安壇 美緒

安壇美緒』のプロフィール

 

1986年北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。著書に、北海道の女子校を舞台に思春期の焦燥と成長を描いた『金木犀とメテオラ』がある。2022年『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、2023年同作で第25回大藪春彦賞、第20回本屋大賞第2位を受賞。

引用元:集英社 文芸ステーション

 

安壇美緒』について

 

『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を、『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、第25回大藪春彦賞を受賞し、さらに第20回本屋大賞で第2位となっています。

 

ラブカは静かに弓を持つ

ラブカは静かに弓を持つ』とは

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』は、2022年5月に312頁のソフトカバーで刊行された長編の音楽小説です。

第25回大藪春彦賞を受賞し、2023年本屋大賞で第2位になるなどの高い評価を受けた作品で、心に沁みる感動作でした。

 

ラブカは静かに弓を持つ』の簡単なあらすじ

 

少年時代、チェロ教室の帰りにある事件に遭遇。以来、深海の悪夢に苦しみながら生きてきた橘樹は勤務先の全日本音楽著作権連盟の上司・塩坪から呼び出され、音楽教室への潜入調査を命じられる。目的は著作権法の演奏権を侵害している証拠を掴むこと。身分を偽り、チェロ講師・浅葉桜太郎のもとに通い始めるが…少年時代のトラウマを抱える潜入調査員の孤独な闘いが今、始まる。『金木犀とメテオラ』で注目の新鋭が想像を超えた感動へと読者を誘う、心震える“スパイ×音楽”小説!(「BOOK」データベースより)

 

ラブカは静かに弓を持つ』の感想

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』は、かつてチェロに親しんだサラリーマンが仕事で音楽教室へ通い、チェロを学び直す姿が描かれた長編小説です。

ただこのサラリーマンは、音楽教室を運営する会社の著作権侵害を調査するために送り込まれていた人物だったことから、その職務とチェロ演奏や講師との人間関係などで苦悩することになるのです。

この話は現実にあった訴訟事案をもとにしており、そこらの経緯は日経クロステックのサイトに詳しく解説してありますので、感心のある方は下記サイトをご覧ください。

 

主人公のサラリーマンはその名を橘樹といい、上司から楽器や音響機器の製造販売を行っているミカサ株式会社が経営する音楽教室へ通い、潜入調査をするようにと命じられます。

つまり、ミカサ株式会社が中心となっている「音楽教室の会」が全日本音楽著作権連盟の著作権料徴収の方針に反対し、音楽教室での演奏には著作権が及ばないとして訴えを起こすため、それに備え管理楽曲の不正利用の現場を押さえたいというのでした。

たしかに橘は幼いころチェロを学んでいた時期もありましたが、とある事件がトラウマとなり、以来チェロに触ることはなくなっていたのです。

ミカサ音楽教室へと通い始めた橘にはハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽院を卒業した浅葉桜太郎が講師としてつくことになり、橘のスパイとしての生活が始まるのでした。

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』の広告には「スパイ×音楽」小説というキャッチフレーズがつけられています。

しかし、「スパイ」という文句があてはまるほどのサスペンス感が本書にあるわけではありません。

「音楽」小説であることは全くその通りですが、「スパイ」が直接にインテリジェンス小説を意味するとまでは思わないにしても、本書の場合は「潜入捜査」という言葉でさえも大袈裟に思えます。

というのも、主人公の使命は何かを探り出すということではなく、単に自分が与えられた練習曲が版権対象曲かどうかを確認するにすぎないからです。

「スパイ」行為を取り上げるよりも、主人公の橘とその講師である浅葉との心の交流こそが主眼であるというべきではないでしょうか。

 

また、例えば恩田陸の本屋大賞、直木賞両賞同時受賞作品である『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫 全三巻)などのように正面から音楽を描く作品でもありません。

チェロという楽器を通して音楽を表現し、主人公の心象を表現することはあります。しかし、音楽そのものがテーマではなく、主人公の心のあり方の変化こそが作者の意図でしょう。

 

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』では、もともと人付き合いが下手なうえに過去にトラウマを抱えている橘の、職務上とはいえチェロという楽器を再度手に取ることによる心の安寧を取り戻すまでの過程が丁寧に描かれています。

そこで役立ったのが講師の浅葉桜太郎であり、彼の存在が大きな意味を持っています。

橘の職務が本質的に抱える裏切り、不義理という相反する心の在りようは、一旦は落ち着いた橘の不眠を悪化させることにもなってきますが、担当講師をも含めたこの音楽教室という存在が橘に救済を与え、心のゆとりをもたらしてくれるのです。

こうした心の動きや橘と浅葉との交流は実に読みごたえがありました。

 

