ある男

彼女の夫は「大祐」ではなかった。夫であったはずの男は、まったく違う人物であった…。平成の終わりに世に問う、衝撃の長編小説。(「BOOK」データベースより)

 

一人の人間の過去を追う弁護士の姿を描き、人間の在りようを追及する長編小説で、2019年本屋大賞の候補となった作品です。

 

本書は今の私が好む、楽に読めるエンターテイメント小説ではなく、読むことに努力を必要とする文学性の香り豊かな作品であり、私の好みからは外れた作品でした。

しかし、今の私にとっては好みの対象からは外れるとしても、本書のような作品が本屋大賞の候補作品になるということはとても素晴らしいことだと思います。

というのも、本書が「良い本」であることは間違いがなく、歳をとった私にとっては読むだけの体力がないだけのことだからです。事実私は読み終えるのに相当体力を消耗しました。

 

本書は、亡くなった夫は自分が聞いていた名前、過去を持つ人物とは全く別人だった、という妻からの夫は何者だったのか調べてほしいとの依頼を請けた弁護士の調査の記録です。

調査の過程で、その弁護士は一人の人間の持つ個人の歴史の持つ意味についての考察を余儀なくされ、更には自身の過去、出自への考察へと辿ることになります。

 

そうした本書のテーマとして「愛するということ」が挙げられます。

平野啓一郎公式サイト」では「愛にとって、過去とは何だろう?」という言葉が掲げられています。愛した人の過去が全くの別人のものだったとして、それでもなおその人を愛し続けることができるか、と問うています。

こうしたテーマを持つ書籍はやはり簡単には読めないものです。紡がれている言葉の持つ意味をきちんと捉え、吟味していかなければ作者の意図は読み取れません。

そういう意味で、本書は読むのに体力が要求されるのです。

 

本書は上記のようなかなり深いテーマを持つ作品でしたが、更には文章自体がかなり難しい作品でもありました。普段“ひらがな”でしか考えない私にとって、難解な“漢字”で考えている本書は文章の理解に苦しむ作品でした。

本書が持つテーマだけではなく、本書で使われている言葉の難しさという点でも、本書は読むのに体力が要求される作品でした。

 

それでも、亡くなった男の過去を調べるという弁護士の調査の過程はミステリアスでもあり、物語としての関心を持ちうるものでもありました。

ただ、亡くなった「X」と呼ばれる男の過去を調べる行為とは別に、調査を依頼された弁護士の城戸という男の生い立ちもまた在日韓国人三世として自分の出自への考察を強いるものだったのです。

さらに、問題を抱えた夫婦や、息子を抱えた家庭の問題もあり、城戸の人生もまた考察の対象になっています。

 

本書の導入自体が、城戸を当初は別人として知り合った一人の作者の独白から始まるユニークなものであり、この物語の方向性を暗示するものでもありました。

そうした仕掛けもまた楽しめはしましたが、やはり今の私には少々負担が大きかったようです。

ただ、若い頃であれば多分他の作品をも読もうとしたと思います。今の若い人にはぜひ読んでもらいたい作品ではありました。

大島 真寿美

1962(昭和37)年愛知県生れ。1992(平成4)年「春の手品師」で文學界新人賞を受賞しデビュー。著書に『チョコリエッタ』『香港の甘い豆腐』『虹色天気雨』『やがて目覚めない朝が来る』『すりばちの底にあるというボタン』『ビターシュガー―虹色天気雨2―』『ピエタ』『それでも彼女は歩きつづける』『青いリボン』『戦友の恋』『ふじこさん』など多数。( 大島真寿美 | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

 

この作者は『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で第161回直木賞を受賞されました。

今回の直木賞受賞作で初めて知った作家さんでもあり、ここでは書くことがありません。

美しき愚かものたちのタブロー

すべては一枚の絵画(タブロー)から始まった。あのモネが、ルノワールが、ゴッホが!国立西洋美術館の誕生に隠された奇跡の物語。(「BOOK」データベースより)

 

本書『美しき愚かものたちのタブロー』は、「松方コレクション」の来歴を物語として読ませてくれる第161回直木賞の候補となった長編小説です。

タイトルの「タブロー」とは「絵画」のことであり、「絵画」にとりつかれた男たちの物語です。

 

