ヨルノヒカリ

ヨルノヒカリ』とは

 

本書『ヨルノヒカリ』は、2023年9月に320頁のソフトカバーで中央公論新社から刊行された長編の青春小説です。

たまにはこういう本もいいと思わせられる、心が洗われる、優しさに満ちた作品でした。

 

ヨルノヒカリ』の簡単なあらすじ

 

「ここで、一緒に暮らしつづけよう」いとや手芸用品店を営む木綿子は、35歳になった今も恋人がいたことがない。台風の日に従業員募集の張り紙を見て、住み込みで働くことになった28歳の光は、母親が家を出て以来“普通の生活”をしたことがない。そんな男女2人がひとつ屋根の下で暮らし始めたから、周囲の人たちは当然付き合っていると思うが…。不器用な大人たちの“ままならなさ”を救う、ちいさな勇気と希望の物語。(「BOOK」データベースより)

 

ヨルノヒカリ』の感想

 

本書『ヨルノヒカリ』は、“普通”という言葉の意味が問われる、皆とはちょっと変わった個性を持った人の生き方を描いた、ものの見方が少し変わるかもしれない、優しさにあふれた作品です。

殺伐とした作品を読むことが多い私には、たまにはこういう優しさに満ちた物語もいい、と思わせられる作品でした。

 

本書『ヨルノヒカリ』は、まったく悪人というものが登場してこない物語です。もちろん、子を顧みない母親や女を捨てる男などは背景に少しだけ登場しますが、物語の本筋には直接には関係しません。

そんな悪人が登場してこない物語としては少なくない数の作品がありますが、とくに女性が描く物語に多いように思われます。助成の視点のほうが優しいということになるのでしょうか。

例えば、『リカバリー・カバヒコ』のような青山美智子の各作品や、長月天音の『ほどなく、お別れですシリーズ』などような作品があります。

これらの作品は善人だけしか登場してきませんが、それでもなお登場人物たちの生き方が読み手に勇気を与えてくれるのですから不思議なものです。


でも、男性でも川口 俊和の『コーヒーが冷めないうちに』のような作品もありますので、作者が女性だからというわけでもなさそうです。

本書『ヨルノヒカリ』はまた普通ではない生き方をしている人たちの物語ともいえます。

そのような物語といえば、「多様性」をテーマにした作品として強烈な印象があった朝井リョウの『正欲』という作品がありました。この作品は個々人の性癖がテーマになっていましたが、本書の場合、それとも異なる物語だと思えます。

本書の場合は、他者との繋がり方がよく分からないという点で普通ではないということです。性癖云々とはまた意味合いが異なります。

 

もともと私は意思疎通が苦手という人を描いた作品は決して得意とする方ではありません。

しかしながら本書『ヨルノヒカリ』の場合、ある種ファンタジー的な描き方であるためか、私の苦手意識を刺激しませんでした。

何よりも人物の心象風景を詳細に語るという作品ではなかったことが一番の理由だと思われます。

 

主人公の28歳になる夜野光は子育てが下手な母親に結果として捨てられ、代わりに同じアパートに住む年寄りたちに愛情を持って見守られて生きていたようです。

光にはまた成瀬という親友がいて、何かにつけ成瀬の両親や姉、それに妻の美咲に助けられて生きてきました。

一方の主人公でもある35歳の木綿子さんも、他者との関わりをうまく保つ元ができずに祖母と共に暮らした手芸店を一人守っている存在です。

 

光はある嵐の日に「従業員募集」の貼り紙を見て飛び込んだ「いとや手芸用品店」に住み込みで働くことになります。

その店の店主が木綿子という美人であり、何も言わずに光を住み込みの店員として雇ってくれたのです。

光は幼いころから一人で生きてきたため料理や掃除などは得意であり一時は料理人として働いていたこともあるくらいです。

一方の木綿子は手芸に関連する事柄以外は全く何もできない人でした。そこで、光は家事全般を引き受け、手芸のことを教えてもらいながら住み込みで働くことになったのです。

 

木綿子という人は男の人に対して恋心を抱くということが分からないでいます。また光は男がいなくては生きていけなかった母親の影響のためか人を好きになることに臆病だったのです

その光が、木綿子の営む手芸用品店で暮らす様子を描いているだけの物語ですが、光と木綿子それぞれに世間一般の基準からは少し外れたところに生きている人物であるところから周りの人たちが何かと世話をしたがるのです。

 

28歳の男と35歳の女とが一つ屋根の下に共同生活をするということに世間は何かと助言をしたがります。

普通とは異なる二人の生活はどうなるのか、二人の周りの人物たちは子の二人をどうしたいのか。物語は二人の行く末への関心と共に、普通とは異なる生き方に対する周りの対応についても疑問符を突きつけているようです。

ゆっくりと流れる時間の中で、高揚や興奮などとは無縁の静かな読書のひとときをもたらしてくれた、優しい気持ちに慣れた作品でした。

一夜:隠蔽捜査10

一夜:隠蔽捜査10』とは

 

本書『一夜:隠蔽捜査10』は、『隠蔽捜査シリーズ』第十弾となる長編の警察小説です。

残念ながら、本書はシリーズの中では決して上位に入る面白さを持っているとは言えないと感じた作品でした。

 

一夜:隠蔽捜査10』の簡単なあらすじ

 

