君を乗せる舟

伊三次の上司である定廻り同心の不破友之進の嫡男、龍之介もついに元服の年となった。同心見習い・不破龍之進として出仕し、朋輩たちと「八丁堀純情派」を結成、世を騒がせる「本所無頼派」の一掃に乗り出した。その最中に訪れた龍之進の淡い初恋の顛末を描いた表題作他全六篇を収録したシリーズ第六弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの六作目です。

 

妖刀」 伊三次は、不破から池之端・茅町で主に刀剣を扱う道具屋の「一風堂・越前屋」に持ち込まれた刀について調べるようにと言われていた。刀を持ち込んできた下男の奉公先は向島の寮であり、そこには六十がらみの女隠居が住まうというのだ。

小春日和」 悪の限りを尽くしていた元左官の六助という男の捕縛を助けてくれたのは、田口五太夫と名乗る男だった。この五太夫は病弱の兄のためにと家出中の身だったのだが、坂巻巴という女性に思いを寄せていた。そこに美雨との祝言を控えた乾監物が一肌脱ごうということになった。

八丁堀純情派」 不破龍之介の元服の儀が終わり、龍之介は龍之進となり、無足の見習いとして奉行所へと出仕することとなった。そこで待っていたのは、本所無頼派と名付けられた武家の次男、三男の集団だった。

おんころころ」 伊与太が疱瘡に罹り、伊三次もお文も付きっきりで世話をするが伊与太の熱が下がらない。そんな時、冬木町にある仕舞屋で怪談話が持ち上がっていた。入り込める隙はない筈なのに、紫色の小袖を着た娘が入っていくというのだ。

その道 行き止まり」 龍之進は、同じ同心見習いの古川喜六と共に本所見廻りをしながらも本所無頼派を調べようとしていた。そこで、無頼派の首謀者と目される薬師寺次郎衛が、かつて龍之進が通っていた私塾の師匠で死罪となった小泉翆湖の娘あぐりの元へ通っていることを知った。

君を乗せる舟」 本所無頼派の動向を調べていた龍之進は、あぐりに縁談が起きていることを知る。しかし、無頼派の首謀者と目される薬師寺次郎衛もまたあぐりに近寄ろうとしているのだった。

 

「妖刀」は、このシリーズには珍しく、オカルトチックな物語です。緑川平八郎が懇意にしている道具屋の「一風堂・越前屋」は怪談じみた話がやけに好きなのですが、その越前屋に件の刀が持ち込まれたのです。

「小春日和」は、どうしようもない人間である六助の話から始まったので、この物語も重い話かと思っていました。

しかし、逆に軽いユーモアを含んだ明るい話へと転換していきます。前半の六助の話は後半の話への対比のために描かれたのでしょうか。

「八丁堀純情派」は、問題の「本所無頼派」が同じ六人組であるところから、教育掛補佐の片岡監物が「八丁堀純情派」と名付けたものです。

見習組は、龍之進や元町人から養子に入り同心見習いとなった古川喜六、そして緑川の息子で鉈五郎となった直衛らの、青春記ともいえる一編になっています。

次の「おんころころ」もまたこのシリーズには珍しいオカルトチックな話です。

事件のきっかけが怪談めいているというだけではなく、伊三次自身の周りでも不思議なことが巻き起こります。親の子に対する愛の深さを感じさせる話です。

「その道 行き止まり」は、夜中に起きた火事から家族のことへと思いを馳せるようになった龍之進の話です。

あぐりと次郎衛のことを考えていた矢先、偶然出会った伊三次の弟子の九兵衛の言葉に意地を張り、入り込んでしまった行き止まりの小路が龍之進の状況をうまく現しています。

「君を乗せる舟」もまたあぐりのことで思い悩む龍之進の話で、龍之進の想いと物語の結末とが相まった哀しみに満ちた話です。龍之進の成長が垣間見える青春の一頁です。

 

本書では全六話中の半分、「八丁堀純情派」から以降の「おんころころ」を除いた三話が不破友之進の息子の龍之進の描写に軸足が移っています。それも父親のあとを継ぐべく同心見習いとなった龍之進の話です。

それはつまりは龍之進やその同僚らという若者たちの話であり、青春記です。竜之進の恋心や、将来に対する不安など、若者の心の動きをこまやかなタッチで描きだしてあります。

まさに伊三次を取り巻く人間模様として、さまざまな人々の状況を描きながら、江戸の人情話が展開されています。

やはり、再読ではあっても次を早く読みたいという気にさせられる物語です。

紫紺のつばめ

材木商伊勢屋忠兵衛からの度重なる申し出に心揺れる、深川芸者のお文。一方、本業の髪結いの傍ら同心の小者を務める伊三次は、頻発する幼女殺しに忙殺され、二人の心の隙間は広がってゆく…。別れ、裏切り、友の死、そして仇討ち。世の中の道理では割り切れない人の痛みを描く人気シリーズ、波瀾の第二弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの二作目です。

