獣の奏者 外伝 刹那

獣の奏者 外伝 刹那』とは

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は『獣の奏者シリーズ』の第五弾で、2013年10月に講談社文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

生命の尊さを、夫婦、親子、恋人などそれぞれの姿を通して描き出した、本編では描くことのできなかった感動に満ちた作品集でした。

 

獣の奏者 外伝 刹那』の簡単なあらすじ

 

エリンとイアルの同棲時代、師エサルの若き日の苦い恋、息子ジェシのあどけない一瞬……。 本編では明かされなかった空白の11年間にはこんな時が流れていた!
文庫版には、エリンの母、ソヨンの素顔が垣間見える書き下ろし短編「綿毛」を収録。
大きな物語を支えてきた登場人物たちの、それぞれの生と性。

王国の行く末を左右しかねない、政治的な運命を背負っていたエリンは、苛酷な日々を、ひとりの女性として、また、ひとりの母親として、いかに生きていたのか。高潔な獣ノ医術師エサルの女としての顔。エリンの母、ソヨンの素顔、そしてまだあどけないジェシの輝かしい一瞬。時の過ぎ行く速さ、人生の儚さを知る大人たちの恋情、そして、一日一日を惜しむように暮らしていた彼女らの日々の体温が伝わってくる物語集。

【本書の構成】
1 文庫版描き下ろし エリンの母、ソヨンが赤子のエリンを抱える「綿毛」
2 エリンとイアルの同棲・結婚時代を書いた「刹那」
3 エサルが若かりし頃の苦い恋を思い返す「秘め事」
4 エリンの息子ジェシの成長を垣間見る「はじめての…」

「ずっと心の中にあった
エリンとイアル、エサルの人生ーー
彼女らが人として生きてきた日々を
書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。
「刹那」はイアルの語り、「秘め事」はエサルの語りという、
私にとっては珍しい書き方を試みました。
楽しんでいただければ幸いです。

上橋菜穂子」 (「内容紹介」より)

 

獣の奏者 外伝 刹那』の感想

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は、全四巻で完結した『獣の奏者シリーズ』の外伝であり、これまで作者がシリーズ本編では描き出す必要性を感じなかった物語を紡ぎ出した作品集です。

獣の奏者シリーズ』の外伝ではあるのですが、本書に収められた作品はそれぞれが物語として独立しており、はっきりとした主張を持っています。

とはいえ、それぞれの作品の前提となる情報はやはり『獣の奏者シリーズ』で提供された情報を前提としているのであり、スピンオフ的な作品と言われるだけの立場ではあります。

しかしながら、本書の各作品は『獣の奏者シリーズ』が抱えているテーマとは異なるテーマを与えられているという点で、外伝という他ないのでしょう。

 

また、通常ならばファンタジー小説は、彼ら登場人物が私たちが暮らすこの世界とは異なる理(ことわり)の中で、与えられた世界の中で生きる姿を描きだすそのストーリーの面白さを楽しむものだと思います。

しかしながら、本書『獣の奏者 外伝 刹那』の場合はそうしたストーリー展開の面白さではなく、母娘や夫婦、恋人同士といった身近な大切な人との在りようを描き出した作品集です。

母親が我が子に抱く愛情を暖かなタッチで描き出す「綿毛」は、『獣の奏者シリーズ』の主人公であるエリンの母親ソヨンが、エリンをその胸に抱いた時の気持ちを、優しくそして情感豊かに描き出してあります。

シリーズの本編では母親のソヨンは物語の開始早々に亡くなってしまい、殆どその情報がありません。しかし、ここでエリンにお乳をあげるソヨンの母親の姿があります。

 

次の「刹那」では、エリンとその夫イアルの夫婦生活、それも二人の子のジェシ誕生にまつわる出来事がイアルの視点で描かれています。

ジェシの誕生に至るこの話のクライマックスは生命の誕生の美しさと怖さが描かれていて、女性の出産という命がけの作業の尊さが表現されています。

この話の終盤に示される、タイトルの「刹那」という言葉に込められた意味が強く胸に迫ってくるのです。

 

秘め事」は、エリンの師でもあるエサルの若かりし時代を描いた物語です。そこにはエリンの命の恩人でもあり育ての親でもあるジョウンの若かりし頃の姿もあります。

何より人を愛すること、そして愛することの尊さが描かれているのです。

 

はじめての…」では、エリンの子育ての姿が描かれます。ジェシの成長を見守る本編での男勝りのエリンとは異なる、母としてのエリンがここにはいるのです。

 

本書『獣の奏者 外伝 刹那』は上橋菜穂子が描く親子の物語であり、恋愛小説です。

母親の自分の子へそそぐ愛情の深さの描き方が実に自然に、暖かく微笑ましく描かれています。

そして上橋菜穂子が描く恋愛小説である本書の「刹那」や「秘め事」には人間の普通の生活の中にふと訪れる異性への小さな想いが見事に言語化されて表現してあります。

自分の感覚として、人を想うという気持ちの描写として、上橋菜穂子の文章は素直に心に染み入ってくるし、納得しています。

人に対する思いやりの視線、論理的に組み立てられ、そのくせ優しさを持った上橋菜穂子の文章の美しさを堪能するしかありません。

ともぐい

ともぐい』とは

 

