悪の五輪

東京が日本が劇的に変貌しつつあった1963年、元戦災孤児のアウトローが大いなる夢に向かって動き出す。軋む街の表に裏に、抜き差しならない腐敗や闇が根尾下ろしているなかで、オリンピックを奪い、撮れ!(「BOOK」データベースより)

 

1964年に東京で開催されたオリンピックの記録映画を巡り、何とか監督の人選に食い込もうとする男の暗躍を描いた長編のピカレスク小説です。

もしかしたらそういうことがあったかもしれないとの印象すら抱く、実在の人物が数多く登場する映画裏面史ともいえる話で、それなりの面白さをもった話でした。

 

それなりの、との限定は、月村了衛という作者の作品としては、少々インパクトに欠ける印象を持ったからです。

どうしても月村了衛という作家の作品を読むときはこの人の作品である『機龍警察』と比較をしてしまいます。そして、『機龍警察』の緻密さ、重厚感を知る私にとって、本書は今一つ物足りないのです。

 

 

ただ、本書に関しては、『機龍警察』を引き合いに出すまでもなく、例えば近年のいわゆる第二期の作品『東京輪舞』と比しても同様の印象を持ちます。

本書は著者自身が言うように、歴史的な事実、人物を物語に組み込みながらも史事には矛盾させないという『東京輪舞』と同じ手法をとっていますが、やはり緊迫感、重厚感に欠けるのです。

それは、『東京輪舞』が警察小説の形をとった、昭和の裏面史としてある種の謎に迫る物語であるのに対し、本書『悪の五輪』は昭和の裏面史に題をとったクライムノベルではあっても、エンターテイメントの世界を描いた作品だというところからくる差異だと思われます。

 

 

つまりは、緻密な書き込みで濃密に構築された世界を舞台に展開されるアクションやミステリーではないところに物足りなさを感じたのでしょう。

とはいえ、本書『悪の五輪』には『東京輪舞』などにはない面白さがあるのは否定できません。

本書はピカレスク小説として、主人公の人見稀郎花形敬などの実在した人物とのつながりをもって東京オリンピックがもたらす利権に食い込もうとするさまが描かれ、ある種の痛快さがあります。

つまり、ミステリー性はない代わりに、チンピラやくざであった人見稀郎が、知恵を絞り、度胸だけで何とか利権の片隅に食い込もうとするエネルギーに満ちています。

そして、そのエネルギーの向かう先にいる花形敬や若松孝二児玉誉士夫永田雅一といったひと癖もふた癖もある実在の人物らとのつながりを得て利権に食い込む姿が小気味よさを感じさせてくれるのです。

 

さらに言えば、映画史の一面を持っているということに惹かれます。

本書では、黒澤明が東京五輪の記録映画監督の座を降りたその後釜に潜り込みたいという二流監督の意思が金になるとふんだ弱小ヤクザの思惑から始まった物語です。

そして、映画好きのチンピラヤクザ人見稀郎がそのお膳立てを任されます。

当然、映画自体は詳しくても、映画界に何の知己もない人見稀郎は知人から紹介された新進の映画監督若松孝二を通じて大映社長の永田雅一の黙認を得、花形らの力を借りて錦田を記録映画監督とするべく暗躍を開始するのです。

こうした話は映画好きの人間にはたまらない、魅力的な話であることは間違いありません。

 

ただ、そうはいってもあくまで映画そのものが主軸ではないので物足りないのです。

そうした映画の裏面史としては春日太一の『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』のような、フィクションではない映画史を読む面白さにはかないません。

 

 

結局、本書はエンターテイメントの世界を背景に描かれたピカレスク小説であり、エンターテイメントの世界の裏側を描いた物語です。

そこにあるのは曲者たちの有する思惑の絡み合いであり、利権に群がる人間たちの姿であり、他の世界と異なるところはありません。

作者は2020年の東京オリンピックを前にして、前回開催された東京オリンピックの裏側の一面を描き、今回のオリンピックも同様だよ、と言っているようです。

ただ、新型コロナウイルスのパンデミックにより、2020年東京オリンピックが開催されるものか不透明にはなってきていますが、できれば通常のように開催されることを願うばかりです。

悪医

余命宣告された52歳の末期がん患者は、「もう治療法がない」と告げた若き外科医を恨み、セカンドオピニオン、新たな抗がん剤、免疫細胞療法、ホスピスへと流浪する。2人に1人ががんになる時代、「悪い医者」とは何かを問う、第3回日本医療小説大賞受賞の衝撃作。(「BOOK」データベースより)

