『父子の峠 日暮し同心始末帖』とは
本書『父子の峠 日暮し同心始末帖』は『日暮し同心始末帖シリーズ』の第七弾で、2017年11月に祥伝社から288頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。
『父子の峠 日暮し同心始末帖』の簡単なあらすじ
年寄りばかりを狙った騙りに、老夫婦が首をくくった。蓄えのすべてを奪われていた。再び定町廻り代理を命じられた日暮龍平は、若い猿回し夫婦を捕縛、夫は打ち首、病身の妻は放免とされた。妻お楽は故郷の会津に義父重右衛門を訪ねる。一切を聞き復讐の鬼と化した重右衛門は、あろうことか息子の俊太郎を拐かした!憤怒する龍平は親として剣をとり追跡するが…。颯爽時代小説!(「BOOK」データベースより)
序 ここだけの話
浅草小島町の隠居暮らしの伝七とお浜の老夫婦を札差御改正会所の“ときすけ”という男が訪れ、余生のためにと貯めていた十九両と少しの金を騙し取っていった。残された老夫婦は自らその命を絶ったのだった。
第一話 猿屋町
日暮龍平は北町奉行の永田備前守から、脚気で休んでいる定町廻りの南村種義の代わりを務めるように申し付かる。早速伝七夫婦の一件を担当することになったが、伝七夫婦の他に二件の騙りがあったらしい。そのうちに、“鳥助”という名前をきっかけに作造とお楽という猿使いの夫婦が捕縛に至り、作造は死罪、お楽は追放となった。
第二話 倅には倅を
会津盆地から会津西街道の山奥、仲付け駑者の村として知られる楢枝村の長の重右衛門は江戸へ出ることを告げていた。年が明け、七歳になった息子の俊太郎がさらわれた。龍平は「絆の代償をいただく」という文を受け取るが、探索の結果、俊太郎をさらった一味は会津へと向かったものと思われた。
第三話 山王峠
それから五日目の午後、一味の一人が龍平を亀島橋へと呼び出し、誘いに乗った龍平は俊太郎の無事を確認するが逃げられてしまう。その足で会津へと追いかける龍平だった。
結 定町廻り方
龍平は、病気療養の南村に代わって、北町奉行所定町廻り方の正式な掛になった。
『父子の峠 日暮し同心始末帖』の感想
本書『父子の峠 日暮し同心始末帖』は『日暮し同心始末シリーズ』の第七弾となる長編の痛快時代小説です。
このシリーズは、辻堂魁の種々のシリーズのなかでも一番悲哀に満ちた物語が語られるようです。ほかのシリーズが明るいというわけではありませんが、本シリーズが一番哀しみに満ちていると感じます。
本作品も例外ではなく、家族というもののありようを正面から問いつつ、父の子に対する思いを強烈に描いてあります。
ただ、父親の思いが少々歪んた愛情として発現していて、自分の息子の非には目がいかず、子を失った悲しみを、子を失った原因となった直接の相手である龍平への恨みとしてぶつけようとします。
そこにあるのは他者への恨みだけであり、それはつまりは自分のことだけを考えているということでもあります。自分の恨みの感情だけしか見えていないのです。
そうした恨みを向けられた相手、本書での龍平こそ迷惑です。勿論一番の被害者はさらわれた子供である俊太郎ではありますが。
ただ、救いはお楽ですが、父親の重右衛門自身も自分の行為の理不尽さに気付いてはいるようです。
そうした理不尽さに気付いている重右衛門や、何とか止めようとするお楽といった人物らをたくみに動かす辻堂魁という作者のうまさは光ります。
特に哀しみの強いシリーズだと書きましたが、その哀しみを龍平の妻の麻奈や 息子の俊太郎といった存在が和らげていたのです。その俊太郎が攫われるのですから、展開は一応の推測はつきます。
事実、読みながらも推測したように物語は進むのですが、それでもなお飽きることのない物語として本書は展開されます。辻堂魁という作者のうまさ以外の何物でもないでしょう。