本書『黒涙』は、『黒警』の続編の長編のノワール小説です。
前巻『黒警』がかなりのめり込んで読んだ記憶があったせいか、本書は今一つ感情移入できずに終わってしまった作品でした。
黒社会とつながり、警察内部に“黒色分子”として潜む沢渡。義兄弟の契りを結ぶ黒社会「義水盟」の沈は、インドネシアの青年実業家ラウタンを巻き込み、中国スパイ網の摘発に協力する。やがて3人の前にシンシア・ユンと名乗る謎の美女が現れるのだが…。(「BOOK」データベースより)
国家機密の漏洩の疑いがあり、上層部の要請で、公安部外事第二課長の滝口警視正をリーダーとする部署を超えた特別チームが組まることになった。
そのチームに加えられた沢渡から相談を受けた沈は、南シナ海の巨大組織である「海のネットワーク」のメンバーのラウタンを連れてきて仲間にするのだった。
誰しもが認める男であるラウタンは、早速に日本経済界に顔を広げ、その過程で“運命の女(ファム・ファタール)”と感じたシンシア・ユンと知り合う。
だが、その女の正体に気付きながらも付き合いをやめないラウタンだった。
前巻ではヤクザの波多野という男を中心とし、警視庁組織犯罪対策第二課の事なかれ主義刑事である沢渡警部補、そして沢渡の義兄弟である「義水盟」の沈という男が加わった男の物語として仕上がっていました。
本書『黒涙』では前巻から引き続き登場する沢渡警部補と「義水盟」の沈とは別に、沈が連れてきたラウタンという男の動向が中心になります。
ラウタンは、容姿端麗で、ビジネスマンとしてもインドネシアの実業界で注目されている実業家であり、非の打ち所のないという人物です。
このラウタンを中心とした話が一番大きな流れとなっていて、その点が前巻と異なって本書についての面白さを今一つと感じる理由になっているようです。
月村了衛の作品は、いつもであれば物語の客観的な状況をかなり緻密に描き込んでリアリティーを出しているのですが、本書の場合、沢渡に誘導されている警察の存在にリアリティーを感じません。
それは、本書『黒涙』はラウタンの活動を中心に描いてある、という点に原因があるようです。
そのラウタンについての描写が、沈が連れてきた信頼に足る男というだけで、沈や、特に沢渡との間で強固な信頼を築く根拠を示してありません。
読者にとっては、沈の義兄弟だからという一言で三人相互の信頼関係が築かれたことを意識するのは難しく、感情移入して読み進めるには足らないと思います。
また、ラウタンの活動が描かれているとはいっても、その描き方も微妙で、ラウタンという男に惹かれる要素を感じないのです。
以上と重なるかもしれませんが、本書は月村了衛の作品ではあるのですが、ストーリーの構成が安易にすぎる点も気になります。
例えば、沈らのグループが滝口に気付かれないように陰ながら警察の動きを助けるというのですが、滝口についてかなりの切れ者というキャラ設定をしていながら、沈らのグループの助けに気が付かないという状況がありうるか、との疑問がわきます。
また、沢渡の台詞などに、どうにも説明的と感じる台詞があったりと、いつもの月村作品では感じない疑問点が少なからず見受けられるのです。
出版年月で見ると、本書『黒涙』が2016年です。どうも2015年に書かれた『槐(エンジュ)』以降の数年間に書かれた何冊かが月村作品にしては構成が雑と思える作品が並んでいると思います。
すなわち、『槐(エンジュ)』や『影の中の影』が2015年であり、『ガンルージュ』が2016年であって、面白いのは面白いのですが月村作品の特徴の緻密な描写に裏打ちされた重厚さはありません。
それからすると、2017年4月の『追想の探偵』からは社会性を増しており、特に『東京輪舞』以降は歴史に題をとった重厚な作品へシフトしていると思われます。
ただ、明確に書かれた時期で区別できるものではなく、月村了衛という作家にそれぞれの顔があるというべきなのかもしれません。
とはいえ、物語としての面白さはやはりほかの作品ほどではないと言わざるを得ません。
ただ、本書『黒涙』も第四章に入ると沢渡の行動が明記され、沢渡と沈との関係への言及も多くなり、月村了衛のアクション小説だと思える面白さが復活しています。
やはり、本書の構成が今一つだと思うしかなく、今後のシリーズとしての興味も今一つという気がします。