爆弾

爆弾』とは

 

本書『爆弾』は、2022年4月に425頁のハードカバーとして刊行され第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

巻き起こる爆発を阻止すべく交わされる警察と被疑者との間で交わされる心理戦のゲームじみた会話の面白さは群を抜いています。

 

爆弾』の簡単なあらすじ

 

◎第167回直木賞候補作◎
◎各書評で大絶賛!!◎

東京、炎上。正義は、守れるのか。

些細な傷害事件で、とぼけた見た目の中年男が野方署に連行された。
たかが酔っ払いと見くびる警察だが、男は取調べの最中「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。
直後、秋葉原の廃ビルが爆発。まさか、この男“本物”か。さらに男はあっけらかんと告げる。
「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。
警察は爆発を止めることができるのか。
爆弾魔の悪意に戦慄する、ノンストップ・ミステリー。内容紹介(出版社より)

 

スズキタゴサクを名乗る自称酔っ払いが、傷害容疑で連行された野方警察署の取調室で、突然秋葉原での爆発を予言した。

事実、予言通りに秋葉原で爆弾が破裂し、スズキはさらに「ここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げるのだった。

その一時間後、今度は東京ドームそばで爆発が起き重傷者も出てしまい、警視庁からも特殊班捜査係に所属する二人の刑事が送り込まれてきた。

以降、野方署での警視庁の刑事とスズキとの会話、心理戦は一段と鋭くなり、発せられる言葉の一言ひとことが重要な意味を持ってくるのだった。

 

爆弾』の感想

 

本書『爆弾』は、犯人と目される男と刑事たちとの会話を中心として展開される、第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

本書で登場する被疑者は、少なくとも見た目は社会の底辺にいると自称する全くさえない中年男性です。

その男と警察官との会話には妙に惹きつけられ、加えて担当官の推理が働く場面はこれまた独特の思考がたどられていて、目を離せなくなります。

 

本書『爆弾』の登場人物としてまず挙げられるのは、たるんだ頬とビール腹をしたさえない風体の、些細な傷害事件で東京都杉並区の野方署に連行されてきたスズキタゴサクと名乗る中年男性です。

このスズキが霊感が働いたとして秋葉原での爆発を予告し、ほかに三度の爆発を予言し、この事件の幕が開けます。

そして、当初は等々力功という刑事がスズキの訊問に送り込まれ、記録係として伊勢という刑事がいましたが、秋葉原での爆発を契機に、警視庁捜査一課特殊班捜査係から清宮類家という二人の刑事が送り込まれます。

爆弾のことはたまにしか霊感が働かず見えないというスズキは、清宮に対し「九つの尻尾」というゲームをしようと持ちかけ、ここから警察とスズキとの心理ゲームが展開されます。

このゲームで交わされる会話の中に次の爆発のヒントが隠されていることに気付く清宮たちですが、そのうちに「ハセベユウコウ」という名が示され、事件は一気に異なる様相を見せ始めます。

それとは別に、スズキの取り調べを外された等々力や、全くの民間人である細野ゆかりという女子高生の行動の描写が効果的に挟まれ、巻き起こった爆発に対する第三者の視点を提供してくれています。

 

清宮や類家という警察官と被疑者であるスズキの会話で見られる相互の会話での畳み掛け、言葉の交錯、類家の解釈による場所の特定などに漂うサスペンス感には思わず引き込まれてしまいました。

ここでの会話は騙し合いの様相を見せながらも当事者たちの必死の心理戦が戦わされていて、読みごたえがあります。

そして、スズキが展開する普通の人間も感じるであろう論理に読者でさえも何となくの共感を覚えたいたりもし、そのこと自体にまた驚いたりもしてしまうのです。

ここらの展開は、「当事者にとって悲劇でしかない事件に対して、安全な場所にいる身で高揚してしまう」という、人間としてあるまじき感情を抱いてしまうという事実をスズキの言動に照らし考えてもらう、という作者の術中にまさにはまっているのです( 本の話 : 参照 )。

 

とはいっても、よく読めば、類家の思考は論理を丁寧に追っているだけだと分かります。ただ、キャラクターに惑わされて独特な思考だと思ってしまったようです。

ただ、その論理を丁寧に追っていくことが普通の人間には難しいのですが。

例えば、物語も終盤に入ったころに類家が爆発のトリガーに気付く場面がありますが、スズキとの会話の中のどこでそのキーワードに気付いたのか私には分かりませんでした。

対象が「動画」であることから単純に気付いたのか、それとも他に理由があるのか分からなかったのです。

 

本書『爆弾』でのスズキと清宮・類家との会話のように、会話で物語が進んでいくものの、その会話のロジックが妙に重く、まとわりつくような印象を持った物語をかつて読んだような気がするのですが、誰の何という作品だったか思い出せません。

あさのあつこの『弥勒シリーズ』がそうした印象に似ているかとも思いましたが、こちらはただ登場人物の交わす会話の中で彼らの「闇」が展開されているだけで、本書のゲーム性を帯びた展開とは異なるようです。

いつか思い出したら書き換えようと思っています。

 

 

ともあれ、本書の著者である呉勝浩という作家の作品は、これまで直木賞に三度候補作として取り上げられていて、そのどの作品も重厚で読みごたえのある作品となっています。

中でも本書は私が好きだった『スワン』を越えたサスペンス小説だと感じるほどでした。

 

 

今後の作品が楽しみな作家であり、続巻を待ちたいと思わせられる作家さんのひとりだと言えます。

ハヤブサ消防団

ハヤブサ消防団』とは

 

本書『ハヤブサ消防団』は2022年9月にソフトカバーで刊行された、474頁の長編のミステリー小説です。

この作者の『半沢直樹シリーズ』のような痛快小説ではなく、とある町を舞台にした純粋なミステリーであって、若干の期待外れの印象は否めませんでした。

 

ハヤブサ消防団』の簡単なあらすじ

 

連続放火事件に隠されたー真実。東京での暮らしに見切りをつけ、亡き父の故郷であるハヤブサ地区に移り住んだミステリ作家の三馬太郎。地元の人の誘いで居酒屋を訪れた太郎は、消防団に勧誘される。迷った末に入団を決意した太郎だったが、やがてのどかな集落でひそかに進行していた事件の存在を知るー。(「BOOK」データベースより)

 

作家の三馬太郎は、ふと思い立ち、中部地方にある八百万町ハヤブサ地区の亡父の家に移り住むことにした。

その地で、地区の消防団に誘われた太郎は何も分からないままに消防団に参加し、何とか地区の皆に溶け込むことができていた。

しかし、そのうちにこの地区では火災が相次いで起きていることを知り、さらには知人の家からも出火し、住人の一人が死体で発見される事態も起きる。

またこの地区では太陽光発電のためのパネルの設置が目立つようになっていたのだが、その裏で思いもかけない企みが進行していたのだった。

 