竜崎のもとに、著名作家・北上輝記が小田原で誘拐されたという一報が入る。犯人も目的も安否も不明の中、北上の友人でミステリ作家の梅林も絡み、一風変わった捜査が進む。一方、警視庁管内では殺人事件が発生。さらに息子の邦彦が大学中退に…!?己の責務を全うせよ。人気シリーズ、第十弾!(「BOOK」データベースより)

 

一夜:隠蔽捜査10』の感想

 

本書『一夜:隠蔽捜査10』は、今野敏の多くのシリーズ作品の中でも一番の人気を誇ると言ってもいい、『隠蔽捜査シリーズ』の第十弾となる長編の警察小説です。

しかしながら、本書は主人公の竜崎が合理的な思考を貫く竜崎らしさを発揮する場面は少なく、シリーズの中では面白いほうではありませんでした。

 

本書では北上輝記という作家の誘拐事件について奔走する竜崎伸也の姿が描かれていると同時に、本シリーズの特徴でもある竜崎の家族の問題、今回は息子の邦彦が大学を辞めようかという話が巻き起こります。

誘拐事件に関しては、退庁しようかという竜崎のもとに小田原署に行方不明者届が出されたという連絡が届きます。その行方不明者というのが人気作家の北上輝記だというのです。

そのうちに北上輝記が連れ去られるところを目撃した者が見つかり、小田原署に捜査本部が設けられることになるのです。

捜査本部では板橋捜査一課長や小田原署署長の兵藤安友警視正、副署長の内海順治、刑事組対課の朝霧利男課長、強行犯係の末武洋司係長らが詰めることになります。

行方不明者が人気作家の北上輝記だということで佐藤実県警本部長や、竜崎の友人である警視庁の伊丹刑事一課長までも関心を持つ事件となっているのです。

 

本書『一夜:隠蔽捜査10』がいつもと異なるのは、竜崎の相談役的な立場の者として、やはり梅林賢という流行作家がいることです。

竜崎は、小説家同士にしかわからないことがあるはずだとして、捜査の手伝いをしたいとやってきた流行作家の梅林賢の話を聞こうというのです。

結局、いつもは竜崎が捜査の過程での違和感に気付いて捜査の指針を示す立場にあるのですが、今回は竜崎の役割の一部を梅林という作家にまかせ、竜崎はその意見を取り入れているという形になっています。

 

ところが、その点ではこれまでと異なる試みがなされてはいるものの、物語の流れ自体は何も特別なことはありません。

それどころか、今野敏の小説としての普通の面白さは持っていいても、『隠蔽捜査シリーズ』独自の竜崎というキャラクターの醸し出す面白さはかなり影をひそめていると言っていいと思います。

 

このシリーズの特徴である竜崎の家庭の描写にしても、特別に語るべきことはありません。

やっと入った大学を辞めた方がいいかもしれないという息子の邦彦と相対し、その話を真摯に聞こうという姿勢だけはこれまでとは異なってきているとは思いますが、それ以上のものはありません。

普通に進むべき道に進んでいるという印象です。

 

以上のように、本書『一夜:隠蔽捜査10』の面白さ自体は普通であり、シリーズ独自の面白さはあまり感じられなかったという他ないと思います。

イクサガミ シリーズ

イクサガミ シリーズ』とは

 

本『イクサガミ シリーズ』は山田風太郎を彷彿とさせるエンターテイメントに徹した作品です。

明治維新直後を時代背景にした痛快活劇小説であり、何も考えずに物語の世界に浸るだけで楽しめる作品だと言えます。

 

イクサガミ シリーズ』の作品

 

イクサガミシリーズ(2024年04月19日現在)

  1. イクサガミ 天
  2. イクサガミ 地
  1. イクサガミ 人

 

イクサガミ シリーズ』について

 

本『イクサガミ シリーズ』は1878年(明治11年)に、「武技ニ優レタル者。本年5月5日、午前零時。京都天龍寺境内ニ参集セヨ。金十万円ヲ得ル機会ヲ与フ」という文言のもとに集まった292人の闘いの物語です。

この戦いは古代中国において用いられた呪術である「蠱毒」の形態をそのままに借りてきているものであり、最後に生き残った者に賞金を与えるというものでした。

 

主人公は嵯峨愁二郎といい、妻と子のために金を必要としておりこの戦いに参加した者です。この愁二郎に助けられ共に旅をすることになるのが香月双葉という少女です。

その他に愁二郎が兄弟のようにして育った祇園三助化野四蔵衣笠彩八といった京八流の遣い手たちがいます。

また、愁二郎たち京八流の裏切り者と目される四人をつけ狙うのが朧流の岡部幻刀斎であり、今のところ愁二郎たちを助ける存在としては柘植響陣ほかの姿があります。

 

その他に数多くの個性豊かな登場人物たちが戦いを繰り広げます。

それはあたかも山田風太郎の作品世界にも似た世界観であり、近年では珍しいエンターテイメントに徹した作品です。

全部で三巻を予定されているらしく、年一冊の予定で刊行されています。現時点(2024年4月19日)で第二巻の「地の巻」まで出版されており、余すところあと一冊となっています。

 

ちなみに、本『イクサガミ シリーズ』をもとに映画化の話が持ち上がっているそうです。

詳しくは下記サイトを参照してください。

イクサガミ 地

イクサガミ 地』とは

 

本書『イクサガミ 地』は、2023年5月に464頁の文庫本の書き下ろしとして講談社から刊行された長編のエンターテイメント小説です。

第一巻の『イクサガミ 天』で抱いた伝奇小説としての印象とは若干ですが異なった、しかしやはり山田風太郎タッチの面白さに満ちた作品です。

 

イクサガミ 地』の簡単なあらすじ

 

2巻続けて、発売即重版!

