教誨

教誨』とは

 

本書『教誨』は、2022年11月に317頁のハードカバーとして刊行された長編の犯罪小説です。

我が子を殺した一人の女性の本当の心を探り、人間の犯す「罪」について考えさせられた、読み応えのある一冊でした。

 

教誨』の簡単なあらすじ

 

女性死刑囚の心に迫る本格的長編犯罪小説!

幼女二人を殺害した女性死刑囚が最期に遺した言葉ーー
「約束は守ったよ、褒めて」

吉沢香純と母の静江は、遠縁の死刑囚三原響子から身柄引受人に指名され、刑の執行後に東京拘置所で遺骨と遺品を受け取った。響子は十年前、我が子も含む女児二人を殺めたとされた。香純は、響子の遺骨を三原家の墓におさめてもらうため、菩提寺がある青森県相野町を単身訪れる。香純は、響子が最期に遺した言葉の真意を探るため、事件を知る関係者と面会を重ねてゆく。

【編集担当からのおすすめ情報】
ベストセラー『孤狼の血』『慈雨』『盤上の向日葵』に連なる一年ぶりの長編!

「自分の作品のなかで、犯罪というものを一番掘り下げた作品です。執筆中、辛くてなんども書けなくなりました。こんなに苦しかった作品ははじめてです。響子が交わした約束とはなんだったのか、香純と一緒に追いかけてください」(内容紹介(出版社より))

 

教誨』の感想

 

本書『教誨』は、これまでの柚木裕子の作品とは微妙にその傾向が異なっている印象です。

これまでの作品のように犯された犯罪の動機を明らかにする点では同じだといえますが、本書ではさらにその動機自体の曖昧さを追求してあるのです。

犯人の育ってきた環境や今の生活環境に着目する物語はこれまでもありましたが、犯行動機自体のありように迫った作品は私の知る限りはなかったように思います。

 

本書の主人公は事件の犯人でもなく、ましてや警察関係者や探偵でもない単なる普通の一般人です。

死刑囚三原響子の身柄引受人で遺骨と遺品を受領した遠縁の吉沢香純は、今はいない響子の「約束は守ったよ、褒めて」という最後の言葉を聞いて、その意味を知るために響子の人生を掘り起こし、彼女の抱えていた悲哀を明らかにしていきます。

一般の推理小説では警察や探偵の地道な捜査の結果、犯人そのものや犯罪の実行方法などが明らかにされるその過程がサスペンスフルに描かれたり、犯行動機に心打たれたりします。

本書の場合もその点は同じことで、ただ探偵役が一般人というだけです。異なるのは、明らかにされた犯行動機そのものの曖昧さです。

 

死刑囚だった響子の人生が明らかになっていくにつれ、響子の過去が明確になっていきます。

その過程で明らかになる響子の人生の哀しさが、田舎の濃密で狭量な人間関係により引き起こされたものでもあり、その小さな世界で生きていかざるを得ない人々の悲しみを示しているようです。

そこで責められるべきは誰なのか、勿論響子自身が非難されるべきなのはそうなのですが、その非難には考慮すべきものがあるのではないか、そこに焦点があります。

 

本書『教誨』のテーマは「犯罪とは何か」だと思うのですが、視点を変えると、結局は犯罪を犯した人の主観面への考慮の難しさということになるのでしょう。

そして、その延長線上には裁判の限界まで視野に入ってくると思うのです。

現実に即して言うと、客観的に判断せざるを得ない犯罪行為が、最終的に刑罰の対象になり得るか、すなわち前に述べた非難に値するか、という判断になることの困難さがあります。

その主観面についての判断を可能な限り客観的に、そして正確に為そうとする結果がいまの裁判制度でしょう。

ですから、どうしても限界の事柄はあると思われるのです。

 

本書では響子が何も語らないという難しさもあり、響子が犯した罪への考察の困難さを増しています。

こうした事例に対してどうすればいいのか、答えが存在するものなのかそれすらわかりません

 

本書『教誨』でも問題の一つとして挙げられていることの一つに田舎の閉鎖性ということがあります。

近年もとある町で移住者に対するある提言が話題になっていたように、田舎人間関係に置いての過干渉ということは昔から言われているところです。

田舎暮しは草刈りや共有地の掃除などの共同作業により維持されるところが多く、地域共同体全体で作業を行うことで共同体の存立が維持できているところがあります。

しかしながら、都会住まいの人はプライバシーが確立された社会で生きていたため地域の共同作業になじめないといいます。

そうした村社会の濃密な人間関係を背景に、殺人という禁忌を犯した犯罪者に対する近隣の眼の厳しさと、それ故に内にこもらざるを得ず、他者との交流を築けなかった人間の心の内が暴かれていきます。

その過程は読者も惹き込まれずにはおれません。

 

ただ、真相が明らかになる最後の最後が結局はすべてを知る一人の人物によって明らかにされるという構成は、若干残念に感じました。

最後の最後にひとまとめに解決させてしまうのは、これまでの吉沢香純の働きが減じてしまうように感じたのです。

とはいえ、この点はそれほど大きなことではないとも思えます。

 

著者柚月裕子の示すテーマは考えはじめたらきりがありませんが、一つ一つ対処してゆくしかできないものでしょう。

本書『教誨』は、物語として面白い作品だとはちょっと言いにくいものの、しかしかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ

駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』とは

 

本書『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』は『軌道春秋シリーズ』の第二弾で、作者自身によるあとがきまで入れて371頁の文庫本書き下ろしで、2022年10月に刊行された短編小説集です。

この作者の長編作品に比べると感傷に流された作品が多い印象の作品集でした。

 

駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』の簡単なあらすじ

 

妻の介護に疲れ、行政の支援からも見放された夫は、長年連れ添った愛妻を連れ、死に場所を求めて旅に出る(表題作「駅の名は夜明」)。幼い娘を病で失った母親が、娘と一緒に行くと約束したウィーンの街に足を運ぶ。そこで起きた奇跡とは?(「トラムに乗って」)。病で余命いくばくもない父親に、実家を飛び出し音信不通だった息子が会いにいくと…(「背中を押すひと」)。鉄道を舞台に困難や悲しみに直面する人たちの再生を描く九つの物語。大ベストセラー『ふるさと銀河線 軌道春秋』の感動が蘇る。(「BOOK」データベースより)

目次

トラムに乗って/黄昏時のモカ/途中下車/子どもの世界 大人の事情/駅の名は夜明/夜明の鐘/ミニシアター/約束/背中を押すひと

 

駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』の感想

 

本書『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』は前著『ふるさと銀河線 軌道春秋』と同様に、「トラムに乗って」から「ミニシアター」までのうち「夜明の鐘」を除く六編は深沢かすみ氏の漫画の原作として書かれたものだそうです。

