廻り道 手蹟指南所「薫風堂」

廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』とは

本書『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』は、『手蹟指南所「薫風堂」』シリーズの最終巻で、角川文庫から2020年2月に文庫本書下ろしで出版された人情時代小説です。

野口卓らしい小説ではあったものの、私の好みとはちょっと異なる作品でした。

廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』の簡単なあらすじ

「薫風堂」の師匠・雁野直春は、稔書堂の北斗屋庄兵衛に依頼された書物の執筆に専念しながら、新しい年を迎えた。手習子たちとともに書初めを終えた直春は、意外な人物の訪問を受ける。それは、婚姻を約束しながら果たせずにいた石川家の美雪の母、阿久里だった。旗本の姫と浪人である直春との叶わぬ夢は、阿久里の来訪で終わりを告げるのか。さらに、直春に因縁ある実父から突然の呼び出しが―。シリーズ完結!書き下ろし長篇時代小説。(「BOOK」データベースより)

目次

捻書堂の北斗屋庄兵衛から頼まれた「手習心得」の執筆も何とか目途がついた雁野直春だったが、美雪の母親の阿久里が訪ねてきて、美雪との縁談は無かったものにしてくれと言ってきた。

美雪が手習所の女房になることは事実上できないことを察していた直春は、決別を受け入れ、また父親の春田仁左衛門にも自分との関りを断ってほしいと頼み、また緑之助にも報告をするのだった。

その後、定吉が兄弟子と喧嘩をして奉公先をやめさせられた事件などもあったものの、「手習之心得」と変更した本の書き直しも順調な直春だった。

廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』の感想

本書『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』は、本書『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』は、『手蹟指南所「薫風堂」』シリーズ』の最終巻でとなる人情時代小説です。

 

本書『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』は、まさにタイトル通りに、これまでの話が「廻り道」に過ぎなかったという実にベタな最終巻になっています。

ここまで来たらネタバレでもないと思うので書きますが、本書のラストは結局は大衆小説の王道の大団円というやつです。

同じ大団円でももう少し変化のつけ方があってもいいかなとは思いましたが、大団円での完結ということ自体には何の文句もありません。

それどころか、こうした終わり方自体は明るい未来を指し示すものとして個人的には好んでいるほどです。

とはいえ、言いたいのはそこではなく、やはり野口卓の小説としては『軍鶏侍シリーズ』と比較してしまうのは避けがたく、その結果、もの足りなさを感じてしまったということです。

 

軍鶏侍シリーズ』の中で番外編とでもいうべき立ち位置にある作品として『遊び奉行』という作品があります。

この作品は、『軍鶏侍シリーズ』本編で描かれる園瀬藩の権力争いの部分を取り上げ、視点の主を本編の主人公の岩倉源太夫とは別な人物として設定し情感豊かに描き出したものです。

このような作品を書いているのですから、本書のような手習所の師匠を主人公とした作品でも、ストーリー性を重視した作品を描いてほしいと痛切に感じたのです。

本書『廻り道 手蹟指南所「薫風堂」』のような、江戸の庶民の生活を作者野口卓の豊富な知識を持って紹介する、という作品も悪いとは言いませんが、やはり個人的な好みで申し訳ないのですが野口卓の語るストーリー重視の物語を期待します。

 

本書では、それまでの本シリーズで語られてきた直春の実の父親の春田仁左衛門との確執の話や、仁左衛門からもたらされた石川家との縁組やその相手の石川美雪という娘との恋模様の描写がありました。

それと同時に、こちらが主眼かとも思うのですが、手習所のあり方や「薫風堂」での手習子との交流などが描かれていました。

その中で手習所のあり方については、恩人である忠兵衛や書肆である捻書堂の北斗屋庄兵衛などとの会話などでも語られています。

さらには、江戸の庶民の生活の一端が様々な雑学的豆知識として語られていて、読み手の好奇心を満足させてもくれてもいます。

 

本書での美雪との恋模様では美雪の友人である菜実という娘が登場しましたが、物語に刺激を与える存在としてあったのでしょうが、直春の初心さを示すものとして必要だったかは疑問がありました。

その菜実の行いそのもの、またその行いに対する美雪の振る舞いが若干不自然に感じたのです。

 

本書で語られる教育論や豆知識などは、それはそれとして魅力的です。

そうして事柄を好む人たちにとっては、本『手蹟指南所「薫風堂」シリーズ』は、たまらない魅力を持った作品だと思います。

ただ、私の好みとは少々異なりました。

今後の野口卓の作品に期待したいと思います。

けんぐゎい

けんぐゎい』とは

本書『けんぐゎい』は、2026年4月に光文社から316頁のハードカバーで刊行され、第175回直木賞を受賞した長編の時代小説です。

ひとりの女性の心象を深く追い求め、その成長、そして人生について考えさせられる作品であり、私の苦手とする作品でした。

けんぐゎい』の簡単なあらすじ

利発だが酷い痘痕の姉ふゆ。逆上せ癖で縹緻よしの妹りよ。幼くして父を亡くし、ふゆは手習い師匠の手伝いに、りよは船宿の下女奉公に出された。師匠の養子で禍々しいほどに歪んだ性癖をもつ宗三郎から手籠めにされたふゆは懐妊するが、現人神と崇められる女医者と出逢い、彼女の人生は大きく変わっていく。自我に目覚めた主人公が、女の生と向き合う、時代小説の新しい扉。(「BOOK」データベースより)