私を、今年最も興奮と陶酔の坩堝に叩き込んだ一作がこれだ。
ーー縄田一男(文芸評論家)

☆★第1巻『天』が続々ランクイン、大反響!☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 第1位! –「時代小説SHOW」2022年時代小説ベスト10 文庫書き下ろし部門
 第2位! –読書メーター OF THE YEAR 2022 第2位

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★

討て。生きるため。
武士の時代の終幕ーー魂の戦い!

読者の熱烈な支持を受けた、明治バトルロイヤル譚。
待望の第2巻!

〈あらすじ〉
東京を目指し、共に旅路を行く少女・双葉が攫われた。
夜半、剣客・愁二郎を待ち受けていたのは、十三年ぶりに顔を合わせる義弟・祇園三助。
東海道を舞台にした大金を巡る死闘「蠱毒」に、兄弟の宿命が絡み合うーー。
文明開化の世、侍たちの『最後の戦い』を描く明治三部作。待望の第2巻!
【文庫書下ろし】(「BOOK」データベースより)

 

イクサガミ 地』の感想

 

本書『イクサガミ 地』は、まさに山田風太郎の世界が展開される、面白さ満載のエンタメ作品です。

本書は著者の今村翔吾の他の作品とはかなりその世界観を異にしている物語で、明治維新に登場する大久保利通や前島密、川路利良などがそのままに登場してきます。

もちろん、歴史小説の中での登場人物としてではなく、架空の歴史の中で特別の役割を担った、エンターテイメント上の役割を担った存在として登場しているのです。

 

本書『イクサガミ 地』では、明治維新をテーマにした作品では数多く登場する剣客の仏性寺弥助の紹介から始まっています。

仏性寺弥助がこの物語にどのように関わってくるのか何も示されていませんが、物語が進むうちに多分ではありますが、仏性寺弥助が登場してきた意味が明かされていきます。

仏性寺弥助の描写が少し続いた後に本書の本筋へと戻り、前巻『イクサガミ 天』の最後で義弟の祇園三助に攫われた少女香月双葉を救い出そうと追いかける主人公の愁二郎の姿へと移ります。

そこでは、京八流継承者のうちの嵯峨愁二郎(さがしゅうじろう)、化野四蔵(かのしぞう)、衣笠彩八(きぬがさいろは)、祇園三助(ぎおんさんすけ)が集まり、京八流継承者同士の殺し合いから逃げ出した愁二郎の命を狙い闘いが始まるところでした。

そこに、京八流の見届け人であり、裏切った京八流継承者の命を狙う朧流の岡部幻刀斎(おかべげんとうさい)が現れ、四人は力を合わせこの敵と戦います。

何とかその場を逃れた愁二郎らは、その後、京八流の義兄弟に加え柘植響陣などとも力を合わせて幻刀斎や蠱毒への参加者たちとの戦い、さらには蠱毒という仕掛けの謎を解明するべく戦い続けるのです。

 

本書『イクサガミ 地』は、徹底的にエンターテイメント小説として作り上げられている作品です。

特に、この物語のキモである「蠱毒」という命を懸けたゲーム、そのシステムにもそれなりの必然的な意味を持たせてあるところなど、単なるエンタメ作品というにはもったいない作りとなっているのはさすがに今村翔吾という作家の個性だと言えるのでしょう。

この蠱毒というゲームが抱える秘密の一端が明らかにされていくのも本書の醍醐味です。

そのことは、同時に大久保利通ら明治維新の立役者たちがこの物語に関係してくることを意味し、伝奇小説としての醍醐味が展開されてくることでもあります。

同時に、嵯峨愁二郎を始めとする京八流継承者が殺し合いながらも互いに相手のことを思い合っている様子が垣間見えたり、自分の身を委ねたりと、揺れ動く様子が描かれている点も見どころです。

それはまたまだ登場してきていない京八流継承者である義兄弟のこれからの関りが気になるところでもあります。

 

こうして、この物語は大きなスケールの中で展開されている謀りごととしての側面が明らかになっていくのであり、同時に「蠱毒」と同じような構造を持つ京八流継承者同士の戦いの行方も気になるところでもあります。

さらには、京八流継承者と岡部幻刀斎との戦い、加えて貫地谷無骨という正体不明の剣客との争いなど、最終巻へ持ち越されている戦いや未だ明らかになっていない謎は最終巻へと持ち越されているのです。

多分、一年後の刊行となるであろう最終巻の刊行が待ち望まれます。

流れ行く者

流れ行く者 』とは

 

本書『流れ行く者』は『守り人シリーズ』の第八弾で、2008年04月に偕成社からハードカバーで刊行され、2013年8月に新潮文庫から著者のあとがきと幸村誠氏の解説まで入れて301頁の文庫として出版された、長編のファンタジー小説です。

 

流れ行く者 』の簡単なあらすじ

 

