レジェンドアニメ!

レジェンドアニメ!』とは

 

本書『レジェンドアニメ!』は2022年3月に刊行された、アニメ業界を舞台にした270頁のお仕事短編小説集です。

2014年に刊行された『ハケンアニメ!』という作品のスピンオフ作品集であり、そこでの登場人物を主人公に据えた六編の短編で構成されています。

 

レジェンドアニメ!』の簡単なあらすじ

 

誰にだって負けたくない人がいる!ともに働きたい人がいる!待望の『ハケンアニメ!』スピンオフ作品集。夢と希望。情熱とプライド。愛と敬意ー何度でも心震える『ハケンアニメ!』のサイドストーリーを完全収録。(「BOOK」データベースより)

 

目次
九年前のクリスマス/声と音の冒険/夜の底の太陽/執事とかぐや姫/ハケンじゃないアニメ/次の現場へ

簡単なあらすじは、下記の感想の中にまさに簡単に記しています。

 

レジェンドアニメ!』の感想

 

本書『レジェンドアニメ!』は『ハケンアニメ!』に登場してきた人物を個々の物語の主人公として描かれた短編作品集です。

 

 

ここでスピンオフ作品である『レジェンドアニメ!』を読むための前提知識として、本編作品の『ハケンアニメ!』の内容を簡単に書いておきます。

そこでは「運命戦線リデルライト」と「サウンドバック 奏の石」という作品が覇権を争っています。

そして、「運命戦線リデルライト」のプロデューサーが有科香屋子で、監督が王子千晴であり、後に「サバク」と称される「サウンドバック 奏の石」という作品のプロデューサーが行城理で、監督が斎藤瞳であって、並澤和奈がアニメーターをしています。

加えて並澤和奈と選永市観光課の宗森周平の物語がさらにあり、アニメ関連業界の広さが示されています。

また、そのほかにも本書『レジェンドアニメ!』に登場する五條正臣や逢里哲哉、鞠野カエデといった人たちも登場しています。

 

その前提で本書『レジェンドアニメ!』を見ると、第一話「九年前のクリスマス」では、有科香屋子斎藤瞳並澤和奈の三人の九年前の姿があります。

第二話「声と音の冒険」では、天才アニメ監督の王子千晴の若い頃の姿が、当時はトウケイ動画音響部所属のミキサーだった現在の『運命戦線リデルライト』音響監督の五條正臣の目を通して描かれています。

第三話「夜の底の太陽」では、小学五年生の三人組の行動に絡んで若い頃のある人物が登場します。

第四話「執事とかぐや姫」は、アニメに関連するフィギュア制作会社の社員逢里哲哉とフィギュアを作る造形師鞠野カエデの物語で、並澤和奈のいる新潟県選永市の「ファインガーデン」へと繋がります。

第五話「ハケンじゃないアニメ」は、覇権を目指さない安定したアニメ「お江戸のニイ太」の若手プロデューサー和山和人の話で、斎藤瞳が登場します。

第六話「次の現場へ」は、業界人の結婚式を舞台に有科香屋子王子千晴並澤和奈らが登場し、さらに『スロウハイツの神様』のチヨダ・コーキ赤羽環といったクリエーターたちが参加しています。

 

 

ハケンアニメ!』の項でも書きましたが、アニメ業界のことは何も知らない私ですが、アニメ自体は嫌いではありません。というより私の年代にしては好きな方だと思っています。

ただ、近年のアニメは画や効果などの技術は進歩しているものの、派手になり過ぎている印象があるのも事実です。

やはり年代差はあるのでしょう。そうした中でも本書『レジェンドアニメ!』はアニメ作品を作り出す人たちの姿を描いている点で楽しく読むことができました。

でも、この世界を描くうえでのデフォルメは相当に加えてあるのだろう、とは感じます。

アニメーターが消耗品的な扱われ方をされており、中国や韓国のアニメーションに追い抜かれている現状だと何かの文章を読んだことがありますが、そうした現状は本書では全く分かりません。

もちろんそれは当然で、本書で描かれているのはアニメーション動画の監督やプロデューサー、アニメーターの姿、そして彼らのアニメに対する姿勢を描いているのであって、それ以上のものではないからです。

 

私にもこの業界で働いている身内がいるので個人的にも気なる業界ではあります。

どの仕事でもそうですが、自分が抱える仕事に対し真摯に向き合う姿勢がないとその仕事は半端なものになりがちです。

そうした意味でも本書『レジェンドアニメ!』は、どの業界にもある負の側面は捨象し、創造的な側面をみせ、その中で精一杯苦悩しながらも仲間に助けられる、ある種の理想かもしれませんが、未来を感じさせる楽しい作品でした。

また『スロウハイツの神様』の登場人物まで参加しているのには驚きました。

ハケンアニメ!』が映画化もされていることもあり、業界がより良い方向に向かえばと思いますし、続編的な作品がまた書かれることを期待半分に待ちたいと思います。

赤と青とエスキース

赤と青とエスキース』とは

 

本書『赤と青とエスキース』は2021年11月に刊行された、新刊書で239頁の連作の短編小説集で、2022年本屋大賞にノミネートされた作品です。

連作の作品にありがちですが、本書は一枚のエスキースを巡る一編の長編小説だと言えるほどに各話のつながりが強く、また美しい物語であって心洗われる作品でした。

 

赤と青とエスキース』の簡単なあらすじ

 

