リカバリー・カバヒコ

リカバリー・カバヒコ』とは

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、2023年9月に234頁のハードカバーで光文社から刊行された連作の短編小説集です。

いつもの通りの心温まる話が詰まっている、青山美智子らしい作品集です。

 

リカバリー・カバヒコ』の簡単なあらすじ

 

5階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで”リカバリー・カバヒコ”。アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。高校入学と同時に家族で越してきた奏斗は、急な成績不振に自信をなくしている。偶然立ち寄った日の出公園でクラスメイトの雫田さんに遭遇し、カバヒコの伝説を聞いた奏斗は「頭脳回復」を願ってカバヒコの頭を撫でる――(第1話「奏斗の頭」)出産を機に仕事をやめた紗羽は、ママ友たちになじめず孤立気味。アパレルの接客業をしていた頃は表彰されたこともあったほどなのに、うまく言葉が出てこない。カバヒコの伝説を聞き、口を撫でにいくと――(第3話「紗羽の口」) 誰もが抱く小さな痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。(「Amazon」内容紹介より)

 

リカバリー・カバヒコ』の感想

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、作者青山美智子らしい、明日に希望をもたらしてくれる心温まる作品集です。

本書には悪人は登場しませんし、派手なアクションもありません。ただ、普通の人々の普通の暮らしが描かれ、その暮らしの中で抱えることになった屈託をカバヒコが解決してくれる物語です。

とは言っても、カバヒコが何かをしてくれるということではありません。

そもそも「カバヒコ」とはアドヴァンス・ヒルというマンション近くの日の出公園にある、いわゆるアニマルライドと呼ばれる遊具につけられた名前であり、ただそこにあるだけの存在に過ぎません。

その名前にしたってカバの遊具であるところからつけられてに過ぎず、その名前に意味があるわけでもありません。。

 

各話の主人公は前出のアドヴァンス・ヒルという新築分譲マンションに住む人たちです。

第一話は、レベルの高い高校に進学したものの、自分の成績の悪さに戸惑う宮原奏斗という高校生。

第二話は、ママ友たちとの付き合いに疲れ、ボスママから無視される樋村砂羽という主婦。

第三話は、耳管開放症という珍しい病に悩む新沢ちはるというブライダルプランナー。

第四話は、嫌なことから逃げていたら本当に足が痛くなってしまった勇哉という小学生。

第五話は、口を開けば母親と喧嘩ばかりをしている溝畑和彦という雑誌編集長です。

 

彼らはそれぞれに悩みを抱え、気が思い毎日を送っていますが、近所の公園の中にあるカバの遊具に関して言われている都市伝説を信じてカバヒコの身体の個所をさすり、その回復を願うのです。

カバヒコは何もしてくれません。ただそこにあるだけです。でも彼らの心は何故か軽くなり、抱えている問題に正面から付きあうようになるのです。

 

作者の青山美智子は、WEB別冊文藝春秋に掲載されているインタビューの中で本書で書きたかったことなどを語っておられます。

そこでは、本書『リカバリー・カバヒコ』の「裏テーマは「相棒」で、主人公がそういう存在に気づく話でもあるんです。」と言っておられます。

そして、「傍から見たら地味だけれど、だからこそ一人一人が見つけるほのかな光が浮かび上がるようなものが書きたかったんです。」とも言っておられるのです。

 

青山美智子の作品は、うがった見方をすれば、これまで三年連続で本屋大賞の候補となった『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』『月の立つ林で』という三作それぞれのパターンが一緒だと言えます。

ただ、程度の差こそあれこの三作はファンタジーの要素があり、超自然的な力が働いていた点に本作との違いがあるとは言えるでしょう。

ですが、たしかに似たようなパターンだと言えないこともありませんが、そのそれぞれの作品で細かな小道具や構成などにこだわりがあり、パターンの類似をものともしない作者の未来に対する希望を感じることが来ます。

だからこそ皆の支持を受けているのでしょう。

ちなみに、同じ個所で、「彼、実は『ただいま神様当番』に出てくる千帆ちゃんという小学生の女の子の弟なんですよ。私がまたスグルくんに会いたかったから書きました。」とも言っておられました。

 

このブログの他の箇所でも書いていますが、私の好む小説はサスペンスやミステリーと分類される作品やSF小説です。中でもアクション小説などの冒険小説を特に好みます。

一方、夏川草介のような心に迫る、人間というものをあらためて考えさせられる作品も好きです。

そうした相反する趣きの作品を読むことでバランスをとっているかのようでもあります。

ともあれ、本書『リカバリー・カバヒコ』は軽く読むこともできつつも明日への希望をもたらしてくれる好編だと思っているのです。

この夏の星を見る

この夏の星を見る』とは

 