ハヤブサ消防団』の感想

 

本書『ハヤブサ消防団』は、中部地方のとある山村を舞台にしたミステリー小説です。

山々に囲まれた八百万町の六つの地区のうちのハヤブサ地区にあった亡き父の家に移り住んだ、三馬太郎という小説家を主人公としています。

太郎は、藤本勘助という男に地区の消防団に誘われ、何も分からないままに参加することとなります。

この消防団は、宮原郁夫を分団長として、副分団長で役場勤めの森野洋輔、大工の中西陽太、洋品店経営者の徳田省吾、多分教師だろう滝井悠人、そして地元の工務店勤務の藤本勘助という面々がいました。

この消防団のたまり場が△(サンカク)という地元の人気店らしい居酒屋です。

それに、太郎と同じように二年くらい前に八百万町に越してきた映像クリエーターの立木彩がいて、ほかに八百万町長の信岡信蔵、S地区警察署長の永野誠一、それに随明寺住職の江西佑らが中心人物として登場します。

ほかにも多くの人物が登場しますが、すべてを紹介するわけにもいきません。

 

そのうちに、ハヤブサ地区内で火事が連続して発生し、さらにとある新興宗教の問題までもが絡んでくるのです。

こうして、連続して発生する火事は失火なのかそれとも放火か。

また、ハヤブサ地区でよく目にするようになった、ハヤブサ地区の景観を台無しにしてるという太陽光発電のパネルの問題もでてきます。

加えて、オルビス・テラエ騎士団という問題を起こした教団のあとを継いでいるらしい、オルビス十字軍と名乗る新興宗教の問題など、次から次へと問題が発生します。

 

たしかに、本書では多くの人物が登場し、その相互の人間関係は複雑に絡み合い、最後まで連続出火やとある人物の死の真実、など犯人像は最後まで絞り切れません。

その点を主人公が調査し、真実の一端に辿り着く描写はそれなりに読みごたえがあります。

 

しかし、最終的に本書が語りたいことは何なのか、よく分からないままに読了することになりました。

そういう意味でも、田舎暮らしを描くうえで避けて通れない人間関係の濃密さなどの描き方が、個人的には今一つの印象です。

消防団の仲間との交流はあり、狭い地域で情報は筒抜けになることなど少しは描いてあるものの、そうしたことは単に背景としてあるだけです。

でも、この点に関しては推理小説である本書でそれほどあげつらうこともないかもしれまん。

 

では、かつてのオウム真理教を思わせる過激な新興宗教の問題としてあるのかと言えば、その点でも新興宗教の不都合な側面などはなく、あくまで本書での特定のグループの特殊さを強調してあるだけです。

そこに、宗教団体としての存在は何もありません。

かといって、タイトルでもある消防団の問題点も特にありませんし、田舎での恋愛模様もありません。

 

結局、本書の舞台で起きた火災と、事件性がはっきりしないある人物の死という事実、そこに絡んでくるオルビス十字軍という特殊集団とのサスペンス感も加味されたミステリーというだけで、何とも焦点がぼけている印象です。

先にも述べたように、これまでのこの池井戸潤という作家の個性があまりにも小気味のいい経済小説という印象が強烈であるために、その印象に引きずられている感はあります。

しかしながら、そうした先入観を取り除いて、純粋なミステリーとして見直しても何となく中途半端な印象は残ります。

 

この池井戸潤の『果つる底なき』は、舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではありますが、この作品はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

また、『シャイロックの子供たち』は、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られていると言えます。

勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。

こうした作品がある以上は、本書だけが何となくテーマが見えないという感想は的外れではないと思うのです。

 

 

繰り返しますが、池井戸潤という作家の作品だということで、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』のような痛快企業小説を期待して読むと、裏切られます。

本書は、まさにミステリーであり、そこに痛快小説の要素は全くなく、主人公にストーリーの途中で襲いかかる、そして主人公が乗り越えるべき何らかの難題も、本書ではありません。

「田舎の小説を書」きたいという著者の思いは、消防団という組織を通してそれになりに成功していると思います。

ただ、消防団や皆の集まる居酒屋、そして田舎の風景はいいのですが、先に述べた田舎での過度なまでの人間関係の濃密さの描き方は今一つでした。

結局、まさに普通のミステリー小説である本書は、普通に面白いということはできても、残念ながら池井戸潤という作家に対する高い期待に対して十分に応えた作品だということはできない作品だったと言わざるを得ません。

希望の糸

希望の糸』とは

 

本書『希望の糸』は『加賀恭一郎シリーズ』の第十一弾で、2019年7月に刊行されて2022年7月に400頁で文庫化された、長編の推理小説です。

一旦終了したものと思っていた本シリーズですが、意外な形での再登場となった本書はさすがの面白さを持った作品でした。

 

希望の糸』の簡単なあらすじ

 

小さな喫茶店を営む女性が殺された。加賀と松宮が捜査しても被害者に関する手がかりは善人というだけ。彼女の不可解な行動を調べると、ある少女の存在が浮上する。一方、金沢で一人の男性が息を引き取ろうとしていた。彼の遺言書には意外な人物の名前があった。彼女や彼が追い求めた希望とは何だったのか。(「BOOK」データベースより)

 

希望の糸』の感想

 

本書『希望の糸』は、引き起こされた殺人事件の動機に焦点があてられた、悲しく、せつなさにあふれた物語です。

本書ではシリーズのこれまでの主人公である加賀恭一郎ではなく、恭一郎の従妹である松宮脩平が物語の中心となっています。

加賀恭一郎は、松宮が属する本部のまとめ役として登場し、要となる場面で重要な役割を果たすのです。

 

登場人物としては、まずは殺人事件の被害者である花塚弥生という五十一歳の女性がいます。「弥生茶屋」というカフェの経営者であり、誰に聞いても「いい人」という評判しか聞こえてこない、殺されるべき理由も見当たらない人物です。

この花塚弥生の関係者として弥生の元夫の綿貫哲彦がおり、現在の彼の内縁の妻として中屋多由子という女性がいます。

次いで、殺された花塚弥生の店をよく訪ねていて本事件の重要容疑者となったのが汐見行伸であり、その家族が娘の萌奈で、妻の怜子は早くに亡くなったため信之が萌奈を男で一つで育てているのです。