メルボルンの若手画家が描いた一枚の「絵画」。日本へ渡って三十数年、その絵画は「ふたり」の間に奇跡を紡いでいく。一枚の「絵画」をめぐる、五つの「愛」の物語。彼らの想いが繋がる時、驚くべき真実が現れる!仕掛けに満ちた傑作連作短篇。(「BOOK」データベースより)

 

プロローグ
一章 金魚とカワセミ
メルボルンに留学中の女子大生・レイは、現地に住む日系人・ブーと恋に落ちる。しかしレイは、留学期間が過ぎれば帰国しなければならない。彼らは「期間限定の恋人」として付き合い始めるが……。
二章 東京タワーとアーツ・センター
日本の額縁工房に努める30歳の額職人・空知は、既製品の制作を淡々とこなす毎日に迷いを感じていた。そんなとき、十数年前にメルボルンで出会った画家、ジャック・ジャクソンが描いた「エスキース」というタイトルの絵画に出会い……。
三章 トマトジュースとバタフライピー
中年の漫画家タカシマの、かつてのアシスタント・砂川が、「ウルトラ・マンガ大賞」を受賞した。雑誌の対談企画の相手として、砂川がタカシマを指名したことにより、二人は久しぶりに顔を合わせるが……。
四章 赤鬼と青鬼
パニック障害が発症し休暇をとることになった51歳の茜。そんなとき、元恋人の蒼から連絡がくる。茜は昔蒼と同棲していたアパートを訪れることになり……。
エピローグ
水彩画の大家となったジャック・ジャクソンの元に、20代の頃に描き、手放したある絵画が戻ってきて……。(出版社より)

 

赤と青とエスキース』の感想

 

本書『赤と青とエスキース』は、冒頭に述べたように2022年本屋大賞にノミネートされた作品です。

本書のテーマとなっている画は、胸元に青い鳥のブローチをした赤い服の髪の長い女性が描かれた、赤と青の絵の具だけを使って描かれている水彩画です。

ここで「エスキース」とは、本書中でも説明されているように、下絵のことであり、本番を描く前に構図をとるデッサンのようなもの、だそうです。

詳しくは

に詳しく説明してあります。

 

第一章で、メルボルンに留学中の女子大生のレイと現地に住む日系人のブーとの恋の様子が紹介され、ここで若きジャック・ジャクソンがレイをエスキースとして描き出す様子が描かれます。

そして第二章では、日本の額縁工房の額職人である空知の前にジャック・ジャクソンが描いた「エスキース」というタイトルの絵画が現れるのです。

その後、漫画家のタカシマ剣砂川凌との対談の場所になったとある喫茶店に「エスキース」というタイトルの絵が背景として登場します。

そして次の第四章では、という二人の姿があり、ちょっと長めのエピローグへと繋がります。

こうして、「エスキース」というタイトルの一枚の画が本書の全編を通した鍵になって登場します。

 

本書の感想を端的に言うとすれば、感動的であり久しぶりに心洗われる作品だった、と言えます。

個人的には恋愛小説はあまり好みではないのですが、例えば原田マハの『カフーを待ちわびて』や井上荒野の『切羽へ』のように、読んでよかったという作品があるので恋愛小説だというだけで読まないということはできません。

一人の女性の心をかくも美しく、感動的に描き出すことのできる作家という職業の人たちに対する畏敬の念すら抱いてしまう一瞬でもあります。

 

 

本書の場合、単に恋愛の模様を美しく描き出すというだけでないところが見事です。

「エスキース」というタイトルの一枚の水彩画をとおして描き出される、この水彩画を取り巻く人々の人間模様もあわせて描き出されているところがまた魅力的です。

その上で、さらに本書を通した全体的な仕掛けも素晴らしく、また効果的であり、さらに感動を誘い出します。

 

本書の魅力はその表紙にも表れています。

油絵のようにも見える水彩画が表紙を飾っているのですが、この抽象的な水彩画が心惹かれます。

一編の恋愛小説としての面白さだけでなく、表紙に描かれている絵画の持つ美しさが、物語の中に込められた作者の思いと相まって読者の心を打つようです。

暴力的で、インパクトの強いエンターテイメント小説をより好んで読んでいる私ですが、たまには本書のような心洗われる作品も読むべきだと心から思います。

 

ただ、本書のような直接的に心情に訴えてくる作品のもたらす効果は、単に自己満足的な感傷に溺れているにすぎないのではないかという自分自身に対する思いがあります。

その点に関しては、純粋に良質な作品がもたらしてくれる感動だと確信できるほどに自分の読書に自信を持ちたいものだ、というしかないようです。

母の待つ里

母の待つ里』とは

 

本書『母の待つ里』は2022年1月に刊行された、新刊書で297頁のハートフルな心に沁みる長編小説です。

『壬生義士伝』での東北の訛りと同じ方言が、故郷の言葉として再び読者の前に登場して、仕事や家族、そして母親の存在をあらためて考えさせられる物語が展開します。

 

母の待つ里』の簡単なあらすじ

 

家庭も故郷もない還暦世代の3人の男女の元に舞い込んだ“理想のふるさと”への招待。奇妙だけれど魅力的な誘いに半信半疑で向かった先には、かけがえのない“母”との出会いが待っていた。彼らが見出す人生の道しるべとは?あなたを迎えてくれる場所が、ここにある。至高の名作誕生!(「BOOK」データベースより)

 