王の陰謀に巻き込まれ父を殺された少女バルサ。親友の娘である彼女を託され、用心棒に身をやつした男ジグロ。故郷を捨て追っ手から逃れ、流れ行くふたりは、定まった日常の中では生きられぬ様々な境遇の人々と出会う。幼いタンダとの明るい日々、賭事師の老女との出会い、そして、初めて己の命を短槍に託す死闘の一瞬ー孤独と哀切と温もりに彩られた、バルサ十代の日々を描く短編集。(「BOOK」データベースより)

題名
浮き籾 | ラフラ〈賭事師〉 | 流れ行く者 | 寒のふるまい

 

流れ行く者 』の感想

 

本書『流れ行く者 』は、十代のバルサを主人公とした、バルサの短槍の師ジグロとの用心棒をしながらの逃亡の日々を描く、『守り人シリーズ』本編の間隙を埋める番外編に位置づけられる作品集です。

 

第一話 浮き籾」は、トロガイのもとで世話になっていたバルサが、トロガイたちが他出している間にバルサを慕ってくるタンダの相手をしながらタンダの叔父に対する想いをかなえてあげる物語です。

守り人シリーズ』の世界における田舎の生活、風景を緻密に描写しながら、若き二人の日々の生活や、特にタンダのやさしい性格を描きながら村の風習やそこにかかわるバルサの生活をも描き出してあります。

 

第二話 ラフラ〈賭事師〉」は、本書の中で一番最初に書かれた物語だとあとがきに書いてありました。

人けのない酒場に座って賽子を転がしているいる老女とそれを見ているバルサという光景がいきなり頭の中に浮かび、その瞬間に物語の全体像もほぼ出来上がっていたそうです( 著者による『文庫版のあとがき「ひとつの風景」』:参照 )。

ロタ王国のとある酒場に用心棒として雇われているジグロと、酒場の手伝いをしているバルサは、その酒場に雇われている老ラフラ(賭事師)のアズノと知り合います。

アズノはサイコロを使う遊戯であるススットの遣い手であり、バルサともススットを通して知り合ったのです。

この物語は、流れ者の用心棒や賭事師の浮き草のような生活を描き出すとともに、プロとしてのアズノの厳しさを哀しみとともに描き出してあり、特にそのラストは妙に心に残る作品でした。

 

第三話 流れ行く者」は、第二話と同じく明日をも知れぬ用心棒生活を描いてありますが、なかでも直接に自らの命を懸けて依頼人を守るという厳しい暮らしと、用心棒の仲間同士の繋がりが語られています。

特に、ある隊商の護衛士としての旅の中での出来事が、用心棒家業の厳しさを教えてくれるのです。

 

第四話 寒のふるまい」は、ほんの数ページのショートショートともいうべき一編です。

「寒のふるまい」とは、冬の最中の食べ物が乏しい時期に、山の獣たちに食べ物を分けることをいうそうです。

その「寒のふるまい」をもって山に入ることを口実にしてトロガイのもとへと駆けるタンダの姿が描かれている、寂しさが溢れている物語です。

 

全体を通して、父がわりのジグロとの厳しい用心棒生活が描かれている中で、バルサがいかにジグロやトロガイ、そしてタンダらに愛されていたかがよく分かる物語になっています。

その上で、今のバルサの短槍使いとして、また用心棒として一流になっているその背景がよく分かる物語になっています。

単なる冒険ファンタジーの物語を越えた作品として存在するこの『守り人シリーズ』の存在意義をあらためて感じさせてくれる一冊でした。

風に立つ

風に立つ』とは

 

本書『風に立つ』は、2024年1月に416頁のハードカバーで中央公論新社から刊行された長編の家族小説です。

なんとも感動的な作品であることは間違いないのですが、どこか作品としてのあざとさを感じてしまう部分がある、微妙な印象の作品でもありました。

 

風に立つ』の簡単なあらすじ

 

問題を起こし家庭裁判所に送られてきた少年を一定期間預かる制度ー補導委託の引受を突然申し出た父・孝雄。南部鉄器の職人としては一目置いているが、仕事一筋で決して良い親とは言えなかった父の思いもよらない行動に戸惑う悟。納得いかぬまま迎え入れることになった少年と工房で共に働き、同じ屋根の下で暮らすうちに、悟の心にも少しずつ変化が訪れて…。(「BOOK」データベースより)

 

風に立つ』の感想

 

本書『風に立つ』は、著者柚月裕子の故郷山形の南部鉄器職人の家族の姿を中心にを描いた作品です。

補導委託という制度を通して、二組の家族の物語が語られていますが、この作者の作品にしては妙に感情移入がしにくい作品でした。

 

主人公は父の小原孝雄が営む岩手県盛岡市の南部鉄器工房「清嘉(きよか)」で職人として働いている小原悟という男です。

この孝雄がある日突然に補導委託を引き受けると言い出します。お前らには迷惑はかけないという孝雄ですが、悟は非行少年を家庭に入れるなんてとんでもないと反対するのでした。

ここで、補導委託とは、「問題を起こし、家裁に送られてきた少年を、一定期間預かる制度」と書いてありました。「罪を犯した少年にどのような最終処分が適正か判断するために、一定の期間、様子を見るもの」だそうです。

詳しく知りたい方は下記を参照してください。

 