そしてもう一組、物語に重要な役割を果たす家族がいますが、それが金沢の高級旅館の女将である芳原亜矢子と死を目前にした亜矢子の父親の芳原真次であり、そこに関係してくるのが松宮脩平です。

芳原亜矢子が自分の父の芳原真次が松宮脩平の父親だと突然に松宮の前に表れ、読者に「家族」というものあらためて考えさせることになるのです。

 

本書『希望の糸』は犯人探しとその意外性というミステリーの王道の面ももちろんあり、それはそれで物語として面白く読んだ作品です。

ただ、本書の主眼はその犯人探しではなく、犯行の動機にあります。本書での殺人事件の犯人が判明してからが本書の主要なテーマが明らかになっていくのです。

もちろん、そこの詳細をここに書くわけにはいきませんが、心を打つ、悲しみに満ちた物語が展開されていきます。

「家族」というもののあり方、さらには親子の関係など、読んでいくうちに自然と問いかけられ、自分なりに考え、答えを探していることに気付きます。

すぐに明確な答えが出る筈のものではありませんが、それでも「家族」について考えるそのきっかけにはなるのではないでしょうか。

 

東野圭吾の作品だけでなく、ミステリーの形式を借りて語られる胸を打つ物語は少なからず存在します。

そのほとんどは犯行の動機に斟酌すべき側面があるというものであり、そのほとんどは利他的な側面を持つ行動の結果、犯罪行為に至るというものでしょう。

例えば近年の作家ですぐに思い出す作品といえば、柚月裕子の『佐方貞人シリーズ』などがあります。

 

 

また、利他的行為という意味とは少し異なりますが、近年私が注目している青山文平砂原浩太朗という時代小説の作家さんも、ミステリーの手法を借りた胸を打つ作品を書かれています。

例えば前者では『やっと訪れた春に 』を、後者では『黛家の兄弟』などをその例として挙げることができると思います。

共に、私欲ではなく侍としての生きざまを貫く生き方を描いた読みやすい、しかし読みごたえのある作品です。

 

 

繰り返しになりますが、本書『希望の糸』は、事件のきっかけのある言葉が物語の序盤から示されていて、最後の最後に犯罪の実際が明かされてはじめて伏線だったことが分かるなど、ミステリーとしての面白さも十分にある物語です。

その上で家族や親子、そして人間としての生き方も含め、読者に考えることを強いる物語だとも言えそうです。

東野圭吾らしく視覚的で分かり易い文章で加賀恭一郎や松宮脩平といった探偵役の刑事たちの姿を浮かび上がらせ、この犯罪で振り回される人たちの様子を描き出してあります。

 

本書『希望の糸』では、主人公が加賀恭一郎から松宮脩平へと移っているからでしょうか、『加賀恭一郎シリーズ』のスピンオフ作品だと紹介してあるサイトもあるようです。

しかし、加賀恭一郎も登場しそれなりの活躍も見せていますので、ここでは『加賀恭一郎シリーズ』の一冊として紹介しています。

 

やはり東野圭吾の作品は面白い、そう思わせられる作品でした。

マスカレード・ゲーム

マスカレード・ゲーム』とは

 

本書『マスカレード・ゲーム』は『マスカレード・シリーズ』の第四弾で、2022年4月に刊行された、369頁の長編の推理小説です。

刑罰について考えさせられる切なさに満ちた、しかし東野圭吾本来の面白さが戻ってきた印象があるとても面白い作品でした。

 

マスカレード・ゲーム』の簡単なあらすじ

 

解決の糸口すらつかめない3つの殺人事件。
共通点はその殺害方法と、被害者はみな過去に人を死なせた者であることだった。
捜査を進めると、その被害者たちを憎む過去の事件における遺族らが、ホテル・コルテシア東京に宿泊することが判明。
警部となった新田浩介は、複雑な思いを抱えながら再び潜入捜査を開始する――。
累計495万部突破シリーズ、総決算!(内容紹介(出版社より))

 

三件の殺人事件が起きた。ところが、その三件の事件は手口が似ており、殺された三人の被害者それぞれが加害者となり起こした過去の事件のために人が死んでいたのだ。

そのうえ過去の三件の事件の被害者家族が、クリスマスイブに揃ってコルテシア東京に宿泊するという事実が判明する。

そこで、警察はコルテシア東京で更なる事件が起きる可能性があるとして、ホテル内の各所に捜査官を配置し、当然、新田浩介はまたフロントに配置された。

ただ、捜査官の一人の女性警部の梓真尋は優秀ではあるが暴走しかねない危うさをもっており、ホテルマンとしての経験豊かな新田と何かと衝突する。

そこに、ロスアンゼルスのホテルへ転任していたはずの山岸尚美が登場するのだった。

 

マスカレード・ゲーム』の感想

 

本書『マスカレード・ゲーム』は、これまでと同じくホテル・コルテシア東京を舞台に、起きるかもしれない事件を未然に防ぐために新田たちが活躍する物語です。

冒頭で「東野圭吾本来の面白さが戻ってきた」と書いたのは、先に読んだ東野圭吾の『透明な螺旋』や『白鳥とコウモリ』といった作品が、同じ社会派のミステリーではあっても特別な面白さを感じなかったからです。

それが、本書では読み始めは不安があったものの、途中からは新しい梓捜査官の存在もあって、惹き込まれていきました。

 

本書の登場人物は多数に上ります。

物語の中心人物はこれまで通りに新田浩介ですが、今では警部に昇格し捜査一課の係長になっています。

警察側の人間としては、以前は先輩刑事として同じ班でこき使われた本宮警部、それに新しく加わった同じ係長の梓真尋警部がいて、梓の部下として昔から気心の知れている能勢警部補も定年間近の刑事として登場します。

ほかにかつての捜査一課係長だった稲垣が、管理官として登場しています。

ホテル側の人間としては、まずは山岸尚美をあげるべきでしょう。前巻の『マスカレード・ナイト』でロスアンゼルスのホテルへ栄転しましたが、今回の事件のために呼び戻されたものです。

また、ホテル・コルテシア東京の総支配人の藤木、フロントオフィス・マネージャーの久我は今では宿泊部長として登場しています。

 

それ以外では三件の殺人事件の関係者、その事件の被害者の過去の事件で死んだ被害者とその親族と、多数の人物が登場します。

そこで、殺人事件の被害者とその過去の事件の関係者とを名前だけ挙げておきます。

最初の被害者は入江悠斗と言い、17年前に神谷文和という少年に暴行を振るい、その後亡くなっています。この少年の母親が神谷良美という女性です。

次の被害者が高坂義広であり、20年ほど前に強盗殺人を犯し、森元俊恵を殺しています。その俊恵の息子が森元雅司です。

三番目が村山慎二で、元恋人の前島唯花は村山からリベンジポルノの被害に遭い、彼女は自殺しています。唯花の父親が前島隆明です。

その他に沢崎弓江、新田の大学時代の同期である三輪葉月などの関係者が登場しています。

 