本書『この夏の星を見る』は、2023年6月に488頁のハードカバーで刊行され、王様のブランチで特集された長編の青春小説です。

全国の中高校生たちは、このコロナ禍で何もかもが制限されてきましたが、そうした制限下でも何かできることはないかと動き始めた生徒たちの姿を描き出した感動作でした。

 

この夏の星を見る』の簡単なあらすじ

 

亜紗は茨城県立砂浦第三高校の二年生。顧問の綿引先生のもと、天文部で活動している。コロナ禍で部活動が次々と制限され、楽しみにしていた合宿も中止になる中、望遠鏡で星を捉えるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」も今年は開催できないだろうと悩んでいた。真宙(まひろ)は渋谷区立ひばり森中学の一年生。27人しかいない新入生のうち、唯一の男子であることにショックを受け、「長引け、コロナ」と日々念じている。円華(まどか)は長崎県五島列島の旅館の娘。高校三年生で、吹奏楽部。旅館に他県からのお客が泊っていることで親友から距離を置かれ、やりきれない思いを抱えている時に、クラスメイトに天文台に誘われるーー。
コロナ禍による休校や緊急事態宣言、これまで誰も経験したことのない事態の中で大人たち以上に複雑な思いを抱える中高生たち。しかしコロナ禍ならではの出会いもあった。リモート会議を駆使して、全国で繋がっていく天文部の生徒たち。スターキャッチコンテストの次に彼らが狙うのはーー。
哀しさ、優しさ、あたたかさ。人間の感情のすべてがここにある。(内容紹介(出版社より))

 

この夏の星を見る』の感想

 

本書『この夏の星を見る』は、コロナ禍により行動を制限されている中高校生たちが、星を観ることを通して全国の見知らぬ仲間と交流を図る青春小説です。

王道の青春小説でありながら、2020年から始まった特殊な状況下での中・高生たちや世の中の状況をその一部ではありますが描き出してある、特殊な状況下での青春小説でもあります。

その点では、書評家の吉田大助氏が書いておられたように「記録文学としての側面」もあるのでしょう( カドブン:参照 )。

 

本書には星を見るという行為でつながっていく若者たちの姿があり、天体望遠鏡で、月はもちろん土星やその他の惑星を見た自分の少年時代を思い出しながらの読書でした。

カッシーニの間隙などの言葉も久しぶりに聞いて、当時のことを思い出していました。

本書にも出てくる「学習と科学」のうち、毎月の「科学」を楽しみにしていたのは中学生時代だと思っていたのですが、調べてみると小学生の時だったようです。

いろいろな、しかしかなり本格的な付録がついていたこの月刊誌を楽しみにしていましたし、家にあった「Newton」という科学雑誌の宇宙特集なども読みふけったことを思い出しました。

 

そうした思い出はともかく、本書で中心となる学校は「茨城県立砂浦第三高校」、「東京都渋谷区立ひばり森中学校」、それに長崎県五島列島の「長崎県立泉水高校」の三校です。

登場人物を列挙すると、茨城県立砂浦第三高校の天文部顧問が綿引邦弘先生で、中心となるのが天文部二年生の溪本亜紗で、亜紗の同級生が飯塚凛久、先輩として天文部部長の山崎晴菜がいます。

次に渋谷のひばり森中学校は、理科部顧問が森村尚哉先生、そして一年生でただ一人の男子の安藤真宙、そのクラスメイトの中井天音がおり、のちに真宙のサッカーチーム時代の五歳年上の友人都立御崎台高校の柳数生が加わります。それに、要所で手伝ってくれる鎌田潤貴先輩がいました。

最後に長崎県五島列島の泉水高校は部活動ではなく、三年生のクラスメートの三人であり、五島天文台館長の才津勇作が世話をしていて、佐々野円華武藤柊小山友悟がいます。それに、武藤と小山と同じ離島ステイという留学制度の利用者だった輿凌士が、今は東京の実家に戻っています。

他にも多くの人物が登場しますが、中心となるのは以上に挙げた人たちです。

 

コロナ禍の暮らしの中で、友人に島外のお客と接する事があるからコロナの恐れがあるから一緒に帰れないと言われた佐々野円華や、入学したら学年でただ一人の男子であってことに悩む安藤真宙など、それぞれに悩みを抱えながら生きているのです。

そんな彼らが、自作の望遠鏡で指示された星を見つけるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」を通して繋がっていく姿は、新鮮であり若干の羨ましささえ感じます。

