本書『白鳥とコウモリ』は、東野圭吾の新たなる最高傑作と銘打たれた、新刊書で522頁というかなりの長さを持つ長編の推理小説です。
自分が犯人だと告白する人物の心の内を解明する心打たれる物語ですが、個人的には東野圭吾の普通に面白い作品以上のものではありませんでした。
『白鳥とコウモリ』の簡単なあらすじ
遺体で発見された善良な弁護士。
一人の男が殺害を自供し事件は解決――のはずだった。
「すべて、私がやりました。すべての事件の犯人は私です」
2017年東京、1984年愛知を繋ぐ、ある男の”告白”、その絶望――そして希望。
「罪と罰の問題はとても難しくて、簡単に答えを出せるものじゃない」
私たちは未知なる迷宮に引き込まれる――。作家生活35周年記念作品
『白夜行』『手紙』……新たなる最高傑作、
東野圭吾版『罪と罰』。(「書籍紹介」より)
東京の竹芝桟橋近で男性が殺されているのが見つかった。被害者は、正義感が強く誰もが良い人だと言う白石健介という弁護士だった。
捜査が進む中、白石弁護士の事務所に電話をかけてきたことがある愛知県安城市の倉木達郎という男が捜査線上に浮かんできた。
被害者の足取りを追うと門前仲町の「あすなろ」という店に通っていたらしい。
その店の経営者である母娘は、1984年に愛知県で起きた「東岡崎駅前金融業者殺人事件」の容疑者として逮捕され、留置場で自殺していた男の家族であるという。
また白石弁護士と倉木達郎とが東京で会っていた事実も判明し、倉木達郎に尋ねると、白石弁護士殺害と過去の金融業者殺害事件まで自分の犯行だと認めるのだった。
『白鳥とコウモリ』の感想
本書『白鳥とコウモリ』は、過去に起こした別の殺人事件が暴かれそうになったために新たな殺人を犯したと自白した被疑者の言葉に関係者が納得せずに真相を解明するべく奔走するというものです。
この二件の殺人事件の関係者は、現在の殺人事件の関係者として、犯人だと自供をした倉木達郎、その息子の倉木和真がいます。
殺されたのが正義感の強い弁護士の白石健介であり、その妻が白石綾子、娘が白石美令です。
そして、捜査員として登場するのが警視庁捜査一課強行犯係の五代努と所轄の中町巡査です。
過去の殺人事件の関係者としては、被害者が灰谷昭造で、犯人として逮捕され警察署内で自殺をしたのが福間淳二です。
その福間の妻が浅羽洋子で娘が浅羽織恵であり、現在、ふたりは門前仲町で小料理店「あすなろ」を経営しています。
これら登場人物のうち倉木和真と白石冬美とが探偵役となっています。
著者の東野圭吾は、「今後の目標はこの作品をこえることです」と言われたそうです。
それほどに本作品に自信があるのでしょうが、先述のように個人的には本書『白鳥とコウモリ』は東野圭吾らしい推理小説と思うものの、それ以上の印象はありません。
しかし、読者の大半は本書に感動したというところを見ると、私の印象が少数派であることは間違いがないでしょう。
私も本書『白鳥とコウモリ』が面白い作品であることは否定していません。ただ、特出した面白さというほどのものは感じなかったというだけです。
その点だけ確認すれば、本書の面白さは間違いのないところです。
倉木達郎の息子の和真や、白石弁護士の娘の美令による倉木達郎の自白の矛盾点を突き崩していく作業は読みごたえがあります。
でも、倉木の過去の行為のために冤罪に問われ死んだ被害者の家族には真実を告げるべきであり、倉木が言わないのならば自分が伝えるという白石弁護士の言動はやはり不自然です。
いくら正義感の強い弁護士だからといって自分を信頼して話してくれた大切な秘密を、告白した本人の意思に反して相手方に伝えるなどという行為をするはずはありません。
白石弁護士の遺族が、白石弁護士はこうした言動はするはずはなく、倉木の自白は真実ではないと考え娘の美鈴が真実を探るために動き出すのはもっともだと思えます。
問題は警察官や検察官までもがこの自白をそのままに受け入れたという点です。確かに、捜査官、検察官が自白をそのままに受け入れる理由らしきものも書いてはありますが、やはり説得力があるとは思えません。
本書『白鳥とコウモリ』ではこの点が真実解明の出発点であるために、その後の構成について違和感が残ったままになりました。
それから細かな点を言うと、被害者参加制度の弁護士が依頼人の家に行くのに委任状を用意していなかったり、さらには和真と美令との関係も必要だったか、などあります。
しかし、こうしたことは難癖と言われるようなどうでもよさそうなものであり、取り上げるほどのものではありません。
本書『白鳥とコウモリ』の惹句を見ると「東野圭吾版『罪と罰』」という文言があります。
最初は本書を「罪と罰」とに重ね合わせるとは本書のどのような点について言うのか、よく分かりませんでした。
多分、殺された人間が生きるに値しない人間の屑だとして殺害行為を正当化しようとしていること、さらにはその後で示される自己犠牲的ヒューマニズムをも含めて言っていると、今ではそう思っています。
このことも本書には関係の無いことでした。
ただ、「罪と罰」という名作を惹句に使おうと思うほどに本書の掲げるテーマが深いものだと思われたと思います。
本書『白鳥とコウモリ』の大きなテーマである殺人行為とその動機の正当性という点では、社会派の推理小説では一つの大きな分野といってもいいほどに多くの作家さんたちが挑戦されています。
例えば、横山秀夫の作品である『半落ち』もその一つではないでしょうか。
自分の妻を殺したことは認めても、妻を殺害した後の自首までの二日間の行動については何も語らない警察官の物語でした。
その行為の裏に隠された真実はまさに感動の物語だといえ、寺尾聰の主演で映画化もされた作品です。
また、柚月裕子の『検事の本懐』の「本懐を知る」と『検事の死命』の「業をおろす」という二編の短編にもまた同様に弁護士であった父親が依頼者から預かっていた金を横領したとして黙秘を貫いて収監され、獄死したという物語です。
記者や父親同様に弁護士となった息子の佐方貞人が父親が黙秘を貫いた理由を明かす、これまた感動的な作品でした。
このように、いろいろな作家さんが挑戦しているテーマの一つだと思うのですが、さすがに東野圭吾の作品であり、本書で告白した倉木達郎やその息子の和真の人物造形は見事なものでした。
惹句で『罪と罰』という古典的な名作を引き合いに出しているのも分からないではない力作だったと思います。
ただ私にとっては、東野圭吾の推理小説という点では、例えば直木賞を取った『容疑者Xの献身』の方がより面白かったと思いますし、また『新参者』の方が事件の裏に隠された真実を暴いていくという点でも面白く感じたという次第です。