月村 了衛

イラスト1
Pocket


東京が日本が劇的に変貌しつつあった1963年、元戦災孤児のアウトローが大いなる夢に向かって動き出す。軋む街の表に裏に、抜き差しならない腐敗や闇が根尾下ろしているなかで、オリンピックを奪い、撮れ!(「BOOK」データベースより)

 

1964年に東京で開催されたオリンピックの記録映画を巡り、何とか監督の人選に食い込もうとする男の暗躍を描いた長編のピカレスク小説です。

もしかしたらそういうことがあったかもしれないとの印象すら抱く、実在の人物が数多く登場する映画裏面史ともいえる話で、それなりの面白さをもった話でした。

 

それなりの、との限定は、月村了衛という作者の作品としては、少々インパクトに欠ける印象を持ったからです。

どうしても月村了衛という作家の作品を読むときはこの人の作品である『機龍警察』と比較をしてしまいます。そして、『機龍警察』の緻密さ、重厚感を知る私にとって、本書は今一つ物足りないのです。

 

 

ただ、本書に関しては、『機龍警察』を引き合いに出すまでもなく、例えば近年のいわゆる第二期の作品『東京輪舞』と比しても同様の印象を持ちます。

本書は著者自身が言うように、歴史的な事実、人物を物語に組み込みながらも史事には矛盾させないという『東京輪舞』と同じ手法をとっていますが、やはり緊迫感、重厚感に欠けるのです。

それは、『東京輪舞』が警察小説の形をとった、昭和の裏面史としてある種の謎に迫る物語であるのに対し、本書『悪の五輪』は昭和の裏面史に題をとったクライムノベルではあっても、エンターテイメントの世界を描いた作品だというところからくる差異だと思われます。

 

 

つまりは、緻密な書き込みで濃密に構築された世界を舞台に展開されるアクションやミステリーではないところに物足りなさを感じたのでしょう。

とはいえ、本書『悪の五輪』には『東京輪舞』などにはない面白さがあるのは否定できません。

本書はピカレスク小説として、主人公の人見稀郎花形敬などの実在した人物とのつながりをもって東京オリンピックがもたらす利権に食い込もうとするさまが描かれ、ある種の痛快さがあります。

つまり、ミステリー性はない代わりに、チンピラやくざであった人見稀郎が、知恵を絞り、度胸だけで何とか利権の片隅に食い込もうとするエネルギーに満ちています。

そして、そのエネルギーの向かう先にいる花形敬や若松孝二児玉誉士夫永田雅一といったひと癖もふた癖もある実在の人物らとのつながりを得て利権に食い込む姿が小気味よさを感じさせてくれるのです。

 

さらに言えば、映画史の一面を持っているということに惹かれます。

本書では、黒澤明が東京五輪の記録映画監督の座を降りたその後釜に潜り込みたいという二流監督の意思が金になるとふんだ弱小ヤクザの思惑から始まった物語です。

そして、映画好きのチンピラヤクザ人見稀郎がそのお膳立てを任されます。

当然、映画自体は詳しくても、映画界に何の知己もない人見稀郎は知人から紹介された新進の映画監督若松孝二を通じて大映社長の永田雅一の黙認を得、花形らの力を借りて錦田を記録映画監督とするべく暗躍を開始するのです。

こうした話は映画好きの人間にはたまらない、魅力的な話であることは間違いありません。

 

ただ、そうはいってもあくまで映画そのものが主軸ではないので物足りないのです。

そうした映画の裏面史としては春日太一の『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』のような、フィクションではない映画史を読む面白さにはかないません。

 

 

結局、本書はエンターテイメントの世界を背景に描かれたピカレスク小説であり、エンターテイメントの世界の裏側を描いた物語です。

そこにあるのは曲者たちの有する思惑の絡み合いであり、利権に群がる人間たちの姿であり、他の世界と異なるところはありません。

作者は2020年の東京オリンピックを前にして、前回開催された東京オリンピックの裏側の一面を描き、今回のオリンピックも同様だよ、と言っているようです。

ただ、新型コロナウイルスのパンデミックにより、2020年東京オリンピックが開催されるものか不透明にはなってきていますが、できれば通常のように開催されることを願うばかりです。

[投稿日]2020年03月19日  [最終更新日]2021年9月4日
Pocket

おすすめの小説

おすすめのノワール小説

水の中の犬 ( 木内 一裕 )
他では誰も引き受けないような面倒な依頼を断らず引き受ける、そんな私立探偵が主人公です。依頼を調査していくうちに、いつも徹底的に叩きのめされ、結果、誰にとっても救いのない結末が待つのです。シリーズ続編とは趣きを異にする第一作目です。
不夜城 ( 馳 星周 )
第15回日本冒険小説協会大賞大賞や第18回吉川英治文学新人賞を受賞している作品です。中国人の勢力争いが激化している、不夜城と言われる日本一の歓楽街新宿の街もを舞台に、日本と台湾のハーフ・劉健一が一人の女にのめりこんでいく。
孤狼の血 ( 柚月 裕子 )
菅原文太主演の映画『仁義なき戦い』を思い出させる、ヤクザの交わす小気味いい広島弁が飛び交う小説です。それでいてヤクザものではない、警察小説なのです。この手の暴力団ものが嫌いな人には最も嫌われるタイプの本かもしれません。
夜の終る時 ( 結城 昌治 )
本書を原作とするテレビドラマがありました。室田日出男が主人公の悪徳刑事を演じたそのドラマは今でも忘れられません。
禿鷹の夜 ( 逢坂 剛 )
本書が第一作の禿富刑事を主人公とするシリーズは、その悪徳刑事のキャラクターにおいて強烈な印象を残しています。

関連リンク

エンターテインメント小説の旗手は、なぜ昭和史の闇を描き続けるのか
このたび刊行された月村了衛『悪の五輪』は、1964年の東京オリンピックを背景に、映画好きの変人ヤクザ・人見稀郎が親分の命令で、オリンピックの公式記録映画の監督という大役に三流の監督・錦田欣明を押し込むべく、映画界や政界などを相手取って暗躍する物語だ。
「悪の五輪」月村了衛氏|日刊ゲンダイDIGITAL
公式記録映画監督に決まっていた黒沢明の突然の降板から、後任に市川崑が決定するまでの間に暗躍する者たちのドラマを、実在の大物ヤクザや戦後最大のフィクサー・児玉誉士夫、映画界のドン・永田雅一などを登場させ虚実織り交ぜて描いたクライムノベルだ。
【BOOK】昭和の東京五輪にあって令和の東京五輪にないもの
東京五輪といっても「2020年」ではない。アジアで初の五輪、敗戦からの完全復興を掲げて1964(昭和39)年に開催された前回の東京五輪。その利権をめぐって、うごめく「闇の世界」を史実を織り交ぜて描いた衝撃の物語だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です