知らぬ人のない大企業の社長である松永徹は、親も故郷も捨てた男の四十数年ぶりの里帰りのために在来線のホームに降り立った。

その後バスを乗り継いで相川橋停留所で降りた松永は、通りかかった老人による声掛けという予期しない旧知の出現に胸が鳴り、どう応じてよいのかもわからないでいた。

四十年ぶりの故郷に、帰る道を忘れてはいないかと道を教えてくれた老人の言うとおりに歩いていくと、何もかも忘れ去ってしまったけれど、松永徹が生まれ育ったであろう茅葺屋根の曲がり家が見えてきてた。

庭続きの小さな畑からこんな人だったろうかと思う母が立ち上がり、「けえってきたが」と声をかけてきたのだった。

 

母の待つ里』の感想

 

本書『母の待つ里』の導入部である第一章は上記のように幕を開けました。

浅田次郎の文章は言うまでもなく美しく、郷愁を誘う故郷の風景描写はいかにもの実家の様子を簡単に思い描くことができます。

四十年も無沙汰をしたふる里、そのふる里に一人暮らす母親との久しぶりの邂逅は他人行儀な言葉遣いになってしまうのです。

その様子が冒頭からうまい導入の仕方だなと感じ入ってしまい、流れるような郷愁を誘う文章のなせる業かと思ってしまいました。

 

ところが、読み進めるうちに微妙な違和感が生じてきます。

いくら四十年が経っているからと言って自分の母親の顔や名前を覚えていないことがあるだろうか。実家の間取りを忘れてしまうだろうか。

そしてこの章の最後にその違和感の種明かしがされ、こういう設定だとは夢にも思わずにいた自分は見事に騙されました。

いや、それほどに浅田次郎の筆のうまさが勝っていたというべきでしょう。

 

本書『母の待つ里』の登場人物は、先にも出てきた松永徹室田精一古賀夏生といったそれぞれに故郷に戻り感慨を深くする人たちです。

それに彼らを温かく迎えてくれるふる里で待つ母親ちよに加え、佐々木商店や背戸(裏の家)の一家の人々といった村人たちがいます。

そのほか、松永徹の学生時代からの親友である秋山光夫や有能な秘書の品川操、室田精一の妹の小林雅美、古賀夏生の後輩の小山内秀子など、物語の中心となる三人の周囲の人々が登場します。

彼ら三人は、松永は大企業の社長、室田は製薬会社の営業部長、古賀は大学病院の准教授まで勤めた独身の勤務医で、それぞれに相応の年収を得た成功者というところでしょうか。

彼らはユナイテッドカード・プレミアムクラブの会員であるという共通項があったのです。

 

まさに日本人が心に描く「ふるさと」を美しく描き出した作品です。

しかしながら、現実のふる里、「いなか」を考えると決して本書『母の待つ里』に描かれているようなきれいごとだけではすみません。

今はそうでもないかもしれませんが、都会で個人のプライバシーがかたく守られた生活に慣れた人たちにとっては耐え難いものになると思います。

かつての「いなか」は閉鎖的であり、よそ者は村の仲間として溶け込むことは困難でもあったのです。

本書で描かれている美しい「ふるさと」は一面の真理ですが、それはあくまで日本人の心情に沿った「ふるさと」であり、現実のふる里、「いなか」ではないのではないでしょうか。

だからこそ、作者浅田次郎の名作『壬生義士伝』での東北の訛りが読み手の心に染み入ってくるのだと思われます。

 

 

とはいえ、本書で描かれているのは日本人の心のふる里であり、ふる里に一人住む母への想いですから、こうした現実を指摘することに何の意味もないと思われます。

浅田次郎の美しい文章で紡ぎ出される心のふる里に思いを馳せ涙する、それで充分です。

 

ただ、本書『母の待つ里』の結末に関しては、浅田次郎という作家であればもう少し他の結末もあったのではないかという気はします。

本書の結末は少々哀しくもあり、ありふれてもいて、もっと他の心温まるクライマックスを期待していたのです。

でもそれは浅田次郎ファンとしての無茶な、贅沢な希望にすぎないものであることも分っています。

本書『母の待つ里』はやはり浅田次郎の心に残る物語であることは間違いありません。

マリアビートル

マリアビートル』とは

 

本書『マリアビートル』は2010年9月に刊行された『殺し屋シリーズ』の第二作目で、2013年9月に文庫化された本書は佐々木敦氏の解説まで入れて591頁という分量の、エンターテイメントに徹した長編のサスペンス小説です。

この作者の特徴がよく表れた、軽妙な会話とスピーディーでいながらも意外性に富んだ展開でありながら、個人的には若干の冗長感を感じた作品でした。

 

マリアビートル』の簡単なあらすじ

 

幼い息子の仇討ちを企てる、酒びたりの元殺し屋「木村」。優等生面の裏に悪魔のような心を隠し持つ中学生「王子」。闇社会の大物から密命を受けた、腕利き二人組「蜜柑」と「檸檬」。とにかく運が悪く、気弱な殺し屋「天道虫」。疾走する東北新幹線の車内で、狙う者と狙われる者が交錯する――。小説は、ついにここまでやってきた。映画やマンガ、あらゆるジャンルのエンターテイメントを追い抜く、娯楽小説の到達点!(「BOOK」データベースより)

 

マリアビートル』の感想

 

本書『マリアビートル』は『グラスホッパー』に続く『殺し屋シリーズ』第二作目の、伊坂幸太郎の作品として非常に評価の高い小説です。

その解説にもあるように、本書は殆どが東京駅から盛岡まで走る東北新幹線の内部で殺し屋たちが巻き起こす騒動が描かれています。

 