本書『ともぐい』は、2023年11月に304頁のハードカバーで新潮社から刊行され、第170回直木賞を受賞した長編の動物文学です。

その自然の描写、動物たちの生態の生々しさは尋常ではなく、街の佇まいこそが不自然なのだと思い知らされるような、存在感に満ちた作品でした。

 

ともぐい』の簡単なあらすじ

 

死に損ねて、かといって生き損ねて、ならば己は人間ではない。人間のなりをしながら、最早違う生き物だ。明治後期、人里離れた山中で犬を相棒にひとり狩猟をして生きていた熊爪は、ある日、血痕を辿った先で負傷した男を見つける。男は、冬眠していない熊「穴持たず」を追っていたと言うが…。人と獣の業と悲哀を織り交ぜた、理屈なき命の応酬の果てはー令和の熊文学の最高到達点!!(「BOOK」データベースより)

 

ともぐい』の感想

 

本書『ともぐい』は、北海道の自然の中で一人生き抜いている熊爪という漁師の生きざまを描いた第170回直木賞受賞作となった作品です。

本書の作者河崎秋子という人の作品では、本書同様に第167回直木賞候補作となった『絞め殺しの樹』という作品があります。

この作品は理不尽な仕打ちばかりの人生を耐え抜く一人の女性の生涯を描いた作品ですが、私の好みとはことなるものの、妙に惹かれる作品でもありました。

その“妙に惹かれる作品”だったという部分が取り出されたのが本書だといっても過言ではなさそうです。

 

本書『ともぐい』の主人公は、熊爪という猟師の男です。彼は大自然の中で山菜を採り、兎や鹿そして熊などの動物を殺すことで生きています。

獲った動物は、取れるものはその皮をはいで毛皮としたり、肉は自分と、飼っている名前のない猟犬とで食べ、また保存食とするのです。

たまには獲った動物の肉などを売ったり、鉄砲の弾丸などを購入するために町へ出かけますが、他人との会話を苦手としていてすぐにでも山へ帰りたいと思っているような人物です。

その動物の肉などを買い取ってくれる店が「門屋商店」であり、門屋主人の井之上良輔には世話になっており、良輔に山の話をしつつ、一夜の宿を借りるのを常としています。

この井之上良輔の妻が熊爪が苦手とするふじ乃であり、門屋商店の番頭が幸吉といいます。

そしてこの店にはもうひとり重要な人物がおり、それが陽子(はるこ)という目の見えない少女です。

熊爪は、山で熊を仕留め損ねて大けがをした太一という阿寒湖の畔の集落から来た猟師を助けたことから物語は動き始めます。

 

本書『ともぐい』の一番の魅力は熊爪という男の造形であり、熊爪の犬と共に暮らす山の生活の描写だと言っていいと思います。

他者との交流を好まず、犬と自分一人が生きていくだけに必要な生き物を殺し、それを食し、必要に応じて町へ行って売りさばいて火薬などの必需品を購入する、それだけの暮らしが描かれます。

本書冒頭から、主人公の熊爪が、自分が狩った鹿を解体する様子が詳細に語られています。

自分が村田銃の照準を合わせ仕留めた鹿に小刀を使い、立ちあがった「暖かく緩んだ蒸気」の匂いを嗅ぎながら、内臓を取り出し、赤紫色をした肝臓の端を切り取り、巣食う虫の痕跡のないことを確認して口の中に放り込むと言うのです。

そこにあるのは熊爪と動物との戦いであり、命のやり取りです。

その暮らしの様子が詳細に語られるのですが、その描写が実にリアリティーに富んでいます。

 

ところが、後半になると物語は全く異なる顔を見せてきます。

太一というよそ者が連れてきた「穴持たず」の熊は、熊爪が太一を見つけたときに恐れたように、熊爪の生活に大きな変化をもたらすのです。

それは、熊爪の孤高の生き方にくさびを打ち込み、あれほど嫌っていた他者との関りを熊爪に強制することになります。

そして、大自然の中で、大自然と共に生きてきた熊爪の生活の変化は、単なる生きる場所が移った以上の変化をもたらすのです。

 

作者の河崎秋子は、「道東端の酪農家に生まれ」、「兄が害獣駆除の免許を持っており、仕留めたシカの解体は私の担当だった。」と言われているので、鹿の解体の場面などは実体験に基づいているのでしょう( 東京新聞 Tokyo web : 参照 )。

もともと前著『絞め殺しの樹』の描写でも分かるように、並外れた筆力の持ち主である作者が実体験に基いて描き出しているのですから、上記の描写などリアリティーに満ちているのも当然なのでしょう。

そうした筆力は他の場面でも惜しみなく発揮されており、本書全体の醸し出す雰囲気に読者が惹き込まれるのも当たり前だと思います。

 

先述のように、物語も後半になると熊爪が否応なく人間との関りの中で生きるしかなくなっていく姿が描かれています。

そこでの熊爪の生き方はやはり哀しみに覆われており、先行きを暗示しているようです。

 