けんぐゎい』の感想

本書『けんぐゎい』は、一人の女性の人生を描いて第175回直木賞を受賞した長編の時代小説です。

主人公の内心を緻密に描写し、追いかけ、その変貌ぶりを表すことで彼女の成長の様子を描き出そうとしていると思われます。

 

作者の朝倉かすみ氏はこれまでに『平場の月』で第161回直木賞の、また『よむよむかたる』で第172回直木賞の候補作になっている作家さんです。

そして、本書『けんぐゎい』で第175回直木賞を受賞されています。

 

主人公のふゆは痘痕(あばた)の痕がひどく、醜さを抱えて生きています。

そのふゆが、奉公先の師匠の養子である宗三郎から、ふゆのひどい痘痕が残る醜さなどの障りを抱えて生きている者たちは「けんぐゎい」に生きるものだと言われます。

つまり作者の言葉を借りると、「普通、と呼ばれる場所からはじかれているような人たち」は、圏内に生きる宗三郎たちとは違うのだと諭されます。

その宗三郎から手籠めにされて妊娠したふゆは、そのためそれまでの人生とは異なる生き方へと踏み出すことになるのです。

 

ふゆの母親は、ふゆの妹のりよが奉公先の主人から手籠めにあってもそれは喜ばしいことだと言います。

そうした母親の言葉をそのままに受け入れていたふゆでしたが、自分の身に同じことが起き、賢い妹のりよの言葉などもあり、ものの見方が変わっていきます。

つまり、宗三郎から凌辱を受けていることなどの自分の現在の状況は、何も自分が悪いためではないことに気づいていくのです。

 

本書はこれまでのこの作者の文体とは別人かと思うほどに異なる独特の文体で進んでいきます。

それは、これまでの現代小説では編集者に止められ、自分の好きな言葉で書きたいという望みがそのままでは叶えられなかったという作者の思いが、時代小説という形式を借りて初めてかなえられたのだと書いてありました。

作者のうちに心地よい形として蓄えられた言葉の選択が、時代小説のほうがより満たされると感じられるのだそうです( Real Sound : 参照 )。

 

また、これまでに何度も書いてきた、芥川賞と直木賞との違いが本書でもまた気になりました。

日本文学振興会のサイトではそのQ&Aにおいて芥川賞・直木賞の違いについて、「芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。」と書いてあります( 日本文学振興会 : 参照 )。 

結局、対象となる作品が「純文学」か「エンターテインメント作品」かということになると思われます。

その観点からすると、本書などはエンタメ作品というよりは人間の生きかた、そして内面を追及している文学作品だと思えるのですが、どうもそういう思いとは異なっているようです。

 

正直言うと本書を図書館から借りたときは持病の具合が悪くてなかなか読書の体力もなく、ななめ読みしかできませんでした。

そのため、読み込みできていない読書であったことも事実ですが、もともと本書のようなタイプは私の苦手とする作品であり、いつも読み通すのに苦労します。

とはいえ、直木賞を受賞している作品であることは厳然たる事実であり、私の思いなど意味もなさそうです。

鬼しぶ

鬼しぶ』とは

本書『鬼しぶ』は、2025年07月にコスミック出版から352頁の文庫版書下ろしとして出版された、長編の時代小説です。

この作者の作品はかなり読んでいたのですが、本書に関してはどうにも感情移入できない物語だったとしか言えないのがとても残念でした。

鬼しぶ』の簡単なあらすじ

「あいそねえ」「金がねえ」「出世しそうにねえ」北町奉行所の平同心・渋井鬼三次は、景気悪そうな面構えのせいか、そう陰口を叩かれていた。さらに「女にもてねえ」、「女房子供にも見限られた」とも。そんな渋井に期待する人物がいた。お奉行の永田備後守である。渋井の「少々癖のある性根が、探索にはうってつけである」らしい。札差の若旦那が拐かされて、身代金三千両を奪われた事件が発生、その真相究明を命じられる。渋井は岡っ引きの助弥と、物真似芸の大道芸人で見目麗しき人気者・菊市と共に、粘りある探索で影さえ見えぬ犯人たちに、僅かな手掛かりで迫っていく。「風の市兵衛」の濃厚脇役・渋井鬼三次が主役になって大活躍!(「BOOK」データベースより)

