あるヤクザの生涯

あるヤクザの生涯』とは

 

本書『あるヤクザの生涯』は、新刊書で著者自身の長いあとがきまで入れても177頁の長編の実録小説です。

期待される描写の対象と、石原慎太郎というある意味注目される作家の作品にしては、思ったものとは異なる作品でした。

 

あるヤクザの生涯』の簡単なあらすじ

 

最大の武器は知力と色気、そして暴力!
特攻隊員、愚連隊、安藤組組長、映画俳優……
昭和の一時代、修羅に生きた男の激動の生涯をモノローグで描ききる圧巻のノンフィクションノベル!

あんた『雪後の松』という詩を知っているかい。昔、ある坊主から教わったんだ。『雪後に始めて知る松柏の操、事難くしてまさに見る丈夫の心』とな。男というものは普段の見かけがどうだろうと、いざと言う時に真価がわかるものだ。松の木は花も咲かず暑い真夏にはどうと言って見所のない木だが、雪の積もる真冬には枝を折るほどの雪が積もっても、それに耐え、青い葉を保っている。それが本物の男の姿だというのだ。/俺はこの詩が好きなんだ。(「長い後書き」より)(内容紹介(出版社より))

 

 

あるヤクザの生涯』の感想

 

東映のヤクザ映画や、映画関係の書物、それ以外にの様々なメディアを通じて見聞きする中でかなりのインパクトを残していたのが安藤昇という人物でした。

本書『あるヤクザの生涯』は、ある意味カリスマ的な存在である安藤昇という人を、これまた特異な位置にいる石原慎太郎という作家が描き出すというのですから、かなり期待した作品でした。

 

しかし、端的に言えば期待とはかなり異なる作品だったという他ないものでした。

期待外れの第一点は、その177頁という分量の短さです。

さらには、一般的な文芸書、小説などの場合の1頁あたり40字×14行で、最大文字数は560文字程度だそうです。

それに比して本書『あるヤクザの生涯』の場合、1頁当たり1行33文字で12行しかないので最大文字数は396文字となります( 手軽出版ドットコム : 参照 )。

それほどに少ない文字数であり、その上改行を多用してあるので一頁当たり350文字もないと思われる短さですから、早い人であれば一時間程度で読み終えてしまうのではないでしょうか。

ただ、この点は私の勝手な思い込みであり、期待外れというのは言いがかりだとも言えそうです。

 

第二点は、その構成であり、本書『あるヤクザの生涯』は安藤昇本人の語り、という形をとってあることでした。

できれば、一人称、三人称などの表現方法は別として、安藤昇本人を中心としたストーリー小説を期待していたのです。

本人の語りの形態をとったノンフィクションノベルも悪くはないのですが、それではどうしても本人の一方的な主張だけになってしまい、客観性がない印象を受けます。

そして、結局は先と同じになると思うのですが、本書『あるヤクザの生涯』のような本人の語りという形態をとるにしても、もう少し詳しく、そして長い語りとしてほしかったと思います。

全体として、確かに安藤昇本人と会い、聞いたことなどをもとに資料を当たられて構成し直してあるとしても、もう少し詳しく安藤昇の具体的な行動、動きを知りたい気持ちは残りました。

 

それでも、アウトローである安藤昇という人物像はそれなりに描いてあったと思います。

ナイフを所持し、命を捨てたその行動は他の人間を寄せ付けないものではあったようで、その度胸は私のような一般的な気の弱い人間には想像もつかない存在だと理解できます。

また、随所に見せられるエピソード、例えば著者石原慎太郎と安藤組の大幹部である花形敬との出会いのエピソードなどは出来すぎとも思えるほどのものでした。

『塀の中の懲りない面々』を書いた安部譲二という人も昔は安藤組の組員だったと聞いたことがあります。

 

 

とにかく、この人物を語る人は皆、男としての魅力満載の人物ではあったと言います。

それはヤクザではない映画関係や普通の経済人などの一般人が言うことですから、あながち外れた評価でもないのでしょう。

結局はヤクザだから、と昔は思っていたのですが、ただ一点、自分には決してできない生き方を貫いた人だという点では認めるしかないようです。

 

私の思っていた石原慎太郎の作品は『青年の樹』や『おゝい雲』のような勢いのある小説です。

 

 

何よりも「青嵐会」なる若手議員集団を率いて暴れていた石原慎太郎という人物の、元気のある筆で安藤昇を描き出しているものだと思い込んでいました。

しかし、石原慎太郎は既に89歳であり、それも87歳で膵臓がんを患い奇跡の復帰をされた後での執筆活動ですから、そのことを考えると逆に見事な仕事というべきでしょう。

それでもなお、一読者としては作家に期待するのはより良い作品です。作者の事情はその次であり、つまりは、自分の期待していた作品とは異なると言わざるを得ないのです。

 

