『夜叉萬同心 一輪の花』とは
本書『夜叉萬同心 一輪の花』は『夜叉萬同心シリーズ』の第九弾で、2022年2月に340頁の文庫本書き下ろしとして出版された、長編の痛快時代小説です。
『夜叉萬同心 一輪の花』の簡単なあらすじ
夜叉萬と恐れられ、また揶揄される北町の隠密廻り同心・萬七蔵。品川宿の旅籠・島本が押しこみに遭い、主らが殺害された事件の探索を任される。夫亡き後、島本を守る女将に次なる魔の手が伸びようとしていた。島本には、相州から来た馬喰の権三という男が泊っていたのだがー。品川宿の風景の中で、男女の人生の一瞬が交差する。情感溢れる傑作シリーズ最新作。(「BOOK」データベースより)
序 浪士仕切
相模川沿いの明音寺に、四村の村名主と十三人の無宿渡世の浪士たちが、川尻村の麹屋直弼を引受人として浪士仕切契約を結ぼうとしていた。その集まりの隅に、ひっそりと渡世人風体の権三が控えていた。
第一章 品川暮色
品川南本宿の旅籠島本で、主人の佐吉郎が斬られ使用人の一人が殺されるという事件が起きた。萬七蔵が話を聞くと、道中方とも懇意の邑里総九郎という江戸の高利貸が品川宿の南本宿に新しく遊技場を開こうとしている話を聞き込むのだった。
第二章 鳥海橋
萬七蔵が来た時に島本に宿をとっていた権三は、青江権三郎と名乗っていた二十一歳の自分が島本の先代の女将に助けられたことを思い出していた。また、七蔵は南品川の様子などについて話を聞くのだった。
第三章 店請人
翌日、七蔵は押し込みの一味の逃走の現場にいた怪しい一団の話が道中方の福本武平にも伝わっていることを知った。一方、手下のお甲から、邑里総九郎は実は甲州無宿の重吉であり、世間を騒がせている天馬党の首領の弥太吉と知り合いである可能性が高いと報告を受けた。
第四章 矢口道
島本では二人の子供が攫われ、丁度居合わせた権三が女将の櫂と浩助と共に天馬党の弥太吉のもとにいる子供たちを助けに向かうのだった。一方、道中方組頭の福本武平は悪事が明らかになり、邑里総九郎は逃亡を図るが七蔵に阻止されていた。
結 旅烏
七蔵は久米と、天馬党の壊滅など、事件のその後について話しているのだった。
『夜叉萬同心 一輪の花』の感想
本書『夜叉萬同心 一輪の花』は、夜叉萬こと萬七蔵は脇に回り、島本の女将の櫂と権三という流れ者に焦点が当たった、古き義理人情の物語です。
渡世人の権三が若い頃に世話になった品川南本宿の島本という旅籠の主人が殺され、女将の櫂がひとり旅籠を守り苦労していました。
権三は島本に投宿し、一人残された櫂の行く末を案じていたところに、島本の押し込みの一件を調べに来た夜叉萬たちと同宿することになります。
この島本の押し込みをめぐっては、その裏では品川南本宿での遊技場を造る計画が浮かび上がってきます。
こうして、品川南本宿の旅籠島本でおきた事件は、道中方をも巻き込んて闇に葬られようとしているところを、夜叉萬らの探索で明るみに出ることになります。
しかし、島本の恨みを晴らすのは夜叉萬ではなく、権三だった、というのが本書の大枠の流れということになります。
つまりは、本書『夜叉萬同心 一輪の花』では権三という渡世人が隠れた主役であり、島本の先代の女将とその娘櫂から若い頃に受けた恩を返すために島本に泊っていたのでした。
本書の作者辻堂魁の作品には、例えば『仕舞屋侍シリーズ』の『夏の雁』や、『日暮し同心始末帖シリーズ』の『天地の螢』などの例を挙げるまでもなく、かつて虐げられた本人、またはその関係者による復讐に絡んだ物語が多いようです。
本書『夜叉萬同心 一輪の花』も大きくはそうした復讐譚の一つとして挙げられるのかもしれませんが、復讐譚というよりは、ひと昔前に流行った義理人情の絡んだ人情話を根底に持つ仇討ち話というべきでしょうか。
とは言っても、痛快時代小説という物語のジャンル自体が、ある種の復讐譚を一つの構造として持っていると言えそうなので、この点を特徴とするのはおかしいかもしれません。
そうした小説としての構造の話はともかく、本書のような痛快時代小説は、浪曲、講談の義理人情話の延長線上にあると言っても過言ではないと思われます。
辻堂魁の描き出す痛快時代小説の作品群では特にそうした印象が強く感じ、本書もその例に漏れないのです。
結局、本書『夜叉萬同心 一輪の花』は主人公の夜叉萬こと萬七蔵の活躍が満喫できる作品ではなく、物語の展開自体も若干の甘さが感じられないわけではありません。
しかし、安定した面白さを持っている作品だったと言えるでしょう。