コミカルな味付けですが正統派の時代小説です。
川止めで途方に暮れている若侍、伊東七十郎。藩で一番の臆病者と言われる彼が命じられたのは、派閥争いの渦中にある家老の暗殺。家老が江戸から国に入る前を討つ。相手はすでに対岸まで来ているはずだ。木賃宿に逗留し川明けを待つ間、相部屋となったのは一癖も二癖もある連中ばかりで油断がならない。さらには降って湧いたような災難までつづき、気弱な七十郎の心は千々に乱れる。そして、その時がやってきた―。武士として生きることの覚悟と矜持が胸を打つ、涙と笑いの傑作時代小説。(「BOOK」データベースより)
藩で一番の臆病者とされる主人公の伊東七十郎は、専横を極める藩の重鎮への刺客として選ばれます。しかし川止めにあい、暗殺すべき相手を木賃宿で待つ間、うさんくさいその同宿の百姓や旅人達の話を聞くうちに、自らの使命を明かしてしまいます。
そして、川止めが開け、狙いとする相手が現れますが、七十郎は意外な行動に出るのでした。
臆病な若者が主人公でなんの取り柄もないという設定は、実にありがちな設定で、読んでいくうちにあらすじが何となく見えてくるほどです。しかし、それでもあまり不快感を感じずに最後まで読み通してしまいました。
どちらかといえば、物語の面白さというよりもこの作者はどのように決着をつけるのだろうか、という気持ちの方が強かったように思います。藤沢周平の作品ような余韻は感じず、また、山本周五郎の『深川安楽亭』という作品で感じたような一場面ものの感動も残念ながらありませんでした。
しかし、時間をおいてあらためて思い起こしてみると、余韻が無いという感想は、読み手である私の直木賞作家の重厚な作品という先入観から来る勝手な思い込みであって、全体的に見ればそれこそが作者の狙いだったのかもしれないと思うようになりました。
事実、ベタな設定ではあっても爽やか読後感は残ります。他に葉室麟の何冊かの作品を読んだ後では、逆に本書は葉室凛という作者にしては軽めの作品として位置づけられると思うようになってきたのです。
また、葉室麟の作品群の中で、本書のようにユーモラスな味を持った作品はそうは無く、私が読んだ範囲では『あおなり道場始末』という作品があるくらいでしょうか。
そういう意味では貴重な作品と言えるのかもしれません。