松方コレクション」とは、川崎造船所(現・川崎重工業)の社長であった松方幸次郎が、本物の芸術に触れる機会が無い日本国民のために美術館をつくろうと思い立ち、そのために集めた数多くの美術品のことを言います。

芸術音痴の私は「松方コレクション」という言葉は知っていたのですが、松方美術館のような専用の美術館があるものと思い込んでいました。ところが、上野の西洋美術館が「松方コレクション」の受け皿であることを本書で知り、驚くしかありませんでした。

松方コレクション」については、

川崎重工業サイト内のギャラリー 「日本人に、本物の芸術を。松方幸次郎」

を参照してください。

 

そういう意味では本書は、国立西洋美術館の成り立ちを明らかにした小説でもあります。そのことは著者自身がインタビューに答える中でおっしゃっていることでもあります(原田マハ公式ウェブサイト : 参照)。

そこでは、「設立60周年に合わせて「松方コレクション」を巡る小説を上梓することで、私から国立西洋美術館への餞(はなむけ)の一冊にしたい」と書いておられます。

 

本書は、この作者の『暗幕のゲルニカ』や『楽園のカンヴァス』のようなピカソやルソーといった画家自身を描き出した作品群とは異なり、「松方コレクション」の成り立ちという、いわば“近代史”を描いていると言っても良さそうな物語になっています。

 

 

そういう意味でも本書に登場する人物は基本的に実在の人物です。

本書の中盤に登場し、重要な役割を果たす日置釭三郎も、松方幸次郎の商売を助け、コレクション蒐集に助力した鈴木商店ロンドン支店長高畑誠一も実在した人たちです。

しかし、本書の語り手として登場する田代雄一という美術史家は日本における西洋美術史家の草分けである矢代幸雄という人物をモデルとした、作者原田マハが作り出した架空の人物だそうです(原田マハ公式ウェブサイト : 参照)。

この人物が松方幸次郎が美術品を買い求める際の助言者の一人になり、戦後の「松方コレクション」返還交渉にも重要な役割を果たしています。

本書のキーマンとして架空の人物を設定し、架空の人物であるがゆえに自由に動かすことができ、物語に幅を持たせたのでしょう。

 

本書は先にも述べたように、歴史的な事実を基礎に描かれています。

本書の真の主人公とも言えそうな松方幸次郎が総理大臣も務めた松方正義の息子であることや、「松方コレクション」が日本への移送もできず海外に留め置かれていたこと、第二次世界大戦後吉田茂総理が「松方コレクション」の返還に尽力していたことなど、まったく知らないことばかりで、驚きに満ちていました。

そういう私にとっては、本書はある意味ミステリー的な側面を持つ小説でもありました。

本来、本書に書かれている事柄は基本的に歴史的な事実であり、芸術、特に絵画に詳しい方々にとっては自明のことであるかもしれません。

しかし、芸術とのことは全くわからない私にとって、本書で描かれている事実は未知の事柄であり、次第に明らかにされていく「松方コレクション」の実情はまさにミステリアスなことだったのです。

 

原田マハの、特に絵画に関する書籍群は、面白い小説としても、また知識的な側面でも、どの作品も一読に値する作品だと思います。

フーガはユーガ

常盤優我は仙台市のファミレスで一人の男に語り出す。双子の弟・風我のこと、決して幸せでなかった子供時代のこと、そして、彼ら兄弟だけの特別な「アレ」のこと。僕たちは双子で、僕たちは不運で、だけど僕たちは、手強い。(「BOOK」データベースより)

 

本書は瞬間移動の能力を持った常盤優我と風我という双子の兄弟を主人公とする長編小説で、2019年本屋大賞にノミネートされた作品です。

 

本書はその大部分を、優我がファミリーレストランで高杉という「フリーのディレクター」に自身の経験を話すという形式で進みます。ということは、語り手である常盤優我が主人公というべきなのかもしれません。

この優我が語る高杉に対しての話は「記憶違いや脚色だけじゃなくて、わざと嘘をついている部分もある」との前提で話していると最初に告げるなど、普通のインタビューとはその様相が異なります。

 

常盤優我と風我の双子の兄弟は、年に一度、誕生日の日に二人の身体が文字通り入れ替わるという不思議な現象に襲われます。この能力を利用して様々な不条理に立ち向かう兄弟の姿が描かれます。

