『伊賀の残光』とは
本書『伊賀の残光』は、2013年6月に『流水浮木―最後の太刀―』というタイトルで新潮社から刊行され、2015年9月に新潮文庫から『伊賀の残光』と改題されて336頁の文庫として出版された長編の時代小説です。
還暦を迎えた侍たちの自分確認のための奮闘記であり、自分を重ねつつ読み入ってしまいました。
『伊賀の残光』の簡単なあらすじ
その誇りに、囚われるなー。鉄砲百人組の老武士、山岡晋平。伊賀衆ながら伊賀を知らず、門番の御役目とサツキ栽培で活計を立てていた。だがある日、伊賀同心の友が殺される。大金を得たばかりという友の死の謎を探る中、晋平は裏の隠密御用、伊賀衆再興の企て、そして大火の気配を嗅ぎ取った。老いてこそ怯まず、一刀流の俊傑が江戸に澱む闇を斬る。
『伊賀の残光』の感想
本書『伊賀の残光』は、当初は『流水浮木―最後の太刀―』というタイトルで刊行されましたが、新潮文庫から文庫化されるに際し『伊賀の残光』と改題された長編の時代小説です
大久保組伊賀同心の山岡晋平には川井佐吉、小林勘兵衛、横尾太一、それに今は亡き中森源三という幼馴染がいました。
彼らは門番として忠勤に励んでいますが、ひと月に四、五回程の番以外の日は三十俵二人扶持の生計を補うためにサツキの苗の栽培に勤しむ身でした。
そうしたある日、川井佐吉が殺されてしまいます。佐吉が殺された理由を探るうちに、本来であれば忍びとして隠密御用を勤める身である伊賀衆が、今では門番という身分に甘んじているという事実に屈託を抱えている者の存在が浮かんでくるのです。
還暦を過ぎた幼馴染らが自分らの存在意義を確認する、その行為に同じ還暦過ぎの身である私はどうしても感情移入してしまいます。これは同世代の人たちには共通する思いではないでしょうか。
また、幼馴染らが自分確認のために動き回るその様は老骨達の青春記とでも言えると思います。
青山文平という人は、「侍が侍として在る」そのことをこれまでの作品で書いておられます。
本書『伊賀の残光』の背景とする時代は「安永」年間という設定です。
この時代は、「武家の存在じたいの矛盾が浮かび上がる」時代であり、「武家はそれぞれに自己のアリバイを模索せざるをえ」ない時代であって、ドラマが生まれ易い時代だと言います。
本書も三十俵二人扶持という軽輩の身とはいえ、自分という存在自体を見つめる武士の物語なのです。
決して派手な物語が展開するわけではありません。あくまで還暦過ぎの初老の男達の自分自身の確認の物語なのです。
蛇足ですが、前述のように本書『伊賀の残光』は以前『流水浮木―最後の太刀―』というタイトルで出版されていました。多分ですが、今回の文庫化に当たり改題されたものと思われます。