本書冒頭からの二編ずつが、ウィーンの路面電車のトラムを舞台にした話、北海道のローカル鉄道にあるという「レストラン駅舎」という架空の食堂を舞台にした話、JR九州の久大本線に実在する「夜明駅」を舞台にした話になっています。

 

本書掲載の各物語を一言でいえば、話が都合がよすぎると要約できます。

登場する人物たちはそれぞれに苦悩を抱え、悩み、苦しんでいて、そこにたまたま居合わせた婦人や近くの店の人などの助けが入り自ら立ち直っていきますが、その流れがいかにも単純であり、安易に感じられてしまいました。

ですから、『ふるさと銀河線 軌道春秋』の項でも書いたと同様に、本書においてもまた「若干の感傷が垣間見える作品集」と言わざるを得ません。

ただ、そこでは「’感傷’の香りも後退してい」ったと書いていますが、本書の場合は全編が感傷の香りが強いと言ってもいいと思われます。

 

 

視覚に訴える絵という媒体を通す漫画が短いコマ数の中で物語を描き出す場面では、本書『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』の各短編のような単純な物語こそが生きてくるものなのかもしれません。

しかし、小説の場合、文字を通して想起される読者のイマジネーションだけで全部が構築されます。

その場合、あまりに単純な展開では足りず、作者の表現力によって読者の想像を導くにしても限界があると思われ、結果として本書の場合あまりうまく行っているとは思えませんでした。

同じようなことは、青山美智子の『マイ・プレゼント』という作品でも感じたことがあります。青山美智子の長編作品では感動的な物語が紡がれているのに、同じ作者の短編ではどうしても感傷的に過ぎるとしか感じませんでした。

 

 

ただ、本書『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』の最後の「背中を押すひと」は、作者の高田郁が作家としてやっていくきっかけとなった作品だそうで、私の個人的な事情も重なり、それなりに心に沁みました。

私の亡父が職場で倒れた折り、駆けつけた私が背負って病院まで連れて行ったのですが、その軽さに驚いた記憶に結びついたのです。

この作品は作者が加筆修正されているので当時の文章そのままではないのですが、作者の高田郁が最初に書いた作品であり現在の高田郁の原型はあるのではないでしょうか。

そして、時代小説での主人公の頑張る姿の描写へと繋がっていると思うのです。

 

結局、本書『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』は単純にストーリーだけを追っていくには気楽に読める作品でしょう。

しかし、私とってはそこを越えて心に迫るものがあるかと言えばちょっと難しいと言わざるを得ない作品集だったと言わざるを得ませんでした。

レッドゾーン

レッドゾーン』とは

 

本書『レッドゾーン』は2022年8月に刊行された318頁という長さの長編の医療小説です。

2021年4月に刊行されたこの作者の『臨床の砦』に次いで書かれた作品で、我が国のコロナ禍に立ち向かった、信州にある公立病院の医療従事者たちの姿を描きだした感動的な物語です。

 

レッドゾーン』の簡単なあらすじ

 

病む人がいるなら我々は断るべきではない。

【第一話】レッドゾーン
日進義信は長野県信濃山病院に勤務する内科医(肝臓専門医)だ。令和二年二月、院長の南郷は横浜港に停泊中のクルーズ船内で増加する新型コロナ患者の受け入れを決めた。呼吸器内科医も感染症医もいない地域病院に衝撃が走る。日進の妻・真智子は、夫がコロナ感染症の患者を診療することに強い拒否感を示していた。

【第二話】パンデミック
千歳一郎は五十二歳の外科医である。令和二年三月に入り、コロナの感染者は長野県でも急増していた。三月十四日、千歳は限界寸前の日進に変わり、スペイン帰りの32歳女性コロナ確定患者を診察し、涙を流される。翌日、コロナ診療チームに千歳が合流した。

【第三話】ロックダウン
敷島寛治は四十二歳の消化器内科医である。コロナ診療チームに加わって二月半が過ぎた。四月上旬、押し寄せる患者に対応し、信濃山病院が総力戦に突入するなか、保健所は感染症病床を六床から十六床に増床するよう要請する。医師たちはすべての責務を信濃山病院だけに負わせようとする要請に紛糾するが、「病める人がいるのなら、我々は断るべきでない」という三笠内科部長の発言により、増床を受け入れる。
(内容紹介(出版社より))

 

レッドゾーン』の感想

 

本書『レッドゾーン』は、著者夏川草介が2021年に出版した『臨床の砦』の続編です。

 

 

続編とはいっても物語が続いているという意味ではなく、時系列的にはその前の日本でコロナウイルスが蔓延するごく初期から最初の緊急事態宣言発出に至るまでの一地方病院の姿が描かれています。

具体的には、『臨床の砦』の舞台であった信州の信濃山病院に勤務する三人の医師を中心にして、情感豊かに、しかし事実をもとに描かれている作品です。

ただ、物語としては各話での中心となる医師がこの三人というだけで、例えば理事長の南郷や、内科部長の三笠、循環器内科医の富士などの医師たち、また四藤らの看護師といった人々がそれぞれに重要な地位を占めています。

それだけではありません。各話の中心となる医師たちの家族もまたこの物語の重要な登場人物と言えます。

 

三人の医師とは、第一話が肝臓内科医の日進義信、第二話が外科医の千歳一郎、第三話が消化器内科医の敷島寛治です。

彼らの勤務する長野県信濃山病院は病床数二百床弱の公立病院で、公立病院であるがために横浜港に入港したクルーズ船で発生したコロナ患者の要請を受け入れることとしたというのです。

しかし、信濃川病院は感染症指定医療機関ではあっても、呼吸器内科医はおらず、陰圧室もやっと機能している状態の病院です。

そうしたなか、三笠医師の「病める人がいるのなら、我々は断るべきではない。それだけのこと」という考えなど、各医師の単純な、しかし真摯な思いから他の病院が拒絶しているコロナ患者の治療に立ち向かうのです。

 

本書『レッドゾーン』にはほかにも、三笠医師の説明に出てくる、きわめて秘匿性の高い特殊な診療現場であるために情報が非公開であるがゆえの「沈黙の壁」という言葉など、胸に刺さる表現が随所に見られます。

特に、本書の帯に書いてある敷島医師の娘が言った「お医者なのに、コロナの人、助けてあげなくていいの?」という質問は強烈でした。

 

前巻『臨床の砦』でもそうでしたが、本書『レッドゾーン』でも私たちが知らなかったコロナウイルス関連の事実が取り上げられています。

とくに、日本で最初のコロナ患者と言われる横浜でのクルーズ船での感染症患者の発生のとき、神奈川で174人の入院患者を受け入れることができなかったという話には驚きました。

