警官の酒場

警官の酒場』とは

 

本書『警官の酒場』は『北海道警察シリーズ』の第十一弾作品で、2024年2月に416頁のハードカバーで角川春樹事務所から刊行された長編の警察小説です。

本書をもってこのシリーズも終わると聞いていて残念に思っていたのですが、実際は第一シーズンが終わるということで一安心しているところです。

 

警官の酒場』の簡単なあらすじ

 

捜査の第一線から外され続けた佐伯宏一。重大事案の検挙実績で道警一だった。その佐伯は、度重なる警部昇進試験受験の説得に心が揺れていた。その頃、競走馬の育成牧場に強盗に入った四人は計画とは異なり、家人を撲殺してしまう。“強盗殺人犯”となった男たちは札幌方面に逃走を図る…。それぞれの願いや思惑がひとつに収束し、警官の酒場にある想いが満ちていくー。大ベストセラー道警シリーズ、第1シーズン完!それぞれの季節、それぞれの決断ー。(「BOOK」データベースより)

大通警察署生活安全課の小島百合は、スマホを奪われたという女子高校生についての報告書を読んでいるときに、女性の緊急避難所を開設しているボランティアグループの山崎美知から暴力団風の男たちから嫌がらせを受けていると連絡があった。

佐伯宏一は、近頃認知症の兆候を見せてきている父親の身を案じながらも上司と共に刑事部長から警部昇任試験についての話を聞いていたが、直ぐに設備業者のワゴン車の盗難事件発生を告げられた。

津久井卓巡査部長と滝本浩樹巡査長は人質立てこもり事件を解決した後、競走馬の育成牧場での強盗殺人事件についての連絡を受けていた。

 

警官の酒場』の感想

 

本書『警官の酒場』は『北海道警察シリーズ』の第十一巻となる作品で、本作品をもって第一シーズンが終わるそうです。

まずはシリーズ自体は継続するということで安心しましたが、本書の終わり方が終わり方なので、今後の展開がどうなるものか期待が膨らむばかりです。

 

本書でも例によって佐伯宏一警部補、津久井卓巡査部長、小島百合巡査部長という三人の警察官のそれぞれが別事件を追いかけています。

でも、佐伯の部下であり相方でもある新宮昌樹巡査も第一話からの佐伯のコンビとして登場していますので、新宮巡査も加えて四人の物語といった方がいいのでしょう。

本書では、佐伯宏一と新宮昌樹のコンビは古いワゴン車の盗難事件を、津久井卓は闇バイト問題が絡んだ競走馬育成牧場での強盗殺人事件を、そして小島百合は女子高生のスマホ盗難事件を担当しています。

 

これらの事件を捜査するなかで得られた細かな情報が、互いに認識しないままに関連してくる様子が、読者にはよく分かるように物語が進行していくのはこのシリーズのいつものパターンです。

いつものパターンではあってもマンネリ化に陥ることはなく、それぞれの捜査の丁寧な描写は物語の展開にリアリティを与えています。

またそれと共に、サスペンス感に満ちているのはやはり作者の筆力の為すところだと思われます。

 

このように、本書『警官の酒場』のストーリーも本シリーズのパターンに則った運びですが、もう一つの本シリーズの特徴である、時事的な事柄を物語に織り込んでいるという点もまたあてはまります。

それは「闇バイト」の問題であり、一面識もない連中が高額報酬に惹かれて当該強盗事案のためにだけ集まり、犯行を遂げるというものです。

しかし、公にできない金があるはずの競走馬育成牧場に押し入るだけの犯行の筈が、気の短い仲間の一人が予想外の行動に出て被害者を殺してしまい、機動捜査隊の隊員である津久井卓巡査部長がこの強盗殺人事件を追いかけることになります。

この闇バイトに集まった個々人の描写もその心の動きまで丁寧に押さえてあるところなど、このシリーズがリアリティに満ちている理由がよく分かります。

 

また、本書『警官の酒場』はシリーズの第一シーズンの終わりということで、中心となる四人それぞれの今後が示唆されています。

そのことは作者の佐々木譲自身がこの北海道警察シリーズの生みの親でもある角川春樹との対談の中で、「それぞれの個人史としても区切りがつけられたのではないか」と語っていることでもあり、意外といってもいい展開になっています( Book Bang : 参照 )。

そのことは、遠くない未来に始まるはずの第二シーズンに大きな期待を抱かせることにもなっているのです。

 

津久井卓は今後の捜査にはどうかかわるのか、小島と佐伯の二人の行く末はどうなるのか、そして佐伯の今後の身分は、そして何よりもこのシリーズの傾向はどうなるのか大いに期待させられます。

いまはただ続巻の刊行が待たれるばかりです。

方舟

方舟』とは

 

本書『方舟』は、2022年9月に304頁のソフトカバーで講談社から刊行された長編の推理小説です。

2023年本屋大賞第七位など各種ミステリー賞にランクインしている人気作品で、普通に面白く読んだ作品でした。

 

方舟』の簡単なあらすじ

 

大学時代の友達と従兄と一緒に山奥の地下建築を訪れた柊一は、偶然出会った三人家族とともに地下建築の中で夜を越すことになった。翌日の明け方、地震が発生し、扉が岩でふさがれた。さらに地盤に異変が起き、水が流入しはじめた。いずれ地下建築は水没する。そんな矢先に殺人が起こった。だれか一人を犠牲にすれば脱出できる。タイムリミットまでおよそ1週間。生贄には、その犯人がなるべきだ。-犯人以外の全員が、そう思った。(「BOOK」データベースより)