本書は家庭内暴力が話の根底にあり、当然明るい話ではありません。常盤兄弟や母親は父親から理不尽な暴力を受ける毎日であり、それに耐えかねた母親は子供たちを置いて逃げ出してしまうような話です。

さらには、ワタボコリと呼ばれていたワタヤホコルはクラスメイト方らのいじめにあっているし、後に登場する風我の彼女の小玉も叔父から虐待を受けているのです。

にもかかわらず、決して重く暗い話にはなっていません。

それはひとつには、ワタボコリにしても小玉にしても常盤兄弟といるときは笑顔すら見せているからだと思われます。この兄弟といるときは楽しげですらあります。

そしてもう一点、文章のテンポが速いことが挙げられるでしょう。優我と風我の兄弟間での入れ替わりの現象についてのテンポのいい話が物語が中心になり、登場人物の悲惨な日常は物語の背景になっています。

つまりは兄弟間での瞬間移動が起き、その現象を利用した兄弟の冒険が、登場人物らの悲惨な状況を超えた話として描かれるので、その悲惨さが薄められて感じるのだと思います。

 

肝心の兄弟間での人物の入れ代わり、瞬間移動について見ると、双子の兄弟がこの特殊能力について調べていくさまが見どころの一つでしょう。そして、この能力を利用してワタボコリや小玉の危難を助けていく個別のエピソードも見どころです。

そうした個別のエピソードの積み重ねの先にあるクライマックスでは、これまでの物語のあちこちにちりばめられた伏線が、見事というほかないほどにきれいに回収されていきます。

本書の冒頭の優我の対話の場面から、積み重ねられていくエピソードの一つ一つまでがクライマックスに向けての準備であり、計算されつくした構成であることが明かされるのです。

 

本書は著者によると「現実離れした 兄弟の 本当の物語」だそうです。

そして、「ぼくの場合は別に問題提起とかじゃなくて、あくまでもおとぎ話。虐待を書くことに主眼はない」そうで、「作り話ならではの、楽しいもの」を作りたいとも書いておられます。( 東京新聞 : 参照 )

私はこの作家の作品はあまり読んではいないのですが、2018年本屋大賞5位となった『AX アックス』にしても「作り話ならではの、楽しい」作品であったと思います。

 

 

本書はハッピーエンドといっていいものかは読む人によって異なると思います。私の印象としては、すべてが収まるところに収まったけれどもその中には哀しみもある、という多分一番一般的な感想に落ち着きました。

本書のような作品を読むと、これまでは今一つ私の波長とは合わないと思っていた伊坂幸太郎という作家ですが、その認識を改める必要があるのかと思ってしまいます。

果つる底なき

「これは貸しだからな」。謎の言葉を残して、債権回収担当の銀行員・坂本が死んだ。死因はアレルギー性ショック。彼の妻・曜子は、かつて伊木の恋人だった…。坂本のため、曜子のため、そして何かを失いかけている自分のため、伊木はただ一人、銀行の暗闇に立ち向かう!第四四回江戸川乱歩賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、ベストセラー作家の池井戸潤のデビュー作で、第四四回江戸川乱歩賞を受賞した長編のミステリー小説です。

 

二都銀行渋谷支店融資課長代理の伊木遥の研修時代からの同期で、債権回収担当だった坂本健司が、蜂によるアレルギーにより死亡してしまいます。

ところが、この坂本に顧客の預金を勝手に引き出していたという疑惑がかかります。

しかし、親友だった坂本の無実を信じ、また生前の坂本が言った「これは貸しだからな」という言葉の意味を調べるためにも、伊木は坂本の行動を洗い直し、かつて伊木の担当だった融資先の「東京シリコン」という会社の倒産にからんだとある事実を知ります。

そこで、東京シリコンの社長の娘柳葉奈緒とともに更なる調査を進めるのでした。

 

本書はまさに銀行業務を詳しく知る著者ならではの作品であり、池井戸潤ならではのミステリーが展開します。

しかし、テレビドラマ化され一躍人気となった『半沢直樹シリーズ』や、同じくテレビドラマ化され、さらには直木賞も受賞した『下町ロケット』といった作品と比べると、かなり印象が違います。

たしかに、本書も舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではあります。しかしながら、本書はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

 

 

だからといって本書が面白くないというのではありません。ミステリーとしてよく練られているし、これまでにない経済の分野での、それも銀行の業務を絡めたミステリーとしてユニークな展開を見せます。

