青山 文平

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本売る日々』とは

 

本書『本売る日々』は、2023年3月に237頁のソフトカバーで刊行された三篇の小説が収められた時代小説集です。

ミステリーの手法がとられたまさに青山文平の物語であり、期待に違わない素晴らしい作品集でした。

 

本売る日々』の簡単なあらすじ

 

時は文政5(1822)年。本屋の“私”は月に1回、城下の店から在へ行商に出て、20余りの村の寺や手習所、名主の家を回る。上得意のひとり、小曾根村の名主・惣兵衛は近ごろ孫ほどの年齢の少女を後添えにもらったという。妻に何か見せてやってほしいと言われたので画譜ーー絵画の教本で、絵画を多数収録しているーーを披露するが、目を離したすきに2冊の画譜が無くなっていた。間違いなく、彼女が盗み取ったに違いない。当惑する私に、惣兵衛は法外な代金を払って買い取ろうとし、妻への想いを語るが……。

江戸期の富の源泉は農にありーー。江戸期のあらゆる変化は村に根ざしており、変化の担い手は名主を筆頭とした在の人びとである、と考える著者。その変化の担い手たちの生活、人生を、本を行商する本屋を語り部にすることで生き生きと伝える“青山流時代小説”。(内容紹介(出版社より))

 

目次

本売る日々 | 鬼に喰われた女 | 初めての開板

 

本売る日々』の感想

 

本書『本売る日々』は、「松月堂」という本屋を営む平助という男が主人公です。

平助は本屋とはいっても「書林」として<物之本>を板行することを夢見ており、今は店頭販売ではなく行商して各地の庄屋などに本を売ることを商売にしています。

そして、「物事の本質が収まった書物」である<物之本>、つまりは「仏書であり、漢籍であり、歌学書であり、儒学書であり、国学書であり、医書」が行商の際に持っていく本でした。

 

この平助の一人称視点で本書は語られますが、舞台となる土地の名前は出てきません。「この国」とか「東隣の国」などと代名詞で表現してあるだけです。

また「この国」についての描写も「この国の城下には・・・藩校の姿はない。」とあるくらいであり、また「玉井村」とか「小曾根村」などという固有名将は出てきますが、それ以上の説明はありません。

つまりは、「地名」はこことは異なる場所という意味しか持たず、ただ平助を始めとする登場人物たちの行いこそが問題であって、江戸時代であるという以外、細かな時代や具体的な場所にはそれほど意味はないということなのでしょう。

 

平助の他の登場人物としては、第一話で小曾根村の惣兵衛、とその若き妻サク、第二話では「東隣の国」にある杉瀬村の庄屋の藤助がおり、弾三話で再び小曾根村の惣兵衛が登場し、さらに小曾根村の自慢としての名医佐野淇一、平助の住む城下の医師西島晴順などがいます。

 

第一話「本売る日々」は、書物の行方をめぐるミステリーです。

ここで描かれているのは、誰がとか、どうしてなどではなく、本を盗ったと思われるサクの心の動きやその行いについての惣兵衛の処置についての謎にすぎません。

そこでの「森の際」についての主人公の話が何と心に染み入ってくることか。作者の筆の力の素晴らしさはもともと知っていたつもりなのだけれど、本書の「森の際」についての語りは深く心を打ちました。

結末の見事さもやはり私の好きな青山文平の作品だと、やはりこの人は最高だと思わせる、余韻のある結末でした。

 

第二話「鬼に喰われた女」は、東隣国の杉瀬村の名主である藤助から聞いた八百比丘尼をめぐる話です。

ある名主の家で引き受けた藩士とその家の娘との間の話ですが、藤助の語りの後に交わされた藤助と私との会話の展開は意外性に満ちたものでした。

八百比丘尼の話に持っていく構成のうまさもさることながら、八百比丘尼の話から一人の娘の話へ、そしてその後の藤助の告白の驚きへと、物語としての面白さを詰め込んだ一編でした。

 

第三話「初めての開板」は、医学というものの在りように着目した好編です。

平助の弟佐助の娘の八恵の喘病があまりよくないことから、平助は、第一話に出てきた惣兵衛から聞いていた、小曾根村で「称東堂」の看板を掲げている佐野淇一という六十過ぎの医者を思い出していました。

惣兵衛は、自分の村には佐野淇一という医者がいるから医の不安なく暮らすことができ、日本一豊かな村だと言っていたのです。

一方、この国の頼りにならないと言われていた大工町の西島晴順という医者が、何故か名医と言われるほどになっていたのです。

 

本書『本売る日々』では、「世の中を変革させる力を持っていた」在郷町にいた名主などの在の人びとを中心として描かれています。

作者の青山文平は、地域の文化の拠点となっていた村の指導者層である名主の存在に焦点を当てるために、彼らを訪ねて学術書を行商する本屋を主人公とする本書を書こうと思い立ったそうです。

また、作者の小説作法として、見つけた素材が内包する物語を紡ぎ出すだけだと書かれています。ただ、本書の場合、その素材を見つけるのが大変だったとも書かれているのです( 文藝春秋BOOKS 本の話 : 参照 )。

 

事実、本書の中には聞いたこともない数々の書物が登場します。

第二話に登場する本居宣長の「古事記伝」などはその名称は聞いたことがあったものの、第一話の「芥子園画伝」などそのほとんどは聞いたこともない書物ばかりです。

第三話に至っては医学書の話であるため一段と理解しがたい話になるはずなのに、和田東郭の『蕉窓雑話』、賀川玄悦の『産論』、『医宗金鑑』、『下台秘要方』、『景学全書』等々ずらりと並びます。

これらの本をそれなりに理解したうえでなければ文章の中に取り込むことはできないでしょうから、作者の努力というべきか苦労は相当なものであっただろうことは素人にも分かります。

しかしながら、その努力の上に本書に登場して生きている書物を見つけ、その中から物語を紡ぎ出しているのですから読者はただ単に恐れ入るばかりです。

 

本書『本売る日々』は、こうした作者の努力を前提として、書物を大切に思う庶民、書物を読むことのできる財力を持つ特殊な立場にある人々の、現実を離れたところにある知的なゲームのような物語として仕上がっています。

青山文平という作者の特色がよく表れた、納得の一冊だということができる作品でした。

[投稿日]2023年06月08日  [最終更新日]2023年6月8日
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