 

紫紺のつばめ」 お文は朋輩の芸者衆への対抗心から当代の伊勢屋忠兵衛からの援助の申し入れを受け入れることにした。しかし、事件探索中の不破友之進や伊三治と偶然出会い、そのことを伊三次に言う前に知られてしまう。

ひで」 伊三次は、大将と呼ばれるほどに絶対的な存在である大工の棟梁山屋丁兵衛の髪を結いに訪れたところ、丁兵衛の娘おみよと一緒になるために、修行中の板前見習をやめた幼馴染の日出吉と出会うのだった。

菜の花の戦ぐ岸辺」 大伝馬町の小間物問屋糸惣の隠居・惣兵衛が殺され、伊三次が下手人と疑われていた。惣兵衛が死ぬ前に伊三次の名前を残したというのだ。

鳥瞰図」 伊三次は不破友之進の妻いなみが姉菊乃の仇討ちを果たすべく、江戸へと出てきた日向伝佐衛門を討つ覚悟をしていると聞き、いなみの行動を止めようと走り回る。

摩利支天横丁の月」 桜の季節の頃から市中の娘が疾走する事件が続いていたが、ついにおみつの行方も分からなくなてしまう。

 

表題作の「紫紺のつばめ」のクライマックスでこぼれたお文の言葉は「あばえ・・・。」であり、読み手の胸に迫ります。

「ひで」は、惚れた女のために自分の仕事を辞めてまでも意に染まぬ仕事に移った男の哀しみに満ちた物語です。著者本人のあとがきによれば、この話は現代の実話をもとに著者がアレンジをした物語だそうです。

この物語の中で、もうすぐ一人前の板前になろうかという日出吉を全くの素人である大工の世界に引きずり込んだ棟梁の本音はどこにあるのでしょう。

この物語は深川八幡の例大祭の威勢のいい雰囲気を背景にしているだけ、哀しさも一段と深くなっています。そして、日出吉を通して、同時に意地の張り合いを見せている伊三次とお文との関係が浮かび上がっています。

「菜の花の戦ぐ岸辺」では、不破の信頼を失ったと感じた伊三次は不破友之進と喧嘩別れをしてしまいます。代わりにと言っては変ですがお文との仲が元に戻るのです。

よく考えるまでもなく、お文との喧嘩も不破との喧嘩も、伊三次の短気からきたものです。その時の相手の気持ちを推し量ることもなく、単に自分を見捨てたとの勝手な思い込みで自分から縁を切った伊三次でした。

「鳥瞰図」は、不破友之進の妻いなみの話ですが、物語としてちょっと気になる部分がありました。

日向伝佐衛門を討とうとするときのいなみの「不浄役人の妻に甘んじる暮しが何んの倖せでありましょう。」という言葉はどこから出てきたものでしょう。そうした言葉を吐いたいなみが昔の生活に戻れるものなのか、疑問なしとしないのです。

「摩利支天横丁の月」は、おみつの行方不明という事件から、武家社会の歪んだ構造が示され、と同時におみつを想う下っ匹の心情が示されていて、どこかほっこりとする話になっています。

この話では同心の緑川の存在感が増しています。というよりも、伊三次という小者と不破、緑川という同心との書き分けのうまさが光っているのでしょう。

侍と町人、その身分の差は歴然としていて、いくら信頼関係で結ばれていてもその間には深い溝があります。その溝を埋めるものが何なのか、このシリーズを通して探しているようです。

 

作者自身の「あとがき」によれば、本書(あとがきには「このシリーズの」とあります)のねらいは「変化」にあるそうです。

伊三次とお文の別れがあり、伊三次の幼馴染の死、伊三次自身への殺人の嫌疑、いなみの敵討ち、おみつと弥八の恋と忙しい内容だというのです。

たしかにそうですが、伊三次とお文の関係は、不破や緑川、その他二人の周りの人たちの生活と共に変化しています。それは江戸時代も現代も同様で、土の時代も市井の人々の暮らしはたゆむことなく続いているのです。

大名絵師写楽

天才絵師「写楽」を売り出す―。それは知られざる“絵師”を中心にした空前のプロデュースだった。関わる者をわずかにとどめ、世間を欺く大仕掛け。正体不明の絵師は、噂が噂を呼んで大評判に。だが、気づいた者がいた…。思わぬ窮地に陥った仕掛人は、まさかの“禁じ手”を打つ。写楽は、なぜ謎のまま姿を消したのか。それが「写楽事件」を解く鍵だ―。傑作時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

その実像が分かっていない江戸時代の謎の浮世絵師・東洲斎写楽の正体を明かす、長編の時代小説です。

物語としてみるとき、感情移入して惹き込まれるとまではいきませんでした。

 

松平定信の寛政の改革により、板元としての耕書堂は刊行本の発禁処分を受け、主の蔦屋重三郎は重過料を受けていた。

そこで蔦屋重三郎は、出羽国久保田藩佐竹家留守居役筆頭であり、筆名を朋誠堂喜三次という戯作者でもある狂歌仲間の平沢常富から渡された祭りで踊り狂う男の絵をみて、錦絵を書かせようと思い立つ。

