東京の片隅で、中年店主が老いた父親を抱えながらほそぼそとやっている中華料理屋「昭和軒」。そこへ、住み込みで働きたいと、わけありげな女性があらわれ…「夕映え天使」。定年を目前に控え、三陸へひとり旅に出た警官。漁師町で寒さしのぎと喫茶店へ入るが、目の前で珈琲を淹れている男は、交番の手配書で見慣れたあの…「琥珀」。人生の喜怒哀楽が、心に沁みいる六篇。(「BOOK」データベースより)
「夕映え天使」
男やもめの親子がやっている中華料理屋に、住み込みで雇われていたその女は、親子二人の生活に深く馴染んだ頃に居なくなった。しばらくして警察から一本で電話が入った。
「切符」
両親はそれぞれに女や男を作って出ていった。広志がじいちゃんと暮らす家の二階には間借り人の八千代さんが男と暮らしている。東京オリンピックの開会式の日、運動会を見に来てくれると約束してくれた八千代さんは二階の部屋を出ていくことになった。
「特別な一日」
定年を迎えたと思われる男の「特別な一日」を追いかけたSFチックな短編。
「琥珀」
荒井敏男は、とある町の片隅で十五年の間「琥珀」という名の珈琲専門店を営んでいた。そこに、定年前の有給休暇消化の旅をしているという男が飛び込んでくる。
「丘の上の白い家」
それぞれに不幸を背負う少年たちと、丘の上の白い家に住む天使のような少女との人生の交錯が描かれます。
「樹海の人」
演習で富士樹海に取り残された主人公の遭遇したものは現実か。
本書の解説を書かれている鵜飼哲夫氏によると、本書は感覚的に捉えたものが思想であるとする小説作法に似ているらしく、表現したい思想や感情を念入りに表現するという浅田次郎の流儀とは異なる「新たな境地」示しているのだそうです。
そうした理解は私の力量を越えた次元のものであり、私の読書力では本書と他の作品との差異を認識できるものではありません。ただ、浅田次郎という作家は、人間の営みそのものに根差す心情、情念を切り取り表現しようとしているという印象は受けます。
それは、「夕映え天使」での、男たちの心に住み着いてしまった一人の女への想いであり、また「切符」での、一人の少年の二階に住んでいた優しい八千代さんへとの別れに対する哀しみでもあると思うのです。
浅田作品に共通して漂っている雰囲気は、「昭和」という時代の持つ、感傷とも異なるやりきれなさのような感情です。
ご本人の言葉として、「切符」についてではありますが、「『切符』のテーマを一口で言えば、『喪失』ということになりますね」と言われています。発展のシンボルとしての東京オリンピックは同時に「以前あった風景がどんどん壊されていく」ということだと言われるのです。
また、「幸せな人間を書いても面白い話は作れない。しかし、不幸の様相というのは千差万別だから、全部違ったストーリーができる」とも言われています。そこから「琥珀」のような物語も生まれてくるのだとも言われます。
そうした、「切符」における「喪失」感や、「琥珀」で描かれている町にゆったりと流れる時間、「丘の上の白い家」に見られるどうしても乗り越えられない運命のようなむなしさ等々が、美しい文体で描かれている本書です。
間違いなく浅田次郎の物語であり、切なさあふれる短編集です。