 

方舟』の感想

 

本書『方舟』は、各種ミステリー賞の候補になった作品で、いわゆる本格派の推理小説に分類できる推理小説です。

これまで幾度か書いてきたのですが、個人的にはいわゆる本格派と呼ばれる推理小説をあまり好むものではありません。

それは、犯罪動機に重きを置く社会派の推理小説に比して、やはり本格派の推理小説はどうしてもその舞台設定に無理があると感じてしまうからです。

解くべき謎を作出するために状況が設定されているため、不自然さがぬぐえないのです。

加えて、登場人物の書き込みが今一つとも感じ、それが登場人物たちへの感情移入ができにくい原因とも思えます。

 

本書の場合もそのことは言え、外部との連絡が取れない状況下で、特定の場所に閉じ込められた中で殺人が起きるというお決まりの設定なのです。

そのための舞台設定として山奥の特殊な地下施設がもうけられており、状況作出のためには予想外の地震という状況が用意されています。

 

本書の視点の主は越野柊一という男であり、探偵役はそれとは別に越野の従兄の篠田翔太郎が同行しています。

他に絲山隆平麻衣の夫婦、高津花西村裕哉野内さやかといった越野柊一の大学時代の友人たちです。

それに、この一行に途中から合流することになった矢崎幸太郎弘子の夫婦とその息子の高校一年生矢崎隼斗という十名です。

これらの仲間で目的の地下施設で一夜を過ごすことになったものの、明け方に発生した地震のためにこの地下施設から脱出できなくなります。

脱出のためには誰かが犠牲になって出口をふさいでいる岩を動かす必要がありました。

その上、その地下施設に地下水まで侵入してきて、生きて脱出するまでのタイムリミットが設定されるという事態になるのです。

以上のような状況の中で殺人が起きるのですが、この事件の犯人探しは、この地下施設からの脱出のための犠牲者探しという意義をも持っている点がユニークです。

 

このように、本書がこれまでのクローズドサークルものの本格派推理小説と異なるのは、閉じ込められた建物からの限られた時間内での脱出というサスペンス要素まで取り入れられていることでしょう。

そのため、これまでの本格派の推理小説よりは身を入れて読むことができたように思えます。

その上、本来はこの点が重要なのですが、読了時にはそれなりの驚きをもって読み終えることができたという、意外性に満ちた展開が待っているのです。

この点はあまり声高に言うとネタバレに近い話になるので何とも微妙なところです。

結局、登場人物たちが不自然な施設に閉じ込められるという状況自体は素直には受け入れることはできませんが、その先の展開は面白く読んだ作品でした。

 

ちなみに、本書に関しては有栖川有栖氏、影山徹氏による、ネタバレ公式サイトが用意してあります。

ただ、このサイトには犯人名、犯人の最後の台詞をユーザー名、パスワードとしてローマ字で入力することが要求されますのでご注意ください。

ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編 SISTER編


ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』とは

 

本書『ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』は、両書共に2023年9月に256頁のソフトカバーで小学館から刊行された長編の推理小説です。

 

ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』の簡単なあらすじ

 

史上初! ひとつの事件にふたつの真実

古き良き商店街で起きた不穏な事件。探偵役は四兄弟と三姉妹、事件と手がかりは同じなのに展開する推理は全く違う!? 〈Sister編〉との「両面読み」がおすすめです!
ぎんなみ商店街近くに住む元太・福太・学太・良太の兄弟。母は早くに亡くなり父は海外赴任中だ。ある日、馴染みの商店に車が突っ込む事故が起きる。運転手は衝撃で焼き鳥の串が喉に刺さり即死した。事故の目撃者は末っ子で小学生の良太。だが福太と学太は良太の証言に違和感を覚えた。弟は何かを隠している? 二人は調査に乗り出すことに(第一話「桜幽霊とシェパーズ・パイ」)。
中学校で手作りの楽器が壊される事件が発生。現場には墨汁がぶちまけられ焼き鳥の串が「井」の字に置かれていた。学太の所属する書道部に犯人がいるのではと疑われ、兄弟は真実を探るべく聞き込みに回る(第二話「宝石泥棒と幸福の王子」)。
商店街主催の「ミステリーグルメツアー」に随行し、長男で料理人の元太は家を空けている。学太が偶然脅迫状らしきものの断片を見つけたことから、元太が誘拐事件にかかわっている可能性が浮上。台風のなか兄の足跡を追う福太たちに、ある人物が迫る!(第三話「親子喧嘩と注文の多い料理店」)(内容紹介(出版社より))

新・読書体験。驚愕のパラレルミステリー!

