『かけおちる』とは
本書『かけおちる』は、2012年6月に文藝春秋から刊行され、 2015年3月に文春文庫から278頁の文庫として出版された、長編の時代小説です。
前著『白樫の樹の下で』で描かれた侍の姿は、本書でもまた姿の異なる侍の在りかたとして同じように描かれていて、私の好みに合致した作品でした。
『かけおちる』の簡単なあらすじ
二十二年前、妻と姦夫を成敗した過去を持つ地方藩の執政・阿部重秀。残された娘を育てながら信じる道を進み、窮乏する藩財政を救う秘策をついに編み出した今、“ある事情”ゆえに藩政を退こうとするがー。重秀を襲ういくつもの裏切りと絶望の果て、明らかになる人々の“想い”が胸に響く、感涙の時代長編。(「BOOK」データベースより)
『かけおちる』の感想
本書『かけおちる』は、侍の生き方を描く青山文平作品の登場人物として、本書でもまた侍の在りかたとして前著同様に描かれていて、私の好みに合致した作品でした。
北国にある柳原藩では、執政阿部重秀が藩の財政の立て直しのために行っていた「種川」という鮭の産卵場を人の手で整える作業が実を結びつつあった。
この作業は阿部家の入婿である阿部長英の進言によるものだったが、その長英は江戸詰のため未だ「種川」成功の事実を知らずにいた。
名うての剣士でもある長英は藩の殖産を図らねばならない立場にありながら、江戸中西派一刀流の取立免状を取得することにより自藩の名を高めるべく勤めるしかない自身に悩んでいた。
著者の言葉によれば、「かけおちる」とは「欠け落ち」であり「駆け落ち」ですが、本書の「最後の欠け落ち」こそ集団からの脱落を意味する本来の意味での「欠け落ち」だそうで、「カタルシスを醸成」できたそうなのです。
とするならば、この最後に言う「カタルシス醸成」こそ著者の書きたかったことなのでしょうか。
本書『かけおちる』でも、戦いをこそ本来の姿とすべき侍が、殖産にその身を捧げなければならない矛盾を問うてあります。
その中で、殖産のために苦悩する男を描きながら、その陰に居る妻の描写はあまりありません。でも、母と娘とで併せて三度の「駆け落ち」をしており、それが殖産事業に苦しむ阿部重秀の苦悩を深くしています。
阿部重秀の殖産事業に苦しむ過程の描写は前作『白樫の樹の下で』に劣りません。地方にある藩に居る親と江戸詰の子の、興産にかける侍としての生き様が簡潔な文章で描いてあります。
そして、クライマックスへと向かうのですが、物語の終わりの方で娘の語る言葉こそ本書で著者が書きたかったことではないでしょうか。
そして、最後に「カタルシスを醸成」が出来ているかどうかを是非直接読んで確かめて貰いたいものです。
松本清張賞受賞第一作である本書『かけおちる』は前作『白樫の樹の下で』と同じようでいてまた異なるやはり素晴らしい一冊でした。