本書『ともぐい』は、第170回直木賞受賞作となったというのも納得の作品であり、小説の持つ迫力というものをあらためて感じさせられた、重厚な作品でした。

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』とは

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾で、2023年10月に講談社から352頁のソフトカバーで刊行された長編のファンタジー小説です。

これまでの二巻とはまた異なるタッチで展開される革命の物語であり、特に後半の展開はかなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の簡単なあらすじ

 

ルミニエル座の俳優アーロウには双子の兄がいた。天才として名高い兄・リーアンに、特権階級の演出家から戯曲執筆依頼が届く。選んだ題材は、隠されたレーエンデの英雄。彼の真実を知るため、二人は旅に出る。果てまで延びる鉄道、焼きはらわれた森林、差別に慣れた人々。母に捨てられた双子が愛を見つけるとき、世界は動く。(「BOOK」データベースより)

 

レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』の感想

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は『レーエンデ国物語シリーズ』の第三弾となる物語ですが、これまでの二巻とは異なり「演劇」を通した革命の物語でした。

これまでの二作品の持つ恋愛の要素や戦いの場面もほとんどないという全く異なる作風でもあり、あまり期待せずに読み始めたものです。

 

本書中盤までは、当初の印象のとおり前二作品との関連性もあまり感じられないままに、これといった見せ場もないため、今一つという印象さえ持っていました。

ところが、中盤以降、主役の二人がテッサの物語に触れるあたりからは俄然面白くなって来ました。

アクションはありません。古代樹の森などのファンタジックな要素さえもありません。

それどころか、本書の時代においては蒸気機関車さえ走っていて、イジョルニ人とレーエンデ人との間にはこれまで以上の落差がある時代です。

そうした時代を背景に、この物語は語られます。

 

本書『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』は、役者のアーロウと劇作家のリーアンという双子の兄弟の物語です。

というよりも、アーロウの視点で語られる兄弟の物語というべきでしょう。

アーロウとリーアンとはは幼いころからいつも一緒にいて互いに互いを必要とし、かばい合って生きてきていました。

しかし、二人が成長してルミニエル座に受け入れられ、そこでリーアンの劇作家としての才能が開花すると、アーロウは役者として生きていながら、リーアンに対しては嫉妬、妬みの気持ちを押さえられなくなっていくのです。

そのうちにリーアンはレーエンデの英雄テッサの物語を戯曲として書く機会を得るのでした。

 

つまり、テッサの物語から120年以上を経て、テッサたちの話は闇に葬られ歴史から消し去られていたのです。

しかし、テッサたちの物語を知ったリーアンが彼らを主人公にした戯曲を書くことを思いついたあたりから物語は大きく動き始め、私も大いにこの物語に惹き込まれていきます。

先に述べたように、心惹かれる恋愛要素も、また派手なアクションはないのですが、二人の兄弟の運命の展開に読者もまた巻き込まれ感情移入せざる得ない面白さを意識せざるを得なくなるのでした。

これまでの二巻とは全く異なる観点からレーエンデの独立を語る本書は、よくぞこうした物語を書けるものだと感心するばかりです。

次はどんな物語を提供してくれるのかと期待は膨らみます。

 

ちなみに、「多崎礼 公式blog 霧笛と灯台」によれば、本『レーエンデ国物語シリーズ』は全五巻であり、第四巻『レーエンデ国物語 夜明け前』、第五巻『レーエンデ国物語 海へ』は2024年刊行予定だということです。

期待して待ちたいと思います。

君が手にするはずだった黄金について

君が手にするはずだった黄金について』とは

 

本書『君が手にするはずだった黄金について』は、2023年10月に256頁のソフトカバーで新潮社から刊行された連作の短編小説集です。

この作者の作品らしくとても論理性をもって進行する作品ですが、実に哲学的というか芥川賞の対象になるような純文学的な作品だとしか思えない作品でした。

 

君が手にするはずだった黄金について』の簡単なあらすじ

 

才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは「承認欲求のなれの果て」。認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。彼らはどこまで嘘をついているのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!(内容紹介(出版社より))

プロローグ/三月十日/小説家の鏡/君が手にするはずだった黄金について/偽物/受賞エッセイ

 

君が手にするはずだった黄金について』の感想

 

本書『君が手にするはずだった黄金について』は、著者自身を思わせる主人公の人生の断片を語っていく連作短編集です。

主人公が小説を書くようになった経緯(「プロローグ」)や、東日本大震災の時の記憶を通して人間の記憶の曖昧さなどを語る(「三月十日」)、占い師と小説家の関係(「小説家の鏡」)、主人公の高校時代の友人である片桐の話(「君が手にするはずだった黄金について」)、ある漫画家の嘘についての物語(「偽物」)、山本周五郎賞の候補になった主人公小川の話(「受賞エッセイ」)の六編から構成されています。

この作者の作品はどれもそうではあるのですが、本書もまた奥の深い作品集であり、結局作者は何を言いたいのか、常に考えさせられる作品集でした。

どれも人間の思考を追求し、特に自身の思考のその奥を突き詰め、虚構を積み重ねていく友人や占い師、真実の心を見せない漫画家の本当の考えを追求し、自身がそうである小説家との違いは何かを考察します。