そこにあるのは自分たちで考え、作り出し、観察する姿であり、コロナ禍などに押しつぶされることはない前向きな姿です。

 

この「スターキャッチコンテスト」は、現実に茨城県立土浦三高が行っている天体観測競技会がモデルだそうです。

詳しくは下記を参照してください。

 

本書『この夏の星を見る』については、展開が都合がよすぎるだろうなどという意地悪な感想も沸いてはきました。

しかし、それ以上に若者たちやそれを取り巻く大人たちのエネルギーに満ちた物語であり、輝きに満ちた物語だという印象が強い作品でした。

川のほとりに立つ者は

川のほとりに立つ者は』とは

 

本書『川のほとりに立つ者は』は、2022年10月に双葉社から224頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

2023年本屋大賞第九位となった作品でそれなりに惹き込まれたのですが、物語のための物語というかすかな印象を持った作品でもありました。

 

川のほとりに立つ者は』の簡単なあらすじ

 

新型ウイルスが広まった2020年の夏。カフェの店長を務める29歳の清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いていた。原因は彼の「隠し事」のせいだ。そんなある日、松木が怪我をして意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。意識の回復を待つ間、彼の部屋を訪れた清瀬は3冊のノートを見つけた。そこにあったのは、子供のような拙い文字と、無数の手紙の下書きたち。清瀬は、松木とのすれ違いの“本当の理由”を知ることになり…。正しさに消されゆく声を丁寧に紡ぎ、誰かと共に生きる痛みとその先の希望を描いた物語。(「BOOK」データベースより)

 

川のほとりに立つ者は』の感想

 

本書『川のほとりに立つ者は』は、喧嘩をしたままの恋人の怪我をきっかけに、彼の本当の心を知ることとなり、次第にその思いが変化していく女性を描いた作品です。

読み始めは、このような設定自体はありがちで新鮮味がないなどと思いながらの読書でしたが、読み終えたときには本屋大賞の候補となったのも分かる作品だと思うようになっていました。

というのも、主人公の女性の原田清瀬の心象の変化が、わりとリアリティをもった描き方だったためにそう思ったのでしょう。

 

誤解に基づいた喧嘩別れをしたものの、ふとしたきっかけから自分の誤解に気付き仲直りをするという話はありがちな設定でしょう。

ただ、本書の場合は、清瀬が喧嘩別れをした相手の松木圭太の本当の心を知る手段こそ新鮮味があるものではありませんでしたが、主人公の女性が思い違いをするに至るいくつかの出来事が結構インパクトのあるもので、最終的に友人の「識字障害」という病へと辿り着く点はインパクトとがあります。

また、本書のもう一人の主役でもある松木圭太の個人的な背景の描き方もまた惹かれるものでした。

松木とその親との関係性はもう少し書き込みが欲しいと思わないでもありませんでしたが、その後の物語の意外な展開からすると仕方がないのかなとの思いもありました。

 

本書『川のほとりに立つ者は』では、主人公の原田清瀬を始めとして、自分の思いの間違いの可能性など全く考えもせずに様々な言動をとっている人たちが登場します。

そうした人たちが、自分の行動の間違いに気づいていく過程もまた読みごたえがあるところです。

しかし、そうした過程はリアリティが欠ける表現にもなりかねず、難しいところなのでしょう。本書でもちょっと首をひねる箇所もありました。

 

本書では清瀬と圭太とが章ごとに入れ替わって視点の主となり、また時系列も異にしてそのときの視点の主の出来事について記されていきます。

圭太の視点が若干以前に戻ることで、清瀬が圭太に対して抱く疑問や不満についてその理由が明確になっていくのです。

そういう意味ではミステリータッチな展開ということもできるかもしれません。

ただ、このミステリータッチとはいえ、それぞれが物語の鍵ともなる人の名前の読み方の間違いという出来事が二回も出て来て、若干の違和感はあります。

そして、最終的に圭太と圭太の親友である岩井樹の身に起きた不幸な出来事の詳細が明らかになっていくのです。

 

本書の魅力を挙げるとすれば、単純に清瀬の成長する姿が描かれていることだけではなく、個人的には「識字障害」や「発達障害(ADHD)」という病を取りあげてあることにもあると思います。

それは単純に珍しい病気を取り上げてあるということではなく、その病気をスムーズにストーリーの中に取り込んであること、というよりもその病気が物語の核となっていることにあるようです。

ただこの「障害」を取り上げている点も、ある意味不自然とも言え、微妙でもあります。

 

さらに挙げると、架空の小説「夜の底の川」がガジェットとしてうまく使用されています。

この本に書いてあるとされる文章の取り込み方のうまさと、物語の中での警句としての引用など、ストーリーを引き締めるのにかなり役立っていました。

 

