木鶏 新・軍鶏侍シリーズ

木鶏 新・軍鶏侍』とは

 

本書『木鶏 新・軍鶏侍』は『新・軍鶏侍シリーズ』の第四弾で、2020年3月に298頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

ただ主人公である源太夫や息子の幸司の日常が描かれるだけの作品ですが、そのゆっくりとした時の流れが心地よい物語です。

 

木鶏』の簡単なあらすじ

 

次席家老の子息の剣術指南に抜擢され、岩倉道場を継ぐ決心を固めた幸司。ところが父源太夫は中老に「御前さまに任された道場は世襲ではない」と釘を刺される。幸司の兄龍彦は遊学中で将来を嘱望される身、これで岩倉家は安泰よと、藩内から羨む声も聞こえ…(『笹濁り』)。軍鶏侍を父に持つゆえの重圧に堪え、前髪立ちの少年が剣友とともに、剣の道を駆け上がる。(「BOOK」データベースより)

 

目次
笹濁り/孟宗の雨/木鶏/若軍鶏/お礼肥

 

笹濁り」 源太夫は、鮠(はや)を釣りながらいまさらながらに亡き権助の博識ぶりを思い出していた。そんな源太夫に中老の芦原讃岐は、源太夫の岩倉道場は世襲ではないということを念押ししてきた。

孟宗の雨」 ある日、道場で稽古を見ている源太夫のもとに弟子の大久保逸実が、祖父で源太夫の相弟子である無逸斎の様子がおかしいので一度会って貰えないかと言ってきた。

木鶏」 岩倉道場に見学に来ていた次席家老九頭目一亀の継嗣である鶴松は、道場の壁面に掲げられた道場訓に見入っていた。その後、年少組の投避稽古をみた鶴松は、自分たちもやると言い出すのだった。

若軍鶏」 源太夫が行っている鶏合わせ(闘鶏)の会を見た鶴松とその学友たちは、闘鶏の奥深さに打たれ自分たちも軍鶏を買うと言い出していた。一方、岩倉道場では、女中のサトの元夫がサトを追い出した姑が死んだので戻ってほしいと言ってきた。

お礼肥」 源太夫と幸司が母屋に戻ると、藩校「千秋館」の教授方の池田秀介、それに花の友人のすみれと布美とが遊びにきていた。そこに酢橘を持ってきた亀吉は、源太夫の屋敷の酢橘の美味さの源である権助の栽培方法について話し始めるのだった。

 

木鶏』の感想

 

本書『木鶏』は『新・軍鶏侍シリーズ』の第四弾ですが、前巻の『羽化』あたりから岩倉源太夫の子ら、特に幸司を中心にこの物語が動くようになっていた流れをそのままに受け継いでいます。

本書ではほかの痛快時代小説とは異なり、悪徳商人やお代官様は登場せず、藩内の争いに巻き込まれる主人公もいなければ、胸のすく剣戟の場面もありません。ただ主人公である源太夫や息子の幸司の日常が描かれるだけです。

その日常も主人公家族が暮らす園瀬藩の美しい自然の中での釣りや、軍鶏の闘いなどが主に描かれ、流れる時間がとてもゆっくりとしています。

そのゆっくりとした情景描写が私にはたまらないのです。

 

幸司の日常と言えば、鶴松とのことが挙げられると思います。

鶴松は次席家老九頭目一亀の継嗣ですが、学友たちの誘いに乗ってしまい藩の道場にも通わなくなってしまったことを心配した一亀により、鶴松に権を教えてくれるように頼まれたものでした。

次席家老の息子であるからということで手を抜かない幸司との稽古により、大きく成長を遂げていく鶴松やその学友たちの姿が描かれています。

同時に、幸司自身も道場主である源太夫の跡継ぎとしての自覚を持ちつつある姿がほほ笑ましく、またすこしの痛みをもって描かれている点も好ましいのです。

 

さらに、本書『木鶏』では前巻で亡くなった下男の権助についての描写が多いことも特徴として得げることができるでしょう。

もともと、この『軍鶏侍シリーズ』ではシリーズ第一巻の『軍鶏侍』から権助の存在がかなりの位置を占めていました。

源太夫が軍鶏を飼い始めたときはもちろん、釣りをする時も権助の助言で助けられており、源太夫に権助とは「何者か」と言わせるほどの存在感を持っていたのです。

権助は源太夫の知恵袋であると同時に、門弟たちの良き相談相手でもありました。第一巻『軍鶏侍』での大村圭二郎や、第四巻『水を出る』での市蔵のことなど、シリーズの中でもいくつかのエピソードが取り上げてあります。

 

こうして、普通の痛快時代小説とは異なる雰囲気を持ったこの『軍鶏侍シリーズ』は、シリーズも新しくなりさらに源太夫自身やその子供たちの成長まで含めた人間味のあふれた成長小説としての一面を強く見せているようです。

その意味では、この作者の他のシリーズである、『ご隠居さんシリーズ』や『めおと相談屋奮闘記シリーズ』のような作者の多方面にわたる知識を展開する物語に近くなっているように思えます。

ただ、そちらの作品は個人的には好みとは異なった空気感を醸し出しているのですが、本シリーズは若干の説教臭さが漂ってはいるものの、なお私の好みに合致するのです。

源太夫とその家族の暮らし、そして各々の生き方は、読者にとっても一読の価値があると思います。

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』とは

 

本書『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十五弾で、2022年8月に文庫書き下ろしで刊行された、編集者による巻末付録まで入れて365頁の長編の痛快時代小説です。

新・旧の『酔いどれ小籐次シリーズ』全四十五巻が本書をもって終了します。

 

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』の簡単なあらすじ

 

玖珠山中に暮らす刀研ぎの名人「滝の親方」は、小籐次にそっくりだという。もしや赤目一族と繋がりが?森藩の事情を憂う小籐次のもとに藩主・久留島通嘉からの命が届く。「明朝、角牟礼城本丸にて待つ」-山の秘密を知った小籐次は。『御鑓拝借』から始まった物語が見事ここに完結!記念ルポ「森藩・参勤ルートを行く」収録。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 山路踊り
森陣屋でしばらく放っておかれた小籐次だったが、連れていかれた陣屋の中庭では、都踊りかとも見紛う山路踊りなる宴が催されているのに驚くばかりだった。翌朝、一人稽古を済ませた駿太郎はなんでも屋のいせ屋正八方を訪ねた。

第二章 二剣競演
久留島武道場で最上と稽古をした駿太郎は小籐次らと共にいせ屋正八を訪ね、鉄砲鍛冶の播磨守國寿師の鍛冶場を訪ねることとなった。その後、國寿の勧めに従い、次直の研ぎを頼むために十一丈滝の親方の求作に会いに向かうのだった。

