『赤と青とエスキース』とは
本書『赤と青とエスキース』は2021年11月に刊行された、新刊書で239頁の連作の短編小説集で、2022年本屋大賞にノミネートされた作品です。
連作の作品にありがちですが、本書は一枚のエスキースを巡る一編の長編小説だと言えるほどに各話のつながりが強く、また美しい物語であって心洗われる作品でした。
『赤と青とエスキース』の簡単なあらすじ
メルボルンの若手画家が描いた一枚の「絵画」。日本へ渡って三十数年、その絵画は「ふたり」の間に奇跡を紡いでいく。一枚の「絵画」をめぐる、五つの「愛」の物語。彼らの想いが繋がる時、驚くべき真実が現れる!仕掛けに満ちた傑作連作短篇。(「BOOK」データベースより)
プロローグ
一章 金魚とカワセミ
メルボルンに留学中の女子大生・レイは、現地に住む日系人・ブーと恋に落ちる。しかしレイは、留学期間が過ぎれば帰国しなければならない。彼らは「期間限定の恋人」として付き合い始めるが……。
二章 東京タワーとアーツ・センター
日本の額縁工房に努める30歳の額職人・空知は、既製品の制作を淡々とこなす毎日に迷いを感じていた。そんなとき、十数年前にメルボルンで出会った画家、ジャック・ジャクソンが描いた「エスキース」というタイトルの絵画に出会い……。
三章 トマトジュースとバタフライピー
中年の漫画家タカシマの、かつてのアシスタント・砂川が、「ウルトラ・マンガ大賞」を受賞した。雑誌の対談企画の相手として、砂川がタカシマを指名したことにより、二人は久しぶりに顔を合わせるが……。
四章 赤鬼と青鬼
パニック障害が発症し休暇をとることになった51歳の茜。そんなとき、元恋人の蒼から連絡がくる。茜は昔蒼と同棲していたアパートを訪れることになり……。
エピローグ
水彩画の大家となったジャック・ジャクソンの元に、20代の頃に描き、手放したある絵画が戻ってきて……。(出版社より)
『赤と青とエスキース』の感想
本書『赤と青とエスキース』は、冒頭に述べたように2022年本屋大賞にノミネートされた作品です。
本書のテーマとなっている画は、胸元に青い鳥のブローチをした赤い服の髪の長い女性が描かれた、赤と青の絵の具だけを使って描かれている水彩画です。
ここで「エスキース」とは、本書中でも説明されているように、下絵のことであり、本番を描く前に構図をとるデッサンのようなもの、だそうです。
詳しくは
に詳しく説明してあります。
第一章で、メルボルンに留学中の女子大生のレイと現地に住む日系人のブーとの恋の様子が紹介され、ここで若きジャック・ジャクソンがレイをエスキースとして描き出す様子が描かれます。
そして第二章では、日本の額縁工房の額職人である空知の前にジャック・ジャクソンが描いた「エスキース」というタイトルの絵画が現れるのです。
その後、漫画家のタカシマ剣と砂川凌との対談の場所になったとある喫茶店に「エスキース」というタイトルの絵が背景として登場します。
そして次の第四章では、茜と蒼という二人の姿があり、ちょっと長めのエピローグへと繋がります。
こうして、「エスキース」というタイトルの一枚の画が本書の全編を通した鍵になって登場します。
本書の感想を端的に言うとすれば、感動的であり久しぶりに心洗われる作品だった、と言えます。
個人的には恋愛小説はあまり好みではないのですが、例えば原田マハの『カフーを待ちわびて』や井上荒野の『切羽へ』のように、読んでよかったという作品があるので恋愛小説だというだけで読まないということはできません。
一人の女性の心をかくも美しく、感動的に描き出すことのできる作家という職業の人たちに対する畏敬の念すら抱いてしまう一瞬でもあります。
本書の場合、単に恋愛の模様を美しく描き出すというだけでないところが見事です。
「エスキース」というタイトルの一枚の水彩画をとおして描き出される、この水彩画を取り巻く人々の人間模様もあわせて描き出されているところがまた魅力的です。
その上で、さらに本書を通した全体的な仕掛けも素晴らしく、また効果的であり、さらに感動を誘い出します。
本書の魅力はその表紙にも表れています。
油絵のようにも見える水彩画が表紙を飾っているのですが、この抽象的な水彩画が心惹かれます。
一編の恋愛小説としての面白さだけでなく、表紙に描かれている絵画の持つ美しさが、物語の中に込められた作者の思いと相まって読者の心を打つようです。
暴力的で、インパクトの強いエンターテイメント小説をより好んで読んでいる私ですが、たまには本書のような心洗われる作品も読むべきだと心から思います。
ただ、本書のような直接的に心情に訴えてくる作品のもたらす効果は、単に自己満足的な感傷に溺れているにすぎないのではないかという自分自身に対する思いがあります。
その点に関しては、純粋に良質な作品がもたらしてくれる感動だと確信できるほどに自分の読書に自信を持ちたいものだ、というしかないようです。