『底惚れ』とは
本書『底惚れ』は2021年の11月に刊行された新刊書で、266頁の長編の時代小説です。
短編集『江戸染まぬ』に収められた「江戸染まぬ」という短編を長編化した作品ですが、青山文平作品にやはりはずれはなく、本書も惹き込まれて読んでしまいました。
『底惚れ』の簡単なあらすじ
一季奉公を重ねて四十も過ぎた。己れを持て余していた男は、密かに想いを寄せていたお手つき女中・芳の二度と戻れぬ宿下がりの同行を命ぜられる。芳への理不尽な扱いに憤り、男は彼女に奉公先を見返す話を持ちかけた。初めての極楽を味わったその夜、芳は男を刺し、姿を消した。芳に刺されて死ねるのを喜ぶ男。しかし、意に反して男は一命をとりとめた。人を殺めていないことを芳に伝えるため、どん底の岡場所のどん底の女郎屋の主となって芳を探す。最底辺の切見世暮らしの男が、愛を力にして岡場所の顔に成り上がる!(「BOOK」データベースより)
『底惚れ』の感想
本書『底惚れ』は先に書いたように、短編小説集の『江戸染まぬ』の中の「江戸染まぬ」という短編を長編化したものです。
この「江戸染まぬ」で本書のどこまでが描かれていたのかは今では覚えてはいないのですが、主人公の男が芳という女に刺されたところまでは間違いなく描かれていました。
上記の「簡単なあらすじ」にも書かれているように、芳に惚れていた主人公の男は芳のためにお金を工面しようと芳の主人、奉公先の隠し事を売ろうとしたところ、主人に惚れていた芳に刺されてしまいます。
しかし、何とか死ぬことを免れた男は、自分を殺したと思っているだろう芳に、お前は人殺しではないのだと伝えるために芳の行方を探しはじめます。
最終的に、郷里にも帰っていない芳の行く先は岡場所しかないだろうと考え、芳が訪れやすい岡場所を経営するに至るのです。
このように、本書は芳に刺されながらも芳に対する愛情を貫く男の姿を描いた作品であって、全編を主人公の「俺」の一人称で描かれています。
本書『底惚れ』の惹句には「江戸ハードボイルド長編」という文言があります。
それは、本書全編が「俺」という一人称で語られていて、「俺」の内心を詳細に描写してあるからだと思われます。
主人公の内面が丹念に描き出されているという点では確かに「ハードボイルド」と言えなくもないのでしょうが、簡潔な描写や主人公の主観面の描き方などの細かな点で「ハードボイルド」というには疑問もあります。
本書に暴力の匂いが全くしないことなどは一番の否定要因ではないでしょうか。
ただ逆に、そうした点を捉えても、だからこそ「ハードボイルド」と言えるのではないか、という気持ちがあるのも事実です。
でも、こうした分類は本書の評価には関係のないことで、本書の面白さだけを考えれば、青山文平の作品群の中で異色をはなっていることは間違いないにしても、青山文平らしい、主人公の心象を深く追及したユニークな作品であるということは言えるでしょう。
登場人物としては、主人公の「俺」と芳と同じ奉公先にいた下女の信、それに深川入江町の岡場所の路地番の銀次がいます。
他には名前だけだったり、一場面だけ登場する人物も数人いますが、物語はこの三人だけで進みます。
とにかく短めの文で「俺」の心象をくっきりと浮かび上がらせる本書『底惚れ』の様は見事の一言に尽きます。
そして、クライマックスは何となく筋道が見えなくもないのですが、青山文平の筆の力はそうしたことをはねのけて盛り上がり、おさまるべきところにおさまるのです。
やはり、青山文平の作品は読みごたえがある、そう思わせられる作品でした。