デビュー作ではあっても文章も読みやすいし、さすがは池井戸潤の作品と思います。

ただ、勧善懲悪の痛快小説としての主人公の熱量を期待して読むと、それは期待外れとなり本書の面白さを損ねてしまうというだけのことです。

 

本書の主人公は、いかにも銀行マンらしく、丁寧に調べあげた事実を積み上げてそれなりの結論にたどり着きます。

ただ、この伊木という主人公は、自分の信じるところに従い、上司と衝突することも厭わないだけの覇気は持っています。こうした性格付けに後の痛快小説に連なる人物像が伺える気がします。

ただ、これは私の個人的な思いでしょうが、本書の舞台が私がよくわからない経済の世界であることに加え、一段と未知である中小企業の経営という分野であるため、暴かれていく事実の本当の意味を理解しきれずに読み終えたのではないかという危惧があります。

ミステリーとしてのストーリーは追えるのですが、個々に提示される例えば、融通手形が現実社会で持つ意味などを本当に理解できないままに物語の流れに乗っかって読み終えたという印象です。

ミステリー色が強い本書であるがために、本当はもう少し経済のことが分かって読めばより面白さを堪能できたのではないかと思えるのです。

鉄の骨

中堅ゼネコン・一松組の若手、富島平太が異動した先は“談合課”と揶揄される、大口公共事業の受注部署だった。今度の地下鉄工事を取らないと、ウチが傾く―技術力を武器に真正面から入札に挑もうとする平太らの前に「談合」の壁が。組織に殉じるか、正義を信じるか。吉川英治文学新人賞に輝いた白熱の人間ドラマ。(「BOOK」データベースより)

 

今回の池井戸劇場は「談合」をテーマにした長編小説です。

 

公共事業などで、多数人を競争させそのうち最も有利な内容を提供する者との間に契約を締結する競争契約の場合に文書によって契約の内容を表示させること「入札」といい、入札業者同士で事前に話し合って落札させたい業者を決め,その業者が落札できるように入札内容を調整することを「談合」といいます( コトバンク : 参照 )。

なかでも、公務員が談合に関与して、不公平な形で落札業者が決まるしくみのことを「官製談合」といい、本書はこの「官製談合」を最終的なテーマとしています。

この「談合」については、「 官製談合 – 月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識 」に詳しく説明してありますので、関心がある方はそちらを参照してください。

 

本書『鉄の骨』が出版されたのは2009年10月です。

その前年の2008年6月には『オレたち花のバブル組』が、翌年の2010年11月には第145回直木賞を受賞した『下町ロケット』が出版されているように、本書『鉄の骨』は池井戸潤が勢いに乗ってきている時期に書かれた作品です。

そしてまた、そうした時期に書かれた作品らしく、第31回吉川英治文学新人賞を受賞している作品でもあります。

 

 

そういう勢いをもった本書は、「談合」という違法行為自体の結果や、不本意ながらも談合に参画することになった主人公の行く末についての関心などの、痛快小説としての面白さを十分に持った小説です。

しかし、それに加えて、一般に必要悪として受け入れられている「談合」行為について、池井戸潤という作家がどのように考え、処理しているのか、そのことにも大きな関心を持てる作品なのです。

 

私個人としても、もう四十年近くの昔に、本書で描かれている役所の駐車場管理についての入札のように、小さな現場の入札にサラリーマンとして参画したことがあります。

もちろん、落札予定価格が聞こえてくるのは当然であり、必要悪として自分の順番が回ってくるのを待っていたものです。

本来「談合」などあってはならない筈です。しかし、本書の中でも繰り返し書かれているように、「談合」がなければつぶし合いになり、結局は自分たちのためにも、納税者のためにもならない、皆、本気でそう思っていました。

そうした論理をどのように崩し、主人公やそのほかの登場人物らを、更には読者をも納得させるものなのか、が注目されたのです。

 

本書の結論は読んでもらうしかないとは思いますが、池井戸潤という作家が出した結論は、個人的には納得できるものではありませんでした。

というよりも、理想論ではあり、頭では理解できても現実としてついていけないというところでしょうか。

 