その絵師は描くことができないという平沢の言葉はあったものの、重三郎は絵師の正体を突き止め、結局は東洲斎写楽という架空の人物を作り上げ、大首絵を描かせることになった。

 

写楽と言えば、北斎や広重と並ぶ浮世絵の大家ですが、その人物については何もわかっていません。

写楽の物語としては 宇江佐真理の『寂しい写楽』という作品があります。

この作品は、現在の通説とも言える「斎藤十郎兵衛」説をもとに、板元である蔦屋重三郎を中心に、山東京伝や葛飾北斎、十返舎一九らを周りに据えて「写楽」を描き出した物語です。

本書『大名絵師写楽』でも、この阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛こそが写楽である、という説の存在を認めています。

その上で、写楽の正体がそのような推測になる理由を本書冒頭に持ってきており、だがしかし、と作者野口卓という作家のまでも物語の中で解消しています。

 
 

 

他に島田荘司が著した『写楽 閉じた国の幻』や泡坂妻夫の『写楽百面相』などもあるそうですが私は共に未読です。

 

 

先に、本書に感情移入できなかったと書きました。

それは、本書『大名絵師写楽』を一編の物語としてみた場合、物語として起伏のあるストーリが展開されているとは言い難く感情移入できなかったものと思われます。

確かに、本書は当時の資料をかなり読み込み書かれた作品であることは分かります。その上で野口卓という作家の腕があるのですから面白くないわけではありません。

しかしながら、野口卓という作家の知識人としての側面が勝った作品だと思うのです。

当時の時代背景、芝居小屋や錦絵に対する幕府の取り締まりなどについての説明がかなり詳しく述べられていて、そちらの方に重点が置かれている印象を受けてしまいました。

本書『大名絵師写楽』の野口卓は、『軍鶏侍シリーズ』の野口卓、ではなく、『ご隠居さんシリーズ』の野口卓なのです。

 

 

以上の次第で本書は読み終えるのにかなりの時間を費やしてしまいました。途中で他の面白そうな本があれば本書は後回しとなり、結局は半年以上が経ってしまっていました。

ストーリー展開ではなく、写楽の正体というミステリー色を帯びた時代小説という認識で読めば、そうした知識欲を満たすことが好きな方にはいいかもしれません。

黒く塗れ

お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、回向院の富突きに賭けてみる。お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、人気シリーズ第五弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの五作目です。

 

蓮華往生」 隠密廻り同心の緑川平八郎は、浅草寺近くの天啓寺の大蓮華の台座で信者が息絶えることが頻発している事件を調べることになった。平八郎の妻てやの天啓寺通いや、平八郎の幼なじみでお文の先輩芸者の喜久壽のこともあり、心配をしていた。

畏れ入谷の」 馬喰町にある郡代屋敷の手代・高木茂助は、日々酒におぼれ周りに迷惑をかけるものの、郡代屋敷の者はかまうなというばかりだった。お文は最後の座敷の客がその高木茂助だったために、茂助の酒の事情を聞くことになる。

夢おぼろ」 男勝りの剣の腕を持つ吟味方与力片岡郁馬の娘美雨は、縁談を断っているという。ところが、伊三次は両国の回向院で富くじを買う折にその縁談の相手である乾監物と出会い、その人柄の良さを知るのだった。

月に霞はどでごんす」 昨年、浅草で履物屋の十歳ほどの息子が侍に斬り殺されたものの、犯人には何のお咎めもなかった。その後、その侍は惨殺され、件の履物屋が人を使って仇討ちしたとの噂になった。

黒く塗れ」 伊三次は「畏れ入谷の」の話で緑川の捕物の手伝いもした箸屋の翁屋八兵衛から相談を受けた。八兵衛の妻のおつなが店の金を持ち出しているらしいというのだった。

慈雨」 松浦桂庵の母親の美佐が行方不明になり、数日して帰ってきた。美佐の頼みで、美佐を助けてくれた棒手振りの花屋に礼を言いに行くと、以前伊三次がお佐和という娘と別れさせた当の元掏摸の直次郎だった。

 

伊三次とお文の間には一人目の子が、不破家には龍之介に次いで二人目の子が生まれ、それぞれの家庭の姿が描かれます。

とくに、不破家の龍之介の成長が印象的な本編です。

 

「蓮華往生」は、天啓寺の不正という一件よりも、てやと喜久壽という女の立場の違いを描き出した一編でした。

「畏れ入谷の」は、江戸時代という封建時代ならではの事情を背景に、夫婦相互の想いを記した一編です。

伊三次との子をお腹に抱えたお文と、二番目の子を産んだばかりのいなみ、そして、高木茂助とその妻という三組の夫婦のそれぞれのありようが心に沁みる一編で、龍之介が最後に叫んだ言葉が耳に残ります。

