雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』とは

 

本書『雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』は、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第六巻の、文庫本で357頁の長編の痛快時代小説です。

シリーズの序盤での物語の主な流れである関前藩の財政再建への道筋が見えてきてなか、磐根の波乱に満ちた日常は続いていきます。

 

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』の簡単なあらすじ

 

夏を彩る大川の川開きを間近に控えた頃、深川六間堀の金兵衛長屋に住む浪人、坂崎磐音は日々の生計に追われていた。川開きの当日、両替商の今津屋から花火見物の納涼船の護衛を頼まれる。不逞の輩が出没するというのだが、思わぬ女難にも見舞われ…。春風駘蕩の如き磐音が許せぬ悪を斬る!痛快時代小説第六弾。(「BOOK」データベースより)

 

藩実収のおよそ五年分の借財がある豊後関前藩は、今津屋の助けを借りて関前藩の海産物を江戸で高値で卸し増収をはかるという財政再建に着手したところだった。

その道筋をつけた磐根は、今津屋吉右衛門とその妻お艶、艶の世話係のおこんと荷物持ちの小僧宮松の四人と共に大山詣でをすることになった。

旅の途中でならず者の駕籠かきや無頼の侍らの襲撃を退けた磐根だったが、艶の具合が悪くなってしまう。

お艶は数年前から体の不調を自覚していたはずであり、今回の大山詣でも自分の死を自覚したお艶の実家への里帰りをも兼ねた意思だったのだろうと思われた。

磐根がお艶を背負っての参拝を済ませた一行は思いもかけず伊勢原滞在が長引き、磐根とおこん、宮松は先に江戸へと帰るのだった。

そんな中、吉右衛門、お艶らが滞在する伊勢原宿子安村から便りが届いた。

 

雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』の感想

 

本書『雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』は、前巻で奈緒を追っての旅も終わり、日常を取り戻した磐根でした。

本書からは磐根がかつて仕えていた関前藩の財政再建という難題に藩の外から道筋をつける姿が描かれます。

ただ、そこでも今津屋の力を借りることとなり、磐根の今津屋との付き合いもより深くなっていくのでした。

 

痛快時代小説である本『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』では、物語の軸となる関前藩の財政再建と、今津屋に降りかかる災難や周りの人々の困りごとをともに助けながら、それでも力強く生きていく磐根の姿に惹かれるのです。

本書『雨降ノ山』では、今津屋夫婦の大山詣でに付き添いながら襲い掛かる暴漢を撃退する磐根の姿があります。

当然のことながら磐根の剣が暴漢を撃退し、今津屋一行を無事に送り届けるのです

このほかにも今津屋の両国川開きで仕立てる屋根船の護衛や、騙りの安五郎こと一蔵という無宿者を追って危ない目に逢いかける幸吉を助けたりと、あい変らずに忙しい磐根です。

 

本書『雨降ノ山 ─ 居眠り磐音江戸双紙 6』はこのように、シリーズを通しての出来事としての関前藩の財政再建と、各巻のなかの章単位で巻き起こる出来事という二本立ての出来事に対しての磐根の対応という定番の形で話は進みます。

シリーズものですから、こうした構成が基本となり、これまでも、そしてこれからも進んでいくことになります。

そうした中で新しい敵の存在が語られ、新規の魅力を持ったシリーズとして展開されていくことになるのです。

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』とは

 

本書『あきない世傳 金と銀 風待ち篇』は、『あきない世傳 金と銀シリーズ』の第十一巻の、文庫本で305頁の長編の時代小説です。

常に「買うての幸い、売っての幸せ」という言葉を胸に商いを続ける五鈴屋の皆の姿がある本シリーズですが、本書でもそれに応えるように大きな喜びが訪れます。

 

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』の簡単なあらすじ

 

湯上りの身拭いにすぎなかった「湯帷子」を、夕涼みや寛ぎ着としての「浴衣」にーそんな思いから売り出した五鈴屋の藍染め浴衣地は、江戸中の支持を集めた。店主の幸は「一時の流行りで終らせないためにはどうすべきか」を考え続ける。折しも宝暦十年、辰の年。かねてよりの予言通り、江戸の街を災禍が襲う。困難を極める状況の中で、「買うての幸い、売っての幸せ」を貫くため、幸のくだす決断とは何か。大海に出るために、風を信じて帆を上げる五鈴屋の主従と仲間たちの奮闘を描く、シリーズ第十一弾!!(「BOOK」データベースより)

 

五鈴屋江戸本店も開店丸八年を迎えることとなった。しかし、三河万歳に「末禄十年辰の年」という一節からきたものか、宝暦十年辰年の今年は災厄に見舞われるという噂が流れていた。

