署長シンドローム

署長シンドローム』とは

 

本書『署長シンドローム』は、2023年3月に335頁のハードカバーで刊行された長編の警察小説です。

大森署が舞台ですが『隠蔽捜査シリーズ』には属してはいなさそうで、多分ですが新しいキャラクターのもと始まる新シリーズになりそうな楽しく読めた一冊でした。

 

署長シンドローム』の簡単なあらすじ

 

大森署を長年にわたり支えてきた竜崎伸也が去った。新署長として颯爽とやってきたのは、またもキャリアの藍本小百合。そんな大森署にある日、羽田沖の海上で武器と麻薬の密輸取引が行われるとの報が!テロの可能性も否定できない、事件が事件を呼ぶ国際的な難事件に、隣の所轄や警視庁、さらには厚労省に海上保安庁までもが乗り出してきて、署内はパニック寸前!?藍本は持ち前のユーモアと判断力、そしてとびきりの笑顔で懐柔していくが…。戸高や貝沼ら、お馴染みの面々だけでなく、特殊な能力を持つ新米刑事・山田太郎も初お目見え。さらにはあの人物まで…!?(「BOOK」データベースより)

 

署長シンドローム』の感想

 

本書『署長シンドローム』は、『隠蔽捜査シリーズ』の竜崎伸也のあとに大森署に赴任してきたキャリアである美人署長の藍本小百合を主人公とする長編小説です。

大森署を舞台にした作品なので『隠蔽捜査シリーズ』に属する、もしくはスピンオフ的な作品と思っていましたが、どうも違うようです。

 

 

確かに、ほんの少しだけ今では神奈川県警刑事部長になっている竜崎伸也も登場しますが、それは単なる顔見世であり、中身は全く独立した物語でした。

とは言っても舞台は大森署であり、登場人物も大森署副署長の貝沼悦郎や警務課課長の斎藤治関本良治地域課課長、久米政男地域課課長、笹岡初男生活安全課課長らの『隠蔽捜査シリーズ』の面々がそのまま登場します。

 

ただ、署長として赴任してきたキャリアの藍本小百合警視正と、大森署刑事組織犯罪対策課に新任の山田太郎巡査長とが新しく登場しています。

この二人が曲者で、まず藍本小百合は誰もが振り向くほどの美人でありながら超がつくほどの天然として場を和ませる力を持っているという、前任の竜崎伸也にも負けないほどの特徴を有しています。

彼女が着任してから、例えば第二方面本部長の弓削篤郎警視正や、野間崎正信管理官などは視察と称してやたらと大森署にやって来るようになっています。

とにかく、藍本署長の美貌はモラルやコンプライアンスを超越しており、反抗的な部下も署長に会ったとたん反抗する気を無くしてしまうし、署長に会った者たちは必ずもう一度会いたがるのでした。

そして山田太郎巡査長は、一度見た場面を映像として規則するという特技を有していますが人物像はそれほど詳しくは紹介してありません。でも、本書ではかなりの活躍を見せます。

 

本書『署長シンドローム』は、大森署副署長の貝沼悦郎の目線で話は進みます。

ある日、組織犯罪対策部長の安西正警視長までもが藍本署長に会いに来ることになりました。

話を聞いてみると、羽田沖の海上で武器や麻薬の取引が行われるらしく、大森署に二百人規模の捜査本部を設けたいというのです。

大森署管轄内で大きな麻薬取引が行われ、さらには武器取引もあるらしくテロの疑いさえあるという情報がもたらされたのです。

ここで、麻薬が絡んだ事件ということで、厚生省麻薬取締部の麻薬取締官の黒沢隆義なる人物も登場してきます。

この人物が問題児であり、「地方警察ごときが、厚労省を相手に偉そうなことを言うんじゃないよ。」と言い切る人物です。

この黒沢に対抗するように嫌な奴として馬淵浩一薬物銃器対策課長が配置され、副署長の貝沼はこうした登場人物たちの勝手な振る舞いに悩まされることになるのです。

 

隠蔽捜査シリーズ』の竜崎伸也は合理性を重んじ、警察官として市民生活を守ることに最も適した方途を選択することを第一義としていました。

本書の主人公である藍本小百合大森署署長は、物事の考え方がシンプルであることを第一義としているようで、物事の本質だけをみて考えて行動するため、結果として元署長の竜崎伸也の言動と似た言動をとることになるようです。

実際、語り手である貝沼副署長に、藍本小百合署長の言葉を聞いたような言葉だと言わせ、結果的に竜崎の行いと同様の行動をとることになっているのです。

そのうえで、「ひょっとしたら、大森署はとてつもなく強力な武器を手に入れたのではないだろうか。」などと言うまでに至ります。

 

本書の魅力と言えば、他の今野敏作品と同様に何よりもキャラクターの造形のうまさをあげることができます。

本書の藍本小百合という新署長も、誰もが何かにかこつけて藍本小百合の顔を見に訪れるほどに美人だというだけでなく、その能力も素晴らしいものを持っているというその存在自体が魅力的な人物です。

特別に何かをするということではないのですが、何も特別なことをするではなく普通のことを普通に行っているだけなのに結果がついてくる、そういう存在です。

そして、山田太郎という奇跡的な記憶力の持ち主も登場しているのです。

 

前述したように、たぶん新シリーズの幕開けと考えていいのではないでしょうか。

今野敏という作家のファンとしては見逃すことのできないシリーズとなりそうです。

探偵は田園をゆく

探偵は田園をゆく』とは

 

本書『探偵は田園をゆく』は『シングルマザー探偵の事件日誌シリーズ』の第二弾で、2023年2月に322頁のソフトカバーで刊行された長編のハードボイルド小説です。

シリーズ初の長編小説で、山形弁そのままの女探偵が行方不明になったある男を探し回るハードボイルドですが、どことなく物語に没入できない違和感を感じた作品でした。

 

探偵は田園をゆく』の簡単なあらすじ

 

椎名留美は元警官。山形市に娘と二人で暮らし、探偵業を営んでいる。便利屋のような依頼も断らない。ある日、風俗の送迎ドライバーの仕事を通じて知り合ったホテルの従業員から、息子の捜索を依頼される。行方がわからないらしい。遺留品を調べた留美は一人の女に辿り着く。地域に密着した活動で知名度を上げたその女は、市議会への進出も噂されている。彼女が人捜しの手がかりを握っているのだろうか。(「BOOK」データベースより)

 

