二枚の絵 柳橋の桜(三)

二枚の絵 柳橋の桜(三)』とは

 

本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』は、2023年8月に文藝春秋社から336頁の文庫として刊行された長編の痛快時代小説です。

本書での桜子は大河内小龍太と共に江戸を離れることになり、長崎の地でしばらくの間を過ごすことになりますが、佐伯泰英の作品としては普通との印象の作品でした。

 

二枚の絵 柳橋の桜(三)』の簡単なあらすじ

 

柳橋で評判をとった娘船頭の桜子。父・広吉の身を襲った恐ろしい魔の手から逃れるため、大河内道場の棒術の師匠・小龍太とともに江戸から姿を消した。異国船で出会ったカピタン、その娘の杏奈と接し、初めての食べ物や地球儀に柳橋を遠く感じる二人は、磨きぬいた棒術で心身を整える。そんな中、プロイセン人の医師に招かれた長崎の出島で、二枚の絵を見た桜子はあまりの衝撃に涙を止められないーオランダ人の絵描きコウレルと柳橋の桜子。その不思議な縁とは?(「BOOK」データベースより)

 

二枚の絵 柳橋の桜(三)』の感想

 

本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』では、主人公の桜子やその恋人でもある大河内小龍太たちは江戸の町を離れることになります。

二人は、その理由については何も知らされないままに船宿さがみの親方夫婦に挨拶をするひまもなく、その足で長崎の地へと赴くのです。

そこには桜子の後ろ盾と言ってもいい魚河岸の江の浦屋五代目彦左衛門の世話がありました。

 

ということで、本書では長崎までの船旅の様子が描かれ、桜子と小龍太の船上での修行の様子や、襲い来る海賊を退ける様子などが描かれていきます。

その際利用することとなった船のカピタンと呼ばれる船長(ふなおさ)のリュウジロや、その娘杏奈たちが本書での新たな登場人物として現れます。

ちなみに、この杏奈の伯父は長崎会所の総町年寄の高島東左衛門であり、二人の長崎での生活に重要な役割を果たします。

 

こうして舞台は江戸を離れ、長崎への船旅と長崎での暮らしの様子が描かれることになります。

そういう意味では佐伯節満載の物語ということはできるのですが、どうにも話はすっきりとしません。

というのも、今回桜子たちが江戸を離れざるを得ない理由や、桜子たちに敵対する相手の正体は全く示されることなく、ただ、幕閣の上部での出来事らしいということが示されるだけだからです。

 

ただ、本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』では前巻で少しだけ示された二枚の絵の意味が少しだけ明かされていくので、その点が若干満たされるということはできるでしょうか。

本書で一番の要点は、長崎会所のプロイセン人のアントン・ケンプエル医師から示されたこの二枚の絵の物語だと言えるのでしょう。

 

とはいえ、私にとっては本シリーズの主人公桜子という娘自体にそれほどの魅力を感じていないためか、二枚の画の秘密に関してもあまり気にかかることでもありません。

こうしてみると、この二枚の絵に関しては、本シリーズの冒頭からもっとこの物語に絡め、物語を貫く謎として設定されていればもう少し感情移入して読めたのではないかという思いがぬぐえません。

最終巻を読まずに書くのも不謹慎かもしれませんが、本書『二枚の絵 柳橋の桜(三)』に至るまでの三巻の内容が、結局は焦点がぼけたままで終わってしまい、つまりは最終巻『夢よ、夢 柳橋の桜(四)』だけで事足りたのではないかという思いが残ってしまいそうです。

ともあれ、すべては最終巻『夢よ、夢 柳橋の桜(四)』を読んでみてからのことにしたいと思います。

あだ討ち 柳橋の桜(二)

あだ討ち 柳橋の桜(二)』とは

 

本書『あだ討ち 柳橋の桜(二)』は『柳橋の桜シリーズ』の第二弾で、2023年7月に文庫本書き下ろしで文春文庫から刊行された長編の痛快時代小説です。

本書では現実に父が世話になっている船宿の船頭となる主人公の姿が描かれていて、前巻とは異なり、痛快時代小説としての面白さを持った作品でした。

 

あだ討ち 柳橋の桜(二)』の簡単なあらすじ

 

猪牙舟の船頭を襲う強盗が江戸の街を騒がせていた。父のような船頭を目指す桜子だが、その影響もあってか、親方から女船頭の許しがおりない。強盗は、金銭強奪だけでなく、殺人を犯すこともあったのだ。そして舟には謎の千社札が…。仕事を続ける父親の身を案じる桜子へ、香取流棒術の師匠である大河内小龍太が、ある提案をする。船頭ばかりを狙う強盗の正体と、その本当の狙いとは?物語が急展開をするシリーズ第二弾!(「BOOK」データベースより)

 

あだ討ち 柳橋の桜(二)』の感想

 

本書『あだ討ち 柳橋の桜(二)』は『柳橋の桜シリーズ』の第二弾となる作品で、主人公の娘の成長を描く長編の痛快時代小説です。

棒術の達人という設定の主人公桜子の活躍は本書でも十分にみられるのは勿論で、前巻よりは面白く読むことができます。

しかしながら、主人公の桜子にそれほどの魅力を感じることができないため今一つ、という印象はぬぐえず、のめり込んで読むとまではいきませんでした。

 