第三章 血とは
久慈屋に届いた小籐次からの文が空蔵の手により読売へと仕上げられていた。一方小籐次親子は放っておかれ、何日も無視をされたままだったが、やっと森藩主久留島通嘉からの言伝が届いた。

第四章 山か城か
久留島通嘉は、長年の夢のために穴太積みの石垣を完成させていたのだが、しかし、その夢は森藩御取潰しになる夢でもあった。小籐次らが帰る途中、石動源八なる男が待っていた。

第五章 事の終わり
この夜、茶屋の栖鳳楼で嶋内主石らの酒盛りの席に小籐次が現れた。翌日、小籐次の働きを聞き八丁越に来た石動源八は、谷中弥之助、弥三郎兄弟の待ち受けを知るが、そこに小籐次親子が現れるのだった。

終章
文政十年(1827)七月五日、愛宕切通の曹洞宗万年山青松寺で、不在の間に亡くなった新兵衛の弔いが催され、小籐次親子がそれぞれに剣技を披露し、この物語も幕を閉じるのだった。

 

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』の感想

 

本書『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』は本シリーズの最終巻であり、小籐次親子が旧主久留島通嘉の参勤交代に同行してやっと森藩陣屋へとたどり着いた後の出来事が語られています。

森藩藩主久留島通嘉が小籐次を参勤交代に同行し、国表まで同行するように命じた理由も明らかにされます。

それは、小籐次の物語の最初である『酔いどれ小籐次シリーズ』第一巻『御鑓拝借』へと連なるものであり、最終巻をまとめるのにふさわしい理由付けだったとは思います。

また、その理由付けによって、前巻でも疑問であった藩主の参勤交代の旅での国家老一派の傍若無人な振舞いに対する「設定が甘い」という私の疑問も、それなりに、一応納得できる理由付けが為されたものでした。

そういう点では最終巻として納得できるものだったと言えます。

 

 

しかしながら、この小籐次親子の参勤交代への同行劇全体は、シリーズを通しての評価としては決して満足のいくものではありませんでした。

というのも、最終巻にしては小籐次の敵役としての国家老の存在が小者に過ぎ、今一つの緊張感が見られなかったからです。

この新旧の『”酔いどれ小籐次シリーズ”のシリーズ作品の中でも私が一番好きだった作品だったので、シリーズが終わること自体がまず残念でした。

そして、どうせ終わるのならば、シリーズ第一巻『御鑓拝借』での小籐次の大活躍のように、最終巻らしい活躍をさせてほしかった、という思いがあったのです。

ただ、こうした思いは藩主久留島通嘉が小籐次に同行を命じた理由そのものは納得できるものだったのですから、全く私の身勝手な好みで満足できなかったと言っているに過ぎないとも言えるでしょう。

 

ただ、それだけ市井に生きる小籐次の姿が好きだったのです。

ところが、いつの頃からか小籐次が神格化され、市井に生きる一浪人としての小籐次ではなくなってしまっていたのは残念でした。

このことは、『居眠り磐音シリーズ』でも同じことが言え、普通の腕が立つ浪人であった主人公の磐根が、そのうちに孤高の剣豪へと変っていったのと似ています。

それは、作者の佐伯泰英の変化に伴うものだったのかもしれず、長い間続くシリーズ物では仕方のないことなのでしょう。

それどころか、変化のないシリーズ物は逆に人気を維持できないのかもしれません。

 

 

ともあれ、本『酔いどれ小籐次シリーズ』は本書『御留山』をもって終了しました。

読者としては、作者の佐伯泰英氏にはお疲れ様でしたというほかありません。

ご苦労様でした。

あとは、『吉原裏同心シリーズ』などの他のシリーズ作品へ力を注いでいただけることを楽しみにするばかりです。

 

夜叉萬同心 一輪の花

夜叉萬同心 一輪の花』とは

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』は『夜叉萬同心シリーズ』の第九弾で、2022年2月に340頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夜叉萬同心 一輪の花』の簡単なあらすじ

 

夜叉萬と恐れられ、また揶揄される北町の隠密廻り同心・萬七蔵。品川宿の旅籠・島本が押しこみに遭い、主らが殺害された事件の探索を任される。夫亡き後、島本を守る女将に次なる魔の手が伸びようとしていた。島本には、相州から来た馬喰の権三という男が泊っていたのだがー。品川宿の風景の中で、男女の人生の一瞬が交差する。情感溢れる傑作シリーズ最新作。(「BOOK」データベースより)

 

序 浪士仕切
相模川沿いの明音寺に、四村の村名主と十三人の無宿渡世の浪士たちが、川尻村の麹屋直弼を引受人として浪士仕切契約を結ぼうとしていた。その集まりの隅に、ひっそりと渡世人風体の権三が控えていた。

第一章 品川暮色
品川南本宿の旅籠島本で、主人の佐吉郎が斬られ使用人の一人が殺されるという事件が起きた。萬七蔵が話を聞くと、道中方とも懇意の邑里総九郎という江戸の高利貸が品川宿の南本宿に新しく遊技場を開こうとしている話を聞き込むのだった。

第二章 鳥海橋
七蔵が来た時に島本に宿をとっていた権三は、青江権三郎と名乗っていた二十一歳の自分が島本の先代の女将に助けられたことを思い出していた。また、七蔵は南品川の様子などについて話を聞くのだった。

第三章 店請人
翌日、七蔵は押し込みの一味の逃走の現場にいた怪しい一団の話が道中方の福本にも伝わっていることを知った。一方、手下のお甲から、邑里総九郎は実は甲州無宿の重吉であり、世間を騒がせている天馬党の首領の弥太吉と知り合いである可能性が高いと報告を受けた。

第四章 矢口道
島本では二人の子供が攫われ、丁度居合わせた権三が女将の櫂と浩助と共に天馬党の弥太吉のもとにいる子供たちを助けに向かうのだった。一方、道中方組頭の福本武平は悪事が明らかになり、邑里総九郎は逃亡を図るが七蔵に阻止されていた。

結 旅烏
七蔵は久米と、天馬党の壊滅など、事件のその後について話しているのだった。

 

夜叉萬同心 一輪の花』の感想

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』は、夜叉萬こと夜萬七蔵は脇に回り、島本の女将の権三という流れ者に焦点が当たった、古き義理人情の物語です。