登場人物は、これぞ主役という人物はいませんが中心となる人物を登場順に見ると、まずアル中の男の木村雄一、そして木村を翻弄する中学生の王子慧がいます。

次いで蜜柑檸檬というコンビの殺し屋、最後に天道虫という異名を持つ七尾という名のツキに見放された殺し屋が登場します。

そして、蜜柑や檸檬の依頼人で裏社会の大物である峰岸良夫などもいますが、主要人物としては上記の人物たちでしょう。

その他に前巻でも登場してきた槿(あさがお)スズメバチなどの殺し屋たちも登場してこの物語を彩り、ストーリーを複雑にしかし面白く盛り上げてくれています。

 

このシリーズの面白さの第一は登場人物たちのキャラクターのユニークさにあると思われ、その一番手には蜜柑と檸檬の二人が挙げられます。

自分の台詞の中に「きかんしゃトーマス」に関する蘊蓄を放り込んでくる蜜柑と、何事にも慎重で文学好きな檸檬との会話が、かみ合わないようでいながらも意思疎通はとれていて面白さに満ちています。

蜜柑の文学に関する知識もそうですが、会話の機微にあわせて「きかんしゃトーマス」の状況を放り込んでくる描写のために、作者はかなり「きかんしゃトーマス」を読み込んだものと思われます。

そう思っていたところ、読了後に参考文献として10冊以上の書物をあげてあり、「きかんしゃトーマス」に関しては「『プラレールマスターカード』の説明部分を引用して」あるというのには驚きました。

 

そして徹頭徹尾ツキに見放された七尾という男がまたユニークです。

例えば、「傘を持ち出かけると必ず雨が降る、ただし、このことは雨が降るのを期待して出かけていない場合に限る」という「マーフィーの法則」が極端なまでにあてはまる人物です。

仕事の腕は超一流なのに、この男のツキの無さは請けるどんな簡単な仕事も複雑なものになるのです。

七尾が節目ごとに電話で話す仕事の仲介役である真莉亜という女性ですら、七尾のツキの無さにはあきれ果てています。

 

そして、笑えないのが中学生の王子慧です。

この人物に関しては解説の佐々木敦氏が、作者の伊坂幸太郎は「悪」を描く作家であり、そのテーマを体現している存在がこの王子慧だといっています。

私はそこまでのテーマを読み取ることはできませんが、王子の持つ異常性は明白です。

 

本書『マリアビートル』でも前巻の『グラスホッパー』同様に木村、蜜柑と檸檬、そして七尾という登場人物それぞれの視点で、短めの「項」が順次入れ代わり、リズミカルに場面が切り替わります。

そして、この場面展開と共にストーリーが思いもかけない方に転がり、読者は惹き込まれてしまいます。

この意外性に満ちたストーリー展開が、このシリーズの面白さの二番目の理由でしょう。

本書冒頭から張られている伏線も見事ですが、ただ終盤になって意味が判明するその伏線は一読しただけでは分からないとも言えるかもしれません。

 

ただ、文庫本で600頁弱にもなるという本書『マリアビートル』はちょっと長すぎるのではないかという印象を持ったのも事実です。

多数のレビュー、評論などで本書に関しては非常に高い評価が為されています。

しかし、私にはそうした評価を知ったうえで読んでも、もう少し簡潔に描くことができるのではないかと思ってしまいます。

でありながら、読むのを辞めようとは思わなかったのですから不思議なものです。

ダレると思いながらももう少し読んでいけば面白くなるのは分かっているのだから読み終えよう、という気持ちは途切れませんでした。

ともあれ、面白さに間違いはない作品と言っていいと思われます。

 

ちなみに、本書を原作としてデヴィッド・リーチが監督をつとめ、ブラッド・ピットやサンドラ・ブロックらの出演が予定されている映画がハリウッドで企画されているそうです。

詳しくは以下を参照してください。

 

 

また、舞台化もされているようです。

新しい星

新しい星』とは

 

本書『新しい星』は、2021年11月に刊行された新刊書で229頁の連作の短編小説集で、高校生直木賞受賞作であり、第166回直木賞の候補作となった作品です。

もう、一遍の長編小説と言うべきではないかと思うほどに各短編のつながりが強い作品集で、章ごとに四人の仲間それぞれの視点を借りて綴られる感動の長編小説でした。

 

新しい星』の簡単なあらすじ

 

幸せな恋愛、結婚だった。これからも幸せな出産、子育てが続く…はずだった。順風満帆に「普通」の幸福を謳歌していた森崎青子に訪れた思いがけない転機ー娘の死から、彼女の人生は暗転した。離婚、職場での理不尽、「普通」からはみ出した者への周囲の無理解。「再生」を期し、もがけばもがくほど、亡くした者への愛は溢れ、「普通」は遠ざかり…。(表題作「新しい星」)美しく、静謐に佇む8つの物語。気鋭が放つ、新たな代表作。(「BOOK」データベースより)

 

 

新しい星』の感想

 

本書『新しい星』は、学生時代の合気道部の仲間の男女四人組の生きる姿を描いた連作短編集です。

冒頭にも書いたように、連作とはいえもはや短編集ではなく一編の長編というべき作品だと思います。

 

登場人物は、表題作の「新しい星」に登場する森崎青子、引きこもりの安堂玄也、乳がんで左の乳房を摘出した大原茅乃、コロナ禍で家族と別居生活を強いられている花田卓馬の四人です。