そこに差異はないのではないかという作者小川哲を思わせる主人公の小川がいて、その問いは読者に投げかけられているようです。

 

この作者の『嘘と正典』や『君のクイズ』、そして第13回山田風太郎賞、また第168回直木賞を受賞した『地図と拳』もそのストーリーが厳密に論理的に組み立てられているのが非常に特徴的な作品だったのですが、本書もまたその例に漏れません。

とはいえ、正直に言うと、この作者の作風にはついて行けないところも感じています。その文章がきちんと組み立てられているのはいいのですが、時にその意図を汲み取れない場面が少なからずあるからです。

その箇所で言われていることは納得できるのだけれども、その文章が指し示す本意を正確に汲み取れていないのではないか、という思いをぬぐえないのです。

例えば、冒頭の「プロローグ」で書かれている「人生の円グラフ」についての考察がありますが、「カテゴリーミステイク」だから書けないというその言葉からしてその意味がつかめず、個人的にはその議論に置いていかれている印象しかありませんでした。

そして、そうした議論について行けない、という印象は随所にあるのです。

 

とはいえ、この作者の作品が独特な個性を持っているのを否定するものではありません。それどころか、無二の才能の持ち主であるであろうことは否定しようもありません。

ただ、私の頭が追い付いていけないだけなのです。

本書にしても主人公の小川が友人と交わす会話の場面など、論理的に詰めて話すその話に私はついていけないのです。

結局は自分が選んでいる小説家という仕事への考察が本書で述べられているのでしょうが、その言葉にもついていけないのです。

これまで、書物への接し方をどちらかと言うと感覚で捉えてきていた読み方のツケが来ているのでしょう。

丁寧なロジックを経て組み立てられている文章でさえ、感覚的に読んでいたのですからそうなるのは当然でしょう。

とはいえ、今更読み方を変えるつもりもなく、本書のような高度な読解力が要求される作品はそんなものだとあきらめるしかなさそうです。

マリスアングル

マリスアングル』とは

 

本書『マリスアングル』は、2023年10月に408頁のハードカバーで光文社から刊行された長編の警察小説で、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

この人の作品にはずれはありませんが、中でもこの『姫川玲子シリーズ』はその一番手であり、本書もまたその例に違わない作品でした。

 

マリスアングル』の簡単なあらすじ

 

塞がれた窓、防音壁、追加錠…監禁目的の改築が施された民家で男性死体が発見された。警視庁捜査一課殺人班十一係主任、姫川玲子が特捜に入るも、現場は証拠が隠滅されていて糸口はない。犯人はなんの目的で死体を放置したのか?玲子の天性の勘と閃き、そして久江の心に寄り添う聞き込みで捜査が進展すると、思いもよらない人物が浮かび上がってきてー誉田ワールド、もう一人の重要人物・魚住久江が合流し、姫川班が鮮烈な進化を遂げるシリーズ第10作!(「BOOK」データベースより)

 

マリスアングル』の感想

 

本書『マリスアングル』は、『姫川玲子シリーズ』の第十弾となる作品です。

姫川玲子シリーズ』の出版冊数からすると十一番目になると思われるのですが、第五弾の『感染遊戯』をシリーズ関連作としてシリーズない作品としては計算してないことにあるようです。( 姫川玲子シリーズ 公式サイト : 参照 )

この点に関しては、著者の誉田哲也自身がはっきりと自身の筆で、『感染遊戯』は「姫川玲子シリーズにはカウントしないこととする。」と書かれておられます。( Book Bang : 参照 )

出版社の「内容紹介」にも『姫川玲子シリーズ』の第十弾作品と書いてあります。

 

そうした形式的なことはさておいて本書の内容ですが、『姫川玲子シリーズ』の中でも事件の解決に向けた捜査の様子がストレートに記述されている、わりとオーソドックスなタッチの物語だと言えるのではないでしょうか。

ただ、物語の展開はオーソドックスだと言えても、その語られている内容は誉田哲也の作品らしい作品です。

というのも、著者の誉田哲也の作品では、現実の政治情勢を取り込んで作品内で起きる事件の背景に据えていることが少なからずありますが、本書で犯される犯罪の根底には、現実に起きた朝日新聞の慰安婦報道に関する問題が横たわっているからです。

ただ、本書では慰安婦の記事が全くの捏造であることを前提として取り上げてあり点には注意が必要だと思われます。実際の朝日新聞の問題はネット上に多くのサイトがあふれていますが、下記サイトに詳しく書いてありますので、関心がある方は参照して見て下さい。

 

 

本書『マリスアングル』の物語は、読者がそうした社会的な出来事について知見が無かったとしても楽しめる構造になっているので問題はありません。

 

ただ、誉田哲也の作品内で取り上げられている現実の出来事についてエンターテイメントとしての取り上げ方をしてあるので、作品に書かれていることが真実であるかのように思われる危険性はあると思われます。

