『見えるか保己一』とは
本書『見えるか保己一』は、2026年3月にKADOKAWAから352頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。
第39回山本周五郎賞の受賞作であり、また第175回直木賞の候補作にもなっている高い評価を受けている作品ですが、個人的な好みとは少し離れた作品でした。
昔歴史を勉強する中でその名前だけは聞いたことがある塙保己一というの国学者の一代記であって、個人的な好みとは少し外れた作品でした。
『見えるか保己一』の簡単なあらすじ
江戸時代の全盲の国学者・塙保己一。幼少期に失明するも、学問を志し、やがて国内最大の叢書『群書類従』の編纂という、前代未聞の大事業に取り掛かる。類稀なる記憶力で、学者として輝かしい経歴を築いていく保己一だったが、その傍らに常にあったのは、目明きー妻、学者仲間、弟子らとの、すれ違いだったー。山田風太郎賞受賞作家の、新境地にして勝負作!(「BOOK」データベースより)
『見えるか保己一』の感想
本書『見えるか保己一』は、塙保己一というの国学者の生涯を描いた作品で、第39回山本周五郎賞を受賞し、また第175回直木賞の候補作にもなった作品です
このように評価は高い作品なのですが、その内容は残念ながら個人的な好みと異なった作品でした。
塙保己一は七歳の時に視力を失った盲人であり、眼の見えないなか手のひらに書いて文字を覚え、ひとに読んでもらい書物を暗記し、盲人の役職の最高位である検校となり、また国学者として名を成すまでになった人物です。
また、塙保己一と言えば、『群書類従』という書籍の名前は聞いたことがありました。では『群書類従』とは何かと言えばそれは一冊の作品ではなく、「叢書」のことをいうそうです。
「叢書」とは多義的ではありますが、ここでは「テーマなど特定の共通項に基づいていくつかの書物・著作をまとめあげたもの」のことを言うそうです( ウィキペディア : 参照 )。
そんな天才の生涯を描いたのが本書です。
本書の導入部から「両の眼をくにょくにょと擦る。こすこす、じゃいかん、くにょくにょじゃ。・・・」と眼病にかかっている自身の眼を触る行動への独白についての独特な表現から始まります。
この表現は、私が読んだこの作者の前著『化け物心中』でも猫の鳴き声を「ねうねう、にゃあう」と場面がありました。当時の私は「物語の世界観の一端が示され、読者はこの作品世界に一気に引きずり込まれてしまうのです。」と記しています。
そのことは本書でも同様であり、常とは異なる物語の導入の仕方、表現のあり方があって本書の世界観へと誘われ、なお且つ本文でも同様の文体が続いて独特の世界観を堪能することになります。
そして、通常の伝記作品とは異なり、単に主役である人物の人となりを紹介し、その人物に関する出来事を並べ挙げているだけではない展開へと導かれるのです。
本書での保己一は、盲人なのに目明きのように周りの様子を認識しているように動き理解する天才、というわけではありません。
そこには盲人なりの努力があり、同時に限界もあります。そのことに周りは気づかず、次第に保己一と周りとの認識に齟齬が出てくるのです。
主人公である塙保己一は、幼名を寅之助、盲いてのちは辰之助といい、幼馴染の輝明に触発され学問をしたいと江戸に出るまでが第一章で描かれます。
第二章になると雨富検校に入門してから千弥と呼ばれている姿があり、鍼や按摩で身を立てようとしていますが、なかなか上達しません。
そんな千弥が学問の道に進み、名前も保木野一から保己一と代わり、大成していく姿が描かれていきます。
ただ、その段階ごとに成長する保己一の描かれかたが独特です。
目の見えない保己一は、音や匂いで人物をも含めた周りの様子を知ります。そんな、まるで見えているかのような保己一の様子に周りの人間は目明きのような盲人だと噂します。
ところが、保己一の内心はそんな周りの思惑とは異なっており、そんな折々の保己一の内心、苦悩が詳細に描かれていきます。
また各章では、その時にかかわった第三者視点での文章が挟まれています。目の見えない保己一と目明きとの認識の差異や、保己一にとってのその時々の導きなどが記されていて、全体がより客観的に見えてくるのです。
そうした中、「見えるか保己一」というタイトルに込められた作者の意図が少しずつ明らかにされていきます。
蛇足ですが、本書には南町奉行根岸肥前守鎮衛が重要な人物として登場します。この人物は「耳袋」という随筆集を残していたことで知られています。この「耳袋」をテーマとした作品が風野真知雄の『耳袋秘帖』という作品です( 『耳袋秘帖シリーズ』 : 参照 )。
また、たまたま同じ時期に図書館から借りていた作品が南町奉行所の新人養生所見廻り同心を主人公とする砂原浩太朗の『小石川養生所青春譜』であり、この主人公の上司として南町奉行の根岸鎮衛が登場しています。
話しをもとに戻しますが、本書は著者の独特な筆の運び自体は若干の関心を呼ぶのですが、主人公の心のはこびと目明きたちの心の動き方の描写が独特であり、どうにもついていけない箇所がありました。
これは個人的な好みの問題ですから、好みが合致する方にとっては惹きこまれて読み進める作品だと思います。