結局、読んでいく途中では上記で書いてきた微妙な点、首をひねる箇所や不自然と感じる箇所がありながらも、それなりの感慨をもって読み終えているのも作者の筆の力によるものでしょう。

けっして私の好みの作品ではないにも関わらず、本屋大賞の候補となったのも分かると感じたのも同じことでしょう。

何とも中途半端な印象記となりました。この作者の次の作品を読むかと問われれば、これまた微妙なところで、世間の評価を待つでしょう。

寺地 はるな

寺地 はるな』のプロフィール

 

1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2020年『夜が暗いとはかぎらない』で第33回山本周五郎賞候補。2021年『水を縫う』で第42回吉川英治文学新人賞候補。同年同作で第9回河合隼雄物語賞受賞。『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞9位入賞。他の作品に『カレーの時間』『白ゆき紅ばら』などがある。

引用元:寺地はるな | 著者プロフィール – 新潮社

 

寺地 はるな』について

 

『川のほとりに立つ者は』が2023年本屋大賞第九位となりました。

夜果つるところ

夜果つるところ』とは

 

本書『夜果つるところ』は、2023年6月に283頁のハードカバーで集英社から刊行された長編の幻想小説です。

単純に本書だけを見た場合、何とも評しにくいと感じた作品で、よく分からなかったというのが正直な感想です。

 

夜果つるところ』の簡単なあらすじ

 

執筆期間15年のミステリ・ロマン大作『鈍色幻視行』の核となる小説、完全単行本化。
「本格的にメタフィクションをやってみたい」という著者渾身の挑戦がここに結実…!

遊廓「墜月荘」で暮らす「私」には、三人の母がいる。日がな鳥籠を眺める産みの母・和江。身の回りのことを教えてくれる育ての母・莢子。無表情で帳場に立つ名義上の母・文子。ある時、「私」は館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。着流しの笹野、背広を着た子爵、軍服の久我原。なぜか彼らに近しさを感じる「私」。だがそれは、夥しい血が流れる惨劇の始まりで……。

謎多き作家「飯合梓」によって執筆された、幻の一冊。
『鈍色幻視行』の登場人物たちの心を捉えて離さない、美しくも惨烈な幻想譚。(内容紹介(出版社より))

 

夜果つるところ』の感想

 

本書『夜果つるところ』は、王様のブランチでも紹介があった『鈍色幻視行』を読もうと思っていたところ、Amazonで『鈍色幻視行』の核となる小説だという紹介があったため読んでみようと思った作品です。

 

 

ところが、『夜のピクニック』や『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫 全三巻)などのような恩田陸の作品をイメージしていたため、読み始めは何とも理解しがたい内容の作品であったので戸惑ったというのが正直なところです。

 

 

というのも、本書はいわゆる幻想的な小説であり、これまで読んだ恩田陸の作品とはかなり印象が違っていたのです。

私が読んだ恩田陸の作品の中では『ネクロポリス』がホラーチックであるところから一番近い作品と言えるかもしれません。

ただ、明確にホラーと呼べる作品でもなく、幻想的・頽廃的な雰囲気をもった作品だということでゴシック調の小説だということはできると思います。

 

 

主人公の名前年齢も明かされないままに、ただ空っぽの錆びた鉄製の鳥籠を眺めている和江という女がおり、たまに奇声を上げるその女を怒鳴りつける莢子という女が登場し、異様な雰囲気を醸し出すところから始まります。

舞台はほとんどが夜で、女たちの嬌声が聞こえる遊廓「墜月荘」で、和江莢子文江という三人の母親と、母親たちにまつわる人々が棲む物語が始まるのです。

 

先に書いたように、本書『夜果つるところ』は著者恩田陸の作品である『鈍色幻視行』という作品の中に重要なアイテムとして登場している小説を現実に書いた作品であって、『鈍色幻視行』とあわせて読むべき物語だと思われます。

そこではこの『夜果つるところ』という作品の作者は飯合梓であり、「幾度となく映像化が試みられながらも、撮影中の事故によりそれが頓挫している“呪われた”小説とされてい」いて、本書でも飯合梓の名が作者として印刷されています。

 

ですから、私が「よく分からなかった」と感じたのもあながち的外れではないかもしれないとは思うのですが、幻想小説が好きな人にとっては本書単体で読んでも面白いと思われます。

というのも、本書終盤にいたり、ある程度の謎解きがなされており、これまでの伏線回収が図られていて、それまで単に流されながら読んでいた私も思わず惹き込まれてしまったからです。