生まれてすぐの娘なぎさを亡くし夫とも離婚をしてしまった青子は、哀しい日々を送りながらも何とか乗り越えようとするのですが、その姿勢を理解できない母親との生活にも疲れています。

そんな青子のもとに親友の茅乃から会いたいと連絡が入り、乳癌になり来週手術になったと聞かされるのでした(第一話「新しい星」)。

 

冒頭から重く、哀しみに満ちた物語だという印象が強く、これで一冊読み切るのは無理かもと思っていました。

そして第二話も、会社でいじめに遭いこの一年半ほどの間、勤めは勿論家から外に出ることもできないでいた玄也の話であり、最初は第一話と同じく重く暗い話だったのです。

しかし、卓馬と共に道場へ行った玄也は、それぞれの現況について「みんな、大人になると色々あるよね」という茅乃の言葉に込められた、誰しもがそれぞれの人生で他人に説明できないことを抱えて生きていることを知ります。

そして卓馬もしんどいことは「四人で耐えた方がいいって思った」という言葉に救いを見出します。

こうして本書は単に重く暗い物語ではないことが明らかになり、つらいことを乗り越えようとする「再生」の物語であることが示されるのです。

 

そして、上記のように言ってくれる仲間がいるということはじつに幸せなことです。

人は生きていく上で必ず何かしらの障害にぶつかり、それぞれの悩みを抱えつつ生きているものでしょう。

そんなときの仲間の存在のは何ものにも代えがたいものであることは、多くの人が首肯する思います。

 

また、傍から見る限りは何の悩みもなさそうで、何の屈託も無さそうに思えた人が深刻な悩みを抱えていたりすることは普通のことでしょう。

本書『新しい星』でも卓馬は青子や茅乃、玄也が抱える苦悩を心配する明るい青年として登場しますが、そうした卓馬自身がなかなか人には言いにくい事情を抱えていたりするのです。

そんな苦悩を抱えた人生を、それでも生きていこうとする人々の美しさ、そして強さを描き出したこの作品は、未来に明るさをもたらしてくれるようです。

そして、すべてを語り合うことのできる仲間の存在のありがたさが心の奥底に染み入ります。

 

全部で八話で、四人の仲間それぞれの視点で語られるこの物語は、作者によれば第158回直木賞の候補作となった『くちなし』の中の一編の話を膨らませたものだそうです。

作者の彩瀬まる氏によれば、本書『新しい星』は、「『くちなし』に収録する最後の一篇を奇想なしで書いてみようと思った」ところから始まったそうです( 文藝春秋Books : 参照 )。

ここでいう「最後の一篇」とは、「山の同窓会」というタイトルの話で、そこから「奇想なしで」書いたのが同じ『くちなし』の中の「茄子とゴーヤ」という作品であり、そこから、本書へと繋がってきたとありました。

そこらの関係性は鈍い私にはよく分からないのですが、一人の女性の自由な生き方を追求した結果なのか、と思っていいのでしょうか。

 

 

ともあれ、『くちなし』で感じた不気味な印象は本書『新しい星』では全くありません。

それどころか、人が普通に生きるということの意味を考え抜くと、つまりは一人では難しいということなのかと思ってしまいます。

そのことの当否は別としても本書の物語としての完成度は高く、さすがに直木賞の候補作となるだけの文章の美しさと、感動とをもたらしてくれる作品でした。

いのちの停車場

いのちの停車場』とは

 

本書『いのちの停車場』は2020年5月に刊行され、2021年4月出版の文庫本は東えりか氏の解説まで入れて390頁になる長編の医療小説です。

現役の医師ならではの説得力のある筆致で在宅医療の抱える問題点が描き出されている感動的な、しかし哀しみに満ちた作品でした。

 

いのちの停車場』の簡単なあらすじ

 

東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女…様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ…。(「BOOK」データベースより)

 

いのちの停車場』の感想

 

本書『いのちの停車場』は、プロローグ、エピローグと全六章という構成になっていて、章ごとに在宅医療に突きつけられた問題点をテーマに、非常に重く辛い現実が描かれています。

そもそも在宅診療とは、本書の文言を借りると「病院や診療所に通うことが難しい患者に対して医師が自宅や施設を訪問し、継続的な治療を行う医療の形」であり、訪問診療を軸に往診を組み合わせて行われ、「外来・通院、入院、に次いで第三の医療と呼ばれている」そうです。

そして第一章は老老介護、第二章は再生医療、第三章はセルフネグレクト、第四章はレスパイト・ケア、第五章は小児癌、第六賞は安楽死をテーマとしています。

 

第一章は、食事もとれなく胃ろうをつけている妻と金のかかる処置はいらんという夫という、在宅での老老介護の問題です。

第二章の再生医療とは、脊髄損傷という怪我を負い下半身不随となった患者に対する在宅での最先端医療、正確には肝細胞移植技術を考えます。

第三章で取り上げられている「セルフネグレクト」とは「自らの心・体のケアを放棄してしまう」ことを言い( tenki.jp : 参照 )、ゴミ屋敷で暮らす母と離れて暮らす娘夫婦の物語です。

第四章は夫の介護に疲れ果ててしまう妻の話であり、「レスパイト・ケア」とは「介護者をケアするためのサービスのこと」をいいます( 介護ワーカー : 参照 )。

第五章は、若干六歳で癌に冒されてしまった萌という女の子と、その事実をなかなか受け入れることのできない両親の話です。

そして第六章は安楽死の問題が描かれており、脳梗塞後にいわゆる「脳卒中後疼痛」と呼ばれる感覚障害の痛みにさいなまれる父親から積極的安楽死を頼まれる主人公の咲和子の苦悩が描かれています。

