『民王』とは
本書『民王』は、文庫本で俳優の高橋一生の解説も含めて352頁の長編のエンターテイメント小説です。
内閣総理大臣の父親と、そのバカ息子の人格が入れ替わるという、この作者には珍しいコメディタッチの作品ですが、池井戸潤作品にしては今一つの印象でした。
『民王』の簡単なあらすじ
「お前ら、そんな仕事して恥ずかしいと思わないのか。目をさましやがれ!」漢字の読めない政治家、酔っぱらい大臣、揚げ足取りのマスコミ、バカ大学生が入り乱れ、巨大な陰謀をめぐる痛快劇の幕が切って落とされた。総理の父とドラ息子が見つけた真実のカケラとは!?一気読み間違いなしの政治エンタメ!(「BOOK」データベースより)
前任者の急な辞任により、新しい民政党総裁になった武藤泰山はそのままに内閣総理大臣へと就任することとなった。
その泰山は、国会で総理大臣として答弁している最中に空耳が聞こえてきたと思ったら、そのままに気を失ってしまう。
一方、友人の南真衣の誕生日パーティに出ていた泰山の息子の翔もまた空耳が聞こえてきたと思ったら気を失ってしまう。
泰山が目を覚ますとそこは見知らぬパーティ会場のようであり、また、翔が目を覚ましたのは開催中の国会会議場であった。
つまりは、父親の武藤泰山と息子の武藤翔の身体が入れ替わってしまったのだった。
『民王』の感想
本書『民王』は、上記のように親子の人格が入れ替わるという、池井戸潤という作家の作品にしては珍しくSFチックで、コミカルな作品です。
主だった登場人物としては、まず民政党総裁で総理大臣の武藤泰山とその息子翔がいます。
そして、政治家としての泰山の関係では、泰山の公設第一秘書の貝原茂平、泰山の盟友でもある官房長官の狩屋孝司などがいます。
また泰山と対立する憲民党の蔵本志郎や、この事件の捜査をする警視庁公安第一課の新田警視などが重要でしょう。
また翔の友人として、翔と同じ京成大学に通う学生起業家の南真衣、同じく翔のクラスメイトの村野エリカがいます。
他にも民政党の大物の泰山の属する城山派のボスである城山和彦や、翔の母の綾などがいますが、物語の上では端役的な存在です。
本書『民王』のように人物の入れ代わりをテーマにした物語や映画は、あの青春映画の名作といわれる「転校生」以来、少なからず作成されています。
しかし、どちらかというと銀行などの企業を舞台にした作品を主に書かれてきた池井戸潤という作家が、本書『民王』のような政治の世界を舞台の、それもコメディタッチの作品を書かれるというのは初めてだと思います。
言ってみれば、それまで得意としていた分野とは異なる世界に踏み出されたわけで、それも、SF、もしくはファンタジーという、リアルな現実とはかけ離れた世界の物語です。
だからでしょうかこれまで読んできた企業小説で見せてこられた切れ味は影をひそめている印象でした。
本書『民王』で展開されるストーリー自体は何となく先の読める展開だし、登場人物たちの主張も至極まっとうなものであって、ひねりの効いた展開や、新規な主張などは見られません。
また、主人公の一人である翔という人物が、「惹起」や「有無」などの漢字もろくに読めないのにそれなりの主張を持ち、少なからず感動的な文章を書く能力は有しているという、妙にどっちつかずの印象です。
読み進める中で疑問を抱きつつも、本書自体がファンタジーでもあり、そこらは曖昧でもいいのだろうと、自分を納得させながらの読書になってしまいました。
ただ、いつものように作者の熱い思いだけは十分に伝わる作品である、とは言えます。
池井戸潤という作家の特色ともいえる、ともすれば書生論と言われそうな正しさ、正義の主張は本書『民王』でもはっきりと明示されていて、それは私にすれば大きな救いでもありました。
そしてその主張こそが池井戸潤の魅力の一つでもありますから、その意味では池井戸潤らしい、面白さを持った作品だと言えなくもないのでしょう。
そして、だからこそテレビドラマ化もされるほどの人気にもなっているのだと思えるのです。
私は見ていないのですが、このドラマは父である総理の武藤泰山を遠藤憲一が、バカ息子の翔を菅田将暉が演じ人気を博したそうです。
そして、2021年9月28日には本書『民王』の続編、『民王 シベリアの陰謀』が発売されるそうです。
発症すると凶暴化する謎のウイルスを巡るドタバタ劇が繰り広げられるらしく、現在のコロナ禍の状況を捉えた作品ではないかと勝手に想像しています。
この点、「この小説は、「ウイルス」「温暖化」「陰謀論」の、いわゆる〝三題噺さんだいばなし〟なんです。
」という作者の言葉があるので、あながち間違いではないと思われます( カドブン : 参照 )。
楽しみに待ちたいと思います。