つまり、神奈川の病院は新たな感染症について何も分かっていないために新規の感染症患者の引き受けを拒んだということであり、だからこそ国は公立病院という伝家の宝刀を抜いたのだろう、と作者は三笠医師に言わせています。

ここで述べられている数値、また受け入れ拒否という話は事実であり、だからこそ全国の公立病院に受け入れ要請が出たのでしょう。

また驚きという点では、指揮系統が違うおかげで保健所が救急車を動かすことはできないず、現状ではコロナ患者の移送に救急隊の助力は得られない、という話も同様でした。

 

前巻の『臨床の砦』の時もそうでしたが、私達一般人はテレビのニュースなどを通じて初期のコロナについての情報を得ていました。

そしてその中で医療従事者たちの奮闘ぶりを目の当たりにし、感謝をし、コロナを撃退してくれることを願っていたものです。

しかし、本書『レッドゾーン』を読む限りでは、ニュースを通して得ていた情報は医療従事者たちの苦労のほんの少ししか分っていなかったことを思い知らされました。

 

ここで、個人的なことを言うと、私の住む市での最初のコロナ患者となった看護師さんの勤務する病院の理事長の対処が見事で、病院名を公表し初期対応を見事にやりとげ、クラスターの発生も防いだのです。

しかし、病院名の公表はかなりの誹謗中傷を呼ぶことにもなり、その病院の医療従事者の皆さんはそれこそ本書にも書いてあるような理不尽な対応を受けたと聞いています。

私の学生時代の同級生でもある院長を始めとするその病院関係者がどれほど苦しくつらい目に遭っていたかわかっていたつもりでしたが、本書を読んでその認識がいかに甘いものであったかを思い知らされました。

 

話を元に戻すと、医療従事者たちが直面した事実には、彼らの心理的な負担や思いもふくまれます。

例えば、日進医師の息子でやはり医師である日進義輝の、信濃川病院のコロナ患者受け入れの判断は職員の命を軽んじることであり無責任だ、という言葉はそれなりの重みがあるようです。

しかし、現にほかに行き場のない患者がいるとき、その患者に同じ言葉を言えるか、ということなのでしょう。結局は、現場にいない私達には判断のしようもないと思えます。

 

本書『レッドゾーン』で描いてあるエピソードはその全てが強烈な印象であり、紹介のために取り上げていたら本書を丸写しすることにもなりかねないほどに胸に迫ります。

作者の夏川草介は読者が楽しく読めるような作品を書きたい、という趣旨のことをおっしゃっていたと思いますが、本書の場合、リアルな現実を描く以上そうしたことは言っておられないのでしょう。

読んでいて、正直、辛さを感じる場面が数なからずありましたが、そうした中でも信州の美しい自然を織り込みながらの語りはさすがのものでした。

夏川草介という作家の文章は、本書のような理不尽で悲惨な状況においても信州の美しい風景の描写を織り込んであるためか、状況の過酷さが和らいでいると思われるのです。

 

次から次にウイルスの新たな変種が生まれ、感染の波も繰り返し襲ってきましたが、何とか落ち着いて「ウィズ コロナ」という言葉が現実になりそうなこの頃です。

医療従事者を始めとする、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちの努力はただただ頭が下がるばかりです。

あとは、私達自身が、できることを十分にやて、互いへの思いやりを持って生きていくことが大切だと思います。

本書『レッドゾーン』は、そうしたことを改めて思い出させてくれる作品でした。

丘の上の賢人 旅屋おかえり

丘の上の賢人 旅屋おかえり』とは

 

本書『丘の上の賢人 旅屋おかえり』は『旅屋おかえりシリーズ』の第二弾で、2021年12月に210頁の文庫本書き下ろしで出版された長編の現代小説です。

本書には、本編の他に「フーテンノマハSP」と題された原田マハのエッセイや高校時代のエピソードの漫画化作品、それに瀧井朝世氏の解説まで収納されている、軽く読める作品です。

 

丘の上の賢人 旅屋おかえり』の簡単なあらすじ

 

売れないタレント・おかえりこと丘えりかは、依頼人に代わり旅をする「旅の代理人」。秋田での初仕事を終え、次なる旅先は北海道ーある動画に映っている人物が、かつての恋人か確かめてほしいという依頼だった。依頼人には、初恋を巡るほろ苦い過去があって…。『旅屋おかえり』未収録の、幻の札幌・小樽編が待望の書籍化。北海道旅エッセイ&おかえりデビュー前夜を描いた漫画も収録した特別編!(「BOOK」データベースより)

 

本書冒頭で簡単に主人公の紹介を終えた後、どこかの丘の上でひとり座っている中年の男性を若者たちが足蹴にする動画が紹介されています。

丘の斜面を転がり落ちた男性を追いかけて蹴り続け、若者たちが去った後、その男性は再び丘の上に戻り、またひとり膝を抱えて動かなくなるのです。

それは主人公の会社に送られてきた「フール・オン・ザ・ヒル」というタイトルのメールに添付されていた動画でした。

そのメールは、もしかしたら自分のかつての恋人とかもしれないので、主人公にその人物の確認などをしてもらいたいという内容でした。

 

丘の上の賢人 旅屋おかえり』の感想

 

本書『丘の上の賢人 旅屋おかえり』は、『旅屋おかえりシリーズ』(と言っていいと思います)の第二弾であり、旅にいけない人の代わりに旅をすることを業としている女性の物語です。

本書の主人公は、所属しているプロダクションの社長がつけてくれた「丘えりか」という芸名の売れないタレントであり、「おかえり」さんと略して呼ばれています。

おかえりさんは、ちょっとしたミスで唯一のレギュラー番組であった「ちょびっ旅」をおろされていたところに、代わりに旅行をしてもらえないかという依頼が舞い込み、「旅屋おかえり」として、「あなたの旅、代行します」、という新ビジネスを始めたのでした。

そのお帰りさんが所属しているプロダクションは「よろずやプロ」といい、社長は名刺の肩書に「元プロボクサー、いま社長」と書いている萬鉄壁という人物です。

またこのプロダクションにはほかに、かつてはセクシーアイドルで今は事務所のアイドルだという、事務及び経理担当副社長の澄川のんのがいます。

 

このおかえりさんに今回も旅の依頼が舞い込むのですが、その依頼に関して見せられたのが丘の上に座る男性と、その男性を蹴りつける若者たちの姿の映像だったのです。

依頼者は代官山でアクセサリーの制作、販売の会社「リュパン・ルージュ」の経営している古澤めぐみという人物で、依頼の内容は動画の男性の人物像を知りたいというものでした。

