うつ蟬 風の市兵衛 弐

うつ蟬 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の十三弾で、2024年4月に祥伝社文庫から344頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

このシリーズもかなりの長さを数えるようになり、どうしてもマンネリという印象が先に立ち、市兵衛の面白さが薄れてきている気がします。

 

うつ蟬 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

家格の違いにも拘らず、三千石の旗本岩倉家に輿入れした村山早菜。藩の陰謀で父を失うも唐木市兵衛に助けられた川越藩士の娘だ。だが、幸せは束の間だった。市兵衛は兄・片岡信正から、岩倉家の逼迫した台所事情を知らされ、憤る。早菜の幸福を願う後見人の大店両替商“近江屋”の財を貪らんとする卑劣な縁組か。そんな折、変死体を調べる渋井父子は妙な金貸の噂を聞く。(「BOOK」データベースより)

目次
序章 隠田村 | 第一章 花嫁御料 | 第二章 原宿町 | 第三章 銀座町 | 第四章 代々木村 | 終章 五月雨

 

うつ蟬 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛シリーズ』の第十三弾となる長編の痛快時代小説です。

このシリーズもかなりの長さを数えるようになり、どうしてもマンネリという印象が先に立ち、市兵衛の面白さが薄れてきている気がします。

というよりも、かなり厳しいことを言えば本書のストーリーそのものが既視感しかないと言ってもいいほどに独自性が感じられないものでした。

 

旗本岩倉家に輿入れした村山早菜でしたが、この婚姻は高倉家の台所事情、また夫となった高倉高和が起こした不祥事などにより早菜の後見人である大店両替商の近江屋の財産を狙ったものでした。

しかし、主人公の唐木市兵衛は兄の片岡信正と会った際に、信正の配下で市兵衛の親友でもある返弥陀ノ介から早菜の輿入れ先の高倉家の台所事情がかなりひっ迫したものであり、台所預かりという処置では済まず、改易ということにもなりかねないものだという話を聞かされます。

唐木市兵衛は宰領屋矢藤太と共に、父親村山永正亡き後の早菜を襲い来る暴漢から守り河越から江戸の近江屋まで届けたことから、江戸の大店の両替商である近江屋の刀自の季枝からも頼られている存在だったのです。

 

こうした花嫁の家の財産目当ての結婚というストーリーは痛快時代小説のストーリー展開として見た場合ありがちな設定であり、なにも目新しいものではありません。

もちろん、本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』には本書なりの冒頭に示された殺人事件の犯人探しや、メインである早菜の結婚物語への犯人探しの絡み方など一定の工夫(と言っていいものかわかりませんが)は示してあります。

しかしながら、全体としてのストーリー自体に読者を惹き付けて離さないほどの魅力が見いだせないのです。

 

そもそも、この作品の基本的な設定である早菜の婚姻自体に、嫁ぎ先の旗本の台所事情がかなり怪しいことを婚姻の仲介役である権門師が全く知らないことがあり得るものか疑問です。

また、早菜の結婚式で夫の招待客の中に良い噂の無い金貸しの男がいることもまた不自然です。

いくら金を借りているからといって、武士の婚儀の席に良い噂のない町人を招くことはしないのではないでしょうか。

 

辻堂魁という作家の作品は若干そのストーリー展開に似たものがあるのは否めないところです。また、町人の物語にしろ、侍の物語にしろ、人情噺の裏に不条理な哀しみが隠されている点もまた類似点があると言えます。

でありながら、かなり緻密な描写を重ねて組み立てられていくストーリー展開はそれなりの型を持った作家さんとしてかなり面白く読んでいたのです。

ところが、この『風の市兵衛シリーズ』は人気シリーズゆえに二十巻を数え、マンネリを感じるようになりました。

そのため『風の市兵衛シリーズ 弐』として物語の環境に変化をつけたのですが、さらに本書で『風の市兵衛シリーズ 弐』も十巻を超える長さとなり、ストーリーも『風の市兵衛シリーズ』と変わらなくなり、やはりマンネリに陥っていると言わざるを得ません。

 

そうした印象を持っていた中での本書『うつ蟬 風の市兵衛 弐』です。私の中でももう我慢できないと思ったのでしょう。言葉も強くなってしまいました。

面白いことが当たり前と思い読み続けてきたシリーズであるからこそ、ここから更なる飛躍を期待したいのです。

勝手なファンの勝手な繰り言ではありますが、このシリーズが再度魅力を取り戻すことを願います。

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十四弾で、2024年10月に祥伝社文庫から344頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。

この頃、マンネリとの印象が強い本シリーズですが、本書はその印象が払しょくされてはいないものの、面白く読めたほうではないかと思います。

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

西蝦夷地アイヌの集落に、江戸の武士がいるという。元船手組同心の瀬田宗右衛門は、その蝦夷の武士が十二年前の刃傷事件で義絶した、長男の徹だと確信する。この夏、跡を継いだ次男の明が成敗され、瀬田家は改易の危機にある。二つの事件に過去の因縁を疑う宗右衛門は、唐木市兵衛に徹の捜索を頼む。だが海路をゆく市兵衛らを、鉄砲を構える“おろしゃ”の賊が阻む。(「BOOK」データベースより)

蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『蝦夷の侍 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十四弾となる長編の痛快時代小説です。

マンネリとの印象が払しょくされているわけではないものの、この頃の作品の中では面白く読めたほうではないかと思います。

 

ある事件が元で江戸を出奔したある侍が蝦夷で生きているという噂をもとに、蝦夷地までその侍を探しに行く唐木市兵衛の姿が描かれています。

その侍は名を瀬田徹といい、同僚の尾上陣介という男に斬りつけたことで江戸を離れることになったのです。

ところが、瀬田家の跡を継いだ弟の瀬田明が乱心し剣を振りまわしたため、同じ尾上陣介が切り捨てたという事件が起きます。

そのため、瀬田家の今後のためもあって市兵衛が徹を探しに行くことになったのです。

 

この作者辻堂魁の他の作品と同じく、本書でもいろいろな事柄が詳しく説明してあります。

まずは、本書の主役となる瀬田家の役職である船手組のことに関しての説明があります。次いで、蝦夷地の産業や商売の仕組みなどが語られ、アイヌの暮らしについてもまたかなり詳しい解説が為されています。

辻堂魁の作品はそうした舞台背景が詳細に語られ、さらには当該の場面や情景もかなり緻密に描かれています。

ところが、他の箇所でも書いたことではありますが、シリーズ当初と異なり、その語りや情景描写がどうにも説明的であり、物語の流れに乗れていないと感じるようになってきたのです。

 

本シリーズは「渡り用人」という、期間を区切って雇われ家政のやりくりを行う侍としての唐木市兵衛という浪人者を主人公とし、武家社会における経済の一端が描かれるところにその魅力の一端があったと思うのです。

ところが、江戸期の経済の仕組みという点は簡略になってきていて、またその解説が説明的に感じられるようになってきたのです。

そして、これが一番の難点だと思うのですが、シリーズも長くなり、似たような物語の舞台が設定されることもあり、どうしてもマンネリと感じるようになってきました。

本書は舞台の一端を蝦夷地に設けることですこしは個性を出してあり、指摘したマンネリ感も少しは払しょくされていると思いました。

しかしながら、本書の主役となる瀬田徹の描写も浅く感じられ、また市兵衛の蝦夷地への旅程も特に取り立てて言うこともなく終わっています。

 

また、本書の結末そのものは別として、結末へと至る過程が実にあっさりと処理されてしまい、どうしても物足りなく感じてしまったのです。

せっかく市兵衛の親友である返弥陀ノ介も登場させたのに、その登場にどれほどの意味があったのかも分かりません。

それも、本書の描写が緻密に描かれすぎていることが、ストーリーを展開させる余裕をなくしたように思えるのです。

もともと、主人公のキャラクター設定やそのストーリー展開に魅力を感じファンになった本シリーズです。

また、シリーズ当初のような高揚感をもたらしてくれるような物語を期待したいと思います。

付添い屋・六平太 飯綱の巻 女剣士

付添い屋・六平太 飯綱の巻 女剣士』とは

 

本書『付添い屋・六平太 飯綱の巻 女剣士』は『付添い屋・六平太 シリーズ』の第十七弾であり、2024年5月に小学館から288頁の文庫本書き下ろしで刊行された連作短編の痛快時代小説集です。

付添い屋・六平太 飯綱の巻 女剣士』の簡単なあらすじ

正月半ば、木綿問屋信濃屋の主・太兵衛の年礼回りに付添っていた秋月六平太は、ならず者に絡まれている商人を助けに入ろうとしたーが、小柄な侍に先んじられてしまう。何者か謎が深まる中、六平太は北町奉行所の同心・矢島新九郎に手を貸していた。上総からやって来た粂七の訴えによれば、妹は江戸の洗濯屋に住込みで働いているはずだが、店に行ってみると更地になっていたという。数日後、店主の釜五郎が見つかり、今では出合茶屋を営んでいると知れる。そんな折、六平太の隠し子の穏蔵は、新たな人生を選ぶ。脚本の名手が描く、円熟の人情時代劇第十七弾!(「BOOK」データベースより)

第一話 初春祝言
天保五年の正月、六平太は年礼回りの付添いに勤しんでいた。今日は木綿問屋信濃屋の主・太兵衛のお供だ。帰途、ならず者に乱暴されている商人を助けに入ろうとしたが、破れ菅笠を被り、黒袴を穿いた小柄な侍が先んじた。なんと侍の正体は?
第二話 洗濯女
六平太は同心・新九郎の相談に応じていた。上総から妹を探しにきた粂七の訴えだ。妹は洗濯屋に住込みで働いているはずだが、店に行ってみるとすでに畳まれていたという。数日後、主の釜五郎が見つかって、今は出合茶屋を営んでいるのが分かり……。
第三話 父と子と
小間物屋寿屋の娘・美鈴との仮祝言に迷う穏蔵は、踏ん切りをつけるべく、六平太と恋仲のおりきに頼みごとをしてみたものの……。一方六平太は、沢田庄助に関宿藩久世家の屋敷へ来てほしいと頭を下げられていた。女乗り物を救ってくれた縁だというが。
第四話 春嵐
六平太が師範代を任されている相良道場に女剣士が現れた。是が非でも腕比べをしたいと譲らない。気乗りしないが、師範・庄三郎の命もあって、仕方なく女剣士と立ち会う羽目に。そして寿屋の主・八郎兵衛からは穏蔵の返事があったと知らされて……。(内容紹介(出版社より))

