本書『もう聞こえない』は、誉田哲也作品にしては珍しい長編のダークファンタジー小説と言えると思います。
ファンタジーの世界で展開されるサスペンスは結構楽しく読めた作品でした。
一向にわからぬ被害者男性の身元、14年前の未解決殺人事件。ふたつの事件を繋げるのは、“他界した彼女”だった…。(「BOOK」データベースより)
冒頭に「誉田哲也作品にしては珍しい」作品だと書きましたが、それはあくまでファンタジックなタッチは珍しいという意味です。
もともとこの作者は『妖の華』や『アクセス』のようなホラー小説を出発点としている作者ですから、霊的なものに対する処理はお手の物なのでしょう。
110番に中西雪実という女性から、男性に怪我をさせてしまったとの連絡が入った。
その男は後に死亡し、高井戸署において中西雪実の聴取を行おうとする。しかし、泣いてばかりで話にならず、警視庁捜査一課の竹脇元(はじめ)警部補にその役目が回ってきた。
ところが、中西雪実は竹脇の聴取中に「女の人の声が聞こえるときがある」と言い出すのだった。
本書『もう聞こえない』は、誉田哲也お得意の多視点での物語であり、基本的に章の始めが竹脇警部補の事情聴取の様子、残りが「ゆったん」というあだ名の女の子の視点での物語となっており、各々の話が交互に語られます。
読み進める過程で発動した仕掛けに、してやられた感を抱いていると、さらに意外な展開が待ち受けています。
この作者らしい読者をミスリードにさそったり、意外性を持った展開など、サービス満点のエンターテイメント小説です。
例えば、竹脇と組まされた相棒は苗字を菊田という女性で、旦那も警察官である、などという設定もこの作者のお遊びの一つと言えるでしょう。
つまり、その旦那というのは誉田ファンであればだれでも知っている『姫川玲子シリーズ』の重要な登場人物である菊田和男ではないか、などと想像できるのです。
わき道にそれますが、『姫川玲子シリーズ』の『ブルーマーダー』に、菊田一男と港区高輪署に勤務している梓との新婚家庭の様子が描かれています。
何はともあれ、本書『もう聞こえない』では、何といっても、殺された「霊」が語りかけ、そのことによりこの物語が展開していくというのですから普通ではありません。
その上、『武士道シリーズ』のような青春小説にも定評がある誉田哲也の作品らしく、本書にもそのニュアンスが読み取れます。
まあ、こうした他ジャンルの雰囲気をも併せもった作品を書くというのは、本書に限らずこの作者の他の作品でも同様ではあります。
ここで「霊」を絡めた作品を見ると、「霊媒」を主人公とする作品として相沢沙呼の『medium 霊媒探偵城塚翡翠』という作品があります。
この作品は、第20回本格ミステリ大賞を受賞し、「このミステリーがすごい!」2020年版国内篇と「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキングで第一位をとり、さらに2020年本屋大賞と第41回吉川英治文学新人賞で候補作品となるほどに評価されました。
しかしながら、この作品は本格派の推理小説であり、私の好みとは少々異なる作品でもありました。でも、かなり読みごたえがあった作品であることは間違いありません。
更には梶尾真治にも『精霊探偵』という作品があるそうですが、残念ながら私はまだ読んでいません。人の背後霊が見える主人公が背後霊たちに力を借りながら人探しをするという話らしいのです。
話を元に戻すと、本書『もう聞こえない』は、直接的に「霊」そのものと話します。正確には「幽霊」ではなく「言霊」だそうですが、そこは本筋とは関係ないのでいいでしょう。
その「霊」は生きている人たちを見ることはできるものの、音を聞くことも物に触ることもできません。何とか主人公の女性に声を聴かせることはできるようです。
その状態で事件真相に向かって突き進もうとする物語で、なかなかに楽しく読むことができました。