本書『風に立つ』では孝雄、悟の他に、夫の里館太郎と共に居酒屋「蔵太郎」を営みながらたまに清嘉を手伝っている悟の妹である由美がいます。

また、悟が生まれる前から「清嘉」に勤めていた職人の林健司やアルバイトの八重樫、それに盛岡家庭裁判所調査官の田中友広などが脇を固めています。

そして補導委託制度により小原家に預けられたのが庄司春斗であり、その両親の庄司達也夫妻です。春斗は万引きや自転車窃盗などを繰り返し、停学処分の後もそれが止まないために退学処分となったというものでした。

小原孝雄が補導委託を受ける気になったのは何故か、また春斗が非行を繰り返した理由は何なのか、という点が次第に明らかにされていくのです。

 

著者柚月裕子初の家族小説という触れ込みの作品でしたが、『佐方貞人シリーズ』の主人公の親子の関係、また『あしたの君へ』収納の作品も家族を描いてあると言えると思います。

両作品ともに短編集ですが、『佐方貞人シリーズ』では、主人公の佐方貞人とその父親である弁護士の佐方陽世との関係性があり、『あしたの君へ』は主人公の家庭裁判所調査官補の目線での家庭の姿があります。

ただ、前者は主人公の人生の背景にある父親の姿が描かれており、後者は主人公の目を通してみた様々な事案の中に家族の問題を描いた作品もあるという程度です。

そういう意味では、本書のように正面から家族の関係性を描いているとまではいえず、やはり本書が初の家族小説と言えるのかもしれません。

 


 

冒頭に書いたように、本書に対しては、何故かその設定を素直に受け入れることができず、感情移入することが困難に感じていました。

というのも、悟の父孝雄に対する思いや態度の描き方が少々型にはまりすぎている印象があったのです。

著者の柚木裕子の作品でこのように感じたのは初めてのことです。

それはもしかしたら本書を読むに際して「家族小説」だという刷り込みが先にあったためかもしれません。

つまり私の本書の読み方が、補導委託制度という物語の背景設定に対して、勝手に話を進める父親と普段から会話の無い息子との確執という形があって、そこに絡む非行少年の親子関係というフィルターを介しての確執の解消、という自分なりのストーリーを作り挙げての読書だったのです。

その私の思いに対してそのままに物語が展開していくため、一段と型にはまっていると感じたのだと思います。

 

加えて、途中で株式会社盛祥の会長清水直之助が悟に対して語りかける場面があります。

本書に対して違和感を感じていたために穿った見方をしているのかもしれませんが、この場面が唐突過ぎて不自然に感じてしまったのです。

 

本書『風に立つ』に対してはネット上の意見を見ても高評価ばかりで、私のような印象は一つもありません。

確かに、柚木裕子の作品らしく、固定的に捉えられていたある人物の内心が外部の出来事の展開から推し量ることができるようになり、主要登場人物の関係性が変化していくことで感動的な展開が待っているのです。

そこでは単純に物語を楽しめばいいのですが、素直に読み込めなかった私の読書方法がおかしかったのだと思われるのです。

いまこそガーシュウィン

いまこそガーシュウィン』とは

 

本書『いまこそガーシュウィン』は『岬洋介シリーズ』の第八弾で、2023年9月に288頁のハードカバーで宝島社から刊行された長編の推理小説です。

激化する人種差別抗議運動を前に分断するアメリカで音楽の力を示すことができるか、をメインテーマにしたサスペンス作品です。

 

いまこそガーシュウィン』の簡単なあらすじ

 

電子書籍限定にて連載した『このミステリーがすごい! 中山七里「いまこそガーシュウィン」vol.1~4』、待望の書籍化です! アメリカで指折りのピアニストであるエドワードは、大統領選挙により人種差別がエスカレートし、変貌しつつある国内の様子を憂いていた。そこで、3ヵ月後にカーネギーホールで開催予定のコンサートの演目に、黒人音楽をルーツにもつジョージ・ガーシュウィン作曲の「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏を希望。6年前のショパン・コンクール中、5分間の演奏で人命を救った男・岬洋介との共演も決まり、期待に胸を膨らませる。岬と共演することで、大統領夫妻もお忍びで鑑賞に来ることが決まり、エドワードと岬は練習に励む。一方その頃、大統領暗殺の依頼を受け、計画を進めていた〈愛国者〉は、依頼主の男から思わぬ提案をされーー。音楽の殿堂、カーネギーホールで流れるのは、憎しみ合う血か、感動の涙か。どんでん返しの帝王が放つ、累計168万部突破の音楽シリーズ最新刊!(内容紹介(出版社より))

 

いまこそガーシュウィン』の感想

 

本書『いまこそガーシュウィン』はミステリーと謳ってある作品ではありますが、ミステリーというよりはサスペンス小説と言った方さよさそうな作品でした。

本書ではミステリーとして提示された謎というほどの謎はなく、ただ、暗殺者である「愛国者」の正体は誰か、というくらいが謎といえるものであり、その謎ですらも決して本筋ではありません。

本筋は、語り手であるエドワードとシリーズの主人公である岬洋介とのジョイントコンサートの行方、つまりはこのコンサートでの暗殺者の大統領暗殺という仕事の行方がどうなるのかという点にあるのです。

 

ところで、あくまで商業ベースとしてのコンサートを見る時、「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲ではお客を呼べないというエドワードのマネージャーの意見があります。

この点に関しては、「ラプソディー・イン・ブルー」といえば人気の楽曲であるのに客を呼べないのか、という疑問しかない私としては、素人にはそこらの感覚は分からないのだろうと思うだけです。