ただ、例えば主人公の職場の上司の塩坪や、同僚の湊良平などが今一つその姿が響いてこない印象はありました。

でも、彼らは全日本音楽著作権連盟という職場での関係者であり、深く書き込むだけの対象でもないので、そう感じる読み手のほうが変という気もします。

ともあれ、本書『ラブカは静かに弓を持つ』は大藪春彦賞や本屋大賞でも高い評価を受けているだけの作品として、個人的にも主人公の存在に心惹かれました。

 

ちなみに、「ラブカ」とは、沼津港深海水族館のサイトによれば、「シーラカンスと同じく、生きた化石と呼ばれる深海のサメ」だということです( 沼津港深海水族館 : 参照 )

物語の種

物語の種』とは

 

本書『物語の種』は、2023年5月に272頁のハードカバーで幻冬舎 から出版された短編小説集です。

コロナ禍で家にいながらにして物語を遊べないかと、物語の種を募集して出来上がった作品で、有川ひろらしい軽く読める作品集でした。

 

物語の種』の簡単なあらすじ

 

読めば心が躍り出す。
ほっこり&胸キュン全十篇の物語!

宝塚オタク、宝塚OGが読んでも沼る!
どこから読んでも面白い!
もはや『沼の種』!
有川先生、あなたは天才ですか?!
ーー紅ゆずる(女優/元宝塚歌劇団星組トップスター)

第一話 SNSの猫 
SNSで目にした保護猫に心を鷲づかみにされた主人公。ある日、事件が起きて……。
第二話 レンゲ赤いか黄色いか、丸は誰ぞや 
祖母を亡くした妻、父を亡くした旦那。二人の会話から見えてきたのは……?
第三話 胡瓜と白菜、柚子を一添え
静岡生まれの旦那の実家にて、高知生まれの妻は何を思う?
第四話 我らを救い給いしもの
中学の社会の時間にクラスメイトが発したある意見に、主人公は痺れた。
第五話 ぷっくりおてて
小学生の夏休みに祖父の家に預けられた主人公の、ほのぼのハッピーな成長譚。
第六話 Mr.ブルー
ある家電メーカーで出世街道驀進中の研究所長には、意外な秘密があった。
第七話 百万本の赤い薔薇
ある夫婦の、40年にわたる結婚記念日の物語。
第八話 清く正しく美しく
エステサロンに勤める主人公。強欲な店長の元で働くことに悩んでいて……。
第九話 ゴールデンパイナップル 
祇園祭によさこい祭。祭の復活は、やっぱり嬉しいもので。
第十話 恥ずかしくて見れない
ある家電メーカーで働く主人公は、3歳年上の先輩のことが気になっていた。(内容紹介(出版社より))

 

物語の種』の感想

 

本書『物語の種』は、一般から募集した物語のネタをもとに書きあげられた十の作品が収められている短編集です。

それぞれのお話はまさに有川ひろらしく、身近な話題が取り上げられ、そこに軽いユーモアがまぶされていて、とても読みやすい作品ばかりでした。

 

収納された十編の作品で取り上げられているテーマに基本的に相互の関連はなく、全体としての一貫性もない、本当に軽く読める、という一点だけが共通していると言ってもよさそうな作品群です。

でも、第六作目の「Mr.ブルー」と十作目の「恥ずかしくて見れない」だけは登場人物が共通していて、物語の視点の主だけが異なる構成になっています。

テーマに一貫性が無いという点は、それぞれの物語の「種」を募集しているのですから当然と言えば当然のことでしょう。

ただ、「宝塚歌劇団」だけが複数の話の中で話題として取り上げられていますが、それは作者の個人的な嗜好が反映していると思っています。

 

近年で私が読んだ短編小説集は、その殆どが連作短編集であって、収められた各短編がそれぞれに独立している作品集はあまり記憶にありません。

かつて、私が読みふけっていた時代小説や推理小説の分野ではそこそこの作品集があったと思いますが、近頃では私の好みが変わったのか、あまりそうした短編集を読むことは少なくなってきたようです。

短編には短編なりの醍醐味があり、面白さがあるのでそれはそれで好きなのですが、やはりストーリー性の強い長編作品を選んでいるのかもしれません。

 

ということで、本書『物語の種』は久しぶりに読んだ各物語が独立した作品集ですが、作者の筆のタッチが一貫しており、先に述べたようにとても読みやすい作品集です。

独特なのは、物語のネタを募集して書き上げた作品集であることから、各話の最後に取り上げた「物語の種」が紹介されており、それに対する作者有川ひろのコメントが添えられていることです。

そのため、単なる短編集というだけでなく、物語のもととなったネタを作者有川ひろがどのように処理するのか、その処理のきっかけは何なのかという点への関心までも満たされるという余禄があります。

この点は、作品に対する新たな視点が追加されるという楽しみが与えられていることでもあり、読者としてはそうした作者の意図通りに楽しむことができたのです。

 

あらためて、有川ひろという作家の作品は面白い、と感じさせられた作品集でした。

悩め医学生 泣くな研修医5

悩め医学生 泣くな研修医5』とは

 