探偵は田園をゆく』の感想

 

本書『探偵は田園をゆく』は、シングルマザーである椎名留美という元警官の探偵を主人公とするハードボイルド作品です。

シリーズ第一巻の『探偵は女手ひとつ』は六編からなる連作短編集でしたが、本書は本業の人探しの依頼を受けての長編小説となっています。

 

本シリーズの特徴は、物語の舞台が山形であって、主人公ら登場人物の言葉ももっぱら山形弁だということです。

私には分からないのですが、出てくる土地名もそのままに山形に実在する土地が登場してきていることだと思います。

 

地方が舞台の小説と言えば、私の郷里熊本を舞台にすることが多いSF作家で、映画化もされた『黄泉がえり』の作者である梶尾真治の作品が思い出されます。

この人の作品に登場するのは私もよく知っている熊本市内の繁華街であったり、郊外であったりするので、読んでいてとても親しみを感じるのです。

多分、山形の人達も本書を読んで同様の思いを持つことだと思っています。

 

 

椎名留美はデリヘルのドライバー仕事に関連して知り合った橋立和喜子という女性から、息子の翼が行方不明になったので探してほしいという依頼を受けます。

母親の溺愛をいいことに女にだらしなく、いい加減な生活を送っていた翼がある日突然連絡が取れなくなったというのです。

翼の部屋にあったとある品物から浮かび上がってきたのが西置市内のNPO法人の代表者である吉中奈央という女性と、その側にいた西置市の東京事務所顧問だという中宇祢祐司という男でした。

こうして、前巻にも登場してきた畑中逸平・麗の元ヤンキー夫婦の手助けを得ながら探索を始めるのです。

 

本書『探偵は田園をゆく』は、こうして人探しというハードボイルドの王道の仕事を遂行する留美たちの姿が描かれていますが、主人公の椎名留美の背景も前巻より以上に詳しく語られています。

留美は両親に反対されながらも椎名恭司と結婚しましたが、知愛が生まれてからも、恭司が事故死してからも両親とは仲違いしたままでした。

代わりに義母の椎名富由子とはとても良好な関係を保っていて、恭司の死後しばらくは間をおいていたものの、今回の事件でたまたま再開してからは前以上に仲良くなっていくこと、などが語られています。

さらには留美が警察をやめるに至った事情についても明らかにされているのです。

前巻で、こうした事情がどこまで明らかにされていたかはよく覚えてはいないのですが、ここまで詳しくは明らかにはされていなかったと思います。

 

こうしてシングルマザー探偵の仕事ぶりが語られることになっているのですが、ただ、ミステリーとしての本書に関しては、今一つ感情移入できませんでした。

前巻は、それなりに面白く読んだ記憶しかありません。山形弁の女性探偵という設定もユニークだし、個々の話の内容もそれなりに惹き込まれて読んだと覚えています。

しかし、本書では敵役に今一つ存在感がなく、惹き込まれて読んだとまでは言えませんでした。

前作の個々の物語の登場人物たちのように、キャラクターが立っている印象が無かったことによると思います。

 

さらに言えば、最後のひねりにも少々無理筋なものを感じてしまったこともあると思われます。

本シリーズは、主人公にも、その周りの登場人物たちにも魅力的な人物が多く登場してきているので、もっと面白い差作品が出てくるものと期待して待ちたいと思います。

クロコダイル・ティアーズ

クロコダイル・ティアーズ』とは

 

本書『クロコダイル・ティアーズ』は、2022年9月に331頁のハードカバーで刊行された、第168回直木賞の候補作となった長編のサスペンス小説です。

確かに人間心理の複雑さをついた興味ある物語ではあるものの、雫井作品として直木賞候補になるほどかと感じた作品でした。

 

クロコダイル・ティアーズ』の簡単なあらすじ

 

【第168回 直木賞候補作】
ベストセラー作家、雫井脩介による「究極のサスペンス」

この美しき妻は、夫の殺害を企んだのか。
息子を殺害した犯人は、嫁である想代子のかつての恋人。被告となった男は、裁判で「想代子から『夫殺し』を依頼された」と主張する。犯人の一言で、残された家族の間に、疑念が広がってしまう。

「息子を殺したのは、あの子よ」
「馬鹿を言うな。俺たちは家族じゃないか」

未亡人となった想代子を疑う母親と、信じたい父親。
家族にまつわる「疑心暗鬼の闇」を描く、静謐で濃密なサスペンスが誕生!

「家族というのは、『お互いに助け合って、仲睦まじく』といった一面が取りざたされることも多いですが、そうじゃない部分もあります。ある種の運命共同体であるからこそ、こうしてほしいという願望を押しつけあったり、求めあったりして、生きづらさも生んでしまう。だからこそ、ドラマが生まれる。家族が一枚岩になれないときに生ずる『心の行き違い』は、サスペンスにしかならない」(著者インタビューより)

全国の書店員さんから、驚愕と感嘆の声が届いている傑作をぜひ!( 内容紹介(出版社より))

 

クロコダイル・ティアーズ』の感想

 

本書『クロコダイル・ティアーズ』は、第168回直木賞の候補作となった長編作品ですが、個人的には雫井脩介の作品として普通のレベルだと感じた作品でした。

確かに人間の意識のありようをついた興味深いテーマの作品ではありました。

しかしながら、立花もも氏の書評にも書いてあったように、「人は、けっきょく、誰に何と言われようと、自分の信じたいことを信じてしまう」( ダ・ヴィンチ : 参照 )というそれだけのことを書いてあったに過ぎないと思えたのです・

とはいえ、そのことを小説として仕立てるそのことがとても難しい作業であることは分かります。ただ、雫井脩介という作家であればもっと面白い作品を紡ぎだせたと思うのです。

 

東鎌倉で「土岐屋吉平」という陶磁器店を営む久野貞彦とその妻暁美は、ある日突然、息子の康平を殺されてしまいます。

ところが、犯人である隈本重邦は康平の嫁想代子のかつての交際相手だったのです。

そして判決言い渡しの日、隈本の「想代子から夫のDVがひどいのでなんとかしてくれと」と頼まれたという趣旨の言葉を聞いて以来、その言葉を忘れることはできなくなったのでした。

 