渡世人の権三が若い頃に世話になった品川南本宿の島本という旅籠の主人が殺され、女将の櫂がひとり旅籠を守り苦労していました。

権三は島本に投宿し、一人残された櫂の行く末を案じていたところに、島本の押し込みの一件を調べに来た夜叉萬たちと同宿することになります。

この島本の押し込みをめぐっては、その裏では品川南本宿での遊技場を造る計画が浮かび上がってきます。

こうして、品川南本宿の旅籠島本でおきた事件は、道中方をも巻き込んて闇に葬られようとしているところを、夜叉萬らの探索で明るみに出ることになります。

しかし、島本の恨みを晴らすのは夜叉萬ではなく、権三だった、というのが本書の大枠の流れということになります。

 

つまりは、本書『夜叉萬同心 一輪の花』では権三という渡世人が隠れた主役であり、島本の先代の女将とその娘櫂から若い頃に受けた恩を返すために島本に泊っていたのでした。

本書の作者辻堂魁の作品には、例えば『仕舞屋侍シリーズ』の『夏の雁』や、『日暮し同心始末帖シリーズ』の『天地の螢』などの例を挙げるまでもなく、かつて虐げられた本人、またはその関係者による復讐に絡んだ物語が多いようです。

 

 

本書『夜叉萬同心 一輪の花』も大きくはそうした復讐譚の一つとして挙げられるのかもしれませんが、復讐譚というよりは、ひと昔前に流行った義理人情の絡んだ人情話を根底に持つ仇討ち話というべきでしょうか。

とは言っても、痛快時代小説という物語のジャンル自体が、ある種の復讐譚を一つの構造として持っていると言えそうなので、この点を特徴とするのはおかしいかもしれません。

 

そうした小説としての構造の話はともかく、本書のような痛快時代小説は、浪曲、講談の義理人情話の延長線上にあると言っても過言ではないと思われます。

辻堂魁の描き出す痛快時代小説の作品群では特にそうした印象が強く感じ、本書もその例に漏れないのです。

 

結局、本書『夜叉萬同心 一輪の花』は主人公の夜叉萬こと萬七蔵の活躍が満喫できる作品ではなく、物語の展開自体も若干の甘さが感じられないわけではありません。

しかし、安定した面白さを持っている作品だったと言えるでしょう。

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』とは

 

本書『八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』は『新・酔いどれ小籐次シリーズ』の第六弾で、2022年7月に336頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』の簡単なあらすじ

 

頭成の湊に着き、森藩の国家老・嶋内と商人・小坂屋の不穏な結びつきを知った小籐次は、ある過去の出来事を思い出した。一方、瀬戸内海の旅を経て新技「刹那の剣」を生み出した駿太郎は、剣術家としての生き方を問うべく大山積神社での勝負に臨むー。森城下を目指す参勤の一行を難所・八丁越で待ち受ける十二人の刺客とは!(「BOOK」データベースより)

 

大山積の石垣
文政十三年(1827)、小籐次たちはやっと速見郡辻間村頭成の湊へとたどり着いた。駿太郎は船問屋の塩屋で待つ間、塩屋の武道場で来島水軍流序の舞を奉納し、翌朝、塩屋の娘のお海から、お海の兄は小坂屋の新頭成組頭領の朝霞八郎兵衛に殺されたという話を聞かされた。

剣術とは
その後、小籐次はかつて関わりがあった小坂屋に会いに行き、当時の詳細を語るのだった。一方、駿太郎のもとには立ち会う約束をしていた朝霞八郎兵衛から文が届いていたものの、小籐次はそれに対し何もしないままであり、駿太郎は一人立ち合いに向かうのだった。

野湯と親子岩
森城下へと向かうその朝、小坂屋金左衛門は小籐次に自分の勘違いだったと告げるが、小籐次は小坂屋の言葉はそのままには受け取れないというのだった。行列は明礬山の照湯に投宿したが、人足の留次の案内で野湯へと行く駿太郎のもとには、一人の剣術家が試合を挑んできた。

十二人の刺客
三河では薫子姫のもとに江戸の老中青山忠裕からの手紙が届いていた。一方、小籐次親子の姿が行列から消えていた。深い霧がかかるなか行列が八丁越に差し掛かると、参勤行列の一行に矢や鉄砲が仕掛けられるが、最上が現れて𠮟りつけ、これをしりぞけるのだった。

新兵衛の死
玖珠街道では八丁越の霧が晴れると石畳には小籐次が佇んでいて、林埼との立ち合いは一瞬で終わった。やっと行列が陣屋に到着した後、駿太郎はなんでも屋のいせ屋正八方を訪ね、小籐次は森藩久留島家の表向玄関の一角の控えの間に一刻以上も待たされていた。

 

八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』の感想

 

本書『八丁越 新・酔いどれ小籐次(二十四)』は、頭成の湊にたどり着いてから森藩陣屋に至るまでの出来事を記しただけの作品です。

本書では、玖珠街道今宿村辺りが舞台となっていますが、佐伯泰英の作品では、物語の流れに合わせて話の中に登場する土地土地の事情や、来歴などが詳しく描写してあります。

例えば『空也十番勝負シリーズ』の『声なき蝉』では、肥後国の人吉や薩摩藩などの描写があり、本書での描写以上に心が躍ったものです。

それが、今回は別府から湯布院へとの旅路が語られるのですから隣県に住む身としては、よく聞く地名が登場するとやはり心が騒ぎます。

ちなみに、序盤で出てきた「勧請」という言葉を知りませんでした。調べてみると、「神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること」を言うそうです( goo国語辞書 : 参照 )。

 

前巻『狂う潮』もそうでしたが、本書『八丁越』は、小籐次と駿太郎の森藩藩主久留島通嘉の参勤交代に同行しての旅の様子を描くだけの話の続編であり、小籐次の、また小籐次親子の物語として目新しいものでもありません。

さらに言えば、そもそも森藩藩主久留島通嘉の参勤交代の旅に反藩主派の国家老一派である御用人頭の水元忠義と船奉行の三崎義左衛門もに同行し、その水元の命により小籐次たちを亡き者にしようという一団が参勤交代の行列に襲い掛かってくるというのですから、どうにも設定が甘いという印象がぬぐえません。

それだけ反藩主派の力が強いと言えばそれまでですが、どうにもその状況をそのままに受け入れることが難しいのです。(この点は、後にそれなりに理由付けがなされるので、私の勘違いだったということが明らかになります。)

 

また、刺客の頭領の林埼郷右衛門も一応は武芸者として尋常の勝負として小籐次の前に立ちふさがるという設定そのものはいいのですが、そうであれば、刺客としてではなく、いち武芸者として立ち合いを願うこともできたのではないという気もします。