 

患者側と医師側その両方の視点による主張を展開する、日本医療小説大賞を受賞した、長編の医療小説です。

かなり重く、暗い話でしたが、読了後は“爽やかな”とは言えないまでも、それまでの閉塞感からは開放されるだけの感動が待っていました。

 

医療小説といえば“命”と直接に向き合う話であるのは当然です。特に本書のように「癌」をテーマにする以上は、重く暗い話にあるのは当たり前です。

でも、作品によっては本書のようではなく、誤解を恐れずに言えば、もう少し軽く接している作品もあります。

例えば、 夏川草介の『神様のカルテシリーズ』でもがんを患っている患者の話は出てきます。そして、つらい現実に直面するのですが、本書程には陰鬱ではありません。

ただ、『神様のカルテシリーズ』の場合は、ある医者を主人公として地域医療を考えることを主眼に書かれていて、主人公の性格を個性的にしてユーモアを交えて描くなど、物語自体が重くならないような仕掛けを施してあります。

 

 

これに対し本書『悪医』の場合は、「癌」の告知をする医者と告げられた患者という特定の関係を描くことで癌医療の現実を描きだしていて、作品の雰囲気が異なるのは当たり前です。

 

読み始めてしばらくは、この作者の作品を読むことは初めてということもあり、決してうまい文章とは言えない、などと考えながらの読書でした。

その上、いわゆる金儲け主義の医者や研究データを大事と考える医者などが登場するにつれ、登場人物の描き方が類型的に過ぎはしないかとの疑問も抱いていました。

 

しかしながら、そうした批判的な読み方も、必死で生きようとして様々な治療を試そうとしてなけなしの大金をつぎ込む患者の態度や、医者同士の会話などに、客観的になれずに感情移入している自分がいるのに気が付きます。

医者同士の会話に出てくる、「医者は経験上、無理な治療は状況を悪化させることを知っている。」との言葉や、「患者というのは、望みがない状況になっても無理やり希望を作り出す」との医長の言葉などは印象的です。

とりようによっては上からの目線とも思えるその言葉の先に、本書でいう医者と患者の立場の違いがあり、すれ違いがあるからです。

 

本書では、森川医師の患者のためを思って告げた癌の治療断念の言葉が、その真摯さが患者には伝わりません。

癌を告げられた患者からすれば、自分の命がかかっているのですから見放されたとしか思えず、もう少し患者の気持ちを分かってほしいと望みます。

結果として医者と患者との気持ちに齟齬が生じ、患者は自分でセカンドオピニオンを求め、まさに「悪医」に取り込まれていきます。

 

本書の一番の魅力が、医者と患者とのリアルな対立を通して医療の本質を描いている点にあるのは勿論です。

しかしながら、その描写の過程で、医者の森川については妻の瑤子の言葉が、患者の小仲についてはボランティアの稲本や吉武の言葉が、視点の多様性をもたらしているところもまた大きいのではないかと思っています。

患者からは冷酷な医者との言葉を投げつけられる医者が、実は勉強家であり、食事の時間も惜しんで患者のために尽くす医者である事実があるなどの叙述は、物事の見方の多面性を示す一例でもあります。

 

物事は一面的ではない、という事実を物語の中で示してくれている作品はそう多くはありません。

一つの出来事に対するある見方に対し、立場を変えた視点で更なる考察を施す。そうした多視点での物事の捉え方を示してくれている作品は読んでいて実に安心でき、納得できます。

本書は現役の医者であるという立場でそいう視点をもたらしてくれている作品だと思うのです。

 

結果として、非常に重い作品ではあるのだけれど、読後にはその重さをはねのけるだけの感動をもたらしてくれる作品であり、日本医療小説大賞受賞も納得の作品でした。

久坂部 羊

1955年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。外務省の医務官として9年間海外勤務の後、高齢者が対象の在宅訪問診療に従事。その一方で20代から同人誌「VIKING」に参加し、2003年『廃用身』で作家としてデビュー。以後、医療の現実を抉り出す衝撃作を次々に発表している。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞。その他の著書に『破裂』『無痛』『第五番』『芥川症』『嗤う名医』『老乱』『院長選挙』などがある。( 久坂部羊 | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