本書『クロコダイル・ティアーズ』の影の主役である想代子という人物は、物静かな女性という印象の女性です。

しかし、そのことは本心が見えにくい女性ということでもあって、一旦悪い印象を持ってしまうとそのようにしか思えないことになります。

その上、「土岐屋吉平」のある地域の再開発の話があって、貞彦はその事業に参加しない意向を持っているということでもありました。

そのことは、「土岐屋吉平」で起こる細かな事件の背景を複雑なものとしていくのです。

こうした背景は想代子という女性のミステリアスな雰囲気をさらに盛り上げ、読者も隈本の発した言葉は真実なのか、それとも嘘なのかと心は揺れ動くことになります。

 

加えて、暁美の実姉である塚田東子の想代子に対する疑いの言葉が暁美の心の揺らぎを増幅させます

東子は夫の辰也と共に「土岐屋吉平」が入っているビルの三階で雑貨店を営んでいて、いつも妹の暁美を支えるように側にいます。

その東子の雑誌の記者を使って隈本のことを調べさせるなどの行動は、暁美の疑念を確信に近いものへと押しやるのです。

 

このような周囲の言葉もあり、またもともと想代子の性格が控えめであったこともあって、想代子のどんな言葉も行為も暁美にとっては裏があるようにしか思えなくなるのです。

ましてや想代子という女性の行為は疑惑を招きかねないものであり、さらには暁美の心にいったんわき起こった疑惑はなかなか解消されるものではないということが繰り返し示されていきます。

そして、それ以上のものは感じられませんでした。「自分の信じたいことを信じてしまう」暁美の様子が描かれている、それだけとの印象がぬぐえませんでした。

 

とはいっても、Amazonの該当箇所を見ると、日本全国の書店員さんたちの本書『クロコダイル・ティアーズ』に対する絶賛の声が掲載してあり、さらにはネット上でもかなり高い評価が為されています。

つまりは、以上のような私の印象はかなりの少数派であって、私の感じ方が世間一般と異なっていると言うしかありません。

結局、いい本だけれども私の好みではない、というこのサイトでも何度か書いてきた言葉をここでも書いておくしかなさそうです。

秋麗 東京湾臨海署安積班

秋麗 東京湾臨海署安積班』とは

 

本書『秋麗 東京湾臨海署安積班』は『安積班シリーズ』の第二十一作目で、2022年11月に352頁のハードカバーで刊行された、長編の警察小説です。

特殊詐欺事案を扱った現代の世相をさらに一ひねりした物語といえ、いつも通りの安定の面白さを持った作品です。

 

秋麗 東京湾臨海署安積班』の簡単なあらすじ

 

青海三丁目付近の海上で遺体が発見される。身元は、かつて特殊詐欺の出し子として逮捕された戸沢守雄という七十代の男だった。特殊詐欺事件との関連を追う中、遺体が見つかる前日に戸沢と一緒にいた釣り仲間の猪狩修造と和久田紀道に話を聞きに行くと、二人とも何かに怯えた様子だった。安積たちが再び猪狩と和久田の自宅を訪れると既に誰もおらず、消息が途絶えてしまうー。(「BOOK」データベースより)

 

秋麗 東京湾臨海署安積班』の感想

 

本書『秋麗 東京湾臨海署安積班』は、冒頭にも書いたように今野敏の安定のシリーズ作品でした。

 

本『安積班シリーズ』の主人公である安積剛志警部補が勤務する東京湾臨海署の鼻先の海で浮いている遺体が発見されます。

被害者の身元はSSBC(捜査支援分析センター)の顔認証システムのおかげですぐに判明したのですが、戸沢守雄というその被害者は特殊詐欺に加害者として関わっていたことが判明します。

そこで、安積らはその件を担当した葛飾署の生活安全課生活経済係に行き、係長の広田芳明の話を聞くことになるのでした。

この広田芳明という係長が今回の事件のスパイスとなりますが、間延びしている、とでも言えそうな話し方をする刑事ではあるものの、安積の話に自分たちも気になっていたと協力を惜しまない人物だったのです。

そうするうちに、被害者の戸沢と共に浮かんできたのが猪狩修造和久田紀道という仲間でしたが、いつか行方不明となり、事件との関連を疑わせることになったのです。

 

本書『秋麗 東京湾臨海署安積班』では戸沢の事件とは別に、東報新聞記者の山口友紀子記者の安積の部下である水野真帆巡査部長への相談事がサイドストーリーとして描いてあります。

山口は定年後再雇用の契約記者である先輩記者の高岡伝一と組んでの取材が増えたのはいいが、高岡のセクハラやパワハラ行為を受けているという相談でした。

この相談事が、いかにも今野敏らしい設定であり、また解決の仕方でした。

解決方法はある程度予測できるものではあったのですが、それなりに納得のいくものであって、不快感の無い読後感だったのです。

また、例によって臨海署の交機隊の速水直樹小隊長が登場し、このセクハラ問題や戸沢が殺された事件にも関わらせ、いつもの速水節をたっぷりと聞かせてくれていて心地よいものでした。

 

本書『秋麗 東京湾臨海署安積班』では、本『安積班シリーズ』のレギュラーである水野と山口記者との話、それに安積班の須田三郎部長刑事といったユニークな人物たちの活躍を十二分に描き出してあります。

こうしたいつものメンバーに加え、新たな高岡係長という人物もゲスト的立場で彩りを加え定番の面白さを持った作品として仕上がっている、そんな作品だということができます。

特に本書『秋麗 東京湾臨海署安積班』の場合、特殊詐欺を取り上げ、さらに近年問題になっている半グレも絡ませて時代性を反映した作品であり、今野敏の作品らしい読みやすさと面白さを兼ね備えた一冊になっているのです。

本書もまた水準以上の面白さを持った作品だったのであり、安定した面白さを持った物語でした。

鬼哭の銃弾

鬼哭の銃弾』とは

 

本書『鬼哭の銃弾』は2021年1月に刊行された328頁の長編の警察小説です。

刑事だった父親と現役の刑事である息子との確執を通して、ある事件の解決を目指す二人の行動を描くどこか中途な印象も抱いた、しかしそれなりに面白い作品でした。

 

鬼哭の銃弾』の簡単なあらすじ

 

警視庁捜査一課の刑事・日向直幸は多摩川河川敷発砲事件の捜査を命じられる。使用された拳銃の線条痕が、22年前の「スーパーいちまつ強盗殺人事件」で使用された拳銃と一致。迷宮入り事件の捜査が一気に動き出す。その事件は鬼刑事の父・繁が担当した事件だった。繁は捜査にのめり込むあまり、妻子にDVを働き家庭を崩壊させた。警官親子が骨肉の争いの果てに辿り着いた凶悪事件の真実とはー。(「BOOK」データベースより)