 

付添い屋・六平太 飯綱の巻 女剣士』の感想

 

本書『付添い屋・六平太 飯綱の巻 女剣士』は、『付添い屋・六平太シリーズ』の第十七弾となる連作短編の痛快時代小説集です。

上記の「あらすじ」にも記載されているような一人の女剣士との出会いが全体を通したエピソードとなっています。

ただ、この出来事は本書だけで終わるものではなく、多分ですが本シリーズの何巻かを通したかかわりとなるような印象です。

 

まず「第一話 初春祝言」で、秋月六平太が「信濃屋」の付き添い稼業の途中で、ならず者に絡まれていた商人を助けに入った一人の女剣士と出会うところから始まります。

この女剣士が物語を通したエピソードになりそうな人物でした。

他に六平太の隠し子である穏蔵におきた小間物問屋「寿屋」への婿養子の話がすすみ、六平太の住まう「市兵衛店」に浪人者の貝谷重兵衛小四郎親子が入居することなどが語られます。

 

そして「第二話 洗濯女」で、付き添いの途中で火事に遭遇した六平太らは、破落戸(ごろつき)たちに威されている女乗物の一行を助けることになります。

その後、北町奉行所同心の矢島新九郎からの頼み事もありますが、この話はひとつの人情話としてはあり得るのでしょうが、矢島が六平太に立ち会わせる理由などが今一つ不明です。

 

そして第三話 父と子とでは、第二話で助けた女乗物の一行の話が続き、また新しく市兵衛店の住人になった貝谷重兵衛の話なども語られます。

しかし、盛りだくさんの出来事があるにもかかわらず、どうにも痛快時代小説としての醍醐味が感じられません。

本シリーズでのここ数巻での当サイトの記事において、何となく痛快時代小説としての面白さを感じないものの、「魅力的な主人公がいてその周りの人々の人情話」もそれなりに面白く読めると書いたりもしていました。

しかしながら、どうもそのときの読み手、つまりは私自身の体調などその時の気分によって印象が異なるようです。

少なくとも本書に関してはこのシリーズはもう読まなくてもいいか、というほどにその面白さを感じなくなっています。

 

本書では「第四話 春嵐」に至って、問題の女剣士との立ち合いなどの見どころらしきものも設けてはあるのですが、それすらも魅力的な展開とは感じませんでした。

また、六平太の周りの人々についての人情話に関してもそれほどの面白さを感じられません。

今後のこのシリーズへの態度を決めかねています。とりあえずは惰性で読み続けるかという気もしていますが、断定できません。

ですから、もし読んだらここにアップする、という気楽な態度で行こうと思っています。

浅草寺子屋よろず暦

浅草寺子屋よろず暦』とは

 

本書『浅草寺子屋よろず暦』は、2024年9月に232頁のハードカバーで角川春樹事務所より刊行された連作短編の時代小説集です。

これまでの浪人者を主人公とした時代小説とはニュアンスが少し異なる、何ともつかみどころのない、しかし面白く読んだ作品でした。

 

浅草寺子屋よろず暦』の簡単なあらすじ

 

大滝信吾は、さる身の上を秘して、浅草寺の一角で寺子屋を開いている。源吉や三太、おさよなど多くは町人の子だ。そんな穏やかな春の日、子どもたちと縁側で握り飯をほおばっていたとき、源吉の姉が助けを求めて駆け込んできたー大切な人々を守るため、信吾は江戸の闇と真っ向から闘うことに。浅草の四季を舞台に、家族や友人、下町の人情に支えられながら、果たして信吾は天命を見つけられるのか。(「BOOK」データベースより)

 

浅草寺子屋よろず暦』の感想

 

本書『浅草寺子屋よろず暦』は、剣の腕が立つ浪人者を主人公とするこれまでの痛快時代小説とは異なった雰囲気を持つ、何ともつかみどころのない、しかし面白く読んだ作品でした。

 

これまでの時代小説、それも浪人者が活躍する痛快時代小説と言えば時代小説の大家である池波正太郎の『剣客商売 』でも、現代のベストセラー作家である佐伯泰英の『居眠り磐音シリーズ』でも、基本的には主人公がその剣の腕を存分に生かして独力で問題を解決していくものでした。




しかしながら本書『浅草寺子屋よろず暦』の主人公の場合、彼自身の力ではなく、彼の知り合いの力を借りて困りごとを解決していきます。

本書の主人公もそれなりに剣の腕は立つのですが、剣戟の場面はそれほどにはありません。それよりも、いろいろと情報を集めて問題解決のために有効な人材を利用するのです。

 