本書『悩め医学生 泣くな研修医5』は『泣くな研修医シリーズ』の第六弾で、2023年4月に320頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の青春医療小説です。

よく知らなかった医学部生の毎日が描かれていて、お仕事小説的な面白さとともに青春小説の爽やかさも持った作品でした。

 

悩め医学生 泣くな研修医5』の簡単なあらすじ

 

一浪で憧れの医学部に入学した雨野隆治を待ち受けていたのは、ハードな講義と試験、衝撃の解剖実習・病院実習。自分なんかが医者になれるのか?なっていいのか?悩みながらも、仲間と励ましあい、患者さんに教えられ、隆治は最後の関門・国家試験に挑むー。現役外科医が鹿児島を舞台に医者の卵たちの青春をリアルに描く、人気シリーズ第五弾。(「BOOK」データベースより)

 

悩め医学生 泣くな研修医5』の感想

 

本書『悩め医学生 泣くな研修医5』は、主人公の雨宮隆治の医学生時代が描かれている、青春医療小説です。

これまでこのシリーズでは、東京の下町の総合病院で新人外科医となった主人公の一年目から成長していく姿が描かれていました。

ところが本書では舞台となる病院へ赴任する以前の鹿児島の国立大学医学部を目指す受験制時代から合格後の医学部時代までが描かれています。

医学生時代の過酷な講義に加えての病院実習や解剖実習、そののち研修医となる主人公の姿は、青春小説の一場面であるとともに医療小説として「命」というものをあらためて考えさせられる作品でもありました。

 

私自身は文系の大学生活を送っていたこともあっていわゆる普通の大学生生活を送っていましたが、理系の学部に行った仲間はそれなりに忙しくしていたのを思い出します。

なかでも医学部に進んだ同級生たちは確かに勉強ばかりしていたそうです。

と言うのも私の周りにいたのは出来の良くない仲間ばかりでしたので医学部生は卒業以来殆ど会っていなかったというのが本当のところなのです。

ですから、かれら医学部生の忙しさが本書でよく理解できたといっても過言ではありません。

 

今では夏川草介などを始めとしてかなりの数の医療小説が出版されていますが、医学生時代を正面から描いた作品は私が知る限りではありません。

ただ、夏川草介の『神様のカルテシリーズ』の短編集である『神様のカルテ 0』の第一話「有明」が信濃大学医学部学生寮の「有明寮」での出来事を描いた作品として思い浮かぶだけです。

他にも、作品の中で登場人物の学生時代が描かれていた医療小説はあったかもしれませんが、明確に覚えているものはありません。

 

 

もっとも、佐竹アキノリ著の『ホワイトルーキーズ』という作品が四人の研修医の話らしいので、もしかしたらその中に医学生時代の話が出てくるかもしれませんが、未読なので不明です。

近いうちに読んでみたいと思っている作品です。

 

帰郷

帰郷』とは

 

本書『帰郷』は、2016年6月に256頁のハードカバーで刊行されて2019年6月に264頁で集英社文庫化された、短編の戦争小説集です。

浅田次郎の戦争というものに対する思いが詰まった、あらためて浅田次郎の小説の素晴らしさを思い知らされた作品集でした。

 

帰郷』の簡単なあらすじ

 

戦争は、人々の人生をどのように変えてしまったのか。帰るべき家を失くした帰還兵。ニューギニアで高射砲の修理にあたる職工。戦後できた遊園地で働く、父が戦死し、その後母が再婚した息子…。戦争に巻き込まれた市井の人々により語られる戦中、そして戦後。時代が移り変わっても、風化させずに語り継ぐべき反戦のこころ。戦争文学を次の世代へつなぐ記念碑的小説集。第43回大佛次郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

歸郷/鉄の沈黙/夜の遊園地/不寝番/金鵄のもとに/無言歌

 

帰郷』の感想

 

本書『帰郷』は、浅田次郎の作品らしい切なさに満ちた戦争小説集で、太平洋戦争に従軍した兵士や、終戦後の帰還兵や一般人の姿を通して戦争の理不尽さが描き出されています。

浅田次郎の作品は、社会の理不尽さに翻弄される人物の姿が描かれることが多いようです。

それが時代小説であれば、江戸時代という封建時代という制度の持つ理不尽さや、その社会制度に拘束される侍という存在の理不尽さに対する憤りなどが描かれることになります。

戦争小説も同様であり、「戦争」が国民に強いる生き方や、軍隊という理不尽の権化のような巨大組織が一兵卒に対し要求する不条理があぶり出されているのです。

 

浅田次郎の作品は、ピンポイントで読み手の琴線をついてきます。

取り上げる視点の感性はもちろん、登場人物の心象を畳み掛けるように描き出すその文章は、読み手の心のボタンを的確についてくるのです。

特に浅田次郎の綴る登場人物の独白は心を打ちます。

例えば、本書第二話「鉄の沈黙」の中で表現されていた技術者の独白「国貧シキハ宿命、然シ科学技術ノ及バザルハ怠慢。」との文章を含む独白の場面や、第三話「夜の遊園地」での母親へ電話する場面など、挙げれば切りがありません。

