この変化朝顔をめぐる騒動は思わぬ展開を繰り広げることになるのだった。

 

主人公が歌舞伎の女形ですので、当然物語の舞台は普段一般人が眼にも耳にもしない、芝居・踊り関連の世界が広がります。

勿論、着物に関しても色々な名称が出てくるのですが、私は和服のことなど全く分からない朴念仁ですので、濱次の様子を「紫縮緬(むらさきちりめん)の野郎帽子、浅葱の小袖に二藍の帯、といった涼しげな色目が、上品に整った顔立ちによく映え、すっきりとした色気さえ感じられる」などと言われれば、その意味はよく分からずとも言葉の雰囲気だけで感心してしまうのです。こうした言葉を理解できるような勉強もしておくべきだったと今更ながらに悔やまれます。

本作品では普通の捕物帖とは異なり、殺人も立ち回りもありません。代わりに、不思議な女の持ち込んだ変化朝顔にまつわる謎が解き明かされていきます。

変化朝顔をテーマにした小説といえば、梶よう子の『一朝の夢』があります。両御組姓名掛りという閑職の北町奉行所同心である朝顔オタクの中根興三郎を主人公とした、作者の優しい目線が光る人情小説で、歴史の渦に巻き込まれていく姿が描かれます。

 

 

時代小説ではありませんが東野圭吾の『夢幻花』もやはり変化朝顔が主要テーマになった推理小説です。

 

 

この変化朝顔にまつわる謎を解く濱次の行動、推理がなかなかに読ませてくれます。幽霊、物の怪(もののけ)、精霊の登場する怨霊ごとには目の色が変わる濱次というキャラクタ―だけで読ませる、と言えば言い過ぎでしょうが、それほどに面白いキャラです。

濱次シリーズ

濱次シリーズ(2018年12月19日現在)

  1. 花合せ 濱次お役者双六
  2. 質草破り 濱次お役者双六 2ます目
  3. 翔ぶ梅 濱次お役者双六 3ます目
  4. 半可心中 濱次お役者双六
  5. 長屋狂言 濱次お役者双六

 

出雲阿国が元祖と言われる歌舞伎は多くあった芝居小屋も認可制とされ、江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋は中村座・市村座・森田座の三座だけとなりました。これを江戸三座といいます。本書はこの三座の一つ森田座を舞台としています。

 

主人公は梅村濱次という主役級の役者以下の女形である「中二階女形」です。

濱次の師匠である有島仙雀や森田座の座元である森田勘弥など、濱次の才能に期待しているのですが、本人はいたって呑気で今の身分を楽しんでいるようです。ただ、稽古は嫌いでも怨霊ごとなどには引っ込まれてしまうのです。

 

同じように踊りの世界を舞台にした物語に、杉本章子の『お狂言師歌吉うきよ暦シリーズ』や近藤史恵の『巴之丞鹿の子』を一作目とする『猿若町捕物帳シリーズ』それに松井今朝子の『風姿花伝三部作』などがあります。

そこでも思ったのですが、私のような人間は”野暮”や”無粋”とは言われたことはあっても、粋(すい)とは縁遠い人間で、勿論、歌舞伎や踊りなど全く分かりません。そうした人にも、踊りや歌舞伎の世界の一端を感じさせてくれる、それが杉本章子近藤史恵松井今朝子らの作品であり、本書だと思うのです。

そういう意味で、本書は『お狂言師歌吉うきよ暦シリーズ』が垣間見せてくれる歌舞伎の粋の世界の描写が、少しだけ物足りなく思えました。それでも、濱次と師匠や座元との会話は、見知らぬ世界へと導いてくれます。

ともあれ、この作者は波長が合うのでしょう。もっと色々と読みたいと思わせられる作家さんです。