本書『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は、霊媒師と推理作家の組み合わせで難事件を解決していくという、新しい視点の本格派のミステリー小説です。
本格派のミステリーであり、決して嫌いではないものの、個人的にはあまり好みの作品だということは出来ませんでした。
推理作家として難事件を解決してきた香月史郎は、心に傷を負った女性、城塚翡翠と出逢う。彼女は霊媒であり、死者の言葉を伝えることができる。しかし、そこに証拠能力はなく、香月は霊視と論理の力を組み合わせながら、事件に立ち向かわなくてはならない。一方、巷では姿なき連続殺人鬼が人々を脅かしていた。一切の証拠を残さない殺人鬼を追い詰めることができるとすれば、それは翡翠の力のみ。だが、殺人鬼の魔手は密かに彼女へと迫っていた―。(「BOOK」データベースより)
本書『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は第20回本格ミステリ大賞を受賞し、「このミステリーがすごい!」2020年版国内篇で第一位、「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキングで第一位をとり、さらに2020年本屋大賞候補、第41回吉川英治文学新人賞候補となった作品です。
本書の、二人の探偵役が相互に補い合って事件を解決していくという構成自体は面白いものでした。
すなわち、冒頭に引用した内容紹介文にある通り、本書では、霊媒師である主役の一人が死者の言葉を聞いて事件の真相を見抜きます。
しかし、そこに証拠能力はないために、もう一人の主人公の推理小説作家が他人を納得させるだけの論理を構築していく構成となっているのです。
この構造だけでも素晴らしい発想だと思いますが、本書ではさらにもう一つ大きな仕掛けがあったのには驚きました。単に探偵役が二人いるというだけではなかったのです。
ここで、「霊」を絡めたミステリーを挙げると、誉田哲也の『もう聞こえない』という作品があります。
ミステリーというよりは、ミステリーを絡めたダークファンタジー小説と言うべきかと思うのですが、かなり面白く読んだ作品でした。
それはともかく、本書『medium 霊媒探偵城塚翡翠』には基本的に三つの事件が収められています。
「泣き女の殺人」と題された第一話、「水鏡荘の殺人」の第二話、「女子高生連続殺人事件」の第三話といわば短編のような事件が語られ、霊媒師の力で犯人を示す基本的な状況を集め、それを利用して小説家が推理力を働かせ事件を解決します。
その三つの事件の間には全く別の連続殺人事件があり、幕間的にその事件の犯人の独白が挟まれています。
そして三つの話が終わった後に「最終話」が語られますが、この最終話に更なる仕掛けが施してあったのには驚かされました。
ただ、ここでは少しだけミステリーの約束事を破っているのではないかという疑問もありました。
でも、その点を指摘するレビューもないようなので、私の個人的な感想でしかないと思われます。
ともあれ、その個人的な疑問を除いても、驚き、関心してしまったのは事実です。
一般の本格派と言われる推理小説は、誤解を恐れずに言えば、読者が解くべき密室などの「謎」や「謎」を解くための手がかりなどを提示し、それだけに基づいて探偵がその謎を解くというロジックを楽しむものでしょう。
その上で、その謎を成立させるために普通ではありえない特殊な状況や、手がかり用の特別な環境などを設定することが多々あると思われます。
本書『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の場合、霊媒師を介在させることで直接犯人を名指ししたりして、いわゆる「フーダニット(Who done it)」や、「ハウダニット(How done it)」と呼ばれるジャンルのミステリーを成立させています。
そういう意味では本書は独特なものであっても、物語の構造自体は一般の本格小説と異なるところは無いと言えます。
本書の更なる特徴は、それからさらに一ひねりが加えられているところであって、これ以上のことは実際に読んでいただくしかありません。
以上のように、本書『medium 霊媒探偵城塚翡翠』はこれまでにない構造を持った小説であり、事件解決のロジックを楽しむ読者にも十分にこたえる小説でしょう。
たた、困ったことに私はそのロジックを楽しむ読者ではないということです。本格小説はあまり好みではないのです。
そのことは、少女漫画風の城塚翡翠という主人公の名前や装丁画からくる、私の先入観も手助けをしているかもしれません。
しかしながら、例えば十二人の男女が地下に設けられた「暗鬼館」という専用部屋に集まり、一週間の間ただ何もしないでいれば千八百万円を超える金が手にに入るというゲームに挑戦する米澤穂信の『インシテミル』という作品はそれなりに楽しめたものです。
また、 予定外の十三人目の死体を前にした安楽死をするために集まった十二人の少年少女たちの対応の様子を描いた作品の冲方丁の『十二人の死にたい子どもたち』などもまた、本格推理小説に分類される小説ではあってもかなり面白く読んだものです。
結局は本格推理小説全体に対する忌避ではなく、個々の小説に対する好みの問題と言えるのかもしれません。