その主人公は大滝信吾という寺子屋を営む浪人者です。本書ではその浪人者が自分の寺子屋に通う子供たちの親などの困りごとを解決すべく、奔走する姿が描かれています。

この主人公のもとには御膳奉行をしている兄の大滝左衛門尉から米が届けられ、また兄がつけてくれたという名の下女もいるなど、ここでもこれまでの時代小説の主人公の浪人者とは毛色が異なります。

その兄の左衛門尉には杉乃という妻がおり、ひとり娘の真由は信吾になついています。

そして、基本的には本書で主人公が奔走する事件の裏にいるのが、江戸の町の裏社会の一角を牛耳る狸穴の閑右衛門という男です。

 

ところで、主人公が寺子屋を開いているのは、浅草寺の雷門からの参道の両側にある子院の一つである正顕院というお寺です。

この寺子屋の設定に関しては、本書の最終ページに「協力 金龍山 浅草寺」とクレジットしてあるのですが、その訳がネットに書いてありました。

なんと、浅草寺の偉いさんから改修前の浅草寺の写真や、「浅草寺さんのなかに寺子屋がある設定」のお許しをいただいた、ということでした( Book Bang : 参照 )。

そしてこの正顕院の住職の光勝もまた左衛門尉の知人であり、信吾は兄の世話で正顕院に寺子屋を構えることになります。

こうした従来の痛快時代小説の設定とは異なる、それでいて江戸の町の庶民の生活を描きながら主人公の活躍を描く新たなタッチの連作時代小説集として本書があるのです。

 

本書『浅草寺子屋よろず暦』の作者砂原浩太朗の文章は、舞台背景などの情景描写が実にうまいのです。この情景描写のうまさはやはり時代小説の大家である藤沢周平を思い出すとこれまでも書いてきました。

それほどに情景描写にすぐれているのですが、この点に関しては、作者砂原浩太朗本人の言葉がありました。

それは、「今作はストーリーの進展につれて季節がめぐっていくので、風景描写でそれを実感してもらおうと思いましたが、他の作品でも意識的に自然描写を取り入れています。」というものです( Book Bang : 参照 )。

 

これまで浪人を主人公とする痛快時代小説は数多くの作品が書かれてきました。

しかし、主人公が寺子屋を営む作品は思い出すことができず、ただ主要登場人物の一人である浪人者が寺子屋を営む作品として金子成人の『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の沢木栄五郎を思い出すくらいです。

しかしながら、浪人を主人公とする時代小説としては『てらこや浪人源八先生』という作品があるそうです。私は未読なので一度読んでみようと思います。

 

蛇足かもしれませんがひとこと付け加えると、本書のクライマックスでの長屋の一行も含めて物語の関係者が一堂に会する場面は少々無理があると感じました。

さらに言えば、思いがけない人物が持ってきた意外な事実はちょっと受け入れがたい展開ではありました。

しかし、そうした難点を越えて、やはり作者砂原浩太朗が紡ぐ物語は面白いし、本書『浅草寺子屋よろず暦』もまたその例にもれずとても楽しく読み終えることができました。

ごんげん長屋つれづれ帖【八】 初春の客

ごんげん長屋つれづれ帖【八】 初春の客』とは

 

本書『ごんげん長屋つれづれ帖【八】 初春の客』は『ごんげん長屋シリーズ』の第八弾で、2024年3月に双葉社から272頁の文庫本書き下ろしで出版された連作の短編小説集です。

本シリーズについては、この頃あまりその面白さを感じなくなってきていたのですが、江戸の庶民を描き出した人情小説として普通に面白く読むことができました。

 

ごんげん長屋つれづれ帖【八】 初春の客』の簡単なあらすじ

 

根津権現社にほど近い谷中三崎町の寺で、行き倒れの若い女が見つかった。女は激しい折檻を受けていたらしく、医師である白岩道円の屋敷に運び込まれたという。目明かしの作造から、女がうわ言で、娘のお琴への詫びを口にしていたとの話を聞いたお勝は、女に事情を質すべく、道円の屋敷に足を運ぶのだがー。くすりと笑えてほろりと泣ける、これぞ人情物の決定版。時代劇の超大物脚本家が贈る、大人気シリーズ第八弾!(「BOOK」データベースより)

第一話 ひとり寝
お勝の幼なじみである近藤沙月の近藤道場に泊りがけで遊びに行った子供たちだったが、帰ってからの幸助は素読や木剣での素振りを始めるのだった。しかし、素振りは門人の建部源六郎様に教えてもらったという話を聞き、心配になるお勝だった。

第二話 お直し屋始末
お勝が「岩木屋」の道具類の直しをとする下谷同朋町に住む要助のもとを訪れていたとき、おつやという婀娜な女が要助を訪ねてきた。後日、「岩木屋」に来ていた要助を探して伝八という男を伴ってきたおつやは、金を貸して欲しいと言ってきたのだった。