古き良き商店街で起きた不穏な事件。探偵役は三姉妹と四兄弟、事件と手がかりは同じなのに展開する推理は全く違う!? 〈Brother編〉との「両面読み」がおすすめです!
ぎんなみ商店街に店を構える焼き鳥店「串真佐」の三姉妹、佐々美、都久音、桃。ある日、近所の商店に車が突っ込む事故が発生した。運転手は衝撃で焼き鳥の串が喉に刺さり即死。詮索好きの友人を止めるため、都久音は捜査に乗り出す。まずは事故現場で目撃された謎の人物を捜すことに。(第一話「だから都久音は嘘をつかない」)
交通事故に隠された謎を解いた三姉妹に捜査の依頼が。地元の中学校で起きた器物損壊事件の犯人を捜してほしいというものだ。現場には墨汁がぶちまけられ、焼き鳥の串が「井」の字に置かれていた。これは犯人を示すメッセージなのか、それとも……?(第二話「だから都久音は押し付けない」)
「ミステリーグルメツアーに行く」と言って出掛けた佐々美が行方不明に!? すわ誘拐、と慌てる都久音は偶然作りかけの脅迫状を見つけてしまう。台風のなか、姉の足跡を追う二人に、商店街のドンこと神山が迫るーー。(第三話「だから都久音は心配しない」)(内容紹介(出版社より))

 

ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』の感想

 

本『ぎんなみ商店街の事件簿』の『BROTHER編』と『SISTER編』という作品は、発生した同じ事件を両編それぞれに異なる探偵役が調査し、結果的として内容の異なる二つの真実を見つけるという独特な構成のミステリー小説です。

つまりは本書『ぎんなみ商店街の事件簿』は、『BROTHER編』『SISTER編』という二冊の姉妹編を読み終えて初めて作品としての評価ができるような物語だと言えます。

私は『ぎんなみ商店街の事件簿 BROTHER編』を最初に読んだのですが、ぎんなみ商店街で起きるいろいろな事件の謎を、料理人の元太を長男とする福太学太良太という四兄弟が探偵役として解決する物語として、単品だけでも面白い作品でした。

同じことは姉妹編の『SISTER編』についても言え、ただ探偵役が内山家の佐々美都久音という三姉妹に代わっている点が異なるだけです。

 

両書で起きる事件は「ぎんなみ商店街で起きた交通事故」、「中学校で手作り楽器が壊された事件」、「発見された脅迫状から推測される誘拐らしき事件」の三件であって、普通の推理小説で起きる殺人事件などではありません。

そして、両方の作品で起きる事件は同じものですが、ただそれぞれの作品において起きた事実の持つ意味が異なってくるのであり、見つけるべき真実も異なっています。

客観的な事実は同じでありながら、関わる当事者ごとに見るべき視点をずらし、取り上げる事実も異なることでその先にあり発見されるべき真実も異なるものになります。

 

両方を読み終えてみると、確かに起きる事件は一つです。

その上で各事件の背後には登場人物の家族や友人関係があり、それぞれの関係性が複雑に絡んでいて、それらを背景にした真相がきちんと構築されていいるのです。

そうした構成、つまり『BROTHER編』と『SISTER編』とで起きる事実を同じくしながら矛盾なく意味を持たせる、という作業がどれほど困難さは素人でも分かります。

ここでの二冊はそうした困難な作業を乗り越えて、両編それぞれで破綻することなく評価の高いミステリーとして仕上げてあるのです。

 

登場人物たち、それぞれの兄弟姉妹の個性はうまく書き分けられており、軽いユーモアも散りばめられていて読みやすく、それなりに読み通すことがきついなどということはありません。

兄弟姉妹の仲の良さは読んでいても心地よく、当然ですが商店街の各店の登場人物も共通でありながら問題解決に同じような役割を果たしている点もまた読みやすい構成です。

それぞれの兄弟姉妹の抱える問題もユーモラスな面もあり、小暮家、内山家の家族の内情も面白く描かれていて好感が持てます。

さらには、小暮家、内山家が互いに相手の担当する巻に少しずつ登場してそれなりの役割を果たしたりと両編の繋がりにも配慮を見せてあります。

 

しかしながら、綜合的にみると個人的には決して好みの作品とは言えませんでした。

上記のようなうまい作りを見せてありながら、違和感を感じ感情移入できないのは何故かというと、探偵役となる両家の兄弟姉妹のうちの一人が中心的な存在となっていて最終的なひらめきを見せていること、頭脳役の担当はその弟なり妹なりが控えていること、などの構造が同じだということでしょう。

でも、違和感の正体はそうしたことに加え、なによりも両編での小暮家兄弟、内山家姉妹が物語の中から浮いて見えるという点にあると思います。

個人的に、この町でミステリーの探偵役として動き回る両兄弟姉妹に不自然さを感じてしまったようで、こればかりは個人的な好みの問題なのでどうしようもないことだと思われます。

この点を除けば非常に考えられた面白い作品だと言え、一読する価値はあると思わる作品でした。

マリスアングル

マリスアングル』とは

 

本書『マリスアングル』は、2023年10月に408頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の警察小説で、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

この人の作品にはずれはありませんが、中でもこの『姫川玲子シリーズ』はその一番手であり、本書もまたその例に違わない作品でした。

 

マリスアングル』の簡単なあらすじ

 

塞がれた窓、防音壁、追加錠…監禁目的の改築が施された民家で男性死体が発見された。警視庁捜査一課殺人班十一係主任、姫川玲子が特捜に入るも、現場は証拠が隠滅されていて糸口はない。犯人はなんの目的で死体を放置したのか?玲子の天性の勘と閃き、そして久江の心に寄り添う聞き込みで捜査が進展すると、思いもよらない人物が浮かび上がってきてー誉田ワールド、もう一人の重要人物・魚住久江が合流し、姫川班が鮮烈な進化を遂げるシリーズ第10作!(「BOOK」データベースより)