実際、数年前には麻疹禍に襲われた江戸の町を、その年の二月、後に「明石家火事」と呼ばれる神田明神下から出た火が江戸の町の多くを焼いてしまう。

幸いなことに五鈴屋は焼けなかったものの中村座、市村座などの芝居小屋も焼き尽くしてしまった。

江戸の町を普請の槌音が響く中、幸は、店が焼けた日本橋音羽屋が今度は太物にも手を出すという話を聞いた。

しかし、「生きていればこそ」争うこともできる、というお竹の言葉を胸に、幸は男女やの違いや身分の差を越えて木綿の橋を架けたいという願いを果たすためにある決意をするのだった。

 

あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』の感想

 

本書『あきない世傳 金と銀(十一) 風待ち篇』では、いつも以上に、商売の心得を掲げるの姿が大きく見えるようです。

それは、番頭であった治兵衛から教えられた富久の夫である二代目徳兵衛の口癖であったという「買うての幸い、売っての幸せ」という言葉であり、幸が商売を続けていくうえでの心得でもありました。

本書で語られる浅草太物仲間とのとある話も、この心得を念頭にした行動でしょう。

 

でも、見事なまでにお客のために正直に、という幸の思いをそのままに生きていくのはいいのですが、あまりに幸だけが正論すぎて周りがかすむような気がしないでもありません。

物語の中では確かに正義が勝つでしょうが現実はそううまくいくものか、という声が聞こえてきそうなのです。

しかし、逆を言えば現実が世知辛いからこそ、小説の中くらいは正論が正論として、正直者が馬鹿を見ない話があってもいいのではないかという気もします。

だからこそ、読者の多くが心地よさを感じ、痛快さ、爽快さをを覚え、そして幸の生き方に喝采を送ると思われるのです。

 

こうした心地よさは例えば『居眠り磐音(江戸双紙)シリーズ』のような痛快時代小説の爽快感にも似ていますが、それよりもどちらかというと『半沢直樹シリーズ』の痛快感に似ている気がします。

状況も時代も異なりますが、やはり正論が正論として認められ、正義が勝つ姿は気持ちのいいものです。

 

 

一方で、本『あきない世傳金と銀 シリーズ』のこの頃は幸の敵役として音羽屋忠兵衛が登場し、それも妹のが日本橋音羽屋の主として立ちふさがっています。

この結は幸の反対に姉の妨害、店の利益を優先する商売という、幸の対極的な商いの仕方をすることで幸の存在を際立たせています。

 

とにかく、宝暦の大火以降、何かと音羽屋の横やりが入るようになった陰には、音羽屋の太物商売への参入や、中村座の顔見世興業での二代目吉之丞の「娘道成寺」の演目が無くなることなど、音羽屋の横槍が入っていたのでした。

そうした難題を乗り越えての幸の行動が読者の心を打ちます。正義は勝つという王道を見せてくれるのです。

 

そして、今回もまた意外なラストに胸を打たれてしまいました。

高田郁というひとは物語の運び方がうまいとは思っていたのですが、今回は改めてそのうまさを感じるラストでした。

これでは続巻を読まずにはいられません。

龍天ノ門 ─ 居眠り磐音江戸双紙 5

龍天ノ門 ─ 居眠り磐音江戸双紙 5』とは

 

本書『龍天ノ門 ─ 居眠り磐音江戸双紙 5』は、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第五巻の、文庫本で361頁の長編の痛快時代小説です。

家族のために遊郭にその身を売った磐根の許嫁であった奈緒を追って江戸まで帰ってきた磐根の日常が始まりました。

 

龍天ノ門 ─ 居眠り磐音江戸双紙 5』の簡単なあらすじ

 

新玉の年を迎えた江戸深川六間堀、金兵衛長屋。相も変わらぬ浪人暮らしの磐音だが、正月早々、八百八町を震撼させる大事件に巻き込まれる。さらに生まれ故郷の豊後関前藩でも新たな問題が出来する。日溜まりでまどろむ猫の如き磐音の豪剣が砂塵を巻いて悪を斬る。著者渾身の書き下ろし痛快時代小説第五弾。(「BOOK」データベースより)

奈緒を追って長崎から江戸までの旅を終えた磐根にやっと日常が戻る。

それは関前藩の財政の建て直しであり、今津屋の手伝いであり、また南町奉行所与力の笹塚孫一の手伝いの日々だった。

まずは、関前藩のことは今津屋に関前藩の後ろ盾となってもらい、中居半蔵と共にあたらしく江戸家老となった福坂利高に関前藩の実情や江戸の町の暮らしを知ってもらうことだった。

笹塚の手伝いとしては、漆工芸商の加賀屋の家族など十五人が殺される事件があり、次に竹村武左衛門から頼まれた仕事は霜夜の鯛蔵という盗賊が絡んだ仕事となり、さらには武左衛門が仕事先から帰らないという事件が起こる。