登場人物をみると、主人公の富島平太を始め、皆なかなか魅力的です。

一番は西田吾郎という平太の同僚の業務課員がいます。小太りであり、見た目とは裏腹にやりての先輩で、何かと平太を手助けしてくれます。

また、平太の勤務する会社である一松組の尾形総司常務取締役の存在は大きく、平太との個人的な関係が見え隠れする点も見逃せません。

更に、建築現場の世界で“天皇”と呼ばれている三橋萬造という実力者がいるのですが、この人物の人間像が、「談合」の悪の側面をしっかりと見つめつつ、現実との折り合いを図る微妙なものであり、現実世界の体現者ではないかと思える設定になっています。

そして、平太の恋人の白水銀行に勤務する野村萌がいます。この人物がちょっと中途半端な気がするのですが、それも仕方のないところかもしれません。

 

物語の流れとしては、談合の要である三橋萬造という人物や、主人公の恋人とのその後など、あまりはっきりとは書いてない事柄が多く、もう少しその後のことも処理してほしかったという印象はあります。

しかし、そうした不満を抱えながらも、やはり池井戸潤という作家の作品はやはり面白いと言わざるを得ません。

デビュー

19歳、童顔のアイドル・高梨美和子はデビューすぐさまトップの座へのぼりつめた。
その実彼女は、カリフォルニア大バークレー校を卒業、理論物理学と哲学の修士号をもつ才女だった。
昼はかわいいだけのアイドルを演じ、夜は天才少女と、二つの顔をもっているのだ。
彼女の真実の姿を知るのは、マネージャーの岡田二郎、情報通の作曲家・井上鏡四郎、
凄腕スタントマン・長谷部修の三人だけである。

虚栄にまみれた芸能界では、クスリや秘密売春、大手芸能プロの
暴力沙汰など、華やかな世界からおおい隠された事件でいっぱいだ。
六本木の夜、行きつけのジャズ・バー「ゼータ」でその事件を知った美和子は、持ち前の頭脳と
正義感で自らおとりになり、岡田、井上、長谷部の協力を得て、芸能界のワルどもを一掃する。
1992年初版刊行以来21年ぶり、ファン待望のアクションサスペンスを初文庫化。
連作短編全七編を収録。(「内容紹介」より)

 

天才少女でありながらアイドルを演じる十九歳の少女が、仲間の力を借りながら芸能界の闇をつぶす姿を描く連作の短編集です。

 

第一話 嘘は罪? | 第二話 ラヴ・フォー・セール | 第三話 悪い遊びは高くつくわよ! | 第四話 虚栄がお好き | 第五話 危険なおみやげをどうぞ | 第六話 その一言にご用心 | 第七話 25時のシンデレラ

 

本書は、最初は1992年6月に実業之日本社のジョイ・ノベルスから『25時のシンデレラ』というタイトルで出版されていたのですが、2013年8月に同じ出版社から『デビュー』と改題されて文庫化された作品です。

今野敏の初期作品を見ると『聖拳伝説』のような格闘技小説のほかに、『奏者水滸伝シリーズ』のような超能力者ものとがあります。

 

 

一方、現在の今野敏の小説は、警察小説を主軸としながら、読者の心情と寄り添いやすいストーリーを有したエンターテイメント小説の醍醐味を持った作品を多く書かれています。

しかしながら、初期の作品群を読む限りにおいては、ストーリーはエンターテインメント小説としてのツボを押さえていても、登場人物の描写はどこかに置き忘れていた作品が多かった気がします。

本書はそうした人間がいないエンターテイメント小説の典型とも言える作品です。軽い娯楽小説として面白くないとは言いませんが、読後感は残りません。

 

カリフォルニア大バークレー校を卒業して、理論物理学と哲学の修士号をもつ主人公が、その天才的な頭脳を隠したままなぜかアイドルとなり、汚濁にまみれた芸能界の闇を掃除します。

とはいっても女の子一人では何もできず、マネージャーの岡田二郎や、作曲家の井上鏡四郎、スタントマンの長谷部修といった大人たちがボディガードを兼ねつつも彼女の手足となって動き回ります。

そして、それだけの話であってそれ以上のものではなく、初期の今野敏の作品を読みたい人が読むだけの作品でしょう。

 

ただ、本書『デビュー』の出版よりも前の1988年10月には今の人気シリーズの『安積警部補シリーズ』の第一作である『東京ベイエリア分署』が出版されています。

この『東京ベイエリア分署』はその後『二重標的』と改題されて角川春樹事務所から出版されていますが、この作品は本書とは異なり、すでに十分な読みごたえがあったと思うのです。