そのことの是非をここで取り上げるつもりもありませんが、読者自身があくまで虚構であることを認識したうえで読み進めるべきかと思います。

そうした姿勢がある以上は、誉田哲也の作品で現実の政治的な状況への関心が生まれ、正確な情報に接する気持ちが生まれればそれは作者としても一つの狙いであるのかもしれません。

 

何と言っても本書の見どころと言えば、本シリーズと誉田哲也の別の人気シリーズである『魚住久江シリーズ』が合体し、姫川玲子の班に魚住久江が加わり、新たなチームとしての魅力が加わっているところです。

魚住久江という強烈な個性を持った女性の視点が新たに加わることで、姫川玲子という人間像が一段と明確になっていくというべきかもしれません。

その上で、どちらかというと、姫川玲子個人の危うさを取り上げ、姫川の保護者的立場の存在として魚住を異動させていると思われるのです。

ということで、本書『マリスアングル』は朝日新聞の慰安婦報道問題をテーマとして取り上げながらも、シリーズとしては姫川玲子個人のキャラクターをより深く描き出してあるのです。

といっても、魚住久江が異動してきたまだ日が浅く、姫川との絡みは今後さらに深くなっていくものと思われます。

その時の姫川玲子の描写を楽しみにしつつ、続巻を期待したいと思います。

スピノザの診察室

スピノザの診察室』とは

 

本書『スピノザの診察室』は、2023年10月に287頁の新刊書として水鈴社から刊行された長編の医療小説です。

私が最も好きな作家の一人である夏川草介らしく医者を主人公とする作品で、人間の生をあらためて見つめる期待に違わない感動的な作品でした。

 

スピノザの診察室』の簡単なあらすじ

 

雄町哲郎は京都の町中の地域病院で働く内科医である。三十代の後半に差し掛かろうとした頃、最愛の妹が若くしてこの世を去り、一人残された甥の龍之介と暮らすためにその職を得たが、かつては大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望された凄腕医師だった。哲郎の医師としての力量に惚れ込んでいた大学准教授の花垣は、愛弟子の南茉莉を研修と称して哲郎のもとに送り込むが…。数多の命を看取った現役の医師でもある著者が、人の幸せの在り方に迫る感動の物語。(「BOOK」データベースより)

 

スピノザの診察室』の感想

 

本書『スピノザの診察室』は、京都の町にある「原田病院」という民間の病院を舞台にした医療行為に真摯に向き合う医者たちの物語です。

本書の作者夏川草介の代表作でもある『神様のカルテシリーズ』に似た雰囲気の医療小説ですが、本書の方が街中が舞台であるだけに自然描写が少なく、さらにはより医療の現場の日常に近づいているようです。

 

本書の舞台は京都であり、消化器疾患を専門科とする四十八床の小規模病棟を持った「原田病院」という民間病院です。

この「原田病院」は五人の常勤医がいますが、七十近い年齢の理事長の原田百三は管理業務が主体だから、医療現場は残りの四人で回っています。

外科医は病院長でもある五十代半ばの鍋島治と、鍋島医師の後輩である年齢不詳の中将亜矢がいて、内科医として秋鹿淳之介と本書の主人公である雄町哲郎の二人がいます。

 

また主人公の雄町哲郎医師は、皆から親しみを込めて「マチ先生」と呼ばれているのですが、妹を病で亡くしているという過去を持っています。

死ぬ間際まで明るくいたその妹が残した一人息子の龍之介を育てるために将来を嘱望されていた大学の医局を辞め、民間の病院へと移ったのでした。

そのために、大学准教授の花垣はいまでも雄町医師の腕を惜しみ、南茉莉を研修医として雄町医師のもとへ送り込んだりもしているのです。

 

神様のカルテシリーズ』では、主人公の栗原一止は夏目漱石などの古典に親しみ、たまにその蘊蓄などを語る人物です。

それに対し、本書『スピノザの診察室』の主人公の雄町哲郎は、哲学者であるスピノザについて一家言を持っている人物として登場しています。

だからと言って何が違うということはないのですが、共に先人の言葉から人間としての在りようを学び取っているところは同じでしょう。

 

私がこの夏川草介という作者が好きなのは、作品の内容が人の命に対峙するとともに、主人公の姿が真摯なものだということはもちろんですが、このひとの文章が実に読みやすく、作品として重苦しくないということが一番の理由になっていると思います。

この人の文章は平易な言葉を連ねてあるにもかかわらず、自然の描写などはとても情感に満ちていながら、同時に登場人物の思いやその言葉は非常に論理的です。

そうした筋の通った優しさに満ちた文章のおかげで、作品の内容が人の「生」とその先にある「死」に連なる、どちらかというと重いものであっても深刻にならずに、またお涙頂戴の軽い物語にならずに済んでいるのでしょう。

このことは、著者自身も「ただ、人に読んでもらうなら、どんなに内容が厳しくても読みやすくしないといけません。・・・『神様のカルテ』は、・・・暗い話です。ストーリーには救いがありません。そういう物語を読んでもらうための技術として、文章に気を配っています。」( 読書の泉 : )と書いておられ、この文章を読んだ時はあらためて納得したものです。

 