朝倉 かすみ

1960年北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、’04年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞し作家デビュー。
’09年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞。他の著書に、『ロコモーション』『恋に焦がれて吉田の上京』『静かにしなさい、でないと』『満潮』など多数。( 朝倉かすみ 『平場の月』 特設サイト : 参照 )

平場の月

朝霞、新座、志木―。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる―。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。(「BOOK」データベースより)

 

本書の帯にいう「もう若くはない男と女の、静かに滾るリアルな恋」を描き出し、第161回直木賞の候補作となった長編の恋愛小説です。

 

やはり恋愛小説は苦手だと、あらためて思わされた作品でした。本書ではそれに加えて「癌による死」という私が禁じ手と思っている手法をとっていたため、さらに読み続けることが困難でした。

たかだか240頁の決して大部とは言えない本ですが、読み終えるのにかなりの時間がかかってしまうほどだったのです。

 

しかしながら本書は読者から絶大な支持を受けています。それを証明するように、本書は山本周五郎賞を受賞し、その上の直木賞の候補作にも選ばれてもいます。

確かに、本書の文章、また言葉の選び方には、非凡としか思えない感性のひらめきを随所に見て取ることができます。

多用されている比喩も、心のひだを浮き上がらせるようであり、まるで詩人が私たち素人の思いもつかない言葉を選んで一編の詩を紡ぎ出すような、そんな印象さえ持ってしまうものがあるのです。

 

五十歳になる主人公の青砥健将は、妻子と別れ母親の世話のために地元の印刷会社に就職しています。そして検査のために行った病院の売店で、中学時代の同級生である須藤葉子に再会するのです。

かつてどこか“太い”と感じていた印象そのままの須藤でしたが、青砥と同様に身体の不調を感じて検査を受けることになりました。

 

実に平凡な、普通の「平場」に暮らす人間の普通の生活のなかで、これまたありふれた中学時代の同級生同士の再会から変じた五十歳の大人同士の恋愛。

ここでタイトルにもなっている「平場」とは「ひらたい地面でもぞもぞ動くザッツ庶民。空すら見たり見なかったりの。」と著者は言っています。

 

二人の普通の暮らしもまた実に緻密に描写してあります。

彼らが飲む酒も発泡酒であり、さらに飲む場所も互いの部屋飲みです。

彼らの周りにいる青ブレもまたありふれた話し好きなおばさんであり、落ちぶれた雰囲気感満載の同僚たちです。

どこをとってもおしゃれでもスマートでもない、ありふれたおっさんとおばさんのありふれた恋。

そんなありふれた日常から紡ぎ出される物語は、悲しみに満ちています。その原因は病であり、互いを思いやる心です。

そこには特別な関係性がありました。

 

本書のように私が苦手と思った恋愛小説としては 凪良ゆうの『流浪の月』や 島本理生の『ナラタージュ』という作品があります。

流浪の月』という作品は、本書と同じく2020年本屋大賞にノミネートされていて、誘拐犯とされた小児性愛者の男とその被害者の女の独特なありようを通して人間同士や社会との関係性のあり方を描きだした作品です。

 

 

次の『ナラタージュ』の著者 島本理生は2018年に『ファーストラヴ』で直木賞を受賞した作家さんです。

この人の『ファーストラヴ』という作品はミステリー仕立てであったこともあってかなり引き込まれて読みました。

それもあって読んだ『ナラタージュ』は、主人公である工藤泉の高校時代の恩師である葉山先生への思慕を描いた作品と言え、本書同様に読み続けることに拒否感を感じた作品でもありました。

 

 

本書のような物語は何のために読むのだろうと、常に思ってしまいます。

本は、その本を読むひとときが幸せだと、楽しいと思えることがいいのだと、私は思ってきました。

ところが本書のような作品は、読書のひとときがつらく、重く、哀しみにあふれてしまうのです。

本書が直木賞の候補となっていなければ決して読まなかった本でしょう。

 

人間をその内面へと深く追求することで人間の本質を描こうとする作品は私の読書の対象範囲外であり、だからこそ私は芥川賞関連の作品はほとんど読んでいないのです。

読書は楽しくありたい。そしてその楽しさは予想外の驚き、意外性からくる感動などに心を動かされるところにあるのであり、だからこそSF作品やミステリーに惹かれます。

良い本と好みの作品とは異なるという何度も書いてきた言葉がここでも当てはまりました。

スロウハイツの神様

人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだ―あの事件から十年。アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。夢を語り、物語を作る。好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