ともあれ、マネージャーのそういう意見があったればこそ、岬洋介とのジョイントコンサートが開催されることになったのですから、それはそれでよしとすべきなのでしょう。

 

本書の本筋はジョイントコンサートの行方だとしても、本書の魅力を考えるときは、まずは中心となる二人が音楽の持つ力を信じていることだと思われます。

つまり、トランプ元大統領(2024年3月現在)を思わせる人種差別主義者のアメリカ大統領がもたらしたアメリカの分断という現状を、岬洋介とエドワードという二人のピアニストの競演でいくらかなりとも和ませることができるのではないかということです。

 

次に、「音楽」という芸術の有する影響力を前提にしての話ですが、「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲のもつ魅力があります。


 

そして本書には「ラプソディー・イン・ブルー」とい楽曲の歴史、ジョージ・ガーシュインという大作曲家の一番高名ともいえる楽曲のもつ背景が詳しく解説してあります。

そこらは実際読んでもらうしかありません。

ちなみに、本書ではエドワードと岬洋介とのジョイントコンサートの様子が描かれていて、そもそも「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲が「二台のピアノを前提として察刻されたという説明がなされていますが、ウィキペディアでも「ガーシュウィンが2台のピアノ用に作曲したもの」だと記載してありました( ウィキペディア : 参照 )

本書の魅力の第三は、作者の中山七里が作り出した岬洋介というキャラクターの魅力と、音楽の魅力を文章で示すという作者の表現力だと思います。

この点は本書の魅力と言うよりは本『岬洋介シリーズ』の魅力と言うべきであり、だからこそ帯にあるようなシリーズ累計160万部という人気シリーズになっているのでしょう。

 

さらには、ミステリーシリーズ、サスペンス小説としての本書の魅力があることももちろんの話です。

ただ、これまで書いてきたこととは矛盾するようですが、本書は中山七里という作家の作品の中では決して突出した作品とは言えないと思います。

それはジョイントコンサートの成功と大統領暗殺というサスペンスの点が弱いと感じてしまったからですが、それでもなお平均的な面白さを持っていると思います。

この頃あまりこの作者の作品を読んでこなかったので、あらためてまた読み始めようかと思います。その程度には面白さを感じた作品だったということでしょう。

わたしたちに翼はいらない

わたしたちに翼はいらない』とは

 

本書『わたしたちに翼はいらない』は、2023年8月に240頁のハードカバーで新潮社から刊行された長編の現代小説です。

地方都市に暮らす三人の男女を描いて大藪春彦賞候補作となった暗く、重い作品であって、私の好みとは異なる作品でした。

 

わたしたちに翼はいらない』の簡単なあらすじ

 

同じ地方都市に生まれ育ち現在もそこに暮らしている三人。
4歳の娘を育てるシングルマザーーー朱音。
朱音と同じ保育園に娘を預ける専業主婦ーー莉子。
マンション管理会社勤務の独身ーー園田。
いじめ、モラハラ夫、母親の支配。心の傷は、恨みとなり、やがて……。
2023年本屋大賞ノミネート、最旬の注目度No.1作家最新長篇。(内容紹介(出版社より))

 

わたしたちに翼はいらない』の感想

 

本書『わたしたちに翼はいらない』は、同じ地方都市に住む、それぞれにいじめや夫や家族からの心無い言葉によって傷ついている、同年代の三人の生活を描き出してあります。

著者の寺地はるなは『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞第九位となっており、本書は第26回大藪春彦賞の候補となっています。

 

 

この両作品は物語の構造は全く異なりますが、登場人物の描き方は似ているとも言えそうです。

川のほとりに立つ者は』でも登場人物は自分の言動に対し何の疑いも持っていません。自分の言動には何の間違いも無く、なにか変なことがあるとそれは自分の周りがおかしいからだとしか考えることができないのです。

川のほとりに立つ者は』の主人公はそんな自分の言動の間違いに気づいていく過程を描いてある作品でした。

その意味では、本書もまた自分の言動のおかしさに気付いていく成長過程を描いてあるとも言えそうなのです。

別にだから何だというつもりはなく、作者の心象描写のうまさを言いたいのです。『川のほとりに立つ者は』でも主人公の心の変化の描写はかなりリアリティをもって描いてあったと思います。

その点は本書も同様で、三人の心象の変化が微妙な心の揺れまでも捕らえ、少しずつ移り変わる様子がリアルに描いてありました。

 

登場人物としては、中心となる三人がまずは佐々木朱音であり、その関係者としては娘が鈴音で、別れた夫が宏明です。

二人目が中原莉子であって、その関係者としては娘の芽愛と、莉子の夫が大樹がいます。芽愛は鈴音と同じ保育園に通っています。

三人目が中学時代は室井という名字であった園田律であり、中原莉子夫婦とは中学生時代の同級生であって、莉子の夫の大樹にいじめられていました。

莉子はクラスのイケメンであった大樹に選ばれたことがに価値を見出している女であり、大樹から理不尽な扱いを受けても「私は死ぬまで王様の女でいたい」と思っています。

園田は中学時代から中原大樹や莉子らからキモイと言われていた存在であって、大人になってから大樹と再会し、これを殺害しようという思いにまで至ります。

朱音は、宏明と別れシングルマザーとなって鈴音を一人育てていますが、現在も鈴音に会いたがる宏明や宏明の母親に困っています。

 