鬼しぶ』の感想

本書『鬼しぶ』は、『風の市兵衛シリーズ』のスピンオフの長編の時代小説です。

とても残念なことに、どうにも感情移入できないとしか言えない作品でした。

 

この作者の『風の市兵衛シリーズ』が、江戸時代を”経済”という新しい視点から見ていながらも、主人公の設定が非常に小気味よくて好みの物語だったので、この作者のほかの作品もずっと追いかけてきました。

近年の『介錯人別所龍玄始末シリーズ』なども若干マンネリ感のあった 辻堂魁という作者の時代小説に新しい印象をもたらしてくれていたと思っていたのです。

しかし、『風の市兵衛シリーズ』の魅力的な脇役であった「鬼しぶ」こと渋井喜三次を主人公とする本書は、期待値が高かったこともあってか、残念な読後感となってしまいました。

 

そもそも辻堂魁という作家の作品は、丁寧な情景描写と人情噺的物語展開が一つの魅力ではあったのですが、それも近年ではしばしば悪い意味で通俗的な人情ものへと堕してしまいがちな印象がありました。

その上で、当初は丁寧な描写という印象であったはずのこの作者の緻密な描写が、この頃は過剰な状況説明との印象に変わってきたのです。

そして、さらには台詞回しも説明的に感じるようになっており、物語にもマンネリ感を感じるようになってきていたのです。

 

本書などはまさにその典型であって状況説明はもう少し簡潔にしてほしいと思ってしまいましたし、台詞回しも同様に説明的でした。

また、捕物帳としても今一つでしたし、何より、主役の渋井喜三次にあまり魅力を感じられなかったのです。

 

近年の時代小説作家としてとても好みの作家さんであっただけに、本書の印象はかなり残念でした。

本書がシリーズ化されるかは分かりませんが、多分もう読まないのではないかと思われます。

それほどに、魅力を感じない作品でした。残念です。

志記(一) 遠い夜明け

志記(一) 遠い夜明け』とは

本書『志記(一) 遠い夜明け』は『志記シリーズ』の第一弾で、2025年10月に角川春樹事務所から320頁の文庫本書下ろしとして出版された長編の時代小説です。

これまで料理、商売と続いて、今度は医療の分野を舞台にした髙田郁の待望の新シリーズ作品で、期待に違わぬ面白さを持った作品でした。

志記(一) 遠い夜明け』の簡単なあらすじ

文化元年(一八〇四年)、如月。清明の日にふたりの女児が産声を上げる。
ひとりは蔵源美津。蔵源家は黒兼藩で代々藩医を勤める家系で、祖父の教随は秘密裡に腑分けを行い、父の恵明は藩医学校「青雲館」を担う立場であった。今ひとりは高越暁。備前刀を手掛ける刀鍛冶の一族で、祖母の高越剡は「女忠光」の異名を取っていた。長じて、美津は医学、暁は鍛刀を志すことになる。猪突猛進で焔にも似た美津、常に冷静で氷に喩えられる暁、女には困難とされる道を選んだふたりの人生が、十九の初夏、思いがけず江戸で交錯する。志を胸に人生を切り拓いていく者たちの群像劇、いよいよ開幕。(内容紹介(JPROより))

志記(一) 遠い夜明け』の感想

本書『志記(一) 遠い夜明け』は『志記シリーズ』の第一弾であって、髙田郁の待望の新シリーズ作品です。

これまで『みをつくし料理帖シリーズ』、『あきない世傳金と銀 シリーズ』と女性を主人公にした大人気シリーズを紡いでこられた著者が送り出す新しいシリーズであり、本書は主役を紹介する役割をになっているようです。

そんな第一弾作品ですが、髙田郁の作品らしい、淡々とした語り口でありながらも情感豊かに語るとても感情移入しやすい作品でした。

 

上記両シリーズと同様に本シリーズも主人公は女性であり、医療の世界を目指しています。これまでと異なるのは、二人目の主人公と思われる女性が刀鍛冶の世界を舞台として活躍する様子が描かれていることです。

本書の構成を見ると、まずは女性でありながら医者を目指す蔵源美津の祖父蔵源教随(「第一話 遠い夜明け ~祖父 教随~」)、そして美津の父親の恵明(「第二話 授けられた灯 ~父 恵明~」)の話が一話ずつで語られます。

その後、刀鍛冶になろうとする高越暁(「第三話 春の傷 ~暁~」)と蔵源美津(「第四話 高々と灯を掲げよ ~美津~」)とにそれぞれ一話ずつが割り振られているのです。

こうしてみると、医者にならんとする蔵源美津関連に三話が割り振られており、蔵源美津が主人公のようにも思えます。

しかし、二人の性格や今暮らしている環境などのほかに、医療と刀鍛冶というそれぞれの職場での女性の立場がどのように扱われているのかも語られています。

結局、刀鍛冶を目指す高越暁もまた主役としての位置にあるように思われ、この新しいシリーズは女性二人の物語になると思われるのです。

 