「夢おぼろ」はほのぼのとした話です。竜之介が思いのほかに成長している姿がありました。

「月に霞はどでごんす」は事件もさることながら、お文の初産の苦労、そして夫伊三次の所在なさが描かれています。お文の子は逆子であり、伊三次はもちろん、子が生まれたばかりの友之進も、そして緑川も喜久寿も、お文の身体を心配しています。

「黒く塗れ」はストーンズの名曲「黒く塗れ」からとったというタイトルだそうで、だとすればこの話はタイトルが先にありきだったのでしょうか。

と思ったら、著者本人の「あとがき」によれば、そもそもは矢沢永吉の「黒く塗りつぶせ」という楽曲のタイトルがあり、しかし小説のタイトルとしては「黒く塗れ」の方がふさわしいということで決めたそうです。

話自体は捕物帳としての色合いの方が濃い作品ですが、犯罪の手段や処理の仕方そのものが私の好みではない話でした。

「慈雨」は、浅草で掏摸をしていた直次郎という男が再び伊三次の前現れます。

直次郎という男は、本書の前の巻で登場する男らしいのですが、シリーズの順を飛ばして読むとこういうことになります。

でも、コロナ騒ぎでの図書館閉館による電子図書での再読ですので、それも仕方ありません。

麦屋町昼下がり

不伝流の俊才剣士・片桐敬助は、藩中随一とうたわれる剣の遣い手・弓削新次郎と、奇しき宿命の糸にむすばれ対峙する。男の闘いの一部始終を緊密な構成、乾いた抒情で鮮烈に描き出す表題秀作の他、円熟期をむかえたこの作家の名品を三篇。時代小説の芳醇・多彩な味わいはこれに尽きる、と評された話題の本。(「BOOK」データベースより)

 


 

侍の生きざまを描いた四編の短編小説が収められた時代小説集です。

 

麦屋町昼下がり」 片桐敬助は抜き身の刀を持って追いかけていた男を斬り、追われていた女を助けた。しかし、その女は変人と名高い弓削新八郎の妻女であり、斬った男は新八郎の父親だというのだった。

三ノ丸広場下城どき」 無外流の遣い手であった粒来重兵衛は守屋市之進から頼まれた密使の護衛の仕事をしくじった。ただ、調べてみると守屋市之進は次席家老の臼井内蔵助とつながっていたのだった。

山姥橋夜五ツ」 塚本半之丞が腹を切った。遺書には先代藩主の死は謀殺によると書いてあった。一方柘植孫四郎の俊吾が道場で無用の争いをすると聞かされた。原因は孫四郎が妻の瑞江を離縁したことにありそうだった。

榎屋敷宵の春月」 夫である寺井織之助の執政入りを願う田鶴だったが、金銭に余裕のない寺井家は一歩遅れを取っていた。その帰り、家の前で斬り合いが行われていた。

 

本書は、藤沢作品の中でも評価の高い『三屋清左衛門残日録』と同じく1989年に出版された作品であり、先に本ブログでアップした1991年出版の『玄鳥』などと同様に円熟期の藤沢周平作品です。

 

 

また本書は藤沢周平の武家ものの舞台として高名な「海坂藩」を舞台とした作品だとされています。明記はされていないものの、登場する町の名前などからそう推測されているようです。

全部で四編という収録作品の数でもよくわかるように、短編というには少々長いともいえる作品群ですが、まったくその長さを感じさせないだけの魅力を持った作品集でもあります。

 

いくつかのブログには本書の構成の仕掛けを明かしてありました。

それは本書の「場所」と「時刻」というタイトルにあり、それも「昼下がり(正午)・下城どき(午後四時)・夜五ツ(午後八時)・宵(午後十時)」と進んでいるというものです。

言われてみればそうであって、丁寧に読み込んでいる人には当たり前のことかもしれませんが、私のように気付いていない人が多いのではないでしょうか。

 

「麦屋町昼下がり」は、剣の遣い手の片桐敬助が、更なる遣い手で奇人として通っている男との立ち合いのために研鑽を積み戦いに臨む、というまさにエンターテイメントの世界が展開されます。

それを藤沢周平の筆が描き出すのですから、面白くないわけがありません。

 

「三ノ丸広場下城どき」は、かつて剣名を馳せていたものの、自堕落な生活のために命じられた仕事を失敗した男が再起を図る話です。この話もまたエンタメ性に富んでいます。

この男、粒来重兵衛と、男やもめの重兵衛の家の手伝いに来ている重兵衛の遠縁の女の茂登との行く末もまた読者の関心をひきつけます。

 

「山姥橋夜五ツ」は、先代藩主の事件に絡んだ新たな出来事が起き、それが主人公柘植孫四郎の過去の不始末、妻の離縁などへと連なり、一気に解決する大団円の話になっています。

この物語でもまた塚本半之丞の自裁というメインの話の傍らで語られる、孫四郎と不義のうわさのために離縁された孫四郎の妻瑞江とのサブストーリーがこの物語に妙味を加えています。