このように多くの人物たちが今も過去に殺された身内のことを思いながら暮らしており、その人物たちがネットを通じて知り合って話し合い、過去の事件についての情報を交換し、互いにその理不尽さを慰め合っています。

そうした中で、過去の事件の加害者たちが次々と亡くなっていく事実があり、警察は彼ら過去の事件の関係者の関与を疑い、さらにはホテル・コルテシア東京を舞台にした展開へと連なっていきます。

 

本『マスカレードシリーズ』は、警視庁の敏腕刑事が不慣れなホテルマンに扮して、そのホテルを舞台にした事件を解決するという、二重の面白さが計算されています。

ひとつはそのままに推理小説としての謎解き、真相解明という面白さであり、もうひとつはホテルマンに扮した刑事の奮闘記という面白さです。

本書ではさらに、単なる謎解きの面白さに加え、新しい登場人物のホテル側との確執、また東野圭吾らしい社会派の物語として刑罰についての考察が加わっています。

最初の新しい登場人物とは梓真尋警部のことであり、シリーズ第一作目の『マスカレード・ホテル』での新田警部補とホテル・コルテシア東京のフロントクラーク山岸尚美とのやり取りに似た掛け合いを、今度は新田警部との間で交わしています。

この梓警部がいかなることをしでかし、ホテル側とどのようにけ決着をつけるのか、が一つの焦点になっています。

 

そして大切なのはもう一点の本書『マスカレード・ゲーム』のテーマである「罪とは」、「刑罰とは」という問題提起の方です。

本書でホテル・コルテシア東京を舞台に繰り広げられる人間模様は過去にその源があり、身内を理不尽に殺されたにもかかわらず、殺した側の人間は今も生きて日々を暮らしているという現実を見せつけられている被害者の家族の視点が取り上げられています。

東野圭吾作品にはSF小説やユーモア小説、そして警察小説などいろいろなジャンルの作品があります。

中でも本書のような警察小説でも社会派と呼ばれる作品では、世の中の理不尽な出来事に翻弄される人が、苦悩の末に犯さざるを得ない犯罪行為を取り上げ、その犯罪行為に至る背景の意味を読者に問いかけています。

自分の愛する人が殺され、しかしその殺した相手は応分の刑罰を受けているとは思えず幸せそうに暮らしている現実にさらに苦しめられる日々。そうした状況をどう思うかと問いかけてきます。

本書の登場人物の一人が、「刑罰には反省が伴わなくてはならない」という場面があります。この言葉が本書の性格を示しているように思えます。

東野圭吾はそうした現実をエンターテイメント小説として練り上げ、ミステリーとして私たちの前に提示してくれているのです。

 

本書『マスカレード・ゲーム』では、さらに梓真尋という刑事が新しく加わっています。捜査のためには手段を選ばない人物であり、新田や山岸と対立する立場にいます。

この梓捜査官がなかなかに曲者で、読者にとっては感情移入しやすい存在であり、自分こそ正義という思いがあるようで、もしそうであれば近年騒がれているコロナ禍での正義の押し売りに似た構造にも思えてきました。

個人的には捜査第一主義ともいえるこの梓という捜査官と新田、山岸組との対決こそ期待したいと思います。

 

東野圭吾の作品では、特に社会派の作品では、人物の微妙な心のゆらぎを具体的に示してくれることで、その人物に共感しやすく、また当事者の行動の背景をも明確に示してくれることでさらに感情移入しやすくなっています。

ところが、本書の場合は当事者の内心の描写というよりは、登場人物たちの思いもかけない行動の結果の方に関心がいくように思えます。

つまりは、多くの登場人物の行動を操ることでサスペンス感を増しているように感じます。

そうした点でも本書はシリーズの中でも特異な位置にあるようにも思える、心惹かれる作品だったと言えると思いました。

マスカレードシリーズ

マスカレードシリーズ』とは

 

『マスカレードシリーズ』は、高級ホテルの「ホテル・コルテシア東京」で起きる事件の捜査のためにホテルマンとして潜入した刑事が、教育掛である優秀なホテルマンの女性と共に事件を解決していく推理小説です。

推理小説としての面白さに加え、ホテルという特殊な状況に放り込まれた刑事の振る舞いや、その教育掛である女性との掛け合いなどの面白さをも持った物語でした。

 

マスカレードシリーズ』の作品

 

マスカレードシリーズ(2022年10月31日現在)

  1. マスカレード・ホテル
  2. マスカレード・イブ
  1. マスカレード・ナイト
  2. マスカレード・ゲーム

 

マスカレードシリーズ』について

 

本シリーズの主人公は、警視庁捜査一課の刑事の新田浩介です。その新田は帰国子女であって英語を自在に話せるところから、管轄内で起きた殺人事件の捜査のためにホテル・コルテシア東京に潜入捜査することになります。

そのホテル・コルテシア東京にいたのが本シリーズのもう一人の主人公である山岸尚美です。彼女はホテル・コルテシア東京のフロントクラークであり、ホテルマンとした高い能力を有していました。

そこに新田が潜入捜査官としてホテル・コルテシア東京のフロントクラークとしてやってきたときに、山岸が新田の教育係を務めることになります。

本『マスカレードシリーズ』は、この二人を中心として、ホテル・コルテシア東京を舞台に繰り広げられる数々の事件を解決する姿を描き出すシリーズです。

 

マスカレードシリーズ』第一巻の『マスカレード・ホテル』は、「ホテル・コルテシア東京」を舞台に展開される長編のミステリー小説です。

都内で起きた三件の連続殺人事件の現場に残された暗号を解くと次の事件は「ホテル・コルテシア東京」で起きることが予測され、英語が堪能な新田がホテルのフロントクラークとして送り込まれたのです。

シリーズ第二巻の『マスカレード・イブ』は、四つの短編から構成される、前作『マスカレード・ホテル』の前日憚となる連作短編集です。

まだ新米フロントクラーク時代の山岸尚美が、知人から受けた相談事を解決する「それぞれの仮面」他の三篇が収納されています。

シリーズ第三巻の『マスカレード・ナイト』は、再び「ホテル・コルテシア東京」を舞台に展開される長編のミステリー小説です。

警視庁に、都内で起きた若い女性が殺された事件の犯人が「ホテル・コルテシア東京」のカウントダウン・パーティに現れるという密告状が届き、再び潜入することとなった新田が、今ではコンシェルジュとなっている山岸尚美と共に解決します。