 

 

かなり昔のことであり、はっきりと覚えているわけではありませんが、今の人気シリーズに連なるだけの内容を備えていたと思います。

ということは、もしかしたら、今野敏という作家は、作品の種類によってその書き方を変えていたのかもしれません。いつの日か読み返してみたいと思います。

シャイロックの子供たち

ある町の銀行の支店で起こった、現金紛失事件。女子行員に疑いがかかるが、別の男が失踪…!?“たたき上げ”の誇り、格差のある社内恋愛、家族への思い、上らない成績…事件の裏に透ける行員たちの人間的葛藤。銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮すことの幸福と困難さに迫った傑作群像劇。(「BOOK」データベースより)

 

東京第一銀行長原支店を舞台とする、連作のミステリー短編小説集です。

 

第一話 歯車じゃない | 第二話 傷心家族 | 第三話 みにくいアヒルの子 | 第四話 シーソーゲーム | 第五話 人体模型 | 第六話 キンセラの季節 | 第七話 銀行レース | 第八話 下町蜃気楼 | 第九話 ヒーローの食卓 | 第十話 晴子の夏

 

舞台は東京第一銀行の長原支店であり、各話の主人公は年齢や職種こそ異なるものの、殆どこの支店に勤務する銀行員です。そして、本書全体として一編のミステリーとして仕上がっています。

 

読後にネット上のレビューをみると、本書タイトルの「シャイロック」という言葉の意味を知らない方が多いようで、本好きならずとも「ベニスの商人」の話はお伽話的にでも知っている人が多かった時代からすると意外でした。

シェイクスピアの「ベニスの商人」という戯曲に登場する強欲な高利貸しのことを指すのですが、本書では、その子供たちとして銀行員らを指していることが暗示的です。

 

池井戸潤といえば『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』などの勧善懲悪形式の痛快経済小説がもっとも有名であり、その痛快さ、爽快さが人気を博している理由だと思うのですが、本書はその系統ではなく、ミステリーとしての存在感を出しています。

 

 

作者である池井戸潤は、この『シャイロックの子供たち』という作品を

自分はエンタメ作家なんだから、もっと痛快で、単純に「ああ楽しかった」と言ってもらえる作品を書こうと。課題に対する自分なりの答えとして書いた

と言われています。

この作品以降「銀行や会社は舞台でしかなくて、そこで動いている人間の人生そのものを読んでもらおうと思うようになった。」とも書いておられます

 

ですから、痛快小説としての池井戸潤を思ってこの作品を手に取ると、若干期待外れとなるかもしれません。

勧善懲悪ではなく、正義が明白な悪を懲らしめるというパターンではないのです。それどころか、読みようによってはピカレスク小説と読めないこともない作品です。

しかしながら、池井戸潤の小説であることに違いはなく、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られているというだけです。

 

本書の前半は、それぞれの話は独立したものとしての色合いが強く、個々の話ごとに銀行を舞台にした人間模様として読み進めることになります。

副支店長の古川一夫のパワハラ、融資課友野裕の融資獲得状況、営業課北川愛理の百万円窃取疑惑、業務課課長代理遠藤拓治にかかる重圧、と話は続きます。

そして、「第五話 人体模型」で、本店人事部部長が人事書類から失踪した西木という銀行員の人物像を把握しようとする場面からその様相を異にしてきます。

「第六話 キンセラの季節」以降、登場人物がそれぞれの視点で失踪した西木の仕事について調べ始め、これまでの語られてきた話の実相が次第に明らかにされていくのです。

そして、最終的にこれまで個々の視点で語られてきた話が、更に異なる視点で見直されることにより、全く違う意味を持つ話として読者の前に提示されることになります。

 

繰り返しますが、勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーとしてとても楽しく読んだ小説でした。

江波戸 哲夫

1946年東京生まれ。東京大学経済学部卒。三井銀行(当時)を一年で退職し、出版社に勤務。1983年フリーとなり、以後、主に政治、経済周辺に題材をとった作品を精力的に発表している。『小説大蔵省』(講談社文庫)『集団左遷』(祥伝社)『辞めてよかった!』(日経ビジネス人文庫)『会社葬送』(新潮社)『部長漂流』(角川書店)『希望退職を募る』(講談社文庫)など著書多数。( 江波戸哲夫 | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

 