本書『わたしたちに翼はいらない』について一言でいうと、いい本であることは間違いないでしょうが私の好みとは異なる作品でした。

どうにも暗いのです。高校生の頃のいじめや母親たちの中身のない会話など、読んでいるだけで気が滅入ってくるような感じです。

ただ、惹句にあった『「生きる」ために必要な、救済と再生をもたらす』という言葉だけを信じて読み進めるだけです。

 

本書は朱音と莉子、そして園田という三人の視点が入れ替わるという多視点で進行していきます。

その中で少し気になったことが、朱音と莉子とのパートが、語り口も似ておりどちらが視点の主かが分かりにくいということでした。

もちろん、ちょっと読めばすぐに視点の主は判明しますが、その切り替わりのちょっとした合い間が若干気になったのです。

 

そもそも、本書『わたしたちに翼はいらない』は登場人物の内心を丁寧に描写してあるその点が高く評価してあるのだと思います。そうした三人の心の動きの表現のうまさは否定しようもありません。

ただ『星を掬う』『汝、星のごとく』でも同様に感じたように、自己主張ができずに内にこもる人物をそのまま描くことに私は何とも言えない拒否感を持ってしまいます。

自己主張できない人の苦しみを描くことで、間接的にでも彼らに何らかの救いをもたらすというのであれば分かります。

でなければ、自己主張できない人をできないままに描くことにどれほどの意味があるか、と思ってしまうのです。

上記のような考えは、単純に私の読書の仕方が浅いことに起因するのでしょうがここでは踏み込みません。ただ、エンタメ作品ばかりを読んでいる私には難しい問題です。

 


 

先にも書いたように、本書『わたしたちに翼はいらない』の場合、『「生きる」ために必要な、救済と再生』というちょっとした救いが待っていたので、その点はほっとしました。

結局、いい本だけど、私の好みとは異なるといういつもの感想に終わってしまいました。

負けくらべ

負けくらべ』とは

 

本書『負けくらべ』は、2023年10月に336頁のハードカバーで小学館から刊行された長編のハードボイルド小説です。

やはりこの人の作品は異彩を放っているという印象がそのままにあてはまる、心に迫る物語でした。

 

負けくらべ』の簡単なあらすじ

 

初老の介護士・三谷孝は、対人関係能力、調整力、空間認識力、記憶力に極めて秀でており、誰もが匙を投げた認知症患者の心を次々と開いてきた。ギフテッドであり、内閣情報調査室に協力する顔を持つ三谷に惹かれたのが、ハーバード大卒のIT起業家・大河内牟禮で、二人の交流が始まる。大河内が経営するベンチャー企業は、牟禮の母・尾上鈴子がオーナーを務める東輝グループの傘下にある。尾上一族との軛を断ち切り、グローバル企業を立ち上げたい牟禮の前に、莫大な富を持ち90歳をこえてなお采配をふるう鈴子が立ちはだかる。牟禮をサポートする三谷も、金と欲に塗れた人間たちの抗争に巻き込まれてゆく。(「BOOK」データベースより)

 

負けくらべ』の感想

 

本書『負けくらべ』は、人間関係に特別な能力を有する初老の介護士を主人公とするハードボイルド小説です。

驚いたのは惹句の言葉そのままの86歳のハードボイルド作家が書いた19年ぶりの現代長編だということであり、その内容の見事さでした。

 

ただ、19年ぶりというのは文字通り現代長編の話であって、作品としては2019年10月に双葉社から書き下ろしで出版された『新蔵唐行き(とうゆき)』という時代小説が出版されています。

 

 

この作品は『疾れ、新蔵』の主人公であった新蔵の物語ですが、著者の志水辰夫は2007年に出した『青に候』以降、ずっと時代小説作品を刊行されていたのです。

そういう志水辰夫が19年ぶりに現代小説を出版されたのが本書『負けくらべ』ということになります。

 


 

志水辰夫の現代小説は、『飢えて狼』や『裂けて海峡』から始まった独特の雰囲気を持ったハードボイルド小説として一躍人気を博してきたのですが、ここしばらくは上記のように時代小説に移行されていたのです。

 


 

そんな志水辰夫の作品ですが、それはやはり期待に違わない素晴らしいものでした。

主人公は昨年65歳になったのをきっかけに会社を娘夫婦に譲り、いまは個人で介護士として活動しているという三谷孝という人物です。

この男は、対人関係能力や空間認識力、記憶力に優れた能力を有する、特定の分野で優れた才能を持つ人を意味するギフテッドでした。

この能力を生かして介護の仕事をしていた三谷ですが、一方で内閣情報調査室を勤め上げ、その外郭団体の東亜信用調査室を任されている青柳静夫の仕事をも請けていました。

 

負けくらべ』はこの三谷が大河内牟禮(むれ)というIT企業の経営者と出会い、彼が属する東揮グループの内紛に巻き込まれていく物語です。

東揮グループとは、牟禮の母親で現在90歳を超える尾上鈴子が率いるグループです。

このグループからの独立を目論んでいた牟禮の前に立ちふさがったのが東揮グループだったのです。

ここに牟禮の腹違いの長男である磯畑亮一や兄澄慶の子の英斗などが重要な役割を担って登場しています。

 

