踏切の幽霊

踏切の幽霊』とは

 

本書『踏切の幽霊』は、2022年12月に文藝春秋から289頁のハードカバーで刊行された長編のミステリー小説です。

第169回直木三十五賞の候補となった作品ですが、読みながらも今一つのめり込むことができなかった作品でもありました。

 

踏切の幽霊』の簡単なあらすじ

 

マスコミには、決して書けないことがあるー都会の片隅にある踏切で撮影された、一枚の心霊写真。同じ踏切では、列車の非常停止が相次いでいた。雑誌記者の松田は、読者からの投稿をもとに心霊ネタの取材に乗り出すが、やがて彼の調査は幽霊事件にまつわる思わぬ真実に辿り着く。1994年冬、東京・下北沢で起こった怪異の全貌を描き、読む者に慄くような感動をもたらす幽霊小説の決定版!(「BOOK」データベースより)

 

踏切の幽霊』の感想

 

本書『踏切の幽霊』は、ホラーとミステリーが融合した第145回直木賞の候補となった作品です。

著者の高野和明の、第65回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、第2回山田風太郎賞を受賞するなど多くの受賞歴がある『ジェノサイド』以来、十一年年ぶりとなる作品です。

 

 

主人公はかつては全国紙の社会部遊軍記者だったのですが、妻を亡くして以来仕事にもやる気をなくし、現在は「月刊女性の友」という女性雑誌の記者となっている松田法夫という男です。

その女性雑誌で松田を拾い上げてくれた編集長の井沢勉から野口進という衆議院議員の収賄疑惑を追う仕事をあきらめ、新たに心霊ネタを取材するように言われます。

ある8ミリ映像と写真を見せられ、その映像の真偽も含め調べるようにと言われたのですが、その夜から深夜午前一時三分になると無言電話がかかるようになります。

この写真の調べが進むと、幽霊の映った踏切では一年前に若い女が被害者の殺人事件が起きており、未だ犯人は捕まっていないことが判明します。

心霊写真などの調査に入った筈の松田は、知らないうちにその裏に潜む巨悪へと繋がる事件へと迫るのでした。

 

先にも書いたように、本書『踏切の幽霊』は高野和明という作家の『ジェノサイド』という作品以来、十一年ぶりの作品だそうです。

言われてみれば、高野和明の作品は何冊か読んでいたのですが、久しぶりにその名を聞いた気がします。

どちらかというまでもなく、この作家の作品には重いトーンの作品が多く、特に江戸川乱歩賞を受賞した『13階段』などは死刑制度をテーマにしていることもあり、途中で読むのをやめようかと思ったほどです。

また、幽霊そのものが主人公となった、「49日以内に100人の自殺志願者を助ける」という内容の『幽霊人命救助隊』という作品も書いています。

「死」というものを正面から見つめながら考えさせる物語ですが、エンターテイメント小説として仕上がっている作品です。
 

 

本書は、『幽霊人命救助隊』とは異なり、幽霊をテーマにしたエンターテイメント小説ではあるものの、ミステリー作品であり、けっしてホラーではありません。

超自然的な現象により調査のきっかけが得られたり、方向性が示されたりはしますが、きちんとしたミステリーです。

ただ、この超自然的現象の存在を受け入れることができない人はミステリーとして楽しめないかもしれません。

事実、私がそうであり、本書が直木賞の候補作品となっていることが理解できないでいる一人でもあります。

 

ただ、こうしてあらためて本書『踏切の幽霊』の内容を思い返しているうちに、本書の価値を見直す気持ちになっていることも事実です。

主人公松田の、亡くした妻を思いやる心、気持ちは随所に示されており、夫婦について考えさせられる作品でもありました。

そうした点でも物語としてそれなりに面白く読んだのは事実であり、ただ、直木賞候補作品であることからか、ミステリーとはいっても幽霊により主人公の取るべき道筋が示される点に違和感を感じてしまったと思われます。

あとは読み手の好みによって変ってくる作品ではないでしょうか。

脈動

脈動』とは

 

本書『脈動』は、『鬼龍光一シリーズ』の第六弾で、2023年6月に352頁のハードカバーでKADOKAWAから刊行された長編の伝奇+警察小説です。

単純に、今野敏の小説として楽しく読めた作品ですが、それ以上のものではなく、伝奇小説としても、警察小説としても標準的な作品でした。

 

脈動』の簡単なあらすじ

 

警察官による暴力や淫らな行為ー警視庁内で非違行為が相次ぐ。常時ではあり得ない不祥事の原因とは?事態の悪化をおそれた警視庁生活安全部少年事件課の巡査部長・富野輝彦は旧知のお祓い師・鬼龍光一を呼び出す。その結果、警視庁を守る結界が破られており、このままでは警察組織は崩壊するという。一方、富野は小松川署で傷害事件を起こした少年の送検に立ち会い、半グレ集団による少女売春の情報を掴む。一見無関係なふたつの出来事は、やがて奇妙に絡み合う…。(「BOOK」データベースより)

 

脈動』の感想

 

本書『脈動』は、単なる警察小説ではなく、伝奇小説と融合したミステリーシリーズである『鬼龍光一シリーズ』の第六弾となる作品です。

さすがに今野敏の作品らしく読みやすく、伝奇小説+警察小説としてそれなりの面白さはあるのですが、しかしながら伝奇小説としても警察小説としても中途に感じ、本書であればこそという面白さまでは感じませんでした。

 

ここで「伝奇小説」とは、本来は「中国の唐-宋時代に書かれた短編小説のこと( ウィキペディア-伝奇小説:参照 )」をいうらしいのですが、現在の日本では、「奇異なる伝承(の物語)」のなかでも「伝承・史実の幻想的再解釈」を成立条件とする作品を指しているそうです( ウィキペディア-伝奇ロマン:参照 )。

私にとっての「伝奇小説」は、この現在の日本的な意味での「伝奇小説」であって、半村良の『石の血脈』や『産霊山秘録』から始まり、その後に夢枕獏菊地秀行のいわゆる伝奇バイオレンス作品と呼ばれる作品群を読んだものです。

 