尋常の立ち会いを願うのであれば、刺客としての依頼を受けること自体が変、とも感じてしまうのです。

しかしながら、以前にも書いた気がしますが、痛快時代小説作品としては、この程度の物語の流れはある程度は認めるべきなのかもしれません。

 

とはいえ、本書では森藩の飛び地である頭成の湊での船問屋の塩屋という新たな商人との繋がりを得るなど、物語の展開に新たな要素が持ち込まれてもいて、全く面白くない作品だというわけではありません。

駿太郎が三島丸での船旅で得た自分なりの剣として「刹那の剣」を編み出し、剣客としてさらに成長を見せていることも楽しみの一つではあります。

 

ただ、なにより残念なのは、本シリーズも余すところあと一冊となっていることです。

本来であれば、武芸者として大きな成長を見せている駿太郎のあらたな活躍を中心に、その背後に小籐次が控える、という物語の展開もあってよさそうな気もします。

でも、作者が、中途半端に歳をとった小籐次をその年齢以上の活躍をさせるのもいかがなものか、という判断をされた結果なのでしょう。

不自然な小籐次の物語を読むよりはいいのかもしれません。

 

森藩藩主久留島通嘉の思惑も未だよく分かっていませんし、国家老嶋内主石との対決も最終巻へと持ち越されています。

そしてもう一点、三河にいる薫子姫と小籐次一家との関係も未だ確定しているわけではありません。

そうした諸々の未解決の事柄を残したまま最終巻へとなだれ込むことになります。

 

この『酔いどれ小籐次シリーズ』も旧シリーズ十九巻、新シリーズ二十五巻、それに別巻一冊を合わせて全四十五巻をもって完結することになります。

佐伯泰英という時代小説作家の作品の中で個人的には一番好きなシリーズでもありましたので、非常に残念な思いです。

もしかしたら、『居眠り磐音シリーズ』と同様に、駿太郎の物語として新たなものが語りが続いてくれないか、と願うばかりです。

とりあえず、残りあと一巻を待ちたいと思います。

乱鴉の空

乱鴉の空』とは

 

本書『乱鴉の空』は『弥勒シリーズ』の第十一弾で、2022年8月に刊行された、長編の時代小説です。

ユニークな雰囲気を持つこのシリーズですが、その中でも本書は独特な構成を有する読みがいのある作品でした。

 

乱鴉の空』の簡単なあらすじ

 

ニヒルな同心、木暮信次郎×元刺客の商人、遠野屋清之介。消えた信次郎の謎。火傷の痕をもつ死体。泡銭を夢見る者たち。因縁の二人の行きつく先は?男と男の感情がうねり合う、これがあさのあつこの金字塔!(「BOOK」データベースより)

 

目次

序 / 一 鳶 / 二 雛 / 三 雀 / 四 五位鷺 / 五 地鳴き / 六 夜鳥

 

八丁堀にある小暮家の屋敷で熱い茶を淹れようとしていたおしばだったが、突然現れた同心らしき三人から小暮信次郎はどこに行ったかと聞かれた。

昨夜は確かに寝所にいた筈の新次郎の姿が見えないというのだ。おしばにも、小者の喜助にも何が起こったのか分からないままに、男たちは消えてしまう。

一方、遠野屋清之介は筆頭番頭の信三と共にある武家屋敷を訪ねた帰り、尾上町の伊佐治の店である「梅屋」で食事をしようと向かうが、暖簾が出ていないことに気付いた。

信三を帰した清之介は、伊佐治が大番屋に連れていかれたと知らされるのだった。

 

乱鴉の空』の感想

 

本書『乱鴉の空』は、気付いてみると『弥勒シリーズ』の第十一弾にもなる作品です。

時代小説としては珍しく深い「闇」を基本にしたシリーズであり、あさのあつこの作品によくみられるように、登場人物の心象を深く掘り下げてあります。

ただ、例えば同じ著者あさのあつこの『バッテリー』のような青春小説と異なり、おなじ詳しい心象表現にしても、人の心に一歩踏み込んで本人も気づいていないだろう真意を暴き出すことを喜びとする男を主人公としています。

 

 

その主人公が小暮信次郎という北町奉行所の定廻り同心で、もう一人の主人公ともいえる存在が小間物問屋遠野屋の主人である清之介という商人です。

この遠野屋清之介という商人が、その正体は腕の立つ暗殺者であったという設定で、強烈なキャラクターである小暮信次郎に相対しうるだけの存在感を持った存在です。

さらにもう一人、小暮信次郎の手下として働いている岡っ引の伊佐治を加えた三人が本『弥勒シリーズ』の重要な中心人物になっています。

 

本書『乱鴉の空』では冒頭から上記の小暮信次郎が行方不明にっているところから始まります。

それも単なる行方不明ではなく、突然、信次郎の家に役人が乗り込んできて信次郎を引き立てようとするのですから尋常ならざる事態です。

そして場面は変わり、信次郎の手下である伊佐治もまた役人に連れていかれたことが明かされます。

清之介の手配で、何とか伊佐治は無事に戻ってくることができましたが、信次郎の行方は依然として不明のままです。

そこで、清之介と伊佐治は信次郎の行方を探し始めるのです。

 

以上のように、本書『乱鴉の空』では信次郎が行方不明になったところから幕を開け、信次郎はどこに消えたのか、また信次郎が行方不明となった理由は何のか、が清之介と伊佐治の二人によって明らかにされていきます。

そもそも、信次郎の身に何かあったのではないか、とも考えられるのですが、あの新次郎が簡単に何者かの手に落ちる筈もなく、自ら身を隠したのだろうとあたりをつける二人でした。

つまりは、清之介と伊佐治の二人の信次郎を探す様子が描かれる一冊、ということになっている本書ですが、それはこれまでにない新たな視点の物語でもありました。

 

とはいえ、本シリーズの基本的な色調である「闇」というキーワードはそのままに生きています。

本シリーズの独特の表現、例えば、清之介にとって「おりんの死が結び付けた男たちは、闇の底で淡く光を放っている。」とか、小暮信次郎について「もう一人の男は闇底で青白く燃えている。炎なのに冷えている」という言い回しは変わりません。

また、信次郎が清之介に対し、芝居に関して放った、「芝居は人間の情に働きかけるが、お前には情など不要だろう。」などという言葉も同様です。

人間が生きていくというそのこと自体、単純にまっとうに生きる明るさだけではないということを言っているのでしょう。

 

人間の「闇」を深掘りする本書は、久しぶりに清之介のかつての姿を彷彿とさせる場面もあったりと、本『弥勒シリーズ』のちょっとした変調のような一冊とも言えそうです。

とはいえ、いつもの信次郎節も見られないこともなく、結局は安定の一冊としての面白さを持った作品でした。

 

