時間旅行をテーマにした、心あたたまる物語で綴られた連作のファンタジー小説です。
とある町の「フニクリフニクラ」という名の喫茶店には望んだ通りの時間に移動ができるという座席がありました。
しかし、過去に戻るためには、この喫茶店を訪れた事のある者ににしか会うことはできず、また過去で何をしようと現在を変えることはできないし、過去に戻れるのは注がれたコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ、などを始めとして、他にも非常に細かなルールがあったのです。
それでもなお過去に戻り愛する人に会いたいという人は現れ、そしてここでは四人の女性の四つの物語が語られます。
第二話「夫婦」は、記憶が消えていく男と看護師の話。
第三話「姉妹」は、家出した姉とよく食べる妹の話。
第四話「家族」は、この喫茶店で働く妊婦の話。
過去に戻りたいという四人はそれぞれに、現時点で過去に何らかの悔いを残しています。だからこそ過去に戻りたいと願います。過去に戻っても何も変えることはできなくても、なお過去に戻り言えなかった一言を言いたいし、もう一度だけ会いたいと願います。
第一話の主人公は、過去に戻ることで過去を変えることはできなくても、未来への可能性を切り開いていきます。過去に戻ることで閉ざされていた未来への扉を開いたとも言えるのでしょう。
第二話は少々つらい物語でした。過去に渡辺謙主演の『明日の記憶』という映画を見たことがありますが、愛する人を忘れてしまう、それはつらい内容の映画でした。原作は荻原浩の『明日の記憶』という小説です。
荻原浩という作家さんは、『海の見える理髪店』で第155回直木賞を受賞している作家さんです。ですので、普段はすぐにでも原作を読むところなのですが、映画を先に見てしまい、そのつらさを味わってしまったので、更に原作まで読もうという気にはなれませんでした。
本書の第二話はその『明日の記憶』とテーマが同じであり、話もなかなかに涙を誘う内容です。ただ、『明日の記憶』とは異なり、かなり前向きに描いてあった点だけは救いでした。
第三話は、姉が家出をしたために妹が稼業を継がねばならなかった姉妹の話です。仲の良かった姉妹ですが、妹に稼業を押し付けた姉はいつも妹に負い目を感じ、会いに来た妹にも会おうとしませんでした。
しかし、妹に会いたくても会えなくなったときに、もう一度だけ会いたいと過去に戻る姉だったのです。
この作品は、他の作品も少なからずそうではあるのですが、少々感傷が先に立った印象があります。この本を痛烈に批判する読者も相当数見られますが、そうした批判もあながち的外れではないとも感じられるのは、こうした、物語の感傷的な運びや、人物描写の薄さなどにあるのかもしれません。
また、過去に帰って妹に会い、その思いを汲み取り、出した姉の結論は、それまでの姉の行動を否定しかねず短絡的か、とも思います。しかし、物語としてこのようなまとめ方もありなのでしょう。
そして第四話は、この喫茶店のマスター時田流の妻、時田計の物語です。少々ステレオタイプ的な人物像に、パターン化されたストーリーという気配も感じました。
それでもなお、時間旅行の新たな切り口としてはユニークですし、少々のセンチメンタリズムをまといながらのこのような物語もありだろうと思いながら読み進めたものです。
このように、第一話も含め、全部の話が愛する者との別れが語られています。そこにあるのは悲しみであり、哀れさです。そうした悲哀を、軽さを感じる文章で、重くなりすぎることを避けながら、不要なものを削ぎ落してまとめてある作品だと言えるのではないでしょうか。
好みの問題になるとは思うのですが、本来であれば暗く重い話を、軽めに、読みやすい物語として仕上げてある本書は、ベストセラーになるのも分かります。
その点、時間旅行と言えば名前の挙がる梶尾真治の作品とは少々異なるようです。例えば『クロノス・ジョウンターの伝説』は、同じように特定の条件のもとでの時間旅行をテーマとしてはいて、やはり別れを描いてはいても暗くはありませんし、重くもありません。
また、同様に時間旅行ものでもパラレルワールドを描いた畑野智美 のタイムマシンでは、行けない明日などは、SF版の恋愛小説であり、青春小説の風味を残してさらりと仕上げてある作品であり、やはり重さはありませんでした。
本書『コーヒーが冷めないうちに』には続編が出ています。『この嘘がばれないうちに』というその物語を、できるだけ早めに読みたいと思う、それほどには本書も面白いと思う物語でした。