 

話を元に戻すと、本『鬼龍光一シリーズ』は、そうした伝奇小説の中でもさらに警察小説との融合作品という側面が強いシリーズになっています。

本書『脈動』では警視庁内での「非違行為」つまり警察官の不祥事が多発するという事態に陥りますが、その原因が、警視庁に設けられていた結界が破られたことにあるというのです。

つまりは、警察は「本来は霊的には恐ろしく不浄な場所の筈です」が、霊障、即ち霊によって起こる障害が起きないように「結界」を張ってその中を浄化していたのが破られ、不祥事が多発しているというのです。

そこで、警視庁生活安全部少年事件課少年事件第三係所属の巡査部長である富野輝彦とその部下の有沢英行が、鬼道衆の鬼龍光一や奥州勢の安部孝景といったお祓い師たち、それに元妙道の池垣亜紀などの力を借りてその原因を探り、事態の解決を図るのでした。

 

ここで登場してきた鬼龍光一安部孝景、それに池垣亜紀などの重要人物たちについては簡単な紹介しかありませんし、彼らの呪法についての説明なども全くありません。

しかし、それも当然で、本書は『鬼龍光一シリーズ』の第六弾だったのであり、彼らはこのシリーズの中心人物だったのです。

というのも、『鬼龍光一シリーズ』の鬼龍光一という名前を見て、かつて読んだ『拳鬼伝シリーズ』(現在は改題され、『渋谷署強行犯係シリーズ』となっています)の琉球空手使いの整体師竜門の物語だと勝手に思い込んでおり、読まずにいたのでした。

ところが、いざ本書『脈動』を読んでみると全く異なる物語であり、『拳鬼伝シリーズ』の格闘小説というよりは伝奇小説であって、陰陽道などが絡む物語であり、さらには警察小説の要素も持った物語だったのです。

 

結局、冒頭に書いたように、単純に今野敏の小説として楽しく読めた作品で、それ以上のものではない、普通に面白く読めた作品でした。

可燃物

可燃物』とは

 

本書『可燃物』は、2023年7月に280頁のハードカバーで文藝春秋より刊行され、王様のブランチでも特集された長編の警察小説です。

王様のブランチでも特集されていて面白く読んだ作品ではありましたが、これまでの米澤穂信の作品と比すると物語としての面白さは今一つでした。

 

可燃物』の簡単なあらすじ

 

史上初4大ミステリーランキング第1位(『黒牢城』)に輝く著者最新作。

余計なことは喋らない。上司から疎まれる。部下にもよい上司とは思われていない。しかし、捜査能力は卓越している。葛警部だけに見えている世界がある。
群馬県警を舞台にした新たなミステリーシリーズ始動。

群馬県警利根警察署に入った遭難の一報。現場となったスキー場に捜査員が赴くと、そこには頸動脈を刺され失血死した男性の遺体があった。犯人は一緒に遭難していた男とほぼ特定できるが、凶器が見つからない。その場所は崖の下で、しかも二人の回りの雪は踏み荒らされていず、凶器を処分することは不可能だった。犯人は何を使って“刺殺”したのか?(「崖の下」)

榛名山麓の〈きすげ回廊〉で右上腕が発見されたことを皮切りに明らかになったばらばら遺体遺棄事件。単に遺体を隠すためなら、遊歩道から見える位置に右上腕を捨てるはずはない。なぜ、犯人は死体を切り刻んだのか? (「命の恩」)

太田市の住宅街で連続放火事件が発生した。県警葛班が捜査に当てられるが、容疑者を絞り込めないうちに、犯行がぴたりと止まってしまう。犯行の動機は何か? なぜ放火は止まったのか? 犯人の姿が像を結ばず捜査は行き詰まるかに見えたが……(「可燃物」)

連続放火事件の“見えざる共通項”を探り出す表題作を始め、葛警部の鮮やかな推理が光る5編。(内容紹介(出版社より))

 

目次

崖の下 | ねむけ | 命の恩 | 可燃物 | 本物か

 

可燃物』の感想

 

本書『可燃物』は、群馬県警の捜査員を主人公とした、謎解きをメインとした短編の警察小説集です。

短編小説であるためか、米澤穂信の推理小説としてはストーリーの展開に今一つ魅力を感じずに終わってしまいました。

もちろん、各短編での謎解きそのものは決して面白くないなどというべき話ではなく、その意外性など惹かれるものはありました。

ただ、いわば正統派の推理小説のようなトリック重視の作品と感じられ、例えば米澤穂信の『真実の10メートル手前』で感じたような、短編小説なりのストーリー性をあまり感じることができなかったのです。

 

本書『可燃物』の特殊性を見ていくと、まず第一に、本書の探偵役が警視庁ではなく群馬県警に所属しているという点があります。

県警が舞台となる作品は少なからずの作品があってそれほど特殊だとは言えないでしょうが、それでも一応の特色として挙げることができると思います。

この県警を舞台とする作品としては、まずは何かと警視庁との仲の悪さを言われる神奈川県警を舞台にした笹本稜平の『越境捜査シリーズ』があります。

 

 

他に今野敏の作品群でも、『隠蔽捜査シリーズ』では主人公の竜崎伸也が神奈川県警へと異動になっていますし、『横浜みなとみらい署シリーズ』なども神奈川県警が舞台になっています。

 

 

また、佐々木譲は『北海道警察シリーズ』など、北海道を舞台にした警察小説を多く書いておられます。

 

 

第二に、主人公の葛警部の性格設定がかなりユニークです。

他人におもねることをしないのはもちろんですが、まずは事件解決を優先し、捜査の意味の説明などはあまりなく、部下や所轄の警察官を厳しめに働かせているようです。

近時の警察小説では、先にも出てきた今野敏の作品などのように組織としての警察、チームとしての協同作業が描かれることが多いように思われます。

その点、本書ではまずは主人公の葛警部がいて、他の捜査員は葛警部の駒に過ぎないようです。

 