シリーズ第四巻の『マスカレード・ゲーム』は、三たび「ホテル・コルテシア東京」を舞台に展開される長編のミステリー小説です。

過去に被害者が理不尽な殺され方をした三件の事件の加害者が立て続けに殺されます。過去の三件の事件の関係者が「ホテル・コルテシア東京」に同じ日に宿泊するという事実が判明します。

新田らは更なる事件の発生を防ぐために「ホテル・コルテシア東京」へと潜入することになります。

この第四巻の『マスカレード・ゲーム』では、新田は警部補から警部になり、山岸もコンシェルジェになっていて、転任先だったロスアンゼルスから急遽帰国して捜査の手助けをします。

 

このように本『マスカレードシリーズ』は、新田と山岸というコンビの、ホテルという特殊な環境での捜査の模様を描き出してあるシリーズです。

それは、お客様のプライバシーを最大限尊重しようとするホテル側すなわち山岸と、事件の解決を第一義に考える警察側すなわち新田との衝突の場面を一つの目玉としながらのミステリーです。

その関係も、第四弾になるとホテル側の立場も理解している新田と警察側の新しい登場人物の梓警部という新しい登場人物とのやり取り、へと変化するなど、ときの経過も反映しながらのシリーズとなっています。

第四弾の最後の場面での驚きの展開を見ると、今後さらに第五弾へと続くものかはわかりませんが、できれば続いてほしいものです。

 

ちなみに、『マスカレードホテル』と『マスカレードナイト』とそれぞれ原作として、木村拓哉、長澤まさみを主役に据えて映画化されています。

『マスカレードホテル』

 
『マスカレードナイト』

マル暴ディーヴァ

マル暴ディーヴァ』とは

 

本書『マル暴ディーヴァ』は『マル暴シリーズ』の第三弾で、2022年9月に刊行された、350頁の長編の警察小説シリーズです。

本書ではまた新しいキャリア警察官も登場し、ユーモアに満ちたこのシリーズの作品世界も安定してきてさらに面白く感じた作品でした。

 

マル暴ディーヴァ』の簡単なあらすじ

 

弱気なマル暴刑事・甘糟達男は、コワモテの上司・郡原虎蔵と、麻薬売買の場と噂されるジャズクラブに潜入する。惚れ惚れするような歌声を披露する歌姫・星野アイの正体はまさかのー!?“任侠”シリーズの阿岐本組の面々や警視総監も登場、事態は思いがけない展開にー。(「BOOK」データベースより)

 

甘糟が『任侠シリーズ』の阿岐本組での情報収集から帰ると、仙川係長からジャズクラブ「セブンス」への銃器・薬物班のガサ入れを手伝うように言われた。

甘糟と郡原が下見に行った「セブンス」では、女性ボーカルの星野アイの歌が素晴らしいもので、意外なことに群原がジャズに詳しく、何よりその店に警視総監がお忍びで来ていたのだ。

その後「セブンス」にガサ入れをするが空振りに終わった後、警視総監から呼び出しがあり「セブンス」へ戻ると、「セブンス」のオーナーでマスターが警察庁のOBであることを知らされる二人だった。

そのオーナーによると、シマジ不動産の島地という男が「セブンス」を手に入れたいらしく、嫌がらせにやったことだろうというのだった。

 

マル暴ディーヴァ』の感想

 

本書『マル暴ディーヴァ』は新しい人物も登場してくる『マル暴シリーズ』の第三弾であって、シリーズの他の作品と同様に軽く読めて、その上面白いという今野敏らしい作品でした。

 

登場人物としては、主人公の北綾瀬署刑事組織犯罪対策課・組織犯罪対策係の甘糟達夫巡査部長、そしてその甘糟は先輩刑事である郡原虎蔵とコンビを組んでいることは同じで、上司が仙川という係長です。

この係長が前巻も登場していたかは手元に本がないため不明で、分かり次第更新します。

また、ガサ入れに行った先の「セブンス」というジャズクラブで新しい人物が登場します。

一人目が、その店の歌姫(ディーバ)の星野アイという歌手で、本名は大河原和恵という警察庁刑事局捜査支援分析管理官である現職のキャリア警察官です。

加えて、この星野アイが歌っていたジャズクラブ「セブンス」のオーナーが警察庁OBである谷村政彦元警視監であって、これに前巻の『マル暴総監』に登場した栄田光弘警視総監まで客として登場します。

ただ、この大河原と谷村という現・元の両キャリアは今後もこのシリーズの常連となるかはいまだ不明であり、ですからジャズクラブ「セブンス」の相沢孝典というバーテンダーもこの後登場するかは不明です。

他に新たに、キャリアではない東美波巡査という交通課の巡査まで加わっていますが、この人物も同様レギュラーとなるかは不明です。

 

さて、本書『マル暴ディーヴァ』の物語の流れですが、基本的には「セブンス」というジャズバーの乗っ取りを企てているシマジ不動産の島地進の思惑を潰し逮捕することが目的です。

スピンオフである本シリーズの本編の『任侠シリーズ』に登場する阿岐本組の代貸日村誠司によれば、このシマジ不動産は佐木山組のフロントだということでした。

そこに、島地と一緒に「セブンス」にやってきたのがフラットラインというラウンジのオーナーである斉木一という男です。

この斉木を手掛かりに、島地が隠しているであろう薬物を見つけ、逮捕に持ち込もうというのです。

 

その過程で、所轄の綾瀬署署員である甘糟や群原と、島地を挙げたい綾瀬署銃器・薬物犯罪対策班班長の金平行雄らと、警視庁薬物銃器対策課の宮本達とが協力し捜査に当たるのです。

その過程で、自分の実績になるか否かだけに関心がある上司の仙川係長の思惑なども絡み物語は進みます。

本『マル暴シリーズ』は、マル暴、つまりは暴力犯対策班に属してはいるものの、気が弱く、出世には全く関心がない甘糟が結果的に事件解決に役に立つ働きを見せるというギャップこそが眼目です。

ただ、物語自体はまさに警察小説であり、事件解決に警察官たちが奔走する姿が普通に描かれています。

そこに、『任侠シリーズ』の阿岐本組の組員たちがほんの少しだけ顔を見せ、甘糟の情報収取の手伝いをする、というのがパターンになっているようです。

 