本書は父親のような船頭になることを夢見る娘の物語ですが、主役の桜子はついに一人前の猪牙舟の船頭としてデビューすることが許されます。

それも、北町奉行の小田切土佐守自らが少しでも世間を明るくしてほしいとの願いから、北町奉行直筆の木札を許されたというのでした。

しかしながら、近頃猪牙舟の船頭を狙う猪牙強盗(ぶったくり)が頻発していて、死人まで出ているため、素性が判明している贔屓筋の客だけを乗せることを条件に親方の許しも出たのでした。

そんななか、薬研堀にある香取流棒術大河内道場の道場主の孫の大河内小龍太は、桜子の身の安全を心配し、桜子の身を守ると行動を共にするのです。

 

猪牙強盗(ぶったくり)という明確な敵役が登場する本書であり、桜子とその師匠筋の小龍太との活躍が十分に描かれた物語で、痛快時代小説として軽く読める作品でしたが、やはり敵役の軽さは否めません。

桜子が一人前の船頭として認められたというのはいいのですが、それ以上の物語の展開がどうにも素直に受け入れられないのは、読み手の私の第一巻を読んだ際の大時代的な台詞回しへの不満などの先入観のためでしょうか。

でもそれだけが原因ではなく、先に述べたように主人公の桜子に感情移入するだけの魅力に欠け、またシリーズとしての意図が明確ではないということが本シリーズに対する印象の根底にあるのではないかと思っています。

 

とはいえ、佐伯泰英作品らしく物語の展開そのものの面白さは持っているので、単にストーリー、物語の展開だけを軽く読む、という点では普通だと言えると思います。

佐伯作品には『酔いどれ小籐次シリーズ』に出てくるクロスケのような犬が登場しますが、本書でも薬研堀にその名の由来を持つヤゲンという犬が登場し、物語にゆとりが与えられていたりします。

佐伯作品らしい物語世界の広がりをゆったりと感じさせる工夫などは施されていて、ストーリー展開を楽しむことができる作品ではあります。

 

 

最後にもう一点。

本書では、物語の前後にオランダのロッテルダムの情景が描かれ、一枚のフェルメール風の絵画についての語りが載っています。

これは、作者が現地で感じたことをそのまま取り込んだと書いてありましたが、本書だけを見るととってつけたような印象であまり意味が分かりませんでした。

ただ、次巻のタイトルを見ると『二枚の絵』であることを見るともっと具体的に何らかの絡みがあるのでしょう。

このことは、そもそもが作者の頭の中に浮かんできた一枚の絵の印象が本シリーズのモチーフになっているということなので、間違いのないことでしょう( 佐伯泰英 特設サイト :参照 )。

そうしたことも含めて次巻を期待したいと思います。

柳橋の桜シリーズ

柳橋の桜シリーズ』とは

 

『柳橋の桜シリーズ』は、父親のような船宿さがみの猪牙舟の船頭となって大川を行き来することを夢見る一人の娘を主人公とする痛快時代小説です。

初期の佐伯作品が好きな私としては特別取り上げて語るべき作品とまでは思えない近頃の佐伯作品であり、普通に軽く読める作品であって、それ以上のものではありませんでした。

 

柳橋の桜シリーズ』の作品

 

柳橋の桜シリーズ(2023年12月20日現在)

  1. 猪牙の娘
  2. あだ討ち
  1. 二枚の絵
  2. 夢よ、夢

 

柳橋の桜シリーズ』について

 

本『柳橋の桜シリーズ』の舞台は、両国橋の少し北の神田川と大川が合流するあたりに存在する「柳橋」と呼ばれている土地から始まります。

柳橋」とは一体の土地の名称でもあり、そこにかかる橋の名称でもあります。

ちなみに、「柳橋」のかかる神田川が合流する大川とは今の隅田川のことであり、詳しくは下記を参照してください。

呼び名は時代や場所により種々変化します。古くは千住大橋付近から下流が隅田川と呼ばれ、 上流が荒川や宮戸川と呼ばれていましたが、江戸時代に入ると更に吾妻橋から下流を大川とか浅草川と呼ぶようになりました。川のはなし – 東京都建設局

 

そしてこの物語の主人公はこの土地の「船宿さがみ」で働く船頭の広吉の一人娘の桜子で、幼いころから父親の姿を見て育った桜子は父親のような船頭になることを夢見ています。

また、この桜子は八歳の頃から薬研堀にある香取流棒術大河内道場に通っており、道場の跡取りである大河内小龍太を除いて敵う者はいないほどの腕前となっていたのです。

 

この桜子が、はれて猪牙舟の船頭となり、成長していく姿が描かれています。

しかし、その成長の過程では親しい者を亡くしたり、思いもかけない土地へ旅することになったりと、波乱万丈の未来が待っているのです。

 

ただ、各巻である絵に関する話題や異国人の会話などが少しずつ記してあるのですが、当初は何ともその意図が判りません。

そのうちに一枚の絵がある程度明確に物語に絡んでくるのですが、シリーズの前半ではそのことがあまり分からず、なんともシリーズ全体の印象が明確ではありません。

この点に関しては、作者自身がこのシリーズのモチーフとしてイメージしていたのが「一枚の異人画家の絵」だと言い、その絵が作者をオランダへと招いたというのです( 佐伯泰英 特設サイト :参照 )。