そして第三に、本書『可燃物』は物語としてはいわゆる安楽椅子探偵(アームチェアディテクティブ)と呼ばれる事件解決の手法を採っていると言えます。

ただ、本書の探偵役の葛警部は自ら捜査に乗り出すことが多く、純粋な安楽椅子探偵とは言えません。

でありながらも、自身の捜査は事件解決のため、つまりは自分の推理のための資料を集めているのであり、結局は居ながらにして問題を解決するという安楽椅子探偵類似の思考方法を見せてくれています。

その問題解決の中で如何にしてその事件を実行したかといういわゆるハウダニット、何故そのような犯行に及んだのかというホワイダニットなどの謎を解き明かし、事件の真相を暴いていくのです。

 

さらに第四として、以上のような主人公や物語の世界観が、著者米澤穂信のこれまでの作品群からすると若干異なるということも挙げられるかもしれません。

そして、本書が警察小説であることも、本書の惹句に「著者初の警察小説」とあるようにこの作家にとって初めてのことです。

 

以上のような独特な立ち位置にある本書ですが、個人的には、米澤穂信という作家の作品群の中ではあまり評価は高くありませんでした。

それは、ひとつには先に述べた本書のユニークさで主人公の安楽椅子探偵的な問題解決が描かれている点が、物語としての小説の面白さをあまり感じなかったという点にあります。

もともと私は、小説にはストーリー性を求める傾向にあり、だからこそ本格派の推理小説も若干苦手としています。

しかしながら、謎解きという点ではさすがに米澤穂信の作品というべきであり面白かったのですが、本書はそのストーリー性にかけると感じたのです。

その点では同じ謎解きの短編小説集でも、第155回直木賞の候補作にもなった米澤穂信の『真実の10メートル手前』のような作品を好むのです。

 

君のクイズ

君のクイズ』とは

 

本書『君のクイズ』は、2022年10月に192頁のハードカバーとして朝日新聞出版から刊行された長編の推理小説です。

殺人事件も暴力性も全くない、ただクイズ番組で、対戦相手が問題文が読まれる前に答えることができた理由を探すだけの物語ですが、非常に読み応えがある作品でした。

 

君のクイズ』の簡単なあらすじ

 

面白すぎる!! 驚くべき謎を解くミステリーとしても最高だし、こんなに興奮する小説に出会ったのも久しぶり。頼まれてもいないのに「推薦コメントを書かせて!」とお願いしてしまいました。小川哲さん、ほんとすごいな。–伊坂幸太郎氏一度本を開いたらもう終わりだ。面白すぎてそのまま読み切ってしまった。熱くて、ワクワクして、予想もつかない感動が襲ってくる。ミステリーでも、バトルものでも、人生ドラマでもある。でもそれだけじゃない。ジャンルはたぶん「面白い小説」だ。–佐久間宣行氏   *    *     *     *『ゲームの王国』『嘘と正典』『地図と拳』。一作ごとに現代小説の到達点を更新し続ける著者の才気がほとばしる、唯一無二の<クイズ小説>が誕生しました。雑誌掲載時から共同通信や図書新聞の文芸時評等に取り上げられ、またSNSでも盛り上がりを見せる、話題沸騰の一冊です!ストーリー:生放送のTV番組『Q-1グランプリ』決勝戦に出場したクイズプレーヤーの三島玲央は、対戦相手・本庄絆が、まだ一文字も問題が読まれぬうちに回答し正解し、優勝を果たすという不可解な事態をいぶかしむ。いったい彼はなぜ、正答できたのか? 真相を解明しようと彼について調べ、決勝戦を1問ずつ振り返る三島はやがて、自らの記憶も掘り起こしていくことになりーー。読めば、クイズプレーヤーの思考と世界がまるごと体験できる。人生のある瞬間が鮮やかによみがえる。そして読後、あなたの「知る」は更新される! 「不可能犯罪」を解く一気読み必至の卓抜したミステリーにして、エモーショナルなのに知的興奮に満ちた超エンターテインメント!『地図と拳』にて第168回直木賞を受賞した小川哲さんの、新たな魅力あふれる極上のエンターテインメント作品であり、もう一つの代表作です!(内容紹介(出版社より))

 

君のクイズ』の感想

 

本書『君のクイズ』は、純粋に知的な興奮を味わうことができるミステリー小説です。

ミステリーではありますが、殺人や暴力などの絡んだ事件性は全くありません。

ただひたすらに、問題文が読まれる前に対戦相手が正答ができた理由を探る主人公の姿が描かれているだけです。

でありながらも、登場人物の人間像やさらには人生をも解き明かしてしまう物語であり、極上の時間を楽しむことができました。

 

「Q-1グランプリ」というクイズ大会の決勝の最終問題で、主人公三島玲央の対戦相手である本庄絆は、アナウンサーが問題を読み始めるも未だ一文字も読まれていない瞬間に正解を解答したのです。

誰もがこのクイズ大会はヤラセを疑いますが、三島は「クイズにはヤラセなどはあってはならないし、同様に魔法であってもならない。クイズとは、知識をもとにして、相手より早く、そして正確に、論理的な思考を使って正解にたどり着く行為だ。」と考えます。

ヤラセではないと考え、問題文が読まれる前に解答するなどという奇跡的なことが何故に可能だったのか。三島は、このクイズ大会のビデオを再度チェックし、その原因を探り始めるのです。

 

後日、「Q-1グランプリ」というクイズ大会を見直し、その過程を自分自身で分析する姿で成り立つこの作品は、そのアイデアだけでなく、論理的に組み立てられたその分析自体に感心してしまいます。

同時に、この番組の録画を見ながらの回想は主人公の自己分析でもあり、さらには問題文が読まれる前に正解を導き出した対決相手の本庄絆の心裡を分析する過程でもあります。

その分析の過程は論理的であるのは勿論、クイズにかけるプレイヤーたちの思考方法までも明らかにしていきます。

その段階を追っていく思考の筋道は読んでいても知的な好奇心が満たされ、驚きと同時に関心をしている自分に気が付きました。

 

クイズというジャンルに特化している本書はまた、テレビ番組の中でも一応の人気を誇る「クイズ番組」の実際や裏側を見せてくれるという意味での好奇心も満たしてくれています。

