ともぐい

ともぐい』とは

 

本書『ともぐい』は、2023年11月に304頁のハードカバーで新潮社から刊行され、第170回直木賞を受賞した長編の動物文学です。

その自然の描写、動物たちの生態の生々しさは尋常ではなく、街の佇まいこそが不自然なのだと思い知らされるような、存在感に満ちた作品でした。

 

ともぐい』の簡単なあらすじ

 

死に損ねて、かといって生き損ねて、ならば己は人間ではない。人間のなりをしながら、最早違う生き物だ。明治後期、人里離れた山中で犬を相棒にひとり狩猟をして生きていた熊爪は、ある日、血痕を辿った先で負傷した男を見つける。男は、冬眠していない熊「穴持たず」を追っていたと言うが…。人と獣の業と悲哀を織り交ぜた、理屈なき命の応酬の果てはー令和の熊文学の最高到達点!!(「BOOK」データベースより)

 

ともぐい』の感想

 

本書『ともぐい』は、北海道の自然の中で一人生き抜いている熊爪という漁師の生きざまを描いた第170回直木賞受賞作となった作品です。

本書の作者河崎秋子という人の作品では、本書同様に第167回直木賞候補作となった『絞め殺しの樹』という作品があります。

この作品は理不尽な仕打ちばかりの人生を耐え抜く一人の女性の生涯を描いた作品ですが、私の好みとはことなるものの、妙に惹かれる作品でもありました。

その“妙に惹かれる作品”だったという部分が取り出されたのが本書だといっても過言ではなさそうです。

 

本書『ともぐい』の主人公は、熊爪という猟師の男です。彼は大自然の中で山菜を採り、兎や鹿そして熊などの動物を殺すことで生きています。

獲った動物は、取れるものはその皮をはいで毛皮としたり、肉は自分と、飼っている名前のない猟犬とで食べ、また保存食とするのです。

たまには獲った動物の肉などを売ったり、鉄砲の弾丸などを購入するために町へ出かけますが、他人との会話を苦手としていてすぐにでも山へ帰りたいと思っているような人物です。

その動物の肉などを買い取ってくれる店が「門屋商店」であり、門屋主人の井之上良輔には世話になっており、良輔に山の話をしつつ、一夜の宿を借りるのを常としています。

この井之上良輔の妻が熊爪が苦手とするふじ乃であり、門屋商店の番頭が幸吉といいます。

そしてこの店にはもうひとり重要な人物がおり、それが陽子(はるこ)という目の見えない少女です。

熊爪は、山で熊を仕留め損ねて大けがをした太一という阿寒湖の畔の集落から来た猟師を助けたことから物語は動き始めます。

 

本書『ともぐい』の一番の魅力は熊爪という男の造形であり、熊爪の犬と共に暮らす山の生活の描写だと言っていいと思います。

他者との交流を好まず、犬と自分一人が生きていくだけに必要な生き物を殺し、それを食し、必要に応じて町へ行って売りさばいて火薬などの必需品を購入する、それだけの暮らしが描かれます。

本書冒頭から、主人公の熊爪が、自分が狩った鹿を解体する様子が詳細に語られています。

自分が村田銃の照準を合わせ仕留めた鹿に小刀を使い、立ちあがった「暖かく緩んだ蒸気」の匂いを嗅ぎながら、内臓を取り出し、赤紫色をした肝臓の端を切り取り、巣食う虫の痕跡のないことを確認して口の中に放り込むと言うのです。

そこにあるのは熊爪と動物との戦いであり、命のやり取りです。

その暮らしの様子が詳細に語られるのですが、その描写が実にリアリティーに富んでいます。

 

ところが、後半になると物語は全く異なる顔を見せてきます。

太一というよそ者が連れてきた「穴持たず」の熊は、熊爪が太一を見つけたときに恐れたように、熊爪の生活に大きな変化をもたらすのです。

それは、熊爪の孤高の生き方にくさびを打ち込み、あれほど嫌っていた他者との関りを熊爪に強制することになります。

そして、大自然の中で、大自然と共に生きてきた熊爪の生活の変化は、単なる生きる場所が移った以上の変化をもたらすのです。

 

作者の河崎秋子は、「道東端の酪農家に生まれ」、「兄が害獣駆除の免許を持っており、仕留めたシカの解体は私の担当だった。」と言われているので、鹿の解体の場面などは実体験に基づいているのでしょう( 東京新聞 Tokyo web : 参照 )。

もともと前著『絞め殺しの樹』の描写でも分かるように、並外れた筆力の持ち主である作者が実体験に基いて描き出しているのですから、上記の描写などリアリティーに満ちているのも当然なのでしょう。