こうした独白で示される心象表現の巧みさ、読み手に語りかける文章技術のうまさは他の追随を許しません。

 

作者の浅田次郎は、「戦争というのは「苦悩」の塊」であり「文学の根源を見出すことができる」のであって、「社会全体が帯びてしまった苦悩」は「文学が描くべき題材」だと言われています( HUFFPOST:参照 )。

また、「これは戦争小説ではなく、反戦小説です。戦争はけっしてあってはいけないことだと思うし、どんな事情があっても賛美することはできない。これからも小説を通じて、反戦を訴えていきたいと思っています。( 週刊現代:参照 )」とも言われています。

一方、小説の三大条件として「面白くて、美しくて、わかりやすい」ことも挙げておられ( BookBang:参照 )、戦争小説ではあってもそれなりに読者を惹きつける魅力を持つ必要があると言われているのです。

 

反戦小説といえば、城山三郎が元首相である広田弘毅の生涯を描いた『落日燃ゆ』は心に残る作品でした。

また、正面から反戦小説を書いた五味川純平の『人間の條件』(岩波現代文庫全三冊)などの戦争文学作品も心打たれた作品の一つでした。

 

 

ところで、浅田次郎は私と同じ1951年の生まれだそうです。いつも思うのですが、この二人の物事の捉え方の落差はどういうことでしょう。

同じ事柄をみても心の捉え方が全く異なること、そもそもある事柄を言語化する能力が異なる以前に、物事を感じる能力に雲泥の差があることをあらためて思い知らされるのです。

同時に、やはり浅田次郎の作品は面白く、はずれがない、とも感じた作品でもありました。

家守綺譚

家守綺譚』とは

 

本書『家守綺譚』は『家守綺譚シリーズ』の第一弾で、2004年1月にハードカバーで刊行され、2006年9月に208頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

綿貫征四郎なる文筆家が記したという形態で記された随筆風の作品であって、心が豊かになる実にゆっくりとした時間を過ごすことができる作品でした。

 

家守綺譚』の簡単なあらすじ

 

庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多…本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。-綿貫征四郎の随筆「烏〓苺記(やぶがらしのき)」を巻末に収録。(「BOOK」データベースより)

 

家守綺譚』の感想

 

本書『家守綺譚』は、とある家の家守を頼まれた綿貫征四郎が、その家の有する広い庭や、その家近辺の自然を愛でつつ、日々発生した出来事について記していく随筆風の連作短編集です。

一話が十頁にも満たない短編からなっていますが、その内容は奥行きが深く、ゆったりと落ち着いた時を過ごすことができます。

 

本書はファンタジー小説ではありますが、私が近頃読んだ小野不由美の『十二国記シリーズ』や上橋菜穂子の『獣の奏者シリーズ』のような明確なストーリー性を持った作品を期待して読むと裏切られます。

本書は確かにファンタジー小説と分類はされますが、上記のような作品とは異なり、誤解を恐れずに言えば水木しげるの漫画が持つ雰囲気をもっと素直にして、つげ義春の漫画が持つ奇妙な違和感をまぶしたような作品になっています。

と書いても、漫画好きではない人や若い人には分からないでしょう。言ってみれば自然を描いた随筆のような、日々の出来事を紡いだに過ぎない小文だと言っても良い作品です。

 

 

家守綺譚』で描かれている場所や時代については、本書文庫版の吉田伸子氏の解説によると、単行本には「それはついこのあいだ、ほんの百年すこし前の物語」とあったらしく、場所についてはネットでは多分ですが京都の山科あたりだろうという見当がつけられているようです。

たしかに、本書の文章は明治期もしくは大正初期の文豪のそれを思わせる落ち着いたものであり、さらに描かれている風景も現代の風景ではありません。

本書全体として明治後期あたりの雰囲気を醸し出しているのですから、作家という人たちの感性や文章の力にはあらためて脱帽するばかりです。

 

とにかく本書『家守綺譚』は読みやすく、かつ優しい文章で綴られているのですが、軽く読めるわりに突然ファンタジーの世界に放り込まれていることに気づきます。

なにしろ、第一話から死んだはずの親友の高堂が床の間の掛け軸に描かれた湖からボートに乗って部屋の中に現れ、庭にあるサルスベリの木がお前に惚れている、と告げてくるのを、主人公は平然と受け止めているのです。

第二話では、本書を通して何かと助けてくれるゴローと名付けられた犬や、隣のおかみさんが登場します。

それ以降の話では、庭を流れている疏水にいる鮎を掛軸の中にいたサギが狙っていたり、河童が流れていたりと、なんともファンタジックな生き物が普通に登場してきます。

その上で、先に述べた隣のおかみさんや、何かと主人公の前に現れる長虫屋、それに学生の後輩で編集社員の山内という男などの登場人物たちも主人公の住む家や世界に起きる不思議な現象を当たり前のこととしているのです。