そして、何と言っても、特にクイズの早押しに際しての解答者たちの心理分析は見事です。

この分析が事実そうであるかは不明ですが、テレビを見ている限りでの早押し解答は、いかにもさもありなんと感じます。

本書の最後に記載されている参考文献の中には、今のテレビのクイズ番組で大活躍を見せている伊沢拓司の著書も挙げられているように、テレビの中で彼らクイズプレイヤーと呼ばれる人たちが発言している言葉にも本書の登場人物が発している言葉と似たような言葉があるので、よりリアリティーに満ちているのでしょう。

 

ちなみに、本書『君のクイズ』の持つ論理性は、作者である小川哲の他の作品、第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を受賞し、第162回直木賞の候補作ともなった『嘘と正典』や、第13回山田風太郎賞を受賞し、第168回直木賞を受賞した『地図と拳』といった作品と同様です。

そして、本書も第76回日本推理作家協会賞を受賞し、2023年本屋大賞で6位となっていて、同様に高い評価を受けているのです。

 

 

こうした高い論理性は時には読む者を選ぶかもしれません。

個人的には、先に述べた『地図と拳』などは、その情報量の多さとロジックの難解さに読むのを中断しようかと思ったことさえあります。

しかし、本書はそうした難解さはありませんし、情報量が多すぎるということもありません。

ただ、問題文なしに正解できた理由を探るだけです。その過程で、人物の背景、その歴史をたどることはあっても難解とは感じないと思います。

十分に、読書を楽しめる作品だと思います。

審議官 隠蔽捜査9.5

審議官―隠蔽捜査9.5―』とは

 

本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』は『隠蔽捜査シリーズ』の短編集としては三冊目で、2023年1月に新潮社からハードカバーで刊行された短編の警察小説集です。

『隠蔽捜査シリーズ』の隙間を埋めるスピンオフ短編集であり、当然のごとく非常に面白く読んだ作品でした。

 

審議官―隠蔽捜査9.5―』の簡単なあらすじ

 

信念のキャリア・竜崎の突然の異動。その前後、周囲ではこんな波瀾がーー!? 米軍から特別捜査官を迎えた件で、警察庁に呼び出された竜崎伸也。審議官からの追及に、竜崎が取った行動とはーー(表題作)。竜崎の周囲で日々まき起こる、本編では描かれなかった9つの物語。家族や大森署、神奈川県警の面々など名脇役も活躍する、大人気シリーズ待望のスピンオフ。本書のための特別書き下しも収録!(内容紹介(出版社より))

 

目次

空席 | 内助 | 荷物 | 選択 | 専門官 | 参事官 | 審議官 | 非違 | 信号

 

審議官―隠蔽捜査9.5―』の感想

 

本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』は、神奈川県警本部の刑事部長に異動することになった竜崎伸也をめぐる人たちに関する短編が収められているので、『隠蔽捜査シリーズ』のスピンオフ作品集というべきでしょうか。

隠蔽捜査シリーズ』では『初陣 隠蔽捜査3.5』、『自覚 隠蔽捜査5.5』に次ぐ第三弾目の短編集ということになります。

ほとんどの話が、結局は竜崎に相談した結果やはり竜崎が常々言っている原理原則論そのままの言葉に、それまで悩んでいたことが嘘のようにすっきりと問題が解決していきます。

本『隠蔽捜査シリーズ』の魅力は何と言っても主人公である竜崎伸也というキャラクターの存在によるところが大きいででしょうが、本書はその竜崎の魅力そのままに展開されていると言えるのです。

 

「空席」
異色の署長であった竜崎伸也の後任署長が着任するまでの空白の一日の間に発生した事件について、第二方面本部の野間崎管理官に振り回される貝沼悦郎副署長を中心とする大森署員の姿が描かれています。

この後任の署長が、『署長シンドローム』での主人公となる女性キャリアの藍本百合子警視正であり、貝沼がつぶやいたように「うちの署は変わった署長ばかりやってくる」ことになるのでした。

 

「内助」
竜崎伸也の妻である竜崎冴子が、テレビで昼のニュースを見ていたときに感じた違和感から事件の真実に至るという、冴子の名推理がさえわたる異色の短編です。

推理そのものよりも、また竜崎夫婦の姿や、娘の美紀や息子の邦彦をも含めた竜崎家の様子が丁寧に描かれているところが、本シリーズのファンとしては興味深い作品でした。

 

「荷物」
竜崎伸也の息子の邦彦が、友人から預かった荷物が覚醒剤と思われるだった白い粉だったことから、誰にも相談することができずに思い悩む姿が描かれています。

邦彦はどういう方法でこの苦境を乗り越えることができるのか、に関心が集中し、結果は予想がつく範囲ではありましたが、その過程を読ませる作者の力量はさすがであり、すっきりした読後感でした。

 

「選択」
竜崎伸也の娘の美紀が電車内での痴漢騒ぎに巻き込まれる姿が描かれています。

正しいことを行ったものが理不尽に扱われてしまう現実に即しているともいえそうな、それでいて痛快な作品に仕上がっています。

加えて、美紀の会社の様子や同僚まで存在感をもって描いてある作品になっています。

 

「専門官」
神奈川県警の組織の特殊性をもとに、県警内の、特にキャリアを嫌うノンキャリア、という人間関係を描き出してあります。

専門官」とは、ベテラン捜査員のなかの警部待遇の警部補のことだそうです。

本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』ではキャリア嫌いで通っている矢坂敬藏警部補に焦点が当たっていて、新しく刑事部長となった竜崎伸也との対立を心配する池辺渉刑事総務課長らの姿があります。

ここでも竜崎の特殊な存在感が光っています。

 

「参事官」
ここでもまた、キャリアとノンキャリアの対立、具体的には、佐藤実本部長から阿久津参事官と組織犯罪対策本部の参事官である平田清彦警視正との仲が悪いので何とかしてほしい、と頼まれた竜崎の姿が描かれています。

この話では永田優子捜査二課長という二十四歳のキャリアが登場してきますが、この人物は『横浜みなとみらい署暴対係シリーズ』でも登場してきている人物と同一人物だと思われます。