共に南町の笹塚孫一の懐を潤すことになるが、今度は金兵衛長屋に新しく越してきたお兼という女が何かと問題を起こすのだった。

磐根故人のことでは、今では白鶴と呼ばれている奈緒が浮世絵として売り出され、そのことを知った関前藩江戸家老の福坂利高が藩の恥だとして吉原の白鶴の元へ行くと言い出すのだった。

 

龍天ノ門 ─ 居眠り磐音江戸双紙 5』の感想

 

本巻『龍天ノ門 ─ 居眠り磐音江戸双紙 5』では、再び笹塚孫一の手により金の匂いのする事件現場に駆り出される磐根の姿が描かれます。

同時に、借財に苦しむ磐根の故郷である豊後関前藩のために、紛争する磐根の姿もあります。

また、自ら苦界に身を落とした今では白鶴と呼ばれている吉原の奈緒を見守る磐根の姿もあるのです。

 

そういう意味では、大河小説である本『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の基本的なかたちに戻っているということができるかもしれません。

それは、主人公の立ち回りであり、恋物語であり、市井での暮らしの姿でもあり、その全てを普通に読ませてくれるのが本『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』であり、佐伯泰英作品でもあります。

痛快時代小説としての型をきちんと押さえ、読み手の心を離さない細かな仕掛けとストーリーは本書『龍天ノ門』でも生きています。

一夜の夢 照降町四季(四)

一夜の夢 照降町四季(四)』とは

 

本書『一夜の夢 照降町四季(四)』は、『照降町四季シリーズ』の第四弾で、文庫本で368頁という長さの長編の痛快人情時代小説です。

本書では佳乃の姿は脇へと追いやられ、照降町の復興の姿が描かれてはいるもののそれは背景でしかなく、結局は八頭司周五郎という浪人の痛快時代小説になっている物語です。

 

一夜の夢 照降町四季(四)』の簡単なあらすじ

 

派閥争いで命を落とした周五郎の兄。存続の危機に立たされた旧藩・豊前小倉藩から呼び出された周五郎は、照降町を去らなくてはならないのか。そして、佳乃との関係はー大火から九ケ月、新設された中村座で佳乃をモデルにした芝居の幕が開く。大入り満席の中には、意外な人の姿があった。勇気と感動の全四巻ついに完結!(「BOOK」データベースより)

 


 

八頭司周五郎は、二年数か月ぶりに、実家の八頭司家のある豊前小倉藩十五万石小笠原家の江戸藩邸を訪れた。兄裕太郎が何者かに殺されたというのだ。

周五郎は、当主を失った八頭司家の、そして豊前小倉藩の先行きを考えなければならず、兄の死は病死として処理される必要があった。

そこで当代藩主小笠原忠固の直用人鎮目勘兵衛に会い、兄裕太郎の死の真相を告げ、藩のためにも病死としての届け出を願い出た。

ところが、その足で藩主の忠固本人に会うこととなり、つまりは周五郎の藩内の内紛へのかかわりを余儀なくされることになるのだった。

 

一夜の夢 照降町四季(四)』の感想

 

前巻の『梅花下駄 照降町四季(三)』では、「佳乃が主人公の人情話というには無理がありそうな展開」と書いたのですが、本書『一夜の夢 照降町四季(四)』でもその言葉はそのままにあてはまりそうです。

というのも、本書冒頭早々に八頭司周五郎の兄八頭司裕太郎の死が告げられ、兄の死は小倉藩の内紛に巻き込まれての落命であったことが示されます。

そして、当然のごとく藩内抗争に巻き込まれる周五郎がいて、早晩照降町から消えなければならない定めが示唆されています。

その後、己丑の大火で焼失した照降町の復興の様子を挟みながら、結局は周五郎の活躍する姿が描かれることになります。

つまりは、佐伯泰英の他の『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』(または『居眠り磐音シリーズ』)や『酔いどれ小籐次シリーズ』などの痛快時代小説と同じく、市井に暮らす浪人が、かつて仕えていた藩内の抗争などに巻き込まれ、藩主に助力してその抗争を終わらせる、という定番の物語になってしまっているのです。

 

 

それは、せっかくの佐伯泰英の新しい試みと思えた本『照降町四季シリーズ』も従来の佐伯泰英の物語と同様であり、何ら変化はなかったという他ありません。

本『照降町四季シリーズ』は、当初こそ鼻緒挿げ職人の佳乃という女性を中心にした物語であり、若干の新鮮味を感じなくもありませんでした。

しかし、結局は八頭司周五郎という浪人の物語へと変化していき、それで終わったというほかない話だったと言うしかありません。

 

本書『一夜の夢 照降町四季(四)』でこの『照降町四季シリーズ』は終わることになるのですが、どうにも微妙なシリーズというしかないと思います。

星落ちて、なお

星落ちて、なお』とは

 

本書『星落ちて、なお』は、新刊書で321頁の一人の女性絵師を描いた長編小説です。

第165回直木賞を受賞した作品ですが、主人公の女絵師河鍋暁翠という人物を知らないこともあってか、今一つ没入できない物語でした。

 

