『ハヤブサ消防団』とは
本書『ハヤブサ消防団』は2022年9月にソフトカバーで刊行された、474頁の長編のミステリー小説です。
この作者の『半沢直樹シリーズ』のような痛快小説ではなく、とある町を舞台にした純粋なミステリーであって、若干の期待外れの印象は否めませんでした。
『ハヤブサ消防団』の簡単なあらすじ
連続放火事件に隠されたー真実。東京での暮らしに見切りをつけ、亡き父の故郷であるハヤブサ地区に移り住んだミステリ作家の三馬太郎。地元の人の誘いで居酒屋を訪れた太郎は、消防団に勧誘される。迷った末に入団を決意した太郎だったが、やがてのどかな集落でひそかに進行していた事件の存在を知るー。(「BOOK」データベースより)
作家の三馬太郎は、ふと思い立ち、中部地方にある八百万町ハヤブサ地区の亡父の家に移り住むことにした。
その地で、地区の消防団に誘われた太郎は何も分からないままに消防団に参加し、何とか地区の皆に溶け込むことができていた。
しかし、そのうちにこの地区では火災が相次いで起きていることを知り、さらには知人の家からも出火し、住人の一人が死体で発見される事態も起きる。
またこの地区では太陽光発電のためのパネルの設置が目立つようになっていたのだが、その裏で思いもかけない企みが進行していたのだった。
『ハヤブサ消防団』の感想
本書『ハヤブサ消防団』は、中部地方のとある山村を舞台にしたミステリー小説です。
山々に囲まれた八百万町の六つの地区のうちのハヤブサ地区にあった亡き父の家に移り住んだ、三馬太郎という小説家を主人公としています。
太郎は、藤本勘助という男に地区の消防団に誘われ、何も分からないままに参加することとなります。
この消防団は、宮原郁夫を分団長として、副分団長で役場勤めの森野洋輔、大工の中西陽太、洋品店経営者の徳田省吾、多分教師だろう滝井悠人、そして地元の工務店勤務の藤本勘助という面々がいました。
この消防団のたまり場が△(サンカク)という地元の人気店らしい居酒屋です。
それに、太郎と同じように二年くらい前に八百万町に越してきた映像クリエーターの立木彩がいて、ほかに八百万町長の信岡信蔵、S地区警察署長の永野誠一、それに随明寺住職の江西佑らが中心人物として登場します。
ほかにも多くの人物が登場しますが、すべてを紹介するわけにもいきません。
そのうちに、ハヤブサ地区内で火事が連続して発生し、さらにとある新興宗教の問題までもが絡んでくるのです。
こうして、連続して発生する火事は失火なのかそれとも放火か。
また、ハヤブサ地区でよく目にするようになった、ハヤブサ地区の景観を台無しにしてるという太陽光発電のパネルの問題もでてきます。
加えて、オルビス・テラエ騎士団という問題を起こした教団のあとを継いでいるらしい、オルビス十字軍と名乗る新興宗教の問題など、次から次へと問題が発生します。
たしかに、本書では多くの人物が登場し、その相互の人間関係は複雑に絡み合い、最後まで連続出火やとある人物の死の真実、など犯人像は最後まで絞り切れません。
その点を主人公が調査し、真実の一端に辿り着く描写はそれなりに読みごたえがあります。
しかし、最終的に本書が語りたいことは何なのか、よく分からないままに読了することになりました。
そういう意味でも、田舎暮らしを描くうえで避けて通れない人間関係の濃密さなどの描き方が、個人的には今一つの印象です。
消防団の仲間との交流はあり、狭い地域で情報は筒抜けになることなど少しは描いてあるものの、そうしたことは単に背景としてあるだけです。
でも、この点に関しては推理小説である本書でそれほどあげつらうこともないかもしれまん。
では、かつてのオウム真理教を思わせる過激な新興宗教の問題としてあるのかと言えば、その点でも新興宗教の不都合な側面などはなく、あくまで本書での特定のグループの特殊さを強調してあるだけです。
そこに、宗教団体としての存在は何もありません。
かといって、タイトルでもある消防団の問題点も特にありませんし、田舎での恋愛模様もありません。
結局、本書の舞台で起きた火災と、事件性がはっきりしないある人物の死という事実、そこに絡んでくるオルビス十字軍という特殊集団とのサスペンス感も加味されたミステリーというだけで、何とも焦点がぼけている印象です。
先にも述べたように、これまでのこの池井戸潤という作家の個性があまりにも小気味のいい経済小説という印象が強烈であるために、その印象に引きずられている感はあります。
しかしながら、そうした先入観を取り除いて、純粋なミステリーとして見直しても何となく中途半端な印象は残ります。
この池井戸潤の『果つる底なき』は、舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではありますが、この作品はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。
また、『シャイロックの子供たち』は、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られていると言えます。
勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。
こうした作品がある以上は、本書だけが何となくテーマが見えないという感想は的外れではないと思うのです。
繰り返しますが、池井戸潤という作家の作品だということで、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』のような痛快企業小説を期待して読むと、裏切られます。
本書は、まさにミステリーであり、そこに痛快小説の要素は全くなく、主人公にストーリーの途中で襲いかかる、そして主人公が乗り越えるべき何らかの難題も、本書ではありません。
「田舎の小説を書」きたいという著者の思いは、消防団という組織を通してそれになりに成功していると思います。
ただ、消防団や皆の集まる居酒屋、そして田舎の風景はいいのですが、先に述べた田舎での過度なまでの人間関係の濃密さの描き方は今一つでした。
結局、まさに普通のミステリー小説である本書は、普通に面白いということはできても、残念ながら池井戸潤という作家に対する高い期待に対して十分に応えた作品だということはできない作品だったと言わざるを得ません。