 

22年前、府中市のスーパー「いちまつ」で店長、パート、バイトの三人が射殺され金が奪われるという事件が起きた。

そのとき使用された銃だと思われる発砲事件が起き、警視庁捜査一課殺人犯捜査三課の日向直幸が担当することになった。

早速府中署の特別捜査本部への乗り込むが、警察はこの「いちまつ」事件には何度も振り回された経緯もあり、さらには事件についての内部情報が漏れたこともあって、所轄の捜査員との温度差が目立っていた。

捜査が進むなか、重要な容疑者として浮かんできたのは直幸の父である日向繁だった。

繁はかつて「いちまつ」事件の担当でもあった元鬼刑事であり、直幸や直幸の母親は茂に暴力を振るわれる毎日だったのだ。

その繁が未だ「いちまつ」事件を追っているというのだった。

 

鬼哭の銃弾』の感想

 

本書『鬼哭の銃弾』は、二十二年前の強盗殺人事件に振り回される警察の姿を描く警察小説であると同時に、刑事だった暴力的な父親と、その父親を嫌っていたにもかかわらず刑事となった息子の父子の物語でもあります。

もしかしたら、警察小説というよりはミステリータッチの冒険アクション小説と言うべきかもしれません。

主人公は警視庁捜査一課殺人犯捜査三課の班長でもある日向直幸であり、その父親は現在は退職しているものの、二十二年前は「いちまつ」事件担当の刑事だった日向繁という男です。

物語はほとんどこの二人を中心に動きます。勿論、例えば直幸の妻であったり、上司であったりと脇を固める人たちも個性的な人物は配してありますが、物語としてはこの二人を軸に動き、それなりの面白さ持った作品です。

 

深町秋生の作品というと、バイオレンス感満載の物語という印象が強いのですが、それは本書においても例外ではありません。

特に父親の日向繁は暴力の塊であり、特に、家庭内のDVのために母親は命を縮めたというのですから、よく刑事を続けることができたものです。

直幸の父親への反発は当然であり、過去には父親の膝を空手の蹴りで壊したこともあったと言います。今でも父親を許してはいないのです。

こういうキャラクターの父親を設定している理由は、私にはよく分かりません。母親の命を縮めるほどのDVを繰り返す刑事、という存在があまり理解できないのです。

親子の感情的な対立を描きたいというのであれば分からないではありませんが、本書の設定は若干違和感を感じます。

 

また、本書『鬼哭の銃弾』は古くはないどころか新しいと言える作品であるのに、何故か型にはまった印象を抱きました。

例えば、本書の冒頭で主人公とその妻との会話の場面がありますが、そこでの印象も定型的な印象を覚えてしまうのです。

虐待の末に子供を殺した親がおり、その事件の捜査をする刑事自身も幼い頃に父親から虐待を受けていたという設定のもと、そうした夫のすべてを知り許容している妻がいます。

実際はそんなに読んでない筈なのに、何故かどこかで読んだような、それも何度も読んだことがあるような類型的な印象であり、それ以上のものを感じないのです。

どうしてこのような印象を抱いたのか、理由はよく分かりません。

 

その暴力的な父親が、過去の「いちまつ」事件の掘り起こしを担当している直幸の前に登場するどころか、「いちまつ」事件を今でも追いかけているというのです。

次第に明らかになっていく「いちまつ」事件の真相、そして、そこに絡んでくる父繁の存在というその設定自体はやはり深町作品であり、バイオレンス満載でもあってエンターテインメント作品として面白く読みました。

こうして書いてくると、家族への暴力を繰り返していた刑事とその息子の刑事という設定を、個人的に受け入れることができていないのではないかと思えてきました。

物語としては面白く感じたのですから。矛盾といえば矛盾ですが、素直な気持ちです。

 

そうした個人的な印象はありながらも、つまりは本書『鬼哭の銃弾』は、深町エンターテインメント作品として面白く読んだ作品だと言えます。

疑心 隠蔽捜査3

疑心 隠蔽捜査3』とは

 

本書『疑心 隠蔽捜査3』は『隠蔽捜査シリーズ』の第三弾で、2009年3月に刊行されて2012年1月に関口苑生氏の解説まで入れて426頁で文庫化された、長編の警察小説です。

恋に落ちた竜崎、という珍しい設定の物語であるにもかかわらず、警察小説としても面白さを持った作品でした。

 

疑心 隠蔽捜査3』の簡単なあらすじ

 

アメリカ大統領の訪日が決定。大森署署長・竜崎伸也警視長は、羽田空港を含む第二方面警備本部本部長に抜擢された。やがて日本人がテロを企図しているという情報が入り、その双肩にさらなる重責がのしかかる。米シークレットサービスとの摩擦。そして、臨時に補佐を務める美しい女性キャリア・畠山美奈子へ抱いてしまった狂おしい恋心。竜崎は、この難局をいかにして乗り切るのか?-。(「BOOK」データベースより)

 

竜崎は、アメリカ大統領の来日に際し、第二方面警備本部本部長に任命された。

そんな折、かつて竜崎の下で研修を行ったことがある畠山美奈子という女性キャリアが竜崎の補佐を勤めるためにやってきた。

ところがこの女性が竜崎の心をとらえてしまい、いつもと異なる竜崎の姿がみられることになるのだった。

一方、竜崎の家庭では娘の美紀と交際相手の忠典との仲が暗礁に乗り上げていた。

 

疑心 隠蔽捜査3』の感想

 

本書『疑心 隠蔽捜査3』は、主人公の竜崎伸也大森署署長が、来日するアメリカ大統領に対するテロを未然に防止するために奔走する姿が描かれる物語です。

そして、異例のことですが羽田空港を管轄内に抱える大森署の署長の竜崎が第二方面警備本部本部長を担当することとなり、アメリカのシークレットサービスとの折衝という面倒な作業を抱えることになります。

この本部長という重責を担った竜崎の前に藤本警備部長の後ろ盾がある警備部警備第一課所属の畠山美奈子というキャリアが登場します。

この女性は、竜崎が警察庁の総務課広報室長だった時代、研修期間中に広報室に来たことがある女性だったのですが、この女性が竜崎の心をかき乱すさまが、本書の一番の見どころということになります。