 

まさにタイトル通りの「家守」をしている主人公綿貫征四郎の奇妙な話「奇譚」であり、なんとも不思議な小説でした。

本書『家守綺譚』には綿貫征四郎の忠犬ゴローを探す冒険の旅を描いた『冬虫夏草』という続編があるそうです。

また、梨木香歩には本書と同じくとある家の庭を舞台にした『裏庭』という第一回児童文学ファンタジー大賞を受賞した作品もあるそうで、いつか読んでみたいものです。

 

汝、星のごとく

汝、星のごとく』とは

 

本書『汝、星のごとく』は、2022年8月に352頁のハードカバーで刊行された2023年本屋大賞の受賞作であり、第168回直木賞の候補作ともなった長編の恋愛小説です。

作者の凪良ゆうは2020年の『流浪の月』でも本屋大賞を受賞しているので二度目の本屋大賞受賞ということになりますが、私の好みとは異なる作品でした。

 

汝、星のごとく』の簡単なあらすじ

 

☆2023年本屋大賞受賞作☆

【第168回直木賞候補作】
【第44回吉川英治文学新人賞候補作】
【2022王様のブランチBOOK大賞】
【キノベス!2023 第1位】
【第10回高校生直木賞候補作】

【ダ・ヴィンチ BOOK OF THE YEAR 2022 第3位】
【今月の絶対はずさない! プラチナ本 選出(「ダ・ヴィンチ」12月号)】
【第2回 本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞 ノミネート】
【未来屋小説大賞 第2位】
【ミヤボン2022 大賞受賞】
【Apple Books 2022年 今年のベストブック(フィクション部門)】
などなど、賞&ノミネート&ランクイン多数!

その愛は、あまりにも切ない。

正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく。
本屋大賞受賞作『流浪の月』著者の、心の奥深くに響く最高傑作。

ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。

風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。
ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。
生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。

ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。(内容紹介(出版社より))

 

汝、星のごとく』の感想

 

本書『汝、星のごとく』は、上記「内容紹介」にもあるように2023年本屋大賞を受賞したほか、第168回直木賞の候補となるなど各種文学賞の候補ともなっている非常に評価の高い恋愛小説です。

本書では十七歳から三十二歳までの男女の視点を交互に借りて互いの心象が描き出されていて、同じ出来事なのに当事者によって異なる意味を持ってくる様子が明確に描き出されています。

つまり、第一章「潮騒」では十七歳の二人が描かれ、第二章「波蝕」では二十歳前半、第三章「海淵」では二十歳代後半から三十代初め、そして最終章の第四章「夕凪」へと至ります。

そして、物語の前後に設けられているプロローグとエピローグとの対比が、また読者に同じ場面の異なる意味を見せつけるように展開されていて効果的でした。

こうした多視点の手法自体は少なからずの作品で取り入れられていて、例えば物語の分野は異なりますが木内昇の『新選組 幕末の青嵐』などでも効果的に使われていたのを覚えています。

 

 

しかしながら、私にとっては本書はやはり同じ凪良ゆうの2020年本屋大賞を受賞した『流浪の月』という作品で感じたと同じ苦手な分野の作品でした。

本書『汝、星のごとく』の主役の二人である青埜櫂井上暁海は、共に親としての役割を放棄した親を見捨てることができずにいる自己主張をやめた二人で、周りの無理解の中で生きている近頃問題となっているヤングケアラーです。

青埜櫂の母親は男なしでは生きられず、今青埜櫂が済むこの瀬戸内の島にも男を追いかけてきてスナックを開いています。

一方、井上暁海の父親は他に女ができて家を出ていき、母親はその父親を見捨てることができずにアルコールに逃げ、半分精神を病んでいます。

この二人は狭い島の噂の種になりながらも、母親の世話をしながら生きているという似たような境遇のためもあってか何となく付きあい始めます。

 

本書では二人を冷静に見つめる大人として、高校の化学教師である北原という男性教師と、なんと暁海の父親の不倫相手である林瞳子という女性が配置されています。

この配置された二人の大人がまたそれぞれに独特な個性の持ち主であり、共に二人の若者に大きな影響を与えています。

特に暁海がそうで、瞳子からは女が一人で生きていくということ、現実に収入を得るためのオートクチュール刺繍という手段を教えてもらうのです。

北原先生は暁海と生涯の付き合いをすることになるし、櫂ともこの人の世話があればこそという人生を送ることになります。

この大人の二人が、櫂と暁海のこれからの進むべき道を示しているのですが、大人である筈の二人自身が世間の常識と言われるものからは外れている二人です。

結局、作者は世間の常識などとは無関係なところで当事者本人が納得するように自由に生きろと言っているようです。

ただ、その自由に生きることにはそれ内の対価を支払う必要があることをも覚悟しなければならないのでしょう。

 