莉々亜が新たな居住者として加わり、コーキに急接近を始める。少しずつ変わっていく「スロウハイツ」の人間関係。そんな中、あの事件の直後に百二十八通もの手紙で、潰れそうだったコーキを救った一人の少女に注目が集まる。彼女は誰なのか。そして環が受け取った一つの荷物が彼らの時間を動かし始める。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

登場人物
赤羽環 絶賛売り出し中の若手女性脚本家
千代田公輝 小説家
狩野壮太 漫画家の卵
長野正義 映画監督の卵 森永すみれの彼氏
森永すみれ 愛称スー 画家の卵 長野正義の彼女
黒木智志 編集者
円屋伸一 環の親友
加々美莉々亜 自称小説家

 

様々なジャンルの若きクリエーターたちが集まって生活する姿を描いた、文庫本で上下二巻の長編の青春小説です。

恋愛小説の一形態と言ってもいいかもしれません。

この作家の作品らしく一応の水準の面白さは持っているものの、これまでに私が読んだこの作者の作品の中では最も感情移入しにくい小説でした。

 

本名を千代田公輝という作家のチヨダ・コーキを核として、あるアパートに集まったクリエーターたちの青春の一時期を描いた作品ですが、その実、狩野壮太を主な語り部とする赤羽環の物語と言えると思います。

 

今では大御所となっている漫画家たちの梁山泊とも言われるあの「トキワ荘」のように、チヨダ・コーキのファンを自称する脚本家赤羽環所有のアパートで暮らす若者たちの話です。

そこにはいまだ売れない漫画家のたまごや絵描きなど、さまざまな創り手たちが集い、各々の仕事で悩み、恋心で悩んでいる姿が描かれています。

彼らの中心には作家のチヨダ・コーキがいて、かれの作品により人生が変わった人や、彼の作品を巡る盗作騒ぎなど、様々な事件が起きます。

そして本書の中ほどから加々美莉々亜という女の子が「スロウハイツ」の住人となってからは本書の物語が大きく動き始めるのです。

中でも「鼓動チカラ」というペンネームの、チヨダ・コーキの作風を真似る作家の登場は、少しではありますが、その正体を巡り本書にミステリアスな側面ももたらしてくれます。

 

最終的にはこの作家の作品らしく、本書の最初から貼られていた壮大な伏線の回収が始まるのですが、それはまさに推理小説の謎解きのようでもあります。

この伏線回収の部分はさすが辻村深月だと思わせられるものであり、本書に対し感じていた若干の冗長性も一気に解消されるほどのものではありました。

 

そうした面白さの要素をふんだんに詰め込んだ作品でありながらも、何故私が感情移入できないでいたのかを考えると、それはやはり登場人物たち、彼らの状況の設定にリアリティーを感じなかったからだと思います。

加えて、チヨダ・コーキという作家の作品の非現実的な人気の獲得のあり方、など、それら全体に違和感を感じたのです。

 

ただ、本書の実質的な主人公で「スロウハイツ」のオーナーである赤羽環の生き方が物語の中心にあると思われ、本書を彼女の物語としてみると本書の印象は若干変わってきます。

クライマックスで明かされる赤羽環という人物の物語はそれとして面白いものでした。

それは、つまりは本書のクライマックスに魅力を感じているということだと思われ、とするならば本書に感情移入できなかったというのは間違いなのかもしれません。

 

ともあれ素直な感想としてこの作者であればもう少し面白い物語を描けるというハードルの高さを設定していたということはありそうです。

なお、チヨダ・コーキのデビュー作という設定の作品として、私は未読の『V.T.R』という作品があります。この本の解説は赤羽環となっているそうです。

 

 

また演劇集団キャラメルボックスによって舞台化もされていて、かなりの評価を受けたとありました。

 

そして、桂明日香の画で漫画化もされ、Kissコミックスから全四巻で刊行されています。

 

 

線は、僕を描く

水墨画という「線」の芸術が、深い悲しみの中に生きる「僕」を救う。第59回メフィスト賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

その存在は知っていてもその実際についてはほとんど知識の無い水墨画をテーマに一人の若者の再生を描く、第59回メフィスト賞を受賞し、そして2020年の本屋大賞ノミネート作にも選ばれた感動の長編小説です。

 

