浅田次郎

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赤猫異聞』とは

 

本書『赤猫異聞』は、文庫本での縄田一男氏の解説まで入れて383頁になる、2012年8月に出版され、2014年12月に文庫本化された長編の時代小説です。

明治元年の暮に起きたとされる、既に「東京」と改称されていた江戸で起きた大火に際し行われた「解き放ち」の際の出来事を語った作品で、浅田次郎ならではの心に沁みる物語です。

 

赤猫異聞』の簡単なあらすじ

 

時は、明治元年暮。火の手の迫る伝馬町牢屋敷から解き放ちとなった訳ありの重罪人たち―博奕打ちの信州無宿繁松、旗本の倅岩瀬七之丞、夜鷹の元締め白魚のお仙。牢屋同心の「三人のうち一人でも戻らなければ戻った者も死罪、三人とも戻れば全員が無罪」との言葉を胸に、自由の身となった三人の向う先には…。幕末から明治へ、激動の時代をいかに生きるかを描いた、傑作時代長編。(「BOOK」データベースより)

 

本書『赤猫異聞』のあらすじに関しては、上記の「BOOKデータベース」の文言が端的に言い表していると言えます。

 

赤猫異聞』の感想

 

本書『赤猫異聞』は、「赤猫」という言葉の説明から始まっています。

つまり通常は「赤猫」とは放火犯の俗称であり、総じて火事を指すのですが、伝馬町牢屋敷では火の手が迫った際の「解き放ち」を意味する囚人たちの符牒を意味する、との説明から始まります。

本書の時代背景である明治元年に「解き放ち」が行われるような火事が実際に起きたかどうかは不明で、調べた限りではそのような事実はなかったと思われます。

 

登場人物としては、中心となる三人の囚人として繁松岩瀬七之丞お仙という三人がいます。

無宿者の繁松は、世話になった麹屋の親分の身代わりとして自ら出頭した人物です。

深川界隈では名の知れた侠客であり、牢名主を任されるほどに筋目の通った人物でしたが、悪くても島送りで済む筈だったものが、何故か死罪を言い渡されています。

岩瀬七之丞はいわゆる部屋住みで、父親は幕府の外国奉行であった岩瀬肥後守忠震という大物でしたが、彰義隊として上野のお山で死に遅れたのち、夜な夜な官軍の兵隊を斬り回っていた人物です。

お仙は通り名を白魚のお仙といい、八丁堀近くの白魚屋敷一帯の夜鷹を束ねる大元締であった女で、北町奉行所の内与力であった猪谷権蔵に騙されお縄になった鉄火姉御でした。

ほかに、丸山小兵衛杉浦正名という鍵役同心、それに中尾新之助という牢屋敷同心が物語の核となる人物です。

 

これらの内、中尾新之助、お仙、岩瀬七之丞、繁松、杉浦正名の五人が、八年後に語り部となって、彼らの視点で当時の「解き放ち」について語る、という形式になっています。

このような形式は浅田作品の中でも一、二を争う名作と言われている、後年の取材者に対して関係者たちが当時を語るという構造の『壬生義士伝』と同じ形式です。

 

 

このような三人が、「解き放ち」という特殊な状況下で、自らの命と、義理や人情といった人間の根本に根差す思いとの葛藤の中で如何に行動するかを、ミステリアスな状況とも絡め活写してある作品です。

浅田次郎の作品らしく、読者の関心を引き付けるストーリーがリズム感のある文章に乗せて語られているため、まさに本を置くこと能わずという状況になってしまいました。

また、時代や舞台背景の説明も物語の流れに乗せて違和感なく語られているため、新たな知識欲も満たしてくれるのです。

 

例えば、先に述べた丸山小兵衛らの職務である「鍵役同心」とは牢の鍵を持っている人という意味ではなく、町奉行所から出張してくる役人が牢奉行石手帯刀に渡した鍵、即ち「鎖鑰」を使って鍵を開けるだけの役目だとありました。

このような牢屋敷にまつわる豆知識が随所にちりばめられていて、こうした点でも読者の心をくすぐるのです。

そして何よりも、これはいつものことでもありますが、浅田次郎作品の時代小説の根底に流れる理不尽な制度に対する反発、反抗の心が読者の胸を打ちます。

近年出版された『大名倒産』や『流人道中記』などの例を出すまでもなく、浅田次郎の描く時代小説は、当時の武家社会の硬直的な事大主義、前例主義を徹底的に揶揄しています。

 

 

そして何よりも、これはいつものことでもありますが、浅田次郎作品の時代小説の根底に流れる理不尽な制度に対する反発、反抗の心が読者の胸を打つのです。

例えば、先に述べた「鍵役」の鍵を受け取る場面で行われる儀式を嘲笑し、そのときの語り部である中尾新之助に、「二百七十年にわたる泰平は、今さらわけもわからぬ慣習を私どもに強いておりました。物を考えなくてもすむだけ、居心地のよいものでもあった」と言わせています。

また、火の手が迫っている危急の折であっても、「解き放ち」という一大事業を行うにはやはり先例ということで湯浅孫大夫という祐筆のような仕事をしていた老人を引っ張り出し、その話を聞くのです。

このような指摘は後の工兵少佐岩瀬忠雄こと岩瀬七之丞の「武士は忠を尽くして主君に仕える前に、・・・天下万民に仕えるべきであります。」という言葉とも相まって、旧弊な武士社会への強烈な皮肉ともなり、浅田次郎の思う武士のあり方、人間のあり方を主張しています。

それは、読者へ向けられた言葉でもあって、読者の琴線を震わせることになるのです。

 

また、後に語り部となって登場する登場人物の「解き放ち」のときの身分との格差もまた見どころの一つであり、さらには彼らの語り口の心地よさもまた浅田次郎の語りとして読みごたえがあります。

加えて、随所に語られる武士としての心構えや、侠客の思い、市井の民の考えなど、ハードボイルド小説で見かけることの多いアフォリズムにも通じる心地よさを感じます。

こうして、本書『赤猫異聞』はまさに浅田次郎の筆が走ったお勧めの一冊になっていると言えると思います。

[投稿日]2021年12月30日  [最終更新日]2021年12月31日
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