 

本書『いのちの停車場』の登場人物は、主人公である白石咲和子、彼女が帰郷し勤めることになる在宅専門の「まほろば診療所」の所長の仙川徹、そこの事務をしている玉置亮子、看護師の星野麻世、それに咲和子を追って金沢までやってきた野呂聖二がいます。

六十二歳になる咲和子は東京の城北医科大学救命救急センターの副センター長でしたが、ある事情により引責辞任を余儀なくされ、故郷の金沢へと帰ってきたものです。

父親はかつては加賀大学医学部付属病院の神経内科医であり、母親は五年前に亡くなっています。

野呂聖二は医師国家試験に落ち浪人中の身だったのですが、救急センターでアルバイト中の自分の失態により咲和子が故郷に戻ったことに責任を感じ、咲和子を追いかけて来たものです。

 

本書『いのちの停車場』では、咲和子が在宅医療の現場で、救急医療の現場とは全く異なる観点で行われる医療に直面し、悩み、苦しむ姿があります。

第一章では医者として数えきれないほどの人の死を見てきた咲和子が、「在宅医療では、看取りの経験のない家族に、死を見守らせるのだという、シンプルだが重い事実」に愕然とする様が描かれます。

その後、先に述べた「セルフ・ネグレクト」や「レスパイト・ケア」などの事実がテーマとなります。

そして、必死で患者のために尽くそうとする咲和子は、治療が余計だと言われ、患者にとって今の治療のどの段階から余計な治療になっていたのかと煩悶することにもなります。

こうした事実、表現こそは現場を知るものでなければ書くことのできない文章なのだと思わされます。

 

本書『いのちの停車場』は最終的に、安楽死という答えのない問題に対し「この痛みに終わりがあると決めることによって、死はむしろ生きる希望にすらなりうる」という言葉が紡がれることで終わります。

作者の南杏子は、医療小説の多くが医療現場の悩み、苦しみをユーモアなどでくるみ、読者にはよりソフトな形で提供しようとするところをより直接的に突きつけているようです。

さらには、現実に起きた医療裁判をモチーフとしているのかもしれません。

例えば、この作者の『ヴァイタル・サイン』では、現実にあった看護師による殺人事件をテーマに、医療現場における看護師の状況を伝えようとしたようです。

それは本書でも同様で、東えりか氏の解説によれば1998年に川崎市で起きた自然死を迎えるための延命行為を差し控える措置で有罪判決を受けた女性医師の事件に由来するのだろうということです。

 

ちなみに本書『いのちの停車場』は、主人公咲和子を吉永小百合が演じ、脇を西田敏行や松坂桃李、広瀬すずといった人たちが固めて映画化されています。

 

珈琲屋の人々 宝物を探しに

珈琲屋の人々 宝物を探しに』とは

 

本書『珈琲屋の人々 宝物を探しに』は『珈琲屋の人々シリーズ』の第三集であり、文庫本で368頁の七編の連作の短編からなる小説集です。

とある珈琲屋のマスターのもとに集う人々の人間ドラマを描いた作品で、微妙に違和感の残る作品でした。

 

珈琲屋の人々 宝物を探しに』の簡単なあらすじ

 

避けがたい理由で人を殺してしまった喫茶店「珈琲屋」の主人・行介と、かつて行介の恋人だった冬子。不器用な生き方しかできないふたりに、幸せは訪れるのか。小さな商店街に暮らす人々の、苦しみや喜びを描いて人気を集めるシリーズの第三弾。まさに“人間ドラマ”と呼べる7つの物語が次々とつながっていく連作短編集。(「BOOK」データベースより)

 

 

珈琲屋の人々 宝物を探しに』の感想

 

借りる時に間違えて、第一集のつもりで借りたところ読み終えて確認したら第三集だったという馬鹿なオチのついた読書でした。

だからなのでしょうか、特定の店に集う人々を描くという定番の物語にしては物語が淡々と流れていってしまいました。

というのも、舞台となる「珈琲屋」の主人がその存在をあまり主張しておらず、加えて各話の中での中心人物の生き方を受け身と感じることが多かったことが一番の理由ではないかと思えます。

 

本書『珈琲屋の人々 宝物を探しに』の主人公は過って人を殺してしまい刑務所で罪を償ってきた過去を持つ宗田行介という名の男です。

この男が経営している、父親が唯一残してくれた喫茶店「珈琲屋」に訪れる人々の物語が紡がれていきます。

この行介には冬子という心に思う人はいるのですが、人殺しの自分には結婚などという人並な幸福は望んではいけないという思いがあります。

そしてもう一人、いつも「珈琲屋」にコーヒーを飲みに来ている、行介、冬子の小学校時代からの幼馴染である島木という男がいます。

 

本書『宝物を探しに』の第一話は、その冬子に思いを寄せる笹森という医者が現れ、行介の心を騒がせる様子が描かれ、本書『珈琲屋の人々 宝物を探しに』全体を貫く物語となっています。

この笹森は、二月ほど前に冬子が大けがを負った際に手術を執刀した医師であり、冬子の実家でもある「蕎麦処・辻井」に日参しているという噂が立っていたのです。

 