第三話 不遇の蟲
料理屋「喜多村」の隠居の惣右衛門が「小兵衛店」の家主の小兵衛という男を連れて来た。住人に対して文句ばかりを言う店子の長三郎という男に出ていってもらいたいのだが、お勝の話を聞きたいというのだ。

第四話 初春の客
正月七日のこの日、目明しの作造がお勝を訪ねて「岩木屋」へとやってきた。谷中三崎町の龍谷寺で行き倒れていた女を白石道円先生の屋敷へ運んだが、その女がうわ言で「おことちゃん、ごめん」言っていたというのだ。

 

ごんげん長屋つれづれ帖【八】 初春の客』の感想

 

本書『ごんげん長屋つれづれ帖【八】 初春の客』は『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の第八弾で、これまで同様の四編の連作短編からなる人情小説集です。

本シリーズの「普通さ」に関してはこれまでとほとんど変わりません。

第一話はお勝の子の、第二話は「岩木屋」の職人の一人についての、第三話はお勝のもとに持ち込まれた困りごとの、第四話もお勝の子の話をそれぞれにテーマとした作品です。

このように、面倒見のいい一人のおせっかいな女の周りで巻き起こる江戸庶民の姿が描かれているのです。

 

第一話 ひとり寝」は、お勝の子供たち、なかでも幸助の姿が描かれています。

近藤道場から帰った幸助が素振りや学問をするのはいいのですが、素振りなどを教えてくれたのが建部源六郎だというのが問題だったのです。

というのも、建部源六郎はお勝が産んだ子だというのが、このシリーズを通してのお勝の抱える大きな秘密だったのです。

お勝が育てている三人の子供たちはお勝の本当の子供ではありませんが、実の親子のような関係性を保っていて、子供たちはもちろん、周りの人達も皆そのことを知っています。

 

第二話 お直し屋始末」では、お勝が番頭を務める質屋「岩木屋」の道具類の直しを仕事としている要助という男の話です。

この要助のもとを訪ねてきた女が要助の足を引っ張りそうで、「岩木屋」の番頭であるお勝が職人の困りごとを見過ごす筈もなく、やはり乗り出すのでした。

先にも述べたように、この『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』はお勝のおせっかいで成り立っていますが、そのおせっかいが繰り広げられる物語になっています。

 

第三話 不遇の蟲」もお勝のおせっかい話と言えそうな話です。

物語自体はお勝が頼まれて乗り出す話になっていますが、他人の困りごとに首を突っ込んで問題を解決するという点では同じです。

つまりは相手かまわずに些細なことに文句をつけてばかりいる老爺の物語であって、長三郎というその老人が抱えている悩みに隠された人情話がこの話の眼目です。

 

第四話 初春の客」は、お勝の子の一人であるお琴に絡んだ物語です。

お勝が育てているお琴、幸助、お妙という三人の子供たちはお勝とは血のつながりはありませんが、家族四人で仲良く暮らしています。

そこに、お琴の実の親に関係していると思われる人が登場し、お勝とお琴との親子関係はどうなるかという話です。

お勝は事情があって自分の実の子とも一緒に暮らすことができていないこともあり、親子について考えさせられる話でもあります。

 

以上、江戸の町に暮らす庶民の日常が描かれたこの『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の通常の展開となった作品集です。

どうしても山本周五郎藤沢周平といった人情話の大家たちの物語集と比較してしまい、どことなく人情話としてもう一つ足りないものを感じてしまうのです。

読み手の勝手な要求であり、我ながら理不尽な要求だとは思いますが、正直な感想です。

幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下)

幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下) 』とは

 

本書『幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下) 』は『あきない世傳 金と銀シリーズ』の特別巻で、ハルキ文庫から2024年2月に文庫本書き下ろしで刊行された長編の時代小説です。

本書をもって『あきない世傳 金と銀シリーズ』は完結してしまいます。

 

幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下) 』の簡単なあらすじ

 

明和九年(一七七二年)、「行人坂の大火」の後の五鈴屋ゆかりのひとびとの物語。
八代目店主周助の暖簾を巡る迷いと決断を描く「暖簾」。
江戸に留まり、小間物商「菊栄」店主として新たな流行りを生みだすべく精進を重ねる菊栄の「菊日和」。
姉への嫉妬や憎しみに囚われ続ける結が、苦悩の果てに漸く辿り着く「行合の空」。
還暦を迎えた幸が、九代目店主で夫の賢輔とともに、五鈴屋の暖簾をどう守り、その商道を後世にどう残すのかを熟考し、決意する「幾世の鈴」。
初代徳兵衛の創業から百年を越え、いざ、次の百年へ──。(内容紹介(出版社より))

目次(「BOOK」データベースより)
暖簾/菊日和/行合の空/幾世の鈴/巻末付録 治兵衛のあきない講座

 

幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下) 』の感想

 

本書『幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下) 』は、前巻『契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』同様に、それぞれに主人公を異にする四編の短編からなる作品集です。