 

「審議官」
審議官という幹部でも個人的な感情で動くことがある、という組織の問題を指摘しているようです。

刑事局担当の長瀬友昭審議官が、横須賀の殺人・死体遺棄事件で、自分が米軍関係者の関与があったことを知らなかったことが問題だと、佐藤実本部長に文句を言ってきたのです。

この話の冒頭に出てくる横須賀の殺人・死体遺棄事件は、『探花 隠蔽捜査9』での事件を指していると思われます。

ちなみに、「審議官」とは、「日本の行政機関における官職の名称に使われる語」だそうです。詳しくは、「ウィキペディア(審議官)」を参照してください。

 

「非違」
竜崎伸也の後任である前出の藍本百合子新署長が赴任してから、野間崎管理官が何かにつけ大森署に来るようになったという話です。

今回の来署の理由は、強行犯係の戸高善信刑事の平和島のボートレース場に通う行為が問題だというのでした。

 

「信号」
「参事官」で登場していた永田優子捜査二課長竜崎伸也に言っていた「キャリア会」というキャリア組の飲み会で交わされた、細い路地の横断時に、車も通っておらず人の眼もない時に赤信号を守るか、という話にまつわる物語です。

渡るという佐藤本部長の言葉が記者に漏れたことで三島交通部長が怒っているのです。

しかしその裏には、三島交通部長は五十八歳のノンキャリア警視正であり、ここでもキャリア対ノンキャリアの対立の様子が描かれています。

 

本書『審議官―隠蔽捜査9.5―』でも、『隠蔽捜査シリーズ』本編ではあまり焦点が当たらないような登場人物たちに光を当て、その人物をめぐる話が展開されています。

そして、そうした中でもキャリアとノンキャリアの対立の場面が何か所か描かれていて、現実にもそうした問題があるのだろうと推察されるのです。

また、各話の出来自体も勿論面白いのですが、永田優子捜査二課長や藍本百合子大森署新署長など、今野敏の他のシリーズの出演者が少しずつ顔を見せたりして、今野ワールドのファンとしてはそうした面でも楽しみが見いだせます。

今野敏のファンとしては、こうした作品も間を置かずに読みたいと思ってしまいます。

トランパー 横浜みなとみらい署暴対係

トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』とは

 

本書『トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』は『横浜みなとみらい署暴対係シリーズ』の第七弾で、2023年5月に刊行された384頁の長編の警察小説です。

途中までは普通の作品だと思いながらの読書だったのですが、途中から予想外の展開を見せ、なかなかに面白く読むことができた作品でした。

 

トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』の簡単なあらすじ

 

港ヨコハマを暴力から守る「チーム諸橋」の活躍を描く
「横浜みなとみらい署暴対係」シリーズ第七弾!

商品を受け取るも代金を支払わない「取り込み詐欺」。
暴力団の懐を肥やす資金源を断ち切るため、“ハマの用心棒”が倉庫街を駆ける!

神奈川県警みなとみらい署刑事第一課暴力犯対策係係長・諸橋夏男。〈ハマの用心棒〉と呼ばれ、
暴力団から一目も二目も置かれる存在だ。
大量の商品を注文して代金を支払わない「取り込み詐欺」に管内の暴力団・伊知田組が
関与しているらしいが、確証がないという。
県警本部の永田二課長から問い合わせを受けた諸橋は、
県警本部と合同で張り込みを開始、
伊知田が所有する倉庫に品物が運ばれたのを確認するが、ガサ入れは空振りに終わった。
誰かが情報を洩らしたのか!?

好評警察小説シリーズ最新刊。(内容紹介(出版社より))

 

トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』の感想

 

本書『トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』は、いつもの通りの諸橋と城島の二人が活躍する物語で、これまで以上に面白く感じた作品でした。

 

県警捜査二課からの問い合わせを受け、管内の小さな暴力団である伊知田組の取り込み詐欺事件にまつわる捜査から幕を開けます。

依頼に応じて目星をつけた倉庫に食材が運び込まれたのを確認、撮影し、確信をもって令状を取り家宅捜索のために乗り込みますが、荷物は既に運び出されていました。

内部からの情報漏洩を疑いますが、そのうちに事態は思いもかけない方向へと動き始めます。

 

もともと本『横浜みなとみらい署暴対係シリーズ』の魅力と言えば、まずは主役の二人、諸橋夏男警部と係長補佐の城島勇一警部補とのコンビのキャラクターが挙げられるでしょう。

「ハマの用心棒」と呼ばれる諸橋警部とラテン系と言われるほどにポジティブな城島警部補との取り合わせが、その会話も含めてうまく機能しているのです。

その諸橋の下でチームとして動く浜崎吾郎巡査部長を始めとする係員たちそれぞれの個性、さらにはシリーズではおなじみの神奈川県警察本部警務部監察官の笹本康平警視の存在も魅力的です。

 

また、本書『トランパー』の魅力についていえば、、今回初登場の県警本部刑事部捜査第二課課長の永田優子警視、その部下で知能犯捜査第一係の牛尾主任、県警本部組織犯罪対策本部暴力団対策課平賀松太郎警部補などの登場人物たちもうまく機能しているところも挙げられると思います。

それに、物語が第二段階に入って話が一段と広がりを見せてきたときの県警本部警備部外事第二課の保科武昭警部補たちの存在や、なによりも福富町のビルのオーナーの郭宇軒が重要な存在として登場している点も見逃せません。

 

でも、本書『トランパー』での一番の魅力はやはり物語展開の意外性と、そこで繰り広げられる捜査員同士のやり取りにあります。

神奈川県警内部での部署の違いによる捜査員の立場に即した主張があったり、そうした声を乗り越えたところに現れる人間同士の会話に読みごたえがあります。

また、ちかごろ今野敏の物語によく登場する女性のキャリアの活躍も面白いところです。

本書で言えば二課長の永田優子警視ですが、他のシリーズで言えば、『署長シンドローム』に登場する藍本小百合が一番の存在でしょう。

この藍本小百合は『隠蔽捜査シリーズ』で竜崎伸也の後任として大森署に赴任してきた美貌のキャリアの新署長として登場する人物です。

ただ、本書の永田警視はあくまで県警の課長として脇役での登場ですから、藍本小百合ほどの活躍は見せませんが、それなりの存在感は持っています。

 