行介と冬子との関係のような男女の問題を取り上げた話として第三話、第六話、第七話があります。

第三話は「コガ・マート」を経営する輝久と咲恵の物語です。

輝久が毎日売れ残りの弁当をあげているホームレスが、咲恵の過去の暗い思い出につながる男かもしれないという話です。

第六話は、妻がいるにもかかわらず人妻を愛してしまった、行介の刑務所入所時の刑務官だった初名先生の話です。

第七話は、先に述べた幼馴染の島木の浮気がどうも半分本気のようだというのでした。

 

もしかしたら、第五話も夫婦の話であり、男女の問題と言ってもいいかもしれません。

ただ、古書店「芦川書房」を営む草平の夢をかなえた、重厚な構えの西洋風書斎のような店をめぐる夫婦の物語で、夫の夢の話です。

そのほかの話としては、第二話はこの商店街のはずれにある「未来塾・ゆるゆる」をめぐる物語で、第四話は、冬子の母親典子の、娘の冬子と行介との先行きを案じる話です。

 

こうしたそれぞれの話の主人公たちの生き方に行介と「珈琲屋」がかかわってくるのですが、どうにも今一つ琴線に触れない印象だったので本稿の冒頭のような言葉になったものです。

しかし、『珈琲屋の人々 宝物を探しに』はシリーズの第三巻であり、シリーズを冒頭から見直してみようと思わせるほどの魅力はあります。

ということで、第一巻から読んでみて再度本書の印象を振り返ってみようと思います。

珈琲屋の人々シリーズ

珈琲屋の人々シリーズ』とは

 

あることから人を殺したことのある宗田行介の営む、東京のとある商店街にある喫茶店「珈琲屋」を舞台にした人情物語集です。

 

珈琲屋の人々シリーズ』の作品

 

珈琲屋の人々シリーズ(2021年12月12日現在)

  1. 珈琲屋の人々
  2. ちっぽけな恋
  1. 宝物を探しに
  2. どん底の女神

 

珈琲屋の人々シリーズ』について

 

珈琲屋の人々シリーズ』は、シリーズの主人公としては東京のとある商店街にある喫茶店の「珈琲屋」を営む宗田行介ということになるのでしょう。

しかし、各巻で語られる七編ほどの短編それぞれの主人公は、この「珈琲屋」に訪れる様々な客ということになります。

各話は、その客の視点でそれぞれの人生で巻き起こる物語を「珈琲屋」に来て行介にある人は相談し、ある人は単に話し相手になってもらいます。

そのことにより、各話の中でそれなりの結論が導かれ、各人の人生がまた展開していきます。

 

この「珈琲屋」の主人である宗田行介の他の常連の登場人物として、同じ商店街にある「蕎麦処・辻井」の娘の辻井冬子、それに洋品店の「アルル」の息子である島木がいます。

冬子は一度は嫁いだものの二年後に離婚をし、この町に戻ってきていました。

行介、冬子、島木の三人は小学生の頃からの幼馴染であり、昔から行介と冬子が互いに好きでいることを知っていた島木は二人の仲を何とか取り持とうとしています。

この行介と冬子の中の進展を縦軸に、この三人を中心として「珈琲屋」を舞台に様々な人生模様が繰り広げられるのです。

 

本『珈琲屋の人々シリーズ』を読みながら、主人公の営む店に訪れる客それぞれの人生を描く手法の作品として思い出していたのは、コミック作品で、映画化もされた『深夜食堂』でした。

ユニークな画ですが、その画が軽いユーモアともの悲しさを醸し出していて、読み終えると心がほっこりとする漫画でした。

 

 

また、2021年本屋大賞の候補作となった青山美智子の『お探し物は図書室まで』もこのパターンの一種と言えるのではないでしょうか。

本『珈琲屋の人々シリーズ』の行介にあたる人物として、司書の小町さゆりがいます。彼女が渡す「羊毛フェルト」がかるい伏線ともなっているのです。

そして、本を借りていった人達が自ら悩みを解決し、自らが進む道を探し出し、未来に向かって歩きはじめるのです。

 

 

本『珈琲屋の人々シリーズ』でもまた行介の言葉や行動をきっかけに客のそれぞれが自らの人生をかえりみ、そして歩み始めます。

ですが、本シリーズでは先に紹介した『深夜食堂』や『お探し物は図書室まで』のような心が温かくなる感じがありません。

本書の読後感も悪くはなく、嫌な印象ももちろんないのですが、何故かそれ以上のものを感じなかったのです。

ただ、私が本シリーズを借りる時に間違え、最初に第三巻から読み始めたためにシリーズものの積み重ねの情報を知らずに読み進めたということがあります。

そうした点を指し引いてもう一度第一巻から読んでみるつもりです。

 

ちなみに、私は見ていませんが本『珈琲屋の人々シリーズ』は高橋克典主演でNHKでドラマ化されています。

少なくともAmazonを見る限りはDVD化はされていないようです。

ただ、「NHKオンデマンド」では見ることができるようです。

池永 陽

池永陽』のプロフィール

 

愛知県豊橋市生まれ。岐阜県立岐南工業高等学校卒業。グラフィックデザイナー、コピーライターなどを経て、1998年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞受賞。2006年『雲を斬る』で中山義秀文学賞を受賞。引用元:ウィキペディア

 

池永陽』について

 

現時点ではありません。

ミカエルの鼓動

ミカエルの鼓動』とは

 

本書『ミカエルの鼓動』は第166回直木賞の候補作となった、新刊書で467頁の長編の医療サスペンス小説です。

手術支援ロボット「ミカエル」を使用した手術をめぐり各人の思惑が錯綜するなか、医療とは何か、命とは何かを問う柚月裕子らしい作品でした。

 

