『おもかげ』とは
本書『おもかげ』は2017年11月に刊行されて2020年11月に464頁の文庫として刊行された、長編の現代小説です。
親子・家族の情愛が満開の浅田次郎節にのせて展開される長編のファンタジー小説です。
『おもかげ』の簡単なあらすじ
涙なくして読めない最終章。
人生という奇跡を描く著者の新たな代表作。孤独の中で育ち、温かな家庭を築き、定年の日の帰りに地下鉄で倒れた男。
切なすぎる愛と奇跡の物語。エリート会社員として定年まで勤め上げた竹脇は、送別会の帰りに地下鉄で倒れ意識を失う。家族や友が次々に見舞いに訪れる中、竹脇の心は外へとさまよい出し、忘れていたさまざまな記憶が呼び起こされる。孤独な幼少期、幼くして亡くした息子、そして……。涙なくして読めない至高の最終章。著者会心の傑作。
時代を超えて胸を打つ不朽の名作『地下鉄(メトロ)に乗って』から25年ーー
浅田次郎の新たな代表作、待望の文庫化。解説・中江有里(「内容紹介」より)
『おもかげ』の感想
本書『おもかげ』は、まさに浅田次郎の作品であり、読者の心の奥底に眠る郷愁を誘いつつ涙を誘います。
第一章の冒頭の「旧友」の項で、ある会社の社長の堀田憲雄が中野の国際病院に駆けつけるところからこの物語は始まります。その病院には堀田と同期入社の竹脇正一が入院していました。
次の項「妻」では視点が変わり、竹脇正一の妻節子の視点で語られます。夫正一は誕生日の翌日、すなわち定年退職の翌日の十二月十六日に、帰りの地下鉄の中で花束を抱えたまま倒れたのでした。
それから項が変わるたびに竹脇正一の娘・茜の夫である大野武志、大野武志の親方でもある永山徹と視点が変わります。
そして第二章での「マダム・ネージュ」と「静かな入り江」という二つの項では、共に竹脇正一の視点で、マダム・ネージュと仮の名前を入江静という二人の女性との会話が示されます。
その後も、そして、三章、五章という奇数の章では大野武志や看護師の児島直子、隣のベッドに眠る榊原勝男、娘の茜、大野武志、節子の視点と項ごとに語りの主体が変わるのです。
また第四章と第六章では竹脇正一の視点で、隣のベッドに寝ている榊原勝男との銭湯行き、榊原勝男ことカッちゃんの初恋の人である峰子との地下鉄丸ノ内線での会話、正一が初めて心から愛した古賀文月についての話が語られます。
つまり、偶数章では項が変わっても視点は竹脇正一に固定され、語る対象が異なるだけになります。
このように各章の項ごとに視点の主体が変化しながら物語は進んでいくのですが、こうしてこの物語の全体像を改めて見直してみると、実に慎重に計算され、伏線があちこちに張り巡らされた小説であることが鮮明に浮かび上がってきます。
本書『おもかげ』で重要な役割を果たしているのが地下鉄です。それもかつては営団地下鉄と言っていた今の東京メトロの丸ノ内線です。
この丸ノ内線は私が学生の頃よく乗った地下鉄です。中野坂上駅から分岐した一つ目の駅の中野富士見町に住み、次いで竹脇正一が始発駅と言っている荻窪へと引っ越しましたので、いつも乗っていた電車なのです。
御茶ノ水駅を経由して池袋まで走るこの路線は、さだまさしの「檸檬」という歌や、吉田拓郎の「地下鉄にのって」という歌にも歌われていて、青春を過ごした街・東京を思い出させる路線でもあります。
さらに個人的なこととの絡みで言えば、本書の主人公の竹脇正一は、作者の浅田次郎の誕生年である1951年の生まれであって私と同年齢でもあります。
ですからこの本で述べられている幼い頃から学生時代頃までの想い出のほとんどは、熊本市という地方都市から上京していた私の思い出とも重なるのです。
そうした個人的な心情を除いても、本書で描かれている情感の描写は見事です。
特にクライマックスになってからの、短めの文章をたたみかける、心の奥に訴えかけてくるリズミカルな言葉の連なりの美しさは他の人では書けないものがあります。
例えば、第六章での「黄色いゆりかご」の項での二つの《神田》での、「君がはたちになれば・・・」からの一文と、「僕がはたちになれば・・・」との一文とのリフレインは心打たれます。
浅田次郎にはその名も『地下鉄(メトロ)に乗って』という小説がありました。地下鉄が主人公を過去の世界に連れて行く物語であり、家族について考えさせられるファンタジックな長編小説でした。
第二次世界大戦直後の日本に連れていかれた主人公小沼信次は、そこで過去に戻る前の世界では反発していた若い頃の父小沼佐吉に出逢い、そして、父の来し方をたどることになり、その生きざまを見ることになるのです。
あらためて本書『おもかげ』を見返すと、この物語の終盤に至るまで、私は本書の様子がよく分かりませんでした。
はじめは各項で視点を移し各々の登場人物の心象を描いている描き方からみて、竹脇正一という人物の姿をミステリアスに明らかにしていく物語だとの思い込みを持っていました。
確かにそうした面もあるのですが、しかし、物語が進むにつれて物語はファンタジックな内容へと変化をしていき、竹脇正一のいまだ不明な過去に焦点が当たっていくにつれ、そうではないと思えてきました。
クライマックスに至っては浅田節に取り込まれてしまい、明かされた竹脇正一の生まれの謎などが一気に読み手の心の中に流れ込んできます。
残されたものは感動でしかありませんでした。
最後に竹脇正一はどうなるのか、レビューを見るといろいろなとらえ方があるようです。正解はない、個々人の捉え方の問題でしょうから、是非自分で読んで結末を考えてもらいたいものです。
できれば、前に読んだ文章の意味がここにつながるのかという驚きの発見という意味でも、再読をした上で考えてもらいたい作品です。
浅田次郎の語りの手腕に見事にはまってしまった一篇でした。
ちなみに、本書は竹脇正一を中村雅俊が演じてNHKBSプレミアムでドラマ化されるそうです。
詳しくは下記ページを参照してください。