『長く高い壁』とは
本書『長く高い壁』は2018年2月に刊行されて2021年2月に文庫化された、文庫本で320頁の長編の推理小説です。
日中戦争の最中に万里の長城で起きた事件が起きた理由は何か、浅田次郎が戦争の理不尽さを描き出す感動の人間ドラマです。
『長く高い壁』の簡単なあらすじ
1938年秋。従軍作家として北京に派遣されていた小柳逸馬は、突然の要請で前線へ向かう。検閲班長・川津中尉と赴いた先は、万里の長城・張飛嶺。そこでは分隊10名が全員死亡、戦死ではないらしいという不可解な事件が起きていた。千人の大隊に見捨てられ、たった30人残された「ろくでなし」の小隊に何が起きたのか。赤紙一枚で大義なき戦争に駆り出された理不尽のなか、兵隊たちが探した“戦争の真実”を解き明かす、極限の人間ドラマ。(「BOOK」データベースより)
万里の長城の「張飛嶺」で第一分隊の十名全員が死亡するという事件が起きた。
周りが共産匪の仕業だと決めつける中、従軍作家として北京に派遣されていた小柳逸馬は現場に派遣され、この事件の真相を探るように命じられる。
検閲官の川津中尉とともに前線へと向かった小柳逸馬は、小田島軍曹の出迎えのもと、関係者を尋問し、現場検証を行う。
その尋問の対象となった面々は、実社会を反映した個性豊かな人間たちばかりだったのだ。
『長く高い壁』の感想
本書『長く高い壁』は日中戦争を背景に、万里の長城で起きた事件を描く長編の推理小説です。
作者の浅田次郎は「戦争を書くことは自分の使命だと思っています。」と言われ、これまでにも『日輪の遺産』『歩兵の本領』『終わらざる夏』『帰郷』などの戦争をテーマにした作品を発表しておられます。それは一つには浅田次郎自身が自衛隊出身だということもあるのでしょう。
そこには、
戦後は復員兵と街娼があふれていたのに、「悪い過去」を語る人はいない。僕の両親も戦争の話はしなかった。楽しかった思い出は話しても、辛かった話はけっしてしないんです。「負の歴史」というのは、語り継いでいかないと、そうやって消えてしまうんです。
という思いがあるようです。また、別な場所では
昭和26年、つまり終戦直後に生まれた僕の世代は、・・・・・・ 親からたくさん戦争の話を聞いて育っていて、だからこそ戦争を描くべき使命感がある。
とも言われていて、軍隊を描く明確な意思をもっておられるようです。
昭和二十六年生まれの浅田次郎氏は私と同じ時代を生きている人であり、彼が見た傷痍軍人などの風景は私の見た風景でもあります。
ただ、同じ風景を見ているはずなのにそこから感じ取るものがこんなにも異なるのか、とも思い知らされます。
そうした思いを持った作者が日中戦争を舞台に描かれたのが本書『長く高い壁』です。
登場人物としては探偵作家の小柳逸馬、東京帝大卒で小説家志望だった検閲官の川津中尉、二等兵から叩き上げの小田島軍曹らがいます。
そして、小林逸馬の訊問の対象となったのが、青木軍曹、加藤一等兵、山村大尉、海野伍長、それに張氏飯荘オーナーの張一徳といった面々でした。
小柳らの活動を通して、読者には軍隊の仕組みも次第に明らかになります。
例えば小田島の上官の銀行員であった山村大尉は軍人としての給料が出ますが、なんと銀行からの給料も支払われていたそうです。
他にも小柳逸馬のような従軍作家には少なくない支度金が支払われていたなどの知識もちりばめられています。
そもそも本書『長く高い壁』では、「張飛嶺」での第一分隊全員の死亡の原因という謎もさることながら、この事件の解決のために何故に流行作家が派遣されたのか、などの事実も明確にされます。
そこでは、軍隊というもののありようも絡めて明らかにされていくのですが、理不尽な組織としての軍隊が描かれるこの点こそが、浅田次郎の書きたかったことなのでしょう。
ちなみに、事件の舞台をなっている「張飛嶺」は、万里の長城の中でも特に峻嶮な場所の「司馬台長城」をモデルとした架空の場所だそうです( カドブン インタビュー : 参照 )。
ともあれ、初めてのミステリーとは思えない、しかし、いかにも浅田次郎らしい物語でした。