『審議官―隠蔽捜査9.5―』とは
本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』は『隠蔽捜査シリーズ』の短編集としては三冊目で、2023年1月に新潮社からハードカバーで刊行された短編の警察小説集です。
『隠蔽捜査シリーズ』の隙間を埋めるスピンオフ短編集であり、当然のごとく非常に面白く読んだ作品でした。
『審議官―隠蔽捜査9.5―』の簡単なあらすじ
信念のキャリア・竜崎の突然の異動。その前後、周囲ではこんな波瀾がーー!? 米軍から特別捜査官を迎えた件で、警察庁に呼び出された竜崎伸也。審議官からの追及に、竜崎が取った行動とはーー(表題作)。竜崎の周囲で日々まき起こる、本編では描かれなかった9つの物語。家族や大森署、神奈川県警の面々など名脇役も活躍する、大人気シリーズ待望のスピンオフ。本書のための特別書き下しも収録!(内容紹介(出版社より))
目次
『審議官―隠蔽捜査9.5―』の感想
本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』は、神奈川県警本部の刑事部長に異動することになった竜崎伸也をめぐる人たちに関する短編が収められているので、『隠蔽捜査シリーズ』のスピンオフ作品集というべきでしょうか。
『隠蔽捜査シリーズ』では『初陣 隠蔽捜査3.5』、『自覚 隠蔽捜査5.5』に次ぐ第三弾目の短編集ということになります。
ほとんどの話が、結局は竜崎に相談した結果やはり竜崎が常々言っている原理原則論そのままの言葉に、それまで悩んでいたことが嘘のようにすっきりと問題が解決していきます。
本『隠蔽捜査シリーズ』の魅力は何と言っても主人公である竜崎伸也というキャラクターの存在によるところが大きいででしょうが、本書はその竜崎の魅力そのままに展開されていると言えるのです。
「空席」
異色の署長であった竜崎伸也の後任署長が着任するまでの空白の一日の間に発生した事件について、第二方面本部の野間崎管理官に振り回される貝沼悦郎副署長を中心とする大森署員の姿が描かれています。
この後任の署長が、『署長シンドローム』での主人公となる女性キャリアの藍本百合子警視正であり、貝沼がつぶやいたように「うちの署は変わった署長ばかりやってくる」ことになるのでした。
「内助」
竜崎伸也の妻である竜崎冴子が、テレビで昼のニュースを見ていたときに感じた違和感から事件の真実に至るという、冴子の名推理がさえわたる異色の短編です。
推理そのものよりも、また竜崎夫婦の姿や、娘の美紀や息子の邦彦をも含めた竜崎家の様子が丁寧に描かれているところが、本シリーズのファンとしては興味深い作品でした。
「荷物」
竜崎伸也の息子の邦彦が、友人から預かった荷物が覚醒剤と思われるだった白い粉だったことから、誰にも相談することができずに思い悩む姿が描かれています。
邦彦はどういう方法でこの苦境を乗り越えることができるのか、に関心が集中し、結果は予想がつく範囲ではありましたが、その過程を読ませる作者の力量はさすがであり、すっきりした読後感でした。
「選択」
竜崎伸也の娘の美紀が電車内での痴漢騒ぎに巻き込まれる姿が描かれています。
正しいことを行ったものが理不尽に扱われてしまう現実に即しているともいえそうな、それでいて痛快な作品に仕上がっています。
加えて、美紀の会社の様子や同僚まで存在感をもって描いてある作品になっています。
「専門官」
神奈川県警の組織の特殊性をもとに、県警内の、特にキャリアを嫌うノンキャリア、という人間関係を描き出してあります。
「専門官」とは、ベテラン捜査員のなかの警部待遇の警部補のことだそうです。
本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』ではキャリア嫌いで通っている矢坂敬藏警部補に焦点が当たっていて、新しく刑事部長となった竜崎伸也との対立を心配する池辺渉刑事総務課長らの姿があります。
ここでも竜崎の特殊な存在感が光っています。
「参事官」
ここでもまた、キャリアとノンキャリアの対立、具体的には、佐藤実本部長から阿久津参事官と組織犯罪対策本部の参事官である平田清彦警視正との仲が悪いので何とかしてほしい、と頼まれた竜崎の姿が描かれています。
この話では永田優子捜査二課長という二十四歳のキャリアが登場してきますが、この人物は『横浜みなとみらい署暴対係シリーズ』でも登場してきている人物と同一人物だと思われます。
「審議官」
審議官という幹部でも個人的な感情で動くことがある、という組織の問題を指摘しているようです。
刑事局担当の長瀬友昭審議官が、横須賀の殺人・死体遺棄事件で、自分が米軍関係者の関与があったことを知らなかったことが問題だと、佐藤実本部長に文句を言ってきたのです。
この話の冒頭に出てくる横須賀の殺人・死体遺棄事件は、『探花 隠蔽捜査9』での事件を指していると思われます。
ちなみに、「審議官」とは、「日本の行政機関における官職の名称に使われる語
」だそうです。詳しくは、「ウィキペディア(審議官)」を参照してください。
「非違」
竜崎伸也の後任である前出の藍本百合子新署長が赴任してから、野間崎管理官が何かにつけ大森署に来るようになったという話です。
今回の来署の理由は、強行犯係の戸高善信刑事の平和島のボートレース場に通う行為が問題だというのでした。
「信号」
「参事官」で登場していた永田優子捜査二課長が竜崎伸也に言っていた「キャリア会」というキャリア組の飲み会で交わされた、細い路地の横断時に、車も通っておらず人の眼もない時に赤信号を守るか、という話にまつわる物語です。
渡るという佐藤本部長の言葉が記者に漏れたことで三島交通部長が怒っているのです。
しかしその裏には、三島交通部長は五十八歳のノンキャリア警視正であり、ここでもキャリア対ノンキャリアの対立の様子が描かれています。
本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』でも、『隠蔽捜査シリーズ』本編ではあまり焦点が当たらないような登場人物たちに光を当て、その人物をめぐる話が展開されています。
そして、そうした中でもキャリアとノンキャリアの対立の場面が何か所か描かれていて、現実にもそうした問題があるのだろうと推察されるのです。
また、各話の出来自体も勿論面白いのですが、永田優子捜査二課長や藍本百合子大森署新署長など、今野敏の他のシリーズの出演者が少しずつ顔を見せたりして、今野ワールドのファンとしてはそうした面でも楽しみが見いだせます。
今野敏のファンとしては、こうした作品も間を置かずに読みたいと思ってしまいます。