まず「第一話 暖簾」は、八代目五鈴屋店主の周助を主人公にした物語です。

周助は、大坂天満にある五十鈴屋本店の八代目五鈴屋店主です。

本シリーズの主人公のは大坂では女店主が認められないこともあって五鈴屋の江戸出店を果たし、五鈴屋江戸本店の店主となり、大坂の五鈴屋本店店主は周助にまかせていました。

この周助はもともと同業の「桔梗屋」の番頭でしたが、「桔梗屋」の主だった孫六は乗っ取りに遭いかけたときに手を差し伸べてくれた五鈴屋に店を任せることとし、周助も五鈴屋高島店の支配人として奉公することとなったものです。

そのときの五鈴屋店主は五代目の智蔵でしたが、いずれ五鈴屋別家として「桔梗屋」の暖簾と屋号を引き継がせる約束をしていたのです。

 

第二話 菊日和」は、小間物問屋「菊栄」店主の菊栄を主人公にしています。

明和九年(一七七二年)に起きた「行人坂の大火」の二年の後、幸と賢輔は大坂へ帰ることになりました。

幸と菊栄は、やっと架けられた大川橋を眺めながら名残のひとときを過ごしている場面からこの物語は始まります。

本シリーズへの登場時は五鈴屋四代目店主徳兵衛の嫁としての立場であった菊栄ですが、後には小間物問屋「菊栄」の店主となり、この物語の主人公である幸の良き相談相手となった人物です。

その菊栄は、幸が江戸を去るにあたり一人江戸に残り、次の一手を考えていました。

 

第三話 行合の空」は、本シリーズ主人公の幸の妹、が主人公です。

姉である五鈴屋江戸本店店主の幸のもとを飛び出し、江戸屈指の本両替商音羽屋忠兵衛の後添いとなり、呉服商「音羽屋」の女店主となって何かと幸と対立してきた結でした。

しかし、その忠兵衛が重追放と闕所を言い渡されたとき、結も姉の元には戻らずに忠兵衛と共に流れて今では二人の娘にも恵まれ、ここ播磨の国、赤穂郡の東の端、揖西との境で旅籠を営んでいます。

二人の娘は姉のが十一歳、妹のが七歳で、忠兵衛は日がな釣りに出かけてお客へ出す魚を釣るという毎日でした。

二人の娘は一生懸命に母を手伝っていますが、特に姉の桂はなにからなにまで「あのひと」にそっくりだったのです。

 

そして「第四話 幾世の鈴」は、本シリーズ主人公のの物語となっっています。

天明五年(一七八五年)睦月朔日、幸は六十一歳となり、夫の賢輔も九代目五鈴屋徳兵衛を継いで十年、五十四歳となりました。

五鈴屋も大坂本店、高島店と合わせて、手代五十名、丁稚十五名、大番頭に中番頭、小番頭も加わり大所帯となっています。また、江戸本店も佐助から壮太へと代替わりも済みました。

五鈴屋は昨年創業百周年を迎え、今日は次の百年へと新たな一歩を踏み出す日でもありました。

そして、五鈴屋初代徳兵衛の墓参へと、伊勢五十鈴川の傍へと旅立つ賢輔、幸夫婦があり、幸の懐には益彦から渡された播磨国の旅籠でもらった延命地蔵のお守りが入っていたのです。

 

以上のように、本書『幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下)』は、周助菊栄、そしての四人の物語です。

特に第二話から第四話に関しては、前巻の『契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上) 』にも増して、よりシリーズの中心になる人物たちのその後が語られています。

幸と結の姉妹については、二人の関係が何も進展しないままにシリーズ本編が終わってしまったので、この二人のその後について語られている第三、四話は興味が持たれる内容でした。

特に、第三話の結の物語は自然であり、幸とのつながりについても通り一遍の展開ではない関係性を示していることは感心するばかりです。

 

本書をもって本シリーズは完結します。残念ですが仕方ありません。あとはただこの作者が新しい物語を紡ぎだしてくれることを願うばかりです。

まいまいつぶろ

まいまいつぶろ』とは

 

本書『まいまいつぶろ』は、2023年5月に336頁のハードカバーで幻冬舎から刊行された長編の時代小説です。

第九代将軍徳川家重を描いた作品で、第13回「本屋が選ぶ時代小説大賞」と第12回「日本歴史時代作家協会賞作品賞」を受賞したかなり評価の高い作品です。

 

まいまいつぶろ』の簡単なあらすじ

 

暗愚と疎まれた将軍の、比類なき深謀遠慮に迫る。

口が回らず誰にも言葉が届かない、歩いた後には尿を引きずった跡が残り、
その姿から「まいまいつぶろ(カタツムリ)と呼ばれ馬鹿にされた君主。
第九代将軍・徳川家重。
しかし、幕府の財政状況改善のため宝暦治水工事を命じ、田沼意次を抜擢した男は、本当に暗愚だったのかーー?
廃嫡を噂される若君と後ろ盾のない小姓、二人の孤独な戦いが始まった。(内容紹介(出版社より))

 

まいまいつぶろ』の感想

 

本書『まいまいつぶろ』は第九代将軍の徳川家重と、彼の口となった大岡忠光の生涯を描いた作品で、本屋が選ぶ時代小説大賞と日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞した作品です。