私の場合は、恩田陸作品だという先入観にとらわれていたこととがかなり大きかったようです。

やはり、本書の要である『鈍色幻視行』は読んでみようと思っています。

墨のゆらめき

墨のゆらめき』とは

 

本書『墨のゆらめき』は、2023年5月に232頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

真面目なホテルマンと奔放な書家との間の、次第に変化してゆくその関係性を描き出した心温まる作品でした。

 

墨のゆらめき』の簡単なあらすじ

 

実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。(内容紹介(出版社より))

 

墨のゆらめき』の感想

 

本書『墨のゆらめき』は、朗読ということを前提に書かれた、奔放な書家と真面目なホテルマンとの心の交流を描く長編小説です。

さすがに三浦しをんという実績ある作家の作品だけあって文章はとても読みやすく、内容も心惹かれるものがありました。

また、単に主役二人の関係性の展開が面白いというだけでなく、「書」という普段馴染みのない分野が対象になっているという点でも惹かれたのだと思います。

 

本書を読みながら、「書」をテーマにした作品ではないものの砥上裕将の『線は、僕を描く』という作品を思い出していました。

この作品は本書同様に墨と筆を使用するものの、水墨画をテーマに一人の若者の再生を描いた作品で、第59回メフィスト賞を受賞し、2020年の本屋大賞でも三位となった感動の長編小説でした。

描く出す対象は異なるものの、同様に墨と筆を使用した芸術作品を生み出す作業であって、東洋的であり、墨の濃淡で書(描)き手の精神性が重視されるという点で共通するところから思い浮かべたと思います。

また、手紙の代筆という点では小川糸の『ツバキ文具店』という作品もありました。

代書依頼者の望み通りに、依頼の内容に応じた便せん、筆記具、書体で、勿論、手紙を書く上での作法をふまえ手紙を仕上げていく、一人の代書屋さんの日常を描いた心あたたまる2017年本屋大賞で第4位になった長編小説です。

 

 

本書『墨のゆらめき』は、主人公のチカこと続力と彼が筆耕を依頼する書家の遠田薫との交流する姿の描写こそが第一の魅力でしょう。

謹厳実直という言葉があてはまるホテルマンである主人公のチカと、ホテルの宛名書きを引き受ける傍若無人という言葉があてはまる書家との軽妙な掛け合いと、次第に打ち解けていく二人の関係性の変化の描写は絶妙です。

生真面目な続が、書道教室に通ってくる小学生と一緒になって、窓から入ってくる風を感じて書けという遠田の姿に思いのほか真摯な書家の姿を感じ、次第に彼との付き合いに心地いいものを感じてくるのです。

 

他方、遠田の書く「書」に次第に惹かれていく力の様子もまた、作者の「書」の魅力を伝える文章のうまさが光る点です。

力が、遠田が書いた「君去春山誰共遊」という七語から始まる漢詩を見たときの印象を述べた箇所は後述のように個人的には疑問があるところですが、こうした場面の必要性は否定できず、読み応えのある個所の一つでしょう。

ちなみに、この漢詩は劉商という中唐の詩人が旅立っていく友人の王永を送るときに詠った詩だそうです( ハナシマ先生の教えて!漢文 : 参照 )。

 

また、「書」の魅力の紹介もそうですが、先に述べた手紙の代筆の作業である代書屋としての作業もまた魅力的です。

ただ、主人公の続力が生み出す文章を、遠田薫という書家が依頼人にあった筆跡で手紙の代筆を描き出す点でも面白いのですが、なによりもその作業を通して「書」の魅力を引き出しているというところに眼目があると思っています。

そして、そうした作業の合間に顔をのぞかせるカネコの存在が絶妙です。三浦しをん節が明確に表れている個所とも言えるでしょう。

このカネコは「鼻の下に横一線に走った黒い模様で、口ひげを生やしているみたい」であり、金子信雄みたいだからカネコなんだそうです。

 

しかしながら、主人公が遠田の書いた書を見ての印象についての独白の箇所はついていけません。

というのも、上記の送王永の詩についての印象を語る場面などはとても素人が抱ける印象とは思えないのです。

音楽や絵画をテーマとする芸術小説ではいつも思うことですが、一般素人が物語に絡むとき、芸術家のような語りを始めますが、一般素人はそうした感性や言語化の能力を持たないとしか思えないのです。

そうした素人にも感動を与えるのが芸術なのだと反論されそうですが、美しい、素晴らしいという印象は持ってもそれを具体的に言語化する能力は持たないでしょう。

ましてや、遠田の書を見て哀しさが漂っているなどというイメージを抱き得るものなのか疑問しかありません。

でも、そうした感想は芸術関連小説の存在を否定することにもなりかねず、ジレンマと感じるところでもあります。

 