 

また、今野敏の小説では他部署の警察官などでしばしばみられるのが、印象が良くない警察官が、実は根は悪いやつではないという展開です。

本書でもそうで、どの人物かはここでは書きませんが、そうした設定は読者が物語に感情移入するのに一役買っているような気がします。

 

総じて、本書『トランパー』はまさに今野敏の小説として、とても読みやすく、また惹きつけられる物語の展開もあり、私の好みに合致した作品だということができます。

続編を期待したいシリーズであり、本書はその期待に十分に応えた一冊だったと言えるのです。

樹林の罠

樹林の罠』とは

 

本書『樹林の罠』は『北海道警察シリーズ』の第十弾で、2022年12月に353頁のハードカバーで刊行された長編の警察小説です。

主役レベルの佐伯、津久井、小島の三人がいつも同様に個別に動きながら、終盤同じ目的の元協同するその様子は定番であり、変わらずに面白い作品でした。

 

樹林の罠』の簡単なあらすじ

 

轢き逃げの通報を受け、臨場した北海道警察本部大通署機動捜査隊の津久井卓は、事故ではなく事件の可能性があることを知る。それは被害者が拉致・暴行された後にはねられた可能性が高いということだった。その頃、生活安全課少年係の小島百合は、駅前交番で保護された、旭川の先の町から札幌駅まで父親に会いたいと出てきた九歳の女の子を引き取りに向かう。一方、脳梗塞で倒れた父を引き取るために百合と別れた佐伯宏一は、仕事と介護の両立に戸惑っていた。そんな佐伯に事務所荒らしの事案が舞い込む…。それぞれの事件がひとつに収束していく時、隠されてきた北海道の闇が暴かれていくー。(「BOOK」データベースより)

 

津久井卓は覆面パトカーで巡回中に長正寺武夫警部から交通事故発生の連絡を受け、相棒の滝本浩樹巡査長と共に現場へと向かった。

当初は交通事故と思われていたこの事案はその後捜査本部が立てられることになるものの、大通警察署刑事課の佐伯宏一とその部下の新宮昌樹は法律事務所荒らしを担当するように言われる。

小島百合は、退勤のために着替えたところで駅前交番に家出少女が保護されているので行ってほしいとの連絡を受けた。上川と旭川との間にある伊香牛から父親に会いに一人で出てきたというのだった。

 

樹林の罠』の感想

 

本書『樹林の罠』は、相変わらずに窃盗係に据え置かれたまま捜査本部にも参加させてもらえない佐伯を中心として、不可解な交通事故から殺人を疑われる事案を担当する津久井、家で娘を保護する小島のそれぞれがいつものように個別に動き始めるところから始まります。

佐伯と新宮のコンビは本書においても相変わらず「大手柄を立てられるような目立つ事案は絶対に割り振られ」ることはなく、新たに設置される捜査本部へも参加できないでいます。

佐伯らが大通署刑事課配置であることも嫌う幹部がいるためですが、盗犯には佐伯らの小さな事案から重大な事案との関りを嗅ぎ取って評書を受けてきた佐伯らの経験が必要だと考える幹部もいるのでした。

この『北海道警察シリーズ』本来の趣旨だった北海道警察を告発するという役目を担った佐伯ら一味に対する旧来の警察内部勢力がいまだ生きていることの証でしょうし、それに対する佐伯らを擁護する勢力も育っているとも言えるのでしょう。

ともあれ、佐伯たちは今回も捜査本部には参加できず、同時に起きた法律事務所荒らしを担当することになります。

 

当初は法律事務所荒らしの目的はよく分からないでいたのですが、新宮が津久井から聞いた交通事故の被害者の名前をその法律事務所で見つけたところから話が大きく動き始めます。

さらには、小島が担当することになった少女が会いに来た父親のかつての勤務先までもが捜査本部が立てられることになった事件に関連してくるのです。

こうして、最終的にはいつもの三組、佐伯、小島、津久井の三者が一緒になって事件を解決することになるというパターンになっています。

 

この構造は本シリーズの基本的なパターンだと言ってもいいでしょう。

例えば、『密売人』などはそのままあてはまるようですし、未読の『雪に撃つ』も同じだとネット上に書いてありました。

 

 

それ以外の作品にしても、基本はこのパターンであり、ただ、個別に個々人のエピソードなどを絡ませてある点が異なるだけと言えます。

ただ、そのことは本『北海道警察シリーズ』が面白くないというのではありません。

逆に、著者佐々木譲の緻密な描写ともあいまって、シリーズの中心となる三人を描くことでエンターテイメント小説としての面白さを追求しながらも、地道な警察捜査の実態を描いて物語にリアリティーを増すという効果をもたらしています。

それはまさに作者である佐々木譲の筆力がもたらしていると言えると思います。

 

また、本シリーズは稲葉事件から始まっていることからも分かるように、その後も時代を反映したシリーズと言えるのですが、本書ではまずはコロナ禍での日常を前提とした捜査が描かれている点が挙げられます。

さらには、一部で話題の山林の個人購入の話題が取り上げられており、山林売買に絡む詐欺がテーマだと言えるでしょう。

そうした時代性を持ったシリーズとしてあることも魅力の一つとして挙げることができると思います。

 

冒頭に書いたように、本書『樹林の罠』は『北海道警察シリーズ』第十弾となる作品です。

私の記憶では本『北海道警察シリーズ』は全十話を目標に始まったということを作者が語っていたと思います。その十話目が刊行されたのですが、本当に本シリーズは終わるのでしょうか。

著者自身が「続けようと思えば、それ以上やっていける気はします。」( BookBang : 参照 )と言われているのですから、是非続けてほしいと思います。

佐伯や津久井、小島らの活躍を今後も読ませてほしいと切望します。

カットバック 警視庁FCII

カットバック 警視庁FCII』とは

 