しかしながら、それが分かったからと言って本シリーズの焦点が明確ではないという印象が解消されることでもないのは残念でした。

 

さらに言えば、佐伯泰英の作品に共通する大時代的な、舞台演劇のような印象は変わりません。

そうあればこその佐伯作品とも言え一概に否定すべきものでもないのでしょうが、個人的には今では『居眠り磐音シリーズ』と名称を変えた、初期の『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』といった佐伯作品のような、もう少し気楽な作品の方が好みではあります。

ただ、まだシリーズ途中の印象ですので、最終巻の『夢よ、夢』まで読み終えたときに新ためての印象を書きたいと思っています。

追記:最終巻『夢よ、夢』を読み終えたところで、結局は上記の印象を変えることはできませんでした。

残念ながら焦点が発揮りしない作品だと言うしかありませんでした。残念です。

赤神 諒

赤神諒』のプロフィール

 

1972年京都市生まれ。同志社大学文学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、上智大学大学院法学研究科博士後期課程単位所得退学。私立大学教員、法学博士、弁護士。2017年、「義と愛と」(『大友二階崩れ』に改題)で第9回日経小説大賞を受賞し作家デビュー。他の著書に『大友の聖将』『大友落月記』『神遊の城』など。

引用元:赤神諒 | プロフィール | Book Bang -ブックバン-

 

赤神諒』について

 

名前も知らなかった作家さんですが、『はぐれ鴉』が第25回大藪春彦賞を受賞したという情報に接し、一度読んでみようと思った作家さんです。

化け者心中

化け者心中』とは

 

本書『化け者心中』は『化け者シリーズ』の第一弾で、2020年10月にKADOKAWAからハードカバーで刊行され、2023年8月に角川文庫から352頁の文庫として出版された長編のミステリー小説です。

江戸時代の文政期の歌舞伎の世界を舞台に、人間を食い殺してその人間に成り代わった鬼を探し出すという大変にユニークな作品で、一気にとりこになりました。

 

化け者心中』の簡単なあらすじ

 

ときは文政、ところは江戸。ある夜、中村座の座元と狂言作者、6人の役者が次の芝居の前読みに集まった。その最中、車座になった輪の真ん中に生首が転がり落ちる。しかし役者の数は変わらず、鬼が誰かを喰い殺して成り代わっているのは間違いない。一体誰が鬼なのか。かつて一世を風靡した元女形の魚之助と鳥屋を商う藤九郎は、座元に請われて鬼探しに乗り出すーー。第27回中山義秀文学賞をはじめ文学賞三冠の特大デビュー作!(内容紹介(出版社より))

 

化け者心中』の感想

 

本書『化け者心中』は、「鬼」というファンタジックな生き物を登場させていながらも、歌舞伎界の華やかさと役者の世界の人間臭い雰囲気に満ちた世界観を見事に再現し、ミステリアスな物語を作り上げた作品です。

驚くべきはその文章の見事さと同時に、中山義秀文学賞、第11回小説野性時代新人賞、第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞の三冠を受賞しているという事実であり、この作品がデビュー作だという作者の力量です。

 

本書『化け者心中』の魅力は、まずはその文章にあります。

本書冒頭には、狙いを定めた娘である“おみよ”の唇を奪う寸前、「ねうねう、にゃあう」と鳴く猫に邪魔をされて江戸弁で愚痴を言いながらもなお追いかける主人公の藤九郎の姿があります。

不思議なのは、その藤九郎に対しおみよが「信さん」と呼びかけていることです。この場面には藤九郎とおみよの他には誰もいそうもないのですが、おみよはしつこく「信さん」と呼んでいるのです。

こうして、小気味いい言葉に先を促されながら読み進めると、本書の本当の主人公である田村魚之介(たむらととのすけ)という元女形が登場し、藤九郎との関係と共に藤九郎が「信さん」と呼ばれている理由もすぐに判明します。

こうした導入部から物語の世界観の一端が示され、読者はこの作品世界に一気に引きずり込まれてしまうのです。

 

次に、本書『化け者心中』で展開される世界観の異様さもまた魅力的です。

歌舞伎役者たちの暮らす現世と、鬼という妖(あやかし)の棲む世とが共存している世界であり、物語としてはファンタジーともとれますが、本書をファンタジーとは呼ばないでしょう。

娘も含めた江戸っ子たちがこぞって真似をする、歌舞伎役者が身につけている簪や笄などの小物から帯や着物に至るまでの絢爛豪華な世界がある一方、鬼が食い尽くし中身が鬼と入れ替わった存在が共に暮らしている世界です。

こうした世界で鬼が成り代わっているのは誰か、魚之介と藤九郎との捜索が始まります。

 

そして、歌舞伎の世界で生きている役者たち、それも女形の役者たちの生きざまこそが本書の主眼です。

大坂と江戸との間の歌舞伎役者同士のつば競り合いもさることながら、役者個々人の存在感が圧倒な迫力をもって迫ってきます。

その中で、屋号を「白魚屋」といい、当代一の女形と謳われたものの、とある事件で両足の脛の半ばから下を失った田村魚之介と、「百千鳥」という鳥屋を営む藤九郎とが江戸随一の芝居小屋である中村座の座元の中村勘三郎に頼まれ探偵役となるのです。

 

