『遠縁の女』とは
青山文平著の『遠縁の女』は、文庫本で285頁の、三篇の中編小説からなる時代小説集です。
やはり青山文平の物語であり、ただひたすらに身を預けて読み進めるだけで至福のひとときが訪れる、そんな作品集でした。
『遠縁の女』の簡単なあらすじ
寛政の世、浮世離れした武者修行から五年ぶりに帰国した男を待っていたのは、美貌の女が仕掛ける謎ー表題作ほか、二十俵二人扶持の貧しい武家一家で、後妻が生活のため機を織る「機織る武家」、新田開発を持ちかけられ当惑する三十二歳当主を描く「沼尻新田」。閉塞した武家社会を生きる人間の姿が鮮やかに立ち上る傑作三編!(「BOOK」データベースより)
『遠縁の女』の感想
貨幣経済が発達し、武士が刀だけでは生きていけなくなって久しい江戸中後期を生きる小禄の武家とその家族たちを描いてきた青山文平ですが、本書もその例にもれません。
縫は、入り婿である武井由人という郡役所の下僚の後添えとして嫁いできた。夫は無能であり、更なる家禄の差し替えに際し、縫は賃機で武井家の生活を支えることになるが、この機織りが縫らの生活を変えることになるのたった。
第一話の「機織る武家」では、姑と入り婿とその後添えという血のつながらない三人の暮らしが描かれます。
姑は体面を気にし、夫は職務に関してはろくでなしという他なく、「美濃紙一枚ほどの広さの居場所」を後生大事に抱える夫のその片隅に自分の居場所を見つけるしかない縫でした。
その縫が自分の腕一本で三人の生活を支えることになったとき、嫌なことを嫌とはっきりという姑が変わり、夫も普通の人へと変化していき、縫自身の思いも変化していきます。
最早、夫の居場所の片隅に自分の居場所を見つける縫ではなく、縫の居場所に夫も、そして姑もいついているのです。姑や夫に対する縫の心情の変化は何と言えばいいのか、言葉がありません。
世の片隅で生きることを望むという縫の抱える屈託が明らかにされるこの物語の終盤は、少し話がずれたかと思うこともありますが、縫の全面的な開放という意味ではそれなりの落ち着き先だったのかもしれません。
柴山和巳は父親から持ちかけられた新田開拓の話をあまり喜ばしいものとは思ってはいなかった。しかし、沼尻新田と呼ばれるその土地を調査した折の一人の野方の女との出会いがすべてを変えてしまう。
第二話の「機織る武家」は、武家の給料の仕組みを前提に、一人の女との出会いと想いを描く好編です。
当時の武家の給料には、家禄を米俵で受取る蔵米取りと、自らが有する領地から上がる年貢が給料となる知行取りとがありました。本来は領地を持ち国を治めるという姿こそが武家の本来の姿であったということです。
そうした知行取りであることに誇りを持っている柴山の家にもたらされた新田開発の話。その現地を調査した柴山和巳は、一人の野方の女と出会います。
誰もが上手くいかないと思っていた沼尻新田開発でしたが、その開発には柴山家中興の祖と言われた柴山和巳の隠された意図がありました。ある種のファンタジーとも言えそうな、一人の侍の一途な想いを語る好編です。
好きな剣術が頭打ちになっていた片倉隆明は、父からもたらされた五年を目途とした武者修行の旅に出ることとなる。五年を過ぎ、急な知らせで帰郷すると、幼なじみの女が待っているのだった。
剣術修行の末に行きついた強い百姓らの稽古する野の稽古場という道場で、片倉は百姓らの剣の強さとの違いに気づきます。
それは武士は「死を呑んでいる」ということでした。百姓らの剣は生きるためであり、武士の剣は死ぬためのものである、ということです。
ここでの展開が非常に面白かったのですが、本題はここではありません。この物語の後半にありました。
急な知らせで郷里に帰った主人公の片倉隆明ですが、読者にとっても思いがけない展開となります。
信江という娘がその「遠縁の女」だったのですが、この女の行動に次第に絡め取られていく片倉の描写は、前半の修行は何だったのか、という印象を覚えます。
妖艶な女の恐ろしさがぐっと迫ってきて、ここにおいて、父親が言った片倉の五年の修行の本当の意味が明らかになるのでした。