髙田郁という作家のストーリー展開は実にうまく、読み手を飽きさせないといつも思います。

物語のテンポが速く、主役の前に立ちふさがる難局の設定も、主人公がその難局を乗り越えるさまもスムーズです。

そうした読みやすさの中に、女性の置かれた低劣な地位が示されつつ、女性が持つ力量が正当に評価されていく姿が描かれていて、小気味よさも感じさせてくれています。

 

医療と刀鍛冶という新しい世界に挑戦する二人の女性の物語を髙田郁がどのように料理し、読ませてくれるか、楽しみに待ちたいと思います。

志記シリーズ

志記シリーズ』とは

本『志記シリーズ』は、髙田郁の『みをつくし料理帖シリーズ』、『あきない世傳 金と銀シリーズ』に続く新シリーズ作品です。

このシリーズでは二人の女性が登場し、それぞれに医療と刀鍛冶の世界を舞台として活躍する様子が描かれています。

志記シリーズ』の作品

志記シリーズ(2026年05月20日現在)

  1. 遠い夜明け

志記シリーズ』について

本『志記シリーズ』は、同じ髙田郁の手による『みをつくし料理帖シリーズ』、『あきない世傳金と銀 シリーズ』に続く、医療と刀鍛冶の世界を舞台とするシリーズ作品です。

本シリーズの主役は二人だと思われ、一人は蔵源美津(くらもとみつ)という医療の世界を目指す女性であり、もう一人は刀鍛冶を志す高越暁(たかこしぎょう)という女性です。

 

彼女らが目指す医療と刀鍛冶という世界は、共に女性は不浄な存在だ、として女性の参入を拒んできた職業です。

ただ、巻末にある「赤みみずく付記」によれば、江戸時代には医療の世界には女性が全くいなかったかと言えばそうでもないとありました。

当時は医師免許の制度もなく、誰でも医師を名乗れたため誰が「日本最初」と言えるかは微妙なのだそうです。

また刀鍛冶の世界でも江戸時代に一人だけ大月源という女性の刀工がいたそうで、その女性が本シリーズの高越暁の祖母である「高越剡(たかこしぜん)」のモデルとなった女性です。

 

本シリーズは、これらのなかなか女性の参入をみとめない業界で苦労をする二人の女性が描かれていくのだと思われます。

これまでも料理や商売の世界で高い壁に挑んできた女性を描いてきた髙田郁が、自ら「ライフワーク」と位置付けている作品だそうです( Book Bang : 参照 )。

これからしばらくは彼女らの活躍を楽しみにしていることができそうです。

 

ちなみに、本『志記シリーズ』の「志記」という言葉は著者髙田郁の造語だそうです。

現代の私たちの暮らしの礎となった先人たちの歩みが、たとえフィクションであっても誰かの記憶に残るようにとの作者の思いが込められているそうです。

星月夜 藩邸差配役日日控

星月夜 藩邸差配役日日控』とは

本書『星月夜 藩邸差配役日日控』は『藩邸差配役日日控シリーズ』の第二弾で、2026年3月に文藝春秋から232頁のハードカバーで刊行された、短編の時代小説集です。

前作の藩内の権力争いを中心に置いた物語とは異なり、本書はより藩邸内の藩士の日常に焦点が当てられています。

星月夜 藩邸差配役日日控』の簡単なあらすじ

神宮寺藩江戸藩邸でで里村五郎兵衛が務める差配役は、いわば総務部総務課のようななんでも屋。「誰もやらぬ…いや、できぬお役」を果たすために、次女・澪の隠された出自や神宮寺藩の派閥争いの波紋を心にしまい、日々の務めに精を出す。家老の無骨な懐刀と御用絵師の関わりや、澪が小太刀の稽古をつけている奥女中が抱える思いなど、悩みや騒動が持ち込まれる日々。そして、家族が巻き込まれた収賄事件の真相が明らかに…。静謐な機微が心に迫る六篇。(「BOOK」データベースより)

目次

波と波
藩主が参勤交代で国元へと立つ日、江戸家老の大久保重右衛門の側近である波岡喜四郎が大久保から注意を受けていた。普段きちんとしている波岡にしては珍しいと思っていると、波岡の周囲で常ならぬことが重なっていることに気づく五郎兵衛だった。

揺れる槌
神宮司藩の江戸藩邸では、近ごろ藩邸全体の縁側を張り替える工事の槌の音が絶え間なく続いていた。ところが、工事のまとめ役の源蔵親方の様子が変だと感じていた五郎兵衛のもとに、会いたいとの手紙が届くのだった。

梔子日和
五郎兵衛は、「梔子(くちなし)姫」などと呼ぶ者もいる神宮司藩江戸藩邸奥向き奥女中のお玉と顔を合わせる機会に、何かと話したそうにしているのに気がついていた。しかし、言葉を交わすこともなく時が経つうちに、若君と話し込むお玉の姿を見かけるのだった。

