零落した稀代のマジシャンがタイムトラベルに挑む「魔術師」、名馬・スペシャルウィークの血統に我が身を重ねる「ひとすじの光」、無限の勝利を望む東フランクの王を永遠に呪縛する「時の扉」、音楽を通貨とする小さな島の伝説を探る「ムジカ・ムンダーナ」、ファッションとカルチャーが絶え果てた未来に残された「最後の不良」、CIA工作員が共産主義の消滅を企む「嘘と正典」の全6篇を収録。(「BOOK」データベースより)
『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞とをW受賞した小川哲のSF作品を中心にした短編集で、本書は第162回直木賞の候補作品となりました。
ほとんど「時間」をテーマにしたSF作品と言える作品でしょうが「ひとすじの光」と「ムジカ・ムンダーナ」は違います。
本書には意外性に満ちた六編の物語が収められています。それは、物語の設定自体の意外性のこともあり、物語の展開の意外性ということもあります。
そして、殆どの物語は、一読しただけではその意味を掴むことができませんでした。再読、三読して初めて物語の内容がくみとれた、ということもありました。
結局、最後まで意味がよく分からないままに終わった、という作品もあります。「魔術師」など特にそうで、第一話目がこの作品でしたからなおのこと本書全体を分かりにくいと思い込んだきらいすらあります。
もしかしたら、そのあいまいさこそが作者のねらいだったのでしょうか。
ともあれ、本書は普通の人間には一読しただけでは分かりにくい物語ばかりです。しかしながら、発想のユニークさ、予想外のストーリー展開は妙に心惹かれる作品ばかりでもありました。
この作者の評判の作品で、日本SF大賞を受賞した『ゲームの王国』も読んでみるか、迷っているところです。
あるマジックの舞台上でタイムマシンを発明し、過去へ帰ってきたという父竹村理道。最終的には更なる過去へと戻り、いなくなってしまいます。ところが今度は姉が父親と同じタイムマシンマジックに挑むことになるのです。
この物語はSFではありません。しかし、SFの設定を借りたマジックの話であり、ミステリーでもある話です。
私はこの物語の構造を今でも理解できていません。結局、父親の理道はどこに消えたのか、姉のマジックの結果はどうなるのか、作者の意図は、何もわからないのです。
それは、一つには単純にタイムマシンだけだけではなく並行世界の話まで持ち出してあるからです。並行世界を前提とするならば、どんな結論でもありになってしまいます。
この物語をよくわからないと言う人は多いと思ったのですが、各種レビュー、評論を見る限りではわかりにくいいう人はほとんどいませんでした。
ちなみに、この物語に出てくる「サーストンの三原則」については下記サイトに詳しく書かれています。興味のある方はご覧ください。
父親は何故かテンペストという競走馬だけを残し、他の財産を処分してしまっていた。何故この馬だけを残したのか、主人公はその理由を追いかける。
この物語はSFではありません。実在の「スペシャルウィーク」という名の競走馬についての話を巡る家族の話です。
血統を追う主人公のすがたがある種のミステリーとして展開されます。競走馬のサラブレッドの血統を追うことで、父親を理解しようとする主人公の姿が描かれるのです。
「時間」についての様々な考察を挟みながら、王に対し一人の男が語りかけ、三つの話をします。
途中で挟まれる「ゼノンのパラドクス」やそれに基づく「時間」の概念の理解。そして罰としての時間の理解は面白く読みました。
三回にわたり語られてきた過去を改変するエピソードがそれぞれに意味を持ち、クライマックスの仕掛けへとなだれ込んでいきます。
一人のユダヤ人とその迫害者との関係性をつづったこの話ですが、物語としての意味は王と語り部との関係性だけなのか、それ以外にもあるものなのか、分かりません。
フィリピンのデルカバオ島に住むルテア族という音楽を通貨とする民に会いに来た高橋大河は、この島で最も裕福な男が持っているという音楽を探すためにやってきました。
音楽を通貨とする、その発想には驚かされましたが、正直、通貨とされた音楽の実際の機能を思い浮かべることが困難で、なんとも不思議としか言いようのない物語でした。
大河は、父親の遺品の「ダイガのために」と題された一本のカセットテープに録音してあった音楽の意味を探るためにここまでやってきました。それは、つまりは残されていた音楽を通して大河と父親との関係を描こうとしているのでしょうか。
「流行をやめよう」という言葉のもとに「流行」が消滅した世界で、自己を貫こうとする男の物語。
この短編で言われていることは社会生活を営んでいる人間の“他者とのかかわり”という本質にかかわるものなのでしょう。
ただ、この物語の結末が結局何だったのか、主人公の怒りを描いただけなのか、何となく落ち着きませんでした。
アメリカの諜報員が、とあるきっかけで過去へメッセージを送る手段を見つけた男と知り合い、過去へメッセージを送り過去を改変することで、現在の共産主義の存在を抹消しようとする試みを描きます。
前提として、今の共産主義社会の存在はマルクスの思想とエンゲルスの経済との合致がもたらしたものとする考えがあります。その上で、マルクスとエンゲルスとの出会いをなかったものにしようとするのです。
その上で、最終的には、この本のタイトルにもなった「正典」の意味が明かにされ、思いもかけない結末が描かれます。