 

マリスアングル』の感想

 

本書『マリスアングル』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

姫川玲子シリーズ』の出版冊数からすると十一番目になると思われるのですが、第五弾の『感染遊戯』をシリーズ関連作としてシリーズない作品としては計算してないことにあるようです。( 姫川玲子シリーズ 公式サイト : 参照 )

この点に関しては、著者の誉田哲也自身がはっきりと自身の筆で、『感染遊戯』は「姫川玲子シリーズにはカウントしないこととする。」と書かれておられます。( Book Bang : 参照 )

出版社の「内容紹介」にも『姫川玲子シリーズ』の第十弾作品と書いてあります。

 

そうした形式的なことはさておいて本書の内容ですが、『姫川玲子シリーズ』の中でも事件の解決に向けた捜査の様子がストレートに記述されている、わりとオーソドックスなタッチの物語だと言えるのではないでしょうか。

ただ、物語の展開はオーソドックスだと言えても、その語られている内容は誉田哲也の作品らしい作品です。

というのも、著者の誉田哲也の作品では、現実の政治情勢を取り込んで作品内で起きる事件の背景に据えていることが少なからずありますが、本書で犯される犯罪の根底には、現実に起きた朝日新聞の慰安婦報道に関する問題が横たわっているからです。

ただ、本書では慰安婦の記事が全くの捏造であることを前提として取り上げてあり点には注意が必要だと思われます。実際の朝日新聞の問題はネット上に多くのサイトがあふれていますが、下記サイトに詳しく書いてありますので、関心がある方は参照して見て下さい。

 

 

本書『マリスアングル』の物語は、読者がそうした社会的な出来事について知見が無かったとしても楽しめる構造になっているので問題はありません。

 

ただ、誉田哲也の作品内で取り上げられている現実の出来事についてエンターテイメントとしての取り上げ方をしてあるので、作品に書かれていることが真実であるかのように思われる危険性はあると思われます。

そのことの是非をここで取り上げるつもりもありませんが、読者自身があくまで虚構であることを認識したうえで読み進めるべきかと思います。

そうした姿勢がある以上は、誉田哲也の作品で現実の政治的な状況への関心が生まれ、正確な情報に接する気持ちが生まれればそれは作者としても一つの狙いであるのかもしれません。

 

何と言っても本書の見どころと言えば、本シリーズと誉田哲也の別の人気シリーズである『魚住久江シリーズ』が合体し、姫川玲子の班に魚住久江が加わり、新たなチームとしての魅力が加わっているところです。

魚住久江という強烈な個性を持った女性の視点が新たに加わることで、姫川玲子という人間像が一段と明確になっていくというべきかもしれません。

その上で、どちらかというと、姫川玲子個人の危うさを取り上げ、姫川の保護者的立場の存在として魚住を異動させていると思われるのです。

ということで、本書『マリスアングル』は朝日新聞の慰安婦報道問題をテーマとして取り上げながらも、シリーズとしては姫川玲子個人のキャラクターをより深く描き出してあるのです。

といっても、魚住久江が異動してきたまだ日が浅く、姫川との絡みは今後さらに深くなっていくものと思われます。

その時の姫川玲子の描写を楽しみにしつつ、続巻を期待したいと思います。

鑑定人 氏家京太郎

鑑定人 氏家京太郎』とは

 

本書『鑑定人 氏家京太郎』は『鑑定人 氏家京太郎シリーズ』の第一弾で、2022年1月に280頁のハードカバーとして双葉社から刊行された長編のサスペンスミステリー小説です。

公的な科学捜査研究所と対峙する民間の鑑定人を主人公とすることで、現在の鑑定業務の問題点を洗い出す、お仕事小説であり、かなり惹き込まれて読み終えました。

 

鑑定人 氏家京太郎』の簡単なあらすじ

 

民間で科学捜査鑑定を請け負う“氏家鑑定センター”。所長の氏家京太郎のもとに舞い込んだのは、世間を騒がせる連続殺人犯の弁護士からの鑑定依頼だった。若い女性3人を殺害し死体から子宮を抜き取る猟奇的な事件だが、容疑者は、3人のうち1人の犯行だけは否認している。3人の殺害を主張する検察側の鑑定通知書に違和感を感じた氏家は、犯人の体液の再鑑定を試みる。しかし、試料の盗難や職員への暴行など、何者かからの邪魔が相次いでー。警視庁科捜研と真っ向対立しながら挑む裁判の行く末は?(「BOOK」データベースより)

 

鑑定人 氏家京太郎』の感想

 

本書『鑑定人 氏家京太郎』は、鑑定人を主人公とした推理小説ですが、鑑定という職務を紹介したお仕事小説としての一面もある長編のサスペンス感にあふれた推理小説です。

冒頭から、一般人になじみの深い筆跡鑑定の様子を見せることで筆跡鑑定の業務の内容を示すとともに、主人公の氏家京太郎の人となりを簡単に示してあり、物語の導入部として実に入りやすい設定となっています。

そこでは、氏家が警視庁科学捜査研究所のOBとしての立場や科捜研を辞めた事情、また科捜研と対立している立場も明確にしてあるのです。

 

