ある街で起きた監禁事件。保護された少女の証言に翻弄される警察。そんな中、少女が監禁されていたマンションの浴室から何人もの血痕が見つかった―。あまりにも深い闇に、果たして出口はあるのか?小説でしか描けない“現実”がここにある―。圧倒的な描写力で迫る衝撃のミステリー。 (「BOOK」データベースより)
現実に起きた事件をモデルにした、そして誉田哲也の小説らしいグロテスクな描写を含む、それでいて妙な面白さを持って迫ってくる長編ミステリーです。
一人の少女が警察に保護され、そこから異常としか言いようのない猟奇的事件が幕を開けます。保護された少女と、その少女が示した部屋にいた一人の女。彼らの住んでいた部屋からはおびただしい血の跡が見つかります。
しかしながら、保護された少女と女は殆どなにも語ろうとはしません。そうした彼らを根気よく尋問する警察官らにより、人間とは思えない異常性の中で暮らしていた彼らの実態が次第に明らかになっていくのです。
一方、警察官の尋問の合間に一人の青年の日常が描かれていきます。その青年と同棲する彼女の父親という得体のしれない男が転がり込んでくるのですが、その男の日常を暴こうとする青年でした。
この青年の話と保護された少女らの話とが合流するとき、そこには信じられない現実が待ち構えていました。
独りの男のコントロール下に置かれた複数の人間が、次第に壊れていく様を、緻密な筆致で描き出してあります。
もともと、誉田哲也と言う作家はかなりグロテスクな場面を描き出す作家でした。警察小説である姫川玲子シリーズでは特にその傾向が強く、『ブルーマーダー』や『ルージュ: 硝子の太陽』などでも人間の解体場面が出ています。
しかし、ここまでの描写が物語の進行上必要なのかという疑問は常にありました。困るのは、そういう疑問を持ちつつも、誉田哲也の小説が面白いことです。仮にグロい場面が無くても多分同様のレベルで面白い小説を描くことは可能だとは思うのですが、現実に面白い小説として提示されているので、疑問は疑問として抱くだけです。
こうしたグロテスクさと暴力とを前面に出した小説がありました。平木夢明の『ダイナー』という小説です。この作品も相当にグロい小説でしたが、『ダイナー』の場合は、暴力があり、その延長線上に人間の解体作業などがありました。そして、その根底には主人公の女と食堂のコックとの間に交わされる不思議な感情の交換があり、雑多な客との間で交わされる非人間的な交流の隙間で交わされる人間的な感情の発露も垣間見ることができました。
グロテスクというワードで検索すると数多くの小説が抽出されます。それほどにこの分野の小説が多いということなのでしょう。私自信が好まないのでこの手の小説はあまり知らないのですが、上記の平木夢明や新堂冬樹という作家はその手のものが多いようですね。
ともあれ、本書『ケモノの城』は、そうしたグロテスクさを越えたところにある物語としての面白さを持った小説でした。