碌々亭日乗
普段はやる気を見せることの少ない安西主税は近ごろ文句めいたことを口にしなくなっていたが、今朝はあからさまに眉をひそめていた。聞いてみると、昨年隠居した父親の安西惣兵衛が、時おり家を空ける回数が増え、かえらぬ日まで出てきているというのだった。

小心者
前任者森井惣右衛門の失脚後その後を継いだ窪田は、おのれは不正をしていないことの確認のために、帳簿を改めてもらおうとする人だった。そうした小心と言わざるを得ない窪田について、「くぼたどの ごようじん」との投げ文がみつかった。

星月夜
亡き夫の河瀬新之丞が残した手控えに気になる箇所があると、長女の七緒の様子がどことなくおかしいと感じられてきた。同じころ、里村五郎兵衛のもとを訪ねてきたおあきの頼みで遠山俊次郎のもとを訪れて話をすると、少しなりとも眼に力が戻ってきた様子が見えるのだった。

星月夜 藩邸差配役日日控』の感想

本書『星月夜 藩邸差配役日日控』は『藩邸差配役日日控シリーズ』の第二弾であるとともに、このシリーズそのものが『神山藩シリーズ』を構成するシリーズでもあるという特徴があります。

その『神山藩シリーズ』としては、今(2026年5月)のところ本シリーズのほかに『黛家の兄弟』『霜月記』が出ています。

 

本シリーズの主人公の里村五郎兵衛の役職である江戸藩邸の差配役とは、いわば「総務部総務課」のような何でも屋だと紹介してあります。

この「差配役」という職務ですが、作者によると「江戸時代における総務部総務課として想定した架空の役目」だそうです( 本の話 : 参照 )。

そして、その職務については「藩邸の管理を中心に殿の身辺から襖障子の貼り替え、厨のことまで目をくばる要のお役」だと紹介してあります。

本書の帯に書かれている「なにも起こらないのは、起らぬようにしているおひとがいるから」だという言葉は、本書第二話揺れる槌での神宮寺藩江戸藩邸の仕事ではいつも何も起こらないという源蔵親方の言葉ですが、この物語の本筋には関係はないにしても、里村五郎兵衛の仕事にたいする評価としてこれ以上のものはないのかもしれません。

 

そうした雑務の一つとして言っていいものか、本書では何らかの出来事と共に五郎兵衛を中心とした藩邸内の人間関係が描かれているのです。

ここで主人公の里村五郎兵衛という存在を見ると、妻千代は澪の出生と入れ替わるようにして世を去っており、五郎兵衛は残された娘七緒と共に暮らしています。

前巻のシリーズ第一巻『藩邸差配役日日控』での、留守居役の岩本陣内が旗本の内膳正をかついで家老の大久保を追い落とし、藩主和泉守の病に乗じて跡目を狙った騒動は昨年の秋も遅くに留守居役の岩本陣内の失脚という形で決着を見ていました。

そして今、藩主和泉守正親の国元へ帰る参勤の行列を見送った場面から本書は始まります。

そして、なんとか騒動を乗り切った里村五郎兵衛の下には相変わらずに雑務が持ち込まれているのです。

 

その持ち込まれる雑務をこなす五郎兵衛の姿が描かれ、人情物語としての側面を見せるなか、娘の七緒の亡き夫の死に関し、新たな事実が判明するなど、ミステリアスな展開も用意されています。

その情感豊かな美しい文章に惹かれて読み進めていると、単に心地よいだけではない意外な状況が展開され、エンターテイメント作品としてもとても楽しませてくれるのです。

 

いつも同じことを書くことになりますが、著者の砂原浩太朗の美しい文章にのって主人公の里村五郎兵衛の人となりが知らず浮かび上がってくる作品集だといえます。

イクサガミ 神

イクサガミ 神』とは

本書『イクサガミ 神』は『イクサガミシリーズ』の第四弾で、2025年8月に480頁の講談社文庫として出版された、長編の痛快アクション時代小説です。

いよいよ東京へと入った蟲毒への参加者たちの最終的な戦いが描かれた、エンタメに徹した、面白さ満載の痛快アクション作品です。

イクサガミ 神』の簡単なあらすじ

最終決戦、開幕。
東京は瞬く間に地獄絵図に染まった。
血と慟哭にまみれる都心の一角で双葉は京八流の仇敵、幻刀斎に出くわしてしまった。
一方の愁二郎は当代最強の剣士と相まみえることにーー。
戦う者の矜持を懸けた「蠱毒」がとうとう終わる。
八人の化物と、少女一人。生き残るのは誰だ。【文庫書下ろし】(「BOOK」データベースより)