この古澤めぐみも自分の姉が絡んだことで故郷を捨てた過去があり、自分では確認をしに行けないというのです。

ただその目的地が札幌ということで、この仕事を請けるか否か迷いに迷いますが、結局はこの依頼を受けるおかえりさんでした。

というのも、北海道の礼文島が故郷であるおかえりさんは、十八歳で芸能界に入るにあたり、病気で他界した父親と残された家族に芸能界で花ひらくまでは帰らないと約束して島を出ていたのです。

 

本書『丘の上の賢人 旅屋おかえり』は、こうした故郷に帰りにくい事情を持つ主人公と、かつての恋人かどうかの確認を願う依頼者という、なんとも浮世離れした舞台設定ということもあってか若干の感情移入のしにくさを感じる作品でもありました。

ただ、本書は本編の「丘の上の賢人」は153頁の長さしかなく、その後に15頁のエッセイ、そして30頁強の漫画があって瀧井朝世氏の解説と続きます。

つまりは文章が読みやすいということもあって、それほど時間をかけずに読み終えることができるのです。

 

でも、確かに軽くて面白い物語ですが、「fool on the hill」というビートルズの楽曲をテーマに書かれた作品であることはいいのですが、丘の上にいる男、という設定がどうにも素直には感情移入できませんでした。

物語がどうにも感傷過多であり、そのことは、ほかの登場人物の家族や姉妹の関係性にしても同様なのです。

そもそも、本書は「旅」がテーマになった作品であり、感傷的な場面が前面に出るのも仕方のない連載であったのかもしれません。

しかしながら、本書のようにいざ文庫本を読むとその感傷の量の多さに若干ひいてしまいました。

かつての恋人を想いひとり丘の上で坐っている男、という設定そのものが受け入れ難いのです。

 

 

もしかしたら、ある意味少女趣味だと言われかねないストーリーに対する先入観なり、偏見がある私自身の読み方の問題かもしれません。

そうした感傷過多の側面を除けば、単純に気楽なファンタジー物語であり、つまりは楽に読めるほのぼの小説ともいえるのです。

 

かつて読んだこの原田マハという作家の処女作『カフーを待ちわびて』という作品も感傷的と言える作品でしたが、本書『丘の上の賢人 旅屋おかえり』のように感傷過多という印象はなかったと記憶しています。

もしかしたら、読み手である私自身の読み方に差が出てきたのかもしれません。

 

 

本書『丘の上の賢人 旅屋おかえり』は、軽く、ほのぼの系の物語を読みたいという人には最適な作品といえるのでしょう。

 

ちなみに、本シリーズの前巻をもとに安藤サクラ主演でドラマ化されているそうです。

また、2022年10月10日(月・祝) には「旅屋おかえり」愛媛・高知編 が再放送されると記載してありました。

詳しくは下記サイトを参照してください。

ツナグ 想い人の心得

ツナグ』とは

 

本書『ツナグ 想い人の心得』は『ツナグシリーズ』の第二弾で、2019年10月に刊行されて2022年6月に416頁の文庫として出版された、連作の短編小説集です。

前巻の『ツナグ』から七年後の世界での歩美の生き方を中心に描かれた、前巻同様の感動的な作品です。

 

ツナグ』の簡単なあらすじ

 

僕が使者だと打ち明けようかー。死者との面会を叶える役目を祖母から受け継いで七年目。渋谷歩美は会社員として働きながら、使者の務めも続けていた。「代理」で頼みに来た若手俳優、歴史の資料でしか接したことのない相手を指名する元教員、亡くした娘を思う二人の母親。切実な思いを抱える依頼人に応える歩美だったが、初めての迷いが訪れて…。心揺さぶるベストセラー、待望の続編!(「BOOK」データベースより)

 

プロポーズの心得
使者から代理での依頼はだめだと断られた神谷ゆずるは、せっかくの機会だからと、顔も知らない父久間田市郎に会うことにした。母親はゆずるがいていてよかったと言ってくれていたのだが、ゆずるは父親から逃がれた母親の人生を縛ったのではないかと悩んでいたのだ。

歴史探究の心得
おもちゃメーカーの「つみきの森」で働き始めて二年目の歩美は、鶏野工房に向かう途中で使者への連絡を受けた。新潟県の元公立高校の校長だったという依頼者の鮫川は、上川岳満という郷土の名士の研究家として二つの謎を知りたいというのだった。

母の心得
二組の母娘の物語。一組は重田彰一・実里夫妻が依頼人で、相手は五年前に水難事故で六歳で亡くなった娘重田芽生であり、もう一組の依頼人は小笠原時子で、相手は二十年以上も前に二十六で亡くなったその娘の瑛子だった。共に母親の子に対する責任が問われる。

一人娘の心得
鶏野工房の一人娘の奈緒は父親のあとを継ごうと努力していたが、その父親が突然心臓病で亡くなってしまう。歩美は奈緒のことについて社長からは何も聞いていないものの、自分の「使者」としての立場を教えるべきかどうかを悩むのだった。

想い人の心得
蜂谷茂老人は、何度も袖岡絢子という蜂谷が修行していた料亭の体の弱い一人娘との再会を依頼し、その都度断られ続けられていた。蜂谷は、今年は「あの小僧だった蜂谷も、とうとう八十五になりました」と伝えてほしいというのだった。

 

ツナグ』の感想

 

本書『ツナグ 想い人の心得』は、前巻の『ツナグ』から七年が経過しています。

 

 

本書の主役である渋谷歩美は、祖母アイ子から受け継いだ使者の仕事を専業にする道は選ばずに自立の道を選んでいます。

その道が「つみきの森」という玩具メーカーで企画担当として働くことであり、「使者」としての仕事もこなしているのです。

本書『ツナグ 想い人の心得』が前巻の『ツナグ』と異なるところといえば、この歩美が使者としてだけではなく、歩美の「つみきの森」の取引先である鶏野工房との関りが全編にわたって前面に出てきているところでしょう。

そして、描かれる人間ドラマも各話で語られる依頼人に関しての物語であると同時に、本書全体を通して、歩美の社会人としての生活に加えてプライベートな側面も描かれています。

同時に、使者としての立場での秋山家との関りはこれまで通りであり、ただ新たに秋山杏奈という歩美の後継者が登場しています。

 

この杏奈が、本書第一話「プロポーズの心得」で使者として登場することにまず驚かされます。

この驚きは前巻から七年という時が経過していることによるものですが、作者の「読者の意表をつきたかった」という言葉、そのいたずら心が垣間見える箇所でもあります( 新刊JP : 参照 )。