竜崎にとって、かつてはいじめられた相手とは言いながらも警視庁刑事部長の伊丹俊太郎という人物に頼る竜崎の姿もあり、やはり物語の面白さでは安定しています。

 

さらに、米国土安全保障省所属シークレットサービスとはジョン・ストリングフィールドエドワード・ハックマンというコンビだったのですが、彼らが大統領に対するテロ計画に日本人が関与しているという情報を持ってきます。

そこで、二人のうちのハックマンという男が羽田を抱える竜崎の本部に詰め、さらに羽田の様子をチェックしたハックマンは羽田空港の閉鎖を要求するなど日本の警察と衝突することになります。

まさにプロフェッショナルな仕事をするシークレットサービスとの竜崎のやり取りが本書の見どころの二番目であり、また第二方面本部の野間崎管理官などのキャリア同士の争いが次の見どころになります。

 

竜崎という特異なキャラクターを育て上げた作者の今野敏という人の筆力には驚かされるばかりですが、本書においてもその筆の力は十分に発揮されています。

なにせ、あの竜崎署長がハイティーンのように心が揺れる様子が一番の見どころだ、というのですからいつもの本シリーズのファンはもちろん興味を惹かれない筈はありません。

ただ、その点は本シリーズを知らない人にとっては竜崎の様子は少々異常とも思え、その面白みを理解しがたい可能性はあります。

でもそうした場合であっても、キャリアでありながら所轄の署長という職務についている竜崎という主人公の仕事ぶりには惹かれるものがあると思うのです。

 

そういう点では、竜崎が恋心を抱いたために明晰である筈の頭脳の働きが鈍っているという場面のために、本書がシリーズ内で独特の位置にある、とはいってもそのことが逆に竜崎の独自性を示すことにもなるかもしれません。

いずれにせよ、当然のことながら竜崎の胸のすく活躍は見れるのですから、やはり読みごたえがある作品だと言えます。

爆弾

爆弾』とは

 

本書『爆弾』は、2022年4月に425頁のハードカバーとして刊行され第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

巻き起こる爆発を阻止すべく交わされる警察と被疑者との間で交わされる心理戦のゲームじみた会話の面白さは群を抜いています。

 

爆弾』の簡単なあらすじ

 

◎第167回直木賞候補作◎
◎各書評で大絶賛!!◎

東京、炎上。正義は、守れるのか。

些細な傷害事件で、とぼけた見た目の中年男が野方署に連行された。
たかが酔っ払いと見くびる警察だが、男は取調べの最中「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。
直後、秋葉原の廃ビルが爆発。まさか、この男“本物”か。さらに男はあっけらかんと告げる。
「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。
警察は爆発を止めることができるのか。
爆弾魔の悪意に戦慄する、ノンストップ・ミステリー。内容紹介(出版社より)

 

スズキタゴサクを名乗る自称酔っ払いが、傷害容疑で連行された野方警察署の取調室で、突然秋葉原での爆発を予言した。

事実、予言通りに秋葉原で爆弾が破裂し、スズキはさらに「ここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げるのだった。

その一時間後、今度は東京ドームそばで爆発が起き重傷者も出てしまい、警視庁からも特殊班捜査係に所属する二人の刑事が送り込まれてきた。

以降、野方署での警視庁の刑事とスズキとの会話、心理戦は一段と鋭くなり、発せられる言葉の一言ひとことが重要な意味を持ってくるのだった。

 

爆弾』の感想

 

本書『爆弾』は、犯人と目される男と刑事たちとの会話を中心として展開される、第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

本書で登場する被疑者は、少なくとも見た目は社会の底辺にいると自称する全くさえない中年男性です。

その男と警察官との会話には妙に惹きつけられ、加えて担当官の推理が働く場面はこれまた独特の思考がたどられていて、目を離せなくなります。

 

本書『爆弾』の登場人物としてまず挙げられるのは、たるんだ頬とビール腹をしたさえない風体の、些細な傷害事件で東京都杉並区の野方署に連行されてきたスズキタゴサクと名乗る中年男性です。

このスズキが霊感が働いたとして秋葉原での爆発を予告し、ほかに三度の爆発を予言し、この事件の幕が開けます。

そして、当初は等々力功という刑事がスズキの訊問に送り込まれ、記録係として伊勢という刑事がいましたが、秋葉原での爆発を契機に、警視庁捜査一課特殊班捜査係から清宮類家という二人の刑事が送り込まれます。

爆弾のことはたまにしか霊感が働かず見えないというスズキは、清宮に対し「九つの尻尾」というゲームをしようと持ちかけ、ここから警察とスズキとの心理ゲームが展開されます。

このゲームで交わされる会話の中に次の爆発のヒントが隠されていることに気付く清宮たちですが、そのうちに「ハセベユウコウ」という名が示され、事件は一気に異なる様相を見せ始めます。

それとは別に、スズキの取り調べを外された等々力や、全くの民間人である細野ゆかりという女子高生の行動の描写が効果的に挟まれ、巻き起こった爆発に対する第三者の視点を提供してくれています。

 

清宮や類家という警察官と被疑者であるスズキの会話で見られる相互の会話での畳み掛け、言葉の交錯、類家の解釈による場所の特定などに漂うサスペンス感には思わず引き込まれてしまいました。

ここでの会話は騙し合いの様相を見せながらも当事者たちの必死の心理戦が戦わされていて、読みごたえがあります。

そして、スズキが展開する普通の人間も感じるであろう論理に読者でさえも何となくの共感を覚えたいたりもし、そのこと自体にまた驚いたりもしてしまうのです。

ここらの展開は、「当事者にとって悲劇でしかない事件に対して、安全な場所にいる身で高揚してしまう」という、人間としてあるまじき感情を抱いてしまうという事実をスズキの言動に照らし考えてもらう、という作者の術中にまさにはまっているのです( 本の話 : 参照 )。

 

とはいっても、よく読めば、類家の思考は論理を丁寧に追っているだけだと分かります。ただ、キャラクターに惑わされて独特な思考だと思ってしまったようです。

ただ、その論理を丁寧に追っていくことが普通の人間には難しいのですが。

例えば、物語も終盤に入ったころに類家が爆発のトリガーに気付く場面がありますが、スズキとの会話の中のどこでそのキーワードに気付いたのか私には分かりませんでした。

対象が「動画」であることから単純に気付いたのか、それとも他に理由があるのか分からなかったのです。

 

