『日暮し同心始末帖シリーズ』とは
『日暮し同心始末帖シリーズ』は、この作者の風の市兵衛シリーズ』同様の痛快時代小説です。
『日暮し同心始末帖シリーズ』の作品
『日暮し同心始末帖シリーズ』について
辻堂魁という作者にはデビュー作である『夜叉萬同心 冬蜉蝣』を第一作とする『夜叉萬同心シリーズ』がありますが、本『日暮し同心始末帖シリーズ』は、『夜叉萬同心シリーズ』と舞台を同じくする痛快時代小説です。
即ち、本書の主人公は日暮龍平という名の北町奉行所平同心ですが、先輩同心として『夜叉萬同心シリーズ』の主人公である萬七蔵という隠密同心がいるのです。
この萬七蔵が、何故か同輩皆が軽んじる日暮龍平という平同心に目をかけているようです。
蛇足ですが、『夜叉萬同心シリーズ』では北町奉行は小田切土佐守ですが、本『日暮し同心始末帖シリーズ』での北町奉行は永田備前守ということになっています。多分時代が若干ずれているというところなのでしょう。
ちなみに、ウィキペディアの北町奉行の歴代人物名を見ると、小田切土佐守の次にたしかに永田という人物はいるのですが、備前守ではなく、備後守となっています。まあ私にとっては備前でも備後でも、はたまた備中でもどうでもいいことではありますが。
とにかく、『夜叉萬同心シリーズ』と時代背景を一にしているということです。
しかし、物語の雰囲気は若干異なります。人生の悲哀を一身に背負った人物が登場し、その哀しみに対する救いがあまり無い点では『夜叉萬同心シリーズ』と似てはいますが、『夜叉萬同心シリーズ』ほどクールではありません。でも、『風の市兵衛シリーズ』ほどに爽やかさはありません。
もともと貧乏旗本の三男として部屋住みでいたものを、「部屋住みでくすぶっているよりは、ましでしょう。」として、二十三歳で八丁堀町方同心の日暮家に婿入りし、舅達広の代わりで北町奉行所平同心についた主人公です。
「その日暮らしの龍平」と同僚から揶揄され、雑用を押し付けられても嫌な顔一つせずに仕事をこなしてきたのです。
その貌の裏に熱いものがあり、小野派一刀流の腕を存分に生かし、弱そうに見えて実は強いという主人公の魅力を十二分に発揮している物語です。
主人公日暮龍平を支える登場人物として、同い歳の妻の麻奈、六歳になった長男の俊太郎、去年生まれた娘奈美、隠居夫婦の達広と鈴与、それに六十近い下男の松助の七人が、亀島町のおよそ百坪の組屋敷に暮らしています。
この家族の描写が実に温かく、俊太郎の未来を見つめる目などがシリーズを覆う暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれています。
例えば、とある物語の最後で、次のような文章で締められます。事件は解決したもののやるせない思いを抱く龍平でしたが、
「俊太郎に倣って、真っ直ぐ前を見つめた。すると、ささやかだがとても清々しい気分が胸いっぱいにあふれた。父と子の進む道の先には、晩夏の果てしない青空が広がっていた。」
と明るい明日へと向かうまなざしで閉じられるのです。
更に、龍平の実家の奉公人の斡旋などもやっていて幼いころから龍平を可愛がっていた人宿「梅宮」の主人である宮三が、八丁堀同心となった龍平の手足となってその人脈を生かしています。
また、その宮三の倅である今年十八歳の寛一は、龍平を兄のように慕い、十六の年から父親宮三と共に龍平の手先を務めています。
こうした登場人物たちがこのシリーズの背景を支える人たちであり、その面白さを支えているのです。
ちなみに、このシリーズは上記第一巻書籍のイメージ写真のように「祥伝社」から出版されていますが、それとは別に「学研M文庫」からも出版されています。