本書『スピノザの診察室』は多分シリーズ化されるのだろう、と思っていたら、作者自身がシリーズ化する予定だということですから、ファンとしてはたまりません( 夏川草介『スピノザの診察室』刊行記念インタビュー : 参照 )。

できるだけ早く続きを読みたいものです。

母子草 風の市兵衛 弐

母子草 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『母子草』は『風の市兵衛 弐シリーズ』の第十二弾で、2023年8月に祥伝社から336頁で文庫化された、長編の痛快時代小説です。

 

母子草 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

還暦を前に大店下り酒屋の主・里右衛門が病に倒れた。店の前途もさることながら、里右衛門の脳裡を掠めたのは、若き日に真心を通わせた三人の女性だった。唐木市兵衛は、里右衛門から数十年も前の想い人を捜し出し、現在の気持ちを伝えてほしいと頼まれる。一方、店では跡とりとなる養子が、隠居しない義父への鬱憤を、遠島帰りの破落戸にうっかり漏らしてしまい…。(「BOOK」データベースより)

 

序章 新酒番船 | 第一章 根岸 | 第二章 お高 | 第三章 女掏摸 | 第四章 うしろ髪 | 終章 彼岸すぎ

 

母子草 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『母子草 風の市兵衛 弐』は、本風の市兵衛シリーズの主人公の唐木市兵衛が、請人宿「宰領屋」主人で市兵衛の長年の友人でもある矢藤太と共に、霊岸島町の下り酒問屋《摂津屋》主人里右衛門に依頼されて三人の女を探しだし頼まれたものを渡す物語です。

とは言っても、市兵衛と矢藤太との探索の過程が主軸の物語ではなく、探し当てた女が依頼人のもとから消えた理由を聞き出すこと、つまり消えた女たちのその後の人生の在りようが語られます。

つまりは、粋人であリ、<里九>と呼ばれていた依頼人と、依頼人が惚れ抜いた女たちが依頼人の前から消えざるを得なかった理由こそが本書の主題です。

 

そこにあるのは悲しい女の立場であり、粋人の里九と呼ばれ悦に入っていた依頼人の若さの物語ともいえるかもしれません。

そして、その物語は、作者辻堂魁の作風でもある、人情物語の中でも一歩間違えれば安っぽい人情噺に堕しかねない浪花節調の物語となっているのです。

一方、市兵衛たちの三人の女の行方探しと並行して、北町奉行所定町廻り方の渋井鬼三次の探索の話が語られ、この二つの話が終盤ひとつにまとまる、という点もこれまでのシリーズの話と同様です。

 

これまで、本風の市兵衛シリーズの、また辻堂魁という作家のファンとして、本シリーズの作品も一冊も欠かさずに読み続けてきましたが、どうも風向きが変わってきました。

ここ数巻の本シリーズを読んできて、あまりにも作品の内容が似通ってきていて、読んでいて心が騒がなくなって来たのです。

そうしたことは作者も分かっていたからこそ、このシリーズも第二シーズンへと物語の環境を変えてのだと思うのですが、『風の市兵衛 弐』になっても結局は第一シリーズとほとんど変わっていないと言えます。

本来は第二シーズへと変わり、市兵衛の出自が明らかにされたり、舞台を大坂へと移したりと変化をつけてきたと思うのですが、北町奉行所同心の渋井鬼三次もやはり常連として登場してくるようになったし変化が見られなくなっています。

何とかこのマンネリとも言ってよさそうなシリーズの流れを断ち切り、当初の面白さを取り戻してほしいものです。

夢よ、夢 柳橋の桜(四)

夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』とは

 

本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』は『柳橋の桜シリーズ』の第四弾で、2023年9月に春秋から文庫本書き下ろしで刊行され、長編の痛快時代小説です。

本巻をもってこのシリーズは完結することになりますが、どうにも焦点の定まらない物語という印象に終わってしまいました。

 

夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』の簡単なあらすじ

 

波乱万丈の旅を経て新しい生き方を探す桜子と小龍太。魚河岸の老舗が仕掛ける異国交易の仕事に惹かれる小龍太との祝言を前に、船頭にもどるべきか悩む桜子。そんな中、オランダ人画家の「二枚の絵」が辿った運命の感動は、人々を変えてゆく。早朝の神木三本桜に願うのは、大きな儲けか、夢の実現か。事件の謎の解明と、未来への希望が詰まった最終巻。4ヶ月連続刊行、これにて完結!「BOOK」データベースより)

 

夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』の感想

 

本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』は『柳橋の桜シリーズ』の第四弾となる作品で、このシリーズの最終巻となる物語です。

何とも感情の入れどころがよく分からない、どうにも中途半端な印象しかない作品でした。

 

本書が、幕閣のどこか上の方の問題のため桜子小龍太が江戸を抜け出し逃亡しなければならなかった事情などは些末なことであり、結局は長崎で手に入れることになった二枚の絵のその後が描かれるだけの話です。

物語の展開が二枚の絵を中心とした話になっていること自体がおかしいというのではなく、物語の主題を二枚の絵に集約させるだけの説得力がこのシリーズにあったか、ということです。

 

