世間を騒がす謎のCM美女「Qrosの女」の素性を暴くべく奮闘する「週刊キンダイ」芸能記者の矢口慶太。CMで彼女と共演した人気俳優・藤井涼介の自宅を、先輩記者・栗山と一緒に張り込むとそこに当人が!?藤井との熱愛スクープ・ゲット!それともリーク?錯綜するネット情報と悪意。怒涛のエンタメ誕生!! (「BOOK」データベースより)
「芸能界」と「週刊誌」を舞台とする、サスペンスの要素も詰まったエンターテインメント長編小説です。
誉田哲也の小説はグロいという声を聞いて、それならばと著者自らが誉田初の「幸せな嘘の物語」だとした仕上げた作品だそうです。
ある日突然に、「Qros」という有名ファッションブランドのCMに出ている女性の人気に火が付き、当然のことながらネット上でも話題になります。しかしながら彼女に関する情報は全く無く、そのうちに「Qrosの女」の目撃情報や、住所を探し当てネット上にさらすなどの騒ぎになるのです。
とあることから、自分は「Qrosの女」を知っていると気付いた芸能記者の栗山孝治は、追跡調査を続けるうちに「Qrosの女」こと市瀬真澄と出会い、彼女のために一肌脱ぐことになりますが、この折の「Qrosの女」の登場から現在までを多視点で描き出している物語です。
即ち、芸能記者の栗山孝治、その後輩記者の矢口慶太、芸能ゴロの園田芳美、そして「Qrosの女」の市瀬真澄のそれぞれの視点で、「Qrosの女」の登場から現在までを立体的に描き出しています。
こうした手法は、誉田哲也の近著である『ノワール-硝子の太陽』と『ルージュ: 硝子の太陽』でも使われていました。ただ、『硝子の太陽』シリーズの場合、姫川玲子シリーズとジウシリーズという二つのシリーズで同じ事件を扱う、厳密には物語の一部で重なる、ということでしたが、本書の場合は一つの物語の中で四本の時間軸が平行に流れているのです。
これまでも似た手法の作品が無いわけではないのですが、物語の全編を異なる視点で描き比べるという作品として代表的な作品として、芥川龍之介の短編小説『藪の中』があります。藪の中で見つかった死体について複数の証言を取り上げているもので、それぞれの証言が矛盾することから「藪の中」という言葉が生まれています。他にもこの手法を用いた作品があったように思いますが、思いだせません。(ちなみに、『藪の中』はAmazonのKindleでは無料で読むことができます。)
本書『Qrosの女』の見どころは、上記の点にとどまらず、舞台である芸能界の裏側を描いてある点にもあります。大手芸能プロダクションの実力者の言動の影響力や人気スターの裏の顔などは昔から言われてるところでもあり、種々のニュースのネタにもなっています。
また舞台が「芸能界」と「週刊誌」の話であるところから、報道と人権の問題も絡めてあります。取材活動を描く上では避けて通れない問題なのかもしれません。
また、忘れてならないのは、ネット社会の現状です。ネット上に個人情報がさらされるという事態、それもそれを行うのが一般人だという話は架空の話ではなく、現実に起きている話でもあります。本書で描かれているのはネット社会の恐ろしさでもあります。
「報道と人権」と言えば社会派の小説で多く書かれているテーマでもありますが、近年では堂場瞬一の『警察(サツ)回りの夏』という小説がありました。
母親が犯人と目される甲府市内で起きた幼い姉妹二人の殺害事件について、警察内部のネタ元から母親逮捕という特ダネの感触を得た主人公ですが、しかしその情報はとんでもない事態を引き起こすのでした。ネット社会や報道のあり方への問題提起を含んだ物語でした。
本書は、この問題をそこまで深く掘り下げているわけではありませんが、それでもネット社会の怖さ、報道のあり方を考えさせられもしました。
誉田哲也のエンターテインメント小説ですが、全くグロテスクなところはありません。物語の作り手としての誉田哲也という作家の面白さ、そう思い知らされた作品でもありました。