この遊び心も作者の物語の魅力の一つになっていると同時に、本書での杏奈という存在の大きさも示しているのでしょう。

杏奈はまだ八歳なのですが、歩美はこの杏奈に使者としての仕事に関して生じた疑問や悩みを相談し、杏奈から助言を受けまた先に進めるのです。

つまりは、前巻での祖母渋谷アイ子の立ち位置に杏奈がいることを示しています。

また、この第一話で使者として杏奈が登場する理由として、第一巻の第三話「親友の心得」に登場した嵐美砂とのからみがあることを示し、また嵐美砂のその後をも明らかにしていることもシリーズものとしての醍醐味と言えるでしょう。

 

本書『ツナグ 想い人の心得』で特筆すべき第二の点は、第二話「歴史探究の心得」で依頼者が会いたいという相手が歴史上の人物であることです。

つまり、作者の遊び心という点で、第二話で登場してくる上川岳満という存在を設定したところに興味を惹かれます。

いかにも歴史上実在した人物であるかのような描き方をしてあるのですが、実はそうした意図をもって作出した作者の創作した人物だというのです( 新刊JP : 参照 )。また、上川岳満に関連した歴史上の出来事もリアリティーを持った書き方をしてあります。

驚くべきは物語の中ではある和歌が重要な役割を果たしているのですが、その和歌も俳人の川村蘭太氏に依頼したと言っておられることです。

それだけの物語に真実味を持たせる描き方をされているという証左なのでしょう。

この物語は、現実の歴史解釈の面白さ、という意味でも実に楽しい物語でした。

 

さらには、第三話の「母の心得」で登場してくる二組の母娘の話も、実話をもとにして書かれているということです。

ご本人たちの了解を持ったうえで物語として組み立てられているそうで、作家という職業の裏側も垣間見える話でした。

 

そして、なによりも本シリーズの主役である歩美のプライベートな話を絡めての物語の組み立てが為されているところが一番の特徴と言えるでしょう。

その一番の舞台となるのが、「鶏野工房」という歩美が勤め始めた玩具メーカー「つみきの森」の取引先です。

今後このシリーズがどのように展開するのかは分かりませんが、作者の辻村深月が『ツナグシリーズ』をライフワークとしたいとのことなので( ANANニュース ENTAME : 参照 )、続編が予定されていると思われ、この「鶏野工房」が重要な位置を占めるのだろうと考えているのです。

ともあれ、本書『ツナグ 想い人の心得』は作家辻村深月らしさが満載の作品であり、以降の続巻が出るのを期待したい作品でした。

ツナグシリーズ

ツナグシリーズ』とは

 

本書『ツナグシリーズ』は、一生に一度だけの死者との再会を叶える使者「ツナグ」をめぐる物語です。

連作の短編小説の形を取ってはいますが、特に第二弾の『ツナグ 想い人の心得』は実質長編小説と言ったほうがいいかもしれません。

 

ツナグシリーズ』の作品

 

ツナグシリーズ(2022年09月20日現在)

  1. ツナグ
  1. ツナグ 想い人の心得

 

ツナグシリーズ』について

 

ツナグとは、一生に一度だけの死者との再会を叶える使者のことです。

第一弾の『ツナグ』は、第32回吉川英治文学新人賞受賞作を受賞し、百万部を超えるベストセラーとなった作品で、2012年に松坂桃李の主演で映画化もされました( 新刊JP : 参照 )。

 

 

本『ツナグシリーズ』の主役である使者(ツナグ)は、依頼を受けると、対象となった死者と交渉して依頼者に会うつもりがあるかどうかを確認し、死者の了承が得られたら使者が面会の段取りを整えることになります。

ここで、依頼人と死者との面会にはルールがあります。

まず、使者への依頼は本人でないとだめで、シリーズ第二弾の『ツナグ 想い人の心得』第一話で示されているような他人による代理での頼みは受け付けられません。

また、死者にも依頼を受けるかどうかを選ぶ権利があり、断られればそれで終わりです。

相手が断ればその一回はカウントされませんが、その依頼者が再び使者と繋がれるかどうかは“ご縁”だから分かりません。

死者との面会は依頼者にも死者にも一度きりの機会であり、さらに一人の死者に対して会うことのできる人間は一人だけです。

依頼料はなくて無料であり、面会の日は満月の日が多いようです。

使者と依頼人が会えるかどうかは、すべて“ご縁”によります。どれだけ電話をかけても繋がらない人がいる一方で、繋がる人のところには自然と縁あって繋がれます。

 

本『ツナグシリーズ』の主役は渋谷歩美といい、第一弾の『ツナグ』では十七歳の高校二年生です。

歩美の両親は、彼が小学一年生の時に謎の死を遂げており、その謎がシリーズ第一弾の『ツナグ』の第四話「使者の心得」で明かされることになります。

それは、歩美が祖母の渋谷アイ子から受け継いだ「使者」の仕事にも関係していたのでした。

 

両親を亡くした歩美はアイ子とともに叔父夫婦のもとで育ち、シリーズ第一弾『ツナグ』では高校生として登場しています。

そして、シリーズ第二弾『ツナグ 想い人の心得』では、おもちゃを扱うメーカー「つみきの森」に勤めており、アイ子の実家である秋山家には使者の役目に対するサポートだけをお願いしているのです。

 

作者の辻村深月は、本『ツナグシリーズ』をライフワークとしたいと書いておられるので、もしかしたら今後も続編が出版されるのではないかと期待しています( ANANニュース ENTAME : 参照 )。

それほどに、じっくりと読むことができる作品だと思うのです。

夜に星を放つ

夜に星を放つ』とは

 

本書『夜に星を放つ』は2022年5月に220頁のハードカバーで刊行され、第167回直木賞を受賞した短編小説集です。

どの物語も優しい言いまわしで、それでいて人物の心情や物語の内容は素直に理解できる話ばかりの読みやすい作品集でした。

 

夜に星を放つ』の簡単なあらすじ

 

かけがえのない人間関係を失い傷ついた者たちが、再び誰かと心を通わせることができるのかを問いかける短編集。
コロナ禍のさなか、婚活アプリで出会った恋人との関係、30歳を前に早世した双子の妹の彼氏との交流を通して、人が人と別れることの哀しみを描く「真夜中のアボカド」。学校
でいじめを受けている女子中学生と亡くなった母親の幽霊との奇妙な同居生活を描く「真珠星スピカ」、父の再婚相手との微妙な溝を埋められない小学生の寄る辺なさを描く「星の随に」など、人の心の揺らぎが輝きを放つ五編。(内容紹介(出版社より))

 

夜に星を放つ』の感想

 