 

「榎屋敷宵の春月」は、田鶴という女性が主人公です。

俗物である夫とは違い、田鶴は藩内の不正を見ないふりもできず、ましてや紛争に巻き込まれて落命した家人のためにも黙っていることもできません。

そのため、小太刀の腕を振るう田鶴は見事ですが、その後の夫との生活はどうなるのだろうか、と妙にそちらの方が気になりました。

 

どの作品も軽いユーモアを含んでおり、初期の藤沢周平の作品からは考えられない変化だと言えます。

しかしながら、情感あふれる自然描写は相変わらずに、いえ以前以上に魅せる描写になっています。

剣戟の場面に至っては、立ち合いの一挙手一投足が丁寧に描写され、剣の軌跡が簡単に思い受け部ることができるほどです。

 

どの作品もエンターテイメント作品としての面白さを十分に備えています。

先述したように、さすがに藤沢周平の円熟期に書かれた作品群であり、文章も、もちろんストーリーも読みごたえ十分の一冊でした。

幻の声

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの一作目です。

 

幻の声」 廻り髪結いをしている伊三次は、北町奉行定廻り同心の不破友之進の小者として、日本橋で起きたとある呉服屋の娘が誘拐された事件について調べていた。犯人は捕まったものの、自分が犯人だと名乗り出てきた駒吉という女について調べていたのだった。

暁の雲」 お文が以前世話になっていた伊勢屋忠兵衛の二代目が自分もお文の世話をしたいと言ってきた。そうした中、おなみが魚花の亭主が亡くなったという知らせを持ってきた。魚花のお内儀はおすみといい、お文の先輩芸者だったのだ。

赤い闇」 北町奉行所例繰方同心で不破友之進の隣人である村雨弥十郎は、このところの失火騒ぎが続いていることもあり、妻の火事見物に心を痛めていた。そこで友之進に妻の監視を頼むのだった。

備後表」 伊三次には喜八という畳屋の幼馴染がいた。喜八の母親はおせいといい伊三次の母親代わりともいうべき人だった。おせいは、備後表と呼ばれる畳表を編んでいたが、死ぬまでに自分の編んだ畳表がどんなふうに使われているのかを見たい、というのだった。

星の降る夜」 伊三次はやっと貯めた三十両という金を、大みそかの夜に盗まれた。自分の床を持ち、おぶんを嫁に迎えるための金だった。そのことを岡っ引きの留蔵にいうと、心当たりがありそうだった。

 

コロナ騒ぎで図書館が閉鎖されているなか、電子図書だけは借りることができましたので、読書メモも残していない昔に読んだ本書を読んでみました。

結論から言うと、やはり私個人としては紙の本がいいということです。検索出来たり、場所を取らなかったり、電子図書の長所はよくわかります。

それでもなお、紙の手触りと共にある読書に慣れているからでしょうか、紙の本を懐かしく思い起こしながらの読書となりました。

とはいえ、思ったよりも楽に読むことが来たのも事実であり、これからの読書はデジタル版も読むことを考えた方がいいかもしれないとは思った次第です。

 

本書は、宇江佐真理の新しいシリーズである『髪結い伊三次捕物余話』の登場人物紹介を兼ねた作品です。伊三次、お文、不破友之進という三人の関係を端的に表しています。

第一話目「幻の声」は、伊三次を中心とした話です。

ある誘拐事件の犯人だと名乗りを上げてきた女の心の裡を伊三次が明らかにする過程で、伊三次と文吉ことおぶんや、不破友之進との関係が描かれていきます。

次の「暁の雲」はおぶんです。お文と先代や当代の伊勢屋忠兵衛との関係を明らかにしながら、お文の先輩芸者とのやり取りの中、深川芸者の中でも気の強さで取っているお文の現在が語れます。

「赤い闇」は、不破友之進といなみをはじめとするその家族の姿が描かれます。とくに、いなみが抱える過去は波乱に満ちており、その過去をも飲み込んだ友之進との夫婦仲があります。一方、隣家の村雨家という不破家とは異なる事情を抱えた家族の姿もありました。

その次の「備後表」という話は、これぞ人情物語の典型ともいうべき心温まる物語です。王道すぎて、できすぎた話と言われかねないほどです。それでも私はこういう話が大好きだし、弱いのです。

最後の「星の降る夜」は、肝心なところで偶然の出会いがあり、そのことによって窃盗事件が終結に向かうという点で不満は残ります。

しかし、それでも伊三次を取り巻く人たちの心映えの温かさが感じられる、一息つける好編でした。

玄鳥

無外流の剣士として高名だった亡父から秘伝を受けついだ路は、上意討ちに失敗して周囲から「役立たず」と嘲笑され、左遷された曾根兵六にその秘伝を教えようとする。武家の娘の淡い恋心をかえらぬ燕に託して描いた表題作をはじめ、身の不運をかこつ下級武士の心を見事にとらえた「浦島」など珠玉の五篇を収録。

