『一路』とは
本書『一路』は、2013年2月に中央公論新社から刊行され、2015年4月に中公文庫から上下二巻で759頁の文庫として出版された長編の時代小説です。
ユーモア満載の、浅田次郎らしい長編の時代小説でした。
『一路』の簡単なあらすじ
失火により父が不慮の死を遂げたため、江戸から西美濃・田名部郡に帰参した小野寺一路。齢十九にして初めて訪れた故郷では、小野寺家代々の御役目・参勤道中御供頭を仰せつかる。失火は大罪にして、家督相続は仮の沙汰。差配に不手際があれば、ただちに家名断絶と追い詰められる一路だったが、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに、いざ江戸見参の道中へ!( 上巻 : 「BOOK」データベースより)
中山道を江戸へ向かう蒔坂左京大夫一行は、次々と難題に見舞われる。中山道の難所、自然との闘い、行列の道中行き合い、御本陣差し合い、御殿様の発熱…。さらに行列の中では御家乗っ取りの企てもめぐらされ―。到着が一日でも遅れることは御法度の参勤交代。果たして、一路は無事に江戸までの道中を導くことができるのか!( 下巻 :「BOOK」データベースより)
『一路』について
本書『一路』は、浅田次郎らしいユーモア満載の長編の時代小説でした。
十九歳まで江戸表で暮らしていた小野寺一路は、父弥九郎の突然の死去により、参勤交代の御供頭を勤めることとなった。
しかし、一路は御供頭の仕事について何も教えられてはおらず、また、貧乏くじを引くのを恐れて誰も手伝ってもくれない。
途方に暮れる一路だったが、屋敷の焼け跡から見つけた「元和辛酉歳蒔坂左京大夫様行軍録」と記された冊子頼りに、古式に則った参勤交代を行うことを決意するのだった。
この物語は、コメディ小説と言えるのでしょう。しかし、何となく、コメディと言い切ってしまうにはためらいを感じる、そんな小説です。
確かに、この物語では先祖の残した「行軍録」をもとに繰り広げられるドタバタ劇が展開されるし、更には馬が会話をし、鯉がひとりごちる場面があります。
また、敵役の蒔坂将監の行いも、行列の成り行きが思惑とは異なって行くことからドタバタ劇が展開されます。そうした意味では、この物語はコメディ小説と言えるとは思います
しかし、小野寺一路の仕える蒔坂左京大夫(まいさかさきょうのだいぶ)の振舞いも、小野寺一路本人の行いも単純に笑い飛ばせないものがあります。
武士とは、侍とは、という大きなテーマの前で登場人物たちも必死に考え、行動していて、結果としてその様はコミカルなのです。
そういう意味では、あの『フーテンの寅さん』のような人情喜劇と言うべきなのかもしれません。
単純なギャグではない、素の人間の、人間としての振舞いのもたらすおかしさこそが浅田作品の、浅田作品たる所以なのでしょう。
ただ、浅田次郎の他の作品と比べると若干完成度は下がるかなと感じました。他の作品と比べるとどこか満たされません。
『壬生義士伝』(新潮文庫上下二巻)などの『新選組三部作』や『天切り松 闇がたりシリーズ』(集英社文庫全五巻)という一級の作品程には達していないと思いますし、侍のあり方というテーマも『黒書院の六兵衛』(文春文庫上下二巻)の方がより直接的だったように思います。
ストーリー自体も、思いのほかに一路の思惑通りに行列が進み、意外性が余りありませんでした。
人物設定にしても、蒔坂左京大夫が利発な自分を押し隠しているさまも、また敵役として登場する蒔坂将監も、夫々に登場人物として魅力が今一つのなのです。
ただ、浅田次郎の作品ですので作品の完成度に対する私の要求がかなり高くなっています。そうした要求を差し引いて見ると、そこはやはり浅田次郎の物語であり、面白く読んだとしか言えません。