そんな中、本書『マル暴ディーヴァ』では、前巻『マル暴総監』で登場してきた栄田警視総監に加え、大河原和恵という警察庁刑事局捜査支援分析管理官と、警察庁OBである谷村政彦元警視監という二人のキャリアと元キャリアが新たに登場し、変な物語世界に色を添えています。

彼らが今後本シリーズのレギュラーになるかは不明ですが、少なくともユニークな登場人物であることは間違いないでしょう。

普通は嫌われ者として描かれることが多いキャリア警察官ですが、『隠蔽捜査シリーズ』の竜崎にも見られるように、今野敏という作家の作品ではキャリアはそれなりに優秀な存在としてその意義を認め、登場させることが多いようです。

その中で、ユーモアに包まれた本書の存在は楽しく読める警察小説として希少価値があると言えると思います。

 

そんなユニークなキャリア警察官が存在する一方、作者の今野敏は、群原のような現場で地道に働く警察官のおかげで日本は高い犯罪検挙率を誇っていることを示しています。

主人公である甘糟が、群原たちの存在を認めながら、では「僕みたいな刑事が検挙率を下げているんだろうか。」と自問する姿はほほ笑ましくも、軽く胸を打ちます。

 

今後、本『マル暴シリーズ』どのように展開するかは不明ですが、『任侠シリーズ』と同様に、本シリーズの更なる展開が読めることを願い、続巻を待ちたいと思います。

マル暴シリーズ

マル暴シリーズ』とは

 

本『マル暴シリーズ』は、今野敏の『任侠シリーズ』に登場するマル暴刑事甘糟達夫を主人公としたスピンオフシリーズです。

『任侠シリーズ』の登場人物も少しだけ登場し、『任侠シリーズ』と同じようにユーモアたっぷりではあるものの、警察小説としても面白く読みやすい作品です。

 

マル暴シリーズ』の作品

 

マル暴シリーズ(2022年10月26日現在)

  1. マル暴甘糟
  2. マル暴総監
  1. マル暴ディーヴァ

 

マル暴シリーズ』について

 

本『マル暴シリーズ』は、今野敏が『任侠シリーズ』の続編を書くにあたりネタに困って、マル暴の刑事にしては気が弱く、上昇志向もない甘糟というキャラクターが目につき、彼を主人公にした新しい作品を書くことになったそうです( Jnovel : 参照 )。

そこで『任侠シリーズ』のスピンオフとして『マル暴甘糟』という作品が生まれ、それがシリーズ化されたものです。

 

登場人物としては、主人公がマル暴刑事らしからぬ甘糟達夫であり、そして甘糟の先輩刑事で相棒でもあるベテランの郡原虎蔵が甘糟をこき使いながらも、やる気の無さそうな甘糟の捜査を助けます。

彼らの上司として第三巻『マル暴ディーバ』では仙川修造係長がいますが、この人物はとにかく成果を挙げたがり、逮捕状請求にしても自分の実績になるか否かが判断の基準となる人物です。

ただ、シリーズ第二巻の『マル暴総監』以前も同じ上司だったかは手元に本がないため確認できませんでした。

 

ほかにシリーズを通してみると、第二巻『マル暴総監』で登場する栄田光弘警視総監が重要です。

さらには第三巻『マル暴ディーバ』では、警察庁刑事局捜査支援分析管理官の星野アイこと大河原和恵や、警察庁OBの谷村政彦元警視監などが登場します。

そして忘れてはならないのが、日村を始めとする阿岐本組の面々が少しだけ顔を見せ、甘糟との絡みを見せてくれることです。

このちょっとだけの阿岐本組の組員が顔を見せることで、両シリーズが同じ物語世界で展開されていることが確認できます。

 

本『マル暴シリーズ』は、現職の警視総監であったり、警察庁の管理官などのキャリアが登場し始め、何となく当初のシリーズの印象とは異なってきています。

でも、軽いユーモアのなか繰り広げられるそれぞれの物語は楽しく読むことができるシリーズ作品として仕上がっています。

続巻が楽しみなシリーズです。

警察医の戒律(コード)

警察医の戒律(コード)』とは

 

本書『警察医の戒律(コード)』は2022年8月に角川春樹事務所から刊行された、294頁の連作の警察小説集です。

物語の中心にいる警察医の判断をきっかけに、ジェンダー班の面々が事件解決に奮闘する姿が描かれている、最終的には面白い作品でした。

 

警察医の戒律(コード)』の簡単なあらすじ

 

死者と語り、どこまでも真実に執着する警察医である法医学者。
多様化する性を取り巻く犯罪に立ち向かうジェンダー班の刑事たち。
死に隠れた謎を解き明かす、新たなドラマの幕が上がる!
医師が最期を確認する病死以外は〈異状死〉と呼ばれる。
欧米では異状死の五割を解剖しているが、日本の解剖率は二割に届いていない。
国内に法医学者の絶対数が少ないうえ、犯罪捜査のための解剖を行う公的機関が常設されていないからだ。
重大犯罪が見逃されていないか?(内容紹介(出版社より))

 

警察医の戒律(コード)』の感想

 

本書『警察医の戒律』は、ニューヨークの検視局で十一年のキャリアを積んで帰国し、横浜の山下公園の近くで法医学研究所開いているユニークな警察医の幕旗治郎を中心にした物語です。

ただ、幕旗はあくまで遺体と文字通り対話して得られる情報を伝えるだけであり、実際に捜査に当たるのはジェンダー班と呼ばれる新設の捜査班です。

ここで「警察医」とは、「警察の捜査に協力する医師のことで、主に検案として死因不明の遺体を調べて死因を医学的に判断する業務を行な」うそうです。

また、「犯罪性はないものの、検案しても死因が不明なままの場合」に行政解剖を行なうのが「監察医」です。

そして、「人が亡くなった原因に犯罪が関わっている可能性があるとき(犯罪死)」に死因の究明をするために行われるのが「司法解剖」であって、「検察官や警察署長などから嘱託を受けた大学医学部などの法医学者が執行」するとありました( 以上、パブリネット : 参照 )。

 

診療行為に関 連した予期しない死亡,およびその疑いがあるもの日本法医学会 異状死ガイドライン : 参照 )」と定義される「異状死」について、日本では犯罪捜査のための解剖を行う公的機関はなく、欧米では異状死の五割を解剖しているのに日本では二割に満たないそうです。

そうした異状死の解剖が少ないという事実の他に、異状死が発生したときにまず現場に入るのは幹部警官である「検視官」と、警察と契約している前記の「警察医」ですが、ただ、その能力には疑問符がつく者も多いと本書でも指摘してあります。

そうしたことから、本書の幕旗医師は、研究機関である大学の研究室には入らずに民間の法医学研究所を作ったのだというのです。

 