瀬戸内の島に暮らす二人は、櫂は卒業後漫画の原作者として上京しますが、櫂と一緒に上京するつもりだった暁海は母親の世話をしなければならないと結局は島で暮らすことになります。

その後の流れは太田裕美の歌う「木綿のハンカチーフ」と同じであり、つまりは恋愛小説の王道を普通に描いてあります。

ただ、その普通の描き方が作者凪良ゆうは違います。この人の文章は常に内向きであり、明るい未来を示すことはないようです。

 

前述したように、本書『汝、星のごとく』は各種文学賞で非常に評価が高い作品です。

また、実際読み終えてみても若い二人の心象がうまく描かれていて、襲い来る様々な難題に押しつぶされながらもお互いや、周りの人たちの力を借りて生き抜いていく二人の姿には感情移入し、惹き込まれるしかありません。

しかし、自己主張の仕方が下手で、特に母親の存在に深く縛られその呪縛から抜けることができない櫂と暁海の様子はどうにも受け入れることができませんし、本書のような作品を積極的に手に取ることはないと思われます。

とはいえ、本書の素晴らしさは否定することはできませんし、それだけの評価を得るに値する作品だと思います。

なんとかしなくちゃ。 青雲編

なんとかしなくちゃ。 青雲編 』とは

 

本書『なんとかしなくちゃ。 青雲編』は、2022年11月に376頁のハードカバーで刊行された長編の青春小説です。

これまでの恩田陸作品とはかなり(と言っていいと思います)異なる毛色の作品で、私の好みとはちょっと外れた印象の作品でした。

 

なんとかしなくちゃ。 青雲編 』の簡単なあらすじ

 

「これは、梯結子の問題解決及びその調達人生の記録である。」
大阪で代々続く海産物問屋の息子を父に、東京の老舗和菓子屋の娘を母に持つ、梯結子。幼少の頃から「おもろい子やなー。才能あるなー。なんの才能かまだよう分からんけど」と父に言われ、「商売でもいけるけど、商売にとどまらない、えらいおっきいこと、やりそうや」と祖母に期待されていた。その彼女の融通無碍な人生が、いまここに始まるーー。(内容紹介(出版社より))

 

なんとかしなくちゃ。 青雲編 』の感想

 

本書『なんとかしなくちゃ。 青雲編 』は、著者自身が「梯結子の問題解決及びその調達人生の記録」と記しているように、一人の女主人公梯結子の成長の記録を描いた小説です。

一言で言えば、本書はこれまでの恩田陸の作品とは異なる傾向を持つ物語であり、残念ながら私の好みではない作品でした。

これまでの恩田陸作品は、例えば直木賞と本屋大賞とを同時受賞した『蜜蜂と遠雷』という音楽作品や、『ネクロポリス』のようなホラー作品でのイマジネーション豊かな作品が主だったように思えます。

 

 

ところが、本書『なんとかしなくちゃ。 青雲編 』は、主人公の成長を語りながらも近所の砂場の混み具合の変化を原因から突き詰めて解消したり、友達の間の誕生日会に参加する余裕のない友達の問題を一気に解決したりと横道へのそれ具合が半端ないのです。

ただ、砂場問題や誕生日会問題などはまだ主人公の分析力、調整力を示しつつ、その解決方法もまた読者の関心の内にあると言えないこともないでしょう。

しかしながら、主人公が大学で加入した城郭愛好研究会で行われた、八王子城など実在した城の成り立ちから個々の武将まで調べ挙げた上で仮想の戦いを展開する攻防のシミュレーションは、単なる道草の域を超えています。

申し訳ないのですが恩田陸のこの手の作品に時代小説の醍醐味は求めていないのです。

 

たしかに、本書には作者恩田陸本人が「私」として登場し、この物語の裏話などを語り出したりといつもの恩田作品とは違うことは分かります。

しかし、主人公の生涯を描こうとするこの作品において、戦国時代の城をめぐる攻防戦の検証についての文章を読もうはならないのです。

さらに著者本人が登場するという流れは、最終的に物語も最終盤に突然「おわび、なのである。」と作者本人が割り込んできて、の結末は非常に駆け足での紹介となってしまっています。

 

登場人物も主人公の梯結子の人生を大学卒業まで駆け足で追いかけているので多数に上り、全部を紹介することもできませんし、そもそも、紹介することにあまり意味が無いように思えます。

あらすじにしても、一人の女性の一代記というには内容が伴っていないように感じてなりません。

繰り返しますが、本書は私の好みとはかなり異なる物語となっており、その印象の他に語るべきことはない、というのが本当のところであって、残念な作品という他ありません。

月の立つ林で

月の立つ林で』とは

 

本書『月の立つ林で』は2022年11月に264頁のハードカバーで刊行された感動の短編小説集です。

同じ著者の『お探し物は図書室まで』と『赤と青とエスキース』が2021年・2022年と連続して本屋大賞第二位となり、本書もまた2023年本屋大賞第五位となっています。

 

月の立つ林で』の簡単なあらすじ

 

2023年本屋大賞ノミネート!!