 


 

藤沢周平という作家の油の乗り切った時期に書かれた、さまざまな侍の生きざまを描いた短編小説を集めた時代小説集です。

 

玄鳥」 曾根兵六は路の父親の秘蔵弟子であり非凡な剣才を示していたが、悲惨な滑稽さというべき粗忽ものだった。その兵六が上意討ちの旅に出て、一人は落命し一人は深手を負ったものの、兵六自身は無傷で帰ってきたのだった。

三月の鮠」 窪井信次郎は、父親である窪井外記の政敵である岩上勘左衛門の息子との立ち合いに敗れて以来、卑屈な毎日を送っていた。そうした折に出先で会ったのが巫女の葉津という娘だった。

闇討ち」 清成権兵衛は家老の迫間甚之助を闇討ちしようとして失敗し、殺されてしまう。権兵衛と同じ隠居で飲み仲間の興津三左衛門と植田与十郎は、失敗した時には骨を拾ってくれとの権兵衛の頼みを聞き入れ、この闇討ちの真相を探るのだった。

鷦鷯」 普請組の横山新左衛門は、小頭の畑谷甚太夫が狂い妻を殺害し家に立て籠もったところに、討手として現れたのが石塚孫四郎であることに気付いた。孫四郎は、新左衛門の娘の品を嫁に貰いたいと言ってきた金貸しの石塚平助の息子であった。

浦島」 御手洗孫六は、酒の上での失敗のために普請組に落とされたもののその身を楽しみ暮らしていた。ところがある日その失敗の嫌疑が晴れたとのお達しがあり、元の勘定方へと戻ることとなった。

 

本書を読んで、あらためて藤沢周平という作家の凄みを感じました。

全体として、初期の作品にみられる哀しさ、暗さはほとんど見られず、人生の哀しさはあってもそこにはユーモアに包まれた文章のせいもあって、決して暗くはない未来の姿があります。

 

「玄鳥」は、おかしみと哀しさが同居する侍と、謹厳な夫に仕える路という女性との、ユーモアの中にも緊張感をたたえたやり取りが描かれています。

取り壊されるツバメの巣に示される路の過去への決別など、読み手の心に迫る好編です。

藤沢周平という作家について解説の中野孝次氏は、情理を尽くして描かれている北国の自然や人々の哀歓故ではなく、「人間の心の動きの急所を鮮やかにとらえてい」るからこそ読み手の心をとらえると書いておられます。

この点は「三月の鮠」のラストシーンも同様で、「同じようにして読む者の胸に哀切の想いをよび起さずにおかない。」と書かれています。

「闇討ち」については、既に隠居の身である三人が、いかにかつては大迫道場の三羽烏と呼ばれていたとしても、再び剣を取って戦えるものか、若干の疑問はあります。

しかし、それでもなお年寄りが活躍する物語は気持ちのいいものだし、その姿を軽いユーモアを絡めて見せる藤沢周平の文章が見事です。

「鷦鷯」もユーモアに包まれながら小気味いいテンポで進む読みやすい物語です。

話自体はよくあるパターンと言えるかもしれませんが、実直な新左衛門の描き方が、藤沢周平という作家の筆のうまさで生き生きとしています。

「浦島」は、剣の腕は立つものの、酒が入ると他のものは見えなくなってしまう欠点のある侍の、しかし傍から見ればどうしようもない男の哀歌をユーモラスに描いた一編。

 

本書『玄鳥』は1991年に出版されています。

1973年に出版され、第69回直木賞を受賞した『暗殺の年輪』に収められているデビュー作の「溟い海」の発表が1971年です。

 

 

そして、名作『たそがれ清兵衛』が1988年、『三屋清左衛門残日録』が1989年ですから、1991年に出版された本書『玄鳥』は脂の乗り切った時期の作品だと言えます。

 

 

そうしてみると、第一話目の「玄鳥」に見る、曽根兵六に口伝を終えた路がいて、夫の言葉に従い燕の巣を取り壊すことの意味を自覚する路の描写の素晴らしさなどは当然だと言うべきなのでしょうか。

 

ともあれ、初期の救いがなく哀切感漂う作風から、ユーモアを交えた情感漂う作風へと変化した藤沢周平という作家の世界を味わうには最適の本の一冊というべきだと思います。

深川恋物語

大店のお嬢さんが、お仕着せの人生を捨て、真に愛する人と共に生きようとする姿が清清しい「下駄屋おけい」。互いを想う気持ちがすれ違っていく夫婦の、やりきれなさが胸に迫る「さびしい水音」。交錯する恋心に翻弄されていく男女四人の哀しみが描かれる「仙台堀」など、江戸・深川を舞台に繰りひろげられる、六つの切ない恋物語。第21回吉川英治文学新人賞受賞作。

 


 