本書『爆弾』でのスズキと清宮・類家との会話のように、会話で物語が進んでいくものの、その会話のロジックが妙に重く、まとわりつくような印象を持った物語をかつて読んだような気がするのですが、誰の何という作品だったか思い出せません。

あさのあつこの『弥勒シリーズ』がそうした印象に似ているかとも思いましたが、こちらはただ登場人物の交わす会話の中で彼らの「闇」が展開されているだけで、本書のゲーム性を帯びた展開とは異なるようです。

いつか思い出したら書き換えようと思っています。

 

 

ともあれ、本書の著者である呉勝浩という作家の作品は、これまで直木賞に三度候補作として取り上げられていて、そのどの作品も重厚で読みごたえのある作品となっています。

中でも本書は私が好きだった『スワン』を越えたサスペンス小説だと感じるほどでした。

 

 

今後の作品が楽しみな作家であり、続巻を待ちたいと思わせられる作家さんのひとりだと言えます。

ハヤブサ消防団

ハヤブサ消防団』とは

 

本書『ハヤブサ消防団』は2022年9月にソフトカバーで刊行された、474頁の長編のミステリー小説です。

この作者の『半沢直樹シリーズ』のような痛快小説ではなく、とある町を舞台にした純粋なミステリーであって、若干の期待外れの印象は否めませんでした。

 

ハヤブサ消防団』の簡単なあらすじ

 

連続放火事件に隠されたー真実。東京での暮らしに見切りをつけ、亡き父の故郷であるハヤブサ地区に移り住んだミステリ作家の三馬太郎。地元の人の誘いで居酒屋を訪れた太郎は、消防団に勧誘される。迷った末に入団を決意した太郎だったが、やがてのどかな集落でひそかに進行していた事件の存在を知るー。(「BOOK」データベースより)

 

作家の三馬太郎は、ふと思い立ち、中部地方にある八百万町ハヤブサ地区の亡父の家に移り住むことにした。

その地で、地区の消防団に誘われた太郎は何も分からないままに消防団に参加し、何とか地区の皆に溶け込むことができていた。

しかし、そのうちにこの地区では火災が相次いで起きていることを知り、さらには知人の家からも出火し、住人の一人が死体で発見される事態も起きる。

またこの地区では太陽光発電のためのパネルの設置が目立つようになっていたのだが、その裏で思いもかけない企みが進行していたのだった。

 

ハヤブサ消防団』の感想

 

本書『ハヤブサ消防団』は、中部地方のとある山村を舞台にしたミステリー小説です。

山々に囲まれた八百万町の六つの地区のうちのハヤブサ地区にあった亡き父の家に移り住んだ、三馬太郎という小説家を主人公としています。

太郎は、藤本勘助という男に地区の消防団に誘われ、何も分からないままに参加することとなります。

この消防団は、宮原郁夫を分団長として、副分団長で役場勤めの森野洋輔、大工の中西陽太、洋品店経営者の徳田省吾、多分教師だろう滝井悠人、そして地元の工務店勤務の藤本勘助という面々がいました。

この消防団のたまり場が△(サンカク)という地元の人気店らしい居酒屋です。

それに、太郎と同じように二年くらい前に八百万町に越してきた映像クリエーターの立木彩がいて、ほかに八百万町長の信岡信蔵、S地区警察署長の永野誠一、それに随明寺住職の江西佑らが中心人物として登場します。

ほかにも多くの人物が登場しますが、すべてを紹介するわけにもいきません。

 

そのうちに、ハヤブサ地区内で火事が連続して発生し、さらにとある新興宗教の問題までもが絡んでくるのです。

こうして、連続して発生する火事は失火なのかそれとも放火か。

また、ハヤブサ地区でよく目にするようになった、ハヤブサ地区の景観を台無しにしてるという太陽光発電のパネルの問題もでてきます。

加えて、オルビス・テラエ騎士団という問題を起こした教団のあとを継いでいるらしい、オルビス十字軍と名乗る新興宗教の問題など、次から次へと問題が発生します。

 

たしかに、本書では多くの人物が登場し、その相互の人間関係は複雑に絡み合い、最後まで連続出火やとある人物の死の真実、など犯人像は最後まで絞り切れません。

その点を主人公が調査し、真実の一端に辿り着く描写はそれなりに読みごたえがあります。

 

しかし、最終的に本書が語りたいことは何なのか、よく分からないままに読了することになりました。

そういう意味でも、田舎暮らしを描くうえで避けて通れない人間関係の濃密さなどの描き方が、個人的には今一つの印象です。

消防団の仲間との交流はあり、狭い地域で情報は筒抜けになることなど少しは描いてあるものの、そうしたことは単に背景としてあるだけです。

でも、この点に関しては推理小説である本書でそれほどあげつらうこともないかもしれまん。

 

では、かつてのオウム真理教を思わせる過激な新興宗教の問題としてあるのかと言えば、その点でも新興宗教の不都合な側面などはなく、あくまで本書での特定のグループの特殊さを強調してあるだけです。

そこに、宗教団体としての存在は何もありません。

かといって、タイトルでもある消防団の問題点も特にありませんし、田舎での恋愛模様もありません。

 

結局、本書の舞台で起きた火災と、事件性がはっきりしないある人物の死という事実、そこに絡んでくるオルビス十字軍という特殊集団とのサスペンス感も加味されたミステリーというだけで、何とも焦点がぼけている印象です。

先にも述べたように、これまでのこの池井戸潤という作家の個性があまりにも小気味のいい経済小説という印象が強烈であるために、その印象に引きずられている感はあります。

しかしながら、そうした先入観を取り除いて、純粋なミステリーとして見直しても何となく中途半端な印象は残ります。

 

この池井戸潤の『果つる底なき』は、舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではありますが、この作品はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

また、『シャイロックの子供たち』は、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られていると言えます。

勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。

こうした作品がある以上は、本書だけが何となくテーマが見えないという感想は的外れではないと思うのです。

 

 

繰り返しますが、池井戸潤という作家の作品だということで、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』のような痛快企業小説を期待して読むと、裏切られます。

本書は、まさにミステリーであり、そこに痛快小説の要素は全くなく、主人公にストーリーの途中で襲いかかる、そして主人公が乗り越えるべき何らかの難題も、本書ではありません。

「田舎の小説を書」きたいという著者の思いは、消防団という組織を通してそれになりに成功していると思います。

ただ、消防団や皆の集まる居酒屋、そして田舎の風景はいいのですが、先に述べた田舎での過度なまでの人間関係の濃密さの描き方は今一つでした。

結局、まさに普通のミステリー小説である本書は、普通に面白いということはできても、残念ながら池井戸潤という作家に対する高い期待に対して十分に応えた作品だということはできない作品だったと言わざるを得ません。