本書『あるヤクザの生涯』には、作者石原慎太郎の「長いあとがき」と銘打たれたあとがきが付属しています。

その中で「慶応高校の副番長をしていた弟」という文言が出てきました。あの映画スターの石原裕次郎が高校時代は副番長だったというのですから驚きです。

ある意味、石原裕次郎のこのエピソードが本書内で一番驚いたことかもしれません。

それにしても、残念な一冊でした。

石原 慎太郎

石原慎太郎』のプロフィール

 

1932(昭和7)年神戸市生まれ。一橋大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。1968年に参議院議員に当選し、その後衆議院議員として環境庁長官、運輸大臣などを歴任した。1999年に東京都知事に就任、四選をはたす。『国家なる幻影』『弟』『火の島』など著書多数。引用元:石原慎太郎 | 著者プロフィール | 新潮社

 

石原慎太郎』について

 

この人についてはいまさら言うこともないでしょう。

学生時代に作家デビューし、そのままに『太陽の季節』で芥川賞を受賞。

 

 

国会議員時代には「青嵐会」などという右派の若手議員の一団をつくりその代表格として文字通り暴れまわりました。

その後東京都知事になって、オリンピックを招致し、2021年秋の時点で八十九歳の現在は引退生活の傍ら作家活動は衰えを見せていないようです。

息子は長男石原伸晃と三男石原宏高が自由民主党の衆議院議員、次男はタレントの石原良純、弟が今は亡きスーパースターの石原裕次郎という有名人の一家です。

この人の作品は、その言動からも個人的な先入観もあってあまり読んでいません。

ただ、少年時代に放映されていたテレビドラマの「青年の樹」の原作が石原慎太郎という作家だと知り、その原作の『青年の樹』とそれに『おおい雲』という作品は高校時代に読んだ記憶があります。

後の二冊は青春小説であり、テレビドラマの「青年の樹」などは後のスポーツもののテレビドラマの源流といえるのかもしれません。

 

 

芥川賞をとった『太陽の季節』もその後すぐに読んだと思います。「太陽族」などの流行、ファッションにも影響を与えた作品でした。

その後、五十年以上の時を経て今回安藤昇という風雲児を描いた『あるヤクザの生涯』を読んだことになります。

多分、石原慎太郎という作家の作品はもう読むことはないのではないかと思っています。

 

グラスホッパー

グラスホッパー』とは

 

本書『グラスホッパー』は『殺し屋シリーズ』の第一弾作品で、文庫本での杉江松恋氏の解説まで入れて345頁の長編のエンターテイメント小説です。

読んでいる途中は何となく自分の好みとはずれた作品だと思っていましたが、読了後は何故かこの作品に心惹かれている自分がいる、不思議な作品です。

 

グラスホッパー』の簡単なあらすじ

 

「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとに―「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。(「BOOK」データベースより)

 

鈴木と鯨は、《令嬢》という会社の社長の息子が「押し屋」に押されて交通事故に見せかけ殺される場面を目撃してしまう。

鈴木は押し屋を追い、押し屋の家までたどりつくが自分が後をつけた男が押し屋であるかどうかの確信は持てずにいた。

鯨は自分が自殺をさせた仕事の依頼者に呼び出され、新たな仕事を依頼されようとしていた。

ところが、鯨への依頼者は鯨を信用できずに、蝉に鯨の殺害を依頼していたのだった。

 

グラスホッパー』の感想

 

妻の敵を討とうとする元教師の「鈴木」、それに人を自殺に誘う超能力かと思われる能力を持つ「」、もっぱらナイフでの殺害を旨とする「」という二人の殺し屋を交えた三人の視点の不思議な小説です。

このように、三人の男の一人称視点での話が交互に繰り返されるのですが、ただ、三人相互間では時系列は無視されており、話と話の間では時間が前後していることもあるので要注意です。

 

中心の三人を見ていくと、まず「鈴木」という男は、自分の妻を轢き殺した男の父親寺原の会社《令嬢》に雇われて妻の敵を討つ機会を狙っています。

次に「鯨」という殺し屋は、相手を自殺したいと思い込ませることができる能力を有しており、その力で依頼者の望む相手を殺す仕事を請け負っています。

最後に「蝉」という殺し屋は、岩西という男が請けてきた殺害の依頼を得意のナイフを使ってこなしているのです。

 

鈴木は、詐欺専門の会社《令嬢》に勤めてはいますが、やはり素人であり、上司の比与子に復讐者ではないかと疑われています。

鯨は自殺をさせるというその能力のためか、しょっちゅう幻覚に悩まされています。その幻覚に出てくるのは自分が殺した相手であることが多く、自分の仕事に支障を来し始めています。