氏家は人権派と呼ばれている吉田士童弁護士から、世を騒がせている連続殺人犯の弁護のための鑑定の依頼を受けます。

その事件は連続通り魔事件であり、那智貴彦という男が続けて三人の女性を殺し、その腹をY字形にきり割いて子宮を摘出して放置したというものでした。

吉田弁護士は、依頼人の那智が最初の二人の殺害は認めたものの最後の一人は殺していないと否認しているため、最後の事件で現場で採取された体液のDNA鑑定を依頼してきたのです。

 

検察側の鑑定人である科学捜査研究所の提出してきた鑑定書と正面から対決することになり、全体的に不利な状況から如何にして弁護側に有利な証拠を見つけ出すか、つまりは科捜研の提出した鑑定をどのようにしてひっくり返すことができるか、に焦点が当たってくるのです。

ここで、普通は見聞きすることのないDNA鑑定などの鑑定業務の内容が描かれることになり、その点でも興味が沸く内容です。

でも、本書『鑑定人 氏家京太郎』ではそれだけにとどまらず、主人公の氏家京太郎とその氏家と対決することになる科学捜査研究所の鑑定人である黒木康平と氏家との関係や、吉田弁護士とその対決相手となる東京地検第一級検事の谷端義弘検事との間の二組の人間関係のわだかまりなど、直接の業務外の関りという見どころも用意してあります。

勿論のことですが、第一は那智貴彦という殺人犯が犯したとされる第三の殺人事件の真実を探り出すということが最大の見せ場ではありますが、こうしたそれぞれの人間関係も物語の幅を広くしているのです。

また、氏家鑑定センターの所員である、感情よりも論理を優先できる女と言われているDNA鑑定を担当の橘奈翔子などの職人気質の署員たちが登場しつつ、氏家の職務を助けています。

氏家たちの仕事は裁判の手続きの流れの中で重要な意味を持ってきますので、裁判の具体的な手続きも簡単に説明しながら物語が進みます。

例えば、刑事裁判の公判前整理手続きの流れの説明やその手続き自体の問題点が指摘され、またDNA鑑定の重要性や「DNA鑑定のバイブルと呼ばれている」と表現してある『科学的証拠とこれを用いた裁判のあり方』という実在の著作などを引用しつつ、試料に関しての重視すべき観点などを指摘してあります。

 

 

本書内で氏家は、本件では鑑定結果通知書だけの提出しかなく、試料の採取方法も鑑定過程の記録写真も説明されていない、と指摘しています。

このような運用が通っている現実もあると言い、また、現実に下関で起きた事件を引き合いに、科捜研の品質管理体制の問題点なども指摘しているのです。

氏家は、1990年5月に起きた「足利事件」を例に、「人は必ず間違うという真理」を声高に叫びます。彼の言う「無謬性の問題」です。

 

こうして、専門的な事柄を私達一般素人にもわかりやすく説明しながら、鑑定業務を紹介しつつ、事件の真相に辿り着く氏家たち鑑定センターの所員たちの努力は胸のすくものでもあり、知的な好奇心を満たす作業でもあります。

そういう意味で本書は実に面白く読むことができました。

ちなみに、本書『鑑定人 氏家京太郎』の主人公の氏家京太郎という人物は中山七里の『特殊清掃人』にサプライズ登場してくるそうです。

近いうちに読んでみたいものです。

 

世界でいちばん透きとおった物語

世界でいちばん透きとおった物語』とは

 

本書『世界でいちばん透きとおった物語』は、2023年4月に240頁の文庫として新潮文庫から刊行された長編の推理小説です。

とある作家が書いたとされる原稿をめぐる謎をメインにした物語で、そのアイデアも含めてかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

世界でいちばん透きとおった物語』の簡単なあらすじ

 

大御所ミステリ作家の宮内彰吾が死去した。宮内は妻帯者ながら多くの女性と交際し、そのうちの一人と子供までつくっていた。それが僕だ。「親父が『世界でいちばん透きとおった物語』という小説を死ぬ間際に書いていたらしい。何か知らないか」宮内の長男からの連絡をきっかけに始まった遺稿探し。編集者の霧子さんの助言をもとに調べるのだがー。予測不能の結末が待つ、衝撃の物語。(「BOOK」データベースより)

 

世界でいちばん透きとおった物語』の感想

 

本書『世界でいちばん透きとおった物語』は、私がこれまで読んだどんなミステリーとも異なるアイデアで構成された作品です。

読み終えたとき、単純に、問題となっている原稿にまつわるいくつかの謎が解き明かされていく様子と共に伏線が回収されていくさまを楽しんだものです。

それは、推理小説のストーリーを楽しむ私のような読者でも感心するほどのものでした。

 

しかし、本当の衝撃はそのあと、何段階かに分れて訪れてきました。

最後の頁での、主人公の父親が選んだであろうと同じ一語、の意味が分かったときの驚き、次いで本書の内容を思い起こしてみたときに思い付いた京極夏彦と同様の版面の作り方に対する驚愕、その後もしかしてと試してみたときの衝撃は言葉にできませんでした。

「電子書籍化絶対不可能」や「ネタバレ厳禁」というこの本の過剰とも思える惹句は、読み終えてみると不思議なほどに納得してしまいます。

それほどに本書の仕掛けは秀逸であり、貼られた伏線の回収作業も腑に落ちるものでした。

 