希望の糸

希望の糸』とは

 

本書『希望の糸』は『加賀恭一郎シリーズ』の第十一弾で、2019年7月に刊行されて2022年7月に400頁で文庫化された、長編の推理小説です。

一旦終了したものと思っていた本シリーズですが、意外な形での再登場となった本書はさすがの面白さを持った作品でした。

 

希望の糸』の簡単なあらすじ

 

小さな喫茶店を営む女性が殺された。加賀と松宮が捜査しても被害者に関する手がかりは善人というだけ。彼女の不可解な行動を調べると、ある少女の存在が浮上する。一方、金沢で一人の男性が息を引き取ろうとしていた。彼の遺言書には意外な人物の名前があった。彼女や彼が追い求めた希望とは何だったのか。(「BOOK」データベースより)

 

希望の糸』の感想

 

本書『希望の糸』は、引き起こされた殺人事件の動機に焦点があてられた、悲しく、せつなさにあふれた物語です。

本書ではシリーズのこれまでの主人公である加賀恭一郎ではなく、恭一郎の従妹である松宮脩平が物語の中心となっています。

加賀恭一郎は、松宮が属する本部のまとめ役として登場し、要となる場面で重要な役割を果たすのです。

 

登場人物としては、まずは殺人事件の被害者である花塚弥生という五十一歳の女性がいます。「弥生茶屋」というカフェの経営者であり、誰に聞いても「いい人」という評判しか聞こえてこない、殺されるべき理由も見当たらない人物です。

この花塚弥生の関係者として弥生の元夫の綿貫哲彦がおり、現在の彼の内縁の妻として中屋多由子という女性がいます。

次いで、殺された花塚弥生の店をよく訪ねていて本事件の重要容疑者となったのが汐見行伸であり、その家族が娘の萌奈で、妻の怜子は早くに亡くなったため信之が萌奈を男で一つで育てているのです。

そしてもう一組、物語に重要な役割を果たす家族がいますが、それが金沢の高級旅館の女将である芳原亜矢子と死を目前にした亜矢子の父親の芳原真次であり、そこに関係してくるのが松宮脩平です。

芳原亜矢子が自分の父の芳原真次が松宮脩平の父親だと突然に松宮の前に表れ、読者に「家族」というものあらためて考えさせることになるのです。

 

本書『希望の糸』は犯人探しとその意外性というミステリーの王道の面ももちろんあり、それはそれで物語として面白く読んだ作品です。

ただ、本書の主眼はその犯人探しではなく、犯行の動機にあります。本書での殺人事件の犯人が判明してからが本書の主要なテーマが明らかになっていくのです。

もちろん、そこの詳細をここに書くわけにはいきませんが、心を打つ、悲しみに満ちた物語が展開されていきます。

「家族」というもののあり方、さらには親子の関係など、読んでいくうちに自然と問いかけられ、自分なりに考え、答えを探していることに気付きます。

すぐに明確な答えが出る筈のものではありませんが、それでも「家族」について考えるそのきっかけにはなるのではないでしょうか。

 

東野圭吾の作品だけでなく、ミステリーの形式を借りて語られる胸を打つ物語は少なからず存在します。

そのほとんどは犯行の動機に斟酌すべき側面があるというものであり、そのほとんどは利他的な側面を持つ行動の結果、犯罪行為に至るというものでしょう。

例えば近年の作家ですぐに思い出す作品といえば、柚月裕子の『佐方貞人シリーズ』などがあります。

 

 

また、利他的行為という意味とは少し異なりますが、近年私が注目している青山文平砂原浩太朗という時代小説の作家さんも、ミステリーの手法を借りた胸を打つ作品を書かれています。

例えば前者では『やっと訪れた春に 』を、後者では『黛家の兄弟』などをその例として挙げることができると思います。

共に、私欲ではなく侍としての生きざまを貫く生き方を描いた読みやすい、しかし読みごたえのある作品です。

 

 

繰り返しになりますが、本書『希望の糸』は、事件のきっかけのある言葉が物語の序盤から示されていて、最後の最後に犯罪の実際が明かされてはじめて伏線だったことが分かるなど、ミステリーとしての面白さも十分にある物語です。

その上で家族や親子、そして人間としての生き方も含め、読者に考えることを強いる物語だとも言えそうです。

東野圭吾らしく視覚的で分かり易い文章で加賀恭一郎や松宮脩平といった探偵役の刑事たちの姿を浮かび上がらせ、この犯罪で振り回される人たちの様子を描き出してあります。

 

本書『希望の糸』では、主人公が加賀恭一郎から松宮脩平へと移っているからでしょうか、『加賀恭一郎シリーズ』のスピンオフ作品だと紹介してあるサイトもあるようです。

しかし、加賀恭一郎も登場しそれなりの活躍も見せていますので、ここでは『加賀恭一郎シリーズ』の一冊として紹介しています。

 

やはり東野圭吾の作品は面白い、そう思わせられる作品でした。

マスカレード・ゲーム

マスカレード・ゲーム』とは

 

本書『マスカレード・ゲーム』は『マスカレード・シリーズ』の第四弾で、2022年4月に刊行された、369頁の長編の推理小説です。

刑罰について考えさせられる切なさに満ちた、しかし東野圭吾本来の面白さが戻ってきた印象があるとても面白い作品でした。

 

マスカレード・ゲーム』の簡単なあらすじ

 

解決の糸口すらつかめない3つの殺人事件。
共通点はその殺害方法と、被害者はみな過去に人を死なせた者であることだった。
捜査を進めると、その被害者たちを憎む過去の事件における遺族らが、ホテル・コルテシア東京に宿泊することが判明。
警部となった新田浩介は、複雑な思いを抱えながら再び潜入捜査を開始する――。
累計495万部突破シリーズ、総決算!(内容紹介(出版社より))

 

三件の殺人事件が起きた。ところが、その三件の事件は手口が似ており、殺された三人の被害者それぞれが加害者となり起こした過去の事件のために人が死んでいたのだ。

そのうえ過去の三件の事件の被害者家族が、クリスマスイブに揃ってコルテシア東京に宿泊するという事実が判明する。

そこで、警察はコルテシア東京で更なる事件が起きる可能性があるとして、ホテル内の各所に捜査官を配置し、当然、新田浩介はまたフロントに配置された。

ただ、捜査官の一人の女性警部の梓真尋は優秀ではあるが暴走しかねない危うさをもっており、ホテルマンとしての経験豊かな新田と何かと衝突する。

そこに、ロスアンゼルスのホテルへ転任していたはずの山岸尚美が登場するのだった。

 