本書『墨のゆらめき』という作品が、書道という分野についてわかりやすく説き起こしており、また作者の文章のうまさともあいまって素晴らしい小説として成立していることは否定できません。

ということは、結局は読み手である私の半端な感想という点に尽きるのでしょう。

ただ、三浦しをんらしい面白く、そして感動的な作品でもある本書をただ楽しめばいいということだと思います。

 

本書は「新潮社(書籍)とAmazonのオーディブル(朗読)の共同企画で、全篇の朗読が先行して配信された後、書籍が刊行され( 三浦しをん『墨のゆらめき』特設サイト : 参照 )」た作品です。

若い頃に古典落語をカセットテープで聴くことにはまった時期がありましたが、私自身の歳を考えても、そのうちに「聞く」読書というものを考えてもいいかもしれません。いつか聞いてみたいものです。

本を「聴く」ことについて下記サイトがありました。サブスクをきっかけとして「聴く読書」が新たなスタイルとして確立される可能性も高いということです。

安壇 美緒

安壇美緒』のプロフィール

 

1986年北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。著書に、北海道の女子校を舞台に思春期の焦燥と成長を描いた『金木犀とメテオラ』がある。2022年『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、2023年同作で第25回大藪春彦賞、第20回本屋大賞第2位を受賞。

引用元:集英社 文芸ステーション

 

安壇美緒』について

 

『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を、『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、第25回大藪春彦賞を受賞し、さらに第20回本屋大賞で第2位となっています。

 

ラブカは静かに弓を持つ

ラブカは静かに弓を持つ』とは

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』は、2022年5月に312頁のソフトカバーで刊行された長編の音楽小説です。

第25回大藪春彦賞を受賞し、2023年本屋大賞で第2位になるなどの高い評価を受けた作品で、心に沁みる感動作でした。

 

ラブカは静かに弓を持つ』の簡単なあらすじ

 

少年時代、チェロ教室の帰りにある事件に遭遇。以来、深海の悪夢に苦しみながら生きてきた橘樹は勤務先の全日本音楽著作権連盟の上司・塩坪から呼び出され、音楽教室への潜入調査を命じられる。目的は著作権法の演奏権を侵害している証拠を掴むこと。身分を偽り、チェロ講師・浅葉桜太郎のもとに通い始めるが…少年時代のトラウマを抱える潜入調査員の孤独な闘いが今、始まる。『金木犀とメテオラ』で注目の新鋭が想像を超えた感動へと読者を誘う、心震える“スパイ×音楽”小説!(「BOOK」データベースより)

 

ラブカは静かに弓を持つ』の感想

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』は、かつてチェロに親しんだサラリーマンが仕事で音楽教室へ通い、チェロを学び直す姿が描かれた長編小説です。

ただこのサラリーマンは、音楽教室を運営する会社の著作権侵害を調査するために送り込まれていた人物だったことから、その職務とチェロ演奏や講師との人間関係などで苦悩することになるのです。

この話は現実にあった訴訟事案をもとにしており、そこらの経緯は日経クロステックのサイトに詳しく解説してありますので、感心のある方は下記サイトをご覧ください。

 

主人公のサラリーマンはその名を橘樹といい、上司から楽器や音響機器の製造販売を行っているミカサ株式会社が経営する音楽教室へ通い、潜入調査をするようにと命じられます。

つまり、ミカサ株式会社が中心となっている「音楽教室の会」が全日本音楽著作権連盟の著作権料徴収の方針に反対し、音楽教室での演奏には著作権が及ばないとして訴えを起こすため、それに備え管理楽曲の不正利用の現場を押さえたいというのでした。

たしかに橘は幼いころチェロを学んでいた時期もありましたが、とある事件がトラウマとなり、以来チェロに触ることはなくなっていたのです。

ミカサ音楽教室へと通い始めた橘にはハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽院を卒業した浅葉桜太郎が講師としてつくことになり、橘のスパイとしての生活が始まるのでした。

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』の広告には「スパイ×音楽」小説というキャッチフレーズがつけられています。

しかし、「スパイ」という文句があてはまるほどのサスペンス感が本書にあるわけではありません。

「音楽」小説であることは全くその通りですが、「スパイ」が直接にインテリジェンス小説を意味するとまでは思わないにしても、本書の場合は「潜入捜査」という言葉でさえも大袈裟に思えます。