似ているようでまったく違う、
新しい一日を懸命に生きるあなたへ。

最後に仕掛けられた驚きの事実と
読後に気づく見えない繋がりが胸を打つ、
『木曜日にはココアを』『お探し物は図書室まで』
『赤と青とエスキース』の青山美智子、最高傑作。

長年勤めた病院を辞めた元看護師、売れないながらも夢を諦めきれない芸人、娘や妻との関係の変化に寂しさを抱える二輪自動車整備士、親から離れて早く自立したいと願う女子高生、仕事が順調になるにつれ家族とのバランスに悩むアクセサリー作家。

つまずいてばかりの日常の中、それぞれが耳にしたのはタケトリ・オキナという男性のポッドキャスト『ツキない話』だった。
月に関する語りに心を寄せながら、彼ら自身も彼らの思いも満ち欠けを繰り返し、新しくてかけがえのない毎日を紡いでいくーー。(内容紹介(出版社より))

 

目次

一章 誰かの朔 | 二章 レゴリス | 三章 お天道様 | 四章 ウミガメ | 五章 針金の光

 

月の立つ林で』の感想

 

本書『月の立つ林で』は、同じ著者の『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』と同様に、作品ごとに連作とまでは言えないほどの薄い関連性をもった短編が収められた作品集です。

物語のタッチはこの二作品と似ているということはできますが、これがこの著者の作風だというべきでしょう。

何よりも、見るべきは一つのテーマで構成された作品集に収納された各短編の完成度であり、一冊を通した作品としての完成度だと思います。

そしてその点に関しては二度の本屋大賞二位受賞という結果が示している通り、一般読者に受け入れられる高い完成度を持っているのです。

 

 

本書『月の立つ林で』は普通の人の普通の日常を切り取っている作品ですが、ただ、ほんの少しだけ心の裏側を見せてくれていて、それが実に心地よい連作の作品集です。

特に月をテーマに、ポッドキャストを微かな接点として人々が繋がっていく構成は上記二作品と似てはいますが同様に効果的であり、惹き込まれました。

そして、それぞれの物語に登場する人々のその後を知りたいと思わないでもないのだけれど、それ以上に本書のラストの仕掛けはふいに訪れ、心に響きました。

ここに、ポッドキャストとは若い人にはあらためて説明するまでもないのでしょうが、インターネット上で聞ける個人的なブログのラジオ版(音声版)と思えば間違いないところでしょう( ウィキペディア : 参照 )。

 

ただ、これは本書に限った話ではないのですが、物語の持つ真実性に関しての疑問が少しだけ湧いてきました。

著者の青山美智子が登場人物の心象について書いている「ここは、夜風の心の置き場所なのだ。」などの表現が、本書の登場人物のような普通の人が発する言葉ではなく、著者のような表現力豊かな人物でなければ思いつかないということです。

こうした違和感は、通常は虚構である小説の持つ世界観を壊してしまい、その作品に感情移入できなくなってしまいます。

その点、本書のような普通の日常を描いている作品は微妙で、著者は主人公の内心を表現するために表現者としての力を示すわけで、そこを否定すると作品として成立しないことになると思われます。

 

この疑問は少なからず現れ、そして古い話で申し訳ないのですが、庄司薫の『赤ずきんちゃん気を付けて』という芥川賞受賞作品を思い出すのです。

この作品は、普通の人間が普通に発する言葉で書いてあるのでそうしたことは何も思わないのです。

 

 

そうした個人的な疑問点は置いておいて話を元に戻すと、本書『月の立つ林で』は悪人の登場しないある意味ファンタジーな物語かもしれないけれど、この著者のほわっとする暖かさは何にも代えがたい物語だと思います。

確かに、この著者の画集というかショートショートと言うべきか分からない『マイ・プレゼント』という作品を始めとして、どうにも感傷に過ぎて受け入れ難いと思う作品集もあります。

しかし、それ以外はどの作品も実に心に染み入るのです。文章のタッチも作品の構成も好きな作品と言えるのですす。

次回作も必ず読みたいと思えるほどに気に入った作者であり、作品だと言えます。

光のとこにいてね

光のとこにいてね』とは

 

本書『光のとこにいてね』は、2022年11月にソフトカバーで刊行された、長編の恋愛小説です。

第168回直木賞の候補作であり、また2023年本屋大賞のノミネート作品でもあるかなり評価の高い作品ですが、私の個人的な好みとは異なった作品でもありました。

 

光のとこにいてね』の簡単なあらすじ

 

第168回直木賞候補作&2023年本屋大賞ノミネート?