本書『カットバック 警視庁FCII』は『警視庁FCシリーズ』の第二弾で、2018年4月にハードカバーで刊行され、2021年4月に528頁で文庫化された、長編の警察小説です。

今野敏の作品らしくユーモアにあふれて非常に読みやすく、他のシリーズ作品とコラボしている楽しい作品になっています。

 

カットバック 警視庁FCII』の簡単なあらすじ

 

人気刑事映画のロケ現場で出た本物の死体。
夢と現のはざまに消えた犯人を追え。

警視庁地域総務課の楠木肇(くすき・はじめ)は、普段はほとんどやる気のない男。しかし、事件となると意外な才能を発揮する。
楠木が所属する特命班「FC(Film Commission)室」には、地域総務課、組対四課、交通課から個性的な面々が集まっている。

FC室が警護する人気刑事映画のロケ現場で、潜入捜査官役の俳優が脚本通りの場所で殺された。
新署長率いる大森署、捜査一課も合流し捜査を始める警察。
なんとしても撮影を続行したい俳優やロケ隊。
「現場」で命を削る者たちがせめぎ合う中、犯人を捕えることができるのか。

人気シリーズ「隠蔽捜査」の戸高刑事も登場!(内容紹介(出版社より))

 

カットバック 警視庁FCII』の感想

 

本書『カットバック 警視庁FCII』は、警視庁に置かれたフィルムコミッション(FC)室所属のメンバーが、自分たちが担当した映画の撮影現場で起きた事件を解決するエンターテイメント小説です。

ここで言うFCとはフィルムコミッションの略で、FC室は映画やドラマのロケ撮影に対して便宜を図る警視庁の特命部署です」。( 担当コメント : 参照 )
 

また、「カットバック」という言葉は映画に関連しては「二つ以上の異なった場面を交互に切り返すこと」ということを意味します( weblio国語辞典 : 参照 )

ただ、本書で異なる場面が切り替えられていたかというとそうした記憶はなく、ざっと読み返してもそうは読めませんでした。

ということはこのタイトルの「カットバック」という言葉は、私の読み方が浅いだけで、単に映画用語として取り上げられているだけかもしれません。

 

本書『カットバック 警視庁FCII』の登場人物のうちFC室のメンバーとしては、室長として元通信指令本部の管理官の長門達男がいて、他にマル暴の山岡諒一、交通部都市交通対策課の島原静香、交通部交通機動隊の服部靖彦、それに地域総務課所属の楠木肇がいます。

さらに、後述の人物たちも忘れてはいけません。

 

本書の見どころはまずは物語の舞台が映画の撮影に関連しているということを挙げるべきでしょうが、特徴として取り上げていいかといえば若干の疑問があります。

ただ単に犯行現場や関係者が映画関係者たちだったというべきように思えるのです。

それよりも見どころとしては、主役である無気力な楠木(クスキでありクスノキではないそうです)がひらめきを見せて事件を解決に導くところを挙げるべきでしょう。

また、FC室のメンバーそれぞれの個性も本書に関心を向けることに役立っています。

 

とは言っても、本書の一番の魅力は舞台が大森署だということです。

大森署は『隠蔽捜査シリーズ』の舞台であった警察署であり、かつては竜崎伸也が署長として勤務していましたが、竜崎が異動した現在は『署長シンドローム』の主役である藍本小百合が署長として勤務している警察署なのです。

本書『カットバック 警視庁FCII』でも藍本署長が登場し捜査現場で天然ぶりを発揮していますし、何よりあの戸高刑事が中心となって殺人事件を捜査しているのです。

加えて、『安積班シリーズ』の警視庁捜査一課殺人犯捜査第五係係長の佐治基彦警部も登場してくるのですから今野敏ファンとしてはたまらないものがあります。

 

こうして、本書はどちらかというと『署長シンドローム』と『警視庁FCシリーズ』との合体作品とでもいうべき立ち位置の作品です。

そして、両シリーズの良いとこどりのエンターテイメント小説だと言え、軽く読むにはもってこいの作品だと言えると思うのです。

警視庁FCシリーズ

警視庁FCシリーズ』とは

 

本シリーズは、警視庁内に設けられたFC室、つまりフィルムコミッション室に配属されたメンバーの活躍を描くシリーズです。

『任侠シリーズ』のようにユーモアに包まれた作品ですが、やはり

 

警視庁FCシリーズ』の作品

 

警視庁FCシリーズ(2023年05月30日現在)

  1. 警視庁FC
  2. カットバック 警視庁FCII

 

警視庁FCシリーズ』について

 

本『警視庁FCシリーズ』は、警視庁内に設けられたFC(フィルムコミッション)室に配属されたメンバーの活躍を描く警察小説シリーズです。

この「FC室」という特命班は、もと通信指令本部の管理官だった長門達男をリーダーとして、組織犯罪対策部の山岡巡査部長、交通機動隊の白バイ隊員である服部、都市交通対策課の島原静香、それに地域総務課所属の楠木(くすき)肇という五名で構成されています。

このメンバーのうち専任なのは長門だけであり、他のメンバーは兼務ということになっています。

 

そもそも今野敏の描く警察小説は、推理小説ではあっても謎解き自体には重きが置かれていないようです。

今野敏の人気シリーズの中でも一、二を争う『隠蔽捜査シリーズ』や『安積班シリーズ』であってもそうで、主人公の個性やチームとしての働きが魅力的なのだと思えます。

 

 

ましてや、『マル暴シリーズ』などになるとミステリーというよりは登場するキャラクターの動きそのものの面白さが魅力だと言い切ることができるでしょう。

 

 

そのことは本書『警視庁FCシリーズ』でもあてはまり、ミステリー作品ではあっても登場人物たちの会話や行動自体にその面白さがあると言えます。

FC室のメンバーたちを見ると、静香に思いを寄せているであろうことが見え見えで女好きの服部や、典型的なマル暴刑事である山岡の言動がユーモラスに描かれています。

また、本シリーズでは常に楽をすることを考えているキャラクターである楠木の、愚痴を挟みつつ、ひらめきをみせる捜査の様子が中心に描かれ、それを班長の長門が支えているのです。