蝉は、仕事を持ってくる岩西という男を嫌い、いつも岩西のもとから自由になることを望んでいます。この岩西が、いつもジャック・クリスピンという人物の歌詞を引用するユニークな人物です。

 

本書『グラスホッパー』は、2018年本屋大賞の五位となった『AX アックス』という作品を読んで素晴らしいと感じたため、そのシリーズを読んでみようと思ったものです。

しかし、読み始めたのはいいのですが、どうにも本書に没入できません。

確かに、独特の文体で描かれる中心となる三人の姿は、他にはなく、伊坂幸太郎ならではの世界です。

しかし、『AX アックス』で感じた、主人公兜の妻や友への思いを大切にすることで兜の行動の様子が変容していく様の魅力は、少なくとも本書『グラスホッパー』の途中まででは感じることがありませんでした。

でも何故かシリーズ第二作の『マリアビートル』も読んでみようと思っています。

何となく伊坂幸太郎の作品の魔力に魅せられているというか、不思議な感覚です。

 

 

ただ、疑問点もあります。

まず、本書『グラスホッパー』は、「虫」という存在をフィーチャーしてあります。

そもそも本書の『グラスホッパー』というタイトルからしてバッタのことであり、文中にも昆虫について触れているところが多々ありますが、こうした「虫」に関しての描写の意図がよく分かりません。

第一頁からして鈴木が昆虫の生態について考えている場面から始まり、人間という存在の個体の接近度合いは、哺乳類というよりもむしろ昆虫に近い、という大学教授の言葉を引用してあります。

こうした描写の意図がよく分かりませんでした。もしかして、生存のためではなく他者を殺すという行為を昆虫になぞらえてあるのでしょうか。

 

また、鯨のみに亡霊を出現させているのはどういうことでしょう。

この亡霊が結構存在感があり、物語の進行にも重要な点で絡んでくるのでまた分かりにくいのです。

 

ともあれ、なんとも独特な物語の展開があり、会話があるのです。

読んでいる途中は好みと少し違うという印象を持ちながらも、結局はまた次の作品を読んでみたいと思うようになったのは、この不思議感のためなのでしょう。

早速次を借りたいと思います。

殺し屋シリーズ

殺し屋シリーズ』とは

 

この『殺し屋シリーズ』は、依頼に応じて人の命を奪う殺しを職業とする人物を主人公とするエンターテイメントシリーズです。

主人公は定まっておらず、各巻ごとの一人、もしくは数人の殺し屋を中心にした物語であり、各作品は主人公が殺し屋という以外に内容の関係性はなく、読む順番はどれから読んでも問題はありません。

 

殺し屋シリーズ』の作品

 

殺し屋シリーズ(2021年10月01日現在)

  1. グラスホッパー
  2. マリアビートル
  1. AX アックス

 

殺し屋シリーズ』について

 

『殺し屋シリーズ』を通した人物はおらず、各巻は独立していると思ってよさそうです。

ただ、殺し屋という職業の人物が主人公となっている作品のシリーズだという方がいいのかもしれません。

 

このシリーズの受賞歴を見ると、第一作目の『グラスホッパー』は第132回直木賞の候補になっています。

また、第三作目の『AX アックス』は第15回本屋大賞の候補になっています。

それほどに各作品共に充実した作品であって、当然のことながらに人気があり、ベストセラーにもなっているのです。

ちなみに、作者の伊坂幸太郎は、2008年下半期(第140回)執筆活動に専念したいという理由から『ゴールデンスランバー』が候補にあがることを辞退されたそうで、それ以降どの作品も直木賞の選考対象にはなっていないと思われます。

民王

民王』とは

 

本書『民王』は、文庫本で俳優の高橋一生の解説も含めて352頁の長編のエンターテイメント小説です。

内閣総理大臣の父親と、そのバカ息子の人格が入れ替わるという、この作者には珍しいコメディタッチの作品ですが、池井戸潤作品にしては今一つの印象でした。

 

民王』の簡単なあらすじ

 

「お前ら、そんな仕事して恥ずかしいと思わないのか。目をさましやがれ!」漢字の読めない政治家、酔っぱらい大臣、揚げ足取りのマスコミ、バカ大学生が入り乱れ、巨大な陰謀をめぐる痛快劇の幕が切って落とされた。総理の父とドラ息子が見つけた真実のカケラとは!?一気読み間違いなしの政治エンタメ!(「BOOK」データベースより)

 