1999年に出版された六編の短編が収められた人情時代小説集です。

第21回吉川英治文学新人賞を受賞した宇江佐真理という作家の面目躍如たる作品集で、読みごたえのある一冊でした。

宇江佐真理のデビュー作であり、『髪結い伊三次捕物余話シリーズ』の第一作『幻の声』が書かれたのが1995年ですから、本作品も宇江佐真理の初期作品と言ってもいいと思われます。

でありながらこの完成度ですから才能の素晴らしさは目を見張るものがあります。

 

 

下駄屋おけい」 太物屋「伊豆屋」の娘おけいは、幼馴染の巳之吉の住む下駄屋「下駄清」の彦七という職人の下駄が大好きだった。そのおけいに縁談が持ち上がり、彦七の下駄を新調することになった。

がたくり橋は渡らない」 花火職人の信次は、将来は所帯を持つ約束をしたおてるが、母親の薬代などがかさみとある隠居の世話になることを知った。おてるとともに死のうと心定めた信次だったが、おてるの隣に住む錺職の夫婦の世話になり、職人夫婦の話を聞くのだった。

凧、凧、揚がれ」 凧師の末松のところには正月が近づくと凧を作りに子供たちが集まっていた。その子らの中に次男の正次の奉公先の娘のおゆいがいた。そのうちにかつて凧作りに来ていた男勝りの娘であるおしゅんの祝儀に凧をあげることになる。

さびしい水音」 大工の佐吉の女房のお新は絵を描くことが大好きで、日がな一日絵筆を握っているほどだった。そのお新の絵が人気となり、佐吉の家はそれなりに裕福な生活ができるようになった。しかし、いつしか佐吉や佐吉の差に夫婦もその金をあてにするようになってしまうのだった。

仙台堀」 観物問屋「魚仙」の手代である久助は深川の料理屋「紀の川」に出入りしていた。引っ込み思案の久助は紀の川の娘おりつとの縁談を断り切れないでいた。一方魚仙の娘お葉はおりつの兄で紀の川の板前でもある与平に恋心を抱いていたのだが・・・。

狐拳」 深川芸者であった材木問屋信州屋の内儀のおりんは、先妻との間の長男の新助を跡取り息子として育ててきた。しかし、新助は小扇という芸者を嫁にしたいと言い出すのだった。

 

この四月の入院時にまとめて読んだ藤沢周平の初期作品群と比べると、作品自体の未来に向いた明るさがはっきりと示される作品が多いことに気付きます。

特に「下駄屋おけい」はそうで、おけいのこれからにどのような苦労が待っているものかは分かりませんが、明るい明日を思わせる気持ちのいい物語です。

また「がたくり橋は渡らない」もそうで、話自体は実に切ない物語であって明るい未来が待つ結末というわけにはいきませんが、それでも暗いばかりの話ではありません。こうした将来への希望を思わせる物語こそ宇江佐真理の真骨頂だと思えます。

とくに私が好きなのは「凧、凧、揚がれ」です。この話も切ない話ではありますが、青空にぐいぐいと昇っていく凧の姿が見え、嬉しそうなおしゅんの顔とおゆいの姿が浮かぶ好編です。

 

一方、優柔不断の久助と身体の弱いお葉、色男の与平とその妹おりつという登場人物のしがらみが胸を打つ「仙台堀」は短編で描くに少し話が複雑に過ぎました。

また、「狐拳」は物語としては面白いと思います。しかし、あまりにも話ができすぎていて感情移入しにくいと思ったのも事実です。

 

そして、人の幸せのあり様はさまざまであり、物質的な豊かさとは関係がないという「さびしい水音」は、個人的には宇江佐真理の物語としてはあまり出来が良いとは思えませんでした。

もちろん話の運びはうまいと思うのですが、物語自体は特別なものではありません。

ところが、解説を担当している阿刀田高氏によれば、この「さびしい水音」は「大切なものを賭けてストーリーを創っている凄みが漂っている」と書いておられ、高く評価されているのです。

その上、「仙台堀」も「狐拳」も悪くないと言われているのです。

こうした点を見ると、やはり私の読み方は単なる好みであり、作品としての質を見抜く力はまだまだのようです。

暁のひかり

壷振りの市蔵は、賭場の帰り、大川端で竹を杖に歩く稽古をする足の悪い少女に出会う。ひたむきな姿に、ふとかたぎの暮らしをとりもどしたいと思う市蔵だが、所詮、叶わぬ願いだった―。江戸の市井を舞台に、小さな願いに夢を見ながら、現実に破れていく男女の哀切な姿を描く初期の傑作短篇6篇を収録。

 


 

藤沢周平デビューから三年後の1976に出版された短編集であり、『暗殺の年輪』同様の藤沢周平という作家の初期の短編作品集です。

 

 

暁のひかり」 病で歩けない身でありながら必死に歩く練習をしようとする少女と知り合った壺振り師の市蔵だった。しかし市蔵はその少女の危険に祭司、自分の真の姿を見せてしまうのです。