本書においては三谷の職務である介護の仕事についても、具体的に、しかし客観的に淡々とその内容を記しておられ、三谷という人物の背景をしっかりと構築することで、物語の奥行きが深いものになっています。

ただ、本書のラストはどういう意味があるのかいまだによく分かりません。幾通りもの解釈ができるエンディングだとしか思えず、何が正解なのか知りたいものです。

 

著者の志水辰夫は御年86歳という驚きの作家であり、今もなお作品を書き続けておられるそうです。

負けくらべ』の後はさらに時代小説を書くそうで、その後にはまた現代小説を書くということでした。

骨太のハードボイルド小説を書かれる作家さんが少なくなっている昨今、まだまだ良質の作品を提供してほしいものです。

警官の酒場

警官の酒場』とは

 

本書『警官の酒場』は『北海道警察シリーズ』の第十一弾作品で、2024年2月に416頁のハードカバーで角川春樹事務所から刊行された長編の警察小説です。

本書をもってこのシリーズも終わると聞いていて残念に思っていたのですが、実際は第一シーズンが終わるということで一安心しているところです。

 

警官の酒場』の簡単なあらすじ

 

捜査の第一線から外され続けた佐伯宏一。重大事案の検挙実績で道警一だった。その佐伯は、度重なる警部昇進試験受験の説得に心が揺れていた。その頃、競走馬の育成牧場に強盗に入った四人は計画とは異なり、家人を撲殺してしまう。“強盗殺人犯”となった男たちは札幌方面に逃走を図る…。それぞれの願いや思惑がひとつに収束し、警官の酒場にある想いが満ちていくー。大ベストセラー道警シリーズ、第1シーズン完!それぞれの季節、それぞれの決断ー。(「BOOK」データベースより)

大通警察署生活安全課の小島百合は、スマホを奪われたという女子高校生についての報告書を読んでいるときに、女性の緊急避難所を開設しているボランティアグループの山崎美知から暴力団風の男たちから嫌がらせを受けていると連絡があった。

佐伯宏一は、近頃認知症の兆候を見せてきている父親の身を案じながらも上司と共に刑事部長から警部昇任試験についての話を聞いていたが、直ぐに設備業者のワゴン車の盗難事件発生を告げられた。

津久井卓巡査部長と滝本浩樹巡査長は人質立てこもり事件を解決した後、競走馬の育成牧場での強盗殺人事件についての連絡を受けていた。

 

警官の酒場』の感想

 

本書『警官の酒場』は『北海道警察シリーズ』の第十一巻となる作品で、本作品をもって第一シーズンが終わるそうです。

まずはシリーズ自体は継続するということで安心しましたが、本書の終わり方が終わり方なので、今後の展開がどうなるものか期待が膨らむばかりです。

 

本書でも例によって佐伯宏一警部補、津久井卓巡査部長、小島百合巡査部長という三人の警察官のそれぞれが別事件を追いかけています。

でも、佐伯の部下であり相方でもある新宮昌樹巡査も第一話からの佐伯のコンビとして登場していますので、新宮巡査も加えて四人の物語といった方がいいのでしょう。

本書では、佐伯宏一と新宮昌樹のコンビは古いワゴン車の盗難事件を、津久井卓は闇バイト問題が絡んだ競走馬育成牧場での強盗殺人事件を、そして小島百合は女子高生のスマホ盗難事件を担当しています。

 

これらの事件を捜査するなかで得られた細かな情報が、互いに認識しないままに関連してくる様子が、読者にはよく分かるように物語が進行していくのはこのシリーズのいつものパターンです。

いつものパターンではあってもマンネリ化に陥ることはなく、それぞれの捜査の丁寧な描写は物語の展開にリアリティを与えています。

またそれと共に、サスペンス感に満ちているのはやはり作者の筆力の為すところだと思われます。

 

このように、本書『警官の酒場』のストーリーも本シリーズのパターンに則った運びですが、もう一つの本シリーズの特徴である、時事的な事柄を物語に織り込んでいるという点もまたあてはまります。

それは「闇バイト」の問題であり、一面識もない連中が高額報酬に惹かれて当該強盗事案のためにだけ集まり、犯行を遂げるというものです。

しかし、公にできない金があるはずの競走馬育成牧場に押し入るだけの犯行の筈が、気の短い仲間の一人が予想外の行動に出て被害者を殺してしまい、機動捜査隊の隊員である津久井卓巡査部長がこの強盗殺人事件を追いかけることになります。

この闇バイトに集まった個々人の描写もその心の動きまで丁寧に押さえてあるところなど、このシリーズがリアリティに満ちている理由がよく分かります。

 

また、本書『警官の酒場』はシリーズの第一シーズンの終わりということで、中心となる四人それぞれの今後が示唆されています。

そのことは作者の佐々木譲自身がこの北海道警察シリーズの生みの親でもある角川春樹との対談の中で、「それぞれの個人史としても区切りがつけられたのではないか」と語っていることでもあり、意外といってもいい展開になっています( Book Bang : 参照 )。

そのことは、遠くない未来に始まるはずの第二シーズンに大きな期待を抱かせることにもなっているのです。

 

津久井卓は今後の捜査にはどうかかわるのか、小島と佐伯の二人の行く末はどうなるのか、そして佐伯の今後の身分は、そして何よりもこのシリーズの傾向はどうなるのか大いに期待させられます。

いまはただ続巻の刊行が待たれるばかりです。