前任者の急な辞任により、新しい民政党総裁になった武藤泰山はそのままに内閣総理大臣へと就任することとなった。

その泰山は、国会で総理大臣として答弁している最中に空耳が聞こえてきたと思ったら、そのままに気を失ってしまう。

一方、友人の南真衣の誕生日パーティに出ていた泰山の息子の翔もまた空耳が聞こえてきたと思ったら気を失ってしまう。

泰山が目を覚ますとそこは見知らぬパーティ会場のようであり、また、翔が目を覚ましたのは開催中の国会会議場であった。

つまりは、父親の武藤泰山と息子の武藤翔の身体が入れ替わってしまったのだった。

 

民王』の感想

 

本書『民王』は、上記のように親子の人格が入れ替わるという、池井戸潤という作家の作品にしては珍しくSFチックで、コミカルな作品です。

 

主だった登場人物としては、まず民政党総裁で総理大臣の武藤泰山とその息子がいます。

そして、政治家としての泰山の関係では、泰山の公設第一秘書の貝原茂平、泰山の盟友でもある官房長官の狩屋孝司などがいます。

また泰山と対立する憲民党の蔵本志郎や、この事件の捜査をする警視庁公安第一課の新田警視などが重要でしょう。

また翔の友人として、翔と同じ京成大学に通う学生起業家の南真衣、同じく翔のクラスメイトの村野エリカがいます。

他にも民政党の大物の泰山の属する城山派のボスである城山和彦や、翔の母のなどがいますが、物語の上では端役的な存在です。

 

本書『民王』のように人物の入れ代わりをテーマにした物語や映画は、あの青春映画の名作といわれる「転校生」以来、少なからず作成されています。

 

 

しかし、どちらかというと銀行などの企業を舞台にした作品を主に書かれてきた池井戸潤という作家が、本書『民王』のような政治の世界を舞台の、それもコメディタッチの作品を書かれるというのは初めてだと思います。

言ってみれば、それまで得意としていた分野とは異なる世界に踏み出されたわけで、それも、SF、もしくはファンタジーという、リアルな現実とはかけ離れた世界の物語です。

 

だからでしょうかこれまで読んできた企業小説で見せてこられた切れ味は影をひそめている印象でした。

本書『民王』で展開されるストーリー自体は何となく先の読める展開だし、登場人物たちの主張も至極まっとうなものであって、ひねりの効いた展開や、新規な主張などは見られません。

また、主人公の一人である翔という人物が、「惹起」や「有無」などの漢字もろくに読めないのにそれなりの主張を持ち、少なからず感動的な文章を書く能力は有しているという、妙にどっちつかずの印象です。

読み進める中で疑問を抱きつつも、本書自体がファンタジーでもあり、そこらは曖昧でもいいのだろうと、自分を納得させながらの読書になってしまいました。

 

ただ、いつものように作者の熱い思いだけは十分に伝わる作品である、とは言えます。

池井戸潤という作家の特色ともいえる、ともすれば書生論と言われそうな正しさ、正義の主張は本書『民王』でもはっきりと明示されていて、それは私にすれば大きな救いでもありました。

そしてその主張こそが池井戸潤の魅力の一つでもありますから、その意味では池井戸潤らしい、面白さを持った作品だと言えなくもないのでしょう。

そして、だからこそテレビドラマ化もされるほどの人気にもなっているのだと思えるのです。

 

私は見ていないのですが、このドラマは父である総理の武藤泰山を遠藤憲一が、バカ息子の翔を菅田将暉が演じ人気を博したそうです。

 

 

そして、2021年9月28日には本書『民王』の続編、『民王 シベリアの陰謀』が発売されるそうです。

発症すると凶暴化する謎のウイルスを巡るドタバタ劇が繰り広げられるらしく、現在のコロナ禍の状況を捉えた作品ではないかと勝手に想像しています。

この点、「この小説は、「ウイルス」「温暖化」「陰謀論」の、いわゆる〝三題噺さんだいばなし〟なんです。」という作者の言葉があるので、あながち間違いではないと思われます( カドブン : 参照 )。

楽しみに待ちたいと思います。

 

走れ外科医 泣くな研修医3

本書『走れ外科医 泣くな研修医3』は『泣くな研修医シリーズ』第三弾の、文庫本で396頁の長編の青春医療小説です。

医者になってこの春で五年目の、少しは医者として成長がみられる新米医師の姿を描いた作品です。

 

走れ外科医 泣くな研修医3』の簡単なあらすじ

 

若手外科医・雨野隆治のもとに急患で運ばれてきた二十一歳の向日葵。彼女はステージ4の癌患者だった。自分の病状を知りながらも明るく人懐っこい葵は、隆治に「人生でやっておきたいこと第一位」を打ち明ける。医者として止めるべきか?友達として叶えてあげるべきか?現役外科医が生と死の現場を圧倒的リアリティで描く、シリーズ第三弾。(「BOOK」データベースより)

