江戸の歌舞伎小屋「森田座」の若手役者・梅村濱次は、一座きってのおっとり者。ある日、道端で見知らぬ娘から奇妙な朝顔を預かった。その朝顔が幽霊を呼んだのか、思わぬ騒動を巻き起こす。座元や師匠、茶屋の女将まで巻き込んで、濱次の謎解きが始まった。ほのぼの愉快な事件帖。小説現代長編新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
濱次シリーズの第一作目です。
この作者の『からくりシリーズ』『とんずら屋シリーズ』と読み応えのある作品を読んできたのですが、本書もまた実に読み応えのある作品でした。
主人公は梅村濱次という森田座の中二階女形です。
「森田座」は歌舞伎の芝居小屋であり、「中村座」「市村座」と並んで江戸三座と言われました。
「中二階女形」というのは女形の大部屋が中二階あったことから言われたらしく、つまりは主役級の役者以下の女形のことです。
主役ではないのでわりと気楽に過ごしている身分の主人公なのですが、濱次の才能を認めている師匠や座元たちにとっては歯がゆい思いをしているところです。
ある日濱次が師匠の家から帰る途中、見知らぬ娘から変な花の植わった鉢を押しつけられた。しばらく預かってほしいというのだ。
その鉢を見た濱次の奥役(楽屋内のいっさいを取り仕切った仕事で、今で言うプロデューサー)である清助は自分が預かりたいという。その鉢の花は変化朝顔であり、好事家の間では高額で売買される代物だったのだ。
ところが、その変化朝顔が盗まれてしまう。この変化朝顔をめぐる騒動は思わぬ展開を繰り広げることになるのだった。
主人公が歌舞伎の女形ですので、当然物語の舞台は普段一般人が眼にも耳にもしない、芝居・踊り関連の世界が広がります。
勿論、着物に関しても色々な名称が出てくるのですが、私は和服のことなど全く分からない朴念仁ですので、濱次の様子を「紫縮緬(むらさきちりめん)の野郎帽子、浅葱の小袖に二藍の帯、といった涼しげな色目が、上品に整った顔立ちによく映え、すっきりとした色気さえ感じられる」などと言われれば、その意味はよく分からずとも言葉の雰囲気だけで感心してしまうのです。こうした言葉を理解できるような勉強もしておくべきだったと今更ながらに悔やまれます。
本作品では普通の捕物帖とは異なり、殺人も立ち回りもありません。代わりに、不思議な女の持ち込んだ変化朝顔にまつわる謎が解き明かされていきます。
変化朝顔をテーマにした小説といえば、梶よう子の『一朝の夢』があります。両御組姓名掛りという閑職の北町奉行所同心である朝顔オタクの中根興三郎を主人公とした、作者の優しい目線が光る人情小説で、歴史の渦に巻き込まれていく姿が描かれます。
時代小説ではありませんが東野圭吾の『夢幻花』もやはり変化朝顔が主要テーマになった推理小説です。
この変化朝顔にまつわる謎を解く濱次の行動、推理がなかなかに読ませてくれます。幽霊、物の怪(もののけ)、精霊の登場する怨霊ごとには目の色が変わる濱次というキャラクタ―だけで読ませる、と言えば言い過ぎでしょうが、それほどに面白いキャラです。