第八代将軍徳川吉宗の嫡子で幼名を長福丸といった徳川家重は、生まれながらの障碍のために口が回らず誰もかれが発した言葉を理解することはできませんでした。

そのうえ彼が歩いた後には尿を引きずった跡が残ったと言われたことから「まいまいつぶろ(カタツムリ)」と呼ばれたそうです。

そうしたことから将軍職にはふさわしくないとも言われましたが、第八代将軍の徳川吉宗の、長子相続こそが将軍職をめぐる争いを防ぐという考えのもと九代将軍に選ばれました。しかし、政の実権は吉宗が大御所として家重の背後にいた、とされています。

本書は、そんな徳川家重の生涯を、家重の側近として生きた大岡兵庫、後の大岡忠光の姿と共に描き出した力作です。

 

徳川家重という将軍の名は聞いたことがあったものの、本書で描かれているように身体にひどい障害を持っている人物だとは知りませんでした。

ましてや、その家重の言葉を理解できる人物が存在し、その人物が側用人にまで上り詰めたなどという事実もまったく知らなかったのです。

さらに言えば、その人物が大岡忠光という名であり、その人物があの江戸南町奉行として高名な大岡忠相の縁続きの者であることなどもちろん知る筈もありません。

 

その障害のため、次期将軍としての地位も奪われようとしていた長福丸でしたが、彼の言葉を理解する大岡兵庫が現れたためその人生は全く異なることになります。

ただ、兵庫が長福丸のおそばに上がるについては、兵庫は大岡忠相から長福丸の口として徹しなければならないと言われ、その言を生涯守り抜いたとされているのです。

将軍の言葉を理解できるものが一人しかいないということは、兵庫が将軍の言葉を捏造することも可能ということであり、それは兵庫にももちろん長福丸のためにもならないというのでした。

こうした展開は物語としての展開をリアリティーあるものに仕上げると同時に、物語の中の兵庫の人生を過酷なものとすることにも繋がります。

実際、物語は家重の影の人として徹底する忠光の人生をも描き出していくことになります。

こうして、家重は彼の本当の人柄、能力を正当に評価する人たちに支えられ、将軍として生きていくことになるのです。

 

そんな中で、老中の酒井忠音など家重に味方する人たちも現れてきます。

他方、小便を垂れ流す将軍など受け入れられず、家重にはその聡明さで知られる弟の宗武の方が将軍に相応しいとして、長福丸の廃嫡を画策する一派もあり、そこに松平乗邑などの名が挙げられることになります。

 

ただ、本書『まいまいつぶろ』では人間のあり方が善に偏っているように思われます。人の善性に重きを置いて描いてあるからこそ本書での家重は自身の障害を乗り越えて幸せの中に生きていくことができたと思われるのです。

例えば、家重の妻となった比宮との仲の描き方も、比宮という女性が、家重の本性を見抜く慈愛に満ちた女性として描かれているからこその物語でしょう。

この点に関しては、作者自らが「本作は、家重と忠光によって善の側に引き込まれる人々を描いた物語である。」と書かれています( 好書好日 : 参照 )。

 

また、物語の途中で突然に御庭番の万里なる人物が登場したり、その後も他の会話の中で突然と万里の名が出てきたりすることがあります。

そのため、ときにその場面の視点の主を見失いかねない箇所が何か所かありましたが、これは読み手の私が未熟だからというだけではないでしょう。

とはいえ、こうした人物を設けることで、将軍徳川吉宗に特別な視座を与えることができ、物語のストーリー展開がやりやすくなったのだと思われます。

また、この万里という人物に関しては本書の続編として『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』という作品が刊行されており、作者もこの人物については重きを置いていることが伺われるのです。

 

本書『まいまいつぶろ』については、正直なところ、描かれている人物たちが出来すぎという気がしないでもありません。

しかしながら、そうした人々に支えられて将軍職を生きた家重、またその家重を支えた大岡忠光という人達を通して描かれる人間の善性の物語に浸るのもいいものでした。

村木 嵐

村木嵐』のプロフィール

 

1967年京都市生まれ。会社勤務等を経て、司馬遼太郎氏の夫人である福田みどり氏の個人秘書を十九年間務める。2010年『マルガリータ』で第十七回松本清張賞を受賞し、作家デビュー。2023年『まいまいつぶろ』で第十三回本屋が選ぶ時代小説大賞、第十二回日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)『阿茶 幻冬舎時代小説文庫』より

引用元:村木嵐著|プロフィール|HMV&BOOKS online

 

村木嵐』について

 

村木嵐著『まいまいつぶろ』が、「第十三回本屋が選ぶ時代小説大賞」、「第十二回日本歴史時代作家協会賞作品賞」を受賞し、第170回直木三十五賞の候補作に選ばれました。

夜露がたり

夜露がたり』とは

 

本書『夜露がたり』は、2024年2月に256頁のハードカバーで新潮社から刊行された短編時代小説集です。

“著者初の「江戸市井もの」 過酷にして哀切、いっそ潔く、清々しい”という惹句のとおりの物語集でした。

 