星落ちて、なお』の簡単なあらすじ

 

明治22年、自ら「画鬼」と称した不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。暁斎の門下で、ずっと身のまわりの世話をしていた娘のとよ(暁翠)に対し、早くから養子に出され家を出た腹違いの兄・周三郎(暁雲)は、事あるごとに難癖をつける。絵の道に進まなかった弟の記六は、なにかと金を無心に来るような有様で、妹のきくは病弱で床に臥せる日々。また、「写真」と「洋画」の流行により、暁斎門下の描く絵にも時代の荒波が押し寄せていた。暁斎という巨星が墜ち、河鍋家と門弟のあいだで辛うじて保たれていた均衡が崩れつつあるなか、河鍋一門の行末は、とよの双肩にかかっていた。
 幕末から昭和という激動の時代を背景に、鬼才・河鍋暁斎という偉大な父の影に翻弄されながら、絵師として自らの道を模索し続けた女性の一代記。(内容紹介(出版社より))

 

星落ちて、なお』の感想

 

本書『星落ちて、なお』では、河鍋暁翠という女性絵師の人生の節目ごとの様子を描きだしています。

明治二十二年の春河鍋暁斎の死、明治二十九年の冬の八代目鹿島清兵衛の没落、明治三十九年の初夏のとよと高平常吉との結婚と、何らかの出来事に応じたとよとその周りの様子が描かれています。

そうした区切りごとでのとよの姿が、父親であり師である河鍋暁斎に対する尊敬とも畏敬ともつかない思いと、父暁斎と同じく絵のことしか考えない奔放な兄河鍋暁雲こと周三郎に対する複雑な感情とを交えて描き出されているのです。

 

女性絵師の物語というと、葛飾北斎の娘で東洋のレンブラントと呼ばれた葛飾応為を描いた朝井まかての『眩(くらら)』という作品を思い出します。

この物語は、北斎の娘で応猪ことお栄の絵師としての姿や、また女としての姿もまた生き生きと描かれている作品です。

そして、本書の中でも北斎と暁斎、応為と暁翆とを比べていますが、小説としてもどうしても本書『星落ちて、なお』と『眩(くらら)』とを比べてしまうのです。

 

 

本書『星落ちて、なお』では、父親の暁斎が死去したのちの主人公の暁翆こととよの姿から始まります。

主人公とよの父である暁斎は、八十歳を超えてもなお旺盛な画力を失わなかった北斎とは異なり、五十九歳という若さでこの世を去っています。

画鬼と呼ばれるほどに絵のことしか考えていなかった暁斎ですが、残された二十二歳のとよには異母兄の周三郎という新たな存在がおり、何かととよのことをけなし、雑用はすべてとよに押し付けてしまいます。

弟の記六もまた面倒なことからは逃げるしかなく、借金ばかりを増やすありさまです。妹のきくは病弱で何もできません。

結局は、暁斎の親友である真野八十吉や、鹿島清兵衛という大店の主の世話になるしかないとよでした。

 

本書『星落ちて、なお』に限らず、実在の人物の生涯を描く作品は多々あります。作家たちが本書のように実在の人物を描く意図は何だろう、と思っていました。

この点について作者の澤田瞳子は、「本の話」の中で、「絵に限らず、親子だから、家業だから、ということで逃れられないことは誰にも大なり小なりあって、とよの生きた人生は一面、我々全員が共有できる人生でもあります」と言っておられます。

だれしも人生では何らかの束縛から離れては生きていけないから、主人公の人生に読者自身の人生を重ね、そこで何らかの意義を見つけてほしい、とでも言うことでしょうか。

 

私が好むエンターテイメント小説の場合、読者に楽しんでもらいたいと思って書いているという作家の言葉を読んだことがあります。

では、本書のように文学性の高い作品はどうなのでしょう。芥川賞にノミネートされるような作品ではどうなのでしょう。

本書のような文学性の高い作品を読むと、いつもそうした疑問が浮かんできます。

 

そうした意味では本書は私の好みとは少し異なる作品でした。冒頭に述べた『眩(くらら)』という作品はかなり楽しく、葛飾応為の生き方を客観的に楽しんだ記憶があります。

しかし、本書の場合、詳細に情景が描写してあり、さらには人物なり時代なりの詳しい説明が為されています。

そうした差異が物語としての面白さ、私の好みにも影響しているのでしょう。

 

何といっても、本書『星落ちて、なお』は第165回直木賞を受賞した作品です。

作者の筆の力は確かに主人公の懊悩を浮かび上がらせ、物語として、文学作品として高い仕上がりになっています。

作者澤田瞳子はこれまで何度も直木賞の候補には上っていながらそれを逸してこられました。

今回やっとそれを受賞されたことになりますが、ただ、私の個人的な好みとは一致しなかったということです。

砂原 浩太朗

砂原浩太朗』のプロフィール

 