また、桜子という娘の成長譚というには桜子の描写は簡単に過ぎ、小龍太との二人と物語というには二人の描き方もそれほどのものではありません。

さらに、二人が困難を乗り越える話というには、二人に襲いかかった難題が何なのか、結局は物語の終わりに少しだけ語られるだけで、つまりは物語のストーリーにとっては些細なことでしかありません。

 

作者としては、オランダ(?)で見た絵に触発されてこの物語を書いたということなので、本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』で語られた二枚の絵の消息こそが書きたかったことなのでしょう( 文芸春秋特設サイト「『柳橋の桜』によせて」:参照 )。

しかし、読者としては結局二枚の絵のモデルが、現実に二枚の絵に出会うその奇跡を語られても感情移入するほどのものではありませんでした。

前巻で書いたように、結局は焦点が暈けたままだったという結論になると言うしかないのです。

 

佐伯泰英という作者の作品で女性を主人公としている作品に『照降町四季シリーズ』という話があります。

しかし、この作品は新鮮味を欠いた作品であり、本書『夢よ、夢 柳橋の桜(四) 』同様に焦点が暈けた印象の物語でした。

とすれば佐伯泰英という作家は、女性を主人公とする物語は決してうまいとは言えない、と言うしかないのかもしれません。

とにかく、私にとって本シリーズは期待外れに終わったというしかありませんでした。

777 トリプルセブン

777 トリプルセブン』とは

 

本書『777 トリプルセブン』は『殺し屋シリーズ』の第四弾で、2023年9月に296頁のハードカバーでKADOKAWAから刊行された長編のサスペンス小説です。

テンポのいい会話、回収されていく伏線の心地よさなど、この作者の特徴がはっきりと表れたとても面白く読んだ作品でした。

 

777 トリプルセブン』の簡単なあらすじ

 

そのホテルを訪れたのは、逃走中の不幸な彼女と、不運な殺し屋。そしてー。やることなすことツキに見放されている殺し屋・七尾。通称「天道虫」と呼ばれる彼が請け負ったのは、超高級ホテルの一室にプレゼントを届けるという「簡単かつ安全な仕事」のはずだったー。時を同じくして、そのホテルには驚異的な記憶力を備えた女性・紙野結花が身を潜めていた。彼女を狙って、非合法な裏の仕事を生業にする人間たちが集まってくる…。『マリアビートル』から数年後、物騒な奴らは何度でも!(「BOOK」データベースより)

 

777 トリプルセブン』の感想

 

本書『777 トリプルセブン』は、エンターテイメントに徹したサスペンス感満載の作品で、本『殺し屋シリーズ』第二作の『マリアビートル』の続編的な立場の作品です。

というのも、本書には『マリアビートル』に登場していた「天道虫」という異名を持つ殺し屋の七尾が登場していて、ある列車の中で話が展開していた『マリアビートル』と同様に基本的に「ウィントンパレスホテル」というホテルの中が舞台であり、緊迫感に満ちた展開を見せてくれます。

また、七尾や殺し屋たちから追われる身である紙野結花という女性ほかの一人称多視点で物語が進む点も同じです。

 

本書冒頭から、モウフマクラという殺し屋たちの仕事の場面に続いて、『マリアビートル』で派手なアクションを繰り広げた七尾が、これまた同様に七尾に仕事を持ってきてくれる真莉亜から、「部屋に行って荷物を渡す」簡単な仕事だと言われ荷物を届けるところから始まります。

そして、忘れるということができない驚異的な記憶力の持ち主である紙野結花という女性をターゲットにした殺し屋たちとの闘争に巻き込まれていくのです。

その能力に眼をつけ彼女を雇ったのが解剖マニアだという噂されているという男だったのであり、彼女を殺そうとしているのもその男だったのです。

その乾から命を狙われている紙野結花が依頼したのがココという名の凄腕のハッカーでもある逃がし屋であり、乾の依頼により紙野結花を殺そうとやってきたのが、エドという男をリーダーとするセンゴクアスカナラカマクラヘイアンという六人組でした。

その他に、高良奏田コーラソーダ)という二人組、それに政治家の蓬実篤、その秘書の佐藤池尾という記者などが登場します。

 

本書『777 トリプルセブン』の魅力は、第一には何と言っても登場人物の会話のテンポの良さ、その会話の魅力にあると思います。

基本的に、本書での会話の中に金言めいたものがあるとか、心に沁みる文言があるとかいうものではではありません。

ただ、登場人物の交わす雑談の中に何となくの共感を感じ、感情移入してしまうというものであり、例えば本書冒頭からモウフとマクラとの間で交わされる会話から惹き込まれてしまうのです。

 

次いで、この物語では殺し屋たちの複雑に絡みあう行動を追ってサスペンス感に満ちた展開を見せてくれていて読者の関心を引き付けて離しませんが、この点も魅力の一つでしょう。

また、強烈な個性を持った殺し屋たちの存在がそれぞれに光っていますが、このような登場人物たちの存在もまた本書の魅力に一役買っています。

さらに言えば、作品全体を包む雰囲気がスマートでスタイリッシュでありつつ、張られた伏線を丁寧に回収していくその見事さ、そして最終的にもたらされる意外性なども読者を惹き付ける要素です。