イクサガミ 神』の感想

本書『イクサガミ 神』は『イクサガミシリーズ』の第四弾で、最終目的地の東京へ入った九人が戦う面白さ満載のエンターテイメント作品です。

前作では嵯峨愁二郎たちの横浜での貫地谷無骨との戦いがとても印象的でした。

本作で東京に無事辿り着いたのは嵯峨愁二郎衣笠彩羽ギルバート・カペル・コールマン化野四蔵岡部幻刀斎柘植響陣カムイコチャ天明刀弥、そして香月双葉の九人です。

 

東京に入った九人は早々に監視者から六つの決まりを言い渡されます。

その一つは東京に辿り着いた九名は銘々に上野寛永寺黒門を目指す、というもので、嵯峨愁二郎は麹町の阪川牛乳搾取所の前、また双葉は銀座近くの南鍋町の風月堂前で降ろされるなど、皆ばらばらの地で開放されるのでした。

ところが愁二郎をはじめ皆、通りがかりの者たちから捕まえられそうになります。

彼ら九人は、その首に高額の賞金を懸けられたお尋ね者とされていたのでした。

 

本書でこのシリーズも終わりを告げることになりますが、最終巻らしく、シリーズの持つ様々な謎もきちんと明らかにされています。

また、謎と言っていいかはわかりませんが、香月双葉という少女がこの殺し合いの中で生き抜いていけた理由や、そもそも双葉がこの物語に登場した理由なども明らかにされていたのはうれしいことでした。

 

当然のことながらシリーズの魅力であるアクションも見どころ満載で展開されます。

そして、これまでシリーズの第二巻でその父親の仏生寺弥助との出来事が描かれ、シリーズ中でその剣の天秤を見せていた天明刀弥という化物も嵯峨愁二郎のまえにやっと現れ、戦いを見せてくれます。

この天明刀弥こそが最終巻の最終的な敵役と言ってもいいかもしれません。

 

化物と言えば、本シリーズの冒頭から京八流をつけ狙う化物として岡部幻刀斎がいました。

この岡部幻刀斎についてもその過去が明らかにされ、幻刀斎が京八流を狙う理由や、幻刀斎の人間離れした動きなどの秘密も解き明かされます。

そして、嵯峨愁二郎らの敵として残されているのはこの二人のはずですが、何故か仲間でいた柘植響陣と嵯峨愁二郎との戦いも重要な場面として描かれているのです。

ここらのことはぜひ原作を読んでもらうしかないでしょう。

 

そして何と言っても、このシリーズ最大の謎である蟲毒という殺し合いのゲームが仕掛けられた理由も詳細に語られています。

それも、当時の歴史的な事実を背景に、伊藤博文前島密といった実在の高名な人物たちが登場し、殺し合いの謎が明かされるのです。

 

本書のような伝奇小説の分野には、『柳生武芸町』などで知られる山田風太郎という独特な世界を構築された大作家がいます。

本書は、エンターテイメント小説としてその山田風太郎の作品の後継と言っても過言ではない物語設定と面白さに満ちた物語だと言えます。

 

ちなみに、俳優の岡田准一がプロデューサーと主演を兼ねて作成したネットフリックス版の『イクサガミ』も、大当たりしていると聞いています。

詳しくは下記を参照してください。

 

武家女人記

武家女人記』とは

本書『武家女人記』は、2025年12月に集英社から256頁のハードカバーで刊行された短編小説集です。

武家社会の女性を描いた七話の物語からなる短編集で、どの物語もこの作者の文章の美しさを思い知らされる作品でした。

武家女人記』の簡単なあらすじ

娘として、母として、妻として。そして、ひとりの女性として。江戸時代、さまざまな身の上を生きる武家の女人たちを、山本周五郎賞作家があざやかな筆致で描く傑作時代小説集。(「BOOK」データベースより)

目次

武家女人記』の感想

本書『武家女人記』は、砂原浩太朗という作家の文章の美しさを再認識させられた、七つの物語からなる短編集です。

武家社会で生きる様々な女性の姿を情感豊かに描き出しながら、武家社会という特殊な社会ではあっても、普遍的な印象が感じられる作品集です。

 

同時に読んでいた別の時代小説が若干好みとは異なる傾向の作品であっただけに特にそう思ったのかもしれませんが、この人の文章はなぜこんなに美しいのだろうと、あらためて思わされた作品でした。

例えば第一話「ぬばたま」で言うと、主人公の娘の心象が、自然をうまく取り込んだ情景描写とも相俟ってうまく表現されていて、同時に物語の運びもまた素直に流れ込んでくるのです。

その美しい文章に改めて感心させられたのだと思います。主人公の娘の心の揺らぎと同様に、ほとんど描かれることのない付き添いの若武者の心の動くまでもまた文章の背後に透けて見えるのです。

やはり好きだった青山文平を超え、今現在は私の中では一番の時代小説作家となっています。

 