1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』『決戦!設楽原』『Story for you』(いずれも講談社)、また歴史コラム集『逆転の戦国史』(小学館)がある。引用元:著者の窓 第7回 砂原浩太朗

 

砂原浩太朗』について

 

2018年に刊行された『いのちがけ 加賀百万石の礎』に続いて、二作目となる『高瀬庄左衛門御留書』が第165回直木賞の候補作にえらばれました。

時代小説の新たな書き手として絶賛されている作家さんです。

高瀬庄左衛門御留書

高瀬庄左衛門御留書』とは

 

本書『高瀬庄左衛門御留書』は、新刊書で335頁の長編の時代小説で、第165回直木賞と第134回山本周五郎賞という両賞の候補作となった作品です。

近頃わたしが好みだと思った作家さんとして葉室麟、青山文平、野口卓の両氏がいますが、本書の作者砂原浩太朗氏もまたその中に入りそうな作家さんでした。

 

高瀬庄左衛門御留書』の簡単なあらすじ

 

神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。五十を前にして妻を亡くし、息子をも事故で失い、ただ倹しく老いてゆく身。息子の嫁・志穂とともに、手慰みに絵を描きながら、寂寥と悔恨の中に生きていた。しかしゆっくりと確実に、藩の政争の嵐が庄左衛門に襲いくる。人生の苦渋と生きる喜びを丁寧に描く、武家もの時代小説の新星、ここに誕生!(「BOOK」データベースより)

 

 

高瀬庄左衛門御留書』の感想

 

本書『高瀬庄左衛門御留書』は、既に息子にあとを継がせて好きな絵を描いて暮らす隠居の身の高瀬庄左衛門という男の物語です。

家督を譲って隠居しているという人物を描くという点では藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』のようであり、その佇まいはまた身分、立場は異なるものの、野口卓の『軍鶏侍シリーズ』の主人公、岩倉源太夫のようでもあります。

 

 

心に沁みる時代小説と言えば、とくに藤沢周平という作家が取り上げられることが多いようです。

それは、藤沢周平という作家の紡ぎ出す文章や作品の世界が持つ清々しさが、古き良き日本へと連なる美しさを醸し出すなどのことがあると思われます。

そして、葉室麟青山文平など落ち着いた文章を持つ時代小説の新たな書き手が現れるたび、藤沢周平の名が取りざたされるのです。

本書『高瀬庄左衛門御留書』の作者砂原浩太朗もまたそうであり、新人でありながら落ち着いたたたずまいの作風を持つこの作者は私の琴線に触れる作家さんでした。

 

作者の砂原浩太朗の文章は、読み始めはとくに何ということはない文章のように感じていました。

近いと思える青山文平と比べても、硬質で張り詰めた緊張感を持つ青山文平の文章と異なり、特に特徴が無いように思えたのです。

また、同時期に読んだために比べてしまった同じ第165回直木賞の候補作であった澤田瞳子の『星落ちて、なお』と比べても、実にあっさりと感じる文章でした。

星落ちて、なお』は詳細に情景が描写してあり、さらには人物なり時代なりの詳しい説明が為されています。

 

 

ところが本書『高瀬庄左衛門御留書』の場合、事前の背景描写がなされるだけで、人物の詳細な心象描写はあまりなく、描かれる場合もわずかであり、客観的な心象風景に委ねてあります。

でありながら、すぐにこの文章の静かで落ち着いた雰囲気になじみ、心に沁みるようになってきました。

どちらがいいとか悪いとかの話ではありません。単に自分の好みとして本書の文章の方が好みであるということだけです。

ただ、一言付け加えれば『星落ちて、なお』の方はそう遠くない過去に実在した人物を描いているのであり、史実を説明する必要があったということはあるかもしれません。

というのも、この作者の澤田瞳子の過去の作品の文体はもう少し説明的でなく、気楽に描かれていたように思うのです。

 

ともあれ、本書『高瀬庄左衛門御留書』は読み始めから惹き込まれました。そして、一気に読み終えてしまいました。

ストーリー自体は単純ではありません。というよりも複雑といった方がいいのかもしれません。

息子の死。実家へと帰った息子の嫁志穂の数日おきの来訪。息子に引き継いだ郡方の役務への復帰。一人の若侍の危難を救った主人公とその若侍の交流。藩内の抗争とその抗争に巻き込まれる主人公。

登場する人物も少なくはなく、人間関係を把握し覚えておくのも簡単ではありません。もう少し話を単純にし、登場人物の相関関係も簡略化できていればなどと思うこともありました。

しかし、それでもなお本書にひかれました。

 

その理由の一つとして、主人公高瀬庄左衛門の言葉に魅力が挙げられると思います。

本書終盤近くで、生前の息子と学業を争った青年に向かって言った言葉で、「人などと申すものは、しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるもの・・・均して平なら、それで上等」という文言があります。