医者になってこの春で五年目の雨野隆治は牛ノ町病院外科での後期研修医になって二年目になっていた。

牛ノ町病院救急外来で既に二台の救急車依頼を受け入れていた雨野隆治は、さらにもう一台の救急患者を受け入れるしかなかった。かかりつけの病院が受け入れてくれないというのだ。

その患者は二十歳の頃に胃の癌で胃を摘出しているステージ4の二十一歳の女性で向日葵という女性だった。

 

走れ外科医 泣くな研修医3』の感想

 

前巻の『逃げるな新人外科医 泣くな研修医2』では主人公の雨野隆治が初めて担当する二人のがん患者のことを主軸に据えた物語でした。

それに対し本書『走れ外科医 泣くな研修医3』では、一人の女性患者のことが軸になっています。

また、新たに新人の外科医も登場し、隆治の手助けをすると同時に振り回しもする姿が描かれます。

そして、隆治の指導医であった佐藤玲のプライベートも描かれていて、これまでの先輩医師としての姿とは異なる姿が示されています。

 

本書『走れ外科医 泣くな研修医3』では、雨野隆治も医者になってこの春で五年目になり、それなりに一人前の外科医となっています。

その隆治のもとに、前巻の『逃げるな新人外科医』で研修医として登場してきた西桜寺凛子という女性外科医が新人の外科医として登場してきます。

そんな隆治たちの前に、癌のために余命いくばくもない二十一歳の向日葵という女性が患者として現れ、隆治たちの日常をかき乱します。

新人外科医の凛子は歳も近い向日葵にどうしても感情移入してしまい、医者と患者との関係性を越えたつながりを持ってしまいます。

そうした二人に引きずられる隆治であり、ついには女性二人の勢いに押され、富士登山まで付き合うことになってしまうのです。

 

一方、隆治の指導医である佐藤玲もまた一人の女性として、付き合っている男性にプロポーズされ、ともにアメリカへ行ってくれないかとの誘いを受け悩みに悩みます。

女性医師にとって結婚は、妊娠、出産を経ることを意味し、その間医師としての仕事をあきらめることでもあります。また、その後の子育てを夫が手伝ってくれるかも不明です。

つまりは、自分の家庭を持つということは医師としての仕事をあきらめることにつながる可能性が強く、医師という仕事に情熱を燃やせば燃やすほど結婚からは遠ざかることになりかねません。

そんな女性医師としての佐藤玲の直面する問題も取り上げてあり、医師の抱える一つの側面を示してあるのです。

 

隆治個人も、研修医のころからの同期で今では耳鼻科医となっている川村に連れていかれた合コンで知り合い、後に付き合い始めたはるかという彼女のことも描かれています。

この女性と交際する姿は、医者全般に普遍化するわけにはいかないでしょうが、それでも緊急の呼び出しなどは同じでしょう。

 

本書『走れ外科医 泣くな研修医3』は、医者の物語であり、当然のことながらいろいろな患者の様子が描かれています。

でも、常連さんという高齢のお婆さんや常に横柄な態度で人を見下す態度しか取れない議員など、そうした患者の描き方はステレオタイプとも言えそうです。

しかしながら、外科医の現場の仕事の描写となるとさすがにリアリティに富んだ描写が続きます。

本シリーズが今後も続くことを期待したいものです。

逃げるな新人外科医 泣くな研修医2

本書『逃げるな新人外科医 泣くな研修医2』は『泣くな研修医シリーズ』第二弾の、文庫本で405頁の長編の青春医療小説です。

後期研修期間に入り、とりあえずは医者の仲間入りをした新米医師の姿を描いた感動的な物語です。

 

逃げるな新人外科医 泣くな研修医2』の簡単なあらすじ

 

雨野隆治は27歳、研修医生活を終えたばかりの新人外科医。二人のがん患者の主治医となり、後輩に振り回され、食事をする間もない。責任ある仕事を任されるようになった分だけ、自分の「できなさ」も身に染みる。そんなある日、鹿児島の実家から父が緊急入院したという電話が…。現役外科医が、生と死の現場をリアルに描く、シリーズ第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

牛ノ町病院で後期研修に入っている隆治にも後輩ができた。西桜寺凛子という新人研修医で、外科以外はどこでもいいという派手な、しかし明るい女性だった。

この凛子は若干のんびりしている印象はあるものの仕事はよくでき、人当たりがよく、患者たちにもすぐに溶け込む性格の持ち主だった。

そして隆治は、七十二歳の水辺一郎、六十六歳の紫藤博という二人の大腸がん患者を担当することになる。

何もかも始めての経験であり、とくに入れ墨が入った水辺には最初の挨拶のときに叱られてしまうが、凛子は持ち前の明るさで水辺にも明るく接し、すぐに溶け込むのだった。

そんな隆治に鹿児島の実家から父親の具合がよくないとの連絡が入るが、忙しさにかまけて忘れてしまっていた。

 