ここで京極夏彦という人は、私は一度はその『姑獲鳥の夏』という作品を手に取ったものの、その作品世界になじめず途中で投げ出してしまった作家さんです。

 

 

この人の自分の作品に対するこだわりの強さは他の追随を許さない、という話は聞いたことがあったのですが、本書で書かれている内容はまたそれを裏付けるものでした。

その点について知りたい人は下記サイトを参照ください。

 

本書『世界でいちばん透きとおった物語』は推理小説としても普通によくできた作品だと思います。

本妻ではない母親のもと父親としての記憶は全くないままに、実の父である大御所ミステリ作家の宮内彰吾が亡くなり、ただ、宮内の長男と名乗る男から宮内の最後の原稿があるらしいので調べてほしいとの連絡だけが舞い込みます。

母親も数年前に亡くなっているため、主人公の藤阪燈真はなんの手掛かりもないままに父親の遺稿である筈の原稿を探し始めるのです。

こうして本書は、燈真の父親である宮内は本当に原稿を残したのか、残したとしてその原稿はどこにあるのか、またその原稿の内容はどんなものなのか、という様々な謎を追及していくことになります。

この物語は、単純にそのままの作品として読んでも面白い推理小説として満足しながら読み終えたことでしょう。

 

ところが、その上に先に述べたような仕掛けが施されているのですから、作者の努力、というか苦労は半端なものではなかったと思われ、作品の評価は上がるばかりです。

作家の努力ということに関しては、本書の中でも京極夏彦という作家の頁レイアウトなどに対するこだわりの強さについてなどに言及されています。

作家という人種の能力にはその豊富なイマジネーションなどには毎度驚かされているのですが、そうした頁のレイアウトにまでこだわっているとは考えたこともありませんでした。

 

こうした作家の努力に関し、編集者の戸川安宣氏が本書について書かれている一文には、竹本健司の『涙香迷宮』という作品が挙げられていました( Book Bang:参照 )。

この作品は「いろは歌」をテーマに書かれた作品で、そこで示されている膨大な数の「いろは歌」には驚かされたものです。

 

 

さらに、本書『世界でいちばん透きとおった物語』の最後に書かれていた献辞で示されていた「A先生」については、多くのサイトで泡坂妻夫だとの指摘があり、そこで示されていた『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』も読んでみました。

たしかにこの作品の仕掛けは驚きだったのですが、本書の仕掛けはそれ以上のものだと言えると思います。

本当はこの作品を紹介するだけでもネタバレになるのかもしれませんが、この作品も驚きをもって読んだことに間違いはないので、紹介だけはしておきたいと思います。

 

 

本書についてはその驚きについてどれだけ言葉を費やしても言い表すことができるとは思えません。

ただ、一度読んでみてほしいというだけです。

杉井 光

※ 杉井光:作品一覧(Amazonの頁へリンク)

杉井光』のプロフィール

 

電撃小説大賞の銀賞を受賞し、2006(平成18)年電撃文庫『火目の巫女』でデビュー。その後電撃文庫「神様のメモ帳」シリーズがコミカライズ、アニメ化。ライト文芸レーベルや一般文芸誌で活躍。他の著書に「さよならピアノソナタ」シリーズ、「楽園ノイズ」シリーズ、『終わる世界のアルバム』、『蓮見律子の推理交響楽 比翼のバルカローレ』などがある。

引用元:杉井光 | 著者プロフィール

 

杉井光』について

 

現時点ではありません。

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』とは

 

本書『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』は『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第八弾で、2023年8月に360頁のハードカバーで幻冬舎から刊行された長編の警察小説です。

本書は「女性の貧困」の問題を取り上げていますが、あくまで今野敏作品として重すぎることなく、いつも通りに読みやすい作品でした。

 

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』の簡単なあらすじ

 

東京・奥多摩の山中で他殺体が発見された。警視庁捜査一課の樋口班は現場に急行。調べを進めていくと、殺されたのは渋谷署の係員が職質をしたことがある女子高生で、売春の噂があったことが判明する。樋口顕は被害者の友人である美人女子高生と戸外で面会。すると、その様子を撮影した何者かによってインターネット上に写真を流され、同僚やマスコミから、あらぬ疑いをかけられてしまう。秀でた能力があるわけではなく、他人を立てることを優先し、家族も大切にしながら、数々の難事件を解決してきた樋口。謀略を打ち破り、殺人事件の真相に辿り着くことができるのか。女性の貧困、性の商品化、SNSの悪意、親子関係の変質…。現代日本の歪みを照らし出す社会派ミステリーの白眉。(「BOOK」データベースより)

 

遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』の感想

 

本書『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』は、『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第八弾となる作品です。

 

本書の帯には「女性の貧困、性の商品化、SNSの悪意、親子関係の変質・・・」とあり、さらに「現代日本の歪みを照らし出す社会派ミステリーの白眉。」という文言がありました。

今野敏の作品の中には社会的な問題をテーマとして掲げてある少なからずの作品があるようです。

しかしながら、例えば本シリーズで言えば前作の『無明 警視庁強行犯係・樋口顕』のように、どちらかといえば警察組織内での人間関係に光を当ててあるような作品が主のように思えます。

 

 

本書の場合、組織内の人間関係も描いてはあるのですが、それよりも「女性の貧困」の問題を取り上げ、そこから性の商品化などの社会的な問題を取り上げてあります。

とは言っても、正面から社会派の推理小説として構えているのではなく、軽く読めるエンターテイメント作品として仕上げてあります。

そうしたタッチこそが今野敏の作品の特徴であり、皆から支持されている由縁でしょう。

 