この言葉など、そのままに私たちの普通の生活の中で意識し、救いとなる言葉でもあるでしょう。

 

また、本書『高瀬庄左衛門御留書』の中で、庄左衛門とかつて庄左衛門が思いを寄せたことのある芳乃という女性との会話の場面がありました。

庄左衛門が絵を描くようになった原因が、「じつはあの居室にこそ淵源があったのかもしれない。」などという庄左衛門の心の内と、その背景の自然の描き方がとても好ましく思えます。

こうした処理の仕方は藤沢周平青山文平といった作家にも通じる心地の良さを感じるのです。

この庄左衛門と芳乃の会話の場面では藤沢周平の『蝉しぐれ』の映画での、主人公牧文四郎役の市川染五郎とふく役の木村佳乃との年を経てからの会話の場面を思い出しました。

こうした印象は、著者砂原浩太朗自らが「藤沢教信者」といい、「自分にとって藤沢先生は特別な存在。藤沢作品は、小説のひとつの理想型ではないかと思っています」といわれているほどであり、あながちはずれでもないと思っています( 小説丸 : 参照 )。

 

だからといって本書『高瀬庄左衛門御留書』が手放しで面白い作品だったということでもありません。先に述べた単純ではないストーリーなどの他に、何となくの物語の浅さを感じるのです。

その理由もよく分からない、素人の私の単純な感想であり無責任という他ないのでしょうが、もう少し厚みを感じる物語を期待したいのです。

 

とはいえ、繰り返しますが冒頭から惹き込まれて作品であることは嘘ではなく、物語の世界に身を委ねる感覚になった作品は久しぶりでもありました。

まだデビュー二作目だという作者には過大な要求かもしれませんが、今後の作品が期待される作家さんです。

JAGAE 織田信長伝奇行

JAGAE 織田信長伝奇行』とは

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、著者自身のあとがきまで入れて新刊書で516頁にもなる長編の歴史小説です。

伝奇作家として高名な夢枕獏が夢枕獏なりの織田信長を描いた作品で、期待とは異なってはいたものの、それなりに面白い作品でした。

 

JAGAE 織田信長伝奇行』の簡単なあらすじ

 

河童、妖刀、大蛇、バテレンと法華、信玄の首……
現代伝奇の旗手が描く誰も知らなかった戦国覇王の顔!
その時、本能寺にいたのは誰だ?
著者渾身の歴史巨編!

『魔獣狩り』『神々の山嶺』『陰陽師』の創造主が描く、神になろうとした男!
“蛇替えーーつまり、蛇を捕らえるために、池の水を汲み出すことである。”
UMA(未確認動物)の探索者であり、合理主義者だった信長。対するは、あやかしの人、飛び加藤こと加藤段蔵。
「これで、おもしろいものにならなかったら、物語作家失格である。」(「内容紹介」出版社より)

 

JAGAE 織田信長伝奇行』の感想

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、作者があの夢枕獏であり、テーマが織田信長ということもあって、当然、信長を中心とした伝奇小説だと思っていました。

冒頭の三章は妖術師や河童、妖刀などの不思議な出来事を中心に超合理主義者の信長がその実態を暴くという話です。つまり本書は、章ごとに世の中の不思議を取り上げその実態を信長が暴いていく、という物語のようです。

しかし、次第にどうもそうではなさそうに思えてきました。帰蝶を嫁とし、義父である美濃の斎藤道三との対面の様子の描写などはまさに歴史小説そのものなのです。

ただ、本書序盤で描かれている信長は徹底した合理主義者であり、うつけと呼ばれるほどに身なりにかまわない存在であって、これまで言われてきた信長像と異なりません。

 

その点では、同じく信長を描いた垣根涼介の『信長の原理』という第160回直木賞の候補となった作品のほうが、「パレートの法則」と呼ばれている現象を通して組み立てられていて、より特徴的だったと思います。

 

 

しかしながら、冒頭から描かれる河童や妖刀についての信長の関りかたについての描き方はまさに夢枕獏の文章であり、超合理主義者である信長という人物の存在を際立たせています。

そうした合理主義者信長を際立たせるという描き方自体はいかにも夢枕獏の描写であり、作品らしいということはできると思います。

また、『信長公記』やフロイスの『日本史』などの資料を随所で引用し、史実を際立たせてながら、信長の極端な性格を浮き彫りにする手法も上手いものだと思います。

 

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』の序盤をこのようにみると、冒頭で飛び加藤こと加藤段蔵という忍びのエピソードを持ってきているのはそれなりの意味があると思えて来ました。

まず、幼い信長と飛び加藤との邂逅から始め、信長の人生の節目に飛び加藤を関わらせることで、超合理主義者で現実的な信長と、その対極である不思議の頂点にいる「妖物」の飛び加藤とのかかわりを描きたかったのだろうと思うようになりました。