このようなことを読んでいると、以前読んだ海堂尊の例えば『チーム・バチスタの栄光』などで読んだ「Ai(オートプシー・イメージング : 死亡時画像診断)」という言葉を思い出します。

この主張は、適切な治療効果判定のために患者が亡くなった際に病理診断のためにCTやMRIなどの画像を活用すべき、という主張であって直接犯罪と関係するものではないのですが、間接的にはかかわってくる問題だと思われます。

 

 

本書『警察医の戒律』でエキセントリックなキャラクターとして描いてある幕旗医師とは別に、捜査の実働部隊である警察側の担当として「ジェンダー班」の存在が重要です。

この「ジェンダー班」は多様化する性を取り巻く犯罪に適切に対処しようと警視庁捜査一課に新設された部署で、人権への配慮が欠かせない事件や他の班への応援に入ることも想定されています。

班長が村木響子警部で、他にあと三年で定年の久米勝治警部補、二十一歳の金沢佐織巡査部長、それに採用三年目の技術支援員の戸口遥という三人がいるだけの小所帯です。

登場人物という観点では、上記のジェンダー班の面々に加え、幕旗医師の法医学研究所に勤務する助手の小池一樹が、微妙な立ち位置で幕旗を助けています。

 

このジェンダー班が、その設立目的のとおりに働くのが第二話「秘密の涙」であり、若い女性の遺体がスーツケースに詰め込まれた状態で発見された事件です。

首の骨を折られていたこの被害者は、骨盤の形から見て男性だと判断され、自前の衣装で女装していたことも判明し、まさにジェンダー班の出番でした。

遺体の発見者は機動隊の巡査長である山野節人という男であり、警察犬だったバロンの散歩の途中、バロンが見つけたというのです。

この山野節人という人物が後に重要な役目を果たすことになります。

 

この著者の前著『転がる検事に苔むさず』や『恋する検事はわきまえない』がかなり面白く読めた作品だったのでハードルが高くなっていたのかもしれませんが、第一話「見守りびと」の中ほどまで読み進めても、どうにも本書にのめり込めません。

 

 

物語の展開が少ないということもあるかもしれませんが、何よりも主人公のキャラクターに魅力を感じないのだと思えます。

法医学者である幕旗とその助手の小池との会話で、小池の質問に対して「コード7」などと単純にコード番号だけで返事をするために、小池は意味が分からずにいる場面など、どうにも拒否感しかありません。

主人公が変人であるのは問題ないと思います。というより、エンタメ小説の主要キャラクターにはその方が多いくらいだと言えるでしょう。

しかし、本書『警察医の戒律』の場合、序盤での主人公の性格についての説明がないために主人公に対して感情移入するだけの材料が無いのです。そうした人物が教えを乞う相手に対してコード番号だけで応えても意地悪としか取れません。

 

また本書では、解剖時も含めて、幕旗が死体と一緒にいると死体が生き返って幕旗と会話をする場面が数か所あります。

もちろん、幽霊が存在して幕旗と会話をしているわけではなく、幕旗の潜在意識を死体が生き返ったように認識し、いろいろと会話をし、教えてくれているのですが、こうした場面も何となくの拒否感を感じてしまったのです。

本書では幕旗の人物像など、例えば村木との関係や、彼が夜驚症であることなど少しずつ明かされていますが、それも幕旗のキャラクターが良くつかめない理由なのかもしれません。

 

ところが、こうした違和感がそのままに後の伏線になっていて、第二話の最終行にはどんでん返しの結果が有名なとある映画のように、驚かされてしまいました。

その直前にも第二話の謎解きで驚かされているのですが、その驚きに続いての真相激白だったので、更なる衝撃でした。

 

また、この作者の前著である『転がる検事に苔むさず』などでは全く感じなかったのですが、本書『警察医の戒律』ではなんとも文章のリズムが悪いと感じました。

短めのなんの情緒も感じられない文章が続くだけで、すっきりしないのです。しかし、第二話へと進み物語の構造が見えてくると、この文章にも慣れたためか文章から感じた違和感も気にならなくなっていました。

つまりは、本書を読み始めた当初に『転がる検事に苔むさず』などの作品から受ける印象との差から何となくの拒否感を抱いてしまったのでしょう。

それが、本書を読み進めるにつれ本書の世界観に慣れ、この作者本来の持ち味を味わうことができるようになったのだと思われます。

 

結局、どんでん返しも含め、この作者の作品世界に捕まってしまったようで、最終的には面白い作品だったとの感想でした。

本書『警察医の戒律』も多分ですが続編が書かれることになるのでしょう。

それを楽しみに待ちたいと思います。

朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕

朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』とは

 

本書『朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』は『警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ』の第二弾で、1998年3月に幻冬舎から単行本が刊行されて、2007年9月に384頁で新潮社から文庫化された、長編の警察小説です。

警察小説と言うよりは家族小説と言った方が適切かもしれないと思わせるほどに家族の問題が語られていますが、それでもなお、樋口警部補の活躍が見ものでした。

 

朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』の簡単なあらすじ

 

あの日、妻が消えた。何の手がかりも残さずに。樋口警部補は眠れぬ夜を過ごした。そして、信頼する荻窪署の氏家に助けを求めたのだった。あの日、恵子は見知らぬ男に誘拐され、部屋に監禁された。だが夫は優秀な刑事だ。きっと捜し出してくれるはずだー。その誠実さで数々の事件を解決してきた刑事。彼を支えてきた妻。二つの視点から、真相を浮かび上がらせる、本格警察小説。(「BOOK」データベースより)

 

ある日、氏家との飲み会を終え家へと帰りつくと、妻の恵子の不在に気が付く。

恵子が黙って家を空ける筈もなく、しかし恵子を探そうにも実家以外どこを探していいのか分からず、所轄の警察署に尋ねてもなんの事故も起きていないという。

他を探そうにも、自分が妻のことを何も知らないことに驚く樋口だった。

とりあえず妻が見つからないままに、捜査一課第一強行犯係官の天童隆一警部補から、警備部長の自宅に脅迫状が届いたという話を聞かされ、樋口が担当するようにと言われる。

脅迫事件の捜査開始まで時間が限られる中、氏家の力を借りて妻の姿を探し始める樋口だった。

 

朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』の感想

 

本書『朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』は、妻の失踪という主人公の樋口顕警部補の個人的な事柄だけで物語が進んだと言ってもいいかもしれません。

妻の失踪について事件性があるかどうかもわからずに誰にも相談できないまま、警備部長のもとに届いた脅迫状の捜査を抱えざるを得ない樋口の苦悩が描かれます。

 