そうした筆力は他の場面でも惜しみなく発揮されており、本書全体の醸し出す雰囲気に読者が惹き込まれるのも当たり前だと思います。

 

先述のように、物語も後半になると熊爪が否応なく人間との関りの中で生きるしかなくなっていく姿が描かれています。

そこでの熊爪の生き方はやはり哀しみに覆われており、先行きを暗示しているようです。

 

本書『ともぐい』は、第170回直木賞受賞作となったというのも納得の作品であり、小説の持つ迫力というものをあらためて感じさせられた、重厚な作品でした。

君が手にするはずだった黄金について

君が手にするはずだった黄金について』とは

 

本書『君が手にするはずだった黄金について』は、2023年10月に256頁のソフトカバーで新潮社から刊行された連作の短編小説集です。

この作者の作品らしくとても論理性をもって進行する作品ですが、実に哲学的というか芥川賞の対象になるような純文学的な作品だとしか思えない作品でした。

 

君が手にするはずだった黄金について』の簡単なあらすじ

 

才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは「承認欲求のなれの果て」。認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。彼らはどこまで嘘をついているのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!(内容紹介(出版社より))

プロローグ/三月十日/小説家の鏡/君が手にするはずだった黄金について/偽物/受賞エッセイ

 

君が手にするはずだった黄金について』の感想

 

本書『君が手にするはずだった黄金について』は、著者自身を思わせる主人公の人生の断片を語っていく連作短編集です。

主人公が小説を書くようになった経緯(「プロローグ」)や、東日本大震災の時の記憶を通して人間の記憶の曖昧さなどを語る(「三月十日」)、占い師と小説家の関係(「小説家の鏡」)、主人公の高校時代の友人である片桐の話(「君が手にするはずだった黄金について」)、ある漫画家の嘘についての物語(「偽物」)、山本周五郎賞の候補になった主人公小川の話(「受賞エッセイ」)の六編から構成されています。

この作者の作品はどれもそうではあるのですが、本書もまた奥の深い作品集であり、結局作者は何を言いたいのか、常に考えさせられる作品集でした。

どれも人間の思考を追求し、特に自身の思考のその奥を突き詰め、虚構を積み重ねていく友人や占い師、真実の心を見せない漫画家の本当の考えを追求し、自身がそうである小説家との違いは何かを考察します。

そこに差異はないのではないかという作者小川哲を思わせる主人公の小川がいて、その問いは読者に投げかけられているようです。

 

この作者の『嘘と正典』や『君のクイズ』、そして第13回山田風太郎賞、また第168回直木賞を受賞した『地図と拳』もそのストーリーが厳密に論理的に組み立てられているのが非常に特徴的な作品だったのですが、本書もまたその例に漏れません。

とはいえ、正直に言うと、この作者の作風にはついて行けないところも感じています。その文章がきちんと組み立てられているのはいいのですが、時にその意図を汲み取れない場面が少なからずあるからです。

その箇所で言われていることは納得できるのだけれども、その文章が指し示す本意を正確に汲み取れていないのではないか、という思いをぬぐえないのです。

例えば、冒頭の「プロローグ」で書かれている「人生の円グラフ」についての考察がありますが、「カテゴリーミステイク」だから書けないというその言葉からしてその意味がつかめず、個人的にはその議論に置いていかれている印象しかありませんでした。

そして、そうした議論について行けない、という印象は随所にあるのです。

 

とはいえ、この作者の作品が独特な個性を持っているのを否定するものではありません。それどころか、無二の才能の持ち主であるであろうことは否定しようもありません。

ただ、私の頭が追い付いていけないだけなのです。

本書にしても主人公の小川が友人と交わす会話の場面など、論理的に詰めて話すその話に私はついていけないのです。

結局は自分が選んでいる小説家という仕事への考察が本書で述べられているのでしょうが、その言葉にもついていけないのです。

これまで、書物への接し方をどちらかと言うと感覚で捉えてきていた読み方のツケが来ているのでしょう。

丁寧なロジックを経て組み立てられている文章でさえ、感覚的に読んでいたのですからそうなるのは当然でしょう。

とはいえ、今更読み方を変えるつもりもなく、本書のような高度な読解力が要求される作品はそんなものだとあきらめるしかなさそうです。

スピノザの診察室

スピノザの診察室』とは

 

本書『スピノザの診察室』は、2023年10月に287頁の新刊書として水鈴社から刊行された長編の医療小説です。

私が最も好きな作家の一人である夏川草介らしく医者を主人公とする作品で、人間の生をあらためて見つめる期待に違わない感動的な作品でした。

 

スピノザの診察室』の簡単なあらすじ

 