その観点から本書を見てみると、序盤の木下藤吉郎と信長との出会いや、終盤の明智光秀との関係にも飛び加藤がかかわっています。

ということは本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、歴史の裏面に飛び加藤がいて、飛び加藤の思惑にのって歴史が動いたという、まさに夢枕獏の歴史小説だということになりそうです。

ただ、かつての夢枕獏の物語であれば、歴史的事実の改変も含め、より直接的に「妖物」としての飛び加藤を動かしてダイナミックな描き方をしていたのではないでしょうか。

しかし、本書ではそうではなく、信長という人物自体の行動、その行動に至る信長の心象を深く追い求め、信長という人物像を浮かび上がらせているように思えます。

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』の設定だけを見ると、歴史の背後に忍者がいたという考えは、コミックや映画だけではなく小説でもタイトルは覚えてはいませんが、すでにあった構成だと思えます。

特に、冒頭の加藤段蔵の「牛を呑む」幻術のエピソードなどは司馬遼太郎の『果心居士の幻術』という短編集の中の「飛び加藤」という作品で描かれています。

このエピソードに関して調べると「甲陽軍鑑末書結要本」という書物が種本のようで( ウィキペディア : 参照 )、その後もいろいろな物語やコミックでこの場面を見たと記憶しています。

 

 

でも、そうしたことは別に難点でも何でもなく、出来上がった物語がいかに面白いかどうか、だけが問題でしょう。

 

その観点からは、本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は確かに夢枕獏ならではの視点があるようです。

例えば、藤吉郎は飛び加藤から信長の人物評として、信長は人を権威では見ずに機能として見る、と聞いています。だから、藤吉郎は信長の杖となれというのです。走る信長は転ぶから杖となれというのです。

こうした信長像自体は決して目新しいものとは思えませんが、それを飛び加藤の信長評として藤吉郎が信長に仕える一因となったとするのは面白い描き方だと思います。

また信長が使った「天下布武」という言葉や印判についての考察や、信長が行った伴天連と仏教僧との宗論の場面などは資料を駆使して描いてあり、読みごたえがあります。

 

このように、本書『JAGAE 織田信長伝奇行』では夢枕獏らしい表現が随所にありますが、特に飛び加藤が自身を評していった言葉は印象的でした。

飛び加藤は、自分にはとれぬ首はないが、人望がなく徳がないし、おれについてくる者はおらず、結局はおれの持っているものは技に過ぎない、というのです。

そうした飛び加藤と超合理主義者の信長との物語である本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、当初思っていた夢枕獏の物語とは違っていましたが、それなりの面白さはあったと思えます。

雪華ノ里─ 居眠り磐音江戸双紙 4

雪華ノ里─ 居眠り磐音江戸双紙 4』とは

 

本書『雪華ノ里─ 居眠り磐音江戸双紙 4』は、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第四巻で文庫本で345頁の長編の痛快時代小説です。

何とか豊後関前藩内部の争いを終えた磐根の、自ら苦界に身を落とした奈緒を追う旅はまた江戸へと戻る旅になる、シリーズ中休みの一冊でした。

 

雪華ノ里─ 居眠り磐音江戸双紙 4』の簡単なあらすじ

 

秋の気配をただよわす西海道の峠道をいそぐ一人の若い武士。直心影流の達人、坂崎磐音であった。忽然と姿を消した許婚、奈緒の行方を探す途上、道連れとなった蘭医が因で、凶暴な異形僧たちに襲撃されることに…。些事にこだわらず、春風駘蕩のごとき磐音が、行く手に待ち受ける闇を断つ。大好評!痛快長編時代小説第四弾。(「BOOK」データベースより)

 

坂崎磐根の親友小林琴平の妹でもあり許嫁でもあった奈緒が長崎の丸山遊郭に売られていったと聞いた磐根は、安永二年(1773)旧暦七月、長崎へと向かっていた。

その長崎では、磐根らの働きで不正を明らかにされて関前藩を追放され長崎の出店にいた西国屋の襲撃を退けるが、奈緒は小倉城下に新たにできる岩田屋善兵衛の遊女屋へ売られてしまっていた。

小倉の町では岩田屋善兵衛の遊女を赤間の唐太夫がすべてさらったと聞いて、岩田屋と唐太夫との出入りに加わるが、菜緒はその前日に京の島原へと売られていた。

奈緒を追って京都へとたどり着いた磐根だったが、奈緒は京の朝霧楼から加賀金沢の遊郭へと売られた後だった。

金沢では金沢藩内部の抗争に巻き込まれかけた磐根だったが、奈緒が売られた先の一酔楼へ行くと、奈緒は江戸へと送られたという話だった。

吉原会所の四郎兵衛によると奈緒は吉原にいた。しかし、江戸町二丁目の大籬丁子屋は吉原でも一、二を争う格式の大見世であり、丁子屋が京に支払った金子は千二百両だといい、もはや磐根にはどうしようもない金額になっていた。

 