ミカエルの鼓動』の簡単なあらすじ

 

「ミカエルは人を救う天使じゃない。偽物だ」手術支援ロボット「ミカエル」を推進する心臓外科医・西條と、ドイツ帰りの天才医師・真木。難病の少年の治療をめぐり二人は対立。そんな中、西條を慕っていた若手医師が、自らの命を絶った。情報を手に入れたジャーナリストは、大学病院の闇に迫る。天才心臓外科医の正義と葛藤を描く。(「BOOK」データベースより)

 

心臓外科医の西條泰己は北中大病院の十人いる病院長補佐の一人であり、手術支援ロボット「ミカエル」を使用しての心臓手術の第一人者としての地位にいた。

そして、ロボット支援下手術の推進こそが医療の未来を開き、ひいては患者のためにもなると信じ行動していた。

ところが、病院長の曽我部は、真木一義という医師をドイツから招いて循環器第一外科科長にするという。それは、西條を差し置いて真木を北中大病院の顔にするという曽我部の布石ではないかと疑う西條だった。

そこに、白石航という少年の心臓手術を行うことになった。

ミカエルによる手術を主張する西條に対し、真紀はミカエルは使えないと、自分が開胸手術をすることこそ航少年のためだと言い張るのだった。

一方、西條を慕っていた広島総生大学病院循環器外科の布施医師の自殺の知らせを受け、彼の死の背後にある秘密がミカエルの性能に関するものであることを知り、思い悩む西條の姿があった。

 

ミカエルの鼓動』の感想

 

本書『ミカエルの鼓動』という作品は私の好みに合致し、とても面白く読めた作品でした。

西條と真木という対立する二人の関係を軸に、病院内での権力闘争、医療機器メーカーとの関係なども過不足なく描かれており、読みやすいのです。

特に、西條と真木それぞれの主義、主張がそれなりにはっきりと描かれていて、一方当事者の主張だけを正当だと評価するようなこともなく、共に患者のことを第一義とする考えであることを前提に描かれていて、好感が持てました。

 

本書の作者柚月裕子は、例えば『佐方貞人シリーズ』での主人公佐方貞人の「罪はまっとうに裁かれなければいけない」という言葉のように、普遍的に考えられている「正義」を純粋に貫くことをテーマとしているようです。

ベストセラーとなり、映画化もされている『孤狼の血シリーズ』の大上にしても、市民に害を与えるものを許さないという確固とした信念をもって行動しています。

そこでは、ときには「青臭い」と呼ばれる愚直なまでに純粋な「正義」が存在しており、その「青臭い正義」が貫かれるからこそ柚月裕子の作品は皆の支持を得ているのだと思えるのです。

 

 

本書『ミカエルの鼓動』でもその点は同じです。

本書で描かれているのは患者の命の救済であり、その命を救うために医者は自らの信じるところを貫こうとします。

その手段として、西條は心臓外科医として手術支援ロボット「ミカエル」の使用こそが医療のために、つまりは患者のためとなるのだと信じ、そのために自分が北中大病院で力を持つ必要があると信じているのです。

また、曽我部が新たに招へいした真木医師もまた患者のためにと自分の医療技術を磨いてきた医師です。

この両者の医者としての信念に乖離があるのではなく、ともに患者を第一義とする点は同じであり、ただ現時点での立ち位置が異なるというだけだと思われるのです。

 

この二人が一人の少年の命を救うためには自分が執刀することが最善だと信じて行動する姿が描かれているのであり、そこには感動すら覚えます。

こうした点に、前述のように柚月裕子という作者の考える「正義」が現れていると思われ、物語の展開としても感情移入のしやすい描きかたになっていると思われます。

また、作者はよく勉強されていると感じたのが西條と真木とが対立する場面である航の手術の場面であり、西條と真木との対立を機械弁での弁置換術と弁形成術との選択の問題としているところです。

その上で弁形成術の優位性を前提に、小児に対する弁形成術の危険性を挟むことで、西條と真木との対立の図式を作り出しているうまさがあります。

また、航の心臓手術の場面の描写は真に迫っていて、とても医学には素人の作者の描写とは思えない迫力のあるものでした。

 

もちろん、西條の家庭の崩壊を描くことにどんな意味があるのかや、真木の人間性として北中大病院内でのスタッフとの関係性を築くのも医者の技量の一つではないのかなど、本書の物語の運びにも小さな疑問点が無いわけではありません。

しかし、物語の中での対立する二人の医者の性格設定を明確にするという作者の意図があるのでしょから、あまり個人的な好みをもとにしての批判めいたことは言うべきではないでしょう。

 

ちなみに、医療小説と言えばまず思い浮かぶのは山崎豊子の『白い巨塔』でしょう。

幾度も映画やテレビで映像化され、コミック化もなされている、大学病院内での権力争いや医局制度の問題点などを取り上げたまさに問題作でもありました。

 

 

そして現在の医療小説では多くの作品がありますが私は夏川草介の『神様のカルテシリーズ』が一番だと思っています。

人間の悪い側面を斬り捨てて、ユーモア満載で描かれる主人公栗原一止たち登場人物の姿を見ていると、人間は信じていいものだと思えて来ます。

 

 

いずれにせよ、本書の面白さはさすがのものであり、『孤狼の血シリーズ』で全く新た強い分野の作品に取り組んだ作者の、また異なる分社への挑戦を試みた作品として成功していると言えます。

 

なお冒頭に書いたように、本書『ミカエルの鼓動』は第166回直木三十五賞の候補作となっています。