テレビドラマ『集団左遷』の原作者ということで読んでみた作家さんであり、その作風など全くわかりません。

主に経済の分野を題材にした小説を書かれているようですが、今回読んだ『集団左遷』はあまり私の好みではありませんでした。

多分、他の作品は読まないと思います。

集団左遷

社内で無能の烙印を押された五十人がひとつの部署に集められた。三有不動産首都圏特販部。その本部長を命じられたのが、篠田洋だった。不動産不況の中、売り捌けるはずのない物件と到底不可能な販売目標を押しつけられ、解雇の瀬戸際にまで追い込まれた五十人を守れるか。篠田の絶望的な闘いが始まった!(「BOOK」データベースより)

 

江波戸哲夫著の『集団左遷』は、リストラの対象となりかけているサラリーマンたちの生き残りをかけて戦う様子を描く長編小説です。

 

池井戸潤の『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』などの小説をドラマ化した枠としてTBSテレビの日曜劇場がありますが、この枠で放映されることになったのが『集団左遷』というドラマです。

 

 

主演が福山雅治で香川照之も出演するという宣伝を見て、このドラマは見る価値があるかもしれず、その前に原作を読んでみようと思い立ったのが本書『集団左遷』です。

このドラマの原作としては実はもう一冊が挙げられていて、それが江波戸哲夫の『銀行支店長』という作品です。この二つの作品のエピソードを組み合わせ、一編のドラマとして作り上げてあります。

 

 

ただ、ドラマ版の『集団左遷』での舞台は銀行ですが、原作である江波戸哲夫の『集団左遷』という小説は不動産業界を舞台とした作品です。

でも、そこはエピソードをうまく脚色し、銀行業界の物語として構成してあります。

 

「集団左遷」というインパクトのある言葉そのままに、無能と評価された人材を特定の部署に送り込み、一定の業績をあげなければ解雇の対象となるという何とも無茶な設定です。

その上、その無能の集団が何ら名の業績をあげようとすると、本部の役員らは顧客の横取りなどの妨害工作を仕掛けてきます。そうした困難を乗り越えて何とか生き残ろうとする主人公たちの話です。

 

本書で描かれている妨害工作は、現在であればコンプライアンス違反として徹底した糾弾の対象となるであろう事案ばかりです。

所詮フィクションであり、主人公らが乗り越えるべき壁は困難なほうが乗り越えた際の喜びも大きい、というのは分かりますが、描かれている妨害工作はもはや犯罪行為です。

本書を読んでいる最中は、そうしたことを考えながらの読書でした。

しかし、本書が出版されたのは1993年です。当時はバブルがはじけ、各企業がバブル期の清算に必死になって取り組み、生き残りを図っていた時期です。

そうした時代背景を考えるとき、本書で描かれている事柄も無茶な設定とばかりも言ってはおられず、十分にあり得たのかもしれないと思うに至りました。

 

ただ、どうしても『半沢直樹シリーズ』と比較をしてしまいます。

小説としての面白さは、申し訳ないですが『半沢直樹シリーズ』に軍配が上がります。

しかし、本書『集団左遷』はそもそも痛快小説ではありません。先に述べた時代背景からしても、中小企業の実情を描いた人間ドラマというべきであり、痛快小説だろうとも思いこみで読み始めた私が悪いのです。

そして、決して痛快小説とは言えない結末へと向かいます。個人的にこうした小説は好みではなかったというしかありません。

 

そしてまた小説の印象に影響を与えているのが本書を原作とするドラマの出来栄えです。

私はテレビドラマ版の『半沢直樹』を見ていないので具体的な比較はできませんが、少なくとも『集団左遷』というドラマだけを見た場合、決して良い出来とは言えませんでした。

 

 

過剰な演技演出、何よりも主人公の銀行マンのわきの甘さは支店長としては銀行マン失格としか言えないものであり、致命的です。また、銀行に融資を願う顧客が、より利率が高い主人公の支店に再借入を願うなどの設定は、それなりの理由付けが必要でしょう。

他にもドラマとしては突っ込みどころ満載であり、原作を読む気も失せたものです。

今のところ『集団左遷』しか読んではいませんが、『銀行支店長』まで読む必要を感じずにいます。それほどにドラマ版の出来が良くないと思うのです。

 

また本書『集団左遷』は、1994年には柴田恭兵の主演で映画化もされています。