つい先日、第169回直木三十五賞や第36回山本周五郎賞を受賞した永井紗耶子の作品『木挽町のあだ討ち』を読んだばかりです。

この作品も江戸の「悪所」と呼ばれている芝居町の「江戸三座」の一つである森田座を背景とした作品でした。

衆人環視の中で成し遂げられたある仇討ちについて、その裏側に隠された物語が次第にあぶり出されていくというミステリー仕立ての作品です。

 

 

その作品でも芝居の裏側について書かれていましたが、本書『化け者心中』はより役者、とくに、「女形」と呼ばれている人たちの生きかたについて描き出されています。

鬼という存在を取り上げてその存在を突き止めようとしていますが、その実、役者(とくに女形)という存在について掘り下げてあるのです。

 

本書『化け者心中』は、続編として『化け者手本』という作品があるそうです。

 

 

今のところ、この二作品だけのようですが、もしかするとそれ以上のシリーズ物として紡がれていくのかもしれません。

本書は「文学賞三冠の特大デビュー作」という謳い文句もすごいのですが、実際に接してみるとこの謳い文句以上の衝撃に襲われること必至です。

それほどに素晴らしい作品だと思います。

木挽町のあだ討ち

木挽町のあだ討ち』とは

 

本書『木挽町のあだ討ち』は、2023年1月に272頁のハードカバーで新潮社から刊行された長編の時代小説です。

第169回直木三十五賞や第36回山本周五郎賞を受賞した作品だけあって、一読して一気に虜になった作品でした。

 

木挽町のあだ討ち』の簡単なあらすじ

 

疑う隙なんぞありはしない、あれは立派な仇討ちでしたよ。芝居町の語り草となった大事件、その真相はーー。ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙は多くの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者という侍が仇討ちの顚末を知りたいと、芝居小屋を訪れるがーー。現代人の心を揺さぶり勇気づける令和の革命的傑作誕生!(内容紹介(出版社より))

 

木挽町のあだ討ち』の感想

 

本書『木挽町のあだ討ち』は、「木挽町の仇討ち」と呼ばれている事件について、複数の人物の証言によって新たな視点を与えようとする物語です。

具体的には、誰もが見事だったという衆人環視の中で成し遂げられた仇討ちについて、その裏側に隠された物語が次第にあぶり出されていくというミステリー仕立ての作品です。

 

この時代の江戸の町には、幕府から芝居興行を許されている芝居小屋が三つありました。堺町の中村座、葺屋町の市村座、そして本書の舞台となっている木挽町の森田座で、これを「江戸三座」といいます。

本書では、そのそれぞれに控櫓なるものも存在するなど詳しいことも説明してありますが、ここでは不要なので省略します。

江戸三座の歴史など詳しく知りたい方は、ウィキペディアや、「江戸時代の芝居町-木挽町と江戸歌舞伎 – edo→tokyo」などに詳しい説明があります。

 

重要なのは、芝居小屋が集められている芝居町が、色里である吉原遊郭とは別の芝居が好きな江戸の民の娯楽街でもあって、同様に「悪所」と呼ばれる場所だったということであり、この物語がそこで暮らす人々の物語だということです。

 

本書『木挽町のあだ討ち』の冒頭に、「鬼笑巷談帖」の中の一文として「木挽町の仇討」と題した文章が紹介されています。

睦月晦日の戌の刻に、赤い振袖を被き傘を差した若衆が、近寄ってきた博徒の作兵衛に対し名乗りを上げ、返り血で真っ赤に染まった白装束で作兵衛の首級を上げた、というのです。

本書は、この仇討の顛末を知りたいと森田座を訪れてきた十八歳になる若武者が、この仇討の目撃者に話を聞いて回る様子が描かれているのです。

 

その目撃者、つまりは語り部を登場順に挙げていくと、一人目が吉原で生まれ育ち、太鼓持ちとして生きていた末に森田座の呼び込みとして生きている木戸芸者の一八でです。

二人目が相良与三郎という浪人者です。与三郎が十八の頃に通っていた道場主や父親が、仕官のために悪を見逃せといったことに絶望し、放浪の末に森田座での立師という居場所を見つけたのです。

三人目は芳澤ほたるです。火葬場の穏亡であった過去を持っていましたが、初代の芳澤ほたるに助けられて芝居小屋で仕事をするようになり、初代芳澤ほたるからその名を譲り受けたものです。

四人目は芝居の小道具を作る、「阿吽の久蔵」と言われるほど寡黙な久蔵とその妻のお与根です。

五人目は旗本の次男坊だった篠田金治という戯作者です。遊んでいても食う寝るところに困ることはない自分の生き方に疑問を抱き、上方へ行って並木五平に弟子入りをして筋書となった人物です。

 

前述のとおり本書『木挽町のあだ討ち』は、ある聞き取り人がいて、その人物の問いに対して章ごとに答える人が変わっていく、という構成になっています。

それは浅田次郎の『壬生義士伝』の構造そのままです。

ただ、本書の場合、聞き取り人(インタビュアー)は質問に応えている人自身の来歴まで知りたがっていて、それは異なるところです。

その相違点はそのままに本書全体の構成へと繋がっていき、『壬生義士伝』では、複数の人物の話を聞くことで主人公の吉村貫一郎という人物像を浮き上がらせていきますが、本書の場合、木挽町で行われた仇討ちの実相を明らかにしようするミステリーになっているのです。

