廓遊びを知り尽くしたお大尽を相手に一歩も引かず、本気にさせた若き花魁葛城。十年に一度、五丁町一を謳われ全盛を誇ったそのとき、葛城の姿が忽然と消えた。一体何が起こったのか?失踪事件の謎を追いながら、吉原そのものを鮮やかに描き出した時代ミステリーの傑作。選考委員絶賛の第一三七回直木賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
傾城吉原を舞台にした時代ミステリーでありながらタイトルのままに吉原の手引書にもなっている、第137回直木賞を受賞した長編の時代小説です。
近時読んだ作品の中では一、二を争う作品だと感じました。
一人の男が吉原の引き手茶屋の内儀に聞き取りをしている場面から始まります。
吉原の町並みの説明から、吉原で遊ぶ際の手順、しきたり等が内儀の口から語られ、最後に葛城花魁のことを聞きだそうとするところで見世を追い出されます。
次の章は、大籬(おおまがき)の舞鶴屋の見世番である寅吉の話です。大籬とは大手の妓楼のことであり、魁道中を行うような花魁を抱える見世のことを言います。
この章では、具体的に見世に上がってからのしきたりなどが語られ、最後に葛城花魁のことを尋ねて終わります。
その次は同じ舞鶴屋の番頭の話があり、そしてその次には舞鶴屋抱え番頭新造の話と次から次に聞き取りの相手が変わっていきます。
各章がすべて、聞き取り相手の語り、という体裁で進んでいきます。聞き取りをしている人物の言葉は一言もありません。ただ、相手が一人でしゃべるのみです。
このおしゃべりの間に、花魁の葛城の起こしたとある事件について調べているのだとわかってきます。それでも何故そのような聞き取りをしているのかは不明なのです。
こうした聞き取り形態の小説としては、浅田次郎の『壬生義士伝』が思い浮かびます。子母沢寛を思わせる聞き取り手に対し、相手が新撰組に関する思い出を語っていく、という形式は一緒です。
しかし、本書ではミステリーとしての要素がかなり強い点が異なります。勿論、新撰組と吉原という異なる世界の物語という点も違いますが。
読み始めは、ひたすら一人称の語りを聞くだけという体裁に加え、何を聞いているのかも分からないので、読み手は若干の欲求不満がたまっていきます。
それでも、吉原という江戸時代でもっとも有名な地名のひとつでありながら、その内実をほとんど知らない「吉原」という不思議空間についての知識が与えられることで、なんとかついていく印象です。
しかし、途中から吉原についてのトリビア的知識に加え、葛城花魁が起こしたという事件についての謎に関心が移っている自分に気づかされます。
終わり方になり、語り手の一人が「吉原は虚実ない交ぜた駆け引きの世界であり、その駆け引きこそが面白い」と言い切ります。
最後の章「詭弁 弄弁 嘘も方便」の章では全ての種明かしがなされます。
ミステリーとしてこうした手法が評価されるのかどうかは私には分かりませんが、久しぶりに「意外性」という意味で面白い小説に出会ったと思いました。
吉原についての情報と同時に、それをミステリーとして仕上げたその手法には、ただ感じいるばかりでした。