第二話「背中合わせ」は、夫婦のありようを、というよりも、妻の心の揺らぎを端的に描き出した佳品というべきでしょうか。

なんとも頼りなげな夫のすがたではありますが、娘を見るその目の優しさや温かさが家族の日常を普通に描き出す中で明確に描写されていると感じるのは、この作者が好きな私のひいき目ということではないと思います。

 

第三話「嵐」は、武家の妻女の女としての側面を掘り起こした作品です。

この作品は武家社会を前提としていればこその物語ではなく、時の流れとは関係なく、またもしかしたら男女も関係のない、一人の人間としての過ちを描き出していると言えるのでしょう。

その話がこの作者のしっとりとした文章にのって描かれています。

 

第四話「緑雲の陰」は、子を為すことの出来なかった大名の奥方と国元の側室の子との話です。

外様大名の幕府への配慮と、小さいとはいえ大名の奥方という立場と、満千代という跡継ぎの母の国家老の娘のお袖という側室への配慮という、幾重にも制限された立場に置かれた倫(みち)でした。

私たちが享受している自由とはかけ離れた封建社会での暮らしの中で、自分の腹を痛めた子ではない跡継ぎとの微妙な関係を、細やかな筆致で描き出した佳品です。

 

第五話「深雪花」は、雪に魅せられた五百石取りの武家の、雪に魅せられた娘の物語です。

五百石の番頭である山岸家の一人娘の穂波は「雪」を見ることが好きでしたが、ある書物が雪の形が様々にあることを教えてくれてからは、自分で雪のかたちや成り立ちを突き止めてみたいと思うようになっていました。

しかし、自分は武家の娘であり、自分の望むような生き方ができるものでもありません。そこに、穂波の幼馴染の酒巻小四郎が色々と教えてくれるのでした。

 

第六話「縄綯い」は、貧乏足軽の沢井家の嫁に突然訪れた夫の事故死、その後の嫁の苦労の話です。

沢井家の嫁のたえは、残された息子と気難しい姑との生活を見なければなりません。そこで、姑が見つけてきた縄綯いの仕事をこなす様子を静謐な筆致で描き出す作品です。

単に貧乏というだけでなく、聞き分けのない子供と口だけ達者な姑との救いのない暮らしのなか、必死で生き抜こうとする女の姿がありますが、この手の話は好みではありませんでした。

 

第七話「あねおとうと」は、武家社会の中で必死に「家」を守ろうとする妹、そしてその兄の話です。

筆頭家老である息子と次席家老という立場にいる兄との間に立つことになった、筆頭家老の家に嫁した女の話です。

若干感傷にすぎるか、と感じるところもありましたが、お家が大事という武家社会の中で結局は「人」の思いこそ大事と見定めた主人公の思いは、現代社会に暮らす私たちだからこそ素直に受け取れるものなのでしょう。

対立する立場になった兄、妹の描き方も見事ですが、物語の展開もこの作品集の中では一番面白く感じた作品でもありました。

 

書評家の大矢博子氏は、本書のレビューの中で『特に武家の女性は、「こうあらねばならない」という極めて強い枠組み』の中で「悩み、動き、そして耐えるのである。」と書いておられます( Book Bang : 参照 )。

では現代社会の女性たちにそうした枠がないかと言えば、それはまた別の話になるのでしょう。

しかし、明確に存在したそうした「枠」の中で彼女らは生きたのであり、そういう姿をこの作者らしい文章で描き出した、私の琴線に触れる一冊でした。

白鷺立つ

白鷺立つ』とは

本書『白鷺立つ』は、第174回直木三十五賞の候補作となった2025年9月に文藝春秋から304頁のハードカバーで刊行された長編の歴史小説です。

この物語は第32回松本清張賞を受賞し、さらに第174回直木賞候補作ともなった作品であって、江戸時代後期の比叡山で起きた千日回峰行をめぐる僧たちの物語であり、その内容に圧倒されました。

白鷺立つ』の簡単なあらすじ

玉照院の師弟はやんごとなき秘密を抱えていた。天明飢饉の傷痕いまだ癒えぬ比叡山延暦寺に、失敗すれば死といわれる千日回峰行を成し遂げようとする二人の仏僧がいた。歴史に名を残すための闘いは、やがて業火となり叡山を飲み込んでいくー。異形の本格歴史小説。第32回松本清張賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

白鷺立つ』の感想

本書『白鷺立つ』は、寛政八年に比叡山で行なわれた千日回峰行から始まる二人の僧を中心とした愛憎の物語です。

舞台となっている比叡山延暦寺は、日本の天台宗の総本山であり、千日回峰行とは「比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の一つ」のことです( ウィキペディア(千日回峰行) : 参照 )。

作者住田祐の舞台背景の天台宗総本山である比叡山や千日回峰行という行事の描写は緻密であり人間描写も濃密であって、第32回松本清張賞を受賞し、第174回直木賞候補作になっています。