逃げるな新人外科医 泣くな研修医2』の感想

 

本書『逃げるな新人外科医』での雨野隆治は二十七歳、医者になって三年目で、二年間の初期研修を終えて外科医になる道を選び、前期同様牛ノ町病院で後期研修に入っています。

本書では、隆治が初めて主治医として担当することになった二人の患者を巡る話を軸になっています。

外科医の仕事にも少しだけ慣れてきた隆治がいよいよシビアな外科医療の現場に接し、汗と涙にくれる様子が描かれるのです。

それは例えば、下血し救急車で運ばれてきた癌患者への挿管処置などですが、その患者に関し、外科医というよりは医者としての心得なども指導医である佐藤玲から叩き込まれます。

例えば、家族からの患者の病状についての質問に対し、隆治は「大丈夫」という言葉を発してしまいますが、後にその患者の病状は悪化してしまいます。

そこで、家族の安心のために「大丈夫」などというのは医者が楽になりたいからだと言い切ります。

そして、「外科医はその重荷から逃げちゃいけない。」「外科医は、時に人を殺すんだ。」という佐藤の言葉は重みがあります。

ほかにも隆治の外科医としての仕事の様子が描かれています。それは最初の手術であったり、また患者を看取ることであったりもするのです。

 

それとは別に、牛ノ町病院には西桜寺凛子という新しい研修医が入ってきますが、派手な見た目とは裏腹にのんびりした話し方の凛子は、しかし仕事はできる女性でした。

また隆治のプライベートとしては、鹿児島の実家では父親が大腸がんで入院することになりますが、なかなか帰省できないでいます。

そのほかに、研修医のころからの同期で耳鼻科医の川村に連れていかれた合コンで知り合い、付き合い始めたはるかという彼女もできています。

たまに会ったりもするのですが、緊急の呼び出しなどでゆっくりした時間も取れない隆治でした。

 

たしかに、本『泣くな研修医シリーズ』は小説としてみると決して文章がうまいとは思えず、本書『逃げるな新人外科医』では意地悪な看護師のエピソードが途中で立ち消えになっていたりと、微妙に気にかかるところもあります。

しかしながら、手術の場面や患者との会話、救急医療の現場など、現場を知るものならではの臨場感にあふれていて惹き込まれるのです。

とくに隆治が、外科医として患者が死ぬことに慣れてしまったのではないか、と悩む姿は医者ならではの姿であり、それは作者中山祐次郎自身の姿でもありそうです。

でも、主人公雨野隆治というキャラクター自体が作者中山祐次郎の姿に重なるのでしょうから、それは当たり前と言えば当たり前かもしれません。

そして、けっしてうまい文章ではありませんが、やさしい文章であって、とても読みやすい物語になっています。

そして何よりも主人公の隆司の外科医としての成長が描かれていて、前巻から本書『逃げるな新人外科医』までの二年間の隆治の現場での経験を経ていることが確かに伝わってくるのです。

読んでいてそうした感覚が嬉しく、また楽しみでもあります。

続巻が楽しみに待たれる作品でした。

鍵のない夢を見る

辻村深月著の『鍵のない夢を見る』は、文庫本で269頁の暗い色調の五編の短編からなる作品集です。

日常からのちょっとした逸脱に翻弄される女性達を描いた第147回直木賞の受賞作で、個人的には好みではありませんでした。

 

鍵のない夢を見る』の簡単なあらすじ

 

第147回直木賞受賞作! !
わたしたちの心にさしこむ影と、ひと筋の希望の光を描く傑作短編集。5編収録。
「仁志野町の泥棒」誰も家に鍵をかけないような平和で閉鎖的な町にやって来た転校生の母親には千円、二千円をかすめる盗癖があり……。
「石蕗南地区の放火」田舎で婚期を逃した女の焦りと、いい年をして青年団のやり甲斐にしがみ付く男の見栄が交錯する。
「美弥谷団地の逃亡者」ご近所出会い系サイトで出会った彼氏とのリゾート地への逃避行の末に待つ、取り返しのつかないある事実。
「芹葉大学の夢と殺人」【推理作家協会賞短編部門候補作】大学で出会い、霞のような夢ばかり語る男。でも別れる決定的な理由もないから一緒にいる。そんな関係を成就するために彼女が選んだ唯一の手段とは。
「君本家の誘拐」念願の赤ちゃんだけど、どうして私ばかり大変なの? 一瞬の心の隙をついてベビーカーは消えた。(「BOOK」データベースより)

 

鍵のない夢を見る』の感想

 

物語の全体を貫くトーンの暗さもそうですが、何編かの物語には全く救いが感じらず、直木賞受賞作なのですが、個人的な好みには反している作品集でした。

トーンが暗いだけでも若干苦手なのに、そこに救いも無ければ何のためにこの物語を書いたのだろうという気になってしまいます。

 