ちなみに、同心職が一年ごとの抱席だということの説明の時に、大晦日の夜に支配与力が同心を銓衡する、という私の知らない言葉がありました。

この「銓衡」という言葉ですが、能力・人柄などをよく調べて適格者を選び出すこと、を意味するそうです( goo国語辞書 : 参照 )。

ごんげん長屋つれづれ帖【四】迎え提灯

ごんげん長屋つれづれ帖【四】迎え提灯』とは

 

本書『迎え提灯』は『ごんげん長屋シリーズ』の第四弾で、2022年3月に275頁で文庫本で書き下ろされた長編の痛快時代小説です。

シリーズ第四作目の作品として、このシリーズの世界観にも慣れ、それなりの面白さを持った人情小説集としてその位置を確立している印象でした。

 

ごんげん長屋つれづれ帖【四】迎え提灯』の簡単なあらすじ

 

およしを失った悲しみを乗り越え、日常を取り戻しつつある『ごんげん長屋』。新たな住人も長屋に馴染んで、より絆も深まる中、数年前に捨てた乳飲み子の行方を捜す旗本家の女中が現れる。お勝の下の娘お妙が捨てられていたときの状況と何かと符合する話を聞いたお勝だが、女中はお妙がその乳飲み子だと決めつけてー。くすりと笑えてほろりと泣ける、これぞ人情物の決定版。時代劇の超大物脚本家が贈る大人気シリーズ第四弾!(「BOOK」データベースより)

 

第一話 貧乏神
文政二年(1819)三月のある日、岩木屋で女房を質に入れられるか聞いてきた大工の男が、その日の夕刻に今度は仕事道具一式を質入れしたいと言ってきた。それでは稼げなくなると言い聞かせると、再び女房と相談すると言って帰ってしまうのだった。

第二話 竹町河岸通り
ある日、お勝は南町奉行所同心の佐藤利兵衛らから、五日ほど前に殺されたお春という女のことで、ごんげん長屋の貸本屋の与之吉の当日の所在がはっきりしないので調べてほしいと頼まれた。しかし、与之吉は意外な人物と共にいた。

第三話 法螺吹き男
ごんげん長屋の藤七が一緒に飲んで意気投合した重兵衛という男を泊めた。しかし、その重兵衛はごんげん長屋の楽しさが忘れられずに再び顔を見せてきたのだ。ところが、ここ数日、三人連れの侍が探している男が重兵衛に似ているというのだった。

第四話 迎え提灯
夏になったある日、目明しの作造が六年前に捨てた赤子を探している女がいると言ってきた。その後、捨子探しをしているお牧という女から相談を受けたと作造から呼び出しがかかり、どうもお勝のもとにいるお妙の話と似ていると言ってきた。

 

ごんげん長屋つれづれ帖【四】迎え提灯』の感想

 

本書『ごんげん長屋つれづれ帖【四】迎え提灯』も、これまで本『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』と同じ全四編からなる連作の短編小説集です。

シリーズの四巻目ともなると、本シリーズと同じ金子成人の『付添い屋・六平太シリーズ』と同様に安定した物語世界が構築されたシリーズ作品になっています。

そして本書では、主人公のお勝の過去や子供たちに関係するだろう細かな出来事は別として、シリーズ全体にかかわるような大きな出来事はなく、安定した人情話の物語集となっています。

 

第一話 貧乏神」では、お勝が番頭を務める質屋の「岩木屋」に来た、女房を質に入れることができるかと聞いてきたお客の話です。

断ると、今度は仕事が大工であるにもかかわらず、大工道具一式を質に入れたいとやってきたのです。

こうなると、世話焼きのお勝としては黙っているわけにはいかず、そのお客の私生活にまで口をはさむことになるのでした。

 

第二話 竹町河岸通り」では、お春という囲われ者の女が殺された事件に関連し、ごんげん長屋の与之吉が怪しいという話です。

殺された女の家に出入りしていた者の中で、所在が不明なのがごんげん長屋の与之吉だというのです。

与之吉のその日の所在を確かめて欲しいと頼まれたお勝でしたが、与之吉は意外な人物と共にいたことが判明するのでした。

同時に、殺されたと思われていたお春について、また別な心温まる挿話が準備してありました。

 

第三話 法螺吹き男」は、一人暮しの藤七が酔いにまかせて連れてきた重兵衛という男にまつわる人情話です。

近江の鉄砲鍛冶だという重兵衛は、江戸に連れてこられて三年の間の武家屋敷での暮らしの味気なさに耐えかねて屋敷を抜け出し、江戸の町を見て回る途中で藤七に出会ったというのです。

その際のごんげん長屋の住人の温かみに触れ、再びごんげん長屋を訪ねてきたというのでした。

しかし、屋敷の侍は鉄砲鍛冶の振る舞いをそのままにはしておけず、探し回っていたのです。

酒を飲んでは大騒ぎをし、問題を抱えた人間には共に解決の道を探そうとする、貧乏だけれども人情味豊かなごんげん長屋の暮らしに触れ、人間味豊かな生活を思い出した重兵衛だったのです。

 

第四話 迎え提灯」は、本書の主人公のお勝が育てている子供たちの一人であるお妙にまつわる話です。

お勝は本『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の舞台となる「ごんげん長屋」で、十二歳のお琴、十歳の幸助、七歳のお妙という三人の子と共に住んでいます。

この子たちはお勝がお腹を痛めた子ではなく、捨子だった子たちを自分で育ているのであり、そのことは子供たちも知っています。

そこに、六年前に子供を捨てた女がその子を探しており、その子の年まわりからしてお勝のもとにいるお妙ではないかという話が持ち上がるのでした。

お勝と子供たちの心温まるエピソードの一つであり、お勝の子供たちに対する思いが垣間見える話でした。

 

本書『ごんげん長屋つれづれ帖【四】迎え提灯』は、『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の一冊として、まさに市井の暮らしを描き出した通俗的な時代小説の典型ともいういべき長屋小説です。

舞台となる「ごんげん長屋」と、そこに暮らす庶民。そして、長屋の中心人物として、皆から頼りにされているお勝というお人よしの女性。

人情小説としての要素を十分に持った、心温まる小説であり、今後の展開を大いに期待させてくれるシリーズだと言えるでしょう。

続編を楽しみに待つシリーズの一つだと言えます。

あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇

あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』とは

 

本書『あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』は『あきない世傳 金と銀シリーズ』の第十三弾で完結編でもある、2022年8月に文庫本書き下ろしで刊行された長編の時代小説です。