雄町哲郎は京都の町中の地域病院で働く内科医である。三十代の後半に差し掛かろうとした頃、最愛の妹が若くしてこの世を去り、一人残された甥の龍之介と暮らすためにその職を得たが、かつては大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望された凄腕医師だった。哲郎の医師としての力量に惚れ込んでいた大学准教授の花垣は、愛弟子の南茉莉を研修と称して哲郎のもとに送り込むが…。数多の命を看取った現役の医師でもある著者が、人の幸せの在り方に迫る感動の物語。(「BOOK」データベースより)

 

スピノザの診察室』の感想

 

本書『スピノザの診察室』は、京都の町にある「原田病院」という民間の病院を舞台にした医療行為に真摯に向き合う医者たちの物語です。

本書の作者夏川草介の代表作でもある『神様のカルテシリーズ』に似た雰囲気の医療小説ですが、本書の方が街中が舞台であるだけに自然描写が少なく、さらにはより医療の現場の日常に近づいているようです。

 

本書の舞台は京都であり、消化器疾患を専門科とする四十八床の小規模病棟を持った「原田病院」という民間病院です。

この「原田病院」は五人の常勤医がいますが、七十近い年齢の理事長の原田百三は管理業務が主体だから、医療現場は残りの四人で回っています。

外科医は病院長でもある五十代半ばの鍋島治と、鍋島医師の後輩である年齢不詳の中将亜矢がいて、内科医として秋鹿淳之介と本書の主人公である雄町哲郎の二人がいます。

 

また主人公の雄町哲郎医師は、皆から親しみを込めて「マチ先生」と呼ばれているのですが、妹を病で亡くしているという過去を持っています。

死ぬ間際まで明るくいたその妹が残した一人息子の龍之介を育てるために将来を嘱望されていた大学の医局を辞め、民間の病院へと移ったのでした。

そのために、大学准教授の花垣はいまでも雄町医師の腕を惜しみ、南茉莉を研修医として雄町医師のもとへ送り込んだりもしているのです。

 

神様のカルテシリーズ』では、主人公の栗原一止は夏目漱石などの古典に親しみ、たまにその蘊蓄などを語る人物です。

それに対し、本書『スピノザの診察室』の主人公の雄町哲郎は、哲学者であるスピノザについて一家言を持っている人物として登場しています。

だからと言って何が違うということはないのですが、共に先人の言葉から人間としての在りようを学び取っているところは同じでしょう。

 

私がこの夏川草介という作者が好きなのは、作品の内容が人の命に対峙するとともに、主人公の姿が真摯なものだということはもちろんですが、このひとの文章が実に読みやすく、作品として重苦しくないということが一番の理由になっていると思います。

この人の文章は平易な言葉を連ねてあるにもかかわらず、自然の描写などはとても情感に満ちていながら、同時に登場人物の思いやその言葉は非常に論理的です。

そうした筋の通った優しさに満ちた文章のおかげで、作品の内容が人の「生」とその先にある「死」に連なる、どちらかというと重いものであっても深刻にならずに、またお涙頂戴の軽い物語にならずに済んでいるのでしょう。

このことは、著者自身も「ただ、人に読んでもらうなら、どんなに内容が厳しくても読みやすくしないといけません。・・・『神様のカルテ』は、・・・暗い話です。ストーリーには救いがありません。そういう物語を読んでもらうための技術として、文章に気を配っています。」( 読書の泉 : )と書いておられ、この文章を読んだ時はあらためて納得したものです。

 

本書『スピノザの診察室』は多分シリーズ化されるのだろう、と思っていたら、作者自身がシリーズ化する予定だということですから、ファンとしてはたまりません( 夏川草介『スピノザの診察室』刊行記念インタビュー : 参照 )。

できるだけ早く続きを読みたいものです。

リカバリー・カバヒコ

リカバリー・カバヒコ』とは

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、2023年9月に234頁のハードカバーで光文社から刊行された連作の短編小説集です。

いつもの通りの心温まる話が詰まっている、青山美智子らしい作品集です。

 

リカバリー・カバヒコ』の簡単なあらすじ

 

5階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで”リカバリー・カバヒコ”。アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。高校入学と同時に家族で越してきた奏斗は、急な成績不振に自信をなくしている。偶然立ち寄った日の出公園でクラスメイトの雫田さんに遭遇し、カバヒコの伝説を聞いた奏斗は「頭脳回復」を願ってカバヒコの頭を撫でる――(第1話「奏斗の頭」)出産を機に仕事をやめた紗羽は、ママ友たちになじめず孤立気味。アパレルの接客業をしていた頃は表彰されたこともあったほどなのに、うまく言葉が出てこない。カバヒコの伝説を聞き、口を撫でにいくと――(第3話「紗羽の口」) 誰もが抱く小さな痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。(「Amazon」内容紹介より)

 

