田中角栄邸の警備をしていた警察官・砂田修作は、公安へと異動し、数々の事件と関わっていく―圧倒的スケールで激動の時代の暗闘を炙り出す。
昭和・平成の重大事件の陰で動いた公安警察員を主人公とする長編の警察小説です。
本書は月村了衛のこれまでの作品と比べると地味です。月村了衛という作家のこれまでの傾向からして、アクション重視の警察小説との思いは見事に裏切られました。
それは一つには、本書が国家を守るための情報を得るために協力者を育成し、そして情報を収集するという外事警察を描いた作品であることに由来するのでしょう。
しかし、それも作者の処理の仕方一つであり、例えば同じ公安警察官を主人公とする麻生幾の小説である『ZERO』は、かなり派手なアクション小説として仕上がっています。
つまりは、アクションではなく、現代歴史の隠された裏面史を淡々を描き出すこと自体がこの作品の意図だったのだろうと思われます。
そこには、著者自身が「本作『東京輪舞』は、小説家としての我が仕事における第二期の出発点である。」というように、小説としての成り立ちがこれまでの作品とはまるで異なり、作者の冷静な眼を感じるのです。
これまで歴史小説と言えば時代小説でしたが、それでも現代史を背景にした小説はそれなりに存在しています。
例えば、山崎豊子の『不毛地帯』は、本書にも登場する伊藤忠商事の元会長瀬島龍三をモデルとした作品と言われ、ロッキード事件の背景などが描かれていました。この作家は同様の作品が多いですね。
また、160回直木賞受賞を受賞した真藤順丈の『宝島』は、沖縄の戦後史を描いた小説であり、現実に起きた事件を絡めながら物語は進んでいきます。
しかしながら、これらの作品は歴史小説と言うよりは現実に起きた事件を題材にした小説と言うべきであり、そこでは「歴史」は背景にしか過ぎないと思います。
本書の場合そうではなく、昭和・平成の実在の歴史の隙間を小説家としての感性を通した解釈を加えて新たなストーリーを構築していて、そういう点でかなり異なると思うのです。
事実、読み始めてしばらくはこのタッチに慣れず、またテーマへの関心の度合いもあって、少々退屈気味な感じもありました。しかし、いつの間にか、本当に気付けば本書にどっぷりと惹き込まれていた自分がいました。
主人公は、若い頃に田中角栄の自宅の警備で暴漢を逮捕し骨折をした際、角栄本人から入院先でお礼を言われた経験を持つ砂田修作という警官です。
この田中角栄への思い入れを持つという人物設定はうまいものであり、読者の共感をも呼びやすいと感じたのは私だけでしょうか。
この砂田の眼を通して、田中角栄のロッキード事件から東芝COCOM違反事件へと続き、東西冷戦の終結を迎え、オウム真理教、警察庁長官狙撃事件、金正男の来日事件へと続きます。
これらの事件そのものではなく、その事件の陰に隠された事実、例えばロッキード事件の際はCIAから依頼された特定の人物の所在確認作業を通して、公安部外事一課に配属された砂田の公安警察員としての観点からロッキード事件を見直すことになります。
そこには一般国民が知らない、ごく一部の特殊な立場にある人間だけが知る秘密を通してみた歴史の姿があります。
最初の章の「ロッキードの機影」は1976年の出来事ごとであり、私が二十五歳のときのことですからその状況は鮮明に覚えています。しかし、私たちが知っていたロッキード事件の本当の意義は全くわかっていなかったことが示されます
そのあとの「東芝COCOM違反」の章は経済関連の事柄でもあり、当時から共産圏諸国への輸出禁止違反以上の意味を把握していませんでしたし、その次の「崩壊前夜」の章もソヴィエト連邦の崩壊の裏で繰り広げられる諜報戦の意味をよく理解できないきらいがありました。
しかし、その次の「オウムという名の敵」「長官狙撃」の章からは自分の身近の人間が警察に勤務していたこともあり、また、サリン事件の衝撃が強すぎてかなりのめり込むことになりました。
ただ、個人的にはこの作品全体を通して登場するルシーノワというKGB機関員の美女はいらないという気もしました。それはすなわち眉墨圭子という女性の振る舞いにもかかわってくるのですが。
せっかくの公安警察官としての観点からの物語が少しのぶれを感じてしまったからです。
とはいえ、かなり硬派な読みごたえのある作品であることは間違いなく、今後の月村了衛という作家の作品を注目したいと思いました。