幼馴染とのつらい思い出の結末、男のいない女の内心の葛藤、どうしようもない男と離れられない女、夢しか追えず独善的な男とから離れられない女、赤ちゃんの泣き声に追い立てられる女。

それぞれの女の内心を深く突き詰めて、読者に提示していて、文学として表現力や文章の巧拙など、私では分からない何かが評価されているのでしょう。

確かに、各物語の主人公である女たちの心の移ろいも含めての描写は、読み手の心に迫るものがあり凄いと思いました。

でも、だからこそ、と言えるのかもしれませんが、そうした心情を持つ女の物語への反発も激しいのでしょう。

ずるずると状況に引きずられて抜け出せなくなっていく女が描写されていて、男の私には良く分からない心裏もあるのですが、特に女性にはこの世界観にはまる人も多いかもしれません。

 

本書『鍵のない夢を見る』が出版されたのが2012年5月で、私が最初に辻村深月という作家の作品を読んだ最初の作品でした。

それ以来、本書に苦手意識を持った私は辻村深月の作品は読んでこなかったのです。

それほどに本書は2018年の本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』や『ツナグ』といった少年、少女を主人公に据えたいわゆる青春もの呼ばれる作品群とは異なっていたのです。

 

 

物語にエンターテインメント性を求める傾向の強い私は、『かがみの孤城』に接した後は辻村深月の作品のファンとはなるものの、本書は少々苦手とする作品なのです。

とはいえ、今では辻村深月の名前を見ればその作品を手に取るようになっています。

逆ソクラテス

本書『逆ソクラテス』は、小学生を主人公にした新刊書で276頁の長編小説で、第33回柴田錬三郎賞受賞作であり、2021年本屋大賞候補作でもあります。

いろいろな場での人間としてのありようを小学生の眼を借りて述べた、爽快感に満ちた物語です。

 

逆ソクラテス』の簡単なあらすじ

 

逆境にもめげず簡単ではない現実に立ち向かい非日常的な出来事に巻き込まれながらもアンハッピーな展開を乗り越え僕たちは逆転する!無上の短編5編(書き下ろし3編)を収録。(「BOOK」データベースより)

 


 

逆ソクラテス
転校生の安斎は、どこにでも決めつけて偉そうにする奴がいて、そういう奴らには負けない方法があると言ってきた。「僕はそうは思わない」という言葉だというのだ。

スロウではない
悠太はクラスでは目立たない地味な存在であり、また村田花も地味でいつも転校生の高城かれんと一緒にいた。そこに、目立ちたがりの女子の渋谷亜矢が意地悪を仕掛けて来た。

非オプティマス
五年生になって転校してきた保井福生は、いつも安そうな服を着ていて貧しい家の子だと馬鹿にされていた。その福生は、今の自分は仮の姿であり、例えばトランスフォーマーの司令官のオプティマスのようなものだというのだ。

アンスポーツマンライク
五人の仲間でのミニバスケットの最後の試合で歩(あゆむ)は肝心の一歩が出なかった。そして今、通り魔を前にして再び目の前の事態に足が踏み出せないでいた。

逆ワシントン
謙介の母親は「ワシントンの話」が好きだ。正直であることが一番だという。しかしその母親が、あることで変な大人に叱られている謙介や倫彦たちを窮地から救い出すために嘘をつくのだった。

 

逆ソクラテス』の感想

 

本書『逆ソクラテス』は、小学生を主人公にした爽快で、実に心地よい物語です。

教師からできない人間だとのレッテルを貼られた生徒や、足が速くないのにリレー選手に選ばれてしまった子供たちなどが主人公です。

彼らは何事も頭から決めつけてくる担任に対して「僕はそうは思わない」と反発したり、仲間たちの力を借りてその状況に立ち向かったりと積極的に生きています。

 

そもそも伊坂幸太郎という作家の作品は、そのストーリーの小気味よさもさることながら、非常に読みやすい文章が特徴の一つだと言えるでしょう。

特に本書の場合、主人公が小学生ということもあって難しい単語を使用することもなく、一段と読みやすい文章になっています。

そうした読みやすさの中で、各話の子供たちは先入観に基づく行為やいじめなどの理不尽な行いに対して反旗を翻します。

その行動は実に爽快であり、痛快です。そして、各話の中では読み手の心に確実にインパクトを残す「言葉」があり、リズムに乗った「文章」が示されています。

先に述べた「僕はそうは思わない」という言葉や、ドン・コルレオーネの真似の「うむ。では」「はい」「消せ」などの会話がそうです。

読み終えてからこれらの言葉がインパクトをもって思い出されます。

 