 

 

多視点の物語としては、浅田次郎には『赤猫異聞』など少なくない作品がありますが、他の作家にも松井今朝子の『吉原手引草』や、木内昇の『新選組 幕末の青嵐』などがすぐに思い浮かびます。

 

 

一方、本書の背景となっている芝居関連の作品にも読みごたえのある作品が多くあります。

上に挙げた『吉原手引草』』は吉原の生活を詳しく描き出した作品ですが、同じ松井今朝子の『道絶えずば、また』を完結編とする『風姿花伝三部作』なども歌舞伎の世界を描き出した作品で、非常に面白く読んだ作品でした。

 

 

そうした小説手法はともかく、本書『木挽町のあだ討ち』が語り手個人の来歴まで語ることによって、当時の時代背景や庶民、そして侍の暮らしなども描き出し、加えて芝居の魅力についてまで浮かび上がらせている点は魅力的です。

さらに言えば、当たり前でもありますが、それぞれの語りが見事な人情短編にもなっている点に個人的には惹かれます。

例えば第一章の物語は、廓に生まれ育ち、生き抜いていく一八に対し、幇間の師匠の左之助が「ここにいたらお前さんはお前さんの胸の内を見捨てることになっちまう」とかけた言葉に表されているように、上質の人情物語になっているのです。

 

そうした物語が集まって、全体としてミステリーを構成しているのですから面白い筈です。

ただ、このミステリーとしての本書は途中で何となくその意図が判ります。しかし、そのことは本書の面白さに何の影響も与えません。

それは、本書の謎の細かなところまでが判明するわけでもないこと、それに最後に明らかになる謎は読み手のもう一段上を行っていること、などにあるからでしょう。

 

著者の永井紗耶子は、『女人入眼』も167回直木賞の候補作となっていたのですが、本書『木挽町のあだ討ち』で第169回直木賞を受賞されました。

以前も面白い作家さんが登場してきたと思ったのですが、近頃面白いと思った青山文平砂原浩太朗といった私好みの時代小説作家作家さんたちに新たに一人加わったと考えてもいいのかもしれません。

 

霜月記

霜月記』とは

 

本書『霜月記』は、2023年7月に講談社から284頁のハードカバーで刊行された長編の時代小説です。

「神山藩シリーズ」の三作目であって、親子三代にわたって町奉行職を継ぐ親子の物語ですが、砂原浩太朗のこれまでの作品の中ではストーリーの面白さには欠ける部分があるかと思います。

 

霜月記』の簡単なあらすじ

 

18歳の草壁総次郎は、何の前触れもなく致仕して失踪した父・藤右衛門に代わり、町奉行となる。名判官と謳われた祖父・左太夫は、毎日暇を持て余す隠居後の屈託を抱えつつ、若さにあふれた総次郎を眩しく思って過ごしている。ある日、遊里・柳町で殺人が起こる。総次郎は遺体のそばに、父のものと似た根付が落ちているのを見つけ、また、遺体の傷跡の太刀筋が草壁家が代々通う道場の流派のものではないかと疑いを持つ。さまざまな曲折を経て、総次郎と左太夫はともにこの殺人を追うことになるが、果たして事件の真相と藤右衛門失踪の理由とは。(「BOOK」データベースより)

 

霜月記』の感想

 

本書『霜月記』は、『高瀬庄左衛門御留書』『黛家の兄弟』に続く、砂原浩太朗の「神山藩シリーズ」の第三弾目となる作品です。

あいかわらずにこの人の文章はとても読みやすく、心に迫るものがあります。

場面ごとの背景描写が非常に落ち着いた筆の運びと結びついて物語の印象を優しいものとし、人物の心象を表現するための情景描写ともあいまって落ち着いた読書ができるのです。

そうした静謐な文章は、藤沢周平や近年で言えばを葉室麟などの文章を思い出させるものでもあるのですが、何よりも自分を律し生きていくことを常とする侍の生き方そのものに結びついているような気がします。

そのような文章が、時おり挟まれる箴言めいた言葉と相まって心に残るものとなっているのでしょう。

 

本書『霜月記』は神山藩にあって代々家職の家老職を継いできた草壁家の物語であり、なかでも十年ほど前まで長きに渡って町奉行をつとめた佐太夫とその孫の総次郎を中心とした物語になっています。

具体的には、項が変わるごとに佐太夫と総次郎との二人の視点が変化していくなかで、総次郎の父草壁藤右衛門が、周りが知らないうちに隠居届を出し失踪した事実が明らかになっていきます。

何もわからないなかで町奉行職を継いだ総次郎は、名奉行と謳われた祖父佐太夫もあまり相談相手にならないままに慣れない奉行職を継いでいくのです。

そんななか起きた一件の殺人事件が失踪した父藤右衛門への疑惑を呼び、さらに父の失踪の理由などの謎が提示されます。

こうして、総次郎と佐太夫という現職と元職の町奉行が互いに力を合わせて父の、そして息子の失踪の謎と、神山藩の派閥の争いに巻き込まれていくのです。

 

ただ、本書は親子三代にわたって町奉行職を継ぐ親子の物語であり、「神山藩シリーズ」の三作目となる作品ですが、砂原浩太朗のこれまでの作品の中では書き込みが少し足りなく感じられ、またストーリーがこじんまりとした印象です。

