二人が手を放すと同時に、軍鶏は高く跳び上がり、鋭い爪を突き出して相手の顔を狙う―。闘鶏の美しさに見入られ、そこから必殺剣まで編み出した隠居剣士・岩倉源太夫。その腕を見込まれ、筆頭家老から呼び出しを受けたことから藩の政争に巻き込まれることに。そんな折、江戸で同門だった旧友が現われる…。流麗な筆致で武士の哀切を描く、静謐なる時代小説誕生。(「BOOK」データベースより)
「軍鶏侍」「沈める鐘」「夏の終わり」「ちと、つらい」「蹴殺し」の連作短編からなる時代小説です。読みやすい小説ではあるのですが、だからと言って軽い作品ではありません。よく藤沢周平作品との類似、比較をされる小説でもありますが、シリーズ一作目の本書で独自の世界が出来上がっています。
本作品の主人公である岩倉源太夫は、江戸での修業の折、師匠筋の秋山勢右衛門に見せられた「軍鶏」の美しさに魅せられ、自らも軍鶏を育て始めます。この点がまず特色の一つでしょう。そして、徳島県をモデルにしていると思われるこの物語の舞台となる園瀬藩の描写が美しい。
また、人物造形のうまさも光り、源太夫の人間としての魅力もさることながら、何といっても下働きの権助の存在が大きいのです。時には軍鶏の飼い方や釣りなどの分野では源太夫の師ともなる源助で、源太夫にも「何者」かと言われるほどの人物です。
人間関係のわずらわしさをきらい、若いうちから隠居の道を考えていて、実際その通りに生きてきた源太夫です。ただ、彼の思惑とは異なり、隠居はしたものの園瀬藩の政争にかかわることになります。つまりは、あれほど嫌っていた様々な人間関係を結ばざるを得ない立場になっています。
第一話の「軍鶏侍」では、この物語の主である岩倉源太夫が藩の重役からの、密書奪取の依頼を断るところから始まります。源太夫は断ったものの密書の運び役と思われる人物は殺されてしまうのですが、その暗殺犯が江戸での源太夫の師である秋山勢右衛門の息子であり、源太夫の親友でもある秋山精十郎だったのです。
第二話「沈める鐘」で、源太夫は道場を開くにあたり、やはり女手も必要ではと息子の妻女の関係先から「みつ」という名の妻をめとります。ところが、このみつのかつての夫であった立川彦蔵が刃傷沙汰を起こし脱藩したため、源太夫が討手となるのだった。
第三話「夏の終わり」では、源太夫は親友でもある藩の学問所の教授方の池田盤晴から大村圭二郎という少年を道場で預かることになります。内に閉じこもるだけの少年である圭二郎は、下働きの権助の手助けを得ながら藤が淵で見つけた鯉を捉えようとする。
第四話「ちと、つらい」は、戸崎喬之進という「侘助」と呼ばれるほどに風采の上がらない男と五尺六寸の身長の大きな女と言われている大岡弥一郎の長女多恵との縁組を賭けの対象にした物語です。二人が夫婦になったことをねたむ連中に侮蔑的な言葉を投げつけられ、果たし合いをすることになるのです。
第五話「蹴殺し」は、源太夫の道場の食客となった武尾福太郎の、巷に知られるようになった源太夫の秘剣「蹴殺し」を巡る物語です。武尾福太郎は道場で人気者となるのですが、秘剣を知りたいがために源太夫の子の市蔵を人質に取り、立ち合いを望むのです。