本書『逆ソクラテス』の各話は一応独立していて、個別に読むことができます。

ただ、例えば「スロウではない」に登場する磯憲先生は「アンスポーツマンライク」にも登場しますし、他にも明記はしてありませんが、同じ人物ではと思われる登場人物がいるのです。

これらの仕掛けは単に同じ人物が登場しているというだけではなく、各々の人生が交錯し、それぞれが有機的につながっている印象をもたらし、物語の世界に広がりを与えています。

さらには、第一話目「逆ソクラテス」の冒頭に出てくる野球選手は特定できても、そのテレビを見ている人が誰なのか明記してありません。

また、最終話「逆ワシントン」に出てくる家電量販店でのテレビの中のバスケットボール選手は名前が分かるにしても、涙を流す店員は不明です。

その人物が誰かをあいまいにしていることは読み手に委ねているということでしょうし、そのことは本書『逆ソクラテス』という物語に更なる厚みを持たせています。

これらの人物が誰を指しているのか、についてネット上でもいろいろと推測されています。

作者は答えは用意していませんが、読者それぞれがそれぞれの立場で考えてほしいと言っているのでしょう。

 

繰り返しますが、本書『逆ソクラテス』は、読みやすく爽快な読後感をもたらしてくれる作品です。

是非の一読をお勧めします。

推し、燃ゆ

本書『推し、燃ゆ』は、自分が推すアイドルに自らの全てを捧げる一人の女子高生の姿を描く、新刊書で125頁の長編の青春小説です。

第164回芥川賞を受賞し、2021年本屋大賞の候補作となっている文学的な香りは高い作品ですが、私の好みとは異なる作品でした。

 

推し、燃ゆ』の簡単なあらすじ

 

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。(「BOOK」データベースより)

 

主人公の十六歳の女子高生であるあかりの推す「まざま座」という五人グループの一人である真幸(まさき)がファンの子を殴るという事件が起きた。

あかりの推しである真幸の起こした事件はあかりの生き方にも大きな影響を与えるのだった。

 

推し、燃ゆ』の感想

 

本書の主人公あかりは、<まざま座>というグループの真幸という二十四歳の男子アイドルを推す十六歳の女子高校生です。

タイトルにもなっている「推し」とは、自分が応援するアイドルのことを言うそうです。

作者の宇佐美りんはインタビューに応えて、スターや芸能人を応援する側の言葉である「ファン」という言葉に対して、「推し」という言葉は、潜在的に「私の」という所有格が付着した強い言葉だと言っています( 「現代ビジネス」 : 参照 )。

 

個人的には、本書『推し、燃ゆ』のような作品は私の苦手とするところです。

確かに、本書の文章はレトリックが多用され、格調高く仕上がっていて、主人公の内心が感性に満ちた作者の言葉で非常に緻密に、それでいて125頁という分量もあって、わりと読みやすく綴られています。

とはいえ、比喩表現のうまさは時には私の理解の範疇を越えます。

例えば、本書『推し、燃ゆ』の冒頭近くで「肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、・・・」という文章は一読しただけでは意味が取れませんでした。

文脈からすると、身体の不調に対して病名がついたことで一度は気持ちが楽になった、ということなのでしょうが、一旦立ち止まると読書のリズムが狂ってしまいます。

それは、読みやすいエンターテイメント小説ばかりを読んでいた私の読解力の低下によるものに間違いないのでしょうが、あらためて自分にとって読みにくい作品を積極的に読もうという気にはなりません。

このような高尚な文章ゆえに読書のリズムが取れない場面が多々あり、文章の見事さに比して読書が楽しくありません。

 

もともと、登場人物の内心を深く掘り下げて緻密に描き出す作品は苦手とするところです。

例えば、西加奈子の『i(アイ)』のように、紙数を費やして緻密に人物の内心を描写している作品は、いい作品ではあっても苦手とするのです。

それが、本書のように一段と文学的に表現されているとそれだけで圧倒されてしまう部分もあります。文章表現の美しさというよりは、心象表現の見事さに圧倒されるのです。

 

 

本書『推し、燃ゆ』は、殆ど主人公のあかりという女生徒だけしか登場しない物語です。

もちろん、友達の成美であったり、家族であったり第三者が全く登場しないわけではありません。

しかしながら、極端を言えばそうした人物は物語の背景であって、具体的な肉体を持った人物としてはあかりだけだと言っても過言ではありません。

そのあかりの人格をひたすらに追いかけてある物語であり、その追いかけ方の表現、単なる状況を描くだけでそれは状況を越えたあかりという人格をも描写しているのです。

その見事さは否定しようと思っても否定できるものではありません。

 

今回は単純に私の好みだけの文章になってしまいました。

こころから圧倒されたという他ありません。

ただ、好みではないのです。