本書『夜に星を放つ』は、身近な人を何らかの理由で失った登場人物の日常が描き出されている、第167回直木賞を受賞した短編集です。

私のような単なるエンタメ小説好きにとっては、例えば第167回直木賞の候補作である河﨑秋子の『絞め殺しの樹』のような、人間の業を重厚な筆致で描き出す作品が「賞」の受賞作と呼ばれるような作品にふさわしいと思いがちです。

 

 

しかし、第167回直木三十五賞を受賞したのは、そうした重厚さとは程遠い本書『夜に星を放つ』でした。

本書は難解ではない普通の文章で、日常に存在する悲哀の中のかすかな希望だけを余韻とした作品集です。

何も特別なことが描き出してあるわけではありませんが、しかし受賞作とななりました。

それだけ選考委員の心を打つ何かがあったと思われるのですが、私にはその何かがよく理解できず、本書が選ばれた理由がよく分かりませんでした。

もちろん、本書が面白くなく、直木賞にふさわしくないなどと言うつもりは毛頭ありません。

ただ、他の作品と比べて特別優れている点がよく分からないのです。

 

たしかに、本書『夜に星を放つ』は非常に読みやすい文章であり、描かれている人たちの描写もうまいものだとは思いますが、そうした文章を書く作家さんは少なからずおられるのではないでしょうか。

読後に直木賞の選考委員の林真理子さんの、本書は「文章がすばらしく技巧を凝らしている。文章はなめらかに進み構成に無理がなく、短編のお手本のようだと高く評価する人もいた」という文章に出会いました。(NHK NEWS WEB

結局、当たり前ですが、やはり素人には本書の作者窪美澄の文章の技巧、構成を見抜く能力がないということを思い知らされただけの結果でした。

このような選考理由を聞くと、私の若い頃に芥川賞を受賞した庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』という作品を思い出します。

この作品も普通の文章で一人の高校三年生の日常を描き出した作品であり、皆が誰でも書けそうな文章だと言っていた記憶があります(この点、サリンジャーの影響をいう声が高かったようです)。

 

 

直木賞とは離れて見る本書『夜に星を放つ』自体は、冒頭に書いたように身近な人を失った人物の日常を読みやすい文章で描き出す作品集です。

作品それぞれは多様であり、病や離婚、事故、失恋などで大切な人と別れ別れになった人物が主人公になっています。

しかし、殆どはかすかではあっても希望を抱かせるものであり、コロナ禍の未来を見据えている気もします。

 

第一話の「真夜中のアボカド」では恋人に裏切られた主人公と、亡くなってしまった双子の妹の元恋人との不思議な関係が描かれます。

第二話の「銀紙色のアンタレス」は、祖母のいる田舎で出会った人妻への恋心と幼なじみの思慕を描いた、ひとことでいうとベタな青春の一頁の物語です。

第三話「真珠星スピカ」は、交通事故で母を亡くしたいじめられっ子の中一の女の子の日々を描いたファンタジー小説です。主人公にしか見えない死んだはずの母親が現れ、主人公を見守ります。

第四話「湿りの海」は、離婚して母親と共にアメリカに行ってしまった娘を思い続ける男の、隣に越してきた母と自分の娘と同じくらいの幼い娘との物語。何とも煮え切らない男の、私にはよく分からない作品でした。

第五話「星の随(まにま)に」は、両親が離婚し、新しい母親の渚と赤ちゃんの海君と暮らす小学校四年生の想の物語。実の母を慕い暮らす小学生の主人公の大人への配慮だけが目立つ、哀しさにあふれた作品でした。

 

どの物語も使われている言葉や物語の展開に難解なところはなく、それでいて中心となる人物の心情や物語の内容は素直に理解できる話ばかりでした。

そうした理解のしやすさなども受賞の理由の一つになるのでしょうか。

ともあれ本『夜に星を放つ』は、物語としては読みやすい作品集でした。

夜が明ける

夜が明ける』とは

 

本書『夜が明ける』は2021年10月に407頁のハードカバーで刊行され、2022年本屋大賞の候補作となった長編小説です。

虐待や貧困、過重労働、ハラスメントなど、今の社会が抱える不安要素を丸々抱え込んだ著者渾身の作品ですが、私の好む作品ではありませんでした。

 

夜が明ける』の簡単なあらすじ

 

思春期から33歳になるまでの男同士の友情と成長、そして変わりゆく日々を生きる奇跡。まだ光は見えない。それでも僕たちは、夜明けを求めて歩き出す。現代日本に確実に存在する貧困、虐待、過重労働ー。「当事者でもない自分が、書いていいのか、作品にしていいのか」という葛藤を抱えながら、社会の一員として、作家のエゴとして、全力で書き尽くした渾身の作品。(「BOOK」データベースより)

 

「俺」が高校生の時に会った深沢暁は身長191センチで吃音で、『男たちの朝』という映画に出ていたアキ・マケライネンという役者に似ていた。

「俺」深沢暁に「お前は、アキ・マケライネンだよ!」と語りかけ『男たちの朝』を見せたところ、暁はアキ・マケライネンにはまってしまう。

大学卒業後に「俺」はテレビ番組の制作会社に就職し、アキは高校卒業後に弱小劇団に拾われるが、次第に二人ともに心身を壊すほどの貧困に見舞われるのだった。
 
 

夜が明ける』の感想

 

本書『夜が明ける』はいろんな意味で強烈な小説であり、ほとんどラストに至るまで、この物語を好きになれないままに読み進めていました。

文字通りに虐待、貧困、過重労働、ハラスメントなどの負の言葉を織り込んだ物語といっても過言ではなく、ただただ読み進めるのに苦労した作品でした。

結局、ネット上にあった「救済と再生の物語」だという言葉のみを頼りに最後まで読み通したというしかないと思います。

これまでも幾度も書いてきたことだけれど、私の読書は楽しい時間を持ちたい、過ごしたいという側面が大きいので、本書のような作品はその思いに反するのです。

 

本書『夜が明ける』では、語り部であるの人生と、その日記を紹介するという形で語られるアキの人生とが紹介されていて、共に貧困に彩られています。

俺は制作会社のADとして、アキは演劇の団員として、それぞれに底辺の生活をするしかなく、ともに過酷な日々をおくっています。

そして、言われたことに口答えすることもなく、ただひたすらに耐えることしかせず、その結果肉体は勿論、精神まで負荷をかけすぎ壊れてしまうのです。

そういう人間の生活をこれでもかとしつこく描写する本書は、苦痛ともいえる時間でもありました。

 

でも、先般読んだ河崎秋子の『絞め殺しの樹』の時もそうでしたが、好みではないという思いを抱きながらもなぜか読むのをやめようという気にはならないのが不思議です。

 

 