リカバリー・カバヒコ』の感想

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、作者青山美智子らしい、明日に希望をもたらしてくれる心温まる作品集です。

本書には悪人は登場しませんし、派手なアクションもありません。ただ、普通の人々の普通の暮らしが描かれ、その暮らしの中で抱えることになった屈託をカバヒコが解決してくれる物語です。

とは言っても、カバヒコが何かをしてくれるということではありません。

そもそも「カバヒコ」とはアドヴァンス・ヒルというマンション近くの日の出公園にある、いわゆるアニマルライドと呼ばれる遊具につけられた名前であり、ただそこにあるだけの存在に過ぎません。

その名前にしたってカバの遊具であるところからつけられてに過ぎず、その名前に意味があるわけでもありません。。

 

各話の主人公は前出のアドヴァンス・ヒルという新築分譲マンションに住む人たちです。

第一話は、レベルの高い高校に進学したものの、自分の成績の悪さに戸惑う宮原奏斗という高校生。

第二話は、ママ友たちとの付き合いに疲れ、ボスママから無視される樋村砂羽という主婦。

第三話は、耳管開放症という珍しい病に悩む新沢ちはるというブライダルプランナー。

第四話は、嫌なことから逃げていたら本当に足が痛くなってしまった勇哉という小学生。

第五話は、口を開けば母親と喧嘩ばかりをしている溝畑和彦という雑誌編集長です。

 

彼らはそれぞれに悩みを抱え、気が思い毎日を送っていますが、近所の公園の中にあるカバの遊具に関して言われている都市伝説を信じてカバヒコの身体の個所をさすり、その回復を願うのです。

カバヒコは何もしてくれません。ただそこにあるだけです。でも彼らの心は何故か軽くなり、抱えている問題に正面から付きあうようになるのです。

 

作者の青山美智子は、WEB別冊文藝春秋に掲載されているインタビューの中で本書で書きたかったことなどを語っておられます。

そこでは、本書『リカバリー・カバヒコ』の「裏テーマは「相棒」で、主人公がそういう存在に気づく話でもあるんです。」と言っておられます。

そして、「傍から見たら地味だけれど、だからこそ一人一人が見つけるほのかな光が浮かび上がるようなものが書きたかったんです。」とも言っておられるのです。

 

青山美智子の作品は、うがった見方をすれば、これまで三年連続で本屋大賞の候補となった『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』『月の立つ林で』という三作それぞれのパターンが一緒だと言えます。

ただ、程度の差こそあれこの三作はファンタジーの要素があり、超自然的な力が働いていた点に本作との違いがあるとは言えるでしょう。

ですが、たしかに似たようなパターンだと言えないこともありませんが、そのそれぞれの作品で細かな小道具や構成などにこだわりがあり、パターンの類似をものともしない作者の未来に対する希望を感じることが来ます。

だからこそ皆の支持を受けているのでしょう。

ちなみに、同じ個所で、「彼、実は『ただいま神様当番』に出てくる千帆ちゃんという小学生の女の子の弟なんですよ。私がまたスグルくんに会いたかったから書きました。」とも言っておられました。

 

このブログの他の箇所でも書いていますが、私の好む小説はサスペンスやミステリーと分類される作品やSF小説です。中でもアクション小説などの冒険小説を特に好みます。

一方、夏川草介のような心に迫る、人間というものをあらためて考えさせられる作品も好きです。

そうした相反する趣きの作品を読むことでバランスをとっているかのようでもあります。

ともあれ、本書『リカバリー・カバヒコ』は軽く読むこともできつつも明日への希望をもたらしてくれる好編だと思っているのです。

この夏の星を見る

この夏の星を見る』とは

 

本書『この夏の星を見る』は、2023年6月に488頁のハードカバーで刊行され、王様のブランチで特集された長編の青春小説です。

全国の中高校生たちは、このコロナ禍で何もかもが制限されてきましたが、そうした制限下でも何かできることはないかと動き始めた生徒たちの姿を描き出した感動作でした。

 

この夏の星を見る』の簡単なあらすじ

 

亜紗は茨城県立砂浦第三高校の二年生。顧問の綿引先生のもと、天文部で活動している。コロナ禍で部活動が次々と制限され、楽しみにしていた合宿も中止になる中、望遠鏡で星を捉えるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」も今年は開催できないだろうと悩んでいた。真宙(まひろ)は渋谷区立ひばり森中学の一年生。27人しかいない新入生のうち、唯一の男子であることにショックを受け、「長引け、コロナ」と日々念じている。円華(まどか)は長崎県五島列島の旅館の娘。高校三年生で、吹奏楽部。旅館に他県からのお客が泊っていることで親友から距離を置かれ、やりきれない思いを抱えている時に、クラスメイトに天文台に誘われるーー。
コロナ禍による休校や緊急事態宣言、これまで誰も経験したことのない事態の中で大人たち以上に複雑な思いを抱える中高生たち。しかしコロナ禍ならではの出会いもあった。リモート会議を駆使して、全国で繋がっていく天文部の生徒たち。スターキャッチコンテストの次に彼らが狙うのはーー。
哀しさ、優しさ、あたたかさ。人間の感情のすべてがここにある。(内容紹介(出版社より))

