東京のとある町に事務所を構えるヤクザの親分・阿岐本雄蔵は、困った人をほっとけない上、文化事業好きな性格が困りもの。そのせいで組員たちは、これまで出版社、高校、病院などの経営再建に携わる羽目になってきた。今度の舞台は赤坂の路地裏にある古びた銭湯!世の中どんどん世知辛くなって、ヤクザ稼業も楽じゃないが、阿岐本、代貸・日村はじめ個性的な面々は、銭湯にお客を取り戻すことができるのか!?(「BOOK」データベースより)
今野敏の大人気任侠シリーズ第四弾です。
今回の舞台は銭湯です。
いつもの通り、赤坂に事務所を構える永神が、相談があると兄貴分の阿岐本雄蔵をたずねてやってくるところから始まります。永神の来訪は阿岐本組代貸の日村にとって不安しかありません。この叔父貴の持ってくる話では苦労させられるからです。
案の定、今回は赤坂六丁目にある古い銭湯について相談に来た永神だったのですが、当事者に会い、詳しい話を聞いてみると、銭湯の持主はどうにか経営を続けたい、というものでした。
話は日村の心配する方向へと進み、とうとう問題の銭湯の立て直しに乗り出すことになるのです。
しかし、これまでのシリーズ作品と比べてのはなしですが、今ひとつのめり込めません。
勿論、本書もこのシリーズの痛快さ、小気味よさは味わうことはできます。ユーモアたっぷりに語る阿岐本組長の弁舌も達者であり、その点では私も思わず引き込まれてしまいました。
特に、「なくしちゃいけねえものを、ずいぶんとなくしちまったんじゃねえか」という阿岐本組長の言葉に私も思わず首肯していました。
また、それが銭湯とどのような関係があるかと問いかける日村に対して「自分でかんがえてみるんだな」と答える阿岐本の言葉は、そのまま読者への問いかけとして何故なのかを考えていたのです。
たしかに「失われた古き良き日本」という言葉は言い古された感はありますが、昭和を生きてきた年代にとって常に心の底にある問いかけでもあり、それを突きつけられれば考えないわけにはいきません。
蛇足ですが、そんな美しい日本を思う心が近年の時代劇人気の一つの理由ではないか、などと思っています。特に『蝉しぐれ』などで代表される 藤沢周平の作品がいつまでも人気があるのは、人情ものの語りのうまさと共に、どこか懐かしさの漂う日本の風景をうまく取り込んだ情景描写のうまさなどにもあると思っているのです。
同じことは第146回直木三十五賞を受賞した 葉室麟の『蜩の記』などにも言えるのではないでしょうか。ひたすらに、その先に死の待つ自分の生を見つめ、日々を送る侍の美しさを、静謐な文体で綴るこの作品は、思わず現代を生きる自分を見つめてしまう名作でした。
一方、現代ものでは 浅田次郎の描く世界にも似たものを感じます。特に天切り松 闇がたりシリーズの文章は、語り手である松蔵の台詞が河竹黙阿弥の台詞回しに通じているらしく、日本語の美しさを肌で感じることができます。
そうした古き良き日本へ思いを馳せつつも、しかしながら、これまでのシリーズ三作に比べると今ひとつわり切れません。
これまでの作品も、ユーモア小説の常として物語は阿岐本組長の思惑に沿って都合よく流れていたのですが、本作品はその印象が特に強く感じられます。他の作品に比べ、阿岐本組長自らが乗り出す場面が多いのですが、いくらなんでも組長の意図に沿いすぎです。
例えば、組長が挙げる銭湯経営がうまくいかない原因の一つとして経営者の家族の問題がありますが、銭湯経営の手伝いをしようとしない経営者の息子、娘にたいする組長の対処法は安易です。今の子がそう簡単にはなびくとは思えません。
特に、より直接的な銭湯経営の改善策として挙げる、心をこめた掃除、他の対処法は、これまでの出版社や病院の経営立て直しの場面に比して簡単に思えます。
本書はユーモア小説であり、経営指南書でもなんでもない以上、綿密な再建方法を示す必要が無いのは分かりますが、本書の場合、少々簡単に過ぎます。
もう少し再建策を具体的に示して欲しい、という思いが強く残りました。
とはいえ、本シリーズのスピンオフ作品である『マル暴甘糟』の主人公であるマル暴刑事の甘粕が顔を見せ、漏らしてはいけない情報を示してくれたりと、遊び心もいつもの通りであり、気楽に面白く読むべき作品として期待にこたえてくれていると思います。