雪華ノ里─ 居眠り磐音江戸双紙 4』の感想

 

本書『雪華ノ里─ 居眠り磐音江戸双紙 4』は、居眠り磐音江戸双紙シリーズの中休み、ともいうべき一編になっています。

前巻『花芒ノ海─ 居眠り磐音江戸双紙 3』で磐根の活躍で豊後関前藩での抗争に終止符が打たれ、やっと磐根の個人的な事柄である奈緒の探索に移ったのですが、その菜緒は遊女として売られてどこにいるか分からないようになっていたのです。

関前の橦木町にある妓楼さのやの女将によれば、奈緒は関前から遠い地に身売りしたいと言っていたらし、女衒の言葉に従い長崎の丸山の望海楼に売られたという事実を聞き込んだのでした。

それから、長崎、小倉、京都、金沢へと辿り、ついに江戸吉原へとやってきたのです。

 

この間の様子が語られる一編となっており、いわば磐根版のロードムービーといった趣きでしょうか。

とはいえ、行く先々で奈緒が磐根に向けて書き置いた短歌が残されているなど、出来すぎに思えなくもないのですが、ともあれ痛快小説として単純に楽しめる作品です。

花芒ノ海─ 居眠り磐音江戸双紙 3

本書『花芒ノ海─ 居眠り磐音江戸双紙 3』は、『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の第三巻の、文庫本で357頁の長編の痛快時代小説です。

前巻『寒雷ノ坂』で明らかになった関前藩国家老の宍戸文六らの横暴と直接に対決する磐根の姿が描かれる、まさに痛快小説の面白さを持った作品です。

 

花芒ノ海─ 居眠り磐音江戸双紙 3』の簡単なあらすじ

 

安永二年、初夏。江戸深川六間堀、金兵衛長屋に住む坂崎磐音。直心影流の達人なれど、日々の生計に迫われる浪人暮らし。そんな磐音にもたらされた国許、豊後関前藩にたちこめる、よからぬ風聞。やがて亡き友の想いを胸に巨悪との対決の時が…。春風の如き磐音が闇を切り裂く、著者渾身の痛快時代小説第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

磐根が親友二人を失った夏から一年が経とうとしていたある日、金兵衛長屋の磐根を富岡八幡宮前で金貸しとヤクザの二枚看板にしている権蔵一家の代貸の五郎造が迎えに来た。

前巻『寒雷ノ坂』で、泥亀の米次にさらわれた幸吉を探す手伝いをしてもらった際の借りを返してほしというのだった。

磐根は笹塚孫一と謀り、権蔵一家と敵対する顎の勝八が開帳する賭場に乗り込みこれを捕縛するとともに自分は用心棒たちを排除し、七、八百両の金を笹塚に渡すこととするのだった。

そんななか、上野伊織の許嫁の野衣から御直目付の中居半蔵に手紙を届けるために早足の仁助が国表から出てきたため磐根に会いたいと言ってきた。

そこで、仁助をつなぎとして中居半蔵に会うと、中居は佐々木玲圓門下でもあり、藩主の福坂実高本人の信任を得て入ることが判明し、今後はともに助力し合うことを誓う。

後日、国許の神伝一刀流中戸道場の先輩で藩主と共に江戸へ出てきた東源之丞と会い、国許へ帰ることを決心する。

 

花芒ノ海─ 居眠り磐音江戸双紙 3』の感想

 

豊後関前藩江戸屋敷の勘定方を務める上野伊織の働きによって、関前藩国家老の宍戸文六を中心とする勢力の専横が明らかになりました。

本書『花芒ノ海─ 居眠り磐音江戸双紙 3』では、坂崎磐根らが関前藩へと戻って活躍する姿が描かれます。

磐根の父親である豊前関前藩中老の坂崎正睦も閉門を言い渡されて動きが取れないなか、関前藩の江戸屋敷詰直目付の中居半蔵らと力を合わせ藩政改革の乗り出す磐根の姿があります。

そもそも、本シリーズの始めに親友を斬り江戸へ出ることになったのも、宍戸一派の策謀故であったことなどが明らかになるなか、磐根らの姿が爽快感をもって描かれるのです。

 

本書『花芒ノ海』の主軸はこのような関前藩に関する話ですが、その合間にヤクザの用心棒として働き、笹塚孫一に金を稼がせる様子や、酒飲みの亭主のために吉原へ女郎として売られる女性の話などの小さなエピソードが挟まれます。

そうした小さなエピソードの積み重ねが磐根の物語世界を形づくっていくのでしょうし、磐根のキャラクターを確立していく助けにもなっていると思われます。

 

ただ、本シリーズが進んでいくと磐根の印象が変化していきます。

本書『花芒ノ海』の時点では爽やかな青年剣士なのですが、ある頃から高みにいる孤高の存在のような印象になって来るのが残念です。

そうならない前の初々しい磐根を楽しみたいものです。