 

この夏の星を見る』の感想

 

本書『この夏の星を見る』は、コロナ禍により行動を制限されている中高校生たちが、星を観ることを通して全国の見知らぬ仲間と交流を図る青春小説です。

王道の青春小説でありながら、2020年から始まった特殊な状況下での中・高生たちや世の中の状況をその一部ではありますが描き出してある、特殊な状況下での青春小説でもあります。

その点では、書評家の吉田大助氏が書いておられたように「記録文学としての側面」もあるのでしょう( カドブン:参照 )。

 

本書には星を見るという行為でつながっていく若者たちの姿があり、天体望遠鏡で、月はもちろん土星やその他の惑星を見た自分の少年時代を思い出しながらの読書でした。

カッシーニの間隙などの言葉も久しぶりに聞いて、当時のことを思い出していました。

本書にも出てくる「学習と科学」のうち、毎月の「科学」を楽しみにしていたのは中学生時代だと思っていたのですが、調べてみると小学生の時だったようです。

いろいろな、しかしかなり本格的な付録がついていたこの月刊誌を楽しみにしていましたし、家にあった「Newton」という科学雑誌の宇宙特集なども読みふけったことを思い出しました。

 

そうした思い出はともかく、本書で中心となる学校は「茨城県立砂浦第三高校」、「東京都渋谷区立ひばり森中学校」、それに長崎県五島列島の「長崎県立泉水高校」の三校です。

登場人物を列挙すると、茨城県立砂浦第三高校の天文部顧問が綿引邦弘先生で、中心となるのが天文部二年生の溪本亜紗で、亜紗の同級生が飯塚凛久、先輩として天文部部長の山崎晴菜がいます。

次に渋谷のひばり森中学校は、理科部顧問が森村尚哉先生、そして一年生でただ一人の男子の安藤真宙、そのクラスメイトの中井天音がおり、のちに真宙のサッカーチーム時代の五歳年上の友人都立御崎台高校の柳数生が加わります。それに、要所で手伝ってくれる鎌田潤貴先輩がいました。

最後に長崎県五島列島の泉水高校は部活動ではなく、三年生のクラスメートの三人であり、五島天文台館長の才津勇作が世話をしていて、佐々野円華武藤柊小山友悟がいます。それに、武藤と小山と同じ離島ステイという留学制度の利用者だった輿凌士が、今は東京の実家に戻っています。

他にも多くの人物が登場しますが、中心となるのは以上に挙げた人たちです。

 

コロナ禍の暮らしの中で、友人に島外のお客と接する事があるからコロナの恐れがあるから一緒に帰れないと言われた佐々野円華や、入学したら学年でただ一人の男子であってことに悩む安藤真宙など、それぞれに悩みを抱えながら生きているのです。

そんな彼らが、自作の望遠鏡で指示された星を見つけるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」を通して繋がっていく姿は、新鮮であり若干の羨ましささえ感じます。

そこにあるのは自分たちで考え、作り出し、観察する姿であり、コロナ禍などに押しつぶされることはない前向きな姿です。

 

この「スターキャッチコンテスト」は、現実に茨城県立土浦三高が行っている天体観測競技会がモデルだそうです。

詳しくは下記を参照してください。

 

本書『この夏の星を見る』については、展開が都合がよすぎるだろうなどという意地悪な感想も沸いてはきました。

しかし、それ以上に若者たちやそれを取り巻く大人たちのエネルギーに満ちた物語であり、輝きに満ちた物語だという印象が強い作品でした。

川のほとりに立つ者は

川のほとりに立つ者は』とは

 

本書『川のほとりに立つ者は』は、2022年10月に双葉社から224頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

2023年本屋大賞第九位となった作品でそれなりに惹き込まれたのですが、物語のための物語というかすかな印象を持った作品でもありました。

 

川のほとりに立つ者は』の簡単なあらすじ

 

新型ウイルスが広まった2020年の夏。カフェの店長を務める29歳の清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いていた。原因は彼の「隠し事」のせいだ。そんなある日、松木が怪我をして意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。意識の回復を待つ間、彼の部屋を訪れた清瀬は3冊のノートを見つけた。そこにあったのは、子供のような拙い文字と、無数の手紙の下書きたち。清瀬は、松木とのすれ違いの“本当の理由”を知ることになり…。正しさに消されゆく声を丁寧に紡ぎ、誰かと共に生きる痛みとその先の希望を描いた物語。(「BOOK」データベースより)