特に、第二弾の『カットバック 警視庁FCII』では大森署を舞台としており、当然ですが大森署新署長の藍本小百合署長が登場したり、大森署所属の戸高刑事がFC室のメンバーよりも捜査員としての活躍が見られます。

 

このように、何らかの事件(第二巻まで出ている現時点では殺人事件)がおき、その事件をFC室のメンバーが解決していくという構造は普通のミステリーと同じです。

しかし、謎ときはあくまで二次的なものであり、本筋は今野敏が作り出したキャラクターたちが自在に動き回り、登場するユニークな人物たちと共に事件に立ち向かうその姿が魅力的だと言えると思います。

署長シンドローム

署長シンドローム』とは

 

本書『署長シンドローム』は、2023年3月に335頁のハードカバーで刊行された長編の警察小説です。

大森署が舞台ですが『隠蔽捜査シリーズ』には属してはいなさそうで、多分ですが新しいキャラクターのもと始まる新シリーズになりそうな楽しく読めた一冊でした。

 

署長シンドローム』の簡単なあらすじ

 

大森署を長年にわたり支えてきた竜崎伸也が去った。新署長として颯爽とやってきたのは、またもキャリアの藍本小百合。そんな大森署にある日、羽田沖の海上で武器と麻薬の密輸取引が行われるとの報が!テロの可能性も否定できない、事件が事件を呼ぶ国際的な難事件に、隣の所轄や警視庁、さらには厚労省に海上保安庁までもが乗り出してきて、署内はパニック寸前!?藍本は持ち前のユーモアと判断力、そしてとびきりの笑顔で懐柔していくが…。戸高や貝沼ら、お馴染みの面々だけでなく、特殊な能力を持つ新米刑事・山田太郎も初お目見え。さらにはあの人物まで…!?(「BOOK」データベースより)

 

署長シンドローム』の感想

 

本書『署長シンドローム』は、『隠蔽捜査シリーズ』の竜崎伸也のあとに大森署に赴任してきたキャリアである美人署長の藍本小百合を主人公とする長編小説です。

大森署を舞台にした作品なので『隠蔽捜査シリーズ』に属する、もしくはスピンオフ的な作品と思っていましたが、どうも違うようです。

 

 

確かに、ほんの少しだけ今では神奈川県警刑事部長になっている竜崎伸也も登場しますが、それは単なる顔見世であり、中身は全く独立した物語でした。

とは言っても舞台は大森署であり、登場人物も大森署副署長の貝沼悦郎や警務課課長の斎藤治関本良治地域課課長、久米政男地域課課長、笹岡初男生活安全課課長らの『隠蔽捜査シリーズ』の面々がそのまま登場します。

 

ただ、署長として赴任してきたキャリアの藍本小百合警視正と、大森署刑事組織犯罪対策課に新任の山田太郎巡査長とが新しく登場しています。

この二人が曲者で、まず藍本小百合は誰もが振り向くほどの美人でありながら超がつくほどの天然として場を和ませる力を持っているという、前任の竜崎伸也にも負けないほどの特徴を有しています。

彼女が着任してから、例えば第二方面本部長の弓削篤郎警視正や、野間崎正信管理官などは視察と称してやたらと大森署にやって来るようになっています。

とにかく、藍本署長の美貌はモラルやコンプライアンスを超越しており、反抗的な部下も署長に会ったとたん反抗する気を無くしてしまうし、署長に会った者たちは必ずもう一度会いたがるのでした。

そして山田太郎巡査長は、一度見た場面を映像として規則するという特技を有していますが人物像はそれほど詳しくは紹介してありません。でも、本書ではかなりの活躍を見せます。

 

本書『署長シンドローム』は、大森署副署長の貝沼悦郎の目線で話は進みます。

ある日、組織犯罪対策部長の安西正警視長までもが藍本署長に会いに来ることになりました。

話を聞いてみると、羽田沖の海上で武器や麻薬の取引が行われるらしく、大森署に二百人規模の捜査本部を設けたいというのです。

大森署管轄内で大きな麻薬取引が行われ、さらには武器取引もあるらしくテロの疑いさえあるという情報がもたらされたのです。

ここで、麻薬が絡んだ事件ということで、厚生省麻薬取締部の麻薬取締官の黒沢隆義なる人物も登場してきます。

この人物が問題児であり、「地方警察ごときが、厚労省を相手に偉そうなことを言うんじゃないよ。」と言い切る人物です。

この黒沢に対抗するように嫌な奴として馬淵浩一薬物銃器対策課長が配置され、副署長の貝沼はこうした登場人物たちの勝手な振る舞いに悩まされることになるのです。

 

隠蔽捜査シリーズ』の竜崎伸也は合理性を重んじ、警察官として市民生活を守ることに最も適した方途を選択することを第一義としていました。

本書の主人公である藍本小百合大森署署長は、物事の考え方がシンプルであることを第一義としているようで、物事の本質だけをみて考えて行動するため、結果として元署長の竜崎伸也の言動と似た言動をとることになるようです。

実際、語り手である貝沼副署長に、藍本小百合署長の言葉を聞いたような言葉だと言わせ、結果的に竜崎の行いと同様の行動をとることになっているのです。

そのうえで、「ひょっとしたら、大森署はとてつもなく強力な武器を手に入れたのではないだろうか。」などと言うまでに至ります。

 

本書の魅力と言えば、他の今野敏作品と同様に何よりもキャラクターの造形のうまさをあげることができます。

本書の藍本小百合という新署長も、誰もが何かにかこつけて藍本小百合の顔を見に訪れるほどに美人だというだけでなく、その能力も素晴らしいものを持っているというその存在自体が魅力的な人物です。

特別に何かをするということではないのですが、何も特別なことをするではなく普通のことを普通に行っているだけなのに結果がついてくる、そういう存在です。

そして、山田太郎という奇跡的な記憶力の持ち主も登場しているのです。

 

前述したように、たぶん新シリーズの幕開けと考えていいのではないでしょうか。

今野敏という作家のファンとしては見逃すことのできないシリーズとなりそうです。