 

あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』の簡単なあらすじ

 

宝暦元年に浅草田原町に江戸店を開いた五鈴屋は、仲間の尽力を得て、一度は断たれた呉服商いに復帰、身分の高い武家を顧客に持つことで豪奢な絹織も扱うようになっていた。だが、もとは手頃な品々で人気を博しただけに、次第に葛藤が生まれていく。吉原での衣裳競べ、新店開業、まさかの裏切りや災禍を乗り越え、店主の幸や奉公人たちは「衣裳とは何か」「商いとは何か」、五鈴屋なりの答えを見出していく。時代は宝暦から明和へ、「買うての幸い、売っての幸せ」を掲げて商いの大海へと漕ぎ進む五鈴屋の物語、いよいよ、ここに完結。(「BOOK」データベースより)

 

宝暦十四年(1764年)弥生十一日、幸と菊枝は吉原きっての大見世の大文字屋の楼主である市兵衛から誘われ、吉原の花見に来ていた。

二人は、吉原の真ん中を貫く大通りである「仲の町」に移植された、人の手で揃えられた桜並木に感嘆の吐息を漏らしていた。

ただ、高尾太夫のいた三浦屋も今はなく、揚屋も町の名前にその名残を留めるだけになっていて、客層の変化を感じざるを得ない吉原であり、客あっての商売という意味では同じ立場にある幸と菊枝であった。

帰り道に聞こえてきた五鈴屋の衣裳を着る予定の歌扇の唄声に、今のままの歌扇では花魁からも芸者からも疎まれて潰されるだろう、という市兵衛の声が聞こえてくるのだった。

 

あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』の感想

 

驚いたことに、本書『あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』をもって本『あきない世傳 金と銀シリーズ』も終わりだそうです。

本書を手に取り、その裏表紙に「いよいよ、ここに完結」という文字を認め、初めて本書が完結編だということを知りました。

 

しかし、本書を読み進めながらも本巻をもって完結ということがなかなかに納得できません。

というのも、本書序盤早々に、創業八十年を迎えるこの年に八代目徳兵衛の周助の命で鶴七亀七松七の手代三人と、天吉神吉という二人の丁稚が大坂から江戸へとやってくる場面があります。

また、屋敷売りを専らとする五鈴屋の新店を持つことや、孫六織という新たな織物を売り出す考えを温めている幸の姿があって、これからの展開が一段と広がりそうな話の進み方です。

つまりは、これからさらに店を大きくし、人手も増やそうという思惑があって実際に江戸五鈴屋も大所帯となる様子が描かれているのに、完結という言葉が素直には入ってこないのです。

 

それはともかく本書を見ると、本書『あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』では、まずは幸たちの吉原での衣裳比べの催しが開かれます。

そこに五鈴屋の衣裳を着るのが芸者の歌扇であり、対抗場として登場するのがいつもの日本橋音羽屋屋です。

この衣装比べに五鈴屋の出す着物はどんなものなのか、その結果はどうなるのか、が楽しみなのです。

さらには、菊枝は新たな店を出すのですが、その新店舗についてもまた沽券場が絡んだ新たな問題が出てきます。

いつものように、何とかその危機を乗り切ろうとする幸たちですが、そのさまは読みごたえがあります。

 

また、穂積家の姫君の婚礼装束や嫁荷を五鈴屋に任せるとの申し出や、また人気役者の吉次が欲する吉次の色が染め上がったことなど、喜びごとも訪れます。

しかし、このような思いもかけないありがたい話が舞い込んでくるのはいいのだけれど、この物語ではいつも喜びを打ち壊す不幸ごと、乗り越え難い壁がまた降りかかるのではないかと気になるのです。

そうした気持ちは、それだけこの物語にのめり込んでいるということであり、惹かれているということでしょう。

などと思っていると、すぐに新たな障害が巻き起こります。それもかなりの難題です。幸は、この難題を如何にして乗り越えるのだろうか、と読みながらドキドキしてしまいます。

 

これまで数々の難題を乗り越えてきた幸であり、みごとに五鈴屋を発展させてきました。

菊枝もまた彼女自身の夢を見事に花開かせ、幸と共に、助け合いながら店も、そして自らも成長しているのです。

そして、強く生きてきた幸の「買うての幸い、売っての幸せ」という思いを見事に果たしてこの物語を終えることになります。

 

本書『あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇』においても、高田郁の文章はいつもながらに硬質な印象を受けながらも情感豊かに物語を紡ぎ出していました。

その文章、物語に惹かれて本『あきない世傳金と銀 シリーズ』もまた前の『みをつくし料理帖シリーズ』同様のベストセラーになっています。

高田郁が描き出す、大坂から始まり、その後江戸で苦労する一人の娘の成長譚であるとともに、痛快小説でもあるこれらのシリーズは多くの読者に受け入れられました。

その物語も、とりあえずは本書をもってひと段落がつくことになります。

しかし、高田郁という作家はまた新たな物語を私たちの前に届けてくれることでしょう。その日を心待ちにしたいと思います。

やっと訪れた春に

やっと訪れた春に』とは

 

本書『やっと訪れた春に』は2022年7月に247頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。

ミステリー仕立てで紡ぎ出される本書は、それでも侍の生きざまを描き出した青山文平の作品らしい、読みごたえのある作品でした。

 

やっと訪れた春に』の簡単なあらすじ

 

橋倉藩の近習目付を勤める長沢圭史と団藤匠はともに齢六十七歳。本来一人の役職に二人いるのは、本家と分家から交代で藩主を出すー藩主が二人いる橋倉藩特有の事情によるものだった。だが、次期藩主の急逝を機に、百十八年に亘りつづいた藩主交代が終わりを迎えることに。これを機に、長らく二つの派閥に割れていた藩がひとつになり、橋倉藩にもようやく平和が訪れようとしていた。加齢による身体の衰えを感じていた圭史は「今なら、近習目付は一人でもなんとかなる」と、致仕願いを出す。その矢先、藩の重鎮が暗殺される。いったいなぜー隠居した身でありながらも、圭史は独自に探索をはじめるが…。名もなき武家と人々の生を鮮やかな筆致で映し出す。(「BOOK」データベースより)

 

 

やっと訪れた春に』の感想

 

本書『やっと訪れた春に』は、長沢圭史という橋倉藩の近習目付を語り部として、圭史自身と竹馬の友である団藤匠の生きざまを見つめるとともに、橋倉藩で起きた事件の謎を解明する物語です。

