『狂犬の眼』とは
本書『狂犬の眼』は、『孤狼の血シリーズ』の第二巻目であり、2018年3月に刊行され、2020年3月に文庫化された作品で、文庫本で384頁の長編の警察小説です。
大上に育てられた日岡のその後の様子を描いてあり、第一巻『孤狼の血』に比して若干迫力に欠けますが、それなりの面白さを持った小説です。
『狂犬の眼』の簡単なあらすじ
広島県呉原東署刑事の大上章吾が奔走した、暴力団抗争から2年。日本最大の暴力団、神戸の明石組のトップが暗殺され、日本全土を巻き込む凄絶な抗争が勃発した。首謀者は対抗組織である心和会の国光寛郎。彼は最後の任侠と恐れられていた。一方、大上の薫陶を受けた日岡秀一巡査は県北の駐在所で無聊を託っていたが、突如目の前に潜伏していたはずの国光が現れた。国光の狙いとは?不滅の警察小説『孤狼の血』続編!(「BOOK」データベースより)
『狂犬の眼』の感想
本書『狂犬の眼』は、日本推理作家協会賞を受賞し、直木賞の候補作ともなった『孤狼の血』の続編です。
前作『孤狼の血』の終わりで、駐在所に飛ばされたあと復帰した日岡は、マル暴担当の刑事として、まるで大上がそこにいるかのような姿で後輩を導いている場面で終わっていたと覚えています。
二年も前に読んだ作品なのでもしかしたら間違っているかもしれませんが、でもあまりは外れてはいない筈です。
県北部の町の駐在所に飛ばされている日岡秀一は、久しぶりに訪れた「小料理や 志の」で、対立する組の組長を殺し、指名手配を受けている国光寛郎と出会い、その人生が変わってしまいます。
「暴力団は所詮、社会の糞だ。しかし、同じ糞でも、社会の汚物でしかない糞もあれば、堆肥になる糞もある。」という日岡は、国光寛郎が「堆肥になる」ものかどうか見極めようとし、国光を見かけたことを上司にも報告しないのです。
日岡の眼を通した大上章吾という強烈なキャラクターとその周りの極道の男同志の付き合いの姿を描いた前作と比べると、本書『狂犬の眼』は、は全くと言っていいほどに異なります。
本書で描かれているのは日岡と国光の二人だけと言ってもいいかもしれません。
『孤狼の血』で描かれていたのが菅原文太の映画『仁義なき戦い』であるとするならば、本作は高倉健の映画『日本侠客伝』と言えるかもしれません。
バイタリティーに満ち溢れた前者と、様式美の後者と言うと言い過ぎでしょうか。
ただ、疑問点もあります。例えば、冒頭の場面で、国光が初対面の日岡に心を許す理由は不明です。
日岡との間にかつて大上と懇意にしていた瀧井や一之瀬といった男たちがいたにしても、やるべきことをやったら日岡に手錠をかけさせる、と言うまでに日岡を認めた理由はよく分かりません。
それ以前に、「志の」の晶子が日岡を引きとめる理由もよく分かりません。日岡に会わせたくない客がいるのなら、日岡を追い返さないまでも、早めに帰ると言う日岡を引きとめるべきではないでしょう。
他にも細かな疑問点はありますが、そうした点は覆い隠すほどの迫力を持っている作品です。本作『狂犬の眼』で、警察という組織よりは個人と個人との繋がりを選んだ日岡は、大上章吾の跡継ぎとして成長していると言うべきかもしれません。
いずれにしろ、日岡というキャラクターの成長、そして国光という極道との交流は、読み手の「漢」または「侠(おとこ)」に対するある種の憧れを体現するものであり、心をつかんで離さないのです。
極道ものの走りといえば、尾崎士郎が自分自身をモデルとした青成瓢吉を主人公とした『人生劇場』という長編小説の中の「残侠篇」から作られた映画「人生劇場 飛車角」があります。任侠、ヤクザ映画の大本になった作品とも言えるでしょうか。
また、火野葦平の『花と竜』も繰り返し映画化された作品です。北九州を舞台にした玉井金五郎という港で荷物の積み下ろし作業を行う沖仲士の物語であり、作者火野葦平の父親をモデルとした作品だそうです。
ついでに言えば、筑豊の炭坑を舞台にした五木寛之の『青春の門』の「筑豊篇」でも、主人公の父親伊吹重蔵と塙竜五郎というヤクザを描いた作品もありました。
話はそれましたが、何よりも映画『仁義なき闘い』こそが前作『孤狼の血』のイメージです。
本書『狂犬の眼』もその流れに乗ってはいますが、どちらかと言うと前述のように高倉健の演じた日本任侠伝に出てくる男たちの印象の方が近いと思います。
バイタリティに満ち溢れた前作から、男の美学を中心に描いた本作へと変化しているように思えるのです。
いずれにしろ、本作後の日岡という大上とは異なる出来上がった日岡の物語を読んでみたいものです。
それにしても、改めて柚月裕子という作者の極道の描き方のうまさには関心させられました。
また、映画も続編が作られており、その内容は全くのオリジナルだそうです。
配役を見ると鈴木亮平が敵役を演じていて評判も悪くはないのですが、どうも印象が「悪役」ではないのが気にかかります。
ところで、実際に映画を見ると鈴木亮平の印象はかなりハードなものになっており、さすがの役者さんとは思えました。
しかし、肝心の映画のストーリー自体が現実味にかけており、他の俳優さんたちがヤクザ映画としての迫力はなく、残念でした。
ちなみに、本書『狂犬の眼』の続編として『暴虎の牙』が出版されています。そこでは本書以後の日岡の姿が描かれています。