馬五郎焼身」 娘を女房が目を離したすきの事故で失い、ほおずき長屋の嫌われ者となるほどにすさんでいた馬五郎の物語。

おふく」 女衒に売られていった幼馴染みのおふくを探していた造酒蔵は、木場の宗左の子分になり、恐喝の手伝いをする中、おなみという女と出会う。

穴熊」 惚れていた娘を探していた浅次郎は、隠れ淫売の操り主の赤六からその娘に似ていると紹介された女が気になり、その女のため、女の夫の侍にとある仕事を断つだわせることにした。

しぶとい連中」 身投げをしようといていた親子を助けた熊蔵は、その親子をひと晩泊めることになってしまい、さらに居ついてしまうのだった。

冬の潮」 事故で突然死んでしまった息子の芳太郎の嫁のおぬいを実家に戻すことにした市兵衛は、百両という金を持たせた。だが、その後、おぬいは水茶屋に出ているという話を聞くのだった。

 

暗殺の年輪』同様に救いの無い作品集だと言えますが、その一方『暗殺の年輪』ほどに暗くはない感じもします。

物語としては「しぶとい連中」を除いては哀しみに満ちた作品ばかりです。

自分の純な想いを伝えようとするも、その思いは伝わらず意図しない路へと踏み出すことになったり、思いとは異なる結果を招いたりした人たちの哀切漂う物語です。

そんな中で、「しぶとい連中」はこの頃の藤井沢作品にしては珍しく、ユーモアあふれた作品となっています。

こうした点が『暗殺の年輪』とは異なると言えるところでしょう。

暗殺の年輪

海坂藩士・葛西馨之介は周囲が向ける愍笑の眼をある時期から感じていた。18年前の父の横死と関係があるらしい。久しぶりに同門の貝沼金吾に誘われ屋敷へ行くと、待っていた藩重役から、中老暗殺を引き受けろと言われる―武士の非情な掟の世界を、端正な文体と緻密な構成で描いた直木賞受賞作と他4篇。

 

 

藤沢周平の初期の作品を集めた短編集で、「暗殺の年輪」は第69回直木賞を受賞しています。

 

本書末尾掲載の駒田信二氏の解説によれば、本書掲載の各作品は藤沢周平の文壇登場からの二年の間に書かれた作品が集められているそうです。

そして、本書掲載の各作品の受賞歴を見ると、1971年発表の「冥い海」が藤沢周平の文壇デビュー作であり、オール讀物新人賞を受賞するとともに1971年(昭和46年)上半期の直木賞候補作となっています。

さらに、「囮」が同年下半期の、また「黒い蠅」が翌1972年(昭和47年)下半期のそれぞれの直木賞候補作となっています。

そして、1973年(昭和48年)に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞するに至っているのです。

 

この人の作品は、特に初期の作品は本当に救いがないとしか言えません。物語は哀しみに満ちています。

本書はまさにそうした救いのない、哀切に満ちた作品ばかりが収められています。

歳をとってからの再読時には本書の凄みともいえる人間の描き方に惹かれた私ですが、最初にこの作者の作品に接したときには、その良さを感じ取れなかったものです。

その一番の理由はやはりその救いの無さの故でしょう。

 

人を殺して江戸にはいない筈の幼馴染の宗次郎に出会い、惹かれてしまう出戻りのおしのの姿を描く「黒い蠅」。

父の死に関係があるらしいまわりの冷たい目にさらされる葛西馨之助を描く「暗殺の年輪」。

好々爺然としている義父刈谷範兵衛の一番の理解者である嫁の美緒を描く「ただ一撃」。

広重の才能を目の当たりにした北斎の姿を描く「溟い海」。

下っぴきとしておふみという女の見張りをしていた彫り師の甲吉を描く「囮」。

 

どの物語も読後はやるせなさが漂いますが、年齢を経るにしたがって藤沢周平という作家の文章や物語の作り方のうまさの方に惹かれるようになったようです。

本書で描かれているやるせなさも、歳を取った今でも痛切に感じるものではあります。

しかし、そこに登場する人々の弱さやちょっとした躓きなどを通して描かれている、人間の営みの哀しみを直視できるようになったということでしょう。

 

視点を変えると、藤沢周平という作家について必ず言われる情景描写のうまさが、藤沢周平のデビュー当初から伺えることに驚かされます。

情景描写のうまさは登場人物の心象描写の一部ともなるものである以上、人間の描き方のうまさにも結び付くものであり、そこに惹かれるのです。

 

ただ、物語に救いがありません。藤沢作品に初めて触れる人に勧めるべき作品とは言えないと思います。

そうした人には赤穂義士の物語を絡めた用心棒ものである『用心棒日月抄』などはいいかもしれません。

 

 

その後の藤沢作品は、将来を見据えた救いであるとか、人生の機微に触れるような話の中に見える軽いユーモアなど、作品の幅、奥行きの深さが広まっているのはあらためて言うまでもありません。

とはいえ、本書の救いのない暗さもやはり藤沢作品なのです。