さらには、軽く読める作品だとはいっても、心に残る言葉などが随所に挟まれているところも読者の支持を得ている理由の一つになっているのだと思われます。

例えば、刑事としての自分の仕事を理由に家族に苦労を強いてきた自分の、仕事だからと許されるとの思いがあったことについて、それは「自分の大切なものを他人に押し付け、相手の大切なものを軽視するということなのだ。」と指摘しています。

こうした警句めいた文言が随所にあるため、言葉が読み手の心に少しずつ積み重なっていき、この作者の描き出す物語は言葉を、そして人間存在を大切にしているという印象へと繋がり、それは今野敏の著作に、ひいては本書の評価へもつながっていくのでしょう。

 

また、主人公の樋口顕の性格を描写するに際し、樋口は相手が誰であろうと落ち着かなくなると言っています。

樋口は約束の時間に遅れたくないという気持ちが強いけれど、それは「待たされるより待たせることの方が苦手」だからだと、自分よりも相手の立場をより慮っているのです。

 

さらには、主人公以外の登場人物の描き方でも、例えば田端捜査一課長天童管理官との間で交わされた言葉で、せっかちな田端と天童のブレーキを掛ける会話などがあります。

こうした会話から「この二人の呼吸は絶妙だ」と樋口は感じ、結局、捜査員の尻を叩きつつ慎重にやれと言っているのだ、と結論付けているのです。

このような描写が随所に描かれていて、登場人物の性格が知らずのうちに刷り込まれ、読者はより一層感情移入することとなり、とりこになっていくのです。

 

本書『遠火 警視庁強行犯係・樋口顕』では、青梅署の管轄内で起きた殺人事件の被害者が未成年の女性の可能性があるということで、少年課の氏家の助けを求め、樋口と共に捜査本部に詰めることになります。

被害者の女性が渋谷署の生活安全課の捜査員梶田邦夫巡査部長などが見知った人物で、ポムという女子高校生の企画集団が浮かんで来るのです。

その中で「女性の貧困」、性の商品化などの社会的な問題提起が為され、樋口らの活躍で事件は解決します。

 

繰り返しになりますが、そんな問題を仲間の力を借りつつ解決していくこの作品は、面白いと言わざるを得ない作品です。

と同時に、本書を含む本『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』は、今野敏の多くのシリーズ作品の中でも人気が高いシリーズであることがよく理解できる、次回作が待たれるシリーズなのです。

踏切の幽霊

踏切の幽霊』とは

 

本書『踏切の幽霊』は、2022年12月に文藝春秋から289頁のハードカバーで刊行された長編のミステリー小説です。

第169回直木三十五賞の候補となった作品ですが、読みながらも今一つのめり込むことができなかった作品でもありました。

 

踏切の幽霊』の簡単なあらすじ

 

マスコミには、決して書けないことがあるー都会の片隅にある踏切で撮影された、一枚の心霊写真。同じ踏切では、列車の非常停止が相次いでいた。雑誌記者の松田は、読者からの投稿をもとに心霊ネタの取材に乗り出すが、やがて彼の調査は幽霊事件にまつわる思わぬ真実に辿り着く。1994年冬、東京・下北沢で起こった怪異の全貌を描き、読む者に慄くような感動をもたらす幽霊小説の決定版!(「BOOK」データベースより)

 

踏切の幽霊』の感想

 

本書『踏切の幽霊』は、ホラーとミステリーが融合した第145回直木賞の候補となった作品です。

著者の高野和明の、第65回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、第2回山田風太郎賞を受賞するなど多くの受賞歴がある『ジェノサイド』以来、十一年年ぶりとなる作品です。

 

 

主人公はかつては全国紙の社会部遊軍記者だったのですが、妻を亡くして以来仕事にもやる気をなくし、現在は「月刊女性の友」という女性雑誌の記者となっている松田法夫という男です。

その女性雑誌で松田を拾い上げてくれた編集長の井沢勉から野口進という衆議院議員の収賄疑惑を追う仕事をあきらめ、新たに心霊ネタを取材するように言われます。

ある8ミリ映像と写真を見せられ、その映像の真偽も含め調べるようにと言われたのですが、その夜から深夜午前一時三分になると無言電話がかかるようになります。

この写真の調べが進むと、幽霊の映った踏切では一年前に若い女が被害者の殺人事件が起きており、未だ犯人は捕まっていないことが判明します。

心霊写真などの調査に入った筈の松田は、知らないうちにその裏に潜む巨悪へと繋がる事件へと迫るのでした。

 

先にも書いたように、本書『踏切の幽霊』は高野和明という作家の『ジェノサイド』という作品以来、十一年ぶりの作品だそうです。

言われてみれば、高野和明の作品は何冊か読んでいたのですが、久しぶりにその名を聞いた気がします。

どちらかというまでもなく、この作家の作品には重いトーンの作品が多く、特に江戸川乱歩賞を受賞した『13階段』などは死刑制度をテーマにしていることもあり、途中で読むのをやめようかと思ったほどです。

また、幽霊そのものが主人公となった、「49日以内に100人の自殺志願者を助ける」という内容の『幽霊人命救助隊』という作品も書いています。

「死」というものを正面から見つめながら考えさせる物語ですが、エンターテイメント小説として仕上がっている作品です。
 

 