・歴代の大行満大阿闍梨については 「千日回峰行関連旧跡
・仏教・天台宗の教えについては 「仏教・天台宗の教え | 天台仏青連盟について
・「千日回峰行 (比叡山)」については 「千日回峰行 (比叡山)
をそれぞれ参照してください。

 

話は変わりますが、北嶺千日回峰行に関しては、私がまだ若いころに、千日回峰行を達成した方がいるというニュースが流れたことを記憶しています。

それが多分ではありますが、1980年(昭和55年)と1987年(昭和62年)との二回にわたり千日回峰行を達成された酒井雄哉師のことだったと思われます( 千日回峰行関連旧跡 : 参照 )。

叡山の山道を飛ぶように走っている人物を見たのはニュースだったか、NHKで放送されたというドキュメンタリー映像だったかは覚えていません。

ちなみに、比叡山の「北嶺千日回峰行」に対し、奈良・吉野の金峯山寺で行なわれる「大峯千日回峰行」という荒行があるそうです。詳しくは下記を参照してください。

小説でも、山崎豊子の『不毛地帯』の中でメインのストーリーではありませんが、主人公のかつての軍人仲間の一人が比叡山延暦寺での千日回峰行を行う印象的な場面がありました。

本書を読むまでは、私は千日回峰行とは千日をかけて比叡山を歩きとおす行だと思っていたのですが、全くの思い違いでした。

単に一日約30㎞の山道を1000日間歩きとおす、というだけでも過酷と思うのですが、本書を読むと、現実はそれ以上の過酷さがあることがよく分かります。

 

話を元に戻しますが、こう書いてくると千日回峰行という行そのものがテーマになっているようにも思えますが、そうではありません。

本書の恃照戒閻という二人の僧にとっては、回峰行は仏の道を究める手段であると同時に、二人が自分という存在を確認するため、また世間に対してその存在を主張するために行うものだと考えられるのです。

そこに千日回峰行という天台宗の行の過酷さを詳しく描き出すことにより、御仏に尽くし、万民の救済を願う僧たちの思いの強さを示しているようです。

 

主人公の恃照の師僧である玉照院憲雄は「天明三(1783)年に千日回峰行を満行し、記録上は十六人目の大行満大阿闍梨となった」とありますが、現実の記録によれば十六人目の大行満大阿闍梨は天明三年の玉照院「正憲」となっています。

つまり、憲雄なる僧は架空の存在であり、「正憲」なる実在した僧の存在を借りた人物像ということになります( 千日回峰行関連旧跡 : 参照 )。

もちろん、主人公の恃照及びその弟子の戒閻は虚構の存在だろうとは思っていたのですが、その師僧も架空の人物だったのです。

しかし、物語の展開上重要な位置にいる大行満大阿闍梨の正教坊聖諦や什善坊眞超、それに眞仁尊眞などの歴代の天台座主は実在の人物のようです。

と、俗な関心から登場人物の実在性を調べてみましたが、あまり意味はないことでしょう。大事なのは、現実の立場を踏み外さない範囲での物語の中での役割であり、その行いです。

 

ある壁を乗り越えて回峰行に挑んだ二人の姿を描いている本書は、久しぶりに作者と登場人物それぞれに生きる人間の熱量を感じた作品でもありました。

本書で語られる天台宗の行、回峰行とは別の過酷さは尋常ではなく、にもかかわらず登場する僧たちは、天台宗の最高位である座主に至るまで、俗な一般庶民とあまり変わりのない姿を持つ人間として描かれています。

ですが、その俗な姿こそが本書の魅力の一つにもなっているように感じます。主人公の恃照も、その弟子の戒閻に至ってはそのままに嫌味な人間の姿を体現しているのです。

その点がいいのか悪いのかはわかりませんが、プロの眼を通して高い評価を得ているのですからそれいいのでしょう。

 

先に書いたように、受賞こそなりませんでしたが本書は第174回直木賞の候補作になっています。

でも、第32回松本清張賞は受賞しているほどに評価の高い作品であり、実際に読んでみてそのことが実感として感じられた作品でもありました。

特に、本書が作家デビュー作品だというのですから驚きです。作者の筆力はとても新人の運びではないと感じられます。

見事な作品でした、というしかありません。

住田 祐

住田祐』のプロフィール

1983年、兵庫県生まれ。会社員。2025年、本作『白鷺立つ』で第32回松本清張賞を受賞しデビュー。

引用元:PR TIMES

住田祐』について

デビュー作である白鷺立つが第32回松本清張賞を受賞し、さらには第174回直木賞の候補作品にも選ばれています。

この白鷺立つという作品は、江戸後期の比叡山を舞台にした、天台宗の過酷な行である「千日回峰行」に挑む二人の僧侶を描く歴史小説です。

残念ながら直木賞を受賞することはかないませんでしたが、この作品の持つ熱い熱量はとてもデビュー作とは思えない物語であって、かなり惹きこまれて読んだ作品でした。