『泳ぐ者』とは
本書『泳ぐ者』は、2021年3月に新潮社から刊行され、2023年9月に新潮文庫から384頁の文庫として出版された、長編のミステリー時代小説です。
『半席』の続編であり、主人公片岡の“なぜ”を追い求める姿が心に染みわたるホワイダニット小説になっています。
『泳ぐ者』の簡単なあらすじ
離縁して三年半もたつのに、なぜ元妻は元夫を刺したのか。事件の「なぜ」を追う従目付、片岡直人は真相を確信するが、最悪の事態が起きる。そんな折、奇妙な噂が耳に入る。毎日決まった時刻に大川を泳ぐ男がいるというのだ…。違和感の向こうに見えてくる狂おしい人生と、封印された秘密。心に「鬼」を抱えて生きてきた男と女が、最期に見せた真実とは。江戸の人々の翳を鮮やかに描く傑作。(「BOOK」データベースより)
片岡直人は、上役である内藤雅之の行きつけの居酒屋「七五屋」で、四月もの御用の旅に出ていた内藤から海防についての話を聞いていた。
“なぜ”を追う見抜く者についての話の中で内藤は、内藤がいない間に犯した片岡のしくじりについて、他にやりようがあったと思ってさえいれば、いずれ分かるようになると言う。
その言葉を聞き、片岡はしくじった御用である、離縁された妻が病の床にある夫を刺し殺した事件についてなぜなのかを思い返していた。
そんなときに、毎日決まった時刻に溺れるような姿で大川を泳いで渡る者がいるとの話を聞いて見に行ってみるのだった。
『泳ぐ者』の感想
本書『泳ぐ者』は、徒目付の片岡直人を主人公とする短編集『半席』の続編です。
仕置きの決まった事件ではあるが、“なぜ”そのような事件を起こしたのかを知りたい人物のために裏御用としてその“なぜ”を探り、人間の心に潜む闇をあぶりだす片岡直人の物語です。
この“なぜ”は、罪科を定め、刑罰を執行するための“なぜ”ではありません。肉親を事件で失った者が知りたいのは命を落とさねばならなかった理由としての“なぜ”であり、そのための頼まれ御用だったのです。
その御用のためには人の気持ちの奥底へ染み入るために己をできる限り薄くする必要があり、それができる「人を見抜く者」が要求され、片岡はそのために最適だというのです。
ちなみに、片岡は「見抜く者」について、「科人の裡に棲む鬼を追い遣って罪ある己を悟らせ、残された家族に科人と自らへの赦しの機会を供してこそ見抜く者だ。
」と言っています。
御目見え以上の役職に就くことを望む片岡を、徒目付という今の役職に引きずり込んだのは片岡の今の上司である内藤雅之という人物でした。
こうした事情が『半席』で、そして本書でも語られています。
その話に続いて、片岡のしくじった御用の、離縁された妻が三年半も経った後に病床の前夫を刺し殺した事件の様子が語られます。
その後、大川を溺れるような泳ぎで渡る男の話が語られるのです。
片岡の失態の話。そして、大川を泳いで渡る男の話。それに内藤との海防の話。
前の二つは片岡の“なぜ”の御用に関する話であり、などを解き明かす物語であってここで語られる理由はよく分かります。
では、なぜに海防の話を長々と続けるのか、そこが分かりませんでした。
いま改めて考えると、ひとつには文化魯寇やフェートン号事件に絡んで採られた幕府や掛りの藩のとった態度に隠された真の意味などを片岡に推測させるということがあると思われます。
また次に、多分片岡の失態によると思われる“なぜ”を追う気持ちの喪失という片岡の現状の救済、という意味があったのかもしれません。
それにしても、本書の作者青山文平という作家の文章は見事です。地の文で為されている情景の描写の素晴らしさもさることながら、会話文でさえも心惹かれます。
それは、例えば菊枝の姉・佳津の住まいの描写の場面でも必要な言葉で必要なことを語り、佳津の住まい自体や庭の佇まいなどの見事さを描き、そのままに佳津という人物の美しさまで表現しています。
こうした打てば響くような硬質で透明感のある文章の美しさは、最初に読んだ『白樫の樹の下で』を読んだ時から感じていたことでもあります。
それが年を経て一段と磨かれているように感じるのです。
さらにいえば、歴史的な事実を考える片岡と内藤との会話は、その思考方法が江戸時代の価値観をも踏まえた上での会話と聞こえます。
たしかに、会話のところどころで現代的に思える箇所がないとは言いませんが、基本的に現代の人間では考えないであろう思考過程が見えるのです。
また、「語って美しいものは照々と考える者だ」という言葉を内藤に言わせていますが、この「照々と」という言葉を私は知りませんでした。ネットで調べても分かりません。
続けて、「人には見えないものに光を当てて見通す目の明るさが様子に出るのだろう」と書いてありますので意味は分かりますが、このような言葉の使い方は一般的なのでしょうか。
このように、こうした言葉は単に単語を知っているだけでは語れない言葉だと思えます。そうした言葉を言えるだけの素養が必要であり、青山文平という人はその素養を備えているということになります。
話を本書『泳ぐ者』に戻すと、内藤雅之という人物は食道楽でうまいものを食べることを至上とする人物で、片岡の“なぜ”を明らかにする能力を高く買っているのでした。
この内藤を始め沢田源内、片岡がしくじった御用の話に登場する菊枝やその姉の佳津、それに大川を泳いで渡っていた蓑吉、蓑吉に斬りかかった川島辰三など、登場人物が皆生き生きとしています。
一個の人間としてこの本の中で皆生きているのです。
本書『泳ぐ者』は、ミステリーとしての面白さが評判になり、文芸評論家・書評家の杉江松恋氏の「bookaholic認定2016年度国内ミステリー5位」に選ばれています。
話は変わりますが、この内藤雅之という人物は前巻の『半席』で最初のうちは“内藤康平”と表記されていました。ところが本書『泳ぐ者』のなかでは“内藤雅之”という名前に変わっています。
本書を読むにあたり確認した本サイト内の『半席』の項での名前と違います。
ネットで確認するどのサイトでも上司の名前は“内藤雅之”となっています。ただ「江戸の事件にのぞく、平成ニッポン」というサイトだけは“内藤康平”という名前が改名されているとありました。
『半席』の中でもいつの版からか名前が変更されているようです。