 

川のほとりに立つ者は』の感想

 

本書『川のほとりに立つ者は』は、喧嘩をしたままの恋人の怪我をきっかけに、彼の本当の心を知ることとなり、次第にその思いが変化していく女性を描いた作品です。

読み始めは、このような設定自体はありがちで新鮮味がないなどと思いながらの読書でしたが、読み終えたときには本屋大賞の候補となったのも分かる作品だと思うようになっていました。

というのも、主人公の女性の原田清瀬の心象の変化が、わりとリアリティをもった描き方だったためにそう思ったのでしょう。

 

誤解に基づいた喧嘩別れをしたものの、ふとしたきっかけから自分の誤解に気付き仲直りをするという話はありがちな設定でしょう。

ただ、本書の場合は、清瀬が喧嘩別れをした相手の松木圭太の本当の心を知る手段こそ新鮮味があるものではありませんでしたが、主人公の女性が思い違いをするに至るいくつかの出来事が結構インパクトのあるもので、最終的に友人の「識字障害」という病へと辿り着く点はインパクトとがあります。

また、本書のもう一人の主役でもある松木圭太の個人的な背景の描き方もまた惹かれるものでした。

松木とその親との関係性はもう少し書き込みが欲しいと思わないでもありませんでしたが、その後の物語の意外な展開からすると仕方がないのかなとの思いもありました。

 

本書『川のほとりに立つ者は』では、主人公の原田清瀬を始めとして、自分の思いの間違いの可能性など全く考えもせずに様々な言動をとっている人たちが登場します。

そうした人たちが、自分の行動の間違いに気づいていく過程もまた読みごたえがあるところです。

しかし、そうした過程はリアリティが欠ける表現にもなりかねず、難しいところなのでしょう。本書でもちょっと首をひねる箇所もありました。

 

本書では清瀬と圭太とが章ごとに入れ替わって視点の主となり、また時系列も異にしてそのときの視点の主の出来事について記されていきます。

圭太の視点が若干以前に戻ることで、清瀬が圭太に対して抱く疑問や不満についてその理由が明確になっていくのです。

そういう意味ではミステリータッチな展開ということもできるかもしれません。

ただ、このミステリータッチとはいえ、それぞれが物語の鍵ともなる人の名前の読み方の間違いという出来事が二回も出て来て、若干の違和感はあります。

そして、最終的に圭太と圭太の親友である岩井樹の身に起きた不幸な出来事の詳細が明らかになっていくのです。

 

本書の魅力を挙げるとすれば、単純に清瀬の成長する姿が描かれていることだけではなく、個人的には「識字障害」や「発達障害(ADHD)」という病を取りあげてあることにもあると思います。

それは単純に珍しい病気を取り上げてあるということではなく、その病気をスムーズにストーリーの中に取り込んであること、というよりもその病気が物語の核となっていることにあるようです。

ただこの「障害」を取り上げている点も、ある意味不自然とも言え、微妙でもあります。

 

さらに挙げると、架空の小説「夜の底の川」がガジェットとしてうまく使用されています。

この本に書いてあるとされる文章の取り込み方のうまさと、物語の中での警句としての引用など、ストーリーを引き締めるのにかなり役立っていました。

 

結局、読んでいく途中では上記で書いてきた微妙な点、首をひねる箇所や不自然と感じる箇所がありながらも、それなりの感慨をもって読み終えているのも作者の筆の力によるものでしょう。

けっして私の好みの作品ではないにも関わらず、本屋大賞の候補となったのも分かると感じたのも同じことでしょう。

何とも中途半端な印象記となりました。この作者の次の作品を読むかと問われれば、これまた微妙なところで、世間の評価を待つでしょう。

寺地 はるな

寺地 はるな』のプロフィール

 

1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2020年『夜が暗いとはかぎらない』で第33回山本周五郎賞候補。2021年『水を縫う』で第42回吉川英治文学新人賞候補。同年同作で第9回河合隼雄物語賞受賞。『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞9位入賞。他の作品に『カレーの時間』『白ゆき紅ばら』などがある。

引用元:寺地はるな | 著者プロフィール – 新潮社

 

寺地 はるな』について

 

『川のほとりに立つ者は』が2023年本屋大賞第九位となりました。

夜果つるところ

夜果つるところ』とは

 

本書『夜果つるところ』は、2023年6月に283頁のハードカバーで集英社から刊行された長編の幻想小説です。

単純に本書だけを見た場合、何とも評しにくいと感じた作品で、よく分からなかったというのが正直な感想です。

 

夜果つるところ』の簡単なあらすじ

 

執筆期間15年のミステリ・ロマン大作『鈍色幻視行』の核となる小説、完全単行本化。
「本格的にメタフィクションをやってみたい」という著者渾身の挑戦がここに結実…!