というのも、主人公の使命は何かを探り出すということではなく、単に自分が与えられた練習曲が版権対象曲かどうかを確認するにすぎないからです。

「スパイ」行為を取り上げるよりも、主人公の橘とその講師である浅葉との心の交流こそが主眼であるというべきではないでしょうか。

 

また、例えば恩田陸の本屋大賞、直木賞両賞同時受賞作品である『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫 全三巻)などのように正面から音楽を描く作品でもありません。

チェロという楽器を通して音楽を表現し、主人公の心象を表現することはあります。しかし、音楽そのものがテーマではなく、主人公の心のあり方の変化こそが作者の意図でしょう。

 

 

本書『ラブカは静かに弓を持つ』では、もともと人付き合いが下手なうえに過去にトラウマを抱えている橘の、職務上とはいえチェロという楽器を再度手に取ることによる心の安寧を取り戻すまでの過程が丁寧に描かれています。

そこで役立ったのが講師の浅葉桜太郎であり、彼の存在が大きな意味を持っています。

橘の職務が本質的に抱える裏切り、不義理という相反する心の在りようは、一旦は落ち着いた橘の不眠を悪化させることにもなってきますが、担当講師をも含めたこの音楽教室という存在が橘に救済を与え、心のゆとりをもたらしてくれるのです。

こうした心の動きや橘と浅葉との交流は実に読みごたえがありました。

 

ただ、例えば主人公の職場の上司の塩坪や、同僚の湊良平などが今一つその姿が響いてこない印象はありました。

でも、彼らは全日本音楽著作権連盟という職場での関係者であり、深く書き込むだけの対象でもないので、そう感じる読み手のほうが変という気もします。

ともあれ、本書『ラブカは静かに弓を持つ』は大藪春彦賞や本屋大賞でも高い評価を受けているだけの作品として、個人的にも主人公の存在に心惹かれました。

 

ちなみに、「ラブカ」とは、沼津港深海水族館のサイトによれば、「シーラカンスと同じく、生きた化石と呼ばれる深海のサメ」だということです( 沼津港深海水族館 : 参照 )

物語の種

物語の種』とは

 

本書『物語の種』は、2023年5月に272頁のハードカバーで幻冬舎 から出版された短編小説集です。

コロナ禍で家にいながらにして物語を遊べないかと、物語の種を募集して出来上がった作品で、有川ひろらしい軽く読める作品集でした。

 

物語の種』の簡単なあらすじ

 

読めば心が躍り出す。
ほっこり&胸キュン全十篇の物語!

宝塚オタク、宝塚OGが読んでも沼る!
どこから読んでも面白い!
もはや『沼の種』!
有川先生、あなたは天才ですか?!
ーー紅ゆずる(女優/元宝塚歌劇団星組トップスター)

第一話 SNSの猫 
SNSで目にした保護猫に心を鷲づかみにされた主人公。ある日、事件が起きて……。
第二話 レンゲ赤いか黄色いか、丸は誰ぞや 
祖母を亡くした妻、父を亡くした旦那。二人の会話から見えてきたのは……?
第三話 胡瓜と白菜、柚子を一添え
静岡生まれの旦那の実家にて、高知生まれの妻は何を思う?
第四話 我らを救い給いしもの
中学の社会の時間にクラスメイトが発したある意見に、主人公は痺れた。
第五話 ぷっくりおてて
小学生の夏休みに祖父の家に預けられた主人公の、ほのぼのハッピーな成長譚。
第六話 Mr.ブルー
ある家電メーカーで出世街道驀進中の研究所長には、意外な秘密があった。
第七話 百万本の赤い薔薇
ある夫婦の、40年にわたる結婚記念日の物語。
第八話 清く正しく美しく
エステサロンに勤める主人公。強欲な店長の元で働くことに悩んでいて……。
第九話 ゴールデンパイナップル 
祇園祭によさこい祭。祭の復活は、やっぱり嬉しいもので。
第十話 恥ずかしくて見れない
ある家電メーカーで働く主人公は、3歳年上の先輩のことが気になっていた。(内容紹介(出版社より))

 

物語の種』の感想

 

本書『物語の種』は、一般から募集した物語のネタをもとに書きあげられた十の作品が収められている短編集です。

それぞれのお話はまさに有川ひろらしく、身近な話題が取り上げられ、そこに軽いユーモアがまぶされていて、とても読みやすい作品ばかりでした。

 

収納された十編の作品で取り上げられているテーマに基本的に相互の関連はなく、全体としての一貫性もない、本当に軽く読める、という一点だけが共通していると言ってもよさそうな作品群です。