ひとつ言えることは、本書『夜が明ける』の場合はクライマックスが救いです。

終盤のある登場人物の主人公の「俺」に対する本音、これこそが作者が言いたかったことだと思え、この場面のためにこれまでの400頁近くが費やされてきたのではないかと思うほどでした。

そして、確かにその言葉はこれまで読み続けてきたこの物語の苦労を一気にくつがえすほどに強烈なものでした。

 

ネットに、『主人公の「俺」は、最後まで名前で呼ばれることはない。それには、「俺」は特定の誰かではなく、誰もが「俺」になり得る、「この小説はあなたの物語なんだよ」という意味があるという。』『西さんが本書を通して最も伝えたかったメッセージは、「苦しかったら、助けを求めろ」――。』ということだと書いてありましたが、まさにそういうことなのでしょう( BOOKウォッチ : 参照 )。

また担当編集者は、本書をPRする文章の中で『私たちの人生は、誰かのひと言で救われるし、意外な奇跡にも満ちている。そんなことを信じられなくなっている私たちを暗い世界から「夜明け」へと導いてくれる本書』と表現されています( 小説丸 : 参照 )。

 

本書『夜が明ける』の持つ魅力の一端は、アキこと深沢暁がその者になろうとしている「アキ・マケライネン」という人物を設定していることにもあると思います。

このアキ・マケライネンは俳優という設定であり、その存在感のために思わず実在の人物なのかとネットで検索してしまいました。

残念ながら虚構の人物のようですが、同じように感じた人は多いようで、同様にアキ・マケライネンという名をネットで検索したという情報がっけっこう見つかりました。

 

本書『夜が明ける』で描かれている人生は過酷なものであり、二人に降りかかる仕打ちは理不尽なものばかりです。

しかし、本書の持つエネルギーはすさまじいものがあり、それこそが2022年本屋大賞にノミネートされた由縁なのでしょう。

けっして私の好みではない作品ですが、その有する迫力は否定できないと思われます。

 

ちなみに、本書『夜が明ける』のカバー画は作者の西加奈子の手になるもので、最終頁に「装画 西加奈子」と明記してあります。

その画の持つ迫力こそが本書の持つ迫力そのものだと思われます。

任侠楽団

任侠楽団』とは

 

本書『任侠楽団』は『任侠シリーズ』の第六弾で、2022年6月に362頁のハードカバーで刊行された長編のユーモア小説です。

今回、日村たちが駆り出されるのはオーケストラです。クラシックには全く縁がない日村たちですが、いつもとはちょっと異なる展開ですが、相変わらずに面白い作品です。

 

任侠楽団』の簡単なあらすじ

 

問題だらけの「オーケストラ」を立て直しにきたら…まさかの事件発生で阿岐本組、大ピンチ!?あの警視庁捜査一課・碓氷弘一が「任侠」シリーズにやってきた!(「BOOK」データベースより)

 

阿岐本組長の兄弟分である永神健太郎が、北区赤羽にあるイースト・トウキョウ管弦楽団の内輪もめで定期公演の開催が危ういので何とかして欲しいという話を持ってきた。

阿岐本がこの話を請けない筈もなく、日村は早速翌日からオーケストラ事務局に顔を出すこととなった。

ステージマネージャーの片岡静香によると、改革者で実力主義である新任の指揮者のエルンスト・ハーンの方針に反発するベテランと、発言の機会が増えると期待する若手との間で確執が起きているらしい。

ところが翌日、練習のために現れたハーンが襲われるという事件が起きた。

しかし所轄の刑事たちは事件にしたくないようで、代わりに本庁捜査一課の碓氷という刑事が登場するのだった。

 

任侠楽団』の感想

 

まず、本書『任侠楽団』の表記ですが、Amazonの表記に合わせ、書籍記載の『任俠』ではなく『任侠』という文字を使用しています。

 

さて本題ですが、本書『任侠楽団』でも、例によって阿岐本組組長の阿岐本雄蔵の兄弟分である永神健太郎が話を持ってきます。

これまでも出版社、学校、病院、浴場、映画館といろいろな業種の建て直しを図ってきた阿岐本組の面々ですが、今回はオーケストラの再建話です。

つまり、北区赤羽にあるイースト・トウキョウ管弦楽団で内紛が起こり、二週間後の十二月十八日の定期公演の開催が危ういので何とかして欲しいというものでした。

これまで同様に、クラシック音楽に関心があるわけでもない日村がオーケストラのことなど分かる筈もなく、現場で右往左往する姿が描かれます。

ところが今回は、クラシック音楽の知識はないもののジャズなどには関心があるらしく、音楽とまったく無関係でもなさそうな阿岐本組長が自ら乗り出すことになります。

 

本書『任侠楽団』の登場人物としては、阿岐本組関係レギュラーとして組長の阿岐本雄蔵、代貸の日村誠司、組員の三橋健一二之宮稔市村徹志村真吉といったメンバーがいます。

ほかに北綾瀬署のマル暴刑事の甘糟達男とその上司の仙川修造という係長が顔だけ出します。

それよりも警視長捜査一課の碓氷という刑事の登場が本書における大きな目玉と言えます。

次いでイースト・トウキョウ管弦楽団の関係者として、事務局長の高部友郎、ステージマネージャーの片岡静香、新任指揮者のエルンスト・ハーン、前任指揮者の岩井鷹彦などが重要な登場人物です。

ほかに楽団員としてクラリネット奏者の峰岸秀一やフルート奏者の坂上京介の名が上がります。

 

本書『任侠楽団』がこれまでの『任侠シリーズ』の流れと異なるのは、阿岐本組長自らが乗り出す場面が多く、日村が様々な出来事に振り回されるという場面がいつもよりも少なくて済んでいることです。

そして何より大きな違いは、本書では新任の指揮者が何者かに襲われるという傷害事件が起きてしまうことでしょう。

そのことで犯人探しの要素が大きくなっており、これまでのようなシリーズ作品のように依頼を請けた業界独特の展開の中での物語という特色は、若干薄れていると思います。

 

しかしながら、犯人探しの要素が出てきたからこそ警視長捜査一課の碓氷という刑事が登場してくるのであり、シリーズ中の大きな目玉を持った作品になっていると思います。

さらに言えば、そのことで阿岐本雄三という組長も、阿岐本自身の活躍はほとんどないにもかかわらず、その魅力がより発揮されていると言えるかもしれません。

 

警視庁捜査一課の碓氷と言えば今野敏の作品群の中に『警視庁捜査一課・碓氷弘一シリーズ』というシリーズ作品があります。

本書に登場する碓氷刑事がこのシリーズの「碓氷弘一」かと思いつつ読後にネットを見ると、本書の内容紹介に「警視庁捜査一課からあの名(?)刑事がやってきて」という文言がありました。