水墨画に関してまったくの白紙の状態である主人公の「僕」こと青山霜介が、たまたま水墨画の巨匠の篠田湖山と出会い水墨画を習うことになります。

そこで教えてもらうその過程は、同じく水墨画に無知な状態である読者と同じ目線で進んでいきます。

ですから、墨の擦り方ひとつとっても力を抜くことの大切さなどを同じ目線で知ることができるのです。

ただ、凡人の私達とは異なり、主人公青山霜介は巨匠に見込まれるだけの眼を持っている点が異なります。

師匠の筆の動かし方を一度見るとその意味は分からなくても、師匠と同じ動作を繰り返すことができるだけの観察眼は持っていました。

だからこそ、師匠は主人公に水墨画を教えようと思ったのだし、教えるに値するだけの才能があると思ったのです。

 

その点はさておいても、本書で書かれている水墨画を描くということの意味についての描写は感動的です。

主人公の内面の描き方自体が抽象的な状態を表す言葉での描写ではなく、心の中にあるガラスの質感の真っ白の部屋、という視覚的であり映像的な描き方をしてあります。

また、筆者が水墨画家というだけあって、「たった一本の草を描くだけで、真っ白な空間の中にいくつもの秩序が生まれた。命と命を囲む周囲の状況が見て取れた。」などと、一つの筆の運びの表現もさすがと思わせられます。

もちろん具体的な基本的描法についても釘頭(ていとう)、蟷肚(とうと)、鼠尾(そび)などの説明があり、その上での実際の描画です。

そして、究極の技法とは「線を引くこと」だという言葉につながっていきます。

勿論、読んでいく過程ではその意味はよく分かりませんが、その言葉は最終的にはタイトルの「線は、僕を描く」へと連なるものなのでしょう。

下掲の動画は本書の本の一端を表した動画です。短いものですので是非一度ご覧ください。

 

 

芸術的な感覚を文字として表現することの凄さは、例えば音楽の世界では、 恩田陸の『蜜蜂と遠雷』という作品があります。

この作品は、実在するコンクールをモデルにした架空のピアノコンテストを舞台に、おもに四人のコンテスト出場者の横顔を描き出した青春群像小説で、第156回直木三十五賞および2017年本屋大賞を受賞した作品です。

 

 

また、絵画の世界では『暗幕のゲルニカ』という作品が思い出されます。

ニューヨーク近代美術館のキュレーター八神瑤子と、ピカソの恋人の一人のドラ・マールの二人の行動を章ごとに追いかけ、ピカソと「ゲルニカ」の物語を各々の時代で描きつつ、クライマックスへと突き進んでいく物語です。

この作品は、専門知識をもって資料収集、研究、催事の企画・運営などに携わる専門家のことを意味するキュレーターでもあった 原田マハが、その経験と知識を駆使して描き、第155回直木賞の候補となりました。

 

 

他にもすぐに思い出す作品がありますが、どの作品も作者の筆の力で芸術での感動を文章として見事に表現しています。

特に本書の場合、水墨画家としての経験があるとはいえ、小説家としてのデビュー作だというのですからたまりません。

水墨画を知らしめる文章のみならず、水墨画に出逢い、それまで自分の殻に閉じこもっていた一人の若者が自分を取り戻し、成長していく過程の描写も見事なものです。

個人的にも本屋大賞の大本命ではないかと考える作品です。是非一読をお勧めします。

 

ちなみに、本書は堀内厚徳氏の画でコミック化もされています。(講談社コミックス全四巻)

 

 

また、「【第1話】黒白の花蕾」だけは無料で視聴できるようです。

砥上 裕将

1984年、福岡県生まれ。水墨画家。
温厚でおだやか。お年寄りの趣味と思われがちな水墨画の魅力を、小説を通して広い世代に伝えたいという志をもって、本作品を書き上げた。ウイスキーにジャズ、そして猫を心から愛する。(講談社BOOK倶楽部 : 参照)

勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~

命の尊厳とは何か―?答えのない問いに必死で向き合う若き研修医と看護師の奮闘を描いた、感涙の連作短編集。(「BOOK」データベースより)

 


 

今年三年目の看護師と一年目の研修医を通してみた、地方の高齢者医療の現場を描き出す長編の医療小説です。

 

神様のカルテシリーズ』の著者でもある夏川草介が、「神様のカルテシリーズ』に入れ込むには少々重すぎるので、書くとしたら別の物語でと考えていました。」と言っている作品です。

今の社会は『死』と正面から向き合っていないのではないか」という思いから、「地域医療、とりわけ高齢者医療において、医療現場の外からはなかなか見えない隠された部分を書こう」と思っていたそうです。( カドブン : 参照 )

 