結局、樋口が現時点でできることは、捜査本部が置かれる月曜日までに妻恵子の行方を探し出すしかないのであり、一人では何もできないため荻窪署の氏家の力を借りることにするのです。

本書『朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』では、この氏家との二人だけの捜査の過程での樋口と氏家との会話がメインになってきます。

その中で、家族という存在にあらためて向き合い、考える樋口の姿が本書の主要テーマということになると思われます。

従って、何らかの事件が起き、その捜査の過程で浮かび上がる犯人探しや、よく分からない犯行手段の解明などという通常の警察小説とのその趣を異にします。

 

ただ、本書『朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』でも樋口の妻恵子を誘拐したのは誰か、という点は解かれるべき謎としてあるといえばあります。

しかし、誘拐犯は早々に明かされ、焦点はどのようにして妻の所在を確かめるか、という点に移ります。

というよりも、妻の所在場所の発見、という一点が警察小説としての面白さを残しており、読みがいもあると言えるのです。

 

加えて、樋口の考える家族という存在に対する考えもまた見どころだと言えるのではないでしょうか。

前巻では、樋口の考えの根幹として団塊の世代に対する作者の思いを樋口に代弁させていましたが、同様に、家族というものに対する作者の思いをまた代弁していると言えるのでしょう。

そして、子供に対する躾ということもその考察の中に展開されていて、この点が作者が一番言いたかったことではないか、と思われるのです。

即ち、大人になり切れていない子供に対する悲しみであり、それは「大人が子供を躾けられない」ということの裏返しでもあると思われるのです。

努力が報われないこともあることを理解できない、大人になり切れない子供という存在を嘆いているのです。

 

そうした作者の思いを乗せて本書『朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』は展開されます。

妻に対する自分の認識の薄さを実感する樋口は、世の中の多くの男性にも当てはまる事柄であり、その点でも共感を得るのかもしれません。

このように、普通の警察小説とは異なる物語の進め方ではあるものの、小気味よい会話に乘って展開する本書のストーリーは、やはり今野敏の物語であり、それなりに面白い作品でした。

#真相をお話しします

#真相をお話しします』とは

 

本書『#真相をお話しします』は、2022年6月に224頁の単行本(ソフトカバー)として刊行された短編の推理小説集です。

かなりひねりの効いた全部で五編の物語が収録されていますが、個人的には今一つの印象の作品集でした。

 

#真相をお話しします』の簡単なあらすじ

 

ミステリ界の超新星が仕掛ける、罠、罠、罠、罠、罠。家庭教師の仲介営業マンとしてしのぎを削る大学生。娘のパパ活を案じながらも、マッチングアプリに勤しむ中年男。不妊に悩んだ末、精子提供を始めた夫婦。リモート飲み会に興じる学生時代の腐れ縁。人気YouTuberを夢見る、島育ちの小学生四人組。微笑ましくて、愛おしくて、時に愚かしい。令和を生きる私たちにニュー・ノーマル。-本当に?読みながら覚えるかすかな違和感と確かな胸騒ぎ。それでも、あなたの予想は必ず裏切られる!緻密で大胆な構成と容赦ない「どんでん返し」の波状攻撃に瞠目せよ。第74回日本推理作家協会賞“短編部門”受賞作「#拡散希望」を収録。(「BOOK」データベースより)

 

 

#真相をお話しします』の感想

 

本書『#真相をお話しします』は、それぞれに日常生活の中での出来事をテーマにちょっとした「ずれ」から始まる違和感を導き出した作品集です。

それぞれの物語では、「なるほど」という小気味よい納得感を引き出す、それも現代的な仕掛けが生きています。

 

ただ、個人的には各短編それぞれにおいて物語のリアリティーを感じることができず、作者の仕掛けのための舞台設定のような印象をぬぐい去ることができません。

どうしても、いわゆる本格派の推理小説ではないのにもかかわらず、「わざとらしさ」を感じてしまいました。

例えば第一話の「惨者面談」では、子供との会話の不自然さはどうしても違和感が残るし、明確にある番号を示してある以上はほかに考えようはないと思えます。

第二話の「ヤリモク」にしても状況設定に無理があると思うのです。

 

以上のような点が気になる私は、推理小説では「動機」が重要でであって、動機に不自然さが残っているとその物語自体に違和感を感じてしまいます。

物語の犯行や捜査の状況に不自然さが残っていてはリアリティーを欠くことになるのは勿論です。

ただ、そうではなく、物語の流れそのものを見る読者にとっては、動機や状況はもちろん大事にしてもそれは物語の一要素に過ぎないこととなり、全体としてまとまっていればいいという流れになりそうです。

本書『#真相をお話しします』の場合、個々の物語の仕掛けはよく考えられており、日常の暮らしの中でのちょっとした出来事を取り上げて物語として仕上げているのですから十分に面白い作品だとの評価が出てくると思います。

ですから、これも何度も書いてきたことですが、客観的には本書の評価が高いものである以上は、私の言うような問題点はあくまで個人的な好みのレベルでしかないことになると思われます。

 

また、本書『#真相をお話しします』について指摘されているのは、物語の仕掛けが現代的だということです。

マッチングアプリ、リモート飲み会、ユーチューバーといった現代的な言葉がテーマとして出てきます。ほかの派遣家庭教師や精子提供などという言葉も現代的と言えばそう言えるかもしれません。

そうした「新たな価値観」が出てくれば、新たな動機も出てくるというわけです( ORICON NEWS : 参照 )。

 

本書を読んでいて思い出した短編の推理小説集としては、米澤穂信の『満願』などの作品集や、また長岡弘樹の『傍聞き』などの作品集があります。

共に「このミステリーがすごい!」の一位や、日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した作品が収められています。

そして、両作品ともに仕掛けのうまさや、その仕掛けにはまったときの爽快感が見事でした。

 

 

本書『#真相をお話しします』もその仕掛けはよく考えられているとは思うのですが、この「爽快感」が今一つでもありました。

確かに現代的なテーマで、新しい視点ではあるものの、読後のしてやられた感が上記の作品ほどではなかった気がします。

とは言っても、個人的な好みを欠くのが素人の個人のブログですからそれは仕方ありません。

単純に、私の好みとは少しずれた作品だったというしかないのです。

 

結局、どの話もよく練られていて、客観的にみると傑作短編ミステリーとして評価の高いのも分からないでもなく、あらためて自分の好みの偏りを思わないでもありません。

ただ、今後この作家の作品を読み続けるかは微妙と言うしかなく、積極的に面白いとまでは言えない作品でした。