例えば、主人公の総次郎は若干十八歳にして町奉行職を継ぐことになりますが、その町奉行という職務に就いた総次郎の戸惑いが今一つ伝わってきません。

いや、唐突に裁きの場で判断を下さなければならない総次郎の様子を描写してはあります。しかしながら、その苦労が今一つ分かりにくく感じたのです。

 

同じことは、総次郎の幼馴染の日野武四郎についても言え、よく分からない性格のまま、総次郎を随所で助け、総次郎の力になります。

この物語の中で結構重要な位置を占めているにもかかわらず、結局はあまりその人となりが分からないままに終わった感じです。

 

これらの登場人物の曖昧なあり方のまま、物語は冒頭に起きた殺人事件の影に隠された真実を探るための総次郎や佐太夫の姿が描かれていきます。

ただ、どうしてもこれまでの他の二作に比べ、その謎が小ぶりです。

作者砂原浩太朗の紡ぎ出す物語として、大きなテーマであるあるべき親子の姿を描く作者の文章の美しさ、巧みさ、情景描写のうまさなど、長所はいくらでもあげることはできます。

しかしながら、どうしても作品全体の印象が小ぶりに感じてしまったのですが、本書に対する多くの感想は賛辞であり、私のような印象はあまりないようです。

私も本書を読むことを勧めることはあっても否定するものではありません。十分な面白さを持っている作品であることに反対するものではないのです。

それどころか、是非読んでみることをお勧めします。

付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女

付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女』とは

 

本書『付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女』は『付添い屋・六平太シリーズ』の第六弾で、2023年4月に274頁の文庫本書き下ろしで刊行された、連作短編の痛快時代小説集です。

 

付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女』の簡単なあらすじ

 

冬空の下、浪人の秋月六平太は若党に扮して笹郷藩主登城の行列に加わっていた。かつて信州十河藩の警固役だった身としてほろ苦い思いに浸る中、突如現れた曲者たちの襲撃に遭う。藩主は難を逃れたものの、立ちはだかった六平太には影が付きまといはじめる。そんなある日、巣鴨で娘が髪を切られる事件が。最初に起こった品川から四件目だが、娘に怪我を負わせるわけでもないという。下手人の意図が気になる六平太が毘沙門の親方・甚五郎に相談すると、四つの事件には意外な繋がりがあると分かり…。六平太最愛の女に危機が迫る、王道の人情時代劇第十六弾!(「BOOK」データベースより)

第一話 日雇い浪人
天保四年の冬、笹郷藩主の登城の列に加わるため、若党に扮していた六平太。乗り物とともに御成街道を進んでいると、不意に幾つかの黒い影が飛び出し、行列を襲いはじめた。立ちはだかった六平太に、曲者は引き上げていったものの……。
第二話 髪切り女
品川で娘が髪を切られる事件が起きてから、ひと月半。巣鴨で四件目となったが、怪我を負わせるわけでもないという。いまだに手掛かりを得られない下手人の意図が気になる六平太が、毘沙門の親方・甚五郎に話を振ってみると意外な繋がりが……。
第三話 内輪揉め
「市兵衛店」で夫婦喧嘩が! やきもち屋のお常は、天気が悪いのに仕事に行くと言ってきかない大工の夫・留吉が、若い女とできてい円熟の第16弾!ると疑って引かないのだ。六平太が留吉に事情を聞くと、仕事先で妙なものを見つけてしまい、気になっているという。
第四話 春待月
六平太は『飛騨屋』の主・山左衛門の相談に乗っていた。店の養子を決めたと言うが、お登世の婿としてではないらしい。独身娘の集まり『いかず連』はどうなるのか? 翌日、六平太の恋仲のおりきが行方れずに。笹郷藩の行列を襲った者が怪しいが。(内容紹介(出版社より))

 

付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女』の感想

 

本書『付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女』での巻を通してのエピソードは、「第一話 日雇い浪人」での笹郷藩主登城の際の襲撃事件に関する話です。

この襲撃事件の裏にあった笹郷藩内での派閥争いに巻き込まれた秋月六平太が、その剣の腕を見込まれて派閥の双方から助力を頼まれ、また反感を買うことになります。

そこで六平太に最後までつきまとう武士として笹郷藩江戸屋敷の徒歩頭である跡部与四郎という角ばった顔の侍が配置されています。

藩主の命を救った六平太ですから、感謝されることはあっても恨みを買うことはないはずですが、そこが主持ちの武士の融通の効かないところであり、厄介なところでした。

 

前巻『河童の巻 噛みつき娘』の項で書いたように、本書『犬神の巻 髪切り女』でも魅力的な主人公とその周りの人々の人情話が語られています。

第一話 日雇い浪人」は前述したように主持ちの武士の融通の利かない振る舞いについての話でしたが、第二話「第二話 髪切り女」は近頃江戸の町で起きている娘が髪を切られるという事件の顛末です。

四谷にある相良道場で久しぶりに道場で顔を合わせた北町奉行所同心の矢島新九郎と汗を流した後に、娘が髪を切られるという事件が起きているという話を聞きます。

その後、この事件は「いかず連」の登勢お千賀らへと伝わり、彼女らも巻き込んで展開するのでした。

第三話 内輪揉め」は、「市兵衛店」に住む留吉お常夫婦の物語です。

お常が、近頃留吉がため息ばかりをついているため留吉に女ができたと思い込み、夫婦仲が険悪になっていると聞いて、二人の間に入り話を聞いた六平太でしたが、話しは意外な方向へと向かいます。

