時代と過酷な運命に翻弄されながらも立ち向かい、受け入れる、名もなき人々の美しい魂を描く短篇集。(「BOOK」データベースより)
「獅子吼」 「飢えたくなければ瞋(いか)るな。」という父の訓(おし)えを胸に、檻の中で生きている獅子。視点は移り、獅子の世話をしている草野二等兵に動物園の動物たちの殺害命令が下りる。
「帰り道」 高度成長期の時代を背景に、ハイミスの清水妙子という女性の、二つ年下のインテリ工員の光岡に対する想いを描いた作品。
「九泉閣へようこそ」 ひなびた温泉宿での恋愛模様ですが、結局は九泉閣という「宿」目線になったりと、よく理解できない小説でした。
「うきよご」 東大を目指す浪人生の物語です。松井和夫は、京都の実家でも尚友寮でも自分の場所が見つかりません。腹違いの姉との微妙な雰囲気を漂わせながらも、一人の浪人の一時期が切りとられています。
「流離人(さすりびと)」 冬の日本海岸を走る列車で知り合った「さすりびと」と自称する老人の回想で、終戦近い中国大陸をいつまでも赴任先へと旅をしている軍人の話が語られます。
「ブルー・ブルー・スカイ」 戸倉幸一はカジノで大負けし、帰り道でポーカー・マシンで大当たりを出すが、そこに現れたのは、ギャングを思い立ちコルト・ガバメントを握りしめたサミュエルだった。
「獅子吼」は戦争の無意味さを忍ばせた作品。誰もが知っている『かわいそうなぞう』という童話のもとにもなった、上野動物園での象の花子の殺処分の話をもとに練られてであろう作品です。声高に反戦をうたいあげるのではなく、この作品のように非日常の世界を作り上げながら、人間ドラマと絡めた上での動物目線の話は浅田次郎ならではの物語です。
「帰り道」は最後の一行に至るまでの話の運び方のうまさにつきます。ただ、物語の意図はよく分かりませんでした。当時の時代を描いた、というだけのことでしょうか。それとも最後の一行のための物語でしょうか。
「九泉閣へようこそ」は、先にも書いたように男女の物語のようで、そうではないような、よく分かりません。
「うきよご」は、昭和という時代でも、またかつての渋谷の匂いでもない、作者と同じ世代の私にも感じられない独特の雰囲気を持った、不思議な小説です。かつて読んだ浅田次郎の『霧笛荘夜話』の雰囲気を思い出していました。この作品も時代や場所を感じさせない物語であり、ファンタジックな雰囲気を持っていました。
「流離人(さすりびと)」は、戦争に対する作者の思いがわりとはっきりと表れているファンタジックな物語で、かなり好きな物語でした。
最後の物語である「ブルー・ブルー・スカイ」も、意図が分かりにくいお話でした。
どの物語もまぎれもなく浅田次郎の語り口です。しかしながら、若干理解しにくい作品もありました。ただ、表題作の「獅子吼」や「流離人(さすりびと)」などはまさに私の好きな浅田次郎の作品でした。