『フェイクフィクション』とは
本書『フェイクフィクション』は2021年11月に刊行され、新刊書で390頁という分量になる、長編のエンターテイメント小説です。
変らずに誉田哲也の作品として面白いことには間違いはないのですが、既読の印象が強い作品でもありました。
『フェイクフィクション』の簡単なあらすじ
東京・五日市署管内の路上で、男性の首なし死体が発見された。刑事の鵜飼は現場へ急行し、地取り捜査を開始する。死体を司法解剖した結果、死因は頸椎断裂。「斬首」によって殺害されていたことが判明した。一方、プロのキックボクサーだった河野潤平は引退後、都内にある製餡所で従業員として働いていた。ある日、同じ職場に入ってきた有川美祈に一目惚れするが、美祈が新興宗教「サダイの家」に関係していることを知ってしまい…。(「BOOK」データベースより)
東京都五日市警察署の管内で首が切断された死体が見つかり、鵜飼刑事が捜査を担当することになった。
一方、プロのキックボクサーであった過去を持つ河野潤平は、製餡所の社長に拾われ従業員として勤務していた。
その潤平は製餡所に新たに勤めることになった有川美祈に一目ぼれをしてしまうが、彼女は新興宗教「サダイの家」の信者であり、信者以外は悪魔だとして潤平を受け入れてくれない。
ところが、この「サダイの家」は鵜飼刑事もあることから目をつけていた団体でもあったのだった。
『フェイクフィクション』の感想
やはり、誉田哲也の作品ははずれがない、と言ってもいい作品でしたが、誉田哲也の作品としては普通と感じた作品でもありました。
それは本書の構成として既読の印象が強い、ということが挙げられるでしょう。
つまり本書では、誉田哲也がよく使う、事件の当事者側と警察側の視点それぞれに物語が進み、その先で物語が収斂していくという構成になっています。
その中でも本書の構成は当事者側の比率が大きい点で、例えば『ジウII-警視庁特殊急襲部隊』であったり、『魚住久江シリーズ』の第二作目の『ドンナビアンカ』と同様の構成だと言えます。
当事者側のひと昔前の悲惨な生活状況が現在に連なる、という点でも同じです。
本書の大きなテーマとして「宗教」が挙げられる点も「普通」と感じる原因の一つかもしれません。
著者誉田哲也自身がエンタメ作品の中に『フェイクフィクション』の核である、宗教をある程度軽く考えてもいいのでは、という考えを落とし込んだのが吉田牧師の言葉だった、と発言されているように( 青春と読書 : 参照 )、本書では「宗教」が大きなテーマになっています。
たしかに、本書での主要登場人物の一人である唐津郁夫が知り合った頃の牧師吉田英夫の言葉は魅力的で、宗教のある側面を取り上げているようで「宗教」が大きな要素になっていると思います。
しかし本書での宗教の取り上げ方は、狂信的な信者を含めた登場人物の異常性や犯罪描写のきっかけとして意味があるようなのです。
もし、「宗教」を持ち出した理由が異常性の演出ではなく「宗教」そのものに対する考察、もしくは宗教を通した人間性の本質の追求にあったとしても、本書はエンターテイメントが強く、あまりその点は主張されているようには思えません。
結果として本書で表現されているのは宗教やそこにかかわる人間の異常性だと思えるのです。
いずれにしても、エンタメ作品としての面白さは否定しようもなく、その中で宗教の持つ意味も問いかけられている、と言えるのでしょう。
宗教を取り上げたエンタメ作品と言えば日本推理作家協会賞を受賞した中島らもの『ガダラの豚』が思い浮かびます。
普通の主婦が新興宗教に取り込まれていく様を描き、その実態を暴くというのが第一部である、文庫本では三分冊(全940頁)にもなる大長編小説です。
エンタメ作品以外としては第39回野間文芸新人賞を受賞し、また157回の芥川賞候補になり、さらに2018年本屋大賞の候補にもなった今村夏子の長編小説の『星の子』があります。
「病弱だったちひろを救いたい一心で「あやしい宗教」にのめり込んでいき、その信仰は少しずつ家族のかたちを歪めていく…。」という物語で、映画化もされました。
ともあれ、『星の子』はエンターテイメント小説である本書とは異なり文学作品としての評価が高い作品です。
その意味では本書は『ガダラの豚』に近いとは言えますが、その面白さの質は異なる作品だと言えます。