第四話 春待月」は、これまでの三話それぞれの総仕上げのようになっていて、本シリーズにしては珍しい構成です。

つまり、留吉とお常の夫婦にはお礼として届き、また「飛騨屋」の主の山左衛門からは店のために養子を決めたと聞かされます。そんなとき、おりきが行方不明になったとの知らせが届くのでした。

 

前にも書いたように、本書『付添い屋・六平太 犬神の巻 髪切り女』ではシリーズを通した大きな敵はいませんし大きな出来事もありません。

秋月六平太という素浪人の日々の生活が描かれていくだけであり、ただ、付添人である六平太の周りには人より揉め事が多く存するというだけです。

そこに痛快時代小説としてのネタがあるわけですが、若干派手さが欲しいという気がしないでもありません。

本書も、そうした流れの中に普通に位置づけられる作品だと思います。

ただ、そういう声が聞こえたのか、本書の終わりにちょっとした出来事が用意してあり、次巻へと続きますので、続巻を待ちましょう。

ごんげん長屋つれづれ帖【六】-菩薩の顔

ごんげん長屋つれづれ帖【六】-菩薩の顔』とは

 

本書『ごんげん長屋つれづれ帖【六】-菩薩の顔』は『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の第六弾で、2023年3月に276頁の文庫本書き下ろしで刊行された、連作の短編小説集です。

シリーズ六冊目ともなると読み手の目も厳しくなったのか、その物語展開に、若干ですが面白味を感じなくなってきました。

 

ごんげん長屋つれづれ帖【六】-菩薩の顔』の簡単なあらすじ

 

お勝たちの隣に住まう足袋屋『弥勒屋』の番頭治兵衛。二十六夜待ちで月光の中に菩薩様のお姿を見たと言ってご機嫌だったはずのこの男が、ここ数日浮かぬ顔をしているという。『弥勒屋』の主の徳右衛門から話を聞いたお勝は仕事帰りに店の前を通りかかるが、そこで船頭姿の若者と揉めている治兵衛の姿を目にしてー。くすりと笑えてほろりと泣ける、これぞ人情物の決定版。時代劇の超大物脚本家が贈る、大人気シリーズ第六弾!(「BOOK」データベースより)

 

第一話 貸家あり
お勝の住む「ごんげん長屋」の空き家に三、四日寝泊まりすると挨拶に来た米助という男が、その夜長屋の決まりや近隣の様子などを聞く集まりをするといってきた。そこに八卦見のお鹿が、あの米助は以前はキンジと呼ばれていたという話をするのだった。

第二話 鶴太郎災難
七月十六日の盆の送り火を済ませた長屋に、十八五文の薬売りの鶴太郎を訪ねて神田の目明しの丈八親分と南町奉行所の同心の佐藤利兵衛がやってきた。鶴太郎が売った薬で死人が出たというのだ。死んだのは神田須田町二丁目の乾物屋「栄屋」の主の丹治だという。

第三話 身代わり
七月下旬のある日お勝は医者の白岩導円から、導円の屋敷の女中のお玉が身籠ったという相談を受けた。相手は備中国から江戸に来て導円の屋敷に寄宿している祐筆の中村権十郎だという。問題は、中村には国許に妻女と二人の子がいるということだった。

第四話 菩薩の顔
ある日、足袋屋「弥勒屋」の主の徳右衛門が、この頃番頭の治兵衛の様子がおかしくはないか、と<岩木屋>のお勝を訪ねてきた。お勝は、治兵衛が自分が二十六夜待ちの夜に自分が見た菩薩は「常光寺」で見た阿弥陀如来像の脇に立つ勢至菩薩像に間違いない、と言ってきたことを思い出していた。

 

ごんげん長屋つれづれ帖【六】-菩薩の顔』の感想

 

本書『ごんげん長屋つれづれ帖【六】-菩薩の顔』は、これまでと変わらない四編の連作の短編小説からなる人情小説集です。

本『ごんげん長屋つれづれ帖シリーズ』の基本的な流れである主人公のお勝のおせっかいぶりもいつも通りで、さまざまな事柄に首を突っ込っ込まずにはおれないお勝の姿が描かれています。

前巻で書いた本シリーズの何となくの物足りなさ、も残念ながら本書でも何らの変更もありません。

これまでと変らずに、今一つ心に迫るものがないままに終わってしまった作品でした。

 

第一話 貸家あり」では、本書の主な舞台となるごんげん長屋の一軒だけ空いている貸家についての話です。

この話については、あまり書くこともないほどでした。七夕や七月十日の四万六千日などの季節の行事についての記述はあるものの、出来事自体は特に語るべきものはありません。

貸し家を借りに来た人物についての話ですが、その顛末があまりに都合がよすぎ、何とも言いようもない話としか言えません。

 

第二話 鶴太郎災難」は、ごんげん長屋の住人である十八五文の薬売りの鶴太郎に関する話です。

神田須田町二丁目の乾物屋「栄屋」の主の丹治が薬物により亡くなったが、その薬物というのが鶴太郎の売った薬らしいというのでした。

この話も事件自体は特別なことは無く、その後の展開も取り立てて言うべきこともありません。

 