刊行以来、続々重版。大反響、感動、感涙の声、続々!
令和で最も美しい、愛と運命の物語

素晴らしい。久しぶりに、ただ純粋に物語にのめりこむ愉悦を味わった。
さんざん引きずり回された心臓が、本を閉じてなお疼き続ける──そのまばゆい痛みの尊さよ。(村山由佳)

まぶたの裏で互いの残像と抱き合っていた二人のひたむきさが、私の胸に焼き付いて離れない(年森 瑛)

ーーほんの数回会った彼女が、人生の全部だったーー

古びた団地の片隅で、彼女と出会った。彼女と私は、なにもかもが違った。着るものも食べるものも住む世界も。でもなぜか、彼女が笑うと、私も笑顔になれた。彼女が泣くと、私も悲しくなった。
彼女に惹かれたその日から、残酷な現実も平気だと思えた。ずっと一緒にはいられないと分かっていながら、一瞬の幸せが、永遠となることを祈った。
どうして彼女しかダメなんだろう。どうして彼女とじゃないと、私は幸せじゃないんだろう……。

ーー二人が出会った、たった一つの運命
  切なくも美しい、四半世紀の物語ーー( 内容紹介(出版社より))

 

光のとこにいてね』の感想

 

本書『光のとこにいてね』は、ある二人の女性の小学生、高校生、そしてそれぞれに結婚している二十九歳になた生活を通して二人の関係性を描きだす感動に満ちた作品です。

一応は恋愛小説と分類していますが、形を変えた恋愛小説もしくは家族小説と言った方がいいのかもしれません。

第168回直木賞の、そして2023年本屋大賞の候補作となっていて、ネット上でもかなり評価が高く、感動的したなどの文言が並んでいる作品です。

 

登場人物としては、小瀧結珠校倉果遠という二人の女性が主人公として登場します。

小瀧結珠は医者の家庭のお嬢様です。ただ、母親が精神的なネグレクトと言ってもよさそうな問題のある母親です。兄がいますが、自分のことしか考えず、友人の藤野素生を結珠の家庭教師として紹介します。

校倉果遠は極端なオーガニック信者であるシングルマザーの母親のもと、友達も作ることができずいつも一人でいる子です。ただ、隣の部屋に住む、いつも男を連れ込んでいるチサという女だけは果遠を受け入れてくれていたのでした。

小学生時代の突然の別れの後、高校生時代の再会と別れ、そして二十九歳になった二人が、結珠が夫と共に引っ越してきたとある町で二人は再度出会います。

その町でスナックを開いていたのが果遠であり、海坂水人という夫との間に一人娘の瀬々が生まれていました。この瀬々を通して結珠と果遠はかつてのような仲を取り戻していくのです。

 

評価の高い本書『光のとこにいてね』ですが、何度も書いてきたように作品の客観的な評価は高くても個人的な好みは別なものであって、私の好む作品とは言えませんでした。

確かに、主人公の二人の女性の描き方は素晴らしいものがあり、この二人の女性の今後などが気にならないと言えば嘘と言えます。

しかし私の好きな作品とは、作品自体のストーリー展開がはっきりとしたものであり、登場人物の内心を深く追求するものには惹かれないのです。

その点、本書は二人の女性の相手への想いをきめ細やかに表し、何とも表現しようのない関係性を醸し出していて、物語性というよりは、二人の関係性そのものが表現されているようです。

つまり、本書は小瀧結珠と校倉果遠という二人の女性の関係性を描いている物語だと言っても過言ではありません。

 

本書『光のとこにいてね』の構成を見ると、性格の異なる二人の主人公それぞれの視点での語りが交互に入れ替わるものであり、二人の生活をお互いの視点で描き出すユニークなものです。

ものの見方の一面性を排除したさすがに直木賞、本屋大賞両賞の候補となる作品だと感心したものです。

そして、この二人の成長が小学二年生のとき、高校生時代、そして二十九歳になった二人と、その時を経た感覚で描かれていきます。

とは言っても、そこには母娘や子育て、さらには家族としての在り方を考えざるを得ない要素が満載です。

そうした視点もまた読者の心を打つのだと思います。

 

ただ、二人の関係性を丁寧に描いてあるのはいいのですが、それ以外の二人のそれぞれの親や仲間などへの配慮があまり無いように感じられてしまったとも言えます。

また、クライマックスも決して納得できる運びだったとは言い難く、残念に感じたものです。

でも、それは個人的な好みが反映された実に主観的な印象なのでしょう。

好みとは別に、読むべき本の一冊だということは言えそうな作品でした。

 

ちなみに、本書初版だけの話ですが、スピンオフ掌編として「青い雛」という短編がついています。

果遠の隣の部屋に住むチサという女目線の物語で、果遠が結珠のいる高校に現れた事情が描いてありました。

また、「初めての出会いから8年後――。高校生になったある日、結珠と果遠に訪れた、ささやかだけれど、煌めくような一瞬」を描いた掌編もネット上に公開してありましたので、少しでも本書に興味がある方は読んでみた方がいいと思います。