辻堂 魁

夜叉萬同心シリーズ

イラスト1
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本書『夜叉萬同心 風雪挽歌』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第七弾の長編の痛快時代小説です。

定町廻り同心に取り立てられたばかりの萬七蔵と、その八年後の隠密廻り同心になっている萬七蔵とが描かれています。シリーズの中では若干ですが個性に欠ける作品という印象でした。

 

北町奉行が異例の若さで定廻り同心に抜擢したのは、萬七蔵、三十五歳。袖の下を使った出世だと噂が広がる中、深川の貸元が何者かに殺害される。あと一歩まで下手人を追い詰める七蔵だったが―。まだ夜叉萬と呼ばれる前の七蔵が取り逃がした凶悪な男と再び対決。侍の世の不条理と、敵への憐憫と、人の心に巣くう何かをも斬る。夜叉萬の始末が胸を抉る傑作小説。(「BOOK」データベースより)

 


 

序 洲崎
北町奉行所の年番方の古参与力の殿山竜太郎の供侍である若侍は、洲崎の平野川にかかる平野橋のたもとで大島町の貸元の岩ノ助の首をはね、船饅頭の船で去っていった。

第一章 三一侍
岩ノ助の件は、七蔵が三十五歳で北町奉行所の定町廻り方になった夏の出来事だった。目撃者はなく、骸の発見者は近くに船饅頭を一艘見かけたという。その後、首を斬られた猫が見つかり、犯人は北御番所の殿山さまの奉公人の田島享之介らしいとの噂がたった。

第二章 十五夜
紀州家下屋敷内での月例の句会からの帰り、紀州家御用達の菓子屋・檜屋の番頭の羽左衛門は、享之介に出逢い首を落とされてしまう。その享之介は、夜分の抜け出しを咎められ、また賭場での遊びを同心に見つかり辱めを受けたことなどから次第に追い詰められていく。

第三章 上州無宿
七年の後、中山道鏑川の河原でのヤクザの出入りで、負けそうな一家が一人の男の活躍で勝ちを得た。岩ノ助の事件から八年後、今では隠密廻りの四十七歳となっていた七蔵は、主らを斬り出奔していた享之介が八州の無職渡世となっていると聞き、嘉助らを連れ現地へと行く。

第四章 地の果て
お桑と忠治がここらを縄張りにする百右衛門の世話で営んでいた「お宿 竹屋」に享之介が訪れていた。そこに、萬七蔵らの捕り方が現れ、百右衛門も捕り方の一員として「竹屋」を襲うのだった。

結 箱崎まで
箱崎の堤道の先にある永久橋あたりへ来た七蔵は、享之介の産みの母に享之介のことを知らせるべきか迷っているのだった。

 

本書『夜叉萬同心 風雪挽歌』では、未だ夜叉萬と呼ばれる前の若かりし頃の萬七蔵の姿が描かれ、七蔵の手下を務める嘉助との関係などもはっきりと書かれています。

そして、その時の事件が未解決のままに、隠密同心になり夜叉萬と呼ばれるようになった八年後の萬七蔵がその事件の決着をつけるのです。

 

そうした七蔵の過去の出来事、とくに嘉助との付き合いなどについての描写はファンにとっては関心事であり、楽しみに読める事柄です。

しかしながら、本書『夜叉萬同心 風雪挽歌』の物語としての面白さとしては、先にも書いたように辻堂魁の作品の中では平凡な作品としか思えませんでした。

それは一つには、敵役としての田島享之介にそれほどの魅力がないということにあると思えます。

享之介のキャラクターが暗いこともありますが、決して明るくはない痛快時代小説の設定としては特別なものではないでしょう。

幼いころから水呑百姓の子として育っていたものの、無理やり母親と引き離された、後に享之介となる正吉の哀しみに満ちた暮らしの描写も心に響くものではなかったのです。

 

また、殿山竜太郎が約束を破って享之介を使用人の子として育てた理由もよく分からず、、粗さばかり目立ち、違和感が残ります。

剣の腕は尋常ではないものを持っていながら報われることはなく、日々鬱屈を抱え生きている男が、ついには耐えかねて暴発してしまう、ただそれだけの物語なのです。

そこに田島享之介の人間性などについては、ただ鬱屈を抱えていたというだけであり、猫の首をはねるなどの異常性を見出すだけです。

もちろん、幼くして母親から引き離され、使用人の子として育てられるという過去については書いてありますが、それ以上のものではありません。

 

ただ、萬七蔵の若かりし姿や定町廻り同心になり立ての頃などの描写は楽しく読めました。

先に書いたように、若い七蔵の描写に合わせて、嘉助の八年前の姿も描写してあり、シリーズ物としての面白さはあります。

結局、本書『夜叉萬同心 風雪挽歌』は辻堂魁の描く痛快小説としては普通だった、という他ありませんでした。

 

ちなみに、「第一章 三一侍」の「三一」とは、「三両一人扶持」という安い給料を意味します。

時代劇でよくヤクザが侍に「サンピン」と呼びかけるように、身分の低い武士を卑しんでいう言葉です。

詳しくは

などを参照してみてください。

[投稿日]2020年11月03日  [最終更新日]2020年11月3日
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