第三話 身代わり」は、お勝が日頃世話になっている医者の白岩導円に絡んだ話です。

導円の屋敷の女中のお玉が身籠ったというのですが、その相手とされた侍の振る舞いが何とも気にかかる振舞でした。

読む人にとっていろいろな感想が出てくる話ではなかったでしょうか。

 

第四話 菩薩の顔」は、ごんげん長屋の住人である治兵衛についての話です。

自分が夢で見たのは「常光寺」にある阿弥陀如来像の脇に立つ勢至菩薩像に間違いないという治兵衛の、来歴が明らかにされます。

この話は、人情物語としてそれなりに読みがいがある物語でした。

猪牙の娘 柳橋の桜

猪牙の娘 柳橋の桜』とは

 

本書『猪牙の娘 柳橋の桜』は『柳橋の桜シリーズ』の第一弾で、2023年6月に文春文庫から刊行された長編の痛快時代小説です。

佐伯泰英の最近の作品にある女性が主人公となった全四編というミニシリーズですが、個人的には今一つ感情移入できない作品でした。

 

猪牙の娘 柳橋の桜』の簡単なあらすじ

 

吉原や向島などへ行き交う舟が集まる柳橋。神田川と大川が合流する一角に架けられていたその橋の両側には船宿が並び、働く人、遊びに行く人で賑わっていた。柳橋の船宿さがみで働く船頭の広吉には一人娘がいた。名前は桜子。三歳で母親が出奔するが、父親から愛情を受けて育ち、母譲りの器量よしと、八歳から始めた棒術の腕前で、街で人気の娘となる。夢は父親のような船頭になること。そんな桜子に目を付けた、船宿の亭主による「大晦日の趣向」が、思わぬ騒動を巻き起こしー。(「BOOK」データベースより)

 

猪牙の娘 柳橋の桜』の感想

 

本書『猪牙の娘 柳橋の桜』は、船頭になることを夢見ている一人の娘の奮闘記です。

ここで市井の人情ものの時代小説ではよくその名を聞く「柳橋」とは、神田川が大川へと流れ込む土地の名前であり、神田川に設けられた橋の名前でもあります。

近くに両国広小路が控えていることもあり、船宿が増え、花街として繁栄したそうで、本書の主人公の父親も柳橋の船宿「さがみ」で船頭として働いています。

 

柳橋」という地名からは、個人的にはすぐに山本周五郎の『柳橋物語』を思い出していました。

『柳橋物語』は山本周五郎の市井ものに分類される、ただ自分の心を信じて不器用に生き抜いていくおせんという娘の話です。

 

本書『猪牙の娘 柳橋の桜』の主人公桜子は、柳橋の「船宿さがみ」で船頭を務める広吉の娘です。

桜子が三歳の時に母親は男と共に出ていき、父親の乗る猪牙舟と共に育ちました。

母親の美しさを受け継いだ桜子は、父親の愛情のもと、寺子屋を営む横山向兵衛の娘で背は低いけれども才女のお琴こと横山琴女を友として、人気の娘として明るく育っていました。

十二歳となった桜子はそこらの大人と比べても背が高くなっており、娘の将来を心配する広吉に対し、自分の夢は父親のような船頭になることだといいます。

また、桜子が八歳のことから通っていた薬研堀にある棒術道場の道場主の孫である大河内小龍太もまた桜子の支援者の一人となっています。

この棒術は、いざ桜子が船頭として船を操るときも桜子の船頭の腕の上達に役立っていたのでした。

そんな桜子が船頭として、お琴とお琴の従妹で刀の砥師で鑑定家の相良謙左衛門泰道の息子の相良文吉、それに小龍太との都合四人を乗せての舟遊びの帰り、ちょっとした事件に巻き込まれてしまうのです。

 

新しいシリーズが始まるのは佐伯泰英ファンとして実に喜ばしいことですが、本シリーズのようなミニシリーズは微妙なところがあります。

本書の場合でいうと、確かに主要なキャラクターはそれなりに立っていて面白さを感じますが、どうにも『居眠り磐音シリーズ』のようなシリーズと比べると今一つ乗り切れません。

でも、『居眠り磐音シリーズ』は佐伯泰英の作品の中でも一番の人気シリーズなので、そういうシリーズと比べること自体がおかしいのでしょう。

ただ、桜子たちが舟遊びの途中で遭遇する火事騒ぎなど、全四巻という短いシリーズの第一巻である本書で桜子たちを紹介するエピソードとしても、とってつけたとの印象があり、何となくシリーズとしての弱さを感じたのだと思います。

 

そういえば、佐伯泰英が娘を主人公にしたミニシリーズとして『照降町四季シリーズ』(文春文庫全四巻)がありました。

そしてこのシリーズでは「期待が高すぎた」との心象を書いています。もしかしたら本シリーズでも同様のことが言え、当方の期待が高すぎたと言えるのかもしれません。

 

 

ついでに、もう一点不満点を書いておきますと、佐伯泰英の作品に共通して感じる台詞の大時代的な言いまわしがやはり気になります。

如何に侍の子とは言え、老成した印象緒のそのしゃべり方はどうにも素直には受け入れることができないのです。

とはいえ、やはり読み物としての面白さはありますので、続巻を楽しみに待つことになる作品でした。