本書は、『幽霊人命救助隊』とは異なり、幽霊をテーマにしたエンターテイメント小説ではあるものの、ミステリー作品であり、けっしてホラーではありません。

超自然的な現象により調査のきっかけが得られたり、方向性が示されたりはしますが、きちんとしたミステリーです。

ただ、この超自然的現象の存在を受け入れることができない人はミステリーとして楽しめないかもしれません。

事実、私がそうであり、本書が直木賞の候補作品となっていることが理解できないでいる一人でもあります。

 

ただ、こうしてあらためて本書『踏切の幽霊』の内容を思い返しているうちに、本書の価値を見直す気持ちになっていることも事実です。

主人公松田の、亡くした妻を思いやる心、気持ちは随所に示されており、夫婦について考えさせられる作品でもありました。

そうした点でも物語としてそれなりに面白く読んだのは事実であり、ただ、直木賞候補作品であることからか、ミステリーとはいっても幽霊により主人公の取るべき道筋が示される点に違和感を感じてしまったと思われます。

あとは読み手の好みによって変ってくる作品ではないでしょうか。

脈動

脈動』とは

 

本書『脈動』は、『鬼龍光一シリーズ』の第六弾で、2023年6月に352頁のハードカバーでKADOKAWAから刊行された長編の伝奇+警察小説です。

単純に、今野敏の小説として楽しく読めた作品ですが、それ以上のものではなく、伝奇小説としても、警察小説としても標準的な作品でした。

 

脈動』の簡単なあらすじ

 

警察官による暴力や淫らな行為ー警視庁内で非違行為が相次ぐ。常時ではあり得ない不祥事の原因とは?事態の悪化をおそれた警視庁生活安全部少年事件課の巡査部長・富野輝彦は旧知のお祓い師・鬼龍光一を呼び出す。その結果、警視庁を守る結界が破られており、このままでは警察組織は崩壊するという。一方、富野は小松川署で傷害事件を起こした少年の送検に立ち会い、半グレ集団による少女売春の情報を掴む。一見無関係なふたつの出来事は、やがて奇妙に絡み合う…。(「BOOK」データベースより)

 

脈動』の感想

 

本書『脈動』は、単なる警察小説ではなく、伝奇小説と融合したミステリーシリーズである『鬼龍光一シリーズ』の第六弾となる作品です。

さすがに今野敏の作品らしく読みやすく、伝奇小説+警察小説としてそれなりの面白さはあるのですが、しかしながら伝奇小説としても警察小説としても中途に感じ、本書であればこそという面白さまでは感じませんでした。

 

ここで「伝奇小説」とは、本来は「中国の唐-宋時代に書かれた短編小説のこと( ウィキペディア-伝奇小説:参照 )」をいうらしいのですが、現在の日本では、「奇異なる伝承(の物語)」のなかでも「伝承・史実の幻想的再解釈」を成立条件とする作品を指しているそうです( ウィキペディア-伝奇ロマン:参照 )。

私にとっての「伝奇小説」は、この現在の日本的な意味での「伝奇小説」であって、半村良の『石の血脈』や『産霊山秘録』から始まり、その後に夢枕獏菊地秀行のいわゆる伝奇バイオレンス作品と呼ばれる作品群を読んだものです。

 

 

話を元に戻すと、本『鬼龍光一シリーズ』は、そうした伝奇小説の中でもさらに警察小説との融合作品という側面が強いシリーズになっています。

本書『脈動』では警視庁内での「非違行為」つまり警察官の不祥事が多発するという事態に陥りますが、その原因が、警視庁に設けられていた結界が破られたことにあるというのです。

つまりは、警察は「本来は霊的には恐ろしく不浄な場所の筈です」が、霊障、即ち霊によって起こる障害が起きないように「結界」を張ってその中を浄化していたのが破られ、不祥事が多発しているというのです。

そこで、警視庁生活安全部少年事件課少年事件第三係所属の巡査部長である富野輝彦とその部下の有沢英行が、鬼道衆の鬼龍光一や奥州勢の安部孝景といったお祓い師たち、それに元妙道の池垣亜紀などの力を借りてその原因を探り、事態の解決を図るのでした。

 

ここで登場してきた鬼龍光一安部孝景、それに池垣亜紀などの重要人物たちについては簡単な紹介しかありませんし、彼らの呪法についての説明なども全くありません。

しかし、それも当然で、本書は『鬼龍光一シリーズ』の第六弾だったのであり、彼らはこのシリーズの中心人物だったのです。

というのも、『鬼龍光一シリーズ』の鬼龍光一という名前を見て、かつて読んだ『拳鬼伝シリーズ』(現在は改題され、『渋谷署強行犯係シリーズ』となっています)の琉球空手使いの整体師竜門の物語だと勝手に思い込んでおり、読まずにいたのでした。

ところが、いざ本書『脈動』を読んでみると全く異なる物語であり、『拳鬼伝シリーズ』の格闘小説というよりは伝奇小説であって、陰陽道などが絡む物語であり、さらには警察小説の要素も持った物語だったのです。

 

結局、冒頭に書いたように、単純に今野敏の小説として楽しく読めた作品で、それ以上のものではない、普通に面白く読めた作品でした。