夜露がたり』の簡単なあらすじ

 

夜は溟くて重く、救いはわずかしかなかった。市井ものの正統にして新潮流。「どいつもこいつも、こけにしやがって」「難儀だね、身内って奴から逃れられないものさ」、追い詰められ女と男は危うい橋を渡ろうとする。「あの場所の生まれでなければ」と呪い、「死んどくれよ」と言葉の礫をぶつけながら、その願いが叶いそうになると惑う。ここに江戸八景の本物がある。「傑作」と呼ぶしかない短篇集。(内容紹介(出版社より))

目次(「BOOK」データベースより)

帰ってきた | 向こうがわ | 死んでくれ | さざなみ | 錆び刀 | 幼なじみ | 半分 | 妾の子

 

夜露がたり』の感想

 

本書『夜露がたり』は、著者砂原浩太朗が初めて出した市井ものということです。八編の短編が収められています。

江戸の町人の暮らしを描き出した短編と言えば、すぐに山本周五郎を思い出す人が多いでしょう。

山本周五郎に最初に接した本は新潮文庫の『深川安楽亭』でしたが、この作品は市井ものではなくいわゆる一場面物に分類される作品集ですが、そこに流れる哀愁は同様のものがあると感じています。


 

本書の読後感は藤沢周平を最初に読んだ時の感想と似たものがありました。

それは、それまで読んでいた時代小説とは異なって、ストーリー展開に山場もなく平板なもののまま終わってしまった作品だったというものです。

登場人物たちの先行きの希望などを示すこともなく、単に江戸の町民の生活の一場面を切り取り提示してあるだけのものだったのです。

ただ、それからしばらく間をおいて別な藤沢周平作品を手に取ると全くの別作品を読んだようで、今度は図書館で全作品を読み終えるほどになりました。

藤沢作品の情景描写の素晴らしさ、心象風景の描き方のうまさに惹かれ、描かれている登場人物たちの人生に引き込まれてしまったのす。

 

その再読したときの藤沢作品と似た印象を本書『夜露がたり』にも感じたのです。

そこに示されているものは思い通りにならない人生の悲哀であり、慟哭です。中にはかすかな光明を示している作品もあります。

文章のタッチは藤沢作品とは異なりますが、市井に暮らす人々の明るい側面ではなく、思い通りに行かない人生の断面を切り取った悲哀に満ちた作品集です。

 

作者の砂原浩太朗は、これまで封建制度に縛られた武家社会に生きる侍の姿を、厳しい中にも優しい目線で描いてこられました

しかし、本作では市井に生きる一般庶民の姿を描き出すというまた違った作風を読ませてくれたのです。

もちろん山本周五郎藤沢周平とはその作風をかなり異にしますが、それでもなお武家社会を描き出した作品は勿論のこと、市井に生きる人々の哀しみをも描き得ることを示したと感じました。

 

これからもまた新たな砂原浩太朗作品を期待できると思います。楽しみです。

イクサガミ シリーズ

イクサガミ シリーズ』とは

 

本『イクサガミ シリーズ』は山田風太郎を彷彿とさせるエンターテイメントに徹した作品です。

明治維新直後を時代背景にした痛快活劇小説であり、何も考えずに物語の世界に浸るだけで楽しめる作品だと言えます。

 

イクサガミ シリーズ』の作品

 

イクサガミシリーズ(2024年04月19日現在)

  1. イクサガミ 天
  2. イクサガミ 地
  1. イクサガミ 人

 

イクサガミ シリーズ』について

 

本『イクサガミ シリーズ』は1878年(明治11年)に、「武技ニ優レタル者。本年5月5日、午前零時。京都天龍寺境内ニ参集セヨ。金十万円ヲ得ル機会ヲ与フ」という文言のもとに集まった292人の闘いの物語です。

この戦いは古代中国において用いられた呪術である「蠱毒」の形態をそのままに借りてきているものであり、最後に生き残った者に賞金を与えるというものでした。

 

主人公は嵯峨愁二郎といい、妻と子のために金を必要としておりこの戦いに参加した者です。この愁二郎に助けられ共に旅をすることになるのが香月双葉という少女です。

その他に愁二郎が兄弟のようにして育った祇園三助化野四蔵衣笠彩八といった京八流の遣い手たちがいます。

また、愁二郎たち京八流の裏切り者と目される四人をつけ狙うのが朧流の岡部幻刀斎であり、今のところ愁二郎たちを助ける存在としては柘植響陣ほかの姿があります。

 

その他に数多くの個性豊かな登場人物たちが戦いを繰り広げます。

それはあたかも山田風太郎の作品世界にも似た世界観であり、近年では珍しいエンターテイメントに徹した作品です。

全部で三巻を予定されているらしく、年一冊の予定で刊行されています。現時点(2024年4月19日)で第二巻の「地の巻」まで出版されており、余すところあと一冊となっています。

 

ちなみに、本『イクサガミ シリーズ』をもとに映画化の話が持ち上がっているそうです。

詳しくは下記サイトを参照してください。