あの「碓氷弘一」かどうかは本書内部では明記してないので正確なことは不明ですが、公式の内容紹介文に「あの警視庁捜査一課・碓氷弘一」とある以上は多分同一人物なのでしょう。

ともあれ、阿岐本組長とあの碓氷刑事とがタッグを組んで事件を解決するのですから面白くない筈がありません。

 

今回は甘糟刑事も上司の仙川と共にちょっとだけですが登場します。

本シリーズの今後の展開がさらに楽しくなりそうです。続巻が期待されます。

絞め殺しの樹

絞め殺しの樹』とは

 

本書『絞め殺しの樹』は2021年12月に刊行され、第167回直木三十五賞の候補作となった長編小説です。

ひたすらに虐げられ、理不尽な仕打ちを受けながら生きるしかなかった女性を主人公とした重厚な、しかし好みとは異なる作品でした。

 

絞め殺しの樹』の簡単なあらすじ

 

あなたは、哀れでも可哀相でもないんですよ

北海道根室で生まれ、新潟で育ったミサエは、両親の顔を知らない。昭和十年、十歳で元屯田兵の吉岡家に引き取られる形で根室に舞い戻ったミサエは、ボロ雑巾のようにこき使われた。しかし、吉岡家出入りの薬売りに見込まれて、札幌の薬問屋で奉公することに。戦後、ミサエは保健婦となり、再び根室に暮らすようになる。幸せとは言えない結婚生活、そして長女の幼すぎる死。数々の苦難に遭いながら、ひっそりと生を全うしたミサエは幸せだったのか。養子に出された息子の雄介は、ミサエの人生の道のりを辿ろうとする。数々の文学賞に輝いた俊英が圧倒的筆力で贈る、北の女の一代記。

「なんで、死んだんですか。母は。癌とはこの間、聞きましたが、どこの癌だったんですか」
今まで疑問にも思わなかったことが、端的に口をついた。聞いてもどうしようもないことなのに、知りたいという欲が泡のように浮かんでしまった。
「乳癌だったの。発見が遅くて、切除しても間に合わなくてね。ミサエさん、ぎりぎりまで保健婦として仕事して、ぎりぎりまで、普段通りの生活を送りながらあれこれ片付けて、病院に入ってからはすぐ。あの人らしかった」(本文より)(内容紹介(出版社より))

 

絞め殺しの樹』の感想

 

本書『絞め殺しの樹』は、根室のとある気位ばかりが高い家に引き取られた一人の女の子の成長記録であり、理不尽な暮らしにただ耐えるしかない女性の物語です。

こうした理不尽な生活にただ耐えることしかできない人物を主人公とした物語は決して私の好むことろではありません。

例えば、2022年本屋大賞の候補作にもなった町田そのこの『星を掬う』も幼い頃に母親に捨てられ、結婚してからは夫のDVに苦しむ女性の物語です。

この作品はDVの他に育児放棄や介護の苦しみなどの様々な家族の問題を抱えた人物が登場する、やはり一般的な評価は高い作品ですが、個人的にはどうに好みとは言えない作品でした。

この作品も本書も主人公は明確な自己主張をすることができず、ただ親や夫の言葉に従うだけです。私はそうした人物の物語を受け付けないようです。

 

 

本書『絞め殺しの樹』は第167回直木三十五賞の候補作となったほどに評価は高い作品ですが、本書のような作品を読むといつも「直木賞とは?」という疑問が湧いてきます。

そもそも直木賞は「新進・中堅作家によるエンターテインメント作品」( 日本文学振興会 : 参照 )に対して与えられる賞であって、別な言い方をすると、それは「大衆性」のある長編小説あるいは短編集に与えられる文学賞だということです( ウィキペディア : 参照 )。

とするならば、本書のような文学性の高い作品がなお「大衆性」を持った「エンターテイメント作品」だと言えるのか、といつも思うのです。

プロの人たちが直木三十五賞の対象として選んでいるのですから、素人が口を出すことではないでしょうが、それでもやはり違和感が残ります。

 

でも、それだけ本書『絞め殺しの樹』の持つ香りに圧倒されたということはできると思います。

先に述べたように、本書の内容はどこまでも暗く、そして重く、私の好みとはかなり異なる作品でした。

しかしながら、そんな作品でありながらも途中で読むのを辞めようとなどは全く思わず、それどころか妙に惹かれた作品でもあったのです。

それは文章の力なのでしょうか。それとも物語の構成がうまいからなのでしょうか。

 

読書中に思い出したのは赤松利市の『』という作品です。

本書の作者河崎秋子赤松利市とでは作品はそのジャンルも内容も全く異なります。赤松利市の作品は暴力的な雰囲気を纏った冒険小説であり、登場人物は陽気ではあっても物語のトーンは昏いのです。

そこに未来への志向や希望などという展望はなく、ただ刹那的な生存への願望だけが存在します。多分その一点で本書との同じ匂いを嗅ぎ取ったのだと思います。

 

 

北海道の厳しい開拓の様子を描き出した作品と言えば、高田郁の『あい – 永遠に在り』という作品がありました。

この作品は北海道開拓に身をささげた関寛斎の妻である「あい」という実在の女性を描いた作品で、強い女性が描かれた感動的な作品でした。

 

 

それに対し、本書『絞め殺しの樹』の主人公は自分が置かれた環境を前提としてひたすらに耐えることで生き抜いている女性です。

吉岡家という気位ばかりが高い家でこき使われている自分の立場を所与のものとして受け入れているのです。

そんな人を主人公に据え、ただ理不尽で哀しみしかない女性の生涯を描く作品を私は好まないのです。

 

物語自体は吉岡家の理不尽な仕打ちにひたすら耐え続けるしかないミサエという十歳の女の娘が成長し、助けを得て一旦は吉岡家の呪縛からは逃れたものの、故郷のために再び保健婦として根室に戻るという話です。

そこには救いはありません。

もし本書の物語に少しでも救いを求めようとすれば、それは随所に出てくる白い猫の姿でしょう。最初吉岡家で登場する白妙という白い猫と思しき猫がほかの場面でも名を変え登場してきます。

勿論違う猫でしょうが、同じ猫が転生したものだと言わんばかりの登場の仕方を見せます。

第一部での終わりでの「地獄に猫はいないだろう」というミサエの独白の意味は、ねこが象徴するものが安楽や安心などの温もりだと思っていいのだろうかと考えてしまいます。

 

繰り返しますが、本書『絞め殺しの樹』は私の好みではありませんが、しかし妙に心惹かれる作品でもありました。

多分、賞の対象にならない限りこの作者の他の作品は読まないとは思いますが、どこかでそれを心待ちにもしている、妙に気にかかる作品でもありました。