 

実を言えば本書『777 トリプルセブン』を読み進める中で、物語の展開が都合が良すぎるように感じたこともあります。

しかし、そうした思いはいつの間にか霧消しており、ケチのつけようがないエンターテイメント小説として心に残っているのです。

作者の伊坂幸太郎の作品の中でも、特にこの『殺し屋シリーズ』は私の感性にもピタリとはまったようで、早くも続巻を期待しているのです。

リカバリー・カバヒコ

リカバリー・カバヒコ』とは

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、2023年9月に234頁のハードカバーで光文社から刊行された連作の短編小説集です。

いつもの通りの心温まる話が詰まっている、青山美智子らしい作品集です。

 

リカバリー・カバヒコ』の簡単なあらすじ

 

5階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで”リカバリー・カバヒコ”。アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。高校入学と同時に家族で越してきた奏斗は、急な成績不振に自信をなくしている。偶然立ち寄った日の出公園でクラスメイトの雫田さんに遭遇し、カバヒコの伝説を聞いた奏斗は「頭脳回復」を願ってカバヒコの頭を撫でる――(第1話「奏斗の頭」)出産を機に仕事をやめた紗羽は、ママ友たちになじめず孤立気味。アパレルの接客業をしていた頃は表彰されたこともあったほどなのに、うまく言葉が出てこない。カバヒコの伝説を聞き、口を撫でにいくと――(第3話「紗羽の口」) 誰もが抱く小さな痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。(「Amazon」内容紹介より)

 

リカバリー・カバヒコ』の感想

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、作者青山美智子らしい、明日に希望をもたらしてくれる心温まる作品集です。

本書には悪人は登場しませんし、派手なアクションもありません。ただ、普通の人々の普通の暮らしが描かれ、その暮らしの中で抱えることになった屈託をカバヒコが解決してくれる物語です。

とは言っても、カバヒコが何かをしてくれるということではありません。

そもそも「カバヒコ」とはアドヴァンス・ヒルというマンション近くの日の出公園にある、いわゆるアニマルライドと呼ばれる遊具につけられた名前であり、ただそこにあるだけの存在に過ぎません。

その名前にしたってカバの遊具であるところからつけられてに過ぎず、その名前に意味があるわけでもありません。。

 

各話の主人公は前出のアドヴァンス・ヒルという新築分譲マンションに住む人たちです。

第一話は、レベルの高い高校に進学したものの、自分の成績の悪さに戸惑う宮原奏斗という高校生。

第二話は、ママ友たちとの付き合いに疲れ、ボスママから無視される樋村砂羽という主婦。

第三話は、耳管開放症という珍しい病に悩む新沢ちはるというブライダルプランナー。

第四話は、嫌なことから逃げていたら本当に足が痛くなってしまった勇哉という小学生。

第五話は、口を開けば母親と喧嘩ばかりをしている溝畑和彦という雑誌編集長です。

 

彼らはそれぞれに悩みを抱え、気が思い毎日を送っていますが、近所の公園の中にあるカバの遊具に関して言われている都市伝説を信じてカバヒコの身体の個所をさすり、その回復を願うのです。

カバヒコは何もしてくれません。ただそこにあるだけです。でも彼らの心は何故か軽くなり、抱えている問題に正面から付きあうようになるのです。

 

作者の青山美智子は、WEB別冊文藝春秋に掲載されているインタビューの中で本書で書きたかったことなどを語っておられます。

そこでは、本書『リカバリー・カバヒコ』の「裏テーマは「相棒」で、主人公がそういう存在に気づく話でもあるんです。」と言っておられます。

そして、「傍から見たら地味だけれど、だからこそ一人一人が見つけるほのかな光が浮かび上がるようなものが書きたかったんです。」とも言っておられるのです。

 

青山美智子の作品は、うがった見方をすれば、これまで三年連続で本屋大賞の候補となった『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』『月の立つ林で』という三作それぞれのパターンが一緒だと言えます。

ただ、程度の差こそあれこの三作はファンタジーの要素があり、超自然的な力が働いていた点に本作との違いがあるとは言えるでしょう。

ですが、たしかに似たようなパターンだと言えないこともありませんが、そのそれぞれの作品で細かな小道具や構成などにこだわりがあり、パターンの類似をものともしない作者の未来に対する希望を感じることが来ます。

だからこそ皆の支持を受けているのでしょう。

ちなみに、同じ個所で、「彼、実は『ただいま神様当番』に出てくる千帆ちゃんという小学生の女の子の弟なんですよ。私がまたスグルくんに会いたかったから書きました。」とも言っておられました。

 

このブログの他の箇所でも書いていますが、私の好む小説はサスペンスやミステリーと分類される作品やSF小説です。中でもアクション小説などの冒険小説を特に好みます。

一方、夏川草介のような心に迫る、人間というものをあらためて考えさせられる作品も好きです。

そうした相反する趣きの作品を読むことでバランスをとっているかのようでもあります。

ともあれ、本書『リカバリー・カバヒコ』は軽く読むこともできつつも明日への希望をもたらしてくれる好編だと思っているのです。