本書『黙(しじま)』は、『介錯人別所龍玄シリーズ』の第二弾の連作短編時代小説集です。
仕置の場に現れ、自分が首を切るべき相手の人生に思いを馳せる龍玄の姿が心を打つ作品です。
不浄な首斬人と蔑まれる生業を祖父、父から継いだ別所龍玄は、まだ若侍ながら恐ろしい剣の使い手。親子三代のなかで一番の腕利きとなった彼は、武士が切腹するときの介添役を依頼されるようになる。御家人や旗本相手の金貸業で別所家を守ってきた母・静江、五つ年上で幼い頃から龍玄の憧れだった妻・百合と幼子の娘・杏子。厳かに命と向き合い、慈愛に満ちた日々を家族と過ごす、若き介錯人の矜持。傑作と絶賛された前作『介錯人』の世界が、さらに静かに熱く迫る!!(「BOOK」データベースより)
「妻恋坂」
別所龍玄は、その日首打ちをした罪人の曹洞宗明星山出山寺の修行僧慈栄人が、首を討たれるまで念仏を唱えるように「母ちゃん、堪忍」との言葉を繰り返すのを聞いた。後に龍玄は、その男が幼ない頃に共に遊んだこともある十之助だったことを知る。
「破門」
幼い頃の龍玄は剣術に関心が向かなかったが、九歳になったとき、父親勝吉から大沢道場に入門させられた。次第に上達をしていく龍玄が十四歳になった折、旗本山本重之助の倅である晋五が大けがを負った。突然龍玄が襲い掛かってきたというのだ。
「惣領除」
龍玄は、公儀小十人衆七番組の平井喜八から自身の介錯を頼まれた。平井家存続のために惣領の伝七郎に詰め腹を切らせたが、平井家存続のためには自分自身も腹を切る必要があると言う。事情を聞く龍玄に対し平井は、最後は武士らしくありたい、というのみだった。
「十両首」
金貸しのお倉という老女が龍玄を尋ねてきたきた。近く打ち首になる夫の郡次郎の首打役を龍玄に頼みたいというのだ。何とかその願いを聞き届けようと、北町奉行所平同心の本条孝三郎に頼み込み、軍次郎の素性をも聞く龍玄だった。
前巻同様に、本書『黙』のトーンもかなり暗い雰囲気を維持したままです。
その暗さを、別所龍玄の美しい妻百合と可愛い幼子の杏子の存在がかなり和らげてくれるのも前作と同様です。
本書『黙』の第一話と第二話では龍玄の幼い頃の姿が描かれています。
第一話「妻恋坂」では、父の勝吉に連れられて幼い頃の慈栄である十之助の家へ行き、十之助と遊んだ姿が描かれています。
第二話「破門」では十四歳の龍玄の大沢道場でのエピソードが語られます。
そして、その大沢道場でのエピソードの後に、十八歳になった龍玄は首打の手代わりを務め、胴体の試し斬りも終え刀剣鑑定の勤めも果たし、十九歳で切腹場の介添え役、すなわち介錯人となり、二十歳で百合を妻に迎えることが語られています。
つぎの第三話「惣領除」は、すさまじい話です。一番衝撃的であり、心惹かれたと言ってもいいかもしれません。
とはいっても、体面というものを重視する当時の社会を描くとき、ありがちとまでは言いませんが、似たような設定は目にしたような気がしないでもありません。
ただ、決して特別とはいえない話であっても、龍玄が介錯人という立場から武士の切腹場を守るために立ちはだかる場面を構築する辻堂魁という作者の筆は感動的ですらあります。
そして、その後の場面での龍玄一家の姿、それも杏子の姿は、緊迫した場面の後に置かれた純真無垢な幼子の姿として心地よさをもたらしてくれるのです。
第四話「十両首」もまた哀しみに満ちた物語です。
首打場に臨み、死を悟り暴れる罪人に語り掛け静かにさせる龍玄の姿が浮かび上がります。
本書『黙』でもそうであるように、本シリーズではほとんどの場合、首打人、また介錯人としての別所龍玄個人の活躍が描かれるわけではありません。
龍玄は自分が首を落とす、もしくは落とした罪人や侍の人物を知り、首を落とされなければならなかった人々の来し方に思いを馳せるだけです。
そこに至るまでの罪人や切腹をする侍の思いは単純ではなく、隠されたドラマがあります。
そのドラマを浮かび上がらそうとするのが本シリーズであり、架空ではありますが別所龍玄という介錯人の物語なのです。
そのドラマを見事に浮かび上がらせる辻堂魁という作者の手腕に期待しつつ、続刊を待ちたいと思います。