遊廓「墜月荘」で暮らす「私」には、三人の母がいる。日がな鳥籠を眺める産みの母・和江。身の回りのことを教えてくれる育ての母・莢子。無表情で帳場に立つ名義上の母・文子。ある時、「私」は館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。着流しの笹野、背広を着た子爵、軍服の久我原。なぜか彼らに近しさを感じる「私」。だがそれは、夥しい血が流れる惨劇の始まりで……。

謎多き作家「飯合梓」によって執筆された、幻の一冊。
『鈍色幻視行』の登場人物たちの心を捉えて離さない、美しくも惨烈な幻想譚。(内容紹介(出版社より))

 

夜果つるところ』の感想

 

本書『夜果つるところ』は、王様のブランチでも紹介があった『鈍色幻視行』を読もうと思っていたところ、Amazonで『鈍色幻視行』の核となる小説だという紹介があったため読んでみようと思った作品です。

 

 

ところが、『夜のピクニック』や『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫 全三巻)などのような恩田陸の作品をイメージしていたため、読み始めは何とも理解しがたい内容の作品であったので戸惑ったというのが正直なところです。

 

 

というのも、本書はいわゆる幻想的な小説であり、これまで読んだ恩田陸の作品とはかなり印象が違っていたのです。

私が読んだ恩田陸の作品の中では『ネクロポリス』がホラーチックであるところから一番近い作品と言えるかもしれません。

ただ、明確にホラーと呼べる作品でもなく、幻想的・頽廃的な雰囲気をもった作品だということでゴシック調の小説だということはできると思います。

 

 

主人公の名前年齢も明かされないままに、ただ空っぽの錆びた鉄製の鳥籠を眺めている和江という女がおり、たまに奇声を上げるその女を怒鳴りつける莢子という女が登場し、異様な雰囲気を醸し出すところから始まります。

舞台はほとんどが夜で、女たちの嬌声が聞こえる遊廓「墜月荘」で、和江莢子文江という三人の母親と、母親たちにまつわる人々が棲む物語が始まるのです。

 

先に書いたように、本書『夜果つるところ』は著者恩田陸の作品である『鈍色幻視行』という作品の中に重要なアイテムとして登場している小説を現実に書いた作品であって、『鈍色幻視行』とあわせて読むべき物語だと思われます。

そこではこの『夜果つるところ』という作品の作者は飯合梓であり、「幾度となく映像化が試みられながらも、撮影中の事故によりそれが頓挫している“呪われた”小説とされてい」いて、本書でも飯合梓の名が作者として印刷されています。

 

ですから、私が「よく分からなかった」と感じたのもあながち的外れではないかもしれないとは思うのですが、幻想小説が好きな人にとっては本書単体で読んでも面白いと思われます。

というのも、本書終盤にいたり、ある程度の謎解きがなされており、これまでの伏線回収が図られていて、それまで単に流されながら読んでいた私も思わず惹き込まれてしまったからです。

私の場合は、恩田陸作品だという先入観にとらわれていたこととがかなり大きかったようです。

やはり、本書の要である『鈍色幻視行』は読んでみようと思っています。

墨のゆらめき

墨のゆらめき』とは

 

本書『墨のゆらめき』は、2023年5月に232頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

真面目なホテルマンと奔放な書家との間の、次第に変化してゆくその関係性を描き出した心温まる作品でした。

 

墨のゆらめき』の簡単なあらすじ

 

実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。(内容紹介(出版社より))

 

墨のゆらめき』の感想

 

本書『墨のゆらめき』は、朗読ということを前提に書かれた、奔放な書家と真面目なホテルマンとの心の交流を描く長編小説です。

さすがに三浦しをんという実績ある作家の作品だけあって文章はとても読みやすく、内容も心惹かれるものがありました。

また、単に主役二人の関係性の展開が面白いというだけでなく、「書」という普段馴染みのない分野が対象になっているという点でも惹かれたのだと思います。

 

本書を読みながら、「書」をテーマにした作品ではないものの砥上裕将の『線は、僕を描く』という作品を思い出していました。

この作品は本書同様に墨と筆を使用するものの、水墨画をテーマに一人の若者の再生を描いた作品で、第59回メフィスト賞を受賞し、2020年の本屋大賞でも三位となった感動の長編小説でした。

描く出す対象は異なるものの、同様に墨と筆を使用した芸術作品を生み出す作業であって、東洋的であり、墨の濃淡で書(描)き手の精神性が重視されるという点で共通するところから思い浮かべたと思います。