同じところで、「私は、読者にかっこいい人たちが登場する美しい物語を届けたい」とも書いておられます。

そしてその言葉のとおりに、安曇野の美しい風景を背景として、主人公である三年目になる看護師の月岡美琴と、一年目研修医の桂正太郎という初々しいカップルが、つらい現実を前にしながらも暖かな関係を築いていく話になっています。

 

この作者の書く物語は、本書も含め、読んでいて少々美しすぎるのではないか、本当の現場はもっとシビアで人間の嫌な面がはっきりと出てくるものではないか、などと感じることもありました。

しかし、先の著者の言葉はそうしたリアルな現実はあえて避けて、明るい側面を描いているのだと明言しているのです。それはそれで一つの選択であり、納得しました。

若い人たちにはまずは『理想』や『人としての美しさ』をきちんと見ておいてほしい。」という著者の意図は素晴らしいと思います。

 

医療小説としては、医療の厳しい現場をリアルに描き出す作品もあります。

例えば、 大鐘稔彦の『孤高のメス―外科医当麻鉄彦』(幻冬舎文庫全六巻)などはその系統に入るでしょう。確かに、主人公の医師が高い技術の持ち主過ぎるという側面が無きにしもあらずですが、リアルな医療現場を描き出しあるという評価がなされています。

 

 

また、 山崎豊子の『白い巨塔』(新潮文庫全五巻)も大学病院を頂点とする医学界の現実をリアルに描き出している作品として高い評価を得ています。大学教授の椅子を巡る駆け引きに明け暮れる人間関係を描写した名作です。

 

 

本書では四つの物語が収められています。

そのそれぞれの物語で、地域医療の現実、胃ろう、限られた医療資源、医療訴訟、延命治療、その他医療の素人の私達には直接的には関係の無さそうな、それでいて実は非常に密接な事柄である「命」にかかわる重大な問題が描かれています。

そして、そのそれぞれの場面で、登場人物のほとんどが医療に真摯に向き合っている医師や看護師らという善人で構成されているのです。

そこには裏のある人間は一人もおらず、入院患者でさえもあまりわがままを言いません。先に述べた「人としての美しさ」を描くための「理想」的な人間がいて、「理想」的な医療に近づけるべく努力する人たちがいます。

更には、主人公のひとりである研修医の桂正太郎は花屋の息子だから花に詳しいという設定で、物語の随所に「花」が重要なアイテムとして登場し、物語に彩を添えています。

 

ある意味『神様のカルテシリーズ 』の中の一編と言っても通りそうな物語ばかりなのですが、物語が看護師目線である場面が多いことと、「花」がキーワードとなっているという点において『神様のカルテシリーズ 』とは異なっていると言えます。

しかし、テーマが少しだけ本書の方が重いというだけで、中身は同じと言い切ってもいいと思われます。

ただ、別なシリーズとしてそれなりに存在感を持っている、と言っても良さそうでもあり、それは主人公の二人の明るい恋が描かれているところにあると思うのです。

本書の山場の一つであるカタクリの群生地での二人の様子などの美しい自然の描写が本書のテーマの重さをかなりの部分で和らげてくれています。

きれいごと、という批判もありそうですが、それでもなおこの作者の描く物語は読み手の心を温かくしてくれるのであり、作者の言う「理想」に少しでも近づこうとする医療関係者や患者らの支えになるのではないでしょうか。

本書もシリーズ化されてほしいものです。

凪良 ゆう

2006年『恋するエゴイスト』でデビュー。『雨降りvega』(イラスト:麻々原 絵里依)、『365+1』(イラスト:湖水 きよ)などの作品を手がける。主にボーイズラブ系で活動。( 凪良ゆう – BookLive! : 参照 )

 

先日見たテレビの番組で、この作者の『わたしの美しい庭』が高い評価を受けていたので読もうかと思っていたところ、『流浪の月』という作品が2020年本屋大賞にノミネートされていました。

 

 

その際にこの作家のことを調べてみると、もとはボーイズラブ小説(BL小説)の書き手として評価が高かった作家さんということです。

ここでボーイズラブ小説(BL小説)とは

日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンルのことで、1990年代中盤〜後半に使われるようになった言葉である。( ウィキペディア : 参照 )

だそうです。

この同性愛というしばりをなくした作品を読んでみたいという作家さんの依頼で書かれたのが『流浪の月』であり、本屋大賞候補作品にもなったとありました( ほんのひきだし : 参照 )。