当初は、主人公の圭史が六十七歳という尿意をコントロールできない歳になったことを理由に致仕をするという書き出しからして、例えば藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』のような隠居をした侍の話になるか、と思っていました。

しかし、その思いは全くはずれ、橋倉藩で起きた事件の謎に迫るミステリー仕立てで侍の生きざまを描き出す作品だったのです。

 

 

本書『やっと訪れた春に』では、大きく分けて二つの時間の流れがあり、それぞれにキーワードが設けられているようです。

それは、ひとつは「御師」と呼ばれる圭史の家の庭にある龍のごとき大木の梅をめぐる描写です。圭史は毎年この「御師」の梅の実を梅干しとするのですが、その漬け込みの様子が描かれています。

「御師」の梅干しの漬け込みは今は亡き圭史の家族との対話の時間であり、物語を貫く圭史個人の時間軸です。

 

そしてもう一つ、こちらの方が物語の主となる流れで、四代藩主岩杉能登守重明の「御成敗」と呼ばれる事件を発端とする橋倉藩の時の流れです。

この「御成敗」は「鉢花衆」と呼ばれる十数人の剣士の一団による粛清事件であり、圭史の長沢家と匠の団藤家も「鉢花衆」の一員でした。

この橋倉藩の歴史という時間軸でのキーワードとしては、ほかに今も残っている「鉢花衆」の長沢家と団藤家の他の「いるかいないかもわからぬ一名」という言葉もあります。

これらのキーワードが随所で物語の核を示し、圭史の推論を導いていきます。

 

青山文平の作品の魅力は、ひとつには上記のような物語の構成のうまさがあるでしょう。

また、物の見方が独特であり、心象表現も含めて過不足のない簡潔で清冽な文章で描き出されているという点も挙げられると思います。

例えば、武将は「生き抜くことの過酷さが、家族にそそぐ目を粗くする。」といった文章は、他では見ない、しかし武将の生き方を簡潔に示しています。

この登場人物の心象表現も、細やかな筆致で丁寧な描写であり、また情感豊かな表現は私の好むところです。

圭史と匠の二人が「女」について語るなかで、「女は泉のようだ」と、女は水を抱いており、水さえ湧けばそこは泉になる、などという表現などは独特です。

 

さらには、情景の描写がそのうちに自然と物語の背景の説明へと変化しているなど、場面の展開が自然でとても読みやすいのです。

それでいて、特に本書では二人の侍のこれもまたキーワードの一つに挙げられる「斬気」を身に纏うための稽古の様子など、いろんな意味で厳しいものがあります。

 

また、青山文平の作品にはミステリーの要素が入っているため、物語として時代小説とは違った面白さが付加されていることもあるのではないでしょうか。

このミステリーの要素という点では、単にストーリー展開がそうだという以上に、登場人物の生きざま自体が、何故そういう生き方を選ぶか、という生き方の問題としての謎が付加されている場面が多い気がします。

もちろん、それは青山文平の作品だけに限ったことではないとは思うのですが、ほかの作家の場合は青山文平ほどの謎への展開がないと感じるのです。

冒頭の展開にしても団藤匠は、圭史が何も言っていないのに、圭史の元気そうな様子や、穿いているはずの軽衫(かるさん)ではなく着流しであることなどから、袴を穿けぬこと、つまりは下のことが理由だと見当をつけています。

 

たしかに、ここまで人の気持ちを推し量ることができるものだろうかという疑問はあります。

しかし、推理小説ではその論理が正当かどうかは私には問題ではなく、私を納得させてくれるものか、という点だけが重要です。

小説として存在するものである以上、その推論は多分間違った論理ではないでしょうし、またその程度の論理で十分なのです。

このような謎ときが全編にわたって展開されていて、青山文平が言う「生きてる我々が理不尽を含めた周りの変化にもがく姿を書きたい」という思いは、圭史や匠の育ってきた環境を通して表現されており、さらにはクライマックスへと結びついていくのです。

 

やはり、青山文平は面白との思いをあらためて認識させられた作品でした。

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』とは

 

本書『狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』は酔いどれ小籐次シリーズ』の第二十三弾で、2022年6月に341頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。

 

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』の簡単なあらすじ

 

淀川を襲う激しい嵐から人々を救うため、来島水軍流・剣の舞を天に奉納する小籐次・駿太郎親子。森藩の御座船・三島丸に乗りこんだ二人は、国家老一派から目の敵にされる。そんな中、船中からひとりの家臣が消えたーついに、先祖の地・豊後を目にした小籐次に藩主・通嘉は「頼んだぞ」と声をかける。果たしてその意味とは。(「BOOK」データベースより)

 

第一章 三十石船
文政十年(1827)春仲夏、赤目小籐次親子は伏見京橋の川湊に到着した。船問屋大伏見の屋根船で枚方を過ぎたあたりで嵐に会い停泊しているところに、六、七人の剣術家と思しき面々が襲ってきたが、俊太郎と小籐次がこれを撃退してしまう。

第二章 季節外れの野分
野分は激しさを増すばかりで、駿太郎はまわりの乗合三十石船の客を陸に挙げる手伝いをしていた。小籐次は残っていた酒をお神酒とし、駿太郎と共に来島水軍流正剣十手を奉納する。ようやく御座船三島丸へと乗り込み、駿太郎は三島丸の主船頭の利一郎らと顔を合わせていた。

第三章 瀬戸内船旅
駿太郎は、翌未明から茂という若い水夫と共に水夫の仕事を手伝い、また稽古をしているところにやってきた船奉行支配下の佐々木弁松を懲らしめるのだった。また様子を見に来た小籐次から国家老一派のことを聞いていた。

第四章 三島丸の不穏
次の停泊地の家島で駿太郎は小籐次と共に家島権現へと参った。備讃瀬戸に入ったところで、創玄一郎太が何者かに襲われる事件が起きる。野分が襲いそうな天気のもと、茂は「来島」の語源の説明をしていた。

第五章 先祖の島
種々の事件は起きるものの佐柳島の本浦湊へと入港したおりに、小籐次らは三嶋の大山祇神社に剣技を奉献する。そして三島丸は最後の伊予灘を走っていた。そこに、藩主久留島通嘉と池端恭之助が現れ小籐次に、しかと頼んだぞ、と告げるのだった。

 

狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』の感想

 

本書『狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』は、ほとんど全編が森藩の飛び地へとたどり着くまでの船旅の様子が語られまています。

最初は、瀬戸内に至るまでの淀川での船旅です。

そこでは、反対派によると思われるに六、七人の剣術家の襲来がありますがこれは駿太郎の敵ではありませんでした。

また、野分が襲い、小籐次親子によるほかの船の船客の救助や剣技の奉納などの出来事があります。

この大阪までの物語は、なんとなくですが半端な印象もあって、言葉は悪いですがどうでもいい描写だったという印象です。

 