でも、第六作目の「Mr.ブルー」と十作目の「恥ずかしくて見れない」だけは登場人物が共通していて、物語の視点の主だけが異なる構成になっています。

テーマに一貫性が無いという点は、それぞれの物語の「種」を募集しているのですから当然と言えば当然のことでしょう。

ただ、「宝塚歌劇団」だけが複数の話の中で話題として取り上げられていますが、それは作者の個人的な嗜好が反映していると思っています。

 

近年で私が読んだ短編小説集は、その殆どが連作短編集であって、収められた各短編がそれぞれに独立している作品集はあまり記憶にありません。

かつて、私が読みふけっていた時代小説や推理小説の分野ではそこそこの作品集があったと思いますが、近頃では私の好みが変わったのか、あまりそうした短編集を読むことは少なくなってきたようです。

短編には短編なりの醍醐味があり、面白さがあるのでそれはそれで好きなのですが、やはりストーリー性の強い長編作品を選んでいるのかもしれません。

 

ということで、本書『物語の種』は久しぶりに読んだ各物語が独立した作品集ですが、作者の筆のタッチが一貫しており、先に述べたようにとても読みやすい作品集です。

独特なのは、物語のネタを募集して書き上げた作品集であることから、各話の最後に取り上げた「物語の種」が紹介されており、それに対する作者有川ひろのコメントが添えられていることです。

そのため、単なる短編集というだけでなく、物語のもととなったネタを作者有川ひろがどのように処理するのか、その処理のきっかけは何なのかという点への関心までも満たされるという余禄があります。

この点は、作品に対する新たな視点が追加されるという楽しみが与えられていることでもあり、読者としてはそうした作者の意図通りに楽しむことができたのです。

 

あらためて、有川ひろという作家の作品は面白い、と感じさせられた作品集でした。

悩め医学生 泣くな研修医5

悩め医学生 泣くな研修医5』とは

 

本書『悩め医学生 泣くな研修医5』は『泣くな研修医シリーズ』の第六弾で、2023年4月に320頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の青春医療小説です。

よく知らなかった医学部生の毎日が描かれていて、お仕事小説的な面白さとともに青春小説の爽やかさも持った作品でした。

 

悩め医学生 泣くな研修医5』の簡単なあらすじ

 

一浪で憧れの医学部に入学した雨野隆治を待ち受けていたのは、ハードな講義と試験、衝撃の解剖実習・病院実習。自分なんかが医者になれるのか?なっていいのか?悩みながらも、仲間と励ましあい、患者さんに教えられ、隆治は最後の関門・国家試験に挑むー。現役外科医が鹿児島を舞台に医者の卵たちの青春をリアルに描く、人気シリーズ第五弾。(「BOOK」データベースより)

 

悩め医学生 泣くな研修医5』の感想

 

本書『悩め医学生 泣くな研修医5』は、主人公の雨宮隆治の医学生時代が描かれている、青春医療小説です。

これまでこのシリーズでは、東京の下町の総合病院で新人外科医となった主人公の一年目から成長していく姿が描かれていました。

ところが本書では舞台となる病院へ赴任する以前の鹿児島の国立大学医学部を目指す受験制時代から合格後の医学部時代までが描かれています。

医学生時代の過酷な講義に加えての病院実習や解剖実習、そののち研修医となる主人公の姿は、青春小説の一場面であるとともに医療小説として「命」というものをあらためて考えさせられる作品でもありました。

 

私自身は文系の大学生活を送っていたこともあっていわゆる普通の大学生生活を送っていましたが、理系の学部に行った仲間はそれなりに忙しくしていたのを思い出します。

なかでも医学部に進んだ同級生たちは確かに勉強ばかりしていたそうです。

と言うのも私の周りにいたのは出来の良くない仲間ばかりでしたので医学部生は卒業以来殆ど会っていなかったというのが本当のところなのです。

ですから、かれら医学部生の忙しさが本書でよく理解できたといっても過言ではありません。

 

今では夏川草介などを始めとしてかなりの数の医療小説が出版されていますが、医学生時代を正面から描いた作品は私が知る限りではありません。

ただ、夏川草介の『神様のカルテシリーズ』の短編集である『神様のカルテ 0』の第一話「有明」が信濃大学医学部学生寮の「有明寮」での出来事を描いた作品として思い浮かぶだけです。

他にも、作品の中で登場人物の学生時代が描かれていた医療小説はあったかもしれませんが、明確に覚えているものはありません。

 

 

もっとも、佐竹アキノリ著の『ホワイトルーキーズ』という作品が四人の研修医の話らしいので、もしかしたらその中に医学生時代の話が出てくるかもしれませんが、未読なので不明です。

近いうちに読んでみたいと思っている作品です。