マスカレード・ゲーム』の感想

 

本書『マスカレード・ゲーム』は、これまでと同じくホテル・コルテシア東京を舞台に、起きるかもしれない事件を未然に防ぐために新田たちが活躍する物語です。

冒頭で「東野圭吾本来の面白さが戻ってきた」と書いたのは、先に読んだ東野圭吾の『透明な螺旋』や『白鳥とコウモリ』といった作品が、同じ社会派のミステリーではあっても特別な面白さを感じなかったからです。

それが、本書では読み始めは不安があったものの、途中からは新しい梓捜査官の存在もあって、惹き込まれていきました。

 

本書の登場人物は多数に上ります。

物語の中心人物はこれまで通りに新田浩介ですが、今では警部に昇格し捜査一課の係長になっています。

警察側の人間としては、以前は先輩刑事として同じ班でこき使われた本宮警部、それに新しく加わった同じ係長の梓真尋警部がいて、梓の部下として昔から気心の知れている能勢警部補も定年間近の刑事として登場します。

ほかにかつての捜査一課係長だった稲垣が、管理官として登場しています。

ホテル側の人間としては、まずは山岸尚美をあげるべきでしょう。前巻の『マスカレード・ナイト』でロスアンゼルスのホテルへ栄転しましたが、今回の事件のために呼び戻されたものです。

また、ホテル・コルテシア東京の総支配人の藤木、フロントオフィス・マネージャーの久我は今では宿泊部長として登場しています。

 

それ以外では三件の殺人事件の関係者、その事件の被害者の過去の事件で死んだ被害者とその親族と、多数の人物が登場します。

そこで、殺人事件の被害者とその過去の事件の関係者とを名前だけ挙げておきます。

最初の被害者は入江悠斗と言い、17年前に神谷文和という少年に暴行を振るい、その後亡くなっています。この少年の母親が神谷良美という女性です。

次の被害者が高坂義広であり、20年ほど前に強盗殺人を犯し、森元俊恵を殺しています。その俊恵の息子が森元雅司です。

三番目が村山慎二で、元恋人の前島唯花は村山からリベンジポルノの被害に遭い、彼女は自殺しています。唯花の父親が前島隆明です。

その他に沢崎弓江、新田の大学時代の同期である三輪葉月などの関係者が登場しています。

 

このように多くの人物たちが今も過去に殺された身内のことを思いながら暮らしており、その人物たちがネットを通じて知り合って話し合い、過去の事件についての情報を交換し、互いにその理不尽さを慰め合っています。

そうした中で、過去の事件の加害者たちが次々と亡くなっていく事実があり、警察は彼ら過去の事件の関係者の関与を疑い、さらにはホテル・コルテシア東京を舞台にした展開へと連なっていきます。

 

本『マスカレードシリーズ』は、警視庁の敏腕刑事が不慣れなホテルマンに扮して、そのホテルを舞台にした事件を解決するという、二重の面白さが計算されています。

ひとつはそのままに推理小説としての謎解き、真相解明という面白さであり、もうひとつはホテルマンに扮した刑事の奮闘記という面白さです。

本書ではさらに、単なる謎解きの面白さに加え、新しい登場人物のホテル側との確執、また東野圭吾らしい社会派の物語として刑罰についての考察が加わっています。

最初の新しい登場人物とは梓真尋警部のことであり、シリーズ第一作目の『マスカレード・ホテル』での新田警部補とホテル・コルテシア東京のフロントクラーク山岸尚美とのやり取りに似た掛け合いを、今度は新田警部との間で交わしています。

この梓警部がいかなることをしでかし、ホテル側とどのようにけ決着をつけるのか、が一つの焦点になっています。

 

そして大切なのはもう一点の本書『マスカレード・ゲーム』のテーマである「罪とは」、「刑罰とは」という問題提起の方です。

本書でホテル・コルテシア東京を舞台に繰り広げられる人間模様は過去にその源があり、身内を理不尽に殺されたにもかかわらず、殺した側の人間は今も生きて日々を暮らしているという現実を見せつけられている被害者の家族の視点が取り上げられています。

東野圭吾作品にはSF小説やユーモア小説、そして警察小説などいろいろなジャンルの作品があります。

中でも本書のような警察小説でも社会派と呼ばれる作品では、世の中の理不尽な出来事に翻弄される人が、苦悩の末に犯さざるを得ない犯罪行為を取り上げ、その犯罪行為に至る背景の意味を読者に問いかけています。

自分の愛する人が殺され、しかしその殺した相手は応分の刑罰を受けているとは思えず幸せそうに暮らしている現実にさらに苦しめられる日々。そうした状況をどう思うかと問いかけてきます。

本書の登場人物の一人が、「刑罰には反省が伴わなくてはならない」という場面があります。この言葉が本書の性格を示しているように思えます。

東野圭吾はそうした現実をエンターテイメント小説として練り上げ、ミステリーとして私たちの前に提示してくれているのです。

 

本書『マスカレード・ゲーム』では、さらに梓真尋という刑事が新しく加わっています。捜査のためには手段を選ばない人物であり、新田や山岸と対立する立場にいます。

この梓捜査官がなかなかに曲者で、読者にとっては感情移入しやすい存在であり、自分こそ正義という思いがあるようで、もしそうであれば近年騒がれているコロナ禍での正義の押し売りに似た構造にも思えてきました。

個人的には捜査第一主義ともいえるこの梓という捜査官と新田、山岸組との対決こそ期待したいと思います。

 

東野圭吾の作品では、特に社会派の作品では、人物の微妙な心のゆらぎを具体的に示してくれることで、その人物に共感しやすく、また当事者の行動の背景をも明確に示してくれることでさらに感情移入しやすくなっています。

ところが、本書の場合は当事者の内心の描写というよりは、登場人物たちの思いもかけない行動の結果の方に関心がいくように思えます。

つまりは、多くの登場人物の行動を操ることでサスペンス感を増しているように感じます。

そうした点でも本書はシリーズの中でも特異な位置にあるようにも思える、心惹かれる作品だったと言えると思いました。