その後、瀬戸内海での船旅の様子が描かれます。

ここでの旅は各土地の来歴、例えば「淡路島」との名前は「阿波への道」から来ていることの解説など、ちょっとしたトリビア的な文章があり、それなりの面白さを持っていました。

この三島丸に関しては、異人帆船の作り方でできていること、つまりは長くて二十年と言われる和船の寿命よりも倍以上の寿命を誇ること、その理由の一つとして船体を支える竜骨が通っていることなどが記されています。

また、瀬戸内の海を灘と呼び、摂津大坂から和泉灘、播磨灘、水島灘、備後灘、燧灘、斎灘、安芸灘、伊予灘などの名称も記されているのです。

 

本書『狂う潮』の物語としての面白さに関しては、本『酔いどれ小籐次シリーズ』の作品と比較すると面白さが増しているとは言えません。

ただ、森藩内の江戸藩邸派と国家老派との対立が明確になる面白さはあります。

しかし、この点は、藩主を前にした御用人頭の水元忠義と船奉行の三崎義左衛門が、藩主の問いを無視した振る舞いをするなど、時代小説では普通は考えられない行動をとっているなどの疑問な点もあります。

でも、こうした疑問も後の展開の中で解消されていく事柄かもしれず、またもしかしたら痛快時代小説の流れとして声をあげるべきところでは無いのかもしれません。

 

いずれにしろ、本書『狂う潮 新・酔いどれ小籐次(二十三)』はシリーズの中では特別に面白い作品だということはできないと思います。

シリーズの完結が近づいています。今後の展開を楽しみにしたいと思います。

風に訊け 空也十番勝負(七)

風に訊け 空也十番勝負(七)』とは

 

本書『風に訊け 空也十番勝負(七)』は『空也十番勝負シリーズ』の第七弾で、2022年5月に345頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

何となくどこかで読んだような場面が続いた前巻『異変ありや 空也十番勝負(六)』と異なり、本書は痛快時代小説の定番ともいえるお家騒動ものと言えるそれなりにまとまった読みやすい作品でした。

 

風に訊け 空也十番勝負(七)』の簡単なあらすじ

 

七番勝負は新たな武者修行者の登場で幕を開ける。
老爺、愛鷹とともに旅を続けるひとりの武芸者。
安芸広島藩の重臣の息子で、間宮一刀流の達人でもあるその男は、江戸を訪れた折に、自ら同様に命を賭して武者修行の旅を続ける空也の存在を知る。
己と空也はいつの日か相まみえると確信し、旅を続けるが……。

一方、異国での戦いを終えた空也は、船に乗りこみ、数年にわたった修行の地である西国をはなれる。下船したのは長州萩。ここが新たな修行の地となった。
稽古の場を求め、萩の道場を訪れた空也は、ひょんなことから藩主派、家老派による萩藩の対立に巻き込まれるが、家老派と自らの因縁を知り、藩主派に力を貸すことに。
金も力もない藩主派の同年代の仲間たちと共に家老派を倒すための策略を巡らせる空也たちは目的を達することができるのか?

十六歳から四年を過ごした西国をついに離れ、新たな武者修行者が登場するなど、空也の新たな冒険が始まり、驚きに満ちた七番勝負の行方はーー。(内容紹介(出版社より))

 

風に訊け 空也十番勝負(七)』の感想

 

先にも書いた通り、本書『風に訊け 空也十番勝負(七)』は、典型的な痛快時代小説というべき、長州藩の政争に巻き込まれた主人公の活躍を描く作品です。

これまでは薩摩の追撃を受けていた坂崎空也ですが、本書ではその流れも一応の区切りを見たのでしょうか、薩摩の襲撃は見られません。

代わりに本書での空也は、通常ではない剣の技量を身につけた修行者として長州萩藩の政争に巻き込まれる、というよりも自分から乗り込みこれを解決しているようにも思えます。

 

空也は長崎を後にしてのち、長州は萩の地に降り立ちます。

そもそもここ長州へとやってきたのは、『未だ行ならず 空也十番勝負(五)』で登場してきた長州藩士篠山小太郎こと菊地成宗のことがあったからでした。

空也自身が、一年前に海賊船フロイス号による三度目の長崎会所の交易船襲撃の折にイスパニア人の剣術家カルバリョと立ち会いこれを倒した際、菊地成宗は高木麻衣の堺筒で撃たれ身罷ったのです。

 

萩の地では、空也は宍野六乃丞と名乗りながら藩の剣術指南役であった平櫛兵衛助の営む平櫛道場を訪れます。

そこで知り合った藩士の峰村正巳に萩城下を案内してもらいながら、藩主を中心とする藩政を確立しようとする当役派と呼ばれる藩主派と、毛利佐久兵衛という国家老の一人を中心とした一派即ち当職派とが対立している藩内の事情について教えてもらいます。

当の峰村は何とか若き藩主を盛り立てたいと考えているようですが、藩校の明倫館を訪れた際に、藩主の毛利大膳大夫斉房と会うことになります。

ただ、当時の藩士が身分もよく分からない武者修行と称する浪人に藩内を案内する設定には無理がありはしないかとも思いましたが、痛快小説でそこまで文句を言う必要もないのでしょう。

そののち、空也と峰村は当職派の隠れ家を見張り、毛利佐久兵衛や当職派の腕利きである表組頭の難波久五郎、それに札座用達を務める御用商人浜中屋七左衛門、用心棒の長とみられる東郷四方之助という人物が集まるのを確認するのです。

こうして、長州藩内の抗争にかかわることになる空也です。

 

一方、江戸では神保小路にある尚武館道場では、空也の父である坂崎磐根、母おこん、それに妹の睦月や空也の想い人である渋谷眉月を始めとする空也の身を心配する面々が集まり、空也や高木麻衣らからの文を開く様子が描かれています。

空也の物語である本『空也十番勝負シリーズ』で描かれる江戸の様子は、空也の身を案じる家族や仲間の様子が描かれているばかりですが、本書『風に訊け 空也十番勝負(七)』では空也の武者修行の旅も終わりが近いことが示唆されます。

その後の磐根と空也の物語はどのように展開するものか、私の知る限りは未だ情報はないようですが、空也親子の活躍が続くことを願いたいものです。

 

ちなみに、長州藩萩藩という呼称が出てきたので調べると、萩藩とは長州藩の異名だとありました( ウィキペディア : 参照 )。