また、手紙の代筆という点では小川糸の『ツバキ文具店』という作品もありました。

代書依頼者の望み通りに、依頼の内容に応じた便せん、筆記具、書体で、勿論、手紙を書く上での作法をふまえ手紙を仕上げていく、一人の代書屋さんの日常を描いた心あたたまる2017年本屋大賞で第4位になった長編小説です。

 

 

本書『墨のゆらめき』は、主人公のチカこと続力と彼が筆耕を依頼する書家の遠田薫との交流する姿の描写こそが第一の魅力でしょう。

謹厳実直という言葉があてはまるホテルマンである主人公のチカと、ホテルの宛名書きを引き受ける傍若無人という言葉があてはまる書家との軽妙な掛け合いと、次第に打ち解けていく二人の関係性の変化の描写は絶妙です。

生真面目な続が、書道教室に通ってくる小学生と一緒になって、窓から入ってくる風を感じて書けという遠田の姿に思いのほか真摯な書家の姿を感じ、次第に彼との付き合いに心地いいものを感じてくるのです。

 

他方、遠田の書く「書」に次第に惹かれていく力の様子もまた、作者の「書」の魅力を伝える文章のうまさが光る点です。

力が、遠田が書いた「君去春山誰共遊」という七語から始まる漢詩を見たときの印象を述べた箇所は後述のように個人的には疑問があるところですが、こうした場面の必要性は否定できず、読み応えのある個所の一つでしょう。

ちなみに、この漢詩は劉商という中唐の詩人が旅立っていく友人の王永を送るときに詠った詩だそうです( ハナシマ先生の教えて!漢文 : 参照 )。

 

また、「書」の魅力の紹介もそうですが、先に述べた手紙の代筆の作業である代書屋としての作業もまた魅力的です。

ただ、主人公の続力が生み出す文章を、遠田薫という書家が依頼人にあった筆跡で手紙の代筆を描き出す点でも面白いのですが、なによりもその作業を通して「書」の魅力を引き出しているというところに眼目があると思っています。

そして、そうした作業の合間に顔をのぞかせるカネコの存在が絶妙です。三浦しをん節が明確に表れている個所とも言えるでしょう。

このカネコは「鼻の下に横一線に走った黒い模様で、口ひげを生やしているみたい」であり、金子信雄みたいだからカネコなんだそうです。

 

しかしながら、主人公が遠田の書いた書を見ての印象についての独白の箇所はついていけません。

というのも、上記の送王永の詩についての印象を語る場面などはとても素人が抱ける印象とは思えないのです。

音楽や絵画をテーマとする芸術小説ではいつも思うことですが、一般素人が物語に絡むとき、芸術家のような語りを始めますが、一般素人はそうした感性や言語化の能力を持たないとしか思えないのです。

そうした素人にも感動を与えるのが芸術なのだと反論されそうですが、美しい、素晴らしいという印象は持ってもそれを具体的に言語化する能力は持たないでしょう。

ましてや、遠田の書を見て哀しさが漂っているなどというイメージを抱き得るものなのか疑問しかありません。

でも、そうした感想は芸術関連小説の存在を否定することにもなりかねず、ジレンマと感じるところでもあります。

 

本書『墨のゆらめき』という作品が、書道という分野についてわかりやすく説き起こしており、また作者の文章のうまさともあいまって素晴らしい小説として成立していることは否定できません。

ということは、結局は読み手である私の半端な感想という点に尽きるのでしょう。

ただ、三浦しをんらしい面白く、そして感動的な作品でもある本書をただ楽しめばいいということだと思います。

 

本書は「新潮社(書籍)とAmazonのオーディブル(朗読)の共同企画で、全篇の朗読が先行して配信された後、書籍が刊行され( 三浦しをん『墨のゆらめき』特設サイト : 参照 )」た作品です。

若い頃に古典落語をカセットテープで聴くことにはまった時期がありましたが、私自身の歳を考えても、そのうちに「聞く」読書というものを考えてもいいかもしれません。いつか聞いてみたいものです。

本を「聴く」ことについて下記サイトがありました。サブスクをきっかけとして「聴く読書」が新たなスタイルとして確立される可能性も高いということです。

安壇 美緒

安壇美緒』のプロフィール

 

1986年北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。著書に、北海道の女子校を舞台に思春期の焦燥と成長を描いた『金木犀とメテオラ』がある。2022年『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、2023年同作で第25回大藪春彦賞、第20回本屋大賞第2位を受賞。

引用元:集英社 文芸ステーション

 

安壇美緒』について

 

『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を、『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、第25回大藪春彦賞を受賞し、さらに第20回本屋大賞で第2位となっています。