『シャイロックの子供たち』とは
本書『シャイロックの子供たち』は2006年1月に刊行されて2008年11月に347頁で文庫化された、銀行を舞台とした連作のミステリー短編小説集です。
『シャイロックの子供たち』の簡単なあらすじ
ある町の銀行の支店で起こった、現金紛失事件。女子行員に疑いがかかるが、別の男が失踪…!?“たたき上げ”の誇り、格差のある社内恋愛、家族への思い、上らない成績…事件の裏に透ける行員たちの人間的葛藤。銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮すことの幸福と困難さに迫った傑作群像劇。(「BOOK」データベースより)
『シャイロックの子供たち』の感想
本書『シャイロックの子供たち』の舞台は東京第一銀行の長原支店であり、各話の主人公は年齢や職種こそ異なるものの、殆どこの支店に勤務する銀行員であり、全体として一編のミステリーとして仕上がっています。
読後にネット上のレビューをみると、本書タイトルの「シャイロック」という言葉の意味を知らない方が多いようでした。
本好きならずとも「ベニスの商人」の話はお伽話的にでも知っている人が多かった私の時代からすると意外でした。
「シャイロック」とは、シェイクスピアの「ベニスの商人」という戯曲に登場する強欲な高利貸しのことを指すのですが、本書では、その子供たちとして銀行員らを指していることが暗示的です。
池井戸潤といえば『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』などの勧善懲悪形式の痛快経済小説がもっとも有名であり、その痛快さ、爽快さが人気を博している理由だと思うのですが、本書はその系統ではなく、ミステリーとしての存在感を出しています。
本書『シャイロックの子供たち』の作者である池井戸潤は、この『シャイロックの子供たち』という作品を「自分はエンタメ作家なんだから、もっと痛快で、単純に「ああ楽しかった」と言ってもらえる作品を書こうと。課題に対する自分なりの答えとして書いた
」と言われています( 講談社BOOK倶楽部 : 参照 )。
そして、この作品以降「銀行や会社は舞台でしかなくて、そこで動いている人間の人生そのものを読んでもらおうと思うようになった。
」とも言われているのです( 作家の読書道 : 参照 )。
ですから、痛快小説としての池井戸潤を思ってこの作品を手に取ると、若干期待外れとなるかもしれません。
勧善懲悪ではなく、正義が明白な悪を懲らしめるというパターンではないのです。それどころか、読みようによってはピカレスク小説と読めないこともない作品です。
しかしながら、本書が池井戸潤の小説であることに違いはなく、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られているというだけです。
本書『シャイロックの子供たち』の前半は、それぞれの話は独立したものとしての色合いが強く、個々の話ごとに銀行を舞台にした人間模様として読み進めることになります。
副支店長の古川一夫のパワハラ、融資課友野裕の融資獲得状況、営業課北川愛理の百万円窃取疑惑、業務課課長代理遠藤拓治にかかる重圧、と話は続きます。
そして、「第五話 人体模型」で、本店人事部部長が人事書類から失踪した西木という銀行員の人物像を把握しようとする場面から物語はその様相を異にしてきます。
「第六話 キンセラの季節」以降、登場人物がそれぞれの視点で失踪した西木の仕事について調べ始め、これまでの語られてきた話の実相が次第に明らかにされていくのです。
そして、最終的にこれまで個々の視点で語られてきた話が、更に異なる視点で見直されることにより、全く違う意味を持つ話として読者の前に提示されることになります。
繰り返しますが本書『シャイロックの子供たち』は勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。
そして、としてとても面白く、また楽しく読んだ小説でした。
ちなみに、阿部サダヲを主演として本木